総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

自分の領域問題

2022年03月28日 | エッセー
 ‎子どもは、親という領域を超えて自分の領域に裸足でずんずん入っていく。 特に育‎てにくいと言われる子どもは、本当に土足で踏み込んでくる。なけなしの自分の時間が奪われる。
 思春期になると、真剣を振り回しながら、踏み込んでくる。逃げられない。自分の領土を守るために必死にならざるを得ない。

 とても子どもなんて育てられない。

 自分の領域が侵されたらしんどいと思ってしまうと、とても結婚なんてできないと結婚に二の足を踏む男性もいる。

 思春期になって、真剣を振り回している子どもに対するとき、実は、初めて、親とはなんであるかを問われるのだ。そう、今まで、特に問題なく暮らしていた時は世話をしていただけ。でも、子どもがいよいよ思春期の壁を乗り越えて大人にならんとするとき、真剣を剝き出しにして、親にも真剣勝負を挑んでくる。もちろん、子どもにもよるけれど・・・。

 もう、自分の領域なんて言ってられない。
 母親は、生まれた直後に、ほぼ自分の領域を赤ちゃんに奪われるという衝撃的な体験を強いられる。だって、自分が何とかしなくちゃ、赤ちゃんが大変なことになるから。人は目の前で苦しんでいる人がいたら全力でどうにかしてあげようとするものだから。
 もちろん、女性の中にも自分の領域を侵されることが、全然平気な人もいれば、かなりしんどい人もいる。
 そもそも過去に精神的な病気になった人や今もそうである人は、その自分の領域を確立することに苦労してきた人かもしれないので、自分の領域をめちゃくちゃ主張してくる赤ちゃんの侵入は、かなりしんどいことなのではないかと想像する。
 私が思うに、自分の領域のある人の見極めって、一つに『自分が好き』って感覚があるかないかではないかな?逆に、自分のことが好きじゃないという人は、自分の領域というものを模索中なのではないかなと思う。

 ところで、パートナーである男性は、根こそぎ自分の領域を奪われるという経験をしていないという大きなハンディを抱えて子育てがスタートする。
 このハンディをなるべく少なくするという視点は、イクメン鬱を予防するかなり重要な視点だと思う。
 なので、土日の夜は自分が全部みるという体験のできたパパは、スタートから、少しだけ、自分がやらなければ赤ちゃんが死んでしまうかもしれないという衝撃(真剣)を体験できているので、自分の領域を侵される感覚が少し軽減されるはず。これって、実は凄いこと。

 中途半端に、お休みの日のおむつ替えやミルクを飲ませることを、しかも、妻がやってと命令したからしぶしぶするような生半可な設定でスタートすると、どうしても、お手伝い感覚になってしまって、自分の領域を侵される感覚で子育てに参加してしまう。真剣なんて、どこにもない。

 思春期になって問題が起こった時に、『お前の育て方が悪かったんだ。』と
母親に堂々と文句を言って責任転嫁するようなパパは、子どもが生まれてから、自分の領域を侵されることなく、ノーノーと好き勝手に生きてきた。真剣もさび付いてしまってボロボロだ。
 子どもが文句を言ってきたら叩いたり、ののしったりするような父親って、まるで、プーチンみたい。思春期の子どもみたい。
  一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、小さい時から、子どもたちと真剣勝負をしてきたパパのよう。
 常に、火種を抱え、本気で闘う覚悟で生きてこられたと想像する。

 当事者になる!
 当事者にさせる!

