総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

女のうわさ話は時間のムダ!と男脳はマジ思っている。

2014年09月29日 | エッセー
 同僚の息子が、「女の人の人のうわさ話は、時間の無駄だ。」とつぶやいたそうな。

 まさに、男脳と女脳の違いを一言で表現した実に洗練された名言だと感心した。
 そう。男脳は、自分に直接関係ない人の話にはてんで興味がわかないのだ。一方、女脳は、自分に直接関係なくっても人のうわさ話を聞くとなんだかワクワクしてしまうものなの。多分、羨ましいことだったら、悔しい・・・と妬み、かわいそうなことだったら、同情してほっとする・・・・みたいな。自分が、人の幸不幸で幸不幸になるのかなぁ。一方の男性は、人と比較して自分の現在地を知るというのではなく、自分のしたいことで自分の現在地を知る・・・・?

 しかし、時間の無駄だと心底思う男脳って羨ましい。

 やはり、この世の中、男も女も必要だ。
 女ばっかりだったら・・・と想像するだけで、ぞっとする。
 男って、いつまでたってもお子ちゃまって感じることも多い。結婚して、男って心の成長よりも目の前の興味で生きている感が強いので、父親としての存在より、いい大人が子どもよりも子どもだって感じるときに、がっくりくることも多々ある。
 でも、人のうわさ話をしないというその一点で、妻のうわさ話の抑止力として機能し、家の外に拡散しにくい=世間の目という視力を弱めてくれるというメリットがある。これが、地域(世間体)の目を優しいものにしてくれるような気がする。
 ま、男って、テレビのニュースを酒の肴に批判ばっかりして、そんな自分と関係ない、それもいきなり世界の政治に自分も参加しているような口ぶりにアホクサって思うことも多いけれど、ご近所のうわさ話や悪口よりもはるかにましかもしれない・・・・かな。男も女もうわさ話が好きだったら、この世は地獄だ。世間体という目に縛られて身動きできなくなる。

 女性は精神的な成長を人生の目標とする生き物だけれど、男性は、好きなことをするという生き物。だから、結婚するとその成長しない精神性にげんなりしちゃう・・・・場合が多い。そうでないステキな紳士的な父親としても子どもを大人にさせてくれるような存在であるという男性も時にはいらっしゃる。でも、どっちかというと、子どもが大人になったようなタイプが多いんじゃないかな?
 ただ、女性は精神的成長を意識して生活をするという目標を見失った場合、女性はうわさ話や人の悪口の方に引きずられやすいという欠点がある。
 今の生活(既婚者だったらパートナー)に欲求不満な人ほど、他人のことに口を出したくなるらしい。
 本当は、今の生活に不満なのではなく、今の自分に不満なのだと思うけれど・・・・・。

 そこで、前回の自殺率がひときわ低い地域の話に戻ると、集合地域にもかかわらず、あいさつ程度の関わりでいられるってことは、つまり、妻がそんなに不幸だと思っていないんじゃないかなぁ。多分、夫とまぁまぁのコミュニケーションを取れている、だから、うわさ話をしないですむってことなんじゃないかなぁって思った。わが街は自殺率が非常に高い。夫は亭主関白で苦虫をかみつぶしたような顔をしている。妻は、怖くて言いたいことを我慢し続けている。世間体が気になって恥をかきたくない思いも強い。
 自殺率は、夫婦のコミュニケーション能力と相関関係があるかもしれない。それが、人と人との調度いい距離感を形作っていく基盤となる。

 人と人との調度いい距離感・・・それが大事。
 でもね。
 この距離感は、講習会を受けたから、すぐ身に着けられるというようなものではない。
 大人になってから身に着けるのは、かなり難易度が高い。困難に近い・・・・かも。

 子どもたちは、小さい頃より、この距離感を肌で感じて育っていく。
 この人と人との微妙な距離感は、日々の生活の中でカラダにしみ通っていくもんなんだと思う。ローマは、一日にして成らず。人と人との絶妙な距離感も一日にして成らず。

