総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

どうせ走るならスロージョギング

2023年09月30日 | エッセー
 福岡で年1回しか開催されないスロージョギング講習会ベーシックコースを受講してきた。
 今まで、6年間走って来たおさらいみたいなもので、しっかりテストも受けた。合格の是非はまだ・・・。
 このコースが合格すると、スロージョギング講習会のお手伝いができる資格をとれ、お手伝いを6回くらいすると、教えることの出来る資格を取れる講習会の参加資格をゲットできるという仕組み。
 足の速い人も遅い人も体力のある人もない人も、①つま先から降りる②一分間に180回ステップを踏む③にこにこペースで
 が基本。
 体力のある人は大股で180回、ない人はトコトコと小股で180回。
 にこにこペースとは、ルンルンペースよりは強く、少しきついなと感じるペースよりは弱く・・・くらい。
 改めて、180刻むということの重要性を再認識できてよかった。
 80過ぎのおじいちゃん曰く、メトロノーム機能のアプリを180にして走っている。よろよろとよろめいたときも、1分間180刻みのメトロノームの音を聞くと立て直すことができるとおっしゃっていた。
 1分間180ステップを刻むって、案外、小走りになる。

 ところで、会場に、走りのプロみたいな男性が3人ほど参加されていた。世の中にはいろんな競技があるんだなって思った。
 一人は、2014年から21019年まで、24時間でどこまで走れるかという競技の日本代表をされていた方だった。
 一人は、沖縄の大会で優勝した方?
 そして、もう一人が、スロージョギングを作り上げた福岡大学の故田中教授のもとで、マラソンをやってこられた方で、オランダかどこかの世界大会で優勝されたこともあるという方であった。
  故田中教授の元でマラソンをされていたと言っても、若い。若さゆえに、いざ、レースとなると、どうして飛ばしてしまい、30キロ地点で急降下することの連続だったそう。そんな中、意を決して、ニコニコペース、1分間に180回のステップという基本に返って走ったのが、挑戦したオランダでの世界大会。
 その時は、30キロ地点でも全然大丈夫だったそう。
 
 そんな選手と同じ場で講習を受ける私はというと、走るの大嫌い。体力ない。しんどい。
 ニコニコペースで1分間180のステップを踏むという条件で、最大酸素摂取量と歩幅は相関関係があるようで、歩幅が大きくなるごとに最大酸素摂取量が増えているということになるそう。

 走るのがしんどいという人は、それだけ最大酸素摂取量が少ないというわけ。体力とは最大酸素摂取量のこと。
 スロージョギングを始めたばかりの頃の私は、80歳くらいの最大酸素摂取量だったと思う。昼間もなんとかデスクに座ってお仕事をしていたけれど、叶うなら横になりたいって感じだった。
 今は、70歳くらいか?
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人生の最終目標!

2023年09月16日 | エッセー
 決めた。
 私の残りの人生の目標は、『夫よりわがままになる。』
 普通のわがままではないからね。
 夫は、結婚してほとんど家事育児に携わってこなかった・・・し、10年くらい働かなかった。その間、彼の年金や保険料も私が払っていた。子どもの学資保険もいつの間にか使い込んでいたし、何より、キレキャラで、時々、桜島のように噴火していた。

 めちゃくちゃ、最悪。

 それもこれも、私が、わがままと縁遠かったせいだ。
 そう。 
 自分を大切にする=わがままになる
 という人生で一番大切な公式を知らなかった私に、神さまが、これでもかこれでもかと超わがままな人間を私の元に送って来たのに、私が一向に気づかないから、最近、最終兵器三男が、神さまから送られてきた。
 夫よりわがままになるとはっきりと意識させてくれたのは、三男。

 ほんの少し前まで、『なんで、私のまわりには、自己チュー人間ばっかり集まってくるんだろう?』って、マジ、ため息をついていた。
 本当に、私に近いしい人間は、【自分は正しい、あなたは間違っている】人間や【白か黒か、あるいは、0か100か】人間ばっかり。遠ざけたいけれど、遠ざけられない理由があるから、逃げられない。
 
