総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

サンタナンダ

2013年12月31日 | エッセー
 サンタさんの存在を何歳まで信じるか?

 わたしは、サンタさんからのプレゼントを本気で夢見るお子ちゃまではなかった。母が靴下にりんごと一粒で二度おいしいと言われるグリコのキャンディとポッキーなどを入れてくれているということを最初から知っていた。醒めていた。だいたい、キリスト教もイエスも知らなかったし・・。
 小3の四男のサンタ有効期限はいつまで?と思いつつ、今年も、夏ぐらいから、夜空に向かって「サンタさん、ほねほねザウルスの○○と△△をプレゼントしてください。」というお願いが、何度も更新するのでひやひやしていた。最終更新が二日前の22日で、慌てて23日にこっそりプレゼントを買いに行った。なのに、23日の夜に、また、更新だ。
 なんと、3DSに寝返った。
 おいおい、それは、自分の力(といってもお年玉のことだけど・・)でゲットするものだと豪語したじゃないか。

 そして、迎えた25日の朝の開口一番は、「やっぱり、3DSじゃなかったか…。」
 あんまりうれしそうじゃなかった。

 26日の夜、眠りにつく前のまどろみほっとタイムに、ボソッとつぐやいた。
 「僕はねぇ。サンタさんはいないと思うよ。だって、1億人の子どもたちに、たった一日でプレゼントを配りきれるわけがないじゃない。それに、トナカイは空を飛べないと思うよ。テレビで言っていたもん。お母さんが買ってきてくれたんじゃないの?」
 「おかあさんじゃないよ。でも、サンタさん一人で1億人に配るのは難しそうだねぇ。」
 「僕が思うに、きっと、地区の自治会長さんみたいな人がいて、その人におばさんたちが、この子は○○がほしいって言っていたよって教えているんじゃないかなぁ。きっと、そうだよ。」
 「そうかもねぇ。」

 お~~~~、急に現実的になった。地区の自治会長さんか・・・・。いいねぇ~。

 同僚の子どもたちも、『せっかくお母さんたちがウソをついてくれているから、悪いなって思ってダマされたふりをしていた。プレゼントも欲しかったし・・・。』って、小6になって教えてくれたって言っていた。

 サンタさんは、9歳までかな?

 ホントは、少し、気になることがあった。『いい子にしていたら、サンタさんがクリスマスプレゼントを持ってきてくれるよ。』もしくは、『いい子にしていないと、サンタさんはクリスマスプレゼントを持ってきてくれないよ。』
 もしも、もしも、こんな脅迫文がプレゼントに添えられているとしたら、ぞっとする。
 だいたい、えらく抽象的な言葉だ。〝いい子”だなんて。
 正直に言っちゃえばいい。
 いい子とは、お母さんとお父さんいとって都合のよい子。お母さんとお父さんの言うことを聞く子。お勉強をちゃんとする子。手のかからない聞き分けのよい子。
 これじゃぁ、まるで、条件つきの愛じゃん。
 キリストは、どこかで嘆いていないだろうか・・・・。
 だいたい、明日はお正月だ。日本という国にはお年玉という慣習がある。24日にクリスマスプレゼントをもらい、お正月にお年玉をもらうってあんまりじゃなかろうか。世界でもまれなんじゃないだろうか。どっちか一つだよ。
 私の小学生の頃なんて、親からもらった500円だけだった。その貴重な500円玉を握りしめて、田舎の小さな駅の売店へ走った。そして、りぼんを買った。正月は、りぼんを読むという楽しみがあった。
 正月は、親から『外に出る!』って言われて育った。外に出て、近所のおばちゃんに会うと、近所のおばちゃんがお年玉をあげなくてはいけない羽目になるから・・・・。みな、ビンボーだった。

