総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

長男のその後。

2012年06月29日 | エッセー
 今、長男は20歳になった。
 実は、小学校1~2年生の行きたくない病がなくなってからも、内に秘めてしまう性質が変わったわけではないので、思春期という再生のときに、また、一波乱あった。
 小学校6年生の頃も心にひっかかることがあったけれど・・・・・。やはり、それは、思春期の前兆だったんだなぁと今になればわかる。
 彼は、親の目にも異常じゃないかと思われるくらい、友達に気を使っていた。
 半端じゃない。
 気を使っているのが、わかりすぎて親としては泣けてくるくらい人の目ばっかり気にしていた。

 勉強をしなかったのも、ちょっと頑張れば1番になれそうなのに、いつも7番手くらいをあえて維持しているように見えた。同級生に嫌われたくなかったのだろう。
 4人子どもを育ててきて、どの子もお勉強とは縁がなかったけれど、長男は別格だった。2歳の誕生日には、教えもしないのに、扇形・ひし形・楕円形・平行四辺形・三角形・五角形・オーボー・レクタングル・トライアングルなどとのたまい、紐でひし形とか平行四辺形を作って遊んでいた。夫と『この子のこの才能をを育てられなかったら親失格だね。』と言っていたにも関わらず、親失格の道をたどってしまって、長男には申し訳ないことをしてしまったと思う。でも、どうしようもなかった。夫婦という人間関係の荒波に子どもたち全員が巻き込まれ、沈没しないよう必死だったから。人間、精一杯生きてれば、後悔という2文字の苦しみは味わわないですむ。それでも、もったいないことをしたなぁって思う。まぁ、それも、彼の選んだ人生なのでしょうが。

 すっげー、頭いいはずなのに、友達に気を使って勉強せず、中学に入ると、父親への反抗で一番効果のある『勉強しないという道』を選んだものだから、くすぶっていたよね~。
 父親が塾の講師をしていたので、父親は、なによりも、わが子を育てることを楽しみにしていた。育てるって言っても、お勉強で力をつけさせるってことだけど・・・・。だから、父親に反抗するには、意地でもでも成績を落とすことが目標になっていたような気がする。おまけに、学校の


 つづく

そう、おまけに中学校の先生って、枠にはめたがる教師が多くって、彼は、とがったナイフのような目で、そんな教師を斜め45度の角度で睨みつけていた。枠にはまらない子どもを目の敵にするような教師の授業では、わざといつも忘れ物をしていたようだ。中学校って思春期。枠からはみ出したい、人の作ったルールではなく自分たちの作ったルールで生きたい時期。なのに、信じられないくらい枠に入れたがる教師の多いこと、多いこと。数年前、風紀が乱れて大変だったと評判の中学校だったらしく、教師一丸となって枠にはめる努力をしていたみたいだけれど、思春期の子どもたちと対等にコミュニケーションできる教師が少なすぎるって感じた。力を力で抑えるなんて、人生の師としては哀しすぎるよね。
 長男が不思議なのは、小学校のとき、あれほど友達に使いすぎるくらい気を使っている子だったのに、中学に入って、枠にはめたがる教師に対しては反骨精神旺盛だったこと。彼のどこに、そんなパワーがあったのだろう。
 思春期という再生のときのエネルギーってものすごいってことなのかなぁ。
 
 で、彼は、数学の女性の教師もご多分に漏れず、睨みつけていたのだが、成績は1位でも、評価は2だった。さすがに、2はないだろうと思ったが、中学の成績って所詮そんなもの。個人的感情が超移入されることが可能なのだとその時知った。

 まぁ、彼のするどいナイフのような目で寡黙に睨みつけられると、何を考えているかわからない不快感で、誰だってかわいがろうとは思わないだろうなぁ。

 結局、わかるんだと思う。この大人は、ぶりっ子かそうでないか。きれいごとを言っているのか自分の真実の言葉を言っているのか・・・。

 そんな彼も、3年生の女の先生によって救われた。
 その先生は、30代の独身の先生。そして、なぜか、彼のクラスは、イケメンが多かった。親の私が言うのもなんだが、半分はイケメンだった。マジに、深夜番組のナイトスクープにはがきを出してみようかなと思ったくらい。ジャニーズに負けていないよって感じだった。だから、この女の先生にとってみれば、パラダイス。もし、私が教師でも学校に行くのがルンルンだっただろうと妄想する。この先生は、下心がめいっぱいあったとしても、愛を持って男の子を両手で受け入れるオーラがあった。もう、本当に幸せそうだったもの。(親の私が言うのもなんだけど、長男もなかなかのイケメンです。)
 そしたら、長男の顔にも柔らかな何かが見え始めた。

 つづく

 やはり、愛されていると、あるいは、受け入れられていると感じたら、素直になれるよね。人間って。

 でも、それまでがアンビリーバブルな症状に翻弄されたのが、長男の思春期という人生だった。
 あれは、中一の夏休みに入る頃、突然、足の付け根を痛がり出し、足を見ると股関節のあたりのリンパがパンパンに腫れていた。どうして?
 おまけに、得体の知れない発熱がほぼ夏休み中彼を襲った。
 逆マラリア?
 朝、38℃の熱が出て夕方になると熱が下がる。
 わけわかんない。
 足もパンパンで痛いので、中1の夏休みは、寝たきりに近い生活を強いられてしまった。
 2学期になっても、夏休みほどではないけれど、ときどき、熱が出たり、足が腫れたりして学校を休んだりしていた。

 なんとなく、
 なんとなく、直感として、自律神経っぽいなって感じていたので、あえて、病院にもいかず様子をみていたのだけれど、外野がうるさくなったので、仕方なく、ちょっと変わった小児科を受診した。中1だけど、小児科に行った。その小児科は、先生が、その人に合う薬をOリングという方法で見つけて、その薬から、先生が診断名を出すという、逆バージョンの診断をされる。
 Oリングっておもしろいよね。本物あるいは、その人にとって必要なものは力が入る。逆に、偽物あるいは、その人にとって合わないものは力が入らない。例えば、長男にとって玄米は力が入らないけれど、アマランサスという雑穀だと力が入るって感じで
いくらいいものでも、今、その人の体に合わないものはダメとなる。みかんも丸ごとだと力が入らないけれど、皮をむくと力が入る。農薬の関係でそうなるみたい。
 海外旅行でも、これを知っていると便利だよ。金のネックレスを買おうと思って、デパートだと何十万もするやつが、小さなお店だと30万くらいになって、路上のお店だと10万円くらいで売っていたとする。悩むよね。路上のネックレスって本物かな?
偽物かな?って。そんなとき、Oリングを知っていれば、本物を安心して激安で買えるのだ。シルクの○○・・とかもね。

 薬も、そう。薬ってなるべく飲みたくない。
 でも、今、その人に、必要っていく薬があるのだ。カラダが必要とする薬を先生がOリングで選んで、それから、診断されるのだが、長男の場合、案の定、炎症反応に効果のある薬は、ことごとく力が抜けた。

 先生も、「多分、自律神経失調症でしょう。ただ、もしもという場合もありますので、大学病院などで精密検査をして、全てが外れたら、やはり、自律神経失調ということになります。そしたら、カラー療法とかしていますので、また、おこしくだい。」と説明された。

 で、私は、その足で、どこにも行かなかった。
 だって、大学病院なんかに行ったら、腰椎穿刺をきっとされると思ったから。
 そして、『おかしいですねぇ。どうして熱が出るのでしょうねぇ。どうして足のリンパが腫れてしまうのでしょうねぇ。炎症性の疾患だとは思いますが、炎症反応は出ていないのですが、一応、念のため、抗生物質あるいは、副腎皮質ステロイドホルモンでも点滴しときましょうか。』と言われるのが関の山だ。
 私は、『なんなのでしょうねぇ。よくわからないのですが、とりあえず、ステロイドでも出しときましょうか?』というようなお医者さんは、個人的に信用できない。信じられない医者の言うことは聞けない・・・・・・のです。『とりあえず』なんて言語道断。そんなに安易にステロイドなどを処方するということ事態が信じられない。