 とは言いながら、この調度いい距離感を子どもたちに日々の生活の中で感じてもらう見本となっているか?と問うと、『残念・無念』の一言。

 夫を見ていると、全然だ。他人との距離感がめちゃくちゃだ。多分、そのせいで、人を信じることができなくなって、一人がいいっていきがっている。
 勝手によかれとおもってやったことを認めてもらえなかったり、裏切られたり・・・という体験が気持ちのジェットコースターのように大きく揺れ動く。それに耐えられない。だから、一人がいい・・・という。でも、本当はさびしがり屋なので、ひとりはきつい。誰か話し相手がほしい。理解しあえる仲間がほしい。
 他人との距離が近すぎたり遠すぎたり・・・・調度いいところで人間関係の距離を取れないので、苦しそう。
 
 育ちは思いのほか私たちの人生に影響する。

 私が、いくら、子育てに心を込めても、夫との関係性がこんなだと、子どもたちに人と人との調度いい距離感を感じてもらうことも厳しい。
 でも、ここであきらめるのも悔しい。
 コミュニケーション能力の貧困な近すぎたり遠すぎたり・・と距離感の微調整のできない夫と結婚してしまった私の人生の課題だ。マイナスの環境でもそれをプラスにせんとすることこそ、実は、人生の醍醐味なのかもしれない・・・と自分に言い聞かせ、ない頭をひねって、距離感へたくそ人間との調度いい距離感のとり方にチャレンジするぞ!と心に誓った。
 ちょっと、遅すぎたけれど・・・。

 自殺対策って、ひょっとして、距離感微調整役の妻力磨きがカギってこと?
 さしあたって、婚活で長野県の女性をわが町に呼ぶ事業を展開するか、もしくは、わが町の女性をしばらく長野県のご家庭にホームステイさせていただいて、その距離感を体験していただくか。長野県の女性は、わが町の亭主関白むすっと男に魅力なんか感じないだろうから、やっぱ、ホームステイかな?
 でも、ミイラ取りがミイラになって、長野県の男性のコミュニケーション力の豊かさに魅了され、わが町の女性が長野県に嫁いでしまったらどうしよう。
 (長野県は、離婚率が日本で一番低いのだそう)
 長野県でなければ、奈良県かな?奈良県は日本で自殺率が一番低いので。
 
 

 

 
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家族狩り最終回の感動

2014年09月21日 | エッセー
 わりと、ドラマの最終回は展開が読めてつまんなかったりすることが多い。
 家族狩りもストーリー的には、読めた。けれど、役者さんの発する言葉がキラキラ輝いていて心に響いた。今もその余韻に浸っている。このドラマは、かなりの秀作。音楽もぴったし。言うことなし。
 特に、伊藤敦さんから発せられる言葉がググッと来た。伊藤敦さんそのものがうまいんだろうけれど・・。
 
 なんて書き始めたら、今日の朝日新聞に著者の天童荒太さんの記事が掲載されていた。なんというタイミング。家族狩りの原作は、天童荒太さん。

 家族狩りのメッセージは、きっと、君のことをわかりたいと真剣に思っていて、どうにか立ち直ってほしいという思い溢れた存在からの、『明日、メールするよ。』という希望の約束・・・・・ただ、ただ、それだけで、人は、生か死かというギリギリ状態に追い込まれ、衝動的に楽になりたいという気持ちが勝った時にあっけなく死を選ぶ。でも、『明日、また、メールするよ。』という一行で、人は、生きるを選ぶことも可能なのだ。否、人は、それさえあれば、生きて行ける。