 あ~~~~。『キリスト教じゃないから、クリスマスプレゼントなんてありません。』と初志貫徹すべきだった。なんという優柔不断。救いは、『いい子にしていたら・・・』と脅迫だけはしなかったことか・・・。
 1920年代、自由な学校サマーヒルを築いた偉大なニールのいた時代の紳士の国と言われるイギリスという国は、子どもたちにとって地獄みたいな国だった。騒ぐ子はノーという国だったようだ。騒いだら叩いてでも大人しくさせて当然とばかり、躾に厳しいお国柄だったようだ。そんな国で、条件つきの愛の象徴としてサンタさんが現れたんじゃなかろうか・・・。
 サンタさんの出身地は、ノルウエーだっけ、スエーデンだったっけ?イギリスじゃなかったよね。
 いかん。いかん。サンタについて調査開始だ。

 全然関係ないけれど、昨夜のテレビに安倍首相が出演していた。そこで、夫婦円満の秘訣は?って尋ねられた。
 そこで、とっても粋なことをおっしゃった。
 『家庭の幸福は、妻への降伏』
 なるほど。なるほど。
 昭恵夫人は、原子力輸出に関して、私は家庭内野党と言ってはばからず、ただ一人、首相に正面から反対を訴えてくださっている貴重な方である。当の首相は、そんな妻のことをどう思っているのだろうとずっと気にかかっていた。裸の王様になりきってはいないだろうかと心配だった。でも、大丈夫そうだ。妻への降伏とおっしゃっているんだもの。ほっ。


サンタを調べた。

 サンタの由来は、4世紀ごろ東ローマ帝国でニコラオスという聖者が、貧しい3姉妹の家の煙突から金貨を落としたら、下に靴下があってその中に入ったという。その後、オランダ語でニコラオスが、シンタクロウスと呼ばれるようになり、アメリカの植民地に渡ったオランダ人が『サンタクロース』と呼ぶようになったとのこと。イタリアでは、よい子にはサンタさんからプレゼントがあり、悪い子には悪魔みたいな人から炭を配られるんだって。日本では、1925年に大正天皇が崩御され、そのお祭りがなぜだかドッキングしちゃったらしい。1961年にフィンランドの郵政省が、サンタの住所を決めちゃったんだって。
 なんだか、みんな適当だね。

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ハンバーグ人生

2013年12月28日 | エッセー
 わたしは、敗者復活料理にかける気持ちが強い方だ。とにかく、捨てるのがもったいない。捨てられない。でも、捨てられなくって、冷蔵庫の中で腐ってしまい、結局、捨てる羽目になることも結構多くて、残念な気持ちになることもしばしばである。
 先日も、ハンバーグを作る時、ふと、シイラの切り身をカレー粉でソテーしたやつが残っていたので、それも肉に混ぜてハンバーグにしたら、イマイチで、また、残ってしまった。(ハンバーグは、シンプルな方がいい。)で、それが、もったいない。敗者復活×敗者復活に挑んだ。
 おうちにある冷蔵庫の中の残り物を使って、いかに美味しく家族が喜ぶ料理を作るか?

そのハンバーグを潰して、ポテトをマッシュしたやつの上に乗せ、マカロニも乗せ、その上にチーズを乗せ、オーブンで焼いてみた。わりと好評だった。
でも、まだ、残った。
 ここら辺で、いい加減捨てる道を選べばいいのに、最後は、それを丸めてコロッケにした。コロッケだけでは、イマイチな気がして、ケチャップとマヨネーズのオーロラソースを添えたとたん、完食。

 私も粘った。
 やっぱ、最初に、シーラをお肉に混ぜたのが災いしたが、どうにかゴールにたどり着くことができ、ほっとした。

 ふと、私の人生って、シイラの切り身の入ったこのハンバーグがオーロラソースをかけてたコロッケに似てるって思った。
 

 私が、最近、しみじみ思うに、人生とは、家にある残り物でいかに家族が喜ぶ料理を作るか・・・というチャレンジ劇場。
 なおかつ、捨てない。つまり、自分の人生をあきらめない。見捨てない。
 