 長男と同じ時期に、やはり得体の知れない高熱が出た女の子がいた。
 彼女は、悲惨だった

 つづく

 近所のクリニックに行ったら、わけがわかんないということで、大学病院を紹介され、入院して精密検査をしたけれど、やっぱりわけがわかんなかった。で、わけがわかんないときの、とっておきの秘密兵器、抗生物質とステロイドの点滴をずっと続けていたよう。でも、よくならないという状態が続き、そうこうしているうちに、1ヶ月経ち、2ヶ月が過ぎた頃、今度は、肝臓が悪くなったということで入院が長引き、結局、中学校には戻れず、養護学校に転校した。

 最初、原因不明で入院したと聞いたとき、大丈夫かなぁと思った。
 
 長男も大学病院を受診していたら、きっと同じようなことになっていたかもしれない。

 彼も、1年生から2年生にかけては、ときどき熱が出たり、リンパが腫れて片足を引きづったりしていたけれど、
3年生になる頃には、そういう症状も表立ってはなくなっていった。

 私は、ただ見守っていただけ。

 だって、3歳の頃、知恵熱をよく出していたもの。
 基本的には、心がカラダに反映しやすいタイプ。
 思春期という再生の時期に、もう一度、彼なりの生き残りをかけて、葛藤と戦い、乗り越えた。
 彼の熱とリンパの腫れは、葛藤との戦いの象徴だったのだと思う。

 葛藤というものは、本人が自分の手で乗り越えるしかない。

 でも、かわいそうだったなぁ~。
 親としては、不敏で不敏でたまらなかった。
 だって、彼は、一応、サッカー部に所属していたけれど、・・・・・・。

 つづく

足のリンパの腫れのせいで、2年生の部活はほとんど見学だった。
 2年の後半になって、やっと痛みがなくなり、練習できるようになったけれど、使い物にならなかった。
 そりゃそうだ。
 その間、同級生は、試合もジャンジャカ経験し、体力も技も磨きをかけていたのだから。
 それはしかたない。
 では、何がかわいそうか・・・・というと、一つ下の後輩が選手として起用され始めたということ。小さな学校なので、3年生だけでは、イレブンに満たない。で、後輩が3~4人起用されていたのだが、3年生は、彼以外全員選手だった。
 先生も気を使って、3年になった当初は、3回に1回位は起用してくれていたけれど、いかんせん、使い物にならない。元々運動神経も“いまいち”なので、どうしようもできない。実際、試合での無残な彼の姿を見るたびに胸がキュンとなった。結局、総体があと1ヶ月という頃からは、彼はひたすらベンチウウォーマーの人となっていった。
 試合に出れないのもつらい。でも、試合に出てもつらい。
 それでも、彼は、部活を止めたいって言わなかったなぁ~。
 どうしてかなぁ~。

 彼は、サッカーコートでは、試合はできなかった。でも、人生というコートでは、オリンピック選手並みに『葛藤』というボールと戦っていたんだろうなぁ。
 
 彼は、高校に入っても、ぜんぜ~ん勉強しなかった。まぁ、理解から遠ざからない程度にはやっていたのだとは思うけれど、マジではなかったように見えた。
 でも、友達は多かった。
 キャンプに行ったり、よく我が家に泊まりに来て、焼肉したりして、寝袋で雑魚寝していた。
 友達を大切にし、友達に頼られているように感じられて、親としては、それだけで十分だった。

 ただ、

 つづく 

 父親への反抗ということだけで勉強をちっともしない長男に、たまに、そう、たまにだけれど、ぼそっとつぶやいて母親として、精一杯のはなむけの言葉をつぶやく私がいた。
 『勉強しなさい。』なんて言ったら、私に対しても心を閉ざしてしまいそうだった。
 だから、『お父さんに反抗するには勉強をあえてしないことが一番だということはよくわかる。でも、あなたの人生は、あなたのものなんだよ。他の誰のものでもない。お父さんのものではないんだよ。お母さんは、あなたが、あなたの人生を、お父さんへの反抗という理由だけで勉強しなくて粗末にするようなことだけはしてほしくない。』とだけは伝えた。

 この言葉がどれくらい彼に伝わったかなぁ~。

 多分、伝わってはいたのだと思う。

 でも、・・・・・・・・・。

 でも、彼にはその前に立ちはだかる青春の門(葛藤)があった。
 それを打ち破らないかぎりは、どうしても前進できない、つまり、自分の人生の再スタートを切れない世界があった。

 S先生は、いとも軽々に、思春期だからとおっしゃる。
 リストカットも、摂食障害も、非行も、不登校も思春期の葛藤の典型的な姿で、その葛藤を乗り越えるお手伝いをどうしていくかが大事で、リストカットを止めさせることとか学校に行かせることを目標にしてしまうと、ちゃんと乗り越えられないまま年齢だけが大人になってしまう。そんな人は、実は、まだ、思春期の延長上にいる・・・のだそう。

 さなぎは脱皮して蝶になる。
 人間も子どもから大人になるのに、思春期の葛藤という殻を脱皮しないと大人になれない。永遠に。

  大人になりきれていない外見は大人って多いよね。わりと・・・。

 つづく

 彼の葛藤は、ズバリ、父親。

 くそ~っと握りしめたその握りこぶしを振りかざすべき相手に振りかざすこと。

 これなくして、男の子の思春期は終わらない。

 時には、父親を尊敬しているという羨ましい男の子もいるだろうけれど・・・・。

 
 今でこそ、私は、言いたいことを言って、夫が、ギャーギャー言っても平気になった。全然、びびらない。
 しれ~っとしていられる。
 でも、昔はそうでなかった。
 キレキャラの夫が、キレるとこの世のものとは思えないような、恐ろしい形相になり、怖くてぐっと飲み込むことが多かった。 言った後の嵐よりも、言わないなぎ状態をついつい選んでしまう日々を送っていた。つまり、対決を先延ばしにしていたってわけ。でも、言わないと体のどこかに嵐が吹き荒れるんだよね。ほんと、夫が初めてキレた時の顔は、今でも鮮明に覚えている。
 いまだかって、こんなに憎しみのこもった顔なんて見たことがないっていうような、鬼か蛇か・・・というような恐ろしい顔だった。人間って、こんなにも恐ろしい顔ができるんだ・・とその時初めて知った。

 今でこそ、笑って言えるけれど、お蔭様で、私は、少々キレまくっているお方にも、わりと平然とコミュニケーションをとれる自信がある。隣に座って、お話をじ~っと聞いているだけで、相手はだんだん心の冷静さを取り戻していかれる。仕事でもかなり役立った。それもこれも、夫のおかげといえば夫のおかげ。
 まぁ、お仕事で出会った人にはできたけれど、始終いっしょにいる利害関係がダイレクトに影響するお仕事仲間に対しては、ごく最近まできつかった。その想定外の一言でグサっと来て心が萎えた。本当に萎えた。這い上がれないくらい萎えた。でも、ごくごく最近、ある日突然って感じで、ギャーギャーきついことをカッカ、カッカ湯気を立てながらまくし立てられても、心が動揺しなくなった。しれ~っとしていられるようになった。そう、あきれて物も言えないというような心境に達することができたのだ。それまでは、想定外の言葉に、言い返したけれど言い返す言葉がパッと出ないで、心の中でくそ~っと握りこぶしを握りしめていた。でも、なぜか、ある日突然、あきれて物も言えない・・・みたいな感情を手にすることができる。そう、感情がそこまで行くことが重要なのだ。
 そして、不思議なことに『あなたは、○○と思っているんですね。その点は、私が悪かったです。気をつけます。この点に関しては、気をつけます。』と冷静に対応できるようになれた。

