赤ちゃんの人権って聞いて、何を思い浮かべる?
そう、赤ちゃんにもちゃんと人権がある。
よく、赤ちゃんって何もわかんないから、何してもいい・・なにしゃべってもいい・・と本気で思っている人って結構いる。おじいちゃんとかおばあちゃんとかもよくそう言う。
3歳くらいまでは覚えていないから、しつけとして叩いたけど、それ以降は覚えているから叩かなかったという人もいる。
とんでもない。
記憶に残らないけれど、宗像先生によれば、先生がSATイメージ療法で扱った症例では、うつ病をはじめとする精神疾患も、糖尿病や高血圧症、がんなどの生活習慣病も、さらには膠原病やバセドウ病などの自己免疫疾患も、そのほとんどは3歳以前に脳の扁桃体に刻まれた情動記憶が原発になっているということです。扁桃体の記憶を癒すことが何より大事ということです。
もの心つくまでは、扁桃体というところが情動記憶(感覚器と結びついた感情と身体の記憶)として記憶し、もの心ついたら(言葉を話すようになったら)言語機能をつかさどる器官でもある海馬がエピソード記憶(出来事の意味や状況を物語として把握・記憶すること)として記憶するそうです。
だから、覚えてないから何したっていいなんてとんでもない・・・のです。
友達とドライブに行って、ちょっとのどが乾いてお茶飲みたいって思ったらどうする?
きっと、隣に座っている友達に、「ちょっと、のどが渇いたから、あそこの自販機によっていい?あなたも何か飲む?買ってくるよ。」とか言うでしょ?
そして、自販機でお茶を買って、車に戻ったら、「待った?お待たせ。はい、お茶!」
っていうよね。
もし、隣にあなたの赤ちゃんが乗っていたら、どう?
いちいち 言う?
いちいち 言わない・・・かも。
赤ちゃんも友達と同じように対等に接しよう・・・・という運動(私が勝手に一人でやっているだけなんだけど・・)が、赤ちゃんの人権を保護するってこと。
あくまでも、あなたにとって大事なともだちみたいに・・・・・。
三男は、風邪を引くと長引いて悪化して入院したりするタイプだった。
義理の母が面倒を見てくれたのだけれど、どんなにお願いしても、せがまれると(否、せがまれなくても)アイスとチョコ、ジュースなど、甘いもの冷たいものを季節を問わず与えていたようだ。そう、どんなにお願いしても、私が背中を向けると、たぶん、『あっかんべぇ~。』ってやっていたんじゃないかと想像する。
三男の入院レベルまでの悪化は、そのせいだと私はひそかに思っている。だって、まともなウンチが出るのは、三日に1回だけだったもの。残りの2日は、下痢ピー。冷たいもの甘いもので腸内細菌のバランスが崩れ悪玉腸内細菌がのさばっていたんだと思う。
まぁ、その話は別の機会にするとして、三男が2歳の頃、風邪の悪化で熱が下がらず入院したときの話で、医療現場では、子どもの人権を無視したことを良かれと思ってやっているんだとドキッとしたことがある。
外来を受診して、検査をするので、「お母さんは、廊下で待っていてください。」と言われ、初めての病院、入院だったので、わけもわからず、抵抗もできないまま、わが子を残して廊下に出て待っていた。病院としては、お母さんにわが子が針を刺されるときのかわいそうな姿を見せたくないということで、わたしを廊下に出させたのだと思う。でもね、「じゃぁ、わが子が、突然、知らない看護師さんたちに羽交い絞めにされて、突然、突然だよ、イタ~イ注射をされる、そのとき受けるショックは、どう落とし前つけてくれるの?」って世界だ。
入院中も、点滴の針を差し替えるとき、突然、「お母さんは廊下に出てください。」と言われて追い出された。あの時は、かなり大声で泣き叫んだ。
話は、ここで終わらない。
