総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

ついに・・・・・。

2015年02月25日 | エッセー
 ついに、やって来た。
 何が?
 母が、認知症の階段を昇り始めた。
 もちろん、本人は、物忘れがひどくなったという認識はある。でも、本人は、それ以上でもそれ以下でもない、老化現象の範囲内だと思っていると思う。
 でも、でも、娘から見たら、性格が寛容の反対の方向に向き始めたなって、残念な気持ちでいっぱい。
 母を見ていて、あーはー、認知症って、物忘れがひどくなることから始まるのではないなぁって思った。物忘れは、私だって非常に厳しい立ち位置にいる。問題は、物忘れ対策をしようとするかしないか…だということが、認知症になるか老化現象レベルにとどまるかのカギを握っていると確信した。
 3年前、父が亡くなってから、母は強くなった・・・と誤解していた。
 それまでの母は、何かあるとすぐしゅんとしてうじうじしていた。イヤなことを言われても、受け流すこともできず、言い返すこともできず、夜、眠れないというような母だった。つまり、立ち向かうこともしなければ、その出来事を通して、それを肥やしにして、物の見方を変えるというようなこともしなかった。ただ、うじうじしていただけだった。
 そう、つまり、自分を変えるということはしないくせに、いつも、同じパターンでしゅんとなって・・・・。私が、娘的に文句を言っても、しゅんとするだけ・・・・。これには、参った。言い返してくれれば、まだ、会話のキャッチボールになるのに、言い返すこともせず、しゅんと暗くなるもんだから、『それ以上、何も言えないじゃないか…。卑怯だよ。』って感じだった。
 それが、父が亡くなって、父という防風林がなくなって、世間の風当たりをまともに受けるようになったら、少しずつ、言い返せるようになった。これは、実に喜ばしいことと・・だと勘違いして、喜んでいた。
 ところが、どっこい・・だ。
 なんだかんだ言って、母は、自分を変えるということはしない人だったのだ。
 つまり、素直さがない。謙虚さがない。
 物忘れがひどくなるのは仕方ない。
 でも、ひどくなるならひどくなるで、どうしたら、それをカバーできるかという工夫をしようとしない。
 メモしたら・・・と思うけれど、そのメモを探すのに一苦労する。そうこうしているうちに心の中が荒れてくるのかなぁ。開き直ってくる。忘れないようにする努力をやめてしまった感がある。
 母葉は、一見、とっても、謙虚な人に、人当たりの良い人に見えるけれど、実は、全然、謙虚じゃない。ただ、人から悪口を言われないために、装っていただけで・・・・。自分のこだわりへの執着がとても強い人だった。
 
 そんな、一見、穏やかに見えるけれど、実は、ぶりっこしている母が、ぶりっこをやめた・・・。父が亡くなってから、世間の悪口の害から身を守るために。確かに、強くなった。今まで、母を苛めていたおばあちゃんたちに向かって行く力をゲットした。以前ほど、しゅんとならなくなった。
 よかった、よかったと思っていた。
 でも、言い返すパワーを得た母は、柔軟性というか心の遊びというかしなやかさというような優しさからどんどんかけ離れていく。開き直って、攻撃的な物言いにひやひやする。自己主張がへたくそなのだ。
 年を重ねるという言葉が、もはや、死語になりそうな勢いで・・・・。
 認知症になってしまうと、年を素敵に重ねるのではなく、今までブリッコしていた部分が剥がされていく。 
 ある時、攻撃的で鬼のような顔に豹変する母に唖然とした。その時は、まだ、物忘れはひどくなったけれど老化現象だと思っていた。認知症の階段を昇り始めているという危機感をこの時、はっきりと認識した。
 異変を感じた瞬間だった。
 あ~~~、母は、世間に対して強くなったのではなく、化けの皮が剥がれただけなんだ・・・。

 かわいい認知症おばあちゃんになりたい。

 そのためには、どうしたらいいのだろう?
 マジ、自分の老後を考えてしまう今日この頃。
 同僚の親たちも似たりよったりで、みんなで『長生きしたくないね。70代後半くらいがいいね。』と嘆いている。75歳を過ぎるころから、異変が始まる。