 ささやかな約束という希望


 定期便

 ささやかなうれしいことを待つ気持ち・・・・で、人はどうにか生きて行けるのかもしれない。

 わくわく。

 そんなに大きなワクワクでなくてもいい。
 ほんのりとしたわくわく定期便。ワクワクだけでもなく、定期便だけでもない。ワクワクの定期便こそ、人が生きるための原動力になるのかもしれない。ほら、仕事から帰ってきて飲む350mlの缶ビール・・・みたいな。私は、ビールにそれほどのワクワクはないけれど、同僚たちの半分は、ワクワクビール派だ。
 ほっと一息の定期便、ある?
 定期便を作ろう!自分のために。
 今の子どもたちは、学校からおうちに帰った時に、ママがいない(場合が多い)。
 おうちに帰って、ビールをぐっと飲む瞬間のような、「お帰りなさい。」と出迎えるママの笑顔という日々のほんのりワクワク定期便なく成長せざるをえない。もちろん、我が家も。
 それって、彼らの生きる原動力の貯金が積み立てられないってことだ。それは、大人になって空虚という地獄の体験につながるやもしれない。
 いかん、いかん。「働いているから、しょうがないでしょ。」ではなく、意識的にほんわかワクワク定期便を作らなきゃ。朝、バタバタして、ごみ出しもできないで出勤する日々だけれど、四男が家に帰ってきたら、ほっとするメッセージとちょこっとおやつを準備しよう。さっそく、明日から。お風呂掃除のバイト代からおやつを買いなさい・・て言っていたけれど、それとこれは違うかなぁ。そして、わたしも残業して帰ってきて、四男がゲームを夢中でしているので、そそくさと夕飯の準備をしてしまっていたけれど、嫌がってもムギュッとしよう。4年生だから、まだ、間に合う。さっそく、明日から。
 缶ビールみたいな何かをわが子に・・・・。

 さっき、小さな袋がいっぱい入った大きな袋菓子(例えば、袋入りきのこの山みたいな・・・)を三つ買ってきた。さっそく、明日から、お帰りなさいのメッセージを添えてテーブルの上に置いておこう!

 そして、夫にも缶ビールを冷やしておいてあげよう。のんべぇなので、お酒に関する協力はしないと意固地にになっていたかなぁって、ちょっと反省。カラダ使って一生懸命働いて頑張っているのは事実・・・なので、缶ビール1本くらいのささやかな定期便はプレゼントしてあげよう!

 さてさて、じゃぁ、私自身へのささやかな定期便って一体なんだろう?
 私は、こんな最悪な環境で、ささやかな定期便もないのによく持っているなぁって、我ながら感心する。
 でも、実は、無理して頑張っているのかなぁ。私の無意識の世界は、エネルギー枯渇状態なのかなぁ?でも、そうでもないような気もするんだけれど。

 あのね。思い出した。実は、水煮大豆を冷凍したものを一粒一粒かみしめながらいただくことなんだわ。私にとっての、ほんわかワクワク定期便。前にも書いたけれど・・・。今も相変わらず、1回50粒くらいいただいている。
 朝晩、歯ごたえのある大豆の水煮を食べれるシアワセという形。
 なんとなんとささやかな定期便。でも、これが、意外と大きなウエイトを占めていて、冷凍庫にこの水煮大豆がないとなるとかなりなショックで、欲求不満になっちゃうんだ。

 夕方、仕事が終わって帰り道。夕食を食べて、早く、大豆の水煮を食べながらテレビをボーっとみたいなって思いながら家路に向かう私がいる。

 夫にも言う。私ってなんて効率のいい妻なんざんしょって。冷凍水煮大豆でストレス発散できちゃって、おまけにこの大豆だけで、一日のタンパク質の摂取の3分の2はまかなっちゃうので、あとは、から揚げ1個ですんじゃうから、食費もかかんない。50過ぎたら、そろそろ肝腎要の腎臓を守るお年頃に突入する。腎臓でタンパク質の産業廃棄物を処理するってかなり難易度の高いお仕事なので、タンパク質のとりすぎは、腎臓にすっごく負担となる。

 四男にメッセージつきちょこっとおやつを準備し始めて3日目。心なしか、くそばばぁという言葉が減ったような気がする。彼に、ほんわかワクワクな気持ちが宿っていることを願う。学校からの帰り道、「今日は、何のおやつかなぁ?何て書いてあるかなぁ?」っとうっすら思い浮かべてもらえたら御の字だ。

