総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

せずにはいられないヒトと出逢った

2014年12月31日 | エッセー
 なんだか、最近、異色な方とよく出逢う。
 これは、何を意味するのだろう?
 単なる偶然か、必然か。チャンスの前髪か危ない道への誘惑か?

 40代の男性で、不道明王(?)から直接使命を受け、ある種の特殊な能力を身に着けた方だという。
 こっちから聞くわけでもないのに、私から感じる何かをどんどん言葉にされていくので、唖然。
 ハンドパワーも持っていらっしゃるよう。
 そんな人。


 開口一番。「肩こっているね。すごく。ストレスがすっごくある。」
 そう言いながらも、スタスタ私の方に歩いてきて、私の肩をそのハンドパワーなる手でほぐして(?)くださった。確かに、なんだか、すーっと楽になったけど。
 「私って、ストレスを発散するのが下手なんでしょうか?」と聞くと、「いや。ストレスの量が半端じゃないんだよ。」
 やっぱりね。そうだよね。
 でも、最近はそうでもないんだけどなぁ~。

 「小さい頃、頭を二度打っているでしょう?」
 「幼稚園の頃、家の隣を流れる用水路の水が引いて、そこにへびの死骸があった。そのへびをお友達とキャーキャー言いながらのぞいていた時、頭から落っこちた記憶がある。2メートルくらいの高さから落っこちた。けれど、もう1回の記憶はないんですけど・・・。」
 「その時の影響はない。それより、部活か何かしているときに、もう1回、頭を打っているはずだ。その影響で、頚椎がずれていて、肩こりや股関節に影響が出ている。その時の、記憶を思い出したら、よくなるはず。」
 と言いながら、私の肩や背骨や腰などに手を当てて気を送っている(?)感じ。

 私は、日ごろから、自分でも、まっすぐ立とうとしても、ねじれている感じがあって、背骨の違和感を持っていたけれど、確かに、この男性が、ちょちょいのチョイって感じで私の背骨を触ってくださった後は、まっすぐって感じで背骨がすっきりしたのは事実。事実なんだけれど、不思議。

 「家の間取りは悪くないね。でも、トイレが気になる。わかるでしょ?」

 ドキッ!

 そうなの。我が家には、ずっと、気にはしていたけれど、開かずの間にしてしまっているトイレが2階に存在するのだ。
 すごい。見えるのだろうか?不思議だ。

 もう何年使っていないだろうか?三男が小さい頃、おもちゃじゃないかと思うんだけれど、何か大きなものをトイレに流してしまって、詰まって、大洪水を起こしてから、そのまんま。10年は経っていると思う。玉~~に、掃除しているけれど、クモの巣が張っている的な空間になっている。

 ヤバい。(さっそく、掃除した。)

 「どっち向いて寝ている?どうも、カラダをすーっと通っている感じです。」
 「南向きの部屋に頭を南にして寝ています。」
 「南北はいけない。東西がいい。」
 「あなたは、霊感が強いので、スース―と通って行くんです。」
 「えーーーー。私はちっとも霊感ないと思って生きてきたんですけれど。高校3年のときは、一年間、金縛りで苦しみましたけれど。一度かかると何度も何度もかかって2時間くらい眠れなくてきつかっただす。でも、何も感じないですよ。」
 「いえ、強いです。」(そうかなぁ?)



 隣にいた同僚が、「仏壇はどうなんですか?」とつかさず聞く。
 「仏壇に足を向けてはいけません。」
 「えーーーーー。南北がいけなくて、仏壇に足を向けてはいけないとなると厳しいですね。どうしても無理な場合はどうしたらいいのですか?」
 「足元に紫色の何か、折り紙とか花を置くといいです。」
 
 その他、夫のこと、夫と子どもたちの関係なども図星だった。

 確かに、当たっている。
 ハンドパワーもある。
 
 昔、県知事選のとき、ある候補者が選挙に当選できるかどうかを見てもらいに来たこともあるという。

 手相をみて、「今、お金の無駄遣いをしている。」って。いえいえ、無駄使いなんてとんでもない。こんなに節約生活している人っていないと自負できるくらい切り詰めているつもり。ただ、子どもたちの学費にヒーヒー言っている。」と言うと。そう。それでお金がたまらない。でも、もう少ししたら上向いていくはずって。

 そんなこんなで、いろいろと聞いてみたい衝動に駆られそうになる。でも、果たしてそれでいいのだろうか?
 紫の折り紙を置いてどうかなるということで、人生、いのだろうか?
 