 母の認知症が現実味を帯びできて、さっそく、認知症を本気で学び始めた。
 母に認知症の階段をできるだけゆっくりのぼてもらうためにはどうしたらいいか。そして、自分が認知症にならないためには、もしくは、認知症になっても、『ありがとう』を連発するようなかわいい認知症おばあちゃんになるためにはどうしたらいいか。

 認知症と言うと、物忘れがひどくなると連想しちゃうけれど、実は、物忘れの前に、課題や問題が生じたときにどう対応するかという置かれた状況で最善とは何かを判断し、効率よく効果的に対処できる能力が落ちてくるのだそう。

 母は、問題が起きると、大きな声で反応し、そして、ただただ心配して眠れない日々を過ごし、それでおしまい・・・というようなタイプの人だった。オロオロ人。
 もともと、脳のそういう部分を使わない人だったところに、正社員として会社で働くという体験もなかったので、仕事上でもそういう能力が鍛えられなかった。家計も父親がやりくりしていたし・・・。
 よって、今更、その部分を活性化させようとしても、困難に近い。
 別な手段で、脳をどう活性化させるか・・・・・・。

 
 ためしてがってん編集の本を読んでいたら、一つ、大きな収穫があった。
 知らなかった。
 アルツハイマー型の認知症は、認知症の45%を占めるのだという。
 そして、委縮する脳は、アミロイドというタンパク質が分解されないで脳に蓄積された結果だという。
 そして、そして、アミロイドを分解する酵素とインシュリンを分解する酵素が同じだという衝撃。

 インシュリンをいっぱい使うような食生活をしてしまうと、使用済みインシュリンを分解するためにその酵素が使われてしまい、アミロイドを分解できなくなってしまい、それが、脳にどんどん蓄積された結果。脳が委縮してアルツハイマーになるのだそう。

 血糖値を一気にあげるジュースこそ、認知症への道、まっしぐら誘惑食品なのだ。

 そんな話を、10歳の息子に夜、電気を消して、いろいろ話すタイムのときにしてみたら、意外な反応に、やったぜ!
 『じゃぁ、僕、もう、今から、ジュースは飲まない。』だって。

 やったー。
 彼は、ジュース大好き、お菓子大好きっ子で、虫歯になりやすいから困っていた。今も、治療中だけど、治療中にもかかわらず、虫歯が増えていくという不可解な現象がおきてしまい、いつまでもたっても治療中からぬけだせずにいた。仕事している私としては、歯医者さん通いも大変。幸い、医療費が月800円ですむのがありがたい。これで、3割自己負担だったら、破産する。
 だから、極力、ジュースは買わないようにしていた。

 なのに、このインシュリンとアミロイドの分解酵素が同じで、インシュリンを優先して分解する特性があるということ、だから、インシュリンがドバっと出るようなジュースや甘いものを食べ続けると、認知症になるというお話を、一度しただけで、効果覿面。

 週末、子供向けなローカル映画が、地元の文化センターであった。
 友達と歩いて帰ってきたようだった。帰ってきて、開口一番『映画が終わって、すっごく喉が渇いたんだ。それで、ジュースを買おうと思ったんだけど、ほら、』と言いつつ、お茶のペットボトルをうれしそうに見せてくれた。

 10歳の子どもにも、わかるんだって感動した
 もちろん、彼の周りに、心源性脳卒中による認知障害になった義理父とやばいかんじの義理母と私の母という存在との実体験があればこそ・・・・・。認知症という病気を彼は知っている。だから、アミロイドとインシュリンを分解する酵素が同じである。インシュリン分解に浪費したらアミロイドが蓄積する。その結果、脳が縮む・・・という知識も、真綿が水を吸収するようにすんなり理解できた。
 知るということは、大切だと思った。
 そして、教えるということも大切。

