今、長男は20歳になった。
実は、小学校1~2年生の行きたくない病がなくなってからも、内に秘めてしまう性質が変わったわけではないので、思春期という再生のときに、また、一波乱あった。
小学校6年生の頃も心にひっかかることがあったけれど・・・・・。やはり、それは、思春期の前兆だったんだなぁと今になればわかる。
彼は、親の目にも異常じゃないかと思われるくらい、友達に気を使っていた。
半端じゃない。
気を使っているのが、わかりすぎて親としては泣けてくるくらい人の目ばっかり気にしていた。
勉強をしなかったのも、ちょっと頑張れば1番になれそうなのに、いつも7番手くらいをあえて維持しているように見えた。同級生に嫌われたくなかったのだろう。
4人子どもを育ててきて、どの子もお勉強とは縁がなかったけれど、長男は別格だった。2歳の誕生日には、教えもしないのに、扇形・ひし形・楕円形・平行四辺形・三角形・五角形・オーボー・レクタングル・トライアングルなどとのたまい、紐でひし形とか平行四辺形を作って遊んでいた。夫と『この子のこの才能をを育てられなかったら親失格だね。』と言っていたにも関わらず、親失格の道をたどってしまって、長男には申し訳ないことをしてしまったと思う。でも、どうしようもなかった。夫婦という人間関係の荒波に子どもたち全員が巻き込まれ、沈没しないよう必死だったから。人間、精一杯生きてれば、後悔という2文字の苦しみは味わわないですむ。それでも、もったいないことをしたなぁって思う。まぁ、それも、彼の選んだ人生なのでしょうが。
すっげー、頭いいはずなのに、友達に気を使って勉強せず、中学に入ると、父親への反抗で一番効果のある『勉強しないという道』を選んだものだから、くすぶっていたよね~。
父親が塾の講師をしていたので、父親は、なによりも、わが子を育てることを楽しみにしていた。育てるって言っても、お勉強で力をつけさせるってことだけど・・・・。だから、父親に反抗するには、意地でもでも成績を落とすことが目標になっていたような気がする。おまけに、学校の
つづく
そう、おまけに中学校の先生って、枠にはめたがる教師が多くって、彼は、とがったナイフのような目で、そんな教師を斜め45度の角度で睨みつけていた。枠にはまらない子どもを目の敵にするような教師の授業では、わざといつも忘れ物をしていたようだ。中学校って思春期。枠からはみ出したい、人の作ったルールではなく自分たちの作ったルールで生きたい時期。なのに、信じられないくらい枠に入れたがる教師の多いこと、多いこと。数年前、風紀が乱れて大変だったと評判の中学校だったらしく、教師一丸となって枠にはめる努力をしていたみたいだけれど、思春期の子どもたちと対等にコミュニケーションできる教師が少なすぎるって感じた。力を力で抑えるなんて、人生の師としては哀しすぎるよね。
長男が不思議なのは、小学校のとき、あれほど友達に使いすぎるくらい気を使っている子だったのに、中学に入って、枠にはめたがる教師に対しては反骨精神旺盛だったこと。彼のどこに、そんなパワーがあったのだろう。
思春期という再生のときのエネルギーってものすごいってことなのかなぁ。
で、彼は、数学の女性の教師もご多分に漏れず、睨みつけていたのだが、成績は1位でも、評価は2だった。さすがに、2はないだろうと思ったが、中学の成績って所詮そんなもの。個人的感情が超移入されることが可能なのだとその時知った。
まぁ、彼のするどいナイフのような目で寡黙に睨みつけられると、何を考えているかわからない不快感で、誰だってかわいがろうとは思わないだろうなぁ。
結局、わかるんだと思う。この大人は、ぶりっ子かそうでないか。きれいごとを言っているのか自分の真実の言葉を言っているのか・・・。
そんな彼も、3年生の女の先生によって救われた。
その先生は、30代の独身の先生。そして、なぜか、彼のクラスは、イケメンが多かった。親の私が言うのもなんだが、半分はイケメンだった。マジに、深夜番組のナイトスクープにはがきを出してみようかなと思ったくらい。ジャニーズに負けていないよって感じだった。だから、この女の先生にとってみれば、パラダイス。もし、私が教師でも学校に行くのがルンルンだっただろうと妄想する。この先生は、下心がめいっぱいあったとしても、愛を持って男の子を両手で受け入れるオーラがあった。もう、本当に幸せそうだったもの。(親の私が言うのもなんだけど、長男もなかなかのイケメンです。)
そしたら、長男の顔にも柔らかな何かが見え始めた。
つづく
やはり、愛されていると、あるいは、受け入れられていると感じたら、素直になれるよね。人間って。
でも、それまでがアンビリーバブルな症状に翻弄されたのが、長男の思春期という人生だった。
あれは、中一の夏休みに入る頃、突然、足の付け根を痛がり出し、足を見ると股関節のあたりのリンパがパンパンに腫れていた。どうして?