 なんだか、それで解決するとしたら、人間的成長をするチャンスを逃してしまうのではないかという疑念が湧いてくる。

 「小さい頃、お寺にある鳥居の下でよく遊んでいたでしょう?あの時、神様は怒っていたんだよ。で、ずっと、我慢していたんだけど、今でも、そのことを怒っている。」
 なんて言われると、どうしていいのかわかんなくなる。

 どうなんだろう?
 人を不安にさせて、紫色の折り紙云々・・・という構図。
 私は、宣言したはずだ。息子たちに家を出るときのはなむけにも、『人を不安にさせて解決策を提案するような誘惑には騙されないこと。人を不安にさせるというスタンスの物言いは信じてはいけない。』という言葉を贈ったじゃないか。

 『僕は、不動明王直々に命を受けて、一生懸命、任務をまっとうしている。』とおっしゃる。それは、真実だと思う。

 でも、紫の折り紙とかお塩で清める・・・とか。

 本当に神様は怒るのだろうか?
 わからない。

 怒る神様は、神様の子分なんじゃない?
 鳥居の下で遊ぶのが不愉快でずっと我慢していた・・?じゃぁ、その時に、どうにかしてくれたらよかったのにって思ったり。

神様?本当に神様?

 神様って、全てを許すような懐の大きい方ではないの?
 高千穂の峰で1000日修行されたおじいちゃんは、『ここ30年怒ったことはありません。』とおっしゃっていた。感謝の心と慈悲の心だけが、おじいちゃんの心の中に存在するらしいので。なのに、なのに、神様が鳥居の下で遊んでいることに怒っていて、それをずっと我慢していたなんて言われても・・・・。

 それって、ほんとうに神様?

 というか、『神との対話』という本には、神は『喜怒哀楽を体験するために、そして、その喜怒哀楽を感じ尽くして、そこから、今、愛ならどうするか?というお題を与えるというゲームを味わうために人間という自分の分身を作られた。だから、そう簡単にこのゲームを終わらせることなんかしない。』と書いてあった。
 だとしたら、喜怒哀楽の体験の場を作り出さないといけない。うれしい体験だけでなく哀しい体験や喜ばしい体験や怒り狂う体験など。そう、哀しい体験も実は、今、愛ならどうするか?というお題に人はどう答えるか?というゲームの一つなのだという。戦争も原発もポルポトのヒットラーも。あなたも人生も私の人生も『今、愛をあなたなら、どう表現するか?』という壮大なお題の一つ。どんな人の人生も、どんなに幸せな人生の人も悲惨な人生を歩いている人も与えられている人生のテーマは『今、あなたは愛をどう表現するか?』

 だとしたら、お稲荷さんとかは、人間がいろんな感情を味わい尽くすためのゲームの設定のための仕掛け人として、人を困らせるようなことをしちゃう存在なのかなぁって思えてきたり・・・・。
 霊とかお稲荷さんとかよくわからない。いるとも言えないし、存在しないときっぱりと否定することもねぇ。

 おとといの夜の報道番組で、勇敢に闘うクルド人女性兵士の特集をしていた。
 イスラム国に追われたクルド人難民キャンプが、イランにある。
 そのクルド人が立ち上がったのだ。
 そして、その中には、17歳から25歳くらいまでの若く勇敢な女性兵士たちがいる。すでに、200人の女性兵士が戦闘で亡くなっているという。それでも、彼女らは怯むことなく闘い続ける。クルド人の誇りをかけて。クルドを守るために。
 一方、イスラム国の兵士は、お金で採用された兵士が多い。最初は、抵抗する勢力がなかったから、好き勝手に殺せる優位な立場にあったけれど、真に勇敢な魂に突き動かされて戦いクルド人の命を懸けた戦いに敵うわけがない。士気が下がるのは当然のこと。最近、少し、勢いが弱っているという。もちろん、油断は禁物だけれど。