 私の人生こそ、まさに、このハンバーグ人生だった。美味しそうなハンバーグだと思って結婚したら、スパイスの効いた魚が混ざっていて、びっくり。どうしようか。捨てようかとも思ったけれど、どうにかこうにか捨てないですんだなぁ~とこの20年を感慨深く回想できる〝今”にまぁ、これでよかったのかなと思いつつ、今度は、子どもたちの人生が、すでにスパイスの効いた魚が混じっている人生からのスタートにさせちゃって、胸が疼く。
 思春期までは、どうしても隣のお友達が、ステーキ人生を歩んでいるようで、どうして僕んちは、こんな残り物ハンバーグ人生なんだって思っちゃうらしい。羨ましい気持ちと自分の満たされない気持ちの葛藤でかなり苦しんでいるみたいに見える。思春期までは、自己中で自分の人生なのに、親のせいにしがち。ステーキ人生の子は、親のせいで俺の人生なんて・・・・というような葛藤にそう捕われることもない。思春期の葛藤は、大切な宝物。でも、そう思えるのは、人生の後半になってからだもんなぁ。
 どうかどうか、葛藤という人生に聳え立つ高い山を乗り越えられますように。
 うちの子にとって、この高い山は、半端でない山。ヒマラヤほどの世界有数の高い山だった。
 長男は、今、やっとこさの思いでこの山を乗り越えたかに見えた。
 めでたし、めでたし・・・となるかと思いきや、ところがどっこい。ヒマラヤの山しか見ていない思春期だったもんだから、今、目的を見失い空虚が彼の胸を襲ってしまっちゃった。ぽっかり穴があいちゃった。
 人生には夢が必要だ。父親という葛藤の山を登るのと同じくらい・・・。しかし、長男は、この山がそこら辺の山じゃなかったもんだから、山を登ることのみの人生をまっしぐらに歩んできてしまった。○○になりたい…というような夢が置き去りにされていた。
 でも、大丈夫だよ。
 今は、少し、休んでも。もう一生分の気を使っちゃったんだもの。ぼ~~~っとしなよ。しばらく。焦らず。
 あんだけの高い山を登りきったあなただもの。十分休息できたら、今度は、自分のために、ヒマラヤに登頂できるくらいのパワーあるエネルギーで、ハンバーグ人生を歩んで行けるはず・・・。

 ステーキ人生って言っても、もしかしたら、オーストラリア産の牛肉かもしれないよ。
 スパイス魚入りハンバーグ人生って言っても、もしかしたら、和牛と黒豚のひき肉かもしれないじゃん。
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ぼこぼこ

2013年12月23日 | エッセー
 四男が、学校でぼこぼこにあった。
 小3にして。
 昼休み。
 教室で。
 体育の授業に少し遅れたという理由で。
 他にもいっぱい遅れた子がいたのに・・・・と涙ぐむ四男。
 帰宅した時は何も言わなかったのに、お風呂の中でつぶやいた。
 口からも血が出たって・・。
 日頃から、体格が良くて体育が得意で怖いものなしの雰囲気を漂わせていたY君が主犯格で、取り巻きは野球とサッカーをやっている少年たちだったという。そして、観て見ぬフリをする他の子どもたちもいたよう。
 四男だけがぼこぼこにされたのではなく、もう一人のお友達も一緒にだったという。
 卑怯なやり方だ。
 でも、救いは、場所が教室だったこと。
 呼び出されて隠れてされたのではないということ。
 まだ、明るい。
 まだ、陰湿ではない。
 Y君は、単純だ。
 それが、救い。
 大丈夫だと思った。

 そして、もう一つ、彼は、宝物を見つけた。
 お風呂で、ポツリポツリ話してくれて、最後に、語ってくれた宝物。
 その時、ただ一人、K君だけが、『やめて!』と助けてくれたという。
 実は、K君だって、強くない。全然、強くない。むしろ、彼は、早口すぎてなんて言っているかわからないようなしゃべり方をするので、日頃、どちらかというといじめられ気味な子。ただ、四男の自由帳仲間で、彼だけが、戦いグッズではなく基地を作るのが好きで話が合うと言っていた。自由帳仲間とは、自由帳に自由に基地とか武器などを書き込んでいき、ゲームを作り上げていく遊びで、まぁ、なんというかゲーム機でなく紙面上のゲームソフト作成遊び・・・かな?まだ、ゲームを買ってあげていないので、絵の大好きな四男が、仕方なくというか暇つぶしというか好きでというか自由帳に書き始めたら、クラスでも流行っているらしい。
 もしかしたら、Y君は、それが気に入らなくって、ぼこぼこしたくなったのだろうか。

