決めた。
私の残りの人生の目標は、『夫よりわがままになる。』
普通のわがままではないからね。
夫は、結婚してほとんど家事育児に携わってこなかった・・・し、10年くらい働かなかった。その間、彼の年金や保険料も私が払っていた。子どもの学資保険もいつの間にか使い込んでいたし、何より、キレキャラで、時々、桜島のように噴火していた。
めちゃくちゃ、最悪。
それもこれも、私が、わがままと縁遠かったせいだ。
そう。
自分を大切にする=わがままになる
という人生で一番大切な公式を知らなかった私に、神さまが、これでもかこれでもかと超わがままな人間を私の元に送って来たのに、私が一向に気づかないから、最近、最終兵器三男が、神さまから送られてきた。
夫よりわがままになるとはっきりと意識させてくれたのは、三男。
ほんの少し前まで、『なんで、私のまわりには、自己チュー人間ばっかり集まってくるんだろう?』って、マジ、ため息をついていた。
本当に、私に近いしい人間は、【自分は正しい、あなたは間違っている】人間や【白か黒か、あるいは、0か100か】人間ばっかり。遠ざけたいけれど、遠ざけられない理由があるから、逃げられない。
でも、自分を大切にするために、『夫よりわがままになる』とがっつり意識したとたん、あ~~~、全部、私が私を本当に大切に生きるための伏線だったと思えるようになった。
今までは、白黒思考の人とか自分の正義を疑わず、罪悪感ももたないで責めてくる人たちに絡まれてしんどい時は、『あ~~、かわいそうな人ね。』とあえて思い込もうとすることで、どうにか、傷つかないように『かわいそうな人。かわいそうな人。かわいそうな人・・・。』と念仏がごとく唱えてた。
でも、今は、違う。
神さまが、もっとわがままになりなさいというメッセンジャーとして、私の元にやってきているんだと、本当にそう思えるようになった。
思い起こせば、小学校入学と同時に、私は、『わがまま』という言葉を飲み込む人生をスタートさせたみたいだ。
幼稚園時代は、美空ひばりではないけれど、りんご箱の上に乗って、近所のおじさんおばさんの前で歌を歌ったり踊ったりするのが大好きな子だった。
無邪気なこどもだった。
ただ、お昼寝ができないという苦痛から、保育園はイヤだ幼稚園がいいと母に訴え、幼稚園に通ったので、ナイーブな一面もあったのかもしれない。
そんな無邪気だった私は、小学校入学と同時に突然、無邪気さを封印させられた。今まで、遊ぶことが日課だったのに、入学と同時に、みな椅子に張り付けの刑がごとく座らされるのだ。しかも、一方通行の先生の話を聞かないといけない。時間割がしっかりあって、選ぶこともできない。受動的人間養成機関、それが学校だった。おまけに、お医者さんの子や社長の子に忖度する先生のクラスの一員とならされて、私の無邪気な心は、一気に意気消沈してしまった。社長の娘はドン化し、総すかんのいじめにもあったし。
無邪気が一気に吹き飛んで、邪気の温床となっていった。
おまけに、母は、私が自己主張をほんの少ししただけでしゅんとなる、いわゆるぶりっ子だった。
母の1回のしゅんで、もう、何も言い返せなくなった。
思春期という自分を大切にするためになんて本人はさらさら意識なんてしていない、でも、実はめちゃくちゃ自分を大切にしているという超自己チュー期
超わがまま期という正常な発達が、なぜか、私には訪れなかった。
母のしゅんは、私の正常な思春期の発達障害の一因となった。
母のしゅんがなければ、私は、もっと、しっかりと反抗期という正常な発達をクリアし、わがままという人生で一番大切な切符を手にすることができたと思う。
思春期に、カラダを張って、全身全霊で訴えるってことが、脱皮するためには、めちゃくちゃ重要なのに。我を忘れて、感情のコントロールもすっかりとっぱらって、いい子なんかくそくらえってなって、ギャーって叫ぶことが、どれだけ、自分を大切にしているかって証なのに。
母のしゅんがなければ、こんなにいっぱい超自己チューな人間たちが私に絡んでこなかっただろう。
超自己チューな大人人間は、鼻をクンクンさせて、超わがままを許してくれるような自分を大切にしない人間を無意識に探しているんだと今ならわかる。自分は正しいという正義の剣を振りかざして、快感を感じるというストレス発散の対象がないと生きていけないから。
子育て論諸説ある。
今、私の思う子育て論は
思春期までは、わがままに。
もちろん、最低限、生活リズムと交通事故と目に余る迷惑には配慮して。
相対性理論 わがまま編
子ども時代わがままをいっぱい言えた人は、大人になって周りに超自己チューわがまま人間が寄ってこない。
でも、子ども時代、我慢していた人には、大人になって超自己チューわがまま人間が絡んでくる。
でもって、我慢の限界を突破できた暁には、そんな超自己チューわがまま人間くそくらえ~~ってなれて、わがまま人間にやっとなれる・・・はず。
もう、我慢をやめよう。
残りの人生。
自分を大切にしたいよ。
20年くらい前に行った、女子高校生との小グループインタビューをいつも思い出す。
それまで、下にジャージを着ていたとしても、パンツ見えるんじゃない?って感じで座っていた子は、『自分にとって大切な人は誰ですか?』という質問の後、予定していた質問ではなかったけれど、つい『じゃぁ、自分を大切にするってどういうこと?』って、ぽろっと私の口から出てしまった質問をしてしまった。誰も言葉にはしなかったけれど、一瞬で、真剣な空気感にその場が変ったと感じた。そして、私は、一人ひとりに、言葉はなくても一生懸命言葉を探しているように感じて、『ありがとう』とお礼を言いながら、一巡した。
ハッとした。
なんとなんと、みな、正座しているではないか。
あの時の衝撃は今も忘れられない。
でも、なんのことはない。
それは、私が私に向けた質問だったのだ。
そして、あれから、20年の歳月が流れた。
この20年、一体私はなにをしてきたのだろう。
我慢ばっかじゃん。
そんなんじゃ、幸せなんてめぐってこない。
超おくればせながら、今、やっと、自分を大切にすることは、わがままになるってことだと私の魂に刻まれた。
夫よりわがままになる。
もちろん、夫よりわがままになれるわけはない。ありえないわがままレベルだから。
ただ、わがままになるだけでは抽象的なので、夫よりわがままになるという大目標を掲げることで、小目標の達成度があがるはず。
夫が先に逝って、羽を伸ばせて幸せそうなシングルババの気持ちがよ~~~くわかる。
ということで、早速、やりたいと思ったことを一つやってきた。
おとといと昨日、福岡で開催されたスロージョギングベーシックコース講習会に行ってきた。