 『私たちには、この道しかない。闘わなければ、自分の人生を歩めない。闘わない道を選んだら、自分の人生はない。どっち道、この道しかない。明日、命を失うとしても、闘うしかない。』

 戦争反対・・・なんて、軽はずみなことは言えないなって思った。
 時と場合によっては、平和のために戦うこともあり・・・。
 アナを救う真実の愛と同じだ。
 自分の命を犠牲にしてまでもクルドを守るために闘うという真実の愛。
 この道しかないというギリギリを選択する愛。
 だから、人を殺めることは、唯一、命を懸けて仲間を守るという真実の愛を決行する時のみ、許される行為だと思う。それ以外では、絶対戦争はしてはいけない。集団的自衛権の解釈が説われている。そこに、仲間を守るという誇りがあるかどうか・・・・。

 お稲荷さんが怒っている。だから、それを鎮めないと・・・・って言われた。
 じゃぁ、クルドの女性兵士たちの人生は、どんだけ、お稲荷さんが怒っているの?って思った。

 この世で起こる困った環境は、真実の愛を表現するというチャンスを神様がプレゼントしてくれている・・・のかもしれない・・・という視点もありかな?

 いろんなことが見えてしまって、人がいいので、アドバイス言せずにはいられないという不動明王から直に命を受けたというこの男性という存在は、一体何なのだろう?

 もし、クルドの女性兵士たちが目の前にいたら、何が見えて、何をアドバイスするだろう?

 
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(が)でなく(は)

2014年12月24日 | エッセー
 こんな小さな田舎町でも、いろんな方がいるとしみじみ。
 ずっと前から、気になっていたお寺があった。
 そのお寺は、人里離れたちょっと山奥にある。
 ここにこんな立派な道路が必要なのか?というようなちょっと税金のムダ遣い?と思えるような農免道路沿いに、そのお寺がある。
 いつの間にできたのだろう?新しく立派できれいなお寺。だけど、正体不明で、もしかして、新興宗教?ってそこを通るたびに、?マークが点滅した。でも、それ以上のアクションを起こすことなく10年以上が過ぎていた。
 そしたら、昨日、仕事でそのお寺の住所と同じ住所の方のところに行くことになったのだ。内心、ちょっと、興味がそそられた。
 お寺に着くと、入口近くにある小屋でおじいちゃんが座って巻き割をされていた。この方が尋ね人?って思いながら、お声かけをすると、やたら、はきはきとした応答をされ、かくしゃくとされたお元気な方だなという印象を持った。でも、どうやら、私が訪ねたい人ではないらしく、すたすたと上り坂を上って行かれた。途中に、護摩堂と書かれたおうちもある。畑もきれい。すべてがしっかりお手入れされている空間。
 坂もある広い敷地で、「お~~~い、お~~~~~い。」と呼びかけながら、スタスタ、スタスタ坂道を登って行かれる。おじいちゃんだけど、足取りがやたら軽い。これは、ただものではない?って予感。
 仕事の用件をすまして、そのおじいちゃんと坂を下って行きがてらの会話が、私の好奇心をそそった。
 「ほんとうにきれいにされていますね。」と感心しながら、歩いていくと、おじいちゃんが「もう少ししたら、ここら辺は、もみじが紅葉して美しいですよ。春は、桜。初夏はアジサイをたくさん植えましたから。もみじの木もだいぶ大きくなりました。」「ぜひ、来年は伺います。それにしても、ほんとうによく手入れされてきれいですねぇ。」
 そんな会話のなか、どうも、このおじいちゃんが住職さんだということが判明した。
 どうも、50代の頃、大きなお寺に入門されたけれど、お寺版白い巨塔という実態を知り、3年で辞めて、その後、1000日修行というすごい修行をされ、15年前にこのお寺を建てられたとのこと。私が、興味をそそられたのは、このお寺は、お寺と神様混合のお寺ということ。しかも、宗派も問わず、万物すべてを受け入れる感じなお寺だということ。