お風呂の中で、最後に、「僕は、月曜日は学校に行かない。行きたくない。」と断言した。(その日は金曜日だった。)
 「そうだね。いいよ。月曜日は休んでいいよ。お母さんは、もし、こういうことがもう一回あったら、学校に怒鳴り込むから。先生にきちんと言うから。」と答えた。

 おしまい。

 月曜日、何事もなかったかのように、学校に行った。

 これでいいのだ。

 それにしても、K君、ありがとう。あなたのおかげで、四男は、人間の善なるものを信じることのできる人生を歩んで行けることを保障されました。感謝。

 後日、同僚たちにその話をしたら、「今スグ、先生に言うべきだ。」と全員一致でアドバイスされた。
 どうなのかなぁ?
 そうなのかなぁ。

 悩む。

 お風呂に中の会話のやりとり
 「いつか、Y君をやっつけられるようになるために、柔道とか剣道とか空手とかやってみない?」って誘導したけれど、「無理だよ。Y君はすっごく強くて、空手をやっているM君もやつけられたもん。誰もY君にはかなわない。」
 彼は、自由帳という空想社会で、きっとY君をやっつける武器をいっぱい製造していくんだろうなぁ。

 今、先生に実情を伝えておいて、先生が見守っていてくださればいいけれど、先生がY君に余計なことを言って、かえって、Y君が恨みを持って、陰湿ないじめになっていくともかぎらない。微妙だ。

 だって、怖かったもん。参観日の懇談会。Y君のママの超威圧的な空気感は尋常じゃなかった。ひさびさに、ビビったぜ。Y君は、そんなママに育てられているんだもん。誰かに八つ当たりしたくなるのは当然だと思った。幸いにして、彼は、身体能力が素晴らしいので、そっちの方でかなり発散できているのだろうと想像する。でも、もし、先生に四男のことで注意をされたら、素直に聞く耳はなさそうだ。ひねくれて受け取って、八つ当たりもひどくなり、四男をもっとターゲットにして攻撃してくるやもしれない。
 わたしが、アクションを起こすにも、あの超怖いママとわたりあえる覚悟が大前提にないといけないとマジ思う。

陰湿を感じたら、即、行動しようと思う。
 でも、今回は、昼休みの教室という場であったので、まだ、陰湿ではない。
 Y君よりも、もっと知恵を働かせて、直接、手を下さないで間接的にいじめをするような存在が感じられた時には、こっちも本腰を入れなくては・・・・と思っている。

 自分自身にも言い聞かせている。
 降りかかる災難のすべてを、体験して感じてより善きことに向かう対処法を試作するチャンスと捉えられる力を養う~それが、生きるという意味だと・・・・。
 だから、四男の今回のぼこぼこ事件も、彼にとって人生をより深みのあるものとなっているかどうか、もしくは、よい体験だったと言えるような親としての支援は何だろう・・・・というような視点で彼に関われたらいいと思っている。

 お風呂の中で、ひたすら、傾聴に努めた。
 
 私は、仕事柄、積極的傾聴というカウンセリングを学ぶチャンスを与えられた。グループインタビューを思春期の子どもたちにさせていただく機会もあった。だだこねの天才、次男のおかげで親業を学ぶ機会を得た。次男は、らくだにも出会わせてくれた。お手て絵本にも出会えた。
 これらの、出逢いにより、子どもの話に、最後まで耳を傾けられる力が、少しは身に着いた。
 おかげさま。
 おかげで、お風呂の中で、四男の話に最後まで耳を傾けられ、多分、きっと、それだけで、四男は、なんだか元気になって学校へ行けたのだと思う。
  