  母は、一度、自分の全ての領域を赤ちゃんに奪われる。
 そして、復興していく。再生してく。
  全領域を奪われても妊娠してからずっと一心同体だったわが子だもの、領土を奪われても敵ではない。自分の分身に乗っ取られるって感じだろうか。
 一方、父親は、突然、自分の領土に踏み込まれる。
 手のかからない赤ちゃんなら、そんなに侵入してこないからいい。でも、もし、夜泣きが大変とか抱っこしていないとずっとぐずるというような赤ちゃんだったら、侵入度が半端ない。しかも、戦う武器がない。母乳だとママにはおっぱいという強力な武器がある。ミルクの赤ちゃんだったらまだましだ。ミルクという武器があるから。
 夜泣き・ぐずりの大変な赤ちゃんは、父親にしてみれば、非武装地域への不法侵入者のようなものなのかもしれない。あやすのも武器だって感じていると思う。でも、あやしが武器にならないような赤ちゃんもいる。ずっと、あやして、寝たかなぁ~と祈るような気持ちで、そ~っと寝かせようとして布団に寝かせたとたん、パッと目を開け、また、ぐずりだす赤ちゃんはお手上げだ。
 ママは、自分の分身だから、それでも、ぞんざいな扱いなんてできない。パパの分身でもあるけれど、10か月お腹の中で育んできたママとは、分身観が全然違う。
 ママは10か月かけて、新たな侵入者とすでに仲良くなっている。でも、パパはその10か月という蜜月が欠落している。新たな侵入者は、ママの気持ちを24時間10か月ビンビン感じながら過ごしてきた。ママとは幼馴染の日本人同士で、パパは外国人って感じ?
 自分の領域を侵されるという感覚の強いパパって、おそらく、物事を白か黒かと決めたがる、つまり、途中のグレーのグラディエーションというあいまいな世界を漂える力が弱い人かもしれない。そんなポッコリと折れそうな思考で生きてきた人は、折れないために自分の領域というものにバリヤーを張って生きてきたはず。そんな人にとっては特に、赤ちゃんとの生活は過酷かもしれない。
 そんなタイプのパパと結婚した人は、パパが逃げられるパパ部屋は必要かもしれない。
 













 

 『男性にとって、子育てとは自分の領域を侵されるしんどいことだ』と思わせない、協力者ではなく当事者であると思わせる秘策は、赤ちゃん時代に真剣勝負体験をさせることかなと改めて思う。

 目の前で、交通事故が起こって、大けがをしている人がいて、しかも、自分しかいないという場面で、逃げる人がいるだろうか。
 救急車の手配をして、出血を止めるために、自分の服を引きちぎって・・・。そして、その人は助かった。ただただ、ほっとして、なんだか満ち足りた気持ちになれる。
 人を真剣にさせるという美しい場面。それが、赤ちゃんのいる育児場面。



































































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仮面イクメン

2022年03月26日 | エッセー
 最近の新米パパたちはえらい。
 3か月児健診の問診アンケートでもほとんどのママが、パートナーはよくしてくれているに〇をつけている。
 そういう時代になったのだと、時代は変わるものなのだとしみじみ思う。
 そんなこんなで、妻は家事育児をすべきというべき時代が変わりつつあると喜んでいた。しかし、先日、ある新米パパが、実家にしばらくいる妻と新生児の家にずっと一緒にいるという。そして、土日の二日間は夜は自分が全面的に赤ちゃんの世話をしていると。ミルクを作ったり、おむつを替えたり・・・。何と言っても、結構夜泣きをするみたいで大変らしい。
 そんな彼が、『女性は凄い。みなさん、あ~やって子育てしながら仕事もされていたんですね。すごい。本当に尊敬する。』とめちゃくちゃ、母なるものをほめちぎっていた。
 この体験は、彼にとって宝だ。家事育児仕事の3本立てを両立していくために、最初に、ガツンと衝撃体験をパートナーにしてもらうという作戦は、かなり有効だ。二晩一人で頑張ってもらうという体験は、おむつを替えたとかミルクを作ってあげたという体験レベルではない。
 完全に任すという体験は、その人に責任感をしっかり植え付ける。

 でも、彼に、つい『大丈夫?』って聞いてしまったのは、なぜ?

 なんだろう?

 少し、心がざわついた。
 それは、彼の表情が、少し、苦しそうだったから。
 だって、彼は、月から金は仕事をしている。そして、土日の夜は育児で眠れない。
 どうやら、体験としてやったのではなさそうで、これから、妻が自宅に戻っても、土日の夜の担当が続きそう。
 
 最初にガツンとママの大変さを痛感してもらう取り組みは、これからの協力し合って生きていくという家族をスタートさせるには、かなりいいのではないかと思う。
 しかし、それからが問題かもしれない。
 おそらく、しみじみと母親って大変だな。凄いな。世の中のママたちはみんなこの大変さを乗り越えてきているんだという価値観を手にした彼は、何もしなかった夫と比べたら、全然、家事育児に対して積極的に関わってくれることになるだろう。

 ただ、一つ、気になることがある。
 それは、彼が、イクメンパパはこうあるべきという罠にはまってしまわないかという不安。
 〇〇すべきだから〇〇するという思考に陥ると、いつかしんどくなるんじゃないかと懸念してしまう。
 
 彼は、はりきっていた。
 イクメンパパになるぞというような気概を感じた。
 そばにいた同僚に、大丈夫かな?って言ったら、彼は体育会系だからねって。
 体育会系っていう意味もあいまいだけど、おそらく、目標を設定して頑張って取り組む・・・みたいなことを意味するのかな?
 