 と、突然、人差し指の先っちょをそいでしまったお話。
 通夜の手伝いで、よそ様のおうちの超切れる包丁を使ったら、あっという間に自分の指先も切ってしまった。
 痛くなかったのでたいしたことないと思って、適当にしていたら、1時間たっても2時間たっても3時間たっても血が止まらない。こんなことは初めて。痛くはないんだけど、なんだか重症っぽい。傷口をよ~~~~く見ると、切ったんじゃなくて少しそぎぎっている感じ。血って3分もすれば止まるもんだと思っていた。なので、少し、恐怖を感じて病院に行った。
 今晩、痛くなるよ~~~~~~と、看護婦さんもおっしゃるし、薬局のお兄ちゃんは、「え、痛み止めもらっていないの?」って聞いてきて、病院に追加のオーダーを頼んで、痛み止めを処方してくれた。お風呂入ると、ずきずき痛みが増すから、今日はお風呂に入らない方がいいというアドバイスをする人もいたりして、かなりドキドキして夜を迎えたけれど、痛みなんかちっともなく一夜が明けた。おかしい。私の末端には神経がないのだろうか?


 さて、住職さんおじいちゃんの話に戻ります。
 この方は、15年前に、このお寺を建立されたのだということ。
 その前の1000日間を、高千穂の峰の頂上から100メートル下ったところの岩の奥にある3畳くらいの空間で寝泊まりをされ、修行された。もちろん、電気・ガス・水道などはない。1000日、毎日、雨の日も風の日も雪の日も、そして、なんと雷の日も、一日も欠かさず、往復4~5時間かかる縦走という修行をされた。
 雨の日もわかる。雪の日も危険だけれどわかる。でも、雷の日は無理でしょ?絶対無理でしょう?

 ちなみに、高千穂の峰とは、あの坂本竜馬がおりゅうさんと新婚旅行に行った所です。神様が、景色のいいところと言って、最初に降り立ったところ(多分)です。頂上に立つには、かなりハードな登山道で、今の私には登れません。

 で、この住職さんは、雷の日も縦走し、マジ、雷の直撃を受けて気絶したそう。その後、雨が降ってきて意識を取り戻したとおっしゃったけど、普通だったら、感電死でしょ?あんな高い山で雷を受けて命が助かるはずもなかろう・・・・と想像するけれど、ご本人は見ての通り、ご健在だ。不思議。

 この二日間、久しぶりのカラダが生地獄状態で、今日、やっと、復活した喜びに浸っているところ。
 多分、隣の同僚からいただいたのだと思うけれど、嘔吐下痢の細菌にノックアウトされた。
 もう、起き上がることもままならないほど体力がおちると、布団に横になれる・・・ただ、それだけで超幸せだった。
 トイレに行って、服を脱いで・・・もう、それだけでも登山の登頂間際の体力のなさ状態。しかも、嘔吐と下痢症状は夜中に始まった。体力消耗しているので、寝たい。寝たいけれど、オェ~とかお腹イタとかの気分が蔓延しているので眠れない。そんなこんなで、トイレに入っているときと、喉が渇いて水を飲んで寝室に向かう途中、一瞬、気を失った。
 とにかく、起き上がれない。着替える力も残っていない。ひたすら、寝て過ごした。
 何が幸せかって、どうしても、トイレに行かなきゃいけないので、やっとの思いで行って帰ってきて、布団に転がり込める時のシアワセってなかった。ホント、幸せだった。

 だから、思う。子どもたちって、そんな状態でも病院に連れて行かれるけれど、病院の待合は横になれる居場所を作ってほしいって。横になれるってことが、どんだけ、楽ちんか。