 でも、自分を大切にするために、『夫よりわがままになる』とがっつり意識したとたん、あ~~~、全部、私が私を本当に大切に生きるための伏線だったと思えるようになった。
 今までは、白黒思考の人とか自分の正義を疑わず、罪悪感ももたないで責めてくる人たちに絡まれてしんどい時は、『あ~~、かわいそうな人ね。』とあえて思い込もうとすることで、どうにか、傷つかないように『かわいそうな人。かわいそうな人。かわいそうな人・・・。』と念仏がごとく唱えてた。
 でも、今は、違う。
 神さまが、もっとわがままになりなさいというメッセンジャーとして、私の元にやってきているんだと、本当にそう思えるようになった。

 思い起こせば、小学校入学と同時に、私は、『わがまま』という言葉を飲み込む人生をスタートさせたみたいだ。
 幼稚園時代は、美空ひばりではないけれど、りんご箱の上に乗って、近所のおじさんおばさんの前で歌を歌ったり踊ったりするのが大好きな子だった。
 無邪気なこどもだった。
 ただ、お昼寝ができないという苦痛から、保育園はイヤだ幼稚園がいいと母に訴え、幼稚園に通ったので、ナイーブな一面もあったのかもしれない。
 そんな無邪気だった私は、小学校入学と同時に突然、無邪気さを封印させられた。今まで、遊ぶことが日課だったのに、入学と同時に、みな椅子に張り付けの刑がごとく座らされるのだ。しかも、一方通行の先生の話を聞かないといけない。時間割がしっかりあって、選ぶこともできない。受動的人間養成機関、それが学校だった。おまけに、お医者さんの子や社長の子に忖度する先生のクラスの一員とならされて、私の無邪気な心は、一気に意気消沈してしまった。社長の娘はドン化し、総すかんのいじめにもあったし。
 無邪気が一気に吹き飛んで、邪気の温床となっていった。
 おまけに、母は、私が自己主張をほんの少ししただけでしゅんとなる、いわゆるぶりっ子だった。
 母の1回のしゅんで、もう、何も言い返せなくなった。
 思春期という自分を大切にするためになんて本人はさらさら意識なんてしていない、でも、実はめちゃくちゃ自分を大切にしているという超自己チュー期
超わがまま期という正常な発達が、なぜか、私には訪れなかった。
 母のしゅんは、私の正常な思春期の発達障害の一因となった。
 母のしゅんがなければ、私は、もっと、しっかりと反抗期という正常な発達をクリアし、わがままという人生で一番大切な切符を手にすることができたと思う。
 思春期に、カラダを張って、全身全霊で訴えるってことが、脱皮するためには、めちゃくちゃ重要なのに。我を忘れて、感情のコントロールもすっかりとっぱらって、いい子なんかくそくらえってなって、ギャーって叫ぶことが、どれだけ、自分を大切にしているかって証なのに。
 母のしゅんがなければ、こんなにいっぱい超自己チューな人間たちが私に絡んでこなかっただろう。
 超自己チューな大人人間は、鼻をクンクンさせて、超わがままを許してくれるような自分を大切にしない人間を無意識に探しているんだと今ならわかる。自分は正しいという正義の剣を振りかざして、快感を感じるというストレス発散の対象がないと生きていけないから。

 子育て論諸説ある。
 今、私の思う子育て論は
 思春期までは、わがままに。
 もちろん、最低限、生活リズムと交通事故と目に余る迷惑には配慮して。

 相対性理論 わがまま編
 子ども時代わがままをいっぱい言えた人は、大人になって周りに超自己チューわがまま人間が寄ってこない。
 でも、子ども時代、我慢していた人には、大人になって超自己チューわがまま人間が絡んでくる。
 でもって、我慢の限界を突破できた暁には、そんな超自己チューわがまま人間くそくらえ~~ってなれて、わがまま人間にやっとなれる・・・はず。