おまけに、得体の知れない発熱がほぼ夏休み中彼を襲った。
逆マラリア?
朝、38℃の熱が出て夕方になると熱が下がる。
わけわかんない。
足もパンパンで痛いので、中1の夏休みは、寝たきりに近い生活を強いられてしまった。
2学期になっても、夏休みほどではないけれど、ときどき、熱が出たり、足が腫れたりして学校を休んだりしていた。
なんとなく、
なんとなく、直感として、自律神経っぽいなって感じていたので、あえて、病院にもいかず様子をみていたのだけれど、外野がうるさくなったので、仕方なく、ちょっと変わった小児科を受診した。中1だけど、小児科に行った。その小児科は、先生が、その人に合う薬をOリングという方法で見つけて、その薬から、先生が診断名を出すという、逆バージョンの診断をされる。
Oリングっておもしろいよね。本物あるいは、その人にとって必要なものは力が入る。逆に、偽物あるいは、その人にとって合わないものは力が入らない。例えば、長男にとって玄米は力が入らないけれど、アマランサスという雑穀だと力が入るって感じで
いくらいいものでも、今、その人の体に合わないものはダメとなる。みかんも丸ごとだと力が入らないけれど、皮をむくと力が入る。農薬の関係でそうなるみたい。
海外旅行でも、これを知っていると便利だよ。金のネックレスを買おうと思って、デパートだと何十万もするやつが、小さなお店だと30万くらいになって、路上のお店だと10万円くらいで売っていたとする。悩むよね。路上のネックレスって本物かな?
偽物かな?って。そんなとき、Oリングを知っていれば、本物を安心して激安で買えるのだ。シルクの○○・・とかもね。
薬も、そう。薬ってなるべく飲みたくない。
でも、今、その人に、必要っていく薬があるのだ。カラダが必要とする薬を先生がOリングで選んで、それから、診断されるのだが、長男の場合、案の定、炎症反応に効果のある薬は、ことごとく力が抜けた。
先生も、「多分、自律神経失調症でしょう。ただ、もしもという場合もありますので、大学病院などで精密検査をして、全てが外れたら、やはり、自律神経失調ということになります。そしたら、カラー療法とかしていますので、また、おこしくだい。」と説明された。
で、私は、その足で、どこにも行かなかった。
だって、大学病院なんかに行ったら、腰椎穿刺をきっとされると思ったから。
そして、『おかしいですねぇ。どうして熱が出るのでしょうねぇ。どうして足のリンパが腫れてしまうのでしょうねぇ。炎症性の疾患だとは思いますが、炎症反応は出ていないのですが、一応、念のため、抗生物質あるいは、副腎皮質ステロイドホルモンでも点滴しときましょうか。』と言われるのが関の山だ。
私は、『なんなのでしょうねぇ。よくわからないのですが、とりあえず、ステロイドでも出しときましょうか?』というようなお医者さんは、個人的に信用できない。信じられない医者の言うことは聞けない・・・・・・のです。『とりあえず』なんて言語道断。そんなに安易にステロイドなどを処方するということ事態が信じられない。
長男と同じ時期に、やはり得体の知れない高熱が出た女の子がいた。
彼女は、悲惨だった
つづく
近所のクリニックに行ったら、わけがわかんないということで、大学病院を紹介され、入院して精密検査をしたけれど、やっぱりわけがわかんなかった。で、わけがわかんないときの、とっておきの秘密兵器、抗生物質とステロイドの点滴をずっと続けていたよう。でも、よくならないという状態が続き、そうこうしているうちに、1ヶ月経ち、2ヶ月が過ぎた頃、今度は、肝臓が悪くなったということで入院が長引き、結局、中学校には戻れず、養護学校に転校した。
最初、原因不明で入院したと聞いたとき、大丈夫かなぁと思った。
長男も大学病院を受診していたら、きっと同じようなことになっていたかもしれない。
彼も、1年生から2年生にかけては、ときどき熱が出たり、リンパが腫れて片足を引きづったりしていたけれど、
3年生になる頃には、そういう症状も表立ってはなくなっていった。
私は、ただ見守っていただけ。
だって、3歳の頃、知恵熱をよく出していたもの。
基本的には、心がカラダに反映しやすいタイプ。