 育児に一番不向きな思考のような気がしないでもない。

 彼が、土日の夜の夜泣きに付き合いながら、目標設定という生き方をあきらめて、相手に添う生き方に目覚めることを願ってしまった。

 それにしても、時代は変わる。
 産後、妻の実家にパパもくっついて帰り、土日の夜はパパが赤ちゃんの世話をするという形態も衝撃を受けたけれど、今の20代のパパたちをみていると、かなりイクメンしていて、感動する。

 そこに『べき』はあるんか?

 と問うてみたくなる。

 くれぐれも、べきで家事育児に関わったり、子育てに目標設定を入れ込まないでほしいと願う。
 べきで関わると、いつか心が疲弊してしまう。イクメンパパのうつって最近、増えているらしい。
 家事育児に全然タッチしないパパの時代は、母親が子育てをすべきという時代で、母親一人が、仕事もしているのに子どもの全責任を取らざるを得ない家族形態になってしまった。その結果、思春期になって、子どもに問題が起きると、お前の育て方が悪かったと非難する最低なパパを育成してしまった。
 将来の年金もらえない不安問題からか、今の時代、最初から共働きで、パパも申し訳ないという思いからか、育児にかなりかかわるような時代になってきた。でも、ママも働いているからパパも〇〇すべきという思考に陥りやすい。もちろん、そうなのだ。ママの言うことが正論。
 ただ、二人の子なんだから、当然、〇〇すべきというのではなく、男性女性の持ち味を生かしつつ、家事育児に関わった行けたら、きっと、その先には、シアワセが待っていると思う。
 黒田伊保子さんも言っている。
 多くの男性の脳みそは、多くの女性の脳みそと異なると。多くの男性は遠くの敵を察知して戦う脳で、多くの女性の脳は目の前の諸問題をコミュニケーションという武器を持って解決していく脳のであると。

 何を言いたいか。
 夫婦間で、『べき』意識のない線をどう引くか・・・。
 イクメンパパよ。そこに『べき』は何%くらい占めていますか?






























 













 
















 














































 











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全然平気はzennzenn兵器だ

2022年03月12日 | エッセー
 全然平気な人は、生きていくうえで、全然平気が兵器だ。
 しかも、最強の兵器だ。
 核兵器レベル。
 その美容師さんは、核兵器の扱いに長けている。ネガティブな感情で核兵器を使用するなんて愚かなことはしない。

 今でも思い出す。
 尊敬する母と子の心理カウンセラーS先生は、私に、怒りの感情が未分化です。だから、子どもたちは混とんとしていて、迷路に迷っていますと。
 正反対。
 その美容師さんと私は全く正反対の幼少期を過ごして生きてきた。

 彼女と私の違いはなんだろう?
 ①持って生まれた気質
 ②聡明な人生の達人レベルな母とぶりっこ母
 ③守るべき最愛なる気の弱いいじめられっ子の弟と気の強いわが妹

 まぁ、全て、運命か。

 ただ、ふと思った。
 ぶりっこ母という反面教師から、子育て支援(母になる否人になる支援)が見えてきた。ゼンゼン平気というカッコイイ生き方を人生の武器に(味方)にする育児なるものが。
 駄々こねしたりぐずったりのイヤイヤ期のママの対処の仕方が、実は、子どもの人生の最大の武器を付与してあげれるか否かとつながっているかもしれない・・・と。今、つながった。
 私の母のようにただ心配だけしかしないから、周りがめんどくさくなって大事なことを話さなくなるような、あるいは、私のように他人の言動に左右されて夜も眠れないような、そんな自分に自信のない人間こそ、駄々こねっこ、ぐずりっ子は神さまからの最高の贈り物かもしれない。

 幼い子どもが、駄々こねした時、お菓子とかスマホなどでごまかさない。ただ、気が済むまで駄々こねしていいよと温かく見守る。
 それを貫き通すと決める。

 1歳半健診の場などで、ママたちに
子どもが駄々こねしたときに、その場しのぎであめ玉を与える癖がついてしまうと、子どもは『ママなんてたいしたことない。私がちょっと駄々をこねたらいうことを聞いてくれる。ママなんてチョロイもんよ。』と舐められる。大人を舐める癖のついたまま思春期になると、大変だ。親は力で勝負できない。
 ぐずったら、DVD。
 ぐずったら、あめ玉。
 ぐずったら、スマホ。
 ぐずったら、ゲーム。