 先週の朝日新聞の土曜日版beに、自殺率の低い地域に行って、その違いを研究されて本にされた女医さんのお話が載っていて、へぇ~っと想定外の結果に驚いた。
 なんせ、自殺率のすごく高いわが町の施作をどうしたらいいか見当がつかず、頭を悩ませていたので、この結果には、そんなに頑張らなくてもいいかなって思わせるような意外性があってほっとした。でも、そうかもしれないって思った。
 調度いい人間関係。人と人の距離感。
 それが大事。
 自殺対策というと、どうしても地域のつながりとか絆を深めるとかいう言葉に落ち着く傾向があって、少し、?だった。
 それを、この記事は見事にくつがえしてくれた。
 まず、この地区の人達の「赤い羽根募金額」はこの町で最低だったそう。
 いいねぇ。

 密集した地域。なのに、あいさつを交わす程度の会話しかしない。
 これが、また、いい。
 「あの人があ~~~~だ、こ~~~~~~~~~だ。」などといううわさ話などあまりしない。

 きっと、これが、いいのだと思う。
 人は、人とのつながりがないと生きていけないけれど、このうわさ話の餌食になりたくないから人とつながれない。

 そして、この地域は、昔からよそ者が多かった。いろんな人が住んでいる。
 これも、大事。異文化の存在により、人は自分を客観的に見れるようになる。人を許せるようになる。異文化の割合が少ないと、異文化はいじめの対象となってしまうけれど、異文化だらけだとその弊害がなくなっていく。

 そして、そして、驚いたことに、うつ病の割合が多いのだそう。

 自殺対策で、まず、筆頭に上がるのがうつ病の方へのアプローチ。うつスクリーニングをわが町でも実施している。なのに、自殺率が極端に低いと言われるその地域は、うつ病で治療中の方がとても多いなんて・・・・。
 どういうこと?

 この地域には、「病は市に出せ」という諺があるという。そう。病気になったら、隠さず、早いうちに相談しよう。医者に診てもらおうというような。なるほど。わが町は、逆だ。恥の文化がすごい。だから、調子が悪くてもそう簡単には精神科に行かない。これが、いけないのだろうか。
 この地域は、他人の生活に深入りしない。あまり、うわさ話をしない。だから、隠そうとしない。でも、わが町は、ちがう。人のうわさ話が尾ひれを引いて大きくなる。「話半分」という諺みたいな言葉がある。人のうわさ話は、その半分くらいは本当だけれど、残りは尾ひれがついているから信じないように・・という感じ。
 自分が不幸だとうすうす感じている人ほど、人の不幸話が大好きな傾向にある。
 この地域の人は、自分が幸せだと感じている人の割合が少ない。かといって不幸だと感じている人の割合も少ないのだそう。可もなく不可もなく、ま、こんなもんか・・・というような中途半端な自分の置かれている状況を受け入れている。
 幸せを意識しすぎるから、不幸せなときより不幸せと感じやすい。

 赤い羽根募金の寄付額が一番少ない地域ってことは、世間体を気にして寄付をする人が少ないってこと?
 

 
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子宮頸がん予防ワクチンのその後

2014年09月10日 | エッセー
 9月5日の朝日新聞に、国立病院機構静岡てんかん・神経医療センター副院長が、子宮頸がんワクチン接種後の長期的な痛みや引き算ができなくなる、視野が狭くなる、自分の名前や母親がわからない、強い不安や恐怖感などの症状を訴えた32人の髄液と接種をしていな10~40代の女性の髄液を比較した結果についての記事があった。
 1月の時点では、厚労省は、『心身の反応』で接種との因果関係はないと言っていた。
 しかし、今回、明らかな根拠がわかった。髄液の中に、炎症を起こす様々な免疫活性物質や、白血球がつくられる複数の抗体が高い数値で検出されたという。炎症を起こす物質が異常に多いと痛みに過敏になるという海外の論文があり、接種後の痛みと関係あるかもとのこと。また、患者の髄液から検出されたものと同じ抗体をマウスの脳に投与したところ、量を増やすほど不安、恐怖の行動が強まったとのこと。 
 心因反応で片づけるのか・・・・とがっかりしていた。でも、今回、抗体が犯人らしいということが見えてきて、ほっとするとともに、やっぱりねって思てしまった。
 ありがとう。副院長先生。先生のお名前は、高橋幸利先生。