 もう、我慢をやめよう。
 残りの人生。
 自分を大切にしたいよ。


 20年くらい前に行った、女子高校生との小グループインタビューをいつも思い出す。
   それまで、下にジャージを着ていたとしても、パンツ見えるんじゃない?って感じで座っていた子は、『自分にとって大切な人は誰ですか?』という質問の後、予定していた質問ではなかったけれど、つい『じゃぁ、自分を大切にするってどういうこと?』って、ぽろっと私の口から出てしまった質問をしてしまった。誰も言葉にはしなかったけれど、一瞬で、真剣な空気感にその場が変ったと感じた。そして、私は、一人ひとりに、言葉はなくても一生懸命言葉を探しているように感じて、『ありがとう』とお礼を言いながら、一巡した。
 ハッとした。
 なんとなんと、みな、正座しているではないか。

 あの時の衝撃は今も忘れられない。

 でも、なんのことはない。
 それは、私が私に向けた質問だったのだ。
 そして、あれから、20年の歳月が流れた。
 この20年、一体私はなにをしてきたのだろう。
 我慢ばっかじゃん。
 そんなんじゃ、幸せなんてめぐってこない。

 超おくればせながら、今、やっと、自分を大切にすることは、わがままになるってことだと私の魂に刻まれた。
 夫よりわがままになる。
 もちろん、夫よりわがままになれるわけはない。ありえないわがままレベルだから。
 ただ、わがままになるだけでは抽象的なので、夫よりわがままになるという大目標を掲げることで、小目標の達成度があがるはず。

 夫が先に逝って、羽を伸ばせて幸せそうなシングルババの気持ちがよ~~~くわかる。

 ということで、早速、やりたいと思ったことを一つやってきた。
 おとといと昨日、福岡で開催されたスロージョギングベーシックコース講習会に行ってきた。
 
 
 
 
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わがままこそ、おそらく人生の原点

2023年09月10日 | エッセー
 『自分を大切にするってどういうこと?』
 と、20年ほど前、地元の高校生女子6人にグループインタビューした時の衝撃は今も忘れられない。
 母子保健計画のアンケートを作成するために、実際の高校生の生の声を聞かせてもらうため、グループインタビューをした。
 もちろん、いきなり、自分を大切にするってどういうことなんていう真剣な質問をしたわけではない。というか、事前にスタッフで検討した質問項目には、入っていなかった。朝ご飯は食べた?とか便は毎日出る?とかいくつか聞いて、自分にとって大切な人は誰?という質問をした後に、私の口から、ふと、その言葉が出てきたのだ。
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無料と税金