思春期という再生の時期に、もう一度、彼なりの生き残りをかけて、葛藤と戦い、乗り越えた。
彼の熱とリンパの腫れは、葛藤との戦いの象徴だったのだと思う。
葛藤というものは、本人が自分の手で乗り越えるしかない。
でも、かわいそうだったなぁ~。
親としては、不敏で不敏でたまらなかった。
だって、彼は、一応、サッカー部に所属していたけれど、・・・・・・。
つづく
足のリンパの腫れのせいで、2年生の部活はほとんど見学だった。
2年の後半になって、やっと痛みがなくなり、練習できるようになったけれど、使い物にならなかった。
そりゃそうだ。
その間、同級生は、試合もジャンジャカ経験し、体力も技も磨きをかけていたのだから。
それはしかたない。
では、何がかわいそうか・・・・というと、一つ下の後輩が選手として起用され始めたということ。小さな学校なので、3年生だけでは、イレブンに満たない。で、後輩が3~4人起用されていたのだが、3年生は、彼以外全員選手だった。
先生も気を使って、3年になった当初は、3回に1回位は起用してくれていたけれど、いかんせん、使い物にならない。元々運動神経も“いまいち”なので、どうしようもできない。実際、試合での無残な彼の姿を見るたびに胸がキュンとなった。結局、総体があと1ヶ月という頃からは、彼はひたすらベンチウウォーマーの人となっていった。
試合に出れないのもつらい。でも、試合に出てもつらい。
それでも、彼は、部活を止めたいって言わなかったなぁ~。
どうしてかなぁ~。
彼は、サッカーコートでは、試合はできなかった。でも、人生というコートでは、オリンピック選手並みに『葛藤』というボールと戦っていたんだろうなぁ。
彼は、高校に入っても、ぜんぜ~ん勉強しなかった。まぁ、理解から遠ざからない程度にはやっていたのだとは思うけれど、マジではなかったように見えた。
でも、友達は多かった。
キャンプに行ったり、よく我が家に泊まりに来て、焼肉したりして、寝袋で雑魚寝していた。
友達を大切にし、友達に頼られているように感じられて、親としては、それだけで十分だった。
ただ、
つづく
父親への反抗ということだけで勉強をちっともしない長男に、たまに、そう、たまにだけれど、ぼそっとつぶやいて母親として、精一杯のはなむけの言葉をつぶやく私がいた。
『勉強しなさい。』なんて言ったら、私に対しても心を閉ざしてしまいそうだった。
だから、『お父さんに反抗するには勉強をあえてしないことが一番だということはよくわかる。でも、あなたの人生は、あなたのものなんだよ。他の誰のものでもない。お父さんのものではないんだよ。お母さんは、あなたが、あなたの人生を、お父さんへの反抗という理由だけで勉強しなくて粗末にするようなことだけはしてほしくない。』とだけは伝えた。
この言葉がどれくらい彼に伝わったかなぁ~。
多分、伝わってはいたのだと思う。
でも、・・・・・・・・・。
でも、彼にはその前に立ちはだかる青春の門(葛藤)があった。
それを打ち破らないかぎりは、どうしても前進できない、つまり、自分の人生の再スタートを切れない世界があった。
S先生は、いとも軽々に、思春期だからとおっしゃる。
リストカットも、摂食障害も、非行も、不登校も思春期の葛藤の典型的な姿で、その葛藤を乗り越えるお手伝いをどうしていくかが大事で、リストカットを止めさせることとか学校に行かせることを目標にしてしまうと、ちゃんと乗り越えられないまま年齢だけが大人になってしまう。そんな人は、実は、まだ、思春期の延長上にいる・・・のだそう。
さなぎは脱皮して蝶になる。
人間も子どもから大人になるのに、思春期の葛藤という殻を脱皮しないと大人になれない。永遠に。
大人になりきれていない外見は大人って多いよね。わりと・・・。
つづく
彼の葛藤は、ズバリ、父親。
くそ~っと握りしめたその握りこぶしを振りかざすべき相手に振りかざすこと。
これなくして、男の子の思春期は終わらない。
時には、父親を尊敬しているという羨ましい男の子もいるだろうけれど・・・・。
今でこそ、私は、言いたいことを言って、夫が、ギャーギャー言っても平気になった。全然、びびらない。
