総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

96歳

2016年11月16日 | エッセー
 先日、父の姉が96歳で自宅で亡くなった。自然に。介護保険も使わずに。明日、初めて入浴サービスを受けることになっていたという。最後の1か月くらい寝たきりになり、娘二人が介護をされていた。
 理想的な・・・。

 もう一つ、理想的な大往生な出来事を聞いて、やっぱり、そういう世界はあるのかもと思った。
 次女さんいわく、「母は、私のことを嫌っていて71年私に対して一度も笑ったことがなかった。頑固で。姉にはそこまでなかったけれど。でも、ここ1か月の間に、何度か意識が朦朧とすることがあったんだけれど、母が言うのよ。『神様が娘に笑顔を見せなさい。』って。だから、母の笑顔を初めて見れた。今までの積年の思いも吹っ飛んで、小さくなった母がかわいいって思えて『かわいい。かわいい。』って言ったの。」と。

 意識が朦朧としたとき、臨死体験みたいなことがあったのだろうか。

 娘に対して71年間も一度も笑ったことがないというのもどんな母親なの?ってびっくりだけれど、亡くなる直前に、神様に諭されて笑顔を見せるっていうこともびっくり。次女さんにとっては、それからの人生が全然違う。チャラにまではならないにしても・・・。介護すると決めるとき、清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったとのこと。一度も笑ってくれない母親の面倒なんかみたくない。そこを、ぐっとこらえて介護された。それだけでもすごいこと。


 人生の終わりって大切。

 看取りとは何ぞやってしみじみ思った。

 それにしても、人は終わりの時に、人によっては、あの世とこの世を結構行ったり来たりするものなのかなぁ?
 もし、あの世とこの世を行ったり来たりできたら、残された家族にとっては至福のご褒美をもたらすかもしれない。

 どうなんだろう。

 昔々、まだ、見取りを家でやっていた時代、太古の昔からほんの数十年前までの人の心は、もっと、ちがっていたかもしれない。
 少なくとも、今の時代より、亡くなる前に意識朦朧となりながらも意識が戻ることを幾度か繰り返しつつあの世に旅立つ人の割合も多かったはず。そして、家族は、いろいろあったけれど、最後に感謝の言葉をプレゼントされたことで心になんだかあったかい灯を持て、そのことで人生の試練を乗り越える力となれるって人も結構いたのかも。
 あの世とこの世という感覚というものを自然と受け入れていた時代か・・・・。
 今の時代、科学的根拠がないという理由であの世とかこの世という感覚に拒絶反応を示す人も多い。
 でも、きっと、戦前くらいまで、まだ、病院に行くということが日常でなかった頃は、もののけ姫みたいな感覚を日本人は持っていたんじゃないかなぁ?
 私も、最後は、あの世とこの世を行きつ戻りつあの世に行きたいなぁ。だって、認知症になって最悪な人間になったとしても、最後の最後に、みんなを幸せにできるかもしれないから。もちろん、施設にいたら無理だから、やっぱり、自然な老衰で死にたいなぁ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 超高齢者研究によると・・ | トップ | 結構、きつい »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセー」カテゴリの最新記事