2023年09月09日 | エッセー
  先日、テレビで作家の西加奈子さんが、自身の乳がん体験をお話しされていた。『くもをさがす』という著書も出されいて好評とのこと。
 ぶったまげた。
 カナダの病院で手術をされたとのことであったが、遺伝検査で反対側の乳房も87%がんになるかもということで、両方の乳房を一度に切除するという大変な手術を選択された。
 12時半に手術が開始され、15時半に終了し17時半に、なんとなんと退院させられたというではないか。ドレナージには切断した部分からの出血が・・・。家で自分で処理する方法を事前にレクチャーはされたとのことだが、えーーーー、それ看護師さんでも大変な処置なんじゃない?ってびっくり。
 麻酔もやっと切れたかどうかでフラフラな状態で、帰路についたとのことであった。
 アンビリーバブル!!
 日本では、どれくらい入院するんだろ?
 カナダは、イギリスと同じような医療制度らしい。
 つまり、無料。
 国民の税金で賄っている。
 まぜ、大手術当日に退院させられるのか?
 それは、無料を維持するため。
 日本は医療費が上がれば保険税も上がってくる。
 保険税を払うのも一苦労だ。
 20代の息子が、3年で仕事を辞め、今、失業中なので国保税を払っていて、死にそうだ。去年の所得から計算されているので、月3万の請求が来て、失業保険の身なのに、残酷だと嘆いている。
 高価なお薬が承認されるとありがたいけれど、承認されるたびに、国民の首は真綿のようにじわじわと絞められていく。
 治る薬だけに絞ってほしい。
 誤魔化すだけのお薬は、簡単には出さないでほしい。
 おそらくカナダは、保険税は上げないで、国民が無料で医療を受けられる体制を維持するぞという強い理念があるのではないだろうか。
 低所得者から保険税をつるし上げないよう、そのためには、自分でできることはできるだけ自分でやってくださいと・・。かなりの努力を国民に敷いているかもしれない。
 まぁ、いくらなんでも手術当日の退院はアンビリーバブルだけれど、その本気度には頭が下がる。
 私たちはうっすらと気づいている。
 このままだと、自分たちは、医療保険税を支払えなくなるかもしれない。介護保険も破城して、自分たちは姥捨て山行きかもしれない・・・と。
 カナダは、この今あるお金で、国民全員に高度な医療を無料できちんと届ける。だから、あなたたち国民もできることはやってね!という医療制度。日本は、高度な医療制度を潤沢に届けるので、私たちの言うとおりに依存してもいいよ、でも、その代わり、医療保険税は値上げするね!という制度。
 選べたらいい。
 私は、後者を選ぶ。
 
 
 
 
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薬で誤魔化し

2023年09月03日 | エッセー
 薬で誤魔化しても治らない。
 とある 本に書いてあった。
 そうか、薬って誤魔化しか・・・。
 もちろん、急性期の疾患や事故などでのけがのときは、薬が大活躍する。
 でも、慢性的な病気になるとほぼ薬は誤魔化し役かもしれない。
 糖尿病のお薬は、血糖値を下げるけれど糖尿病を治しはしない。治すには、本人が本気になって食事や運動など自分のカラダを本気になって大切にするという覚悟と継続する力が必要となってくる。
 本気で自分のカラダを大切にしようという気づきのために、本当は人間ドックなどあってほしい。

 あ~~~、私って、今まで自分の欲求に負けてついつい食べ過ぎて、私のカラダを酷使してきたなぁ。ごめんね。今からは、もう少し、自分のこのカラダを労わるね。

 くらいでは、継続できない。
 本当は、自分の欲求に負けてしまうほどのストレスがあるから、たくさん糖と脂を摂ってしまう。
 なぜ、ストレスはどこから来るのかと言うと、おそらく、小さい頃からわがままできなかったから。
 子ども時代めいっぱいわがままが許された子どもは、幸せな大人になれると思う。ストレス発散のために、糖と脂をめいっぱい食べたいって思わない。おそらく。
 だって、子ども時代、ちゃんと自分を(自分のココロを)大切にしてこれたから。
 99.9%の人は、子ども時代、わがままに育てられていないと思う。
 私の場合、おもしろくもない授業を45分椅子に座って聞いているふりをしないといけないという苦行があった。授業が面白いと思ったことは、高校の生物の授業と看護学校の皮膚科の先生の授業と保健師学校のグループワークくらい。
 受験も苦行。
 皮肉なことに落っこちたらどうしようという恐怖感だけがモチベーションになって好きでもない勉強をしていた。
 母親は、ちょっと反抗しただけでシュンとなるから、発散できなかったし。

 慢性的な病気になるのは、子ども時代自分のココロを大切にできなかった、つまり、わがままな子ども時代を過ごせなかったつけだ。
 だから、そんな自分のココロを大切にすることを封印して忘れてしまった大人になると、封印することが苦しくなって、自分の目先の欲求を叶えることでストレス発散して誤魔化して、それなりに生きていくのかもしれない。
 その誤魔化しが、今度は災いして、自分のカラダを蝕んでいく。その蝕んだカラダをまた、薬で誤魔化す。

 日常の何気ないことに幸せを感じられるようになったら、自分のココロを大切にしているってことかもしれない。
 今日もぐっすり眠れたとか今日も生きているとか今日も朝食を美味しく食べれたとか今日も子どもたちが元気に保育園に行けたとか・・・。

 何か目標を達成したら、幸せになれるという思考の呪縛にあまりにも洗脳されすぎたかなぁ。




























 
































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更年期過ぎたら、大の字に寝よう!