 そして、もう一つ、病み上がりのおかゆは絶品おかゆで。
 二日目のお昼に、少しだけ、ほんの少しだけ動ける体力がでてきたので、自力でやっとの思いで冷ご飯からおかゆを作った。食欲ない時だからこそ、美味しい梅干し入りおかゆを食べたかったのに、いまいちだった。普段は、それなりに美味しいと思っていたのに、食欲がガクンと落ちた時は、逆に、味覚が敏感になっているのだろうか。なんだか、まずい。美味しい炊き立てのご飯で作った梅干し入りのおにぎりに、パリパリの海苔をまいて食べたい・・・。素材にこだわったあっさりしたものが欲しくなる。
 そんな話を同僚にしたら、「うちは、義理の母がおかゆ専用の簡易炊飯器みたいなのを持っていて、いつも作ってくれるんだけど、それがとってもおいしくって、子どもたちも大喜びしてくれる。お米から炊くからかなぁ?美味しいよ~。」って。そうなんだ。私、お米からおかゆさんを炊いたことがなかったし、食べたこともなかった。全然違うんだ~。
 もっと早く知っとけばよかった。子どもたちが病気して食欲がないときにお米からおかゆを作ってあげていたら、どんなに子どもも幸せだったことだろう。ごめんね。今からはそうするね。さっそく、ネットで、美味しいおかゆの作り方を検索しようっと。
 離乳食のおかゆもそうかなぁ?
 めんどくさいので、ご飯を炊くときは、炊飯器の中におかゆ用の湯呑を入れて、それは、お米から炊いたけれど、毎回炊くわけじゃないので、それ以外は、冷ご飯を利用していた。でも、毎回、お米から炊くのも手がかかるし。そうか。その、同僚の義理のお母さんが持っているようなおかゆ専用簡易炊飯器を買えばよかったんだ。孫が生まれたら、出産祝いに、ぜひ、買ってあげよう。

 二日目の夕方、同僚が、お見舞いに苺を持ってきてくれた。
 食欲がない時、自分はいったい何を食べたら、美味しいと感じるんだろうと考えあぐねていたところに、苺。思わず、「わぁ、食べたい。」って、カラダが反応した。唾液が分泌された。りんごのふじを食べたいとチラッと思ったけれど、皮をむく気力もなかったので、その気持ちをそのままにしていたら、苺がやってきた。苺は、皮をむかなくていい。ヘタをとるのが少々めんどくさかったけれど(そうなのよ。体力が消耗しているときって、それすらもおっくうなの。)パクパク食べれた。

 たまには、寝込んでしまうのも悪くない。
 寝込んだ人の気持ちがわかるから。寝込んだ人のしてほしいことがわかるから。
 インフルエンザの季節になると、みな、予防接種を打つけれど、たまには寝込んでいいんじゃない?体の弱い人の気持ちがわかるから。そして、迷惑かけるという勇気と感謝を体験できる。
 今回、私も仕事を代わってもらったりなんだり、迷惑をかけた。できれば、それは避けたくて踏ん張って行こうとしたけれど、全然踏ん張れなくて、『仕方ない。堂々と迷惑をかけるしかない。』と開き直るしかなかった。でも、時々、迷惑のかけっこをしておくことも大事かも・・・うるおいは、そこからやってくる・・はず。

 そういえば、夜にかかってきた、同僚からの「大丈夫ですか?」という電話もじ~~~~~~~んと来た。

 そういうことの一つ一つに、私は支えられている。感謝。

 でも、やっぱ、喉から手が出るほど感謝(?)したのは、トイレだった。嘔吐と下痢を支えてくれたのはトイレだった。

 

 再度、住職さんとの会話に戻ります。

 とにかく、お寺もその周りも整然ときれいにお掃除されていてすがすがしいこの空間を支えているのは、この住職さんの修行のたまものなのだろうというくらい空気感が清らかなお寺。今は、高千穂の峰で出逢った全国各地からこのおじいちゃん住職さんの説教をいただくためにやって来られるのだいう。家庭内暴力で困っているという親子も、子どもと5分話せば、物の見方がガラッと180度変わって、暴言を吐かなくなるんだそう。人の悩みばっかり聞いていてつらくなったらやって来るという保健師さんもいるという。とにかく、日本全国から、このおじいちゃん住職さんの説教を聞きたくて来られるのだそう。知らなんだ。灯台下暗しだ。たぶん、地元に人はそんなに来ないような感じ。そんな印象をお話しすると、「実は、僕は、中卒なんです。だから、地元の人達は、僕をそのような目で見ているんでしょうかねぇ。あんまり来ませんねぇ。」
 人間は、長所と短所しかありませんよ。子育ても人との関係も何もかも、長所だけを見るようにすればよいのです。そして、27世代前は、5000万人と5000万人につなっがっているという先祖を大事にする感覚が大事です。

 先祖供養は、やはり、大事なんでしょうか?