 な~ぜ。

 臨界点。

 そう、人間、臨界点を超えると感情がマヒしてくるらしい。

 私は体験から、そのことを学んだ。
 それまでが、かなり苦しい。しんどい。眠れない。

 それまでは、頭ではわかっているけれど、気持ちは大嵐で、気持ちがどうしようもなかった。

 今、いじめで悩んでいる人も、たぶん、いつかきっと臨界点がやってくると思う。
 
 ただ、一人では、臨界点まで行けないと思う。
 誰か、3人くらい、アドバイスなしで黙って聞いてくれる人が必要だ。
 そして、いろんな人の体験談を聞きまくることも大切だと思う。

 そうすることで、時間はかかるけれど、少しずつ少しずつ、無意識の世界の中で、化学反応がじわ~っとおきて、ある日突然、しれ~っと平気でいられるようになれる・・・・・はず。きっと。

 今、いじめられていると思っている人は、感情に左右されることなく、どんな人とも対等にコミュニケーションをとれるようになれるという器をこのヒト(いじめるヒト)によって、養成してもらっていると思うことにしてほしい。道は、かなり険しいけれど・・・・。ある日、突然・・・・がやってくることを祈ります。
 
 私が、何を話したかったかというと、そんなパワーの強いものに対して、自分をきちんと表明できないという欠点を持った母親に育てられた長男の幼いなりのいっぱしの人間の心について、話したかった。


 つづく  

 
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ふたりっきりのラブラブで言葉をとりもどした少女

2012年06月22日 | エッセー
 もうすぐ4歳のとってもかわいい女の子をもつママから相談があった。
 「9月に入ってから、急にしゃべらなくなった。歌も大好きだったのに歌わなくなった。」・・・・と。
 いろいろお話を伺っていると、ママが4月から資格を取るために学校に入ってゆっくり子どもと過ごすことができなくなった。ただ、学校なので夏休みがあり、その間は、ママとゆっくり過ごすことができた。

 ということであった。
 ママが頑張っているから、自分もママに甘えたいのを必死でがまんしていたけれど、ある日を境に、ママがおうちにいるようになって、もう、うれしくってうれしくってたまらなかった。こんなときが永久に続くと思っていた。
 なのに、また、ある日を境に、ママがおうちにいなくなって、帰ってくるのは夜遅くなってしまった。

 わけがわからない。
 前は、どうにか頑張っていられたけれど、もう、だめ。頑張れない。ママとゆったりしたときを過ごしたい。だめなの。おりこうさんにならないとママを困らせるのはわかっている。わかっているけれど、何をどうしてよいかわからなくなてしまった。

 きっと、そんな気持ちを抱えたまま(もちろん、本人もそんな自分の気持ちを言葉にすることなんかできないのだけれど)、甘えることも今までどおりに平然と頑張ることもできなくなり、言葉を失い、表情を失ってしまったのだろう。


 と想像した。

 私は、ママに「毎晩、毎晩、抱っこして目と目で見つめ合って『ありがとう。あなたが、おばあちゃんと頑張って保育園に行ってくれるから、ママは安心して学校に行けるの。ほんとうにありがとう。あなたを生んでママはとっても幸せよ~。生まれてきてくれてありがとう。』とムギューと最大限の愛情をこめて感謝の気持ちを心を込めて伝えて。そして、月1回でもいいので、二人っきりでデートして。おうちでふたりっきりじゃだめ。おうちという日常から離れて、二人っきりで濃厚な時間を過ごして。妹はおばあちゃんにみてもらってね。」と伝えた。

 そしたら、その後、たまたまだけど、何回かデパートや公園でふたりっきりの姿をみかけたので、即、実践してくれているということを知り、ほっと胸をなでおろした。
 それから、1ヵ月後、電話があった。
 8割がたしゃべるようになり、歌も歌うようになったとのこと。

 寝る前に、ムギューとラブ注入すること
 寝る前に、私は望まれてここにいるということ 
 寝る前に、ママの役に立っているということ
 をママがうっとりした目で見つめて言ってくれることで、一晩中幸せになれる。一日の3分の一が幸せってことは、1年のうち4ヶ月は幸せってうことになる。
 寝る前は、心に愛を注ぐゴールデンタイム。
 忙しいママほど、寝る前というツボ時間を大切に使おう。

 月1回ふたりっきりのラブラブもなんとなくイライラしながら、貴重な休日を子どもと家事のどっちが浮気かわからないような心模様でだらだらと過ごすより、えいっと気合を入れて、集中して子どもといると逆に、子どもは本来の愛らしい子どもに戻ってくれる。そうするといとおしくなる。こんなことなら、早くデートすればよかったってきっと後悔するよ。

 寝る前のゴールデンタイムと月1回のデート

 マジ、特効薬です。秘密兵器です。超おすすめです。

 子どもの問題行動といわれるようないろいろ・・・のほとんどが、このアドバイスでかなり変化すると体験的に感じている。

 夫婦の問題があると、そっちが先って場合もあるけれど。

 というか、夫婦のありようほど、子どもの心に影響を与えるものはないかもしれない。
 でも、夫婦という人間関係も難題。
 いつか、対等な人間関係になれるよう自分自身のコミュニケーション能力に磨きをかけながら、子どもに自分の愛情が、ビシッと届くように日常を大切にしていくと、ふと気がつくと なんだか いい方向に向かっていってるなって感じる世界なのかもしれない。10年、20年単位で・・・・だよ。
 子どもときちんと向き合うことを意識した生活を始めると、その意識した生活が基盤となって、不思議と、夫とも対等な人間関係を築けるようになっていくかなぁと思ったり。まぁ、時間はかかるけれど・・・・ね。

 危機はチャンス!以外の何ものでもありませぬ。

 がんば! 
 
 
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『ふたりっきりでラブラブ 以外は、ラブでない』の法則

2012年06月21日 | エッセー
 子どもはママしか見ていない。
 子どもは、ママが心もカラダもすべてを自分に向けてくれたときだけ、愛されていると感じる。それ以外は、愛されていると感じない。
 僕一人だけを見つめてほしいと常に願っている存在。

 少なくとも思春期前まで(ツのつく時期まで)そういう願望がある。

 次男は、それがなかったから、だだこねという作戦に出たのかもしれない。少なくとも、だだこねしている間は、私の心を独占できるから。だって、長男は、まだ、まし。次男が生まれるまでは、私、浮気していないもん。
 しかし、三男は、小学校2年生まで末っ子の地位に甘んじていられたので、もうよかろうと油断したのがいけなかった。
 寝室で、四男とラブラブしすぎの大打撃により、お勉強にベクトルが向かなくなってしまった。

 一人っ子ならいいけれど、そうでないママへ

 1ヵ月に1回でいい。2時間でいい。どの子とも二人っきりのラブラブ時間をあえて作ろう。
 おうちだと、ママは家事のことが気になって、心が子どもに向けないから、おうちの外に出よう。
 たった1ヵ月に1回、されど、1ヵ月に1回。
 この効果は絶大だ。
 他の子は、夫にあるいは、おばあちゃんに預けて、心置きなくデートしよう。

 こんなに簡単でこんなに子どもが愛されていると実感できる技は、そうないよ。

 3人いっしょにいるときは、どんなに愛していると思っても、その気持ちは、子どもには伝わらない。

 日本全国のママがこれをやったら、きっとすごいことになると思う。いじめも減るんじゃないかなぁ。

 よく、何か子どもに問題があると、愛情不足って言葉を口にする人がいて、ムカッとくる。

 みな、それなりに(ママの器なりに)精一杯愛情を与えようとはしているのに・・・・と思う。
 まぁ、それが、子どもにとってはた迷惑なこともあるわけで。
 子どもの求める愛情と親がよかれと思ってすることがかみ合わないと子どもが問題定義してくるだけの話なんだけど、この『二人っきりのラブラブ』は、万国共通の子どもの求める最高級の親の愛・・・・なのだ。