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僕は。うきわだった。

2013年12月17日 | エッセー
 ママ!自分で泳げるようになってから、結婚してよ。
 犬かきくらい泳げるからって、それは、泳げるって言わないよ。
 ママがちゃんと泳げないから、僕は、ママのうきわになっちゃった。
 ママは、パパ船長という大きな船に乗船できてラッキーだと思ったんだよね。
 だけど、いざ、乗船してみると、パパは時々大嵐に大変身。
 パパの恐怖の大波は、僕だって怖かったんだから。すぐに避難して、自分が船長になってくれたらよかったんだ。
 なのに、逃げもせず、かといって向かっていくための船も作らず
 僕という小さなうきわだけで、ずっと、ずっと、漂流してきた。
 僕は、そろそろ、一人で泳いで、この荒波の向こうの海へ出航してみたい。
 でも、今まで、ずっと、ママのうきわだった僕は、泳げない。
 そろそろ
 そう、思っていたら、突然、ママは、別の大きな船に救助されちゃった。ママだけ。ママだけ逃げた。僕を捨てて。
 相変わらず、泳げない。
 ママ、僕を捨ててもいいけれど、自分で泳げるようになってからにしてよ。
 僕は、そろそろ、自分の力で泳ぐ練習をしなくっちゃ。
 小さい頃から、ママのうきわだった僕は、泳げるか不安で胸がいっぱい。
 どうにかなりそうだ。
 でも、僕、船長になりたい。
 最近、凪が続いている。
 泳ぐ練習しなくちゃ。

 ほんとうは、パパとママの大きな船に乗って、ときどき、南の島で泳ぐ練習をしたかったなぁ~。
 6歳から、僕はうきわだった。
 サッカーで県代表に選ばれたころからは、かなりりっぱなママのうきわになっちゃった。



依存症という言葉がある。
 泳ぎに疲れて、ときどき、南の島でゆっくりする・・・・みたいな生き方は、自然。
 でも、泳げない人は、最初から、ずっと、うきわと、あるいは船というものに頼っている。これが、依存症。
 子どもに依存することだけは避けたい。
 その最たるものが、虐待だと思う。
 よく、しつけだと言う。
 本人も、マジでしつけだと信じている場合が多い。だから、話が通じない。
 世の中で、最も話が通じない人って、正義を振りかざす人、あるいは、自分は正しい、だから、あなたは間違っているというスタンスの人だ。

 実は、こんな人は、人生に対してかなづち。だから、子どもを虐待するというかなり頑丈なうきわが必要になるのだと思う。
 トルストイのいう水車がちゃんと動かない人。上質の小麦を製粉するための動力である水車が動かない人。だから、子育てに関して、上質の小麦(子どもの豊かな人生への支援)を製粉しようという意識があまりない。自分の言うことを聞くよい子を育てるためのしつけ(心と体への恐怖を与えることにより統制する)を水車だと信じているのだと想像する。

 『神との対話』という本で、絵具とパレットは、生まれた時の用意されている。それを、キャンバスにどう描くか、それが、その人に与えられた人生・・・みたいなことが書かれていた。
 
パパが船長で、ママが副船長。
 嵐がやってきたら、船長と副船長は船が転覆しないように、力を合わせる。
 その姿を見て子どもは育ち、親の姿を学ぶ。
 そして、親になる。


 そんな当たり前のことが難しい家庭が多い。
 我が家も・・・・・。

 ママは、船長の免許をいかにしてパパにとらせるか・・・・という知恵が、トルストイのいう水車。
 男脳と女脳をよ~~~~~~く理解して、お子ちゃま男を船長に成長させるしかない。

 そのためには、ママが泳げることが大前提。
 泳げるって、どういうこと?
 
 

  
 
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脳の取扱説明書(黒川伊保子先生編)

2013年12月10日 | エッセー
 そもそも、男と女は感性が正反対の相手に発情するのです。言い換えれば、異質の遺伝子を持つ相手に恋をする。例えば、突然『バーン』と大きな音がしたとき、片方はしゃがむ。片方は逃げ出す。子のように反応が同じでない組み合せの方が、どちらかが生き残れる可能性が高まるし、遺伝子の組み合わせも多様になり、子孫の生存可能性も上がるわけです。これは、動物学的に理に敵った組み合わせであるけれど、結婚し、長くともに暮らすとなると、いろいろ大変になってくる。
 それもこれも子孫を残すため。しかも、極端に偏った子孫にならないような工夫が遺伝子に組み込まれているらしい。子孫を残す。それもできるだけまっとうな子孫を残す。生き残れる身体を持った子孫を残す。黒川氏によると、生き残るためには、偏らない方がいいいので、男性は、いろんな女性との子孫を残し、子孫が生き残るようにするために、浮気症というような性質を元々もっているという。
 糖尿病になる人は、実は、最強の生き残り組なのだ。何億年という飢餓との戦いに打ち勝ってきた最強遺伝子を持つ人が、現代という飽食の時代では、生き残れなくなった。
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トルストイの人生論P1