 ところで、母を見ていて、やばいと感じた・・これはおかしいなと感じたのは、物忘れジャンルではなかった。
 今まで何かあるとしゅんとなっていた母が、最近、自己主張しはじめたな、いい傾向だと思っていたら、調度いいを通り越して、歯止めが利かなくなったと感じた瞬間、ヤバいと感じた。
 そして、がんこになった。自分の置かれた状況で自分のこだわりとの調和が取れなくなった。
 この2点で、これは、単なる老化現象の悪化ではない、認知症?って疑問がよぎった。

 私たちは、職場で、前頭前野を使う訓練をさせていただいているんだなぁってしみじみ、職場があるという。つまり、社会とつながっているということに感謝。

 おかれた環境で、最善を尽す。できるだけ、みんなと楽しく・・・。

 常に、そんな気持ちで、朝、職場に向かおうと思った。
 いろいろある。
 でも、にもかかわらず、職場で太陽にならんとしよう・・・。そう強く思った。

 大分県の安心院という町では、自分たちで企画して自分たちで楽しむ会を結成したところ、認知症になる方が減ったという。みんなで集まる日の企画を自分たちで全てする。サテライトみたいに、私作る人、僕食べる人というような受け身ではなく、自分たちで何をするかを決める、お昼御飯も何を作るかを決めて、自分たちで料理して、自分たちで片づけて・・・・というようなスタンスだという。
 みんなであれこれ話し合って、より楽しいものにせんとする時、きっと、前頭前野が活発に使われて、認知症の予防になるのだと思う。
 人生、死ぬまで受身はいけない。依存と自立の調和が大事。
 福祉の基本は、相手の自立を助けることであって、依存心を膨らませることではないと思う。

 小さい頃から、みんなで知恵を出し合えば、そこに喜びが湧き出てくる・・・というような、そんな教育を受けていれば、自然と前頭前野が鍛えられ、それは、大人になっても、高齢になっても残るんじゃないかなぁ。

 規則とかルールを守ることばっかりに、ちゃんとできることばっかりに、頭を使っていると、前頭前野は鍛えられないかも。

 安心院の取り組みが成功したのは、きっと、それを企画したファシリテーターの力量によるところが大きいと想像する。みんなで何かをやろうとすると、不協和音は必ずと言っていいほど発生する。というか、それがふつう。その不協和音を全部出させて、『あ~、みんな、いろんな考えがあるんだなぁ。人それぞれなんだ。自分の考えが正しいと信じていたけれど、自分の考えが正しいのではなく、ただ、自分の考えであるだけだったんだ。みな、それぞれが、それぞれの理由により、自分の考えに至っているんだ。』というような見解に到達できるような配慮のできる支援者が必須だと思う。
 でないと、言いたいことをいえない人たちは、不満を溜めていき、結局、最後は仲間割れ的な状況になってしまう。

 トヨタ方式・・・何かトラブルが生じると、その原因は追究するけれど、その原因を責めないで、その原因を回避する知恵をみんなで探す。
 所詮、人のすることなので、機会みたいに100%完璧なミスのない仕事なんてありえないということを前提に、その人が介入する部分のミスを何でカバーするかという視点で仲間が知恵を出し合う・・・土壌が、今のトヨタの繁栄の原点なのかもしれない。

 ミスしたくない・迷惑かけたくない・・・そんな空気を反転する力が、今の時代に求められているような気がする。

 人間に

 
 


 

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さびしい・・・・。

2015年02月11日 | エッセー
 70歳になる男性8人に聞いてみた。
 何を?
 