 厚労省(国)が、心因反応と出した結果に納得のいかない医師がいらして、科学的根拠できちんと物申してくださる方がいらして、それが、朝日新聞に掲載されるということが、実は、どれだけすごいことか、大変なことか・・・・。まだまだ、日本という国は捨てたもんじゃないと思った。

 この様々な抗体は、症状の出た人だけでなく、症状の出なかった人たちにも存在するのだろうか?
 子宮頸がんワクチンは、生ワクチンではなく、不活化ワクチン。アジュバンドという免疫増強剤を添加することにより、本来は5年くらいしかもたないものが、10年20年もつようになったという。免疫増強剤というと聞こえがいいけれど・・・・。

 この秋から、水ぼうそうの定期接種も始まる。もう、予防接種のてんこ盛り時代に突入した。
 もう、なにがなんだかわからない。私たちがそうなんだから、お母さんたちはもっとわけがわからないだろうなぁ。
 抗体が、体内に溢れる子どもたちは、大人になってどうなって行くのだろう?
 病気の形態も変わって行くのかなぁ?
 めぐるめぐるよ、時代はめぐる。

 いつの時代にも、静岡の国立病院の高橋先生のように、真実を突き止めんとする勇気ある人間が存在することを祈るのみ。
 
 
 
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コミカル新体操鹿児島実業の極意を見た

2014年09月06日 | エッセー
 動画再生数63万回という驚異的数字をたたき出しているという鹿児島実業の新体操部の演技と誰がこんな楽しくなる演技を考えるのだろうという視聴者の疑問に答えるという番組をやっているのを見た。
 数年前もエバンゲリオンの軽快な音楽に乗って、思わず笑っちゃうコミカルな演技を実際に見たことがあって、そうそう、ほんと、いったい誰が考案しているの?って思っていた。
 20年前、普通じゃ優勝できないとコミカル路線で行くことに決めた監督。そして、そのコミカル演技を発掘するシステム作り。今からの時代のマネージメントってこうなのかもって感動した。苦しいだけの演技ではない、心がウキウキワクワク、そして、人と人が知恵を出し合うとすごいんだというつながるという絆体験を、彼らは、鹿児島実業新体操部で、しっかり身に着けて社会に出る。それが、素晴らしいと羨ましかった。これを、きらきら眩しいと言わずして何という?
 監督を大笑いさせる(監督の心をつかむ)演技を部員に募集し、大うけしたら大会用の演技に採用されるというシステムで、あの魅力的な演技ができあがっていく・・・という。でも、採用されるのは、つまり、監督を大笑いさせる演技は、100のうちの一つ・あるかないか・・とかなりシビア。よって、部員たちは、新体操の技術に磨きをかける傍ら、監督に大笑いしてもらうべく、日々、知恵を出すことが生活習慣となり、コミカルな演技構成作りに励むことになる。日々、常に、意識して、何かいい方法はないかと模索する訓練をここで養うこととなる。で、新体操の良さは、一人でやるわけにはいかないということ。たいがい4人くらいいないとコミカル演技が成立しない。ということは、3人寄れば文殊の知恵、否、4人寄れば文殊の知恵で監督の心をぐっとつかむ作戦を練ることになる。いいなぁ~。これが、いい。一人ではなく、みんなで知恵を出し合うといそのプロセスにより、一人ではできないことも、みんなで知恵を出し合えば、なにかがひらめいてできることもあるのだという世界観をしっかりカラダに刻んで、彼らは、これから起こる波乱万丈な人生の航海に出航できる。人に裏切られることがあっても、すべての人を信じられないと嘆くような落ち込みを体験することもないと思う。
 実に、羨ましい。
 彼らは、いい師に出逢えて本当によかった。