2023年09月02日 | エッセー
 寝ている間の噛みしめから来る早朝の尋常ではない首と肩の凝り(特に左側)から、例のくるくるバスタオル首下枕のおかげで7割がた凝り感が減ったと書いた。
 ところが、どっこい。
 先週の土曜日の朝、右肘が腱鞘炎?というような状況に陥ってしまった。ちょうどその日は、テレビから、大谷選手の右肘の痛みで投手としてはお休みに入るというような報道が流れていたので、負荷のかけ方は天地の差だけど、同じ?ヤバい?ってなった。
 ただ、ネットで調べてみたら、噛みしめの圧力は、相当なので、まんざら、大谷選手の負荷と変わらないかもしれない。
 正常なかみ合わせの人は、食事以外で一日に30分くらいしか上の奥歯と下の奥歯はくっついていない。つまり、ほとんどの人は普段上の奥歯と下の奥歯は離れているのだそう。なので、普段から、上と下の歯がくっついているような人は、微圧ながらそれが長年続くと悪影響を及ぼすようになるらしい。歯の矯正は、その微圧をいいように活用した治療法だ。
 そして恐ろしいことに、寝ている間の噛みしめの圧は、その一日30分の歯と歯がくっついている微圧✖一生分くらいの圧を一晩で使い果たすくらいすごいらしい。
 尋常ではない圧だ。
 あごの力だけではそこまでの圧を出せない。
 だから、肩とか首とか握力とか上半身の筋肉を総動員して噛みしめていたのではないか。
 ところで、私の不調は、すべて右側だ。
 おそらく、右だけで片噛みしていた年月の長さが発端で、おそらく、肝臓が病気ではないけれど芳しくなく、腎臓も背中から押すと右側に圧痛があった。右の内臓が元気がないので、しっかり背骨を支えてもらえず、左右のバランスが崩れ、右股関節にそのしわ寄せがきて、6年前、右股関節の痛みでトイレまでも行けないくらいな状態になった。
 歯も右奥歯が擦り切れているので、今度、マウスピースを作ることになっている。

 で、なぜ、大の字に寝よう!なのか。
 右肘は何もしなければ痛くない。でも、力を入れると痛いので力を入れられない。包丁も皮むきレベルならどうにか大丈夫だけど、ぐっと力を入れて刻むときは左手を添えないと刻めなかった。
 
 なぜ?

 ふと、もしかしたら?と思い当たることが浮かんできた。

 
 私は、布団を右の壁にくっつけて寝ていた。
 早朝の無意識の世界での噛みしめの最中、上半身の筋肉を総動員したいのに、右側の壁が右腕の動きを邪魔してしまい、右腕をまっすぐではなく曲げた形でギューっとしてしまったせいかもしれないと直感した。
 で、その日は、布団を真ん中に置いて寝てみた。
 ついでに、大の字で筋肉をゆるめるようなイメージで寝てみた。

 朝、右腕の違和感は消失していた。
 やっぱりそうかと一人で納得。
 
 若い頃は、平気。
 でも、更年期を過ぎたら、大の字で寝てみるのも悪くないかも。
 一人セミダブルなら、なおよし。

 今では信じられない。
 上3人の男の子たちが私の右隣に寝るのを狙っていて、長男が右隣りなら、次男が左隣で腕枕をして、三男は、どこに寝るかと言うと、股に挟まれて右股関節の上に頭を・・・という感じで、交代制で寝かせつけていた。そのまま、私も疲れ果てて寝落ちしていた。
 
 



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