 わが町は、ほかの町よりお酒をたくさん飲んでいる男性が格段に多いという特徴がある。なおかつ、休肝日がない。多くの人が毎日飲んでいる。焼酎を飲む量に比例して、酒のつまみもたくさん食べてしまいがちなのか、メタボな人が多い。20歳頃より体重が10㎏以上増えている人は、内臓脂肪が肥大化しているといわれている。この肥大化した内臓脂肪がクセモノなのだ。適正体重の内臓脂肪は、アディポネクチンという長寿ホルモンを出すので、カラダにとって大事な臓器とも言われている。脂肪と言っても内臓脂肪は一つの大切な臓器なのだ。脂肪細胞の数は、20歳までに決まる。よって、20歳以降に体重が増え続けると、数は増えず、体積が増えていく。つまり、肥大化する。しかも、歪んで歪な形になる。こうなると、長寿ホルモンんと正反対のことをしでかす物質が分泌されてしまう。
 たとえば、適正体重の内臓脂肪からは、血圧を下げる物質や傷ついた血管を修復する物質や食欲を抑える物質、血糖値を下げる物質などが出る。しかし、20歳の頃より10㎏以上増えた方の肥大化した内臓脂肪からは、正反対の物質が出る。血圧を上げる物質とか血栓を作る物質とか血糖値を上げる物質とか・・・・。
 悪循環。
 肝臓という臓器は、人間にとって害になるものを解毒するお仕事を最優先にする臓器である。ほかには、食べたものでカラダにとって必要なものを合成する工場がたくさんある。昔、地理でならったようなコンビナートのようにありとあらゆる合成工場が立ち並んでいるかのよう。
 アルコールを飲むと必ず、アセトアルデヒドという猛毒が発生する。
 この毒を解毒するのに、肝臓は必死だ。
 25度の焼酎の場合、0,5合を肝臓が解毒するのに3~4時間かかる。
 1合飲むと6~8時間。1.5合飲むと9~12時間もかかるという計算になる。
 2合なら、12~16時間。3合ならなんと18~24時間、つまり、1日中解毒しっ放しで肝臓はフル操業になる。
 ・・・ではない。
 肝臓は、ほかにも、食べ物の解毒や合成もしなくてはならないので、朝までに解毒が終わらなければ、朝ご飯の解毒ができない。添加物や薬や便秘により腸内で発生する毒素やウイルスなどなど。解毒するものは他にもいっぱいある。
 どう考えても、飲んでも1.5合が限界なのだ。肝臓的に・・。

 それ以上、飲み続けると、肝臓で炎症が起こり、繊維化して肝硬変への階段を昇っていくことになる。

 もちろん、個人差がある。
 人の2倍も解毒できるという羨ましい肝臓の持ち主もいる。先祖に感謝・・・だ。

 そして、何よりも、お酒を飲んだ分だけつまみも食べちゃう。食べないで飲む人もいるけれど、わが町では、お酒を飲む人でメタボな人が多いので、将来、脳卒中や心筋梗塞、人工透析などになる人も、メタボが下地になっている場合が多い。
 この三つの思い病気は、医療費を跳ね上げてしまう。
 それが怖いのだ。
 10年後、少子化はますます進み、高齢者ばっかりの世の中へまっしぐら。
 つまり、降りかかる医消費を少ない若者で見なくてはいけない状況に、国が追い込まれていく。
 今、ただでさえ、国の借金(つまり、国民一人あたりの借金)がすごいことになっているのに、これ以上、どうすればいいの?っていう崖っぷちに来ているわけで、せめて、メタボ由来による脳卒中・心筋梗塞・人工透析患者を減らそうと国は、やっと重い腰をあげたところなのだ。

 そういう状況の中、わが町は、お酒とメタボの相関がみられたので、70歳の男性に聞いてみたというわけで・・・。

 『どうして、わが町の男性は、ほかのところより、お酒をたくさん飲む人が多いんでしょうか?』と聞いてみた。

 そしたら、真っ先に、『そりゃぁ、寂しいからよ。』って。いきなり。
 勝手に、想像した。寂しいのは、夫婦の会話がないせい?それとも妖怪のせい?