しれ~っとしていられる。
でも、昔はそうでなかった。
キレキャラの夫が、キレるとこの世のものとは思えないような、恐ろしい形相になり、怖くてぐっと飲み込むことが多かった。 言った後の嵐よりも、言わないなぎ状態をついつい選んでしまう日々を送っていた。つまり、対決を先延ばしにしていたってわけ。でも、言わないと体のどこかに嵐が吹き荒れるんだよね。ほんと、夫が初めてキレた時の顔は、今でも鮮明に覚えている。
いまだかって、こんなに憎しみのこもった顔なんて見たことがないっていうような、鬼か蛇か・・・というような恐ろしい顔だった。人間って、こんなにも恐ろしい顔ができるんだ・・とその時初めて知った。
今でこそ、笑って言えるけれど、お蔭様で、私は、少々キレまくっているお方にも、わりと平然とコミュニケーションをとれる自信がある。隣に座って、お話をじ~っと聞いているだけで、相手はだんだん心の冷静さを取り戻していかれる。仕事でもかなり役立った。それもこれも、夫のおかげといえば夫のおかげ。
まぁ、お仕事で出会った人にはできたけれど、始終いっしょにいる利害関係がダイレクトに影響するお仕事仲間に対しては、ごく最近まできつかった。その想定外の一言でグサっと来て心が萎えた。本当に萎えた。這い上がれないくらい萎えた。でも、ごくごく最近、ある日突然って感じで、ギャーギャーきついことをカッカ、カッカ湯気を立てながらまくし立てられても、心が動揺しなくなった。しれ~っとしていられるようになった。そう、あきれて物も言えないというような心境に達することができたのだ。それまでは、想定外の言葉に、言い返したけれど言い返す言葉がパッと出ないで、心の中でくそ~っと握りこぶしを握りしめていた。でも、なぜか、ある日突然、あきれて物も言えない・・・みたいな感情を手にすることができる。そう、感情がそこまで行くことが重要なのだ。
そして、不思議なことに『あなたは、○○と思っているんですね。その点は、私が悪かったです。気をつけます。この点に関しては、気をつけます。』と冷静に対応できるようになれた。
な~ぜ。
臨界点。
そう、人間、臨界点を超えると感情がマヒしてくるらしい。
私は体験から、そのことを学んだ。
それまでが、かなり苦しい。しんどい。眠れない。
それまでは、頭ではわかっているけれど、気持ちは大嵐で、気持ちがどうしようもなかった。
今、いじめで悩んでいる人も、たぶん、いつかきっと臨界点がやってくると思う。
ただ、一人では、臨界点まで行けないと思う。
誰か、3人くらい、アドバイスなしで黙って聞いてくれる人が必要だ。
そして、いろんな人の体験談を聞きまくることも大切だと思う。
そうすることで、時間はかかるけれど、少しずつ少しずつ、無意識の世界の中で、化学反応がじわ~っとおきて、ある日突然、しれ~っと平気でいられるようになれる・・・・・はず。きっと。
今、いじめられていると思っている人は、感情に左右されることなく、どんな人とも対等にコミュニケーションをとれるようになれるという器をこのヒト(いじめるヒト)によって、養成してもらっていると思うことにしてほしい。道は、かなり険しいけれど・・・・。ある日、突然・・・・がやってくることを祈ります。
私が、何を話したかったかというと、そんなパワーの強いものに対して、自分をきちんと表明できないという欠点を持った母親に育てられた長男の幼いなりのいっぱしの人間の心について、話したかった。
つづく
実は、小学校1~2年生の行きたくない病がなくなってからも、内に秘めてしまう性質が変わったわけではないので、思春期という再生のときに、また、一波乱あった。
小学校6年生の頃も心にひっかかることがあったけれど・・・・・。やはり、それは、思春期の前兆だったんだなぁと今になればわかる。
彼は、親の目にも異常じゃないかと思われるくらい、友達に気を使っていた。
半端じゃない。
気を使っているのが、わかりすぎて親としては泣けてくるくらい人の目ばっかり気にしていた。
勉強をしなかったのも、ちょっと頑張れば1番になれそうなのに、いつも7番手くらいをあえて維持しているように見えた。同級生に嫌われたくなかったのだろう。
