同僚の息子が、「女の人の人のうわさ話は、時間の無駄だ。」とつぶやいたそうな。
まさに、男脳と女脳の違いを一言で表現した実に洗練された名言だと感心した。
そう。男脳は、自分に直接関係ない人の話にはてんで興味がわかないのだ。一方、女脳は、自分に直接関係なくっても人のうわさ話を聞くとなんだかワクワクしてしまうものなの。多分、羨ましいことだったら、悔しい・・・と妬み、かわいそうなことだったら、同情してほっとする・・・・みたいな。自分が、人の幸不幸で幸不幸になるのかなぁ。一方の男性は、人と比較して自分の現在地を知るというのではなく、自分のしたいことで自分の現在地を知る・・・・?
しかし、時間の無駄だと心底思う男脳って羨ましい。
やはり、この世の中、男も女も必要だ。
女ばっかりだったら・・・と想像するだけで、ぞっとする。
男って、いつまでたってもお子ちゃまって感じることも多い。結婚して、男って心の成長よりも目の前の興味で生きている感が強いので、父親としての存在より、いい大人が子どもよりも子どもだって感じるときに、がっくりくることも多々ある。
でも、人のうわさ話をしないというその一点で、妻のうわさ話の抑止力として機能し、家の外に拡散しにくい=世間の目という視力を弱めてくれるというメリットがある。これが、地域(世間体)の目を優しいものにしてくれるような気がする。
ま、男って、テレビのニュースを酒の肴に批判ばっかりして、そんな自分と関係ない、それもいきなり世界の政治に自分も参加しているような口ぶりにアホクサって思うことも多いけれど、ご近所のうわさ話や悪口よりもはるかにましかもしれない・・・・かな。男も女もうわさ話が好きだったら、この世は地獄だ。世間体という目に縛られて身動きできなくなる。
女性は精神的な成長を人生の目標とする生き物だけれど、男性は、好きなことをするという生き物。だから、結婚するとその成長しない精神性にげんなりしちゃう・・・・場合が多い。そうでないステキな紳士的な父親としても子どもを大人にさせてくれるような存在であるという男性も時にはいらっしゃる。でも、どっちかというと、子どもが大人になったようなタイプが多いんじゃないかな?
ただ、女性は精神的成長を意識して生活をするという目標を見失った場合、女性はうわさ話や人の悪口の方に引きずられやすいという欠点がある。
今の生活(既婚者だったらパートナー)に欲求不満な人ほど、他人のことに口を出したくなるらしい。
本当は、今の生活に不満なのではなく、今の自分に不満なのだと思うけれど・・・・・。
そこで、前回の自殺率がひときわ低い地域の話に戻ると、集合地域にもかかわらず、あいさつ程度の関わりでいられるってことは、つまり、妻がそんなに不幸だと思っていないんじゃないかなぁ。多分、夫とまぁまぁのコミュニケーションを取れている、だから、うわさ話をしないですむってことなんじゃないかなぁって思った。わが街は自殺率が非常に高い。夫は亭主関白で苦虫をかみつぶしたような顔をしている。妻は、怖くて言いたいことを我慢し続けている。世間体が気になって恥をかきたくない思いも強い。
自殺率は、夫婦のコミュニケーション能力と相関関係があるかもしれない。それが、人と人との調度いい距離感を形作っていく基盤となる。
人と人との調度いい距離感・・・それが大事。
でもね。
この距離感は、講習会を受けたから、すぐ身に着けられるというようなものではない。
大人になってから身に着けるのは、かなり難易度が高い。困難に近い・・・・かも。
子どもたちは、小さい頃より、この距離感を肌で感じて育っていく。
この人と人との微妙な距離感は、日々の生活の中でカラダにしみ通っていくもんなんだと思う。ローマは、一日にして成らず。人と人との絶妙な距離感も一日にして成らず。
とは言いながら、この調度いい距離感を子どもたちに日々の生活の中で感じてもらう見本となっているか?と問うと、『残念・無念』の一言。
夫を見ていると、全然だ。他人との距離感がめちゃくちゃだ。多分、そのせいで、人を信じることができなくなって、一人がいいっていきがっている。