 じゃなかった。

 「妻がうるさくてたまんない。ギャーギャーうるさくて、もう、話したくもない。ストレスたまって酒が好きな人は、酒に走る。酒でストレス発散する。」

 「ほんとうだ。グダグダ、ぐだぐだ、うるさい。話したくもない。」
 
 全員とは言わないけれど、うなづく人多し。

 口火を切った人が、男性にしては珍しく、本音を語ってくれたので、そのあとも、結構、本音トークが展開した。

 げー。会話がなくて寂しいんじゃなくて、会話がかみ合わなくて寂しいと、孤独を感じて、酒で紛らわして、70代をやり過ごしてお迎えを待つのだろうか・・・。
 せっかく、夫婦になったのに・・・・。死ぬ時に、私の人生、よかった・・と思えるような夫婦でありたいとしみじみ。
 離婚しない。つまり、結婚を継続することを選択したのなら、コミュニケーションに磨きをかけて、会話のキャッチボールした方がいいんじゃないかと思うけれど・・・。こじれすぎた・・・のかな?修復不可能なのかな?

 結構、子育てが大変なときに、思いやりを持って協力してくれなかった・・・という恨みが、妻の心を冷え切らせる原因の場合が多いよう。恨みがあるから、会話もとげとげしくなり、うるさかったり、くどくどなってしまうのかなぁ?

 夫婦の歴史は、夫婦それぞれ。

 私だって、人のことを言えた義理ではない。
 それこそ、子育てに向き合わない夫への恨みは、やっぱ、あるだろうなぁ。
 向き合わないどころか、四人の男の子と敵対している今、私の仕事は父親の分も抱えざるを得ず、増えるばかりだ。

 結婚を継続すると決めたら、覚悟しなくちゃ・・・・・・ね。

 言葉は悪いかもしれないけれど、妻が夫をおだてていい気になってもらうって、実はとっても賢いことなんだと思う。昔から、手のひらの上で云々…て言われていたけれど、夫婦円満のこつかもってしみじみ。

 人間として、対等でしょ!とか父親として当然でしょ!と正論を言っても通じない相手と共に暮らすことを選んだのなら、そして、そんな甘えん坊な子どもレベルの夫とシアワセに暮らしたいのなら、おだてのプロになると宣言し、腹をくくること・・・だ。そりゃぁ、子育ての大変なときにいっしょに子育てしてくれなかった恨みは消えるわけがない。にもかかわらず、深呼吸しておだててみたら、案外、おもろい反応が返ってきて、クスッと笑っちゃったりして・・・・。男性って、結構、ユーモアのセンスあるから。その結果、あったかい空気にしんみりして優しい気持ちを取り戻すかもしれない。その数ミリのあったかい気持ちの積み重ねの力で、根雪のように心に積もった夫への恨みが溶けていくかもしれない。
 悪循環を好循環にどう変えられるか?
 それが、私の人生の大きな課題の一つと思いつつ、自分の心にすくう子育てに非協力的だった夫への恨みをその夫と暮らしながら溶かす術を模索している。
 押してもだめなら、引いてみな・・・・なんだよ。人生を実りある生き方にするコツは、ある一つの事象をいろんな角度から見れる力だと思う今日この頃・・・です。

 寂しい・・・・という気持ちは、男性の方が抱きやすいのかなぁ。
 女性は、寂しいと感じる、ちょこっと前に、誰かとおしゃべりして寂しさを感じないですむようにしちゃう才能が先天的にありそう。でも、男性は、若い頃は、好きなことに夢中になれて、それで気がすんでいたけれど、年を取ると、なんだか、誰かとつながりたくなる気持ちが芽を出してきて・・・でも、おしゃべりの苦手な男性は一人ぽっちをしみじみ感じて、寂しい・・・となるのかなぁ。
 やっぱり、小さい頃、、男の子はめそめそ泣くな!というメッセージに縛られて、素直に甘えられなかった、ほんとうの自分を封印してしまったつけなのかなぁ。

 私自身の子育てで、男の子は泣いちゃだめよ・・というメッセージは送っていない。一言も言ってないし、そんなオーラも出さなかったと思う。お兄ちゃんなんだからがまんして・・・と言った記憶もない。
 にもかかわらず、長男は、人に超気を使うお子様だった。私にも文句を言ったことがない。友達にも気を使っているのがみえみえで痛々しかった。
 どうなってる?てしまったのだろうか。小2の頃は、不登校気味に、中2の頃は自律神経失調に、そして、大学2年の頃はうつ病気味になってしまった。