4人子どもを育ててきて、どの子もお勉強とは縁がなかったけれど、長男は別格だった。2歳の誕生日には、教えもしないのに、扇形・ひし形・楕円形・平行四辺形・三角形・五角形・オーボー・レクタングル・トライアングルなどとのたまい、紐でひし形とか平行四辺形を作って遊んでいた。夫と『この子のこの才能をを育てられなかったら親失格だね。』と言っていたにも関わらず、親失格の道をたどってしまって、長男には申し訳ないことをしてしまったと思う。でも、どうしようもなかった。夫婦という人間関係の荒波に子どもたち全員が巻き込まれ、沈没しないよう必死だったから。人間、精一杯生きてれば、後悔という2文字の苦しみは味わわないですむ。それでも、もったいないことをしたなぁって思う。まぁ、それも、彼の選んだ人生なのでしょうが。
すっげー、頭いいはずなのに、友達に気を使って勉強せず、中学に入ると、父親への反抗で一番効果のある『勉強しないという道』を選んだものだから、くすぶっていたよね~。
父親が塾の講師をしていたので、父親は、なによりも、わが子を育てることを楽しみにしていた。育てるって言っても、お勉強で力をつけさせるってことだけど・・・・。だから、父親に反抗するには、意地でもでも成績を落とすことが目標になっていたような気がする。おまけに、学校の
つづく
そう、おまけに中学校の先生って、枠にはめたがる教師が多くって、彼は、とがったナイフのような目で、そんな教師を斜め45度の角度で睨みつけていた。枠にはまらない子どもを目の敵にするような教師の授業では、わざといつも忘れ物をしていたようだ。中学校って思春期。枠からはみ出したい、人の作ったルールではなく自分たちの作ったルールで生きたい時期。なのに、信じられないくらい枠に入れたがる教師の多いこと、多いこと。数年前、風紀が乱れて大変だったと評判の中学校だったらしく、教師一丸となって枠にはめる努力をしていたみたいだけれど、思春期の子どもたちと対等にコミュニケーションできる教師が少なすぎるって感じた。力を力で抑えるなんて、人生の師としては哀しすぎるよね。
長男が不思議なのは、小学校のとき、あれほど友達に使いすぎるくらい気を使っている子だったのに、中学に入って、枠にはめたがる教師に対しては反骨精神旺盛だったこと。彼のどこに、そんなパワーがあったのだろう。
思春期という再生のときのエネルギーってものすごいってことなのかなぁ。
で、彼は、数学の女性の教師もご多分に漏れず、睨みつけていたのだが、成績は1位でも、評価は2だった。さすがに、2はないだろうと思ったが、中学の成績って所詮そんなもの。個人的感情が超移入されることが可能なのだとその時知った。
まぁ、彼のするどいナイフのような目で寡黙に睨みつけられると、何を考えているかわからない不快感で、誰だってかわいがろうとは思わないだろうなぁ。
結局、わかるんだと思う。この大人は、ぶりっ子かそうでないか。きれいごとを言っているのか自分の真実の言葉を言っているのか・・・。
そんな彼も、3年生の女の先生によって救われた。
その先生は、30代の独身の先生。そして、なぜか、彼のクラスは、イケメンが多かった。親の私が言うのもなんだが、半分はイケメンだった。マジに、深夜番組のナイトスクープにはがきを出してみようかなと思ったくらい。ジャニーズに負けていないよって感じだった。だから、この女の先生にとってみれば、パラダイス。もし、私が教師でも学校に行くのがルンルンだっただろうと妄想する。この先生は、下心がめいっぱいあったとしても、愛を持って男の子を両手で受け入れるオーラがあった。もう、本当に幸せそうだったもの。(親の私が言うのもなんだけど、長男もなかなかのイケメンです。)
そしたら、長男の顔にも柔らかな何かが見え始めた。
つづく
やはり、愛されていると、あるいは、受け入れられていると感じたら、素直になれるよね。人間って。
でも、それまでがアンビリーバブルな症状に翻弄されたのが、長男の思春期という人生だった。
あれは、中一の夏休みに入る頃、突然、足の付け根を痛がり出し、足を見ると股関節のあたりのリンパがパンパンに腫れていた。どうして?