 誰も下の子を見てくれる人がいないって言うママは、子育てサポートなどを利用してでもやってみる価値があるよ。おうちに来てもらって、他の兄弟をみてもらうのも、たまにはいい。あるお母さんは、2時間みっちり、遊んでもらえるので、子どももとっても楽しみにしていると大感激していらした。
 そうだよね。ママは、おうちにいたら、2時間もわが子一人とみっちり遊ぶってこと、そうそうできない。30分もすると、そうじ・洗濯・夕ご飯の準備などが気になり始めて、ゆったり子どもとラブラブできない・・・と思う。だけど、サポートのおばさん(?)は、遊ぶためだけに来てくださるので、とことん遊んでくださるから、子どもはとっても充実した時間を過ごせて、『よは満足じゃ!』といった心境に達する。
 上の子も満足、下の子も満足。
 満足すると、心は好奇心でキラキラしてくる。

 はーーーー。
 私が、このことを知ったのは、三男が中2のとき。

 もう少し、早く知っていたら・・・・と悔やまれて仕方がない。

 たいがいのことは出会ったときが吉日!と開き直る私も、この『ふたりっきりのラブラブ月1回』だけは、口惜しい。
 みなさんは、超ラッキーです。
 これだけは、ぜひ、お試しを。


 『ふたりっきりのラブラブで言葉を失った少女が言葉をとりもどしたお話』  です。
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長男の“行きたくない病”をみつめて

2012年06月20日 | エッセー
 それにしても、長男は、なぜ、晴れる日のない曇り空のお顔でいつも学校に行きたくないという気分に支配されていたのだろう。
 私なりに愛は注いでいたつもりだった。
 しかし、彼には、それが、彼の愛のつぼではなかった。
 ツボじゃないよ。ツボじゃないよ。という表現を曇り空や行きたくないということで、私に訴えていたのだろうか。もちろん、無意識の世界でそうなのだと思うけれど・・。
 本人もわからないけれど、私が表現する愛に対して、それではない。それでもない。あれでもない。これでもない。と悶々としていたのだろうか。待っていたのだろうか。
 そして、私が、親業で学んだ勝負なし法で、これがあなたの求めている愛?ってやってみたら、そうそう、それそれ。僕が言いたかったのは、ほしかったのは、この愛なのだ。  って感じでフィットしたのだろうか。
 本人も、まだ、体験したことのない愛だから、これって言えない。これって言えないけれど、痒いところに手が届くじゃないけれど、ちょうど掻いてあげたところが、気持ちいいと、そこ。そこ。そこが痒かったんだ。ありがとう。超気持ちいい。

 みたいな愛のツボだったのかな?

 つづく

 長男は、保育園に行きだした頃、よく知恵熱ってやつを出していた。
 この子は、そういうタイプだ。つまり、何か感じたことがあってそれを言葉にできないと、カラダが反応して表現するタイプだとはうすうす感じていた。
 だって、フォアグラおっぱいだったもの。
 泣けばなんでもかんでもおっぱいをくわえさせていたし、出ないから1時間でも2時間でも吸い続けていたんだもの。口封じをめっちゃしていた。知らなかったとはいえ、随分酷なことをしてしまったと涙した。そのときは、精一杯だっだんだけれど、長男が6歳の頃s先生に出会ったので、生まれて6年間、言いたいことを言うなという呪縛の世界で、彼は生きていたんだろうと想像する。 本当に取り返しのつかないことをしてしまった。無念。
 でも、人間、出会ったときが吉日さ!と思うしかない。
 彼の行きたくない病により、親業の勝負なし法というすばらしいスキルに出会えたんだもの。

 s先生のところに長男のカウンセリングで伺ったとき、『お母さんは、怒りの感情が未分化です。だから、子どもが、お母さんが何を考えているのかわからず、迷いの世界にいます。』とおっしゃった。

 うひょ~、原因は、わ・た・し?

 そして、もう一つ『お母さんが、忙しすぎて、長男君は、甘えたくても甘えられずにいた。わがままも言いたかったけれど、言えないでずっと来た。お母さんとひがなのんびりゆったり戯れるということがなくって、そのジレンマの中でどうすることもできず、きたくない病になってしまったかも。』ともおっしゃった。

 う~~~~~~~~~^。そうだよね。忙しそうな人には、頼めないよね。甘えられないよね。わがまま言えないよね。

 戯れる・・・・・・私の育児になかったもの文字 。

 でも、育児に一番大切な文字。

 混沌。

 彼の心の世界は、甘えたくてもわがまま言えず、だだこねもできず、かといっていい子でいるのも疲れたにっちもさっちも行かない混沌とした世界だった。その結果、行きたくない病になってしまった。
 でも、初めて、わたしがきちんと向き合って何を言っても否定しないよ・・・という場を設けたことで、混沌に一筋の光が差したのだろう。
 そして、もっと、ずっとあとになるけれど、私が、夫に対して、あるいは、いじめっぽい人間関係で生きるエネルギーを奪う同僚に対して、怒りをきちんと表現できたとき(つまり、自分よりも強気でわがままな誰かに対してきちんと自分を表明できるようになったとき)長男は、ほんとうの意味で混沌という闇の世界から脱出でき、命を吹き返した。そう確信している。
 子どものいろいろは、やっぱ、親・・・だよ。夫婦の人間関係・・・・だよ。
 別に、だからと言って、責められたと感じる必要はないと思う。
 みんな、五十歩百歩。
 たまに、夫婦幸せそうな羨ましい家庭があるけれど、たいていは結構いびつ・・だ。
 だって、割れ鍋にとじ蓋だもん・・・・夫婦って。
 哀しいかな。人間って、自分にないものを持っている人に惹かれてしまうんだよ。
 魅力って切ないよね。

 でも、そうやって、自分とチガウ価値観の持ち主とすったもんだするプロセスで、人間としてちょっとはましな方向に歩いていけるのかもしれないって思う。自分の感性や感情をきちんと表現でき、夫とも対等なコミュニケーション能力が備わるまで、子どもが鏡みたいになって問題といわれる行動で問題定義をし続けてくれるのだ・・・としみじみ思う。今。
 思いどおりにちっとも行かないパートナーとの関係性のなかで、あきらめきったとき、相手を自分の思いどおりにせずにはいられないという傲慢な心から開放されるという青い鳥に出会えるはず。私もまだまだ・・。

 たまには、いつまでもラブラブって夫婦もいらっしゃるけれど・・・・。この前も、高橋英樹が奥さんとのラブラブぶりを披露されていた。白馬の王子なんて希少価値だよ。

 ま、仕方ない。結婚したら、とんでもなかったという方へ~
 結婚は砥石なんだって。
 砥石だよ。白馬の王子みたく甘いお菓子ではないよ。砥石。砥石。そう思っちゃえ。
 でも、Dvやアルコール依存症、ギャンブル依存症、浮気癖など依存症のレベルは、砥石ではないので、さっさと見切りをつけて、ホンモノの砥石を探しちゃえ。


 つづく
 


 つづく

 だだこねで困っているお母さん。だだこねできる子は、まだましだよ。
 だだこねもできずに、おりこうさんで手のかからない子どもをお持ちのお母さん。
 あなたは、りっぱすぎて声をかけにくいオーラを出してませんか?
 忙しそうで声をかけにくいオーラをだしていませんか?
 怖くて言い返せないオーラをだしていませんか?