入院は、1週間ほどだったけれど、退院して1ヶ月、三男は、絶対に家の外に出ようとしなかった。1ヶ月だよ。1ヶ月。よほど怖かったんだと思う。ひとりぼっちにさせてごめんね。
そして、自分が点滴で針を刺されたところを指差して、「あ、あ、・・・」と言っていた。指差しは、3~4ヶ月は続いたと思う。
本当に愛してほしいときに愛を与えてこそ、愛はなんぼ・・・の愛の世界。
なのに、私は、三男が一番私を必要とするときに、そばにいてあげれなかった。
そばにいれなくてもいい。
「お母さんは、そばについてやれないけれど、病気を治すためだからがんばってね。」と抱きしめて、目と目を合わせて、きちんと向き合うことさえできればいい。
それができなかった。
それくらいのショックだったのだ。
ホント、三男には申し訳ないことをした。あれよあれよという間に、外に出されてしまった自分が情けない。
はがゆい。
できれば、抱きしめて、いっしょに痛み分けをしたかった(心の)。
「痛いけど、がんばろうね。点滴したら、ばい菌をやっつけてくれるから、がんばろうね。」と励ましながら・・・・。
なのに、なのに・・・・・。
大事なことは、苦難を避けるのではなく、正面から受け止めて、励ましあって生きること。
予防接種の注射もそう。
「痛くないから」なんて、うそをつかないこと。
子育てに、ごまかしやその場しのぎは禁物!
「チクッと痛いけど、この注射をするとばい菌をやっつけてくれるから、がんばろう。」などときちんと伝えることが大事。
そして、終わったら、「よくがんばったね。」と認めてあげよう。
大事なことを知らされない ということは、人権を尊重されていないってこと。
例えば、突然、「今日、引越しするよ。」と夫に言われたら、どう反応する?
職場で、突然、「今日、異動になった。○○課に配属になった。」と言われたら?
突然、「今日、結婚式のスピーチをしてくれ。」と言われたら?
あるいは、他の同僚たちは、みんな知らされていたことを自分ひとりだけ、知らされていなかったとしたら?
ブーイングの嵐だよね。
つぎは、『夜泣きK1世界ランキング第2位』 です。
そう、赤ちゃんにもちゃんと人権がある。
よく、赤ちゃんって何もわかんないから、何してもいい・・なにしゃべってもいい・・と本気で思っている人って結構いる。おじいちゃんとかおばあちゃんとかもよくそう言う。
3歳くらいまでは覚えていないから、しつけとして叩いたけど、それ以降は覚えているから叩かなかったという人もいる。
とんでもない。
記憶に残らないけれど、宗像先生によれば、先生がSATイメージ療法で扱った症例では、うつ病をはじめとする精神疾患も、糖尿病や高血圧症、がんなどの生活習慣病も、さらには膠原病やバセドウ病などの自己免疫疾患も、そのほとんどは3歳以前に脳の扁桃体に刻まれた情動記憶が原発になっているということです。扁桃体の記憶を癒すことが何より大事ということです。
もの心つくまでは、扁桃体というところが情動記憶(感覚器と結びついた感情と身体の記憶)として記憶し、もの心ついたら(言葉を話すようになったら)言語機能をつかさどる器官でもある海馬がエピソード記憶(出来事の意味や状況を物語として把握・記憶すること)として記憶するそうです。
だから、覚えてないから何したっていいなんてとんでもない・・・のです。
友達とドライブに行って、ちょっとのどが乾いてお茶飲みたいって思ったらどうする?
きっと、隣に座っている友達に、「ちょっと、のどが渇いたから、あそこの自販機によっていい?あなたも何か飲む?買ってくるよ。」とか言うでしょ?
そして、自販機でお茶を買って、車に戻ったら、「待った?お待たせ。はい、お茶!」
っていうよね。
もし、隣にあなたの赤ちゃんが乗っていたら、どう?
いちいち 言う?