おまけに、得体の知れない発熱がほぼ夏休み中彼を襲った。
逆マラリア?
朝、38℃の熱が出て夕方になると熱が下がる。
わけわかんない。
足もパンパンで痛いので、中1の夏休みは、寝たきりに近い生活を強いられてしまった。
2学期になっても、夏休みほどではないけれど、ときどき、熱が出たり、足が腫れたりして学校を休んだりしていた。
なんとなく、
なんとなく、直感として、自律神経っぽいなって感じていたので、あえて、病院にもいかず様子をみていたのだけれど、外野がうるさくなったので、仕方なく、ちょっと変わった小児科を受診した。中1だけど、小児科に行った。その小児科は、先生が、その人に合う薬をOリングという方法で見つけて、その薬から、先生が診断名を出すという、逆バージョンの診断をされる。
Oリングっておもしろいよね。本物あるいは、その人にとって必要なものは力が入る。逆に、偽物あるいは、その人にとって合わないものは力が入らない。例えば、長男にとって玄米は力が入らないけれど、アマランサスという雑穀だと力が入るって感じで
いくらいいものでも、今、その人の体に合わないものはダメとなる。みかんも丸ごとだと力が入らないけれど、皮をむくと力が入る。農薬の関係でそうなるみたい。
海外旅行でも、これを知っていると便利だよ。金のネックレスを買おうと思って、デパートだと何十万もするやつが、小さなお店だと30万くらいになって、路上のお店だと10万円くらいで売っていたとする。悩むよね。路上のネックレスって本物かな?
偽物かな?って。そんなとき、Oリングを知っていれば、本物を安心して激安で買えるのだ。シルクの○○・・とかもね。
薬も、そう。薬ってなるべく飲みたくない。
でも、今、その人に、必要っていく薬があるのだ。カラダが必要とする薬を先生がOリングで選んで、それから、診断されるのだが、長男の場合、案の定、炎症反応に効果のある薬は、ことごとく力が抜けた。
先生も、「多分、自律神経失調症でしょう。ただ、もしもという場合もありますので、大学病院などで精密検査をして、全てが外れたら、やはり、自律神経失調ということになります。そしたら、カラー療法とかしていますので、また、おこしくだい。」と説明された。
で、私は、その足で、どこにも行かなかった。
だって、大学病院なんかに行ったら、腰椎穿刺をきっとされると思ったから。
そして、『おかしいですねぇ。どうして熱が出るのでしょうねぇ。どうして足のリンパが腫れてしまうのでしょうねぇ。炎症性の疾患だとは思いますが、炎症反応は出ていないのですが、一応、念のため、抗生物質あるいは、副腎皮質ステロイドホルモンでも点滴しときましょうか。』と言われるのが関の山だ。
私は、『なんなのでしょうねぇ。よくわからないのですが、とりあえず、ステロイドでも出しときましょうか?』というようなお医者さんは、個人的に信用できない。信じられない医者の言うことは聞けない・・・・・・のです。『とりあえず』なんて言語道断。そんなに安易にステロイドなどを処方するということ事態が信じられない。
長男と同じ時期に、やはり得体の知れない高熱が出た女の子がいた。
彼女は、悲惨だった
つづく
近所のクリニックに行ったら、わけがわかんないということで、大学病院を紹介され、入院して精密検査をしたけれど、やっぱりわけがわかんなかった。で、わけがわかんないときの、とっておきの秘密兵器、抗生物質とステロイドの点滴をずっと続けていたよう。でも、よくならないという状態が続き、そうこうしているうちに、1ヶ月経ち、2ヶ月が過ぎた頃、今度は、肝臓が悪くなったということで入院が長引き、結局、中学校には戻れず、養護学校に転校した。
最初、原因不明で入院したと聞いたとき、大丈夫かなぁと思った。
長男も大学病院を受診していたら、きっと同じようなことになっていたかもしれない。
彼も、1年生から2年生にかけては、ときどき熱が出たり、リンパが腫れて片足を引きづったりしていたけれど、