 彼は、70歳になったとき、寂しいっていうのだろうか・・・。

 うつ病って、心の風邪とよく言われる。
 そうかなぁ。
 整体の神様と言われる野口先生によると、風邪とかインフルエンザとか、カラダがリセットしたがって引く・・・のだそう。溜まっている疲れとか歪を風邪をきちんとひききることでスッキリさせる・・・・みたいな。だから、風邪を引いたら、あんまり薬に頼らず、ゆっくり安静にして、じっくり風邪と向き合うことが大事なのだそう。
 幼い子どもは、いろんなストレスがたまってくると、ママと一緒にいたくって、ママに甘えたくって、無意識に風邪を呼び寄せてしまうこともある・・・らしい。

 10代、20代のうつ病は、心が思春期から大人にリセットする成長過程の一現象とも言われている。甘えんぼうでわがままいっぱいですんだ思春期前の時代から、自分に自信をつけて、自分って結構いけるジャン・・っていうような本物の心の強さを築き上げる。その土台があって、初めて、自分の責任で自分の人生という舟を漕いでいこうという勇気が湧いてくる。
 でも、自分に自信がないと自分の舟を漕ぎだすことに躊躇してしまう。
 さぁ、いよいよ、自分の人生がスタートする。でも、自信がない。どうしよう。無理だよ。今のままじゃ。こんな自分じゃ、人生という舟はまだ漕げない。でも、タイムリミットがもうすぐそこだ。時間がない。
 そんな、葛藤というか焦りというか、人生に対して怯んでしまった状態が、10代20代のうつ病なんじゃないかなぁ。
 心の風邪と言えば、心の風邪。リセットするという意味では。
 でも、もっと、重症だ。それを言うなら、心のはしかと比喩してほしい。
 心の風邪というと、なんだか軽い感じがする。うつの薬を飲んで、少し、休養したら大丈夫・・・なんて、そんな簡単なものではない。
 オンギャーと生まれて、親との日々の関係性の集大成として、自分に自信がついてくる、自分って結構いけるじゃん…というような楽天的思考が身についていく・・・ものなのに、そこで躓いてしまっっている状態がうつなのだから、お薬と休養だけでは、自分の人生という壮大な舟を漕ぎだす勇気なんて、そう簡単に醸成できるわけがないと思う。

 長男は、他は全てのびのび環境を与えてあげたけれど、肝心の夫と私の夫婦関係に安心感を持てなかったがゆえに全然のびのびできないという緊張を強いられて育ってしまった。
 まさに、はしかだ。
 はしかも小さい頃かかるとそれなりに大変だけれどどうにかなる。でも、大人になってかかると重症化しやすくてやっかいだ。
 思春期も、10歳くらいから15歳くらいに、『くそばばぁ』とか『別に…』とかてんこ盛りな日々を過ごせたら、それなりに大変だけど、どうにかなる。思春期適齢期に適齢期らしさがないと、思春期が先延ばしになって、病になってしまう。
 小さい頃、甘えんぼだったり、泣き叫んだり、だだをこねたり、素直ないい子だったり・・などなど、全てこみのありのままな自分をリラックスして表出できたヒトは、ほんとうの自分といい子に装った自分のどっちも認めてもらえているので、フィット感がある。でも、いい子でしか認めてもらえないと思い込んで生きる道を無意識に選んで生きてきた人は、自分という存在にフィット感がないんじゃないかなぁ。常に、自分という存在に違和感があるんだと思う。ほんとうは、ピンクの服を着たいのに、黒の服が自分は好きだと思い込んでいる・・・・みたいな。五本指の靴下を、小指と薬指を一緒に履いてしまった・・・ような。
 リストカットを繰り返す人は、自分という存在感が薄いと言われている。だから、自分が生きているという実感を確かめたくて、手首を切って、血が滴るのを見てほっとしたい。こんな人は、たぶん、自分へのフィット感がほとんどないんだと思う。
 昔、透明な僕・・・というような表現をした男の子がいた。