いちいち 言わない・・・かも。
赤ちゃんも友達と同じように対等に接しよう・・・・という運動(私が勝手に一人でやっているだけなんだけど・・)が、赤ちゃんの人権を保護するってこと。
あくまでも、あなたにとって大事なともだちみたいに・・・・・。
三男は、風邪を引くと長引いて悪化して入院したりするタイプだった。
義理の母が面倒を見てくれたのだけれど、どんなにお願いしても、せがまれると(否、せがまれなくても)アイスとチョコ、ジュースなど、甘いもの冷たいものを季節を問わず与えていたようだ。そう、どんなにお願いしても、私が背中を向けると、たぶん、『あっかんべぇ~。』ってやっていたんじゃないかと想像する。
三男の入院レベルまでの悪化は、そのせいだと私はひそかに思っている。だって、まともなウンチが出るのは、三日に1回だけだったもの。残りの2日は、下痢ピー。冷たいもの甘いもので腸内細菌のバランスが崩れ悪玉腸内細菌がのさばっていたんだと思う。
まぁ、その話は別の機会にするとして、三男が2歳の頃、風邪の悪化で熱が下がらず入院したときの話で、医療現場では、子どもの人権を無視したことを良かれと思ってやっているんだとドキッとしたことがある。
外来を受診して、検査をするので、「お母さんは、廊下で待っていてください。」と言われ、初めての病院、入院だったので、わけもわからず、抵抗もできないまま、わが子を残して廊下に出て待っていた。病院としては、お母さんにわが子が針を刺されるときのかわいそうな姿を見せたくないということで、わたしを廊下に出させたのだと思う。でもね、「じゃぁ、わが子が、突然、知らない看護師さんたちに羽交い絞めにされて、突然、突然だよ、イタ~イ注射をされる、そのとき受けるショックは、どう落とし前つけてくれるの?」って世界だ。
入院中も、点滴の針を差し替えるとき、突然、「お母さんは廊下に出てください。」と言われて追い出された。あの時は、かなり大声で泣き叫んだ。
話は、ここで終わらない。
入院は、1週間ほどだったけれど、退院して1ヶ月、三男は、絶対に家の外に出ようとしなかった。1ヶ月だよ。1ヶ月。よほど怖かったんだと思う。ひとりぼっちにさせてごめんね。
そして、自分が点滴で針を刺されたところを指差して、「あ、あ、・・・」と言っていた。指差しは、3~4ヶ月は続いたと思う。
本当に愛してほしいときに愛を与えてこそ、愛はなんぼ・・・の愛の世界。
なのに、私は、三男が一番私を必要とするときに、そばにいてあげれなかった。
そばにいれなくてもいい。
「お母さんは、そばについてやれないけれど、病気を治すためだからがんばってね。」と抱きしめて、目と目を合わせて、きちんと向き合うことさえできればいい。
それができなかった。
それくらいのショックだったのだ。
ホント、三男には申し訳ないことをした。あれよあれよという間に、外に出されてしまった自分が情けない。
はがゆい。
できれば、抱きしめて、いっしょに痛み分けをしたかった(心の)。
「痛いけど、がんばろうね。点滴したら、ばい菌をやっつけてくれるから、がんばろうね。」と励ましながら・・・・。
なのに、なのに・・・・・。
大事なことは、苦難を避けるのではなく、正面から受け止めて、励ましあって生きること。
予防接種の注射もそう。
「痛くないから」なんて、うそをつかないこと。
子育てに、ごまかしやその場しのぎは禁物!
「チクッと痛いけど、この注射をするとばい菌をやっつけてくれるから、がんばろう。」などときちんと伝えることが大事。
そして、終わったら、「よくがんばったね。」と認めてあげよう。
大事なことを知らされない ということは、人権を尊重されていないってこと。
例えば、突然、「今日、引越しするよ。」と夫に言われたら、どう反応する?
職場で、突然、「今日、異動になった。○○課に配属になった。」と言われたら?
突然、「今日、結婚式のスピーチをしてくれ。」と言われたら?
あるいは、他の同僚たちは、みんな知らされていたことを自分ひとりだけ、知らされていなかったとしたら?
ブーイングの嵐だよね。
つぎは、『夜泣きK1世界ランキング第2位』 です。