2013年12月10日 | エッセー
トルストイの『人生論』の1ページ目を昨夜、読んだ。
 21世紀の子どもたちへ送る本に、多くの方がスタンダールの本を勧めていらした。長編なので、とりあえず、『人生論』を詠もうと思って、1ページだけ、チラリとめくってみた。
 その冒頭に、製粉屋の話が載っていた。この製粉屋は上質の小麦粉を作るプロであった。上質の小麦粉を作るために、動力となる水車のケアをすることはできた。壊れた部分の修理はできた。しかし、ある時、ふと、水車そのものに興味を持ってしまい、水車を作ることへの研究にはまってしまった。そして、水車の研究の次に、今度は、川に興味を持ってしまい、川の研究を始めてしまった・・・というようなお話。
 そして、トルストイは、人生とは、製粉屋にとっての上質な小麦粉を作るための水車のようなものだと言っている。
 上質な小麦粉を作ることを目的として、そこに、人生という水車がある。
 人生とは、理性により、善きことへの創造をしていくこと。
 
 なのに、この製粉屋は、善きこと=上質な小麦粉を作ることへの創造を捨て、人生の意味を探ることに没頭してしまった・・と。

 日々の暮らしの中で、丁寧に一つ一つをより善きことを意識して暮らしていくこと・・・その意識こそ、人生だとスタンダールは言いたいのだろうか。どんなに素材が悪い麦でも、できるだけ上質の小麦粉になるよう創意工夫する、その創意工夫こそ人生だとすると、私は、まだまだ、今の環境(主に夫のこと)を嘆いている状況から脱出できていないなぁ。あかん。
 
 さすが、トルストイ。

 たった、1ページしか読んでいないのに、もう、このフレーズで生きることが楽になった。

 私に降りかかってくる災難という水車に対して『どうしてこんな災難が私だけに降り注ぐのか?』とついつい思いがちだけれど、この災難という水車で、より上質な小麦粉(より善きこと)を作れるか・・・・だけに、心を集中していくことが、大事である・・・・。

 
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心のダイヤモンドルール

2013年12月08日 | エッセー
 70歳になるおじいちゃん、おばあちゃん5人にインタビューをした。
 私の住んでいる田舎町は、自殺者が多い。しかも、一般的にいわれる50歳前後の男性の自殺者が多いという傾向ではなく、どちらかというと高齢者で女性と男性が半々という傾向があるという特徴がある街である。
 だから、おじいちゃんおばあちゃんにどうしてこの街は自殺される方が多いのか。どうしたら、そんな方が一人でも減るのか・・・を聞いてみた。
 インタビューをする前に、このインタビューの六つのルールを伝える。
 ①口外しない・秘密厳守
 ②人の話は最後まで黙って聴く
 ③『でもね。』『そうは言ってもね。』などと否定しない。
 ④人の話を横取りしない
 ⑤言いたくなかったら、パスでOK
 ⑥
 思い出さない。あと一つ何だったかなぁ~。
 このルールが、すごく素敵なルール、心のダイヤモンドルールなの。
 このグループワーク体験は、自動的にいつのまにかカウンセリングのカウンセラー体験とカウンセリングを受ける体験をしていることになっちゃうという優れものだと言える。だから、終わった後、なんだか気持ちに元気がみなぎってくる感じがする。
 わが子との会話で、時には、このルールを自分に課してやってみると、思いのほか、子どもが素直になっていき、母としての醍醐味を味わえると思う。この六つのルールは、人権尊重のルールなのだ。ぜひ、お試しを!