3年生になる頃には、そういう症状も表立ってはなくなっていった。
私は、ただ見守っていただけ。
だって、3歳の頃、知恵熱をよく出していたもの。
基本的には、心がカラダに反映しやすいタイプ。
思春期という再生の時期に、もう一度、彼なりの生き残りをかけて、葛藤と戦い、乗り越えた。
彼の熱とリンパの腫れは、葛藤との戦いの象徴だったのだと思う。
葛藤というものは、本人が自分の手で乗り越えるしかない。
でも、かわいそうだったなぁ~。
親としては、不敏で不敏でたまらなかった。
だって、彼は、一応、サッカー部に所属していたけれど、・・・・・・。
つづく
足のリンパの腫れのせいで、2年生の部活はほとんど見学だった。
2年の後半になって、やっと痛みがなくなり、練習できるようになったけれど、使い物にならなかった。
そりゃそうだ。
その間、同級生は、試合もジャンジャカ経験し、体力も技も磨きをかけていたのだから。
それはしかたない。
では、何がかわいそうか・・・・というと、一つ下の後輩が選手として起用され始めたということ。小さな学校なので、3年生だけでは、イレブンに満たない。で、後輩が3~4人起用されていたのだが、3年生は、彼以外全員選手だった。
先生も気を使って、3年になった当初は、3回に1回位は起用してくれていたけれど、いかんせん、使い物にならない。元々運動神経も“いまいち”なので、どうしようもできない。実際、試合での無残な彼の姿を見るたびに胸がキュンとなった。結局、総体があと1ヶ月という頃からは、彼はひたすらベンチウウォーマーの人となっていった。
試合に出れないのもつらい。でも、試合に出てもつらい。
それでも、彼は、部活を止めたいって言わなかったなぁ~。
どうしてかなぁ~。
彼は、サッカーコートでは、試合はできなかった。でも、人生というコートでは、オリンピック選手並みに『葛藤』というボールと戦っていたんだろうなぁ。
彼は、高校に入っても、ぜんぜ~ん勉強しなかった。まぁ、理解から遠ざからない程度にはやっていたのだとは思うけれど、マジではなかったように見えた。
でも、友達は多かった。
キャンプに行ったり、よく我が家に泊まりに来て、焼肉したりして、寝袋で雑魚寝していた。
友達を大切にし、友達に頼られているように感じられて、親としては、それだけで十分だった。
ただ、
つづく
父親への反抗ということだけで勉強をちっともしない長男に、たまに、そう、たまにだけれど、ぼそっとつぶやいて母親として、精一杯のはなむけの言葉をつぶやく私がいた。
『勉強しなさい。』なんて言ったら、私に対しても心を閉ざしてしまいそうだった。
だから、『お父さんに反抗するには勉強をあえてしないことが一番だということはよくわかる。でも、あなたの人生は、あなたのものなんだよ。他の誰のものでもない。お父さんのものではないんだよ。お母さんは、あなたが、あなたの人生を、お父さんへの反抗という理由だけで勉強しなくて粗末にするようなことだけはしてほしくない。』とだけは伝えた。
この言葉がどれくらい彼に伝わったかなぁ~。
多分、伝わってはいたのだと思う。
でも、・・・・・・・・・。
でも、彼にはその前に立ちはだかる青春の門(葛藤)があった。
それを打ち破らないかぎりは、どうしても前進できない、つまり、自分の人生の再スタートを切れない世界があった。
S先生は、いとも軽々に、思春期だからとおっしゃる。
リストカットも、摂食障害も、非行も、不登校も思春期の葛藤の典型的な姿で、その葛藤を乗り越えるお手伝いをどうしていくかが大事で、リストカットを止めさせることとか学校に行かせることを目標にしてしまうと、ちゃんと乗り越えられないまま年齢だけが大人になってしまう。そんな人は、実は、まだ、思春期の延長上にいる・・・のだそう。
さなぎは脱皮して蝶になる。
人間も子どもから大人になるのに、思春期の葛藤という殻を脱皮しないと大人になれない。永遠に。