 つぎは、『愛咲くらの子育てのツボ、二人っきりでラブラブ以外は、ラブでない。』です。



 


 
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スゴイ 親業  長男の場合

2012年06月17日 | エッセー
 次男で知っただだこねワールド。
 ということは、長男は、だだこねなんかしたことなかったてこと。
 そう。長男は、実にいい子であった。
 後になって気づいた。彼は、非常に周りのことに気遣いすぎる子で,母親である私を守ろうとして、言いたいことをがまんしていたのだということを・・・・。
 で、それで疲れちゃって、小学校に入ったら、『行きたくない。』病にかかっちゃった。
 次男のだだこねも大変だったけれど、長男の『行きたくない。』病も親としては切なくてつらかった。

 実は、長男の『行きたくない。』病は、保育園に初めて行ったその日からスタートしていた。
 私の職場復帰は、次男の1歳の誕生日から。そして、長男の保育園もこの日から始まった。
 ただでさえ、中途で保育園に入るという悪条件なのに、なんと、非常に心もとない3歳児の初めての保育園という緊張の日に、担当の保母さんがお休みだった。で、なんだかわけのわからぬうちに、お友達に引っかき傷をつけられて帰ってきた。

 ダメージが大きかった。

 次の日から、『行きたくない。』が始まった。
 それでも、プールがあったので、どうにかこうにか行ってくれたのだが、9月に入って運動会の練習が始まったら、マジ、行かない日が出てきた。
 プールは、子どもの心を開放してくれるようで、お勧めだ。
 が、しかし、運動会の練習は、させられ感が強く人前で踊ったり競争したりというストレスも加わり、長男の翼がポキッと折れそうになってしまった。
 うちの子は、発表会とか運動会とかトンとダメだ。
 あんなに、のびのび育てたつもりなのに・・・。泥んこも水遊びも半端じゃなかった。
 車で20分のところに、ちょっとした秘境があって、舗装されていないでこぼこ道が渓谷の中を走っているよなところに、毎週のように朝から夕方まで、水と砂遊び三昧の日々を過ごさせてあげた。本人たちが、『帰る』というまで、とことん遊ばせていた。

 そのせいだろう。人から指示されて何かをするということへの拘束感、抵抗感も人一倍だったのかもしれない。
 のびのび育てると決めている方へ~



長男の『行きたくない』は小学校に入って、さらに、ステップアップ否エスカレートした。
 普通は、ランドセルを背負ったら、ルンルンって顔をするもんだ。もうすぐ、小学生という期待と夢みたいな世界、ちょっとお兄ちゃんになるというなんだか偉くなったような感じがして・・・えへへ!って自慢したくなるような世界の住人になるんだろうと思う。
 しかし、長男は、ずっと曇り空のような顔をして、学校に通った。
 月曜日になると『行きたくない。』と言う日々。
 ルンルンとスキップしてはりきって行くという姿を一度も見たことがなかった。
 子どもらしいキラキラと輝いたお目目なんて何処へ・・・・・。
 あんなに、川でのびのびとキラキラ輝く目で遊んでいた我が子は、どこへ行ったの?

 赤ちゃん時代も、一人目ということで、それはそれは心を込めて育てましたよ。
 気持ちいいことをいっぱいしてあげて、快から派生する感情の分化を促してあげようと、布オムツにしたり、前抱っこで鼻歌まじりの母の歌声を聞かせながらのお散歩の日課やお風呂に入るときは、足をお風呂のふちに引っ掛けて、私がゆりかごみたくなって、胸の上に腹ばいに長男をのせ、ここでも鼻歌でまどろんだり・・・・と気持ちいいをキーワードにいろいろやれることはやったって感じ。
 生まれてすぐの赤ちゃんは、快・不快という感情はまだ未分化。生後3ヶ月の頃より、快(気持ちいい)と不快(気持ち悪い)がはっきりしてくる。その後、快は、うれしいや楽しいやワクワクするなどの感情に分化していき、不快は、怒りや悲しみという感情に分化していく。
 わたしは、脳細胞の枝がどんどんどんどん絡まっていくよう、気持ちいいことをいっぱいしてあげたつもりだった。
 あとで、わかったことだけれど、子どもの喜怒哀楽という感情の分化を育ててあげるためには、まず、ママの感情である喜怒哀楽がきちんと分化していないといけないのね。トホホ。
 ま、それでも、しないよりはるかにまし。
 早期教育というとモーツワルトを聞かせるとか赤ちゃんからの知育教材などがあるけれど、一番大切なのは、ママが自分の気持ちを素通りさせず、きちんと感じてきちんと表現すること。そして、赤ちゃんの気持ちも察しながら表現してあげること。次に、気持ちいいことをしてあげること。逆に、気持ち悪いことや不安なことをすぐ取り除いてあげること・・・だと思う。
 気持ちいいこと
  ・こまめに取りかえる布オムツ
  ・親より1枚少なめの衣服(コットン素材)赤ちゃんって体温が高いので、気をつけないと暑くて夜泣きするときもある。
  ・固めの敷布団 柔らかいと背骨がまだ出来上がっていないので、自分のカラダを思うように動かせなくてストレスになる。
  ・そよ風。お散歩。(真冬でも抱っこしてあったかい格好をしてお外に出ると、北風でも大喜び)
  ・ママの鼻歌
  ・ママがそばにいるという安心感
  ・泣いてスッキリ
  ・美味しいおっぱい(野菜中心)
  ・ママが何を考えているかママの気持ちを教えてくれること
  ・日課のある生活(自律神経が安定してくる)

 などなど・・・・。

 幼児時代は、幼児時代で、夏は毎週川でとことん遊ばせた。
 
 夜は夜で、夜な夜な3人息子たちは、毎晩、押入れの布団をほぼ全部押し出してマットにして、どこまで遠くに跳べるかジャンプ大会を繰り広げた。私は四隅で自分に跳んで来ないように布団に包まって息を殺して身を潜めていた。
 もう、毎晩のことなので、布団を押入れにしまう気力もなく、万年布団マット状態だった。とてもとてもよそ様をおまねきするようなお部屋ではなかった。

 
 なのに、なのに、『行きたくない。』と暗い顔で言う長男。
 あのときの輝きは何処へ・・・・。

 小学校2年になって、6月に入り、耳下腺炎で1週間休んだら、もうダメ!
 にわかに、『行きたくない』がお盛んになった。
 それでも、とりあえず、夏休みに入ったので、ほっとした。何とかリセットして2学期はすんなり行ってほしいという願いも叶うはずがない。彼にとって、させられ感の強い運動会の練習が始まったからだ。
 それでも、どうにかこうにか運動会の当日がやってきた。
 
 そこで、私は、ことの重大さをズシリと感じる、脳天をが~んとなぐられるような光景を見てしまった。


 さあ、運動会もいよいよクライマックス。
 プログラムの最後を飾る団対抗リレーだ。
 私は、この時、たまたま我が子の所属する赤団のテントの後ろを通った。
 運動会はまさに佳境に入っており、プログラムの最後の団対抗リレーが始まったところだった。
 みんな総立ちで、「赤勝て~!」の黄色い声援一色だ。
 キャーキャーキャーキャー。
 それはそれは盛り上がって一致団結、みんなの気持ちも一つになった・・・・と思いきや、な、なんと我長男君が、座り込んで、耳を手で覆いかぶり、『うるさ~い』『聞きたくな~い。』『やめてくれ~。』オーラをバンバン出していたのだ。

 我が目を疑った。

 なんなの?小学校2年生で思春期?