勝手によかれとおもってやったことを認めてもらえなかったり、裏切られたり・・・という体験が気持ちのジェットコースターのように大きく揺れ動く。それに耐えられない。だから、一人がいい・・・という。でも、本当はさびしがり屋なので、ひとりはきつい。誰か話し相手がほしい。理解しあえる仲間がほしい。
他人との距離が近すぎたり遠すぎたり・・・・調度いいところで人間関係の距離を取れないので、苦しそう。
育ちは思いのほか私たちの人生に影響する。
私が、いくら、子育てに心を込めても、夫との関係性がこんなだと、子どもたちに人と人との調度いい距離感を感じてもらうことも厳しい。
でも、ここであきらめるのも悔しい。
コミュニケーション能力の貧困な近すぎたり遠すぎたり・・と距離感の微調整のできない夫と結婚してしまった私の人生の課題だ。マイナスの環境でもそれをプラスにせんとすることこそ、実は、人生の醍醐味なのかもしれない・・・と自分に言い聞かせ、ない頭をひねって、距離感へたくそ人間との調度いい距離感のとり方にチャレンジするぞ!と心に誓った。
ちょっと、遅すぎたけれど・・・。
自殺対策って、ひょっとして、距離感微調整役の妻力磨きがカギってこと?
さしあたって、婚活で長野県の女性をわが町に呼ぶ事業を展開するか、もしくは、わが町の女性をしばらく長野県のご家庭にホームステイさせていただいて、その距離感を体験していただくか。長野県の女性は、わが町の亭主関白むすっと男に魅力なんか感じないだろうから、やっぱ、ホームステイかな?
でも、ミイラ取りがミイラになって、長野県の男性のコミュニケーション力の豊かさに魅了され、わが町の女性が長野県に嫁いでしまったらどうしよう。
(長野県は、離婚率が日本で一番低いのだそう)
長野県でなければ、奈良県かな?奈良県は日本で自殺率が一番低いので。
まさに、男脳と女脳の違いを一言で表現した実に洗練された名言だと感心した。
そう。男脳は、自分に直接関係ない人の話にはてんで興味がわかないのだ。一方、女脳は、自分に直接関係なくっても人のうわさ話を聞くとなんだかワクワクしてしまうものなの。多分、羨ましいことだったら、悔しい・・・と妬み、かわいそうなことだったら、同情してほっとする・・・・みたいな。自分が、人の幸不幸で幸不幸になるのかなぁ。一方の男性は、人と比較して自分の現在地を知るというのではなく、自分のしたいことで自分の現在地を知る・・・・?
しかし、時間の無駄だと心底思う男脳って羨ましい。
やはり、この世の中、男も女も必要だ。
女ばっかりだったら・・・と想像するだけで、ぞっとする。
男って、いつまでたってもお子ちゃまって感じることも多い。結婚して、男って心の成長よりも目の前の興味で生きている感が強いので、父親としての存在より、いい大人が子どもよりも子どもだって感じるときに、がっくりくることも多々ある。
でも、人のうわさ話をしないというその一点で、妻のうわさ話の抑止力として機能し、家の外に拡散しにくい=世間の目という視力を弱めてくれるというメリットがある。これが、地域(世間体)の目を優しいものにしてくれるような気がする。
ま、男って、テレビのニュースを酒の肴に批判ばっかりして、そんな自分と関係ない、それもいきなり世界の政治に自分も参加しているような口ぶりにアホクサって思うことも多いけれど、ご近所のうわさ話や悪口よりもはるかにましかもしれない・・・・かな。男も女もうわさ話が好きだったら、この世は地獄だ。世間体という目に縛られて身動きできなくなる。
女性は精神的な成長を人生の目標とする生き物だけれど、男性は、好きなことをするという生き物。だから、結婚するとその成長しない精神性にげんなりしちゃう・・・・場合が多い。そうでないステキな紳士的な父親としても子どもを大人にさせてくれるような存在であるという男性も時にはいらっしゃる。でも、どっちかというと、子どもが大人になったようなタイプが多いんじゃないかな?
