『人生をよりよくするために必要なことは何ですか?』
というお題をいただいた。
何だろう?
真っ先に思いついたのは、『置かれた場所で咲きなさい。』という本のタイトルの言葉。
このタイトルを見た時、くそーーー。私は、ぜってぃ、咲くぞ~~~と叫んだ。
そして、昨日読んだ本『あの世に聞いた、この世の仕組み』という雲 黒斎さんの本に書いてあった言葉。
ふむふむ。
「幸せ」とは、不幸がない状態のことですから、どこかから持ってくる必要なんてないのです。「幸せが必要」なのではなく、「不幸が不要」なのです。「幸せが足りない」のではなく、「不幸が多すぎる」のです。
どうか、「幸せ」を得ようとしないでください。
ただ、大事に抱え続けている「不幸」を手放してください。
どうやって、手放せばいいのですか?と聞かれます。
そういう人は「私は不幸だ」と言いつつ、その「不幸」が何であるかが、とらえきれていないということです。
もし、今、自分がウンコを握っていることに気づいたとして、不快だと思ったら、ただ手放せばいい話です。
手放せないのは、手放す方法を知らないのではなく、握りしめているのものに対して、執着があるからにほかなりません。
不幸であるという認定を受けることで、不幸な私というアイデンティティを確立させたがっている人は、不幸に執着がある人と言えるでしょう。
雲 黒斎さんいわく、
苦しみとは
苦しみは苦しみでも
「思いどおりにならない」というニュアンスとしての「苦しみ」。
この世は、完璧な神様が、完璧だとつまらないから、飽き飽きして、あえて、思いどおりにならないという苦しみを乗り越えていくというゲームを考案なさったそう。
ゲームだと、感情移入しないから、それでは、つまらない。神様の分身である人間たちの世界で、リアルに神(愛)でない世界を味わえるよう工夫を施された。そのために、産まれ落ちた瞬間の赤ちゃんから、リアルな感情を味わえるよう、神の分身であるというすべての記憶を消された。
犯罪者やいじめる人、威張っている人、人の心がわからない人、他人の気持ちをわかろうとしない人、依存症に陥っている人、権力主義者などなど…そんな人ほど、神であるという記憶をしっかり喪失し、神様=『愛』という状態から、ほど遠いところにいる。神様は、しめしめ、これでゲームが一層楽しくなるぞとほくそ笑んでいらっしゃるのだそう。ゲーム上の敵としては、犯罪者ほど最強な役者といえるのかもしれない。
この世に存在している人間を、神さまが分身としてこの世に放った役者という人間の性質や特性などは、神の記憶の量により、グラディエーションされているという。
つまり、神の記憶が残っている人ほど、優しいとか慈愛に満ちて、人の心に添えるような人で、逆に、犯罪者とか苛める人とか権力主義者とか白黒思考だったり、正義の名のもとに批判、攻撃するような人ほど記憶をしっかり忘れている人。その最たる人が人を平気で殺す人なのかもしれない。
独裁者とは、神の分身であることを最も忘れた、神にとってはかけがえのない役者といえるのだろうか。
なんのことはない。
神さまであるという記憶の量により、人間性が決まるのだ。
そう考えると、今まで、どうして、この人はこんなに私をいじめるのだろうと胃を切るほどまでにストレスの元凶であった人ですら、見方が変ってくる。あ~、この人は、いい年になっても、人を苛められる。なんて、神さま記憶の喪失度の高い人なんだなぁと妙に感慨深くなってしまった。
な~~んのことはない。
この世は、私を尊重してくれるいい人と私を苛める悪い人が存在するけれど、負けるもんかと生きてきた。違うのか・・・。
この世は、神さま記憶の喪失度のグラディエーションな人々で溢れているというだけなのか。
神さま(愛)からほど遠い人に対しての見方が180度変わった。
この瞬間って、私の人生でかなり劇的ビフォーアフターな瞬間だ。
神さまのいう、この苦しみを乗り越えるとは、
分かり合える
ということだそう。
だとすると、私は、いい年になっても私をいじめる人と分かり合えてはいなかったなぁ~。ゲームをクリアしていない。ただ、痛めつけられただけた。
ゲームをクリアするとは、もしかしたら、神さま記憶の喪失度の高い人、つまり、普通だったら避けたい、あまり一緒にいたくない人の心をわかろうと、寄り添おうとチャレンジしたら、ある瞬間、分かり合えるというエネルギーにより、その苛める人の神さまとのラインがチラッとつながり、記憶喪失が少しほどけて、ちょっと、優しい人になるというような設定なのだろうかと浮かんだ。
なんだか、私の周りにはキレるタイプの人が集まってくるなぁと感じていた。キレる人って、おそらく、神さまラインの途切れ度の高い人たちなんじゃないだろうか。神さまからしてみれば、素晴らしい役者だ。
私には、まだ、この分かり合おうとする武器が全然見についていない。わかったつもり人間で、どこかで私の正論で人を判断しまいがち。
キレるタイプな人って、自分の負けを認めたくない人だと思う。自分が負ける前にキレて、相手を打ちのめし、パワーでねじ伏せて、負けを認めない。
おそらく、負けを認めたら、立っていられなくなる。
それくらい、心が弱い。
負けを認めないことで、どうにか、プライドが保て、生きていられる。
負けを認めないという杖だけを支えに立っている・・・みたいな。
分かり合おうとするという武器でこの世に放たれた役者である。
おそらく。
きっと・・・。
ありがとう。図書館のリサイクルブックコーナーの企画。
ありがとう。この本をリサイクルしてくれた誰か。
みな、神さまがおつくりになられた。
ただ、それだけ。
神様はワクワクして観ている。
この独裁者を前にして、あなたたちはどう乗り越える?って・・・。
えーーー。
世界観が反転。
反転どころか、別世界に来た気分。
私の人生、どうして、こうも不幸が、あるいは、試練が天から降ってくるのとぼやいていた。
子育てって、ちっとも、思いどおりに行かないと嘆いていた。夫に対しては、とうの昔に諦めている。何も期待していない。
でも、もし、今、私の見ている景色が乗り越えるために与えられた、神様が観ているというゲームだとしたら、私は、この試練をリアル試練と感情移入しないよう、細心の注意を払って、対処するのみ・・・だ。
雲 黒斎さんは、20代の頃、ストレスからセロトニン分泌が激減してうつ状態になった時に、どこからか声が聞こえてきたそう。その声をブログに載せていたら、反響が凄くてこの本の出版にいたったとのこと。
私はというと、たまたま図書館のもらえるリサイクル本コーナーで、目について、ただでもらってきたら、雲さんに運命を感じてしまったという顛末。