 これはいけない。非常事態だ。救急車レベルだ。

 慌てて、抱っこ法セラピストで心理カウンセラーのS先生に相談に行った。
 ところが、長男は先生から逃げるばかりでお話し合いができなかった。
 彼が彼なりに必死で守っている“何か”を先生にこじ開けられたくなかった・・・・のだと想像する。

 こわれちゃいました。パソコン。しばらくお休み・・・かな。

 それが、何なのか・・・・わからない。

 親業で習った能動的聞き方や私メッセージなどいろいろやってみたけれど、行きたくない病は相変わらずで、『はて、どうしたものか?』と思っていた。実は、親業には、もう一つ『勝負なし法』というものがあったが、それって、じっくりと向き合う時間をたっぷり確保する必要がある。で、忙しい私は、ついついそれをしないでする方法でどうにかしようと日々なーなー過ごしてしまっていた。救急車レベルと言いながら、実は、他人任せで、自分自らが行動を起こすという一番大切なことをめんどくさいという理由だけで先延ばしにしていた。
 本当は、救急車レベルではない。人に頼むことではない。家族のことは、家族のなかに問題の原因も解決の糸口もあるのだと思う。長男の行きたくない病が、私が変わったことであっという間に解決したという体験で、『子どもの問題は、やっぱり親への問題定義だ』と改めてしみじみかみ締める思いだった。
 私は、A4のコピー用紙1枚と鉛筆を持って、長男に「今日は、あなたと話し合いたい。」と誘って、二人っきりになれる部屋に連れて行った。そして、こう言った。

 「あなたが、行きたくないと言って、このまま、ずっと学校に行かなくなったらと思うと、不安でたまらない。だから、今日は、どうしたらいいか話し合いたい。どうしたら、学校に行けるかな?何でもいいので、どうしたら学校に行く気持ちになれるか教えてほしい。紙と鉛筆を持ってきたので、あなたの要求をお母さんが紙に書くね。」

 すると、彼は、さっそく
 ①金曜日は学校を休む
 ②月曜日は休む
 ③金曜日は昼から休む
 ④金曜日はお昼を食べないで休む
 ⑤月曜日と金曜日は休む

 などなど思いつくまま結構あっさりと自分なりにやすみたいという要求を述べてくれた。
 この勝負なし法は、とにかく「でもねぇ。」などと遮らず、最後まで言いたいことを自由に言えるし、聴いてもらえることが大事なポイント。
 私も、内心、『え~、1週間に1回も休みたいのか・・・・でもね。それは、困ったわ~。』と思ったけれど、ぐっとこらえて、「ふ~ん。金曜日に休みたいんだ。月曜日に休みたいんだ。」などと相槌を打った。
 で、「どう?他にはない?」と聞いたら、「ない。これでいい。」と言ったので、「じゃぁ、お母さんはねぇ~。」とやっと自分の出番が来たので、私の思いを語った。

 「やっぱり、1週間に1回ってちょっと多いかなぁ。1ヶ月に1回くらいならいいけど~。」と言いながら、母の欄に①1ヶ月に1回 と書いて、「それか、1学期に3回かなぁ~。」②1学期に3回 と書きながら、「どうかなぁ~。」などとぼそぼそ言っていたら・・・・・・。

 「ぼく、これでいい1」
 と、私が書いた①1ヵ月に1回ズル休みする  を指さして、即、決定だった。

 え、そんなにあっさりしたものなの?

 即決できるものだったの?しかも、自分の案ではなく、母親の案を。

 もっと、山あり谷あり難航すると思っていたのに・・・。どういうこと?って世界だ。

 あれだけ行きたくないと暗い顔だった彼の顔が、さっと明るくなり、さっと決めた。
 な~ぜ?

 わからない。

 でも、とにかく、少しは明るい顔で学校に行ってくれたらそれで十分だったので、彼の即断を信じることにした。

 そして、なんと、なんと、それから、1年くらいは、1ヵ月に1回はズル休みできるんだったよね。とうれしそうに言って、そのとおりにズル休みをしたけれど、1年過ぎた頃から、そういうことも言わなくなって、自然と学校にすんなり行くようになった。

 何が、彼のハートをつかんだのだろう?

 親業ってスゴイよ。

 たぶん、紙と鉛筆と二人っきりの部屋という豪華3点セットという小道具を持つことで私に備わった“彼ときちんと向き合う”というオーラが、彼の心に届いたのだと思う。
 
 子どもにとって、最高の愛は、親がきちんと向き合ってくれているという確かな手ごたえなんじゃないだろうか・・・・・。

 この出来事で、わたしは、それをまざまざと見せつけられた。

 ありがとう。神様!
 ありがとう。親業!って心から、親業に出会えたことに感謝した。

 カウンセリングと同じなの。

 でも、カウンセリングという能力は、私自身の感性レベルでしかその力を発揮できないという哀しさがつきまとう。私は、一応、S先生の主催するカウンセリング勉強会でカウンセリングを学び、その奥深い世界に触れ、私は一生かけてもよそ様のカウンセリングなんかムリだと実感していた。カウンセリングって今ブームだけれど、そんなやわな世界ではない。私自身の感性が伴っていないととてもとても・・って世界だ。

 親業のスキルは、基本的にはカウンセリングと同じ。でも、だれ誰 でもとっかかりやすい。
 まぁ、自動車の免許を取るために自動車学校に通えば、だいたいの人は免許取れるでしょ。親業も自動車学校と同じようなものだと思ってもらえたらいい。子どもと対等にコミュニケーションがとれる人間でありたいという気持ちさえあれば、子どもを叩きたくないという気持ちさえあれば、大概の人がそのスキルを習得することができる。

 そして、私のように、感性のない私レベルのカウンセリング能力では長男の心のツボに入り込めなかった世界が、親業の勝負なし法であっという間に、長男の心をギュッとつかめたんだから、すごいよ。

つづく 


 長男が求めていたものは、母親がきちんと向き合ってくれるというその真摯な姿勢であって、それ以外のなにものでもなかった・・・・ということ。

 子どもにとっては、それが何よりもほしい愛なのだとこの時痛感した私だった。

  
 つぎは、『長男の“行きたくない病”を見つめて・・・』です。












  
  
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スゴイ!親業

2012年06月08日 | エッセー
 次男が6歳の頃になっても、彼のだだこねは相変わらず健在で、もう、ほんとうにへろへろだった。
 いい加減、次のステップに成長してよ!って感じだった。

 彼のだだこねに翻弄され、何か解決するいい方法はないものかと考えあぐねていたら、出会った。
 何に出会ったか・・・。

 『親業』

 たまたま、隣の市で1回かぎりの『親業』の講演会があった。
 『親業』って何のこと?と初めて『親業』という言葉を知った私であったが、すぐ飛びついた。
 そして、次男にトホホ状態だった私は、すがるような気持ちでその講演会を受講して『これだ!』と直感した。
 全8回コースで、半分隣の市の補助があって、2万4千円の受講料。ちと高いかなと思ったけれど、背に腹は変えられない。毎週土曜日の午後2ヶ月間通うことにした。
 親業って、基本的には、①能動的聞き方②私メッセージ③勝負なし法の三つのスキルを体験的に学び、それを、家庭で実践してみながら体得していくグループワーク形式の講座である。
 タダほど高いものはない~というけれど、実際講座を受講して、ある程度の受講料があった方が、身につくとしみじみ思った。タダだと家では宿題をしなかっただろうなぁ。さもしいけれど、1回3千円分の元は取らなきゃ!というエネルギーのおかげで、だだこねする次男に、いつもならイライラ来て切れてしまう私も、『宿題。宿題。元を取らなきゃ講座を受講した意味がない。次男のだだこねに翻弄されて嫌な人間になってしまっている自分とさよならしたくて、受講しているんだ。さぁ、深呼吸!気持ちを切り替えて宿題と思って能動的聞き方にチャレンジしよう!』と気持ちを切り替えて、『スーハー』と深呼吸して、やってみたよ。
 人生で初めて、能動的聞き方ってヤツに挑戦した。

 そして、驚くべき反応を次男はしたのだった。

 想定外。

 こんなうれしい想定外は、私の人生で味わったことがなかった。
 もう、病みつきになりそう。
 こんなにうれしい気持ちになれるのなら、もっとやってみたい・・・とマジ思った。

 スゴイよ。親業。




 つづく

 次男が5歳の頃の、ある晩のこと。

 夜、寝る前、部屋を暗くして、さぁ、寝よう!という場面。

 いつもだんご3兄弟は、私の両隣とおまたのところの3ヶ所のポジションを交代制で寝ることになっている。わかる?私の右腕の腕枕に長男が、左腕の腕枕に次男が、そして、おまたのところに三男が、おまた枕(?)で眠りにつく。
 この日は、1月21日。寒い。よって、おまたのところから顔を出した三男は、別の布団をかけて眠る。