 今からの時代、どんな職場もこんな風になっていったら、日本は発展するだろうなぁ。

 私の勤める“場”にも、ぜひ、このシステムを採用してほしい。職場改善について、鹿児島実業新体操部みたいにやっているところもあり、紹介されることもあるのに、なかなか実践してくれない。まぁ、上司のなかにもいろいろいらっしゃるので、保守的な人の出る杭は打つ・・・的な何かが行く手を阻んでいるのかなぁ。
 でも、最近は、40代のうつ病の増加だけではなく、若い世代の新型うつ病になる方も急増していて、実働人員の減少が、業務全体に悪影響を及ぼし始めて、不協和音が出始めていている。
 外からの風通しをよくして、鹿児島実業の新体操部のような職場になるよう、梶を切る時期に来ている・・・と感じる。
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会田誠展に行ってきた。

2014年09月02日 | エッセー
 なんかその世界では有名な人らしい。
 反戦とか平和とかの思いを芸術に昇華させていらっしゃる方なんだと思った。
 長男が、我が家は体験不足。もっと、いろいろ体験させて視野を広げてあげなきゃと、夏休み、四男をあっちこっちに連れて行ってくれた。その言葉がぐっときて、近場で世界を感じられれば・・・と会田誠さんという未知な方の個展に行ってきた。
 少女がお好きらしいなって、まず、感じた。
 最初の絵が、『切腹少女』と過激だった。
 韓国と日本の旗を持って振る美少女の絵は、何を言いたいのか。
 美しいとか感動とかという類いではなかったけれど、妙に余韻の残る個展だった。
 一番余韻が残ったブースは、自殺未遂器具の展示と会田誠氏がその器具を使った自殺未遂の瞬間を一瞬感じて未遂に終わらせるというプロモーションビデオが流れていたブースだった。
 ギュッと首を絞めつける感覚を一瞬感じたとたん、マジックテープの部分が体重の重みで外れて、床に落ちるようになっている手造りの自殺未遂器具。市販の腰にはめるバックなどをつなぎ合わせて作ったものだった。
 自殺って、いつも死にたいと思っていて、でも、勇気がなくて、でも、得体のしれない衝動というパワーに後押しされる瞬間があって、初めて、実行してしまうもののよう。その一瞬の衝動を乗り切れば、自殺という行為にまで至らないかもしれない。会田氏は、たぶん、それを自殺未遂器という形にしたのだと思った。一瞬だけど、本気で首を吊る感覚を体験するということの意味は大きいような気がする。その時、初めて味わう恐怖や生きたいという気持ちを体験できたら、もしかしたら、死ぬという衝動とはさよならできるかもしれない。衝動を阻止することができるかもしれない・と思った。
 年老いた末期がんの母親と二人暮らしのある男性が、母親に言えなかった、してあげれなかった後悔の念を話された。末期がんで死ぬとわかっているはずなのに、生きている間は、死ぬなんて現実味を帯びていなくて、言葉にして伝えなかったことを悔やんでも悔やんでも悔やみきれない後悔だけで、今を生きていらっしゃるようだった。
 元気な頃の母親が永遠に存在するというような甘い幻想の日々のなかで、ついつい言えずに歳月だけが過ぎてしまった。そして、気がついたら、息を引き取ってしまった。
 そして、目の前で母親が亡くなって、初めて、本当にもう、いないんだという実感が湧き上がってきた。でも、もう、遅い。
 人間、失って初めてわかる・・・・というか、初めて、感じる感覚ってある。ぶつからないとわからない・・というか。
 当事者になってみないとわからない感覚。
 想像していた自分とは違う自分が浮上してきて、自分でもどうすることもできない葛藤とはっけよいのこったをせざるを得ない苦しさを、初めて体験する。
 
 会田誠氏の作った自殺未遂器具は、失って初めてわかる自分のほんとうの感覚を強烈に浮上させるという力があるような気がした。ほっとするのか、死にたくないと叫ぶのか・・・・。

 会田誠展は、そういう意味でショックだった。
 美しいもの、心を洗ってくれるような作品に感動を覚えるもの。会田誠展は、そういう意味では感動しなかった。けれど、妙に、あとからあとから、あれやこれやの気持ちが湧いてくる。
 余韻個展だった。

 
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