一度、この味をしめてしまったら最後、ママは、わかっちゃいるけど、ついついその場しのぎ人間になってしまう。そして、子どもは親を舐めるというサイテーな人間に成長してしまう。
 新米ママは、人間として、ダメなものはダメという毅然とした大人になれるチャンスをみすみす逃してしまう。その代償は大きい。
 子どもがぐずった時は、真剣勝負をさせてもらえる格好のチャンスなのに、もったいない。
 育児は、ほっとする場をどれだけ提供できるか。
 育自は、子どもとどれだけ真剣勝負できるか。
 それが、テーマ。

 わたしのように、人間関係部門でぜんぜん真剣勝負してこなかった傷つくのが怖いタイプの人間でも、子どものぐずりのおかげでそのチャンスを掴むことができる。なんとありがたいことか。
 ぐずった時に、それをめんどくさいと思わないで、真剣で勝負させてもらえるチャンスだと肝に銘じる。そもそも、あめ玉やスマホやゲームでごまかすことは、真剣勝負を挑んできた子どもたちに失礼だ。大学試験で、裏口入学をさせるようなものかもしれない。え~~っ、そんなに?って思われるかもしれない。でも、一度、あめ玉やスマホで宥めると癖になりやすい。人間だもの。    ぐずって、それを許されて、今までのうっ憤をギャン泣きしてはらして、すっきりできたら、再生する。人は真剣勝負をするごとに自分が好きになる生き物だと思う。きっと・・・。なのに、あめ玉やスマホで誤魔化されたら、自分を好きになるどころか、きっと、どこかでごまかした自分を嫌いになるんじゃないだろうか。                        
 あめ玉やスマホやゲームでごまかさないで、ダメなものはダメという真剣で毅然とする。なおかつ、ぐずりや駄々こねという子どもの真剣勝負に寄り添って気が済むまで温かく見守れたら、サイコー!

 
子どもが、ぐずりという真剣で挑んで来たら、親も真剣で返す。
子どもが、駄々こねという真剣で挑んで来たら、親も真剣で返す。

 それだけの日々の積み重ねで、親も子も全然平気という武器を手にいれられるはず。その人なりに・・・。

 
 
 全然平気でなかった自信のない人間の私は、彼らに、どれだけのzennzenn兵器をプレゼントできただろうか。
 例の美容師さんは、大好きな気の弱い弟をいじめられっ子から守るためにめちゃくちゃ強力で無敵なzennzenn兵器を自分の手で作り上げた。守るべき存在こそ、つまり、わが子の存在こそ、全然平気をゲットできる格好の出逢いといえる。育児を通して、育自と言われる所以はきっとそれだ。

  スマホでごまかさない  は、真剣 である。

 子育てって、ちっとも思いどおりに行かない!
 子どもを育てることの本当の意味は、この思いどおりに行かない体験をすることだと私は、今になって思う。子どもを産んだ時は、どう育てようなんてはりきっていたけれど、なんのなんの思いどおりにちっとも行かないという真剣を振りかざす子どもたちとの悪戦苦闘、試行錯誤の日々で、竹刀でスルーすることを許されないと、真剣で挑んできたんだから、真剣で返すしかないと悟った。

 しかし、真剣で生きてこなかったので、真剣を探すのにめちゃくちゃ手間取っている。今もその最中。
 あと10日で定年退職というのに、まだ、まだ、私の真剣を模索中だなんて、人生が足りない。

 子どもがちっとも思いどおりに行かない時は、子どもが真剣勝負を挑んできている時だと心得よ。
 逆に、手のかからないいい子は、真剣を隠して生きる道(自分から逃げる道)を選んでしまったのかもしれない。親が怖いからか親を助けるためか。

 俗に、子どもの問題行動と言われるそのすべてが、真剣で訴えているとしたら・・・。
 言葉にうまくできないから、問題と言われる行動でカラダを張って真剣で訴えているとしたら・・・。
 







 





 真剣 な心は、人を動かす。





 













 






 親ガチャという言葉が登場した。











 













 












 
 
 





 

















 

 












 














 
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