 こんな日々が、かなり続いた。

 もう二度とできないし、したくない。体がもたない。

 そんなこんなのある日、その日は長男がおまたのポジションなのに、右隣に寝たがった。で、次男と少しもめたが、次男は、あっさりと『僕が足に寝る。』と言ってくれたので、ホッとしたところ、急に気分が変わったのか、『僕は足のほうが好きだけど、やっぱりこっちに寝る。』と言い出し、三男の寝ている左隣に侵入し、今度は三男ともめはじめた。
 しかたないので、「とにかく『おしっこしてから寝よう!』とトイレに次男を誘おうとした、その時・・・・・・。

 (実は、寝る前に居間で父親に『バカ!』『バカ!』『バカ!』と3回言って怒られ、むりやり謝ることを強要され、少しつらい気分。父親が遊んでくれなくて、悲しいけれど、その気持ちを素直に言えなくて、『バカ!』と言ってしまったのだ。)

 (次男)    お母さん、キライだ。
 (私)     お母さんのことキライだと思っているのねぇ~。        ←能動的聞き方
 (次男)    キライだと思っているんじゃなくて、キライなの。
 (私)     あ~、お母さんのことキライなのねぇ~。           ←能動的聞き方
 (次男)    だって、


 つづく

(次男)    だって、お母さんはウソつきなんだもん。ウソをつくのはいけないことなんだよ。
         明日、お兄ちゃんに『お母さんはウソつきだ。』と言うからね。

 (私)     お母さんが、『お兄ちゃんに黙っておけばわからないから、隣に寝ていいよ。』って言ったから、ウソをつい
         と思って腹が立ったのねぇ。                 ←能動的聞き方

 (次男)    ちがうよ。腹が立ったんじゃないよ。お兄ちゃんがかわいそうだから・・・・。

 (私)     あ~、そうなの。ウソをついたら、お兄ちゃんがかわいそうと思ったんだ。   ←能動的聞き方

         やさしいんだねぇ。カズ、大好きだよ~。←肯定的

         さっきは、お父さんに怒られてつらかったねぇ~。          ←能動的聞き方

 (次男)    お父さんは、階段で一番に上ろうと思ってケンゴ(三男)を追い越しただけなのに怒ったんだよ。←(2週間         前の出来事でした。)

 (私)     そうだったね。カズは、ケンゴを叩いてないのに、追い越そうとしただけなのに、お父さんに怒られて、悲し         くなったんだよね~。 
                       ←能動的聞き方
 (次男)     スー。スーーーーーーーーーーーー。
          眠る。


  もう、びっくり。
  その時のことだけでなく、便乗して、2週間前のつらい出来事までひょっこり表現して、私が、彼の気持ちをわかったとわか  った瞬間、寝ちゃったよ。いつもなら、だだこねのゴングが鳴って、約1時間、11時過ぎまでだだこねが続くのに、あっとい  う間に入眠しちゃった。
  アンビリーバブル!!!

 つづく

急にキライだと怒り出して、何?何のこと?って思って、聞いていったら、お兄ちゃんがかわいそうという思いやりの気持ちから怒っているということがわかった。反面、三男に対してはもやもやとした気分が支配しているようで、三男との関係についてはうまく私が表現できなかったかもしれない。それにしても、長男への思いやりだったとは、意外だった。それにもまして、ついでに2週間前の不快な気持ちまで言語化してスッキリしていくなんてびっくりした。
 それにしても、子どもは不快な気持ちをずっと抱えているんだなぁ。ちゃんと聞けば、言語化できるんだなぁ。言語化できるとすっきりするんだなぁ。
 子どもの話にきちんと向き合って聴くことができると、びっくりするような宝石が潜んでいることに二度びっくりさせられ、それはそれは、私に喜び(育児からしか得ることのできない喜び)をもたらした。

 どうしても、親業の宿題をすませなくちゃいけなくて、しかも、1回3,000円分の元は取らなきゃという浅ましい気持ちも手伝って、トライしてみたら、青い鳥に出会ったという感じ。
 逆に、もしかしたら、いろんな子どもとのシーンの中で、彼らの気持ちを全然汲んでなくって、青い鳥がどんどんスルーしていっているのかもしれないという恐ろしさに身の毛もよだつ思いがした。ほとんどスルーしているんじゃないだろうか。オ~こわ!まさか、お兄ちゃんがかわいそうなんていうセリフが出てくるなんて思いもよらなかったもの。もし、宿題がなかったら、私は、彼のそんな素敵な気持ちにちっとも気づかずに、それなりにま、こんなもんさと思いながら子育てしていたと思う。

 見方を変えれば、能動的聞き方をマスターするだけで、子どもから病みつきになるような美味しいハートをいっぱいいただけるのが、い・く・じ・・・・だよね。どんな美味しいケーキより心をわしづかみにするよ。マジ。

 どうせ、育児するなら、親業やってみる価値はすっごくあると思う。8回4万8千円。多分、高くない・・・と思う。
 趣味にどんだけ投資している?
 育児も趣味にしちゃおうよ。子どもの服に投資するのもいいけれど、自分に投資してみるのも悪くないよ。

 実は、ずっとカウンセリングの研修を受けていた私。
 話を黙って最後まで聴くということはカラダでわかっていたつもりだった。
 だけど、親業で改めて能動的聞き方をする練習をすることで、再度、スコーンと入った。
 技術だけではだめだけど、型にはめて練習するのは悪くないなと思った。

 ありがとう。次男。

 つぎは、『過保護と過干渉のチガイ。』  です。 
 
 
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だだこね七変化!次男の場合

2012年06月04日 | エッセー
 次男のだだこねは、長かった。
 1歳半くらいから始まり、小学校1年くらいまで続いて、もう、へろへろだった。

 その次男も高3。

 よくぞ、ここまで育ってくれた・・・・。
 ところで、昨夜は、次男の高校の学年懇談会だった。どの子も3年生のときくらいは懇談会なるものに参加すると決めているので、少々だるいなと思いながらも出かけて行った。担任のやる気満々先生が、次男は、『もっと伸びますよ~。』なんて頼もしいことを言ってくれるもんだから、やっぱ、親としてはうれしかったぜ。それにしても、何でだろう。うちの子はみな、見事にお勉強をしてくれない。小学校・中学校・高校1・2年生まで・・・。
 次男も、そう。高校2年まで。まぁ、しない。しない。次男は高校に入ってからも(一応、田舎では進学校)中学時代の友達と土日は遊んでばっかりだった。おかげで、成績は、入学時が最高で落ちていくだけ・・・だった。トホホ。
 みんながそうというわけではないと思うけれど、男の子ってするかしないかのどっちかだと思う。やる気がないときに、『勉強』『勉強』と言っても、『あなたの人生なのよ。一人で生きていかなきゃいけないのよ。』と訴えても、し・な・い。

 一応、成績が国立大学に入れないような事態が3ヶ月続いたら、ケイタイを取り上げることになっているので、彼もどうにかそれだけは避けたいらしく、ギリギリのポジションでどうにか落ち着いている。
 まぁ、結局、他になす術もなく、最後の手段として餌でつっただけの話なんだけど。
 えげつない話・・・・だ。
 子どもにケイタイをもたせるなんて・・と思いつつも、このケイタイが結構、使えるという哀しさ。使ってしまう無念さ。
 
 そんなこんなでどうなることやらと思っていたら、3年生になって、俄然お勉強に励みだしてくれて胸をなでおろした。多分、やる気満々先生の影響だと思う。なんせ、みんなを合格させたいというエネルギーが半端じゃない。圧倒されそうなくらい親身になってくれている。ありがとう、先生。次男には合っている。感謝。『圧倒されるくらい一生懸命』という人間に出会ったことのなかった次男に大きな刺激を与えてくださったと思う。
 次男は、小学校2年生の頃のあの悲惨なお勉強状態から、ここまでなるとは全く想像できなかった。よくぞ、ここまで・・・。う・・・・・涙。