大人になりきれていない外見は大人って多いよね。わりと・・・。
つづく
彼の葛藤は、ズバリ、父親。
くそ~っと握りしめたその握りこぶしを振りかざすべき相手に振りかざすこと。
これなくして、男の子の思春期は終わらない。
時には、父親を尊敬しているという羨ましい男の子もいるだろうけれど・・・・。
今でこそ、私は、言いたいことを言って、夫が、ギャーギャー言っても平気になった。全然、びびらない。
しれ~っとしていられる。
でも、昔はそうでなかった。
キレキャラの夫が、キレるとこの世のものとは思えないような、恐ろしい形相になり、怖くてぐっと飲み込むことが多かった。 言った後の嵐よりも、言わないなぎ状態をついつい選んでしまう日々を送っていた。つまり、対決を先延ばしにしていたってわけ。でも、言わないと体のどこかに嵐が吹き荒れるんだよね。ほんと、夫が初めてキレた時の顔は、今でも鮮明に覚えている。
いまだかって、こんなに憎しみのこもった顔なんて見たことがないっていうような、鬼か蛇か・・・というような恐ろしい顔だった。人間って、こんなにも恐ろしい顔ができるんだ・・とその時初めて知った。
今でこそ、笑って言えるけれど、お蔭様で、私は、少々キレまくっているお方にも、わりと平然とコミュニケーションをとれる自信がある。隣に座って、お話をじ~っと聞いているだけで、相手はだんだん心の冷静さを取り戻していかれる。仕事でもかなり役立った。それもこれも、夫のおかげといえば夫のおかげ。
まぁ、お仕事で出会った人にはできたけれど、始終いっしょにいる利害関係がダイレクトに影響するお仕事仲間に対しては、ごく最近まできつかった。その想定外の一言でグサっと来て心が萎えた。本当に萎えた。這い上がれないくらい萎えた。でも、ごくごく最近、ある日突然って感じで、ギャーギャーきついことをカッカ、カッカ湯気を立てながらまくし立てられても、心が動揺しなくなった。しれ~っとしていられるようになった。そう、あきれて物も言えないというような心境に達することができたのだ。それまでは、想定外の言葉に、言い返したけれど言い返す言葉がパッと出ないで、心の中でくそ~っと握りこぶしを握りしめていた。でも、なぜか、ある日突然、あきれて物も言えない・・・みたいな感情を手にすることができる。そう、感情がそこまで行くことが重要なのだ。
そして、不思議なことに『あなたは、○○と思っているんですね。その点は、私が悪かったです。気をつけます。この点に関しては、気をつけます。』と冷静に対応できるようになれた。
な~ぜ。
臨界点。
そう、人間、臨界点を超えると感情がマヒしてくるらしい。
私は体験から、そのことを学んだ。
それまでが、かなり苦しい。しんどい。眠れない。
それまでは、頭ではわかっているけれど、気持ちは大嵐で、気持ちがどうしようもなかった。
今、いじめで悩んでいる人も、たぶん、いつかきっと臨界点がやってくると思う。
ただ、一人では、臨界点まで行けないと思う。
誰か、3人くらい、アドバイスなしで黙って聞いてくれる人が必要だ。
そして、いろんな人の体験談を聞きまくることも大切だと思う。
そうすることで、時間はかかるけれど、少しずつ少しずつ、無意識の世界の中で、化学反応がじわ~っとおきて、ある日突然、しれ~っと平気でいられるようになれる・・・・・はず。きっと。
今、いじめられていると思っている人は、感情に左右されることなく、どんな人とも対等にコミュニケーションをとれるようになれるという器をこのヒト(いじめるヒト)によって、養成してもらっていると思うことにしてほしい。道は、かなり険しいけれど・・・・。ある日、突然・・・・がやってくることを祈ります。
私が、何を話したかったかというと、そんなパワーの強いものに対して、自分をきちんと表明できないという欠点を持った母親に育てられた長男の幼いなりのいっぱしの人間の心について、話したかった。
つづく