本屋さんに行った。
そして、齋藤啓二さんの『フランクルにきく』という本が目にとまった。
パラパラっとページをめくってみる・・・と、直球悩み解決言葉に出会った。
『レモンをレモネードにする。それが、人生』
ふと、相手はレモンなのに、『レモネードじゃない』と批判ばかりしている自分の愚かさに気づき、愕然とした。自分にとってイヤな人ってレモンのようにすっぱい人。すっぱい人はすっぱい人でどうすることもできない。でも、私の物の見方でレモネードにすることは可能なはずなのだ。きっと。
これからは、自分にとってイヤな人を見たら、レモンを思い浮かべる癖をつけてみよう。
そして、どうしたら、レモネードにできるかな?って問いかけるってことを意識してみようかな?
毎日、やっていたら、そうとう知恵がつきそうな予感。ちょっと、ルンルン。
今までも、同じような言葉に出会っていたのに・・・。
バラはバラで美しい。バラをかすみ草にしようとするからおかしなことになる。
子育てもそう。かすみ草はかすみ草。なのに、バラの花を咲かせようとするからおかしなことになる。
でも、花は基本的にきれいだもんね。野に咲く花も可憐。汚くはない。だから、ピーンと来なかった。
でも、すっぱいレモンはレモンでそれでいいとは、微妙。やっぱ、レモン1個丸ごとは食べられない。レモネードなら美味しくいただける。レモンはレモンのままでいい。ただ、レモンを食べたい人が工夫して美味しいレモネードを作れるかどうか・・・。レモンを酸っぱいからイヤだと言って批判ばかりしていても美味しいレモネードにはならない。批判ではなく工夫すると美味しく味わえる。それが、人生。
難しいけれど、トライしてみよう。
考えてみれば、レモンが、もし、地球に存在しなかったら、私たち、かなり困る。から揚げにレモン一切れジューっとかできないし、レモン酎ハイもないし・・・。エグザエルは一晩でレモンサワーを100杯以上飲むというし・・・。
という風に頭の中では人生の公式を理解はできている。
理解はできているけれど、カラダ全部丸ごとレベルまで達していないから、うじうじ、うじうじ。
目の前のレモンが、レモネードに見える体験がないから・・・。
つまり、物の見方が抜本的には変わっていないってこと。
物の見方をバシッと変えるためにも、日々、レモネード思考を意識するっきゃない・・・のかな?
そして、齋藤啓二さんの『フランクルにきく』という本が目にとまった。
パラパラっとページをめくってみる・・・と、直球悩み解決言葉に出会った。
『レモンをレモネードにする。それが、人生』
ふと、相手はレモンなのに、『レモネードじゃない』と批判ばかりしている自分の愚かさに気づき、愕然とした。自分にとってイヤな人ってレモンのようにすっぱい人。すっぱい人はすっぱい人でどうすることもできない。でも、私の物の見方でレモネードにすることは可能なはずなのだ。きっと。
これからは、自分にとってイヤな人を見たら、レモンを思い浮かべる癖をつけてみよう。
そして、どうしたら、レモネードにできるかな?って問いかけるってことを意識してみようかな?
毎日、やっていたら、そうとう知恵がつきそうな予感。ちょっと、ルンルン。
今までも、同じような言葉に出会っていたのに・・・。
バラはバラで美しい。バラをかすみ草にしようとするからおかしなことになる。
子育てもそう。かすみ草はかすみ草。なのに、バラの花を咲かせようとするからおかしなことになる。
でも、花は基本的にきれいだもんね。野に咲く花も可憐。汚くはない。だから、ピーンと来なかった。
でも、すっぱいレモンはレモンでそれでいいとは、微妙。やっぱ、レモン1個丸ごとは食べられない。レモネードなら美味しくいただける。レモンはレモンのままでいい。ただ、レモンを食べたい人が工夫して美味しいレモネードを作れるかどうか・・・。レモンを酸っぱいからイヤだと言って批判ばかりしていても美味しいレモネードにはならない。批判ではなく工夫すると美味しく味わえる。それが、人生。
難しいけれど、トライしてみよう。
考えてみれば、レモンが、もし、地球に存在しなかったら、私たち、かなり困る。から揚げにレモン一切れジューっとかできないし、レモン酎ハイもないし・・・。エグザエルは一晩でレモンサワーを100杯以上飲むというし・・・。
という風に頭の中では人生の公式を理解はできている。
理解はできているけれど、カラダ全部丸ごとレベルまで達していないから、うじうじ、うじうじ。
目の前のレモンが、レモネードに見える体験がないから・・・。
つまり、物の見方が抜本的には変わっていないってこと。
物の見方をバシッと変えるためにも、日々、レモネード思考を意識するっきゃない・・・のかな?