 まずは、ウォーミングアップな質問からスタート。
 心が疲れたなぁと思う時はどんな時?って聞いてみた。
 このメンバーは、みな、心が元気な方々
 ・ない(二人)
 ・民生委員をしているので、いろんな大変な相談を受けた時
 ・考えたことがない
 という答え。

次が、じゃぁ、心が元気だなぁ。充実しているって感じるときはどんな時?
 ・僕はアパート経営をしているので、若い人や子どもたちと接することが多い。孫がいっぱいいるようなもの。若い人と接するのはいい
  よ。ミカンの木があって、いっぱいなるので、収穫した時は、みんなに配ってあげたりしている。
 ・若いもんに山仕事のいろはを教えている時。まだまだ若いもんには負けない。
 ・カラオケが趣味。妻といっしょに歌う
 ・自分の家の一室を開放して茶のん場にしている。いつも誰かかれか遊びに来て地域の交流の場になっている。人に喜んでもらえてるなぁと  感じるとき
 ・夫と二人で農家をしている。夜、明日の段取りなどを打ち合わせながら食事をして、朝になって、さぁ、今日も頑張るぞ!っていう気持ち  で仕事に出るとき
 ・自分だけが、パートの仕事をしているので、朝、10時前に出かける前10分くらい、コーヒーを入れて、夫と今日のスケジュールなどにつi  いての話などをしてから出かけ、帰ってからも「今日は、なにをした?」などとたわいないおしゃべりをすること。夫はあまり外に出る 
  (人と会う)ことを好まないので、私が外でのことをいろいろ話すようにしている。
 
 どうしてわが町は自殺する人が多いのでしょう?特に高齢者の場合。
 ・気軽に相談できないのでは
 ・カラダが思うようにいかなくなったらつらい
 ・家族がいるけれど、亡くなる人もいる。一人さびしいからという理由ではなさそうだ。家族と話せないのかな。家族とコミュニケーションがうまくできないのかな。
 ・家族やパ-トナーとで言いたいことが言える関係がないのかな?

 ・夫は、昔は、ずいぶんと亭主関白だった。だけど、私が大病をしてから変わった。今では、家事もしてくれるし優しくなった。とにかく、  いつも感謝の言葉を伝えている。
 ・私の夫も定年までは亭主関白だったけれど、定年してから変わった。私が働いているので、洗濯してもらったりしているが、干すというよ  りごそっと置いてある・・・みたいなしわしわの干し方だ。でも、ぐ~~~~~~~~っとこらえて、『ありがとう』と言っている。
 ・やっぱり、ありがとうという感謝の気持ちをもったいぶらないでどんどん使うことが、コミュニケーションの秘訣だと思う。してくれるだ  けでありがたい。
 ・ほんとうね。夫婦でも家族でも『ありがとう』という感謝の気持ちが一番。
 ・いいなぁ。うちの妻はそんなこと言ってくれない。


 たった5人の来月70歳を迎える方へのグループインタビュだったけれど、人生を味わいの濃いものにする生き方上手な姿を見せていただいた。男性は、弟子に教えるとか若い者と接する、趣味があるということが、女性は、まず、パートナーの心をパートナーへの感謝の言葉を絶やさない知恵を養い、夫を味方にすることが、あるいは、人のために役立っているという感覚が70歳になったときどれだけあるか…なのかと思った。亭主関白だった夫が、60歳を過ぎてから、家事の一部をになってくれるようになる、そのテクニックとはなんだろう?二人で生きていく・・と決めたのなら、いがみ合っていきてゆくより、面白おかしく生きていた方がいいに決まっている。けんかもいっぱいするけれど、お互い言いたいことは言い合えるともおっしゃっていた。
 『一人で生きていく気ままさ、だけど、孤独』と『他人という異文化であるめんどくさいものを抱えながらも孤独ではない生き方』のどっちを選ぶか・・・・。

 老年のココロを元気にしてくれる生き方のエッセンスとは、『いっしょに』『趣味』『誰かのために』『若い人と接する』『夫婦でケンカもしながら言いたいことも言えて、でも、夫には、してくれて当然と思わず、感謝の言葉を忘れずに添える』・・この五つに尽きる・・・・しみじみ、そう思った。