 
 自分にフィット感のある子に育てよう!
 たぶん、子育てでそれが一番大事。
 いい子も悪い子も(大人目線で・・・)こみ・・・を受け入れられたと感じている子は、フィット感がある。でも、いい子を演じないと受け入れられないという体験をした子は、自分にフィット感がなく大きくなる。思春期に暴れることのできた子(大人にとって悪い子を発散できた子)は、そこで、フィット感を取り戻して、人生を再スタートできる切符を手にすることができる。でも、そのチャンスを逃した人は、大人になってうつ病になったりする。
 そして、そして、多分、70歳になって、寂しい・・・と感じる。この胸がきゅんとするような寂しさを感じている70歳って、きっと、自分にフィット感がないんじゃないかなぁって思う。妻がうるさくて・・・・って言うけれど、確かに、妻がうるさいのかもしれないけれど・・・元々、小さい頃、フィット感を養えないようなコミュニケーションが豊かでない家庭に育った人で、結婚して、妻と豊かなコミュニケーションを築けなかった人なのかもしれない。結果、妻は何度言っても伝わらないのでうるさくなった・・・ということもありえる。まぁ、何度言っても伝わらないコミュニケーションを永遠に続けてしまった妻も、そんなに豊かなコミュニケーション力はお持ちでなかったのだろう・・・・・。
 貧しいコミュニケーションって、すべての悪化への道の入口のような気がする。ガンにしてもしかり。認知症にしてもしかり。うつ病など精神疾患にしても、もちろん、しかり。
 コミュニケーションという言葉のキャッチボールが、うまいかへたか・・・・。

 それが、70歳で寂しいという空虚感に心が破裂しそうになって、酒で紛らわすような人生になるか否か・・・。

 言葉のキャッチボールできてる?

 相手が白いボールを投げてきたら、白いボールを返そうと意識的にお話してる?
 逆に、どす黒いボールを投げてきても、どす黒いボールを返せる?
 どす黒いとつい磨いてあげようと自分の体験談から培ったアドバイスを上乗せして返してしまいがちだけれど、sれじゃぁ,キャッチボールにならない。どす黒いボールほど、どす黒いまま返さんとするところに、コミュニケーションの醍醐味がある。どす黒いまま返そうと意識して言葉のキャッチボールをしていくと、あ~、この人は私を理解しようとしてくれているという何とも言えない喜びを感じ始める。寂しい・・・と反対の気持ちが膨らんでくる。そうしていくうちに、どす黒いものが、少しずつ、白に近づいていく。あるいは、一気に・・・。

 70歳で寂しいと感じて酒をあおる人は、この言葉のキャッチボールを子ども時代からしてもらえなかった人かもしれない。

 ところで、長男も来年、就職する。
 手前味噌で非常に恐縮ですが、就職試験の面接で彼は、かなりの人気だったよう。特に、先輩女子から・・・。もちろん、彼は、自慢げになんか言う人ではない。私が聞き出して、やっと、はにかみながら、ボソッと教えてくれた。最近、モテ期ともチラッと教えてくれた。
 わかる。
 彼は、ハニカミ王子だもの。
 そのハニカミは23歳にない人生を感じさせる・・・のだ。多分・・・・。
 人生相談したら、的確な回答が返ってきて、スッゲーって親なのに感動する。

 今となっては、全て、彼の人生の肥しとなった・・・・てな感じ。
 私個人としては、のびのび育てたかったから、私のできる範囲でのびのびした環境を用意したつもりだった。
 でも、残念ながら、パートナーが嵐だった。 
 嵐は嵐でも、不機嫌の嵐。く~~~~~~~~~。台風で難破しそうな船の中で、のびのび育てようとしていたんだから、笑っちゃうね。
 長男が、70歳になって、寂しい・・気持ちを酒で紛らわすことがないよう、祈る母であった。

 

 


 
 
 

 
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