ただ、女性は精神的成長を意識して生活をするという目標を見失った場合、女性はうわさ話や人の悪口の方に引きずられやすいという欠点がある。
今の生活(既婚者だったらパートナー)に欲求不満な人ほど、他人のことに口を出したくなるらしい。
本当は、今の生活に不満なのではなく、今の自分に不満なのだと思うけれど・・・・・。
そこで、前回の自殺率がひときわ低い地域の話に戻ると、集合地域にもかかわらず、あいさつ程度の関わりでいられるってことは、つまり、妻がそんなに不幸だと思っていないんじゃないかなぁ。多分、夫とまぁまぁのコミュニケーションを取れている、だから、うわさ話をしないですむってことなんじゃないかなぁって思った。わが街は自殺率が非常に高い。夫は亭主関白で苦虫をかみつぶしたような顔をしている。妻は、怖くて言いたいことを我慢し続けている。世間体が気になって恥をかきたくない思いも強い。
自殺率は、夫婦のコミュニケーション能力と相関関係があるかもしれない。それが、人と人との調度いい距離感を形作っていく基盤となる。
人と人との調度いい距離感・・・それが大事。
でもね。
この距離感は、講習会を受けたから、すぐ身に着けられるというようなものではない。
大人になってから身に着けるのは、かなり難易度が高い。困難に近い・・・・かも。
子どもたちは、小さい頃より、この距離感を肌で感じて育っていく。
この人と人との微妙な距離感は、日々の生活の中でカラダにしみ通っていくもんなんだと思う。ローマは、一日にして成らず。人と人との絶妙な距離感も一日にして成らず。
とは言いながら、この調度いい距離感を子どもたちに日々の生活の中で感じてもらう見本となっているか?と問うと、『残念・無念』の一言。
夫を見ていると、全然だ。他人との距離感がめちゃくちゃだ。多分、そのせいで、人を信じることができなくなって、一人がいいっていきがっている。
勝手によかれとおもってやったことを認めてもらえなかったり、裏切られたり・・・という体験が気持ちのジェットコースターのように大きく揺れ動く。それに耐えられない。だから、一人がいい・・・という。でも、本当はさびしがり屋なので、ひとりはきつい。誰か話し相手がほしい。理解しあえる仲間がほしい。
他人との距離が近すぎたり遠すぎたり・・・・調度いいところで人間関係の距離を取れないので、苦しそう。
育ちは思いのほか私たちの人生に影響する。
私が、いくら、子育てに心を込めても、夫との関係性がこんなだと、子どもたちに人と人との調度いい距離感を感じてもらうことも厳しい。
でも、ここであきらめるのも悔しい。
コミュニケーション能力の貧困な近すぎたり遠すぎたり・・と距離感の微調整のできない夫と結婚してしまった私の人生の課題だ。マイナスの環境でもそれをプラスにせんとすることこそ、実は、人生の醍醐味なのかもしれない・・・と自分に言い聞かせ、ない頭をひねって、距離感へたくそ人間との調度いい距離感のとり方にチャレンジするぞ!と心に誓った。
ちょっと、遅すぎたけれど・・・。
自殺対策って、ひょっとして、距離感微調整役の妻力磨きがカギってこと?
さしあたって、婚活で長野県の女性をわが町に呼ぶ事業を展開するか、もしくは、わが町の女性をしばらく長野県のご家庭にホームステイさせていただいて、その距離感を体験していただくか。長野県の女性は、わが町の亭主関白むすっと男に魅力なんか感じないだろうから、やっぱ、ホームステイかな?
でも、ミイラ取りがミイラになって、長野県の男性のコミュニケーション力の豊かさに魅了され、わが町の女性が長野県に嫁いでしまったらどうしよう。
(長野県は、離婚率が日本で一番低いのだそう)
長野県でなければ、奈良県かな?奈良県は日本で自殺率が一番低いので。