 ところで、次男の話の前に、昨夜の懇談会での校長先生の話。

 アメリカで、ある実験をして、現在も追跡調査中という内容について。
 一応、田舎の進学校の3年生の保護者懇談会ということでこんな話をされたのだろうが、すでに手遅れかもしれないと思った。
 どんな実験かというと、幼児たちにおやつを1個、目の前において、『今すぐ食べてもいいけれど、15分待てばあと一個もらえる』という話をして、15分待てた子と待てなかった子を比較し、20年後に、センター試験みたいなものを受けさせたという。そのテストは1000点満点で、待てた子と待てなかった子の点数の差が200点あったというお話であった。30年後も調査したところ就職状況にも違いがあったとのこと。

 校長先生は、3年生という1年他にやりたいことがあっても、ここはぐっとがまんして受験に向かって気合を入れてほしいがためにそういうお話をされたのだろう。

 がまんというか、自分の気持ちをコントロールする力が受験にはとても大切だろうと思う。
 高2まで、がまんして勉強していい成績をとるという体験がちっともない次男だったけれど、高3になって、なぜか目覚めた。家では集中できないといって土日はいつも図書館に詰めて勉強するようになって、親としては、安心して見守っていられるようになった。果たして、この1年がまんできるかな?

 そして、内心、よっしゃ~、土日にでも小2の四男に実験してみようと思うのであった。
 ちょっと、いえ、かなり不安だ。

 前にも書いた。
 がまんするといいことがあるという体験のくり返しが、がまんすることが不快でないカラダになっていく。

 おやつを目の前にして15分がまんできるというのは、がまんして裏切られるという体験を重ねてきた子には難しいと思う。

 待つことがウキウキワクワクできる人は、とにかくそれだけで生きる力をもっている。
 反対に、待っても何もいいことない体験の繰り返しだと、待ってみようとは思うはずがないよね。

 

 さて、次男のだだこね物語にもどります。
 
次男は、とにかくズシーンと重かった。体重が重いというより骨がズシリとくるタイプの赤ちゃんだった。
 それで、生後6ヶ月を過ぎる頃には、おんぶしていると肩がこって頭痛がして吐き気までするようになってしまって、できるだけおんぶすることを避ける感じになっってしまった。申し訳ないと思いながらも、なるべく抱かないですむようにしてしまった。
 おまけに、長男という初めての子どもへの思い入れが大きかった分、次男が生まれたら、長男が不敏で不敏でたまらなくって、次男におっぱいを飲ませているときも抱っこしているときも、気持ちが長男の方に向いていたような気がする。いえいえ、目はしっかり長男を追っていた。
 最初からわかっていた。
 私は妹と弟の3人兄弟だけれど、妹がいつも言っていた。『姉ちゃんばっかりだった。』と。
 真ん中ってないがしろにされやすいポジションだから、だからこそ、次男には心して育児しようと心に誓っていたのに、いざ、生んでみると、なんだか長男と次男の世話に明け暮れて、あっという間に夜が来て、『私は、今日一日何をしていたのだろう。長男と遊んであげることもできず、かといって、次男にあたたかいまなざしを送ってもやれなかった。世話だけで一日が終わり、また、明日も同じように日が暮れる。自分のために時間なんてどこにもない。フーーーーーーーーーーー。』とため息の日々。

 長男の育児休暇が終わり、仕事に復帰して、次男を生んでまた、育児休暇に入ったとき、気づいたのだ。
 何に気づいたかというと、
 『あ~~~~~~~~~~。私は、働いているときは、世話はしていたけれど育児はしていなかった。』と。
 そう、世話しかしていなかった。
 それが、育児休暇をとって、まったりとした時間を過ごすうちに、ハッと気づいたのだ。
 このまったりの世界の住人になることが、育児には必要なのだと。
 でも、仕事をフルでおまけに残業つきでしていると、待ったりの時間が空白になる。
 夕方から寝かせつけるまでは、分刻みだ。
 ただただ、慌しい。
 まったりの重大さに気づいて慄いた私は、『ごめんね。長男君!』と長男に対するすまなさだらけだった。
 それで、次男の育児休暇なのに、長男との1~3歳の歳月を取り戻さんと、暇さえあれば、長男にあたたかいまなざしを送ってしまっていた。次男をないがしろにしたつもりはないけれど、結果として次男は、おっぱいを飲みながら見上げる母のまなざしのその先に自分がいないという哀しみを抱きながら母と子の絆を深めるべき乳児期を過ごしてしまったのだと思う。
 1歳半で恐るべき次男のだだこねが始まったとき、すぐに、原因に見当がついた。『そうだよね。だだこねするしか道はないよね。最後の賭けに出たんだね。ママを振り向かせるために。ごめんね。ごめんね。』


 つづく

 Aと言えばB、Bと言えばAと言う。
 で、Aの対応をすると、今度はBと言うもんだから、Bの対応をするとAと言う。

 のくり返し。
 エンドレス。
 最初は、優しく話を聞いていた私も、最後は、堪忍袋の緒が切れる。
 いったん切れると、今まで、次男のだだこねにへろへろになっているわたしは、なんだかしらないけれど、これでもか、これでもかと、我ながらあっと驚くおぞましい言葉を口にしてしまう。口から、ポロポロ、ポロポロと蛇やらカエルやら出てくる出てくる。それでも、次男が、AかBなぞと言うのを止めないと、もう限界、手がでてしまう。
 人生で、次男と四男には3回手が出てしまった。この、だだこねの連発はきついの。
 手を出した後、『ごめんね。』と抱きしめて誤るけれど、寝る前も『ごめんね。』と抱きしめるけれど・・・・・。
 あ~、これって虐待に近いよなぁ。はぁ~っとため息ひとつ。
 私って、こんな恐ろしいことができる人間だったのか・・・。
 権力を握ると、相手をとことん追い詰めてしまう獰猛さが備わっているんだ。ビックり仰天!!!

 人って、ぶつかって初めて自分がどう反応したり、どんな感情になったりするかということがわかる。
 ぶつかってみないとわからない。
 ぶつかってなんぼ。体験して何ぼ・・・それが、人生。

 だだこねする子との体験で、自分って相手が思いどおりにいかないと虐待に近い行為までしてしまうんだ・・・と知って、自分の愚かさが身にしみて、人を責めるという最も愚かな行為に謙虚になれる。
 みんな、五十歩百歩だよ。
 場が変われば、環境が変われば、鬼にもなれるし天使にもなれる。

 思いどおりにいかない育児から、私たちは他人を批判したり他人を責めるというようなことをしなくてすむ幸せの切符を手にすることができる。自分が手を出してしまったら、なんだか人を許せるようになる気がしてくる。
 実は、このことに気づくことが、育児という体験から学ぶ貴重な感覚なのではないかと私は密かに思っている。

 子育ては大変というイメージばかりが世の中に浸透してしまって残念。実は、育児は、お金を出してでも体験した方がいいぶつかって何ぼの世界なのだと思う。
 仕事では、こんな恐ろしい自分に出会うことはまず、な・い。だって、演じているもん。それに、権力なんか握ってないし、将来握る可能性もないし・・。
 
 夫婦でも、結構、演じていられる。夫婦げんかも切れ味よければ、それも生身の自分が出ていい体験だけれど。

 ただ、人間、ぶつかって自分を知ったら、そこから、進歩しなくっちゃね。
 
 私も、次男のおかげで、さんざんだだこねを体験させていただいて、いい加減、どうにかしたいと切望していたら、進歩につながるあるスキルに出会った。感謝


 つぎは、『スゴイ!親業』  です。

 

 つづく
 

 
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