 今日も、同僚と『男女平等参画というけれど、男脳優位な男性と結婚して、結婚を継続すると決めたのなら、私も働いているから家事も分担するのは当然よオーラで夫を責めても幸せにはなれない。私だって疲れているんだから・・・とか、どうして、私だけが家事もして子どもの世話もしているのに、夫がちょこっとしてくれた家事に対して感謝の意を表しないといけないの?・・・と言いたい気持ちをぐっとこらえて、ありがとうと言うなんて至難の業だけれど、でも、でも、それ抜きでは、結局、自分のシアワセをゲットできないよねぇ~。」としみじみ語った。

 婦人公論に、脳科学者の黒川氏の『脳科学から見た夫婦論』の記事が掲載されていた。実に、興味深い内容だった。やっぱり、仕方ないのだ。男脳が脳の大半を占める夫に白馬の王子様を期待するのは不可能に近いことなのだと。でもねぇ。家事も育児も仕事も必死な日々の生活を送っていると、たまに、白馬の王子様に甘えてみたいのよねぇ。委ねた~~~~い・・・・みたいな。

 でも、ふと、思い出した。
 この何もかも委ねた~~~~~~~~~~い願望は、そう、切実なものではない。
 20代後半のあの頃の『何のために生きているのか』という罠にはまってしまって、何をしても虚しい気落ちに陥った頃よりは、はるかにまし。あの時は、とりあえず、結婚して子育てするという目の前のことに追われる目的を得ることで、何のために生きるのか・・・という恐ろしいテーマから脱出できたじゃないか。あの時の虚無感という苦しさよりは、白馬の王子様に身も心も委ねたいというようなプリンみたいな願望なんて大したことはない。デザート食べたい・・・・みたいなかわゆい気持ち。韓流スターにお熱になれたらいいんだけれど、なかなかそんな存在が見つからないレベル。
 でもね。でもね。子育て・育児・夫という異文化との共同生活というご飯とおかずの人生だけで干からびる。時々、自分にご褒美というデザートは必要かも。

 黒川氏は、人類が誕生した太古の昔から、子孫を残すために、女は子を育てることが第一で、男は家族を食わせることを第一にDNAに組み込まれていると言っている。そのために、女性の脳は、目の前の語らない赤ちゃんが何を要求しているのか、おなかが空いているのか?おむつが濡れて気持ち悪いのか?寂しくて泣いているのか?それともしゃべれない赤ちゃんの気持ちをや要求をきちんと汲んでくれないじれったさや怒りから憤怒して泣いているのか?などと察する力(女脳)を与えられた。一方、男性は、家族に餌を与えることに専念できるよう、目の前のことより、餌をゲットするための問題解決に力を注ぐ能力(男脳)を与えられた。だから、男は察することが苦手。というか、できない・・・のだそう。
 察することができないんだから、察することを期待するのが間違いということになる。
 人間、期待するから、思い通りにならないと不満が溜まるのだ。

 期待しない。

 これが、生き方上手。

でもね。期待しないって、甘えないってこと。結構、きついよね。人間だもの。甘えたい時もある。

 期待しない。でも、知恵でもって、最終的には、シアワセになる道はある・・・・。
 黒川氏は、察することが苦手な男脳優位な男性には、ピンポイントで具体的にお願いして、やってもらえたら、そのたびに感謝の言葉を添えて、まんざらでもない気分(ドーパミン)を出させて、少しずつ、習慣化していただくことは可能だと言っている。どうやら、男は、興味がないことも、褒められるとその気になっていくという単純な生き物でもあるらしい。

 ママにほめられると頑張る・・・・みたいな。

 マザコン心に火をつける・・・みたいな?
 
 男は、基本的にマザコンだもの。そっちから攻めるしかない。
 対等な人間として『共働きなんだもの。やって当然。』というスタンスで家事育児を要求したら、それは、責められてる感を強めるだけなかもしれない。

 夫婦という人間関係は、『責めるな。攻めろ!』


 70歳の女性たちは、人生の達人だ。黒川氏の脳科学の話を知らなくても、知恵という武器で夫というお子ちゃま男とうまくやっていくことを可能にしている。

 知恵を開花させて、白馬の王子様依存という他力本願的シアワセではなく、自力でシアワセをゲットしよう・・・ではないか。
 
 
 
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