 もちろん、大事です。

 長所だけを見ようと思うんですけれど、私をいじめる人に対して、長所を見るのってとっても難しいです。私は、このテーマをここ10年ずっと投げかけられていると思うんですけれど、いじめる人の長所を見る余裕なんてなかなか・・・。

 いいことは感謝の心で、そして、悪いことは「かわいそうな人ね。」と慈悲の心で。
 人の心は、感謝の心と慈悲の心だけ。
 ですから、私は、ここ30年怒ったことがありませんよ。

 あ~~~~、頭ではわかってるんですけどねぇ。心がついていかないんです。いじめられると、心が折れてしまいそうで。心から「かわいそうな人ねぇ。」と思えたら、生きるのが楽でしょうねぇ。


 でも、いい言葉をいただいた。

 いいことは感謝の心で。悪いことは、慈悲の心で。この二つの心で生きる。

 少し、楽ちんになった。今後、突き刺さるようなトゲのある言葉を受けた時は、反射で「かわいそうな人・慈悲の心」というイメージトレーニングを意識してみよう。

 

 この町は、自殺率が高いって言われています。何か風土みたいな特徴があるのでしょうか?

 と聞くと、

 「この町の人達は、我が強いですね。『私が  』『私が   』と。わが大事。わを持って尊し・・です。」


 「わが大事?って?」
 
 「『わたしは、こう思うけれど、あなたはどう思う?』って、みんなが言うようになれば、生きやすくなります。わではなく、はを持って尊し・・・です。」

 あ~~~、そういうこと?わたしは、あなたは、の  は  ・・・か。

 (が)でなく(は)。

 そうだよね。私は、こう思うと宣言することも大事だけれど、必ず、あなたはどう思う?と聞くことで、私の考えが正しいけれど、あなたは間違っているという空気とは全然違ったものになる。ただ、私の考えとあなたの考えが並列であるだけ・・・になる。
 えてして、その空間で多数派の意見が、正しいという威圧感で空気を圧迫し、人の心は抑圧される。少数派が、ただ、自分の意見を言うことすらできにくくなる。

 『あなたはどう思う?』はみんな違ってみんないい・・・を体言化できる、みんなのカラダに染み付かせていける強力な言霊だ。

 これからは、自分の意見を言うとき、必ず、セットで『あなたはどう思う?』っていう口癖で生きていこう!そして、できれば、私の周りに波及させていきたいなぁ。

 今年の流行語大賞は、『ダメよ~。ダメダメ。いいじゃないの~。』だった。

 よ~~っしゃ~。来年の流行語は、『私はこう思うけれど、あなたは、どう思う?』
 威圧感のある和田アキ子さんが、この言霊で日本全国に旋風を巻き起こしてくれるといいなぁ。

 いじめっ子は、あるいは、人を攻撃する人は、この正反対のポジションにいる。
 いかにも自分の意見は正しいように見せかけて、言い返せないような空気を作るのが得意だ。そして、その時、使う言葉は、大方、世間で多数派の言葉だ。『あなたはどう思う?』なんて言語道断。
 だからこそ、本当はそうじゃないと思うけれど、怖いと思われている和田アキ子さんが、『あなたはどう思う?』を連発してくださったら、インパクトあるだろうなぁって思う。

 人を攻撃する人は、自分は正しいと本気で思っているのだそう。
 そんな人は、『あなたはどう思う?』なんて聞くわけがない。
 でも、でも、もし、小さい頃から、すべての子どもが、『あなたはどう思う?』って聞かれる環境で育ったとしたら、人を攻撃せずにはいられないほど、欲求不満の溜まった子も、攻撃という手段で不満解消をしなくなるかもしれないって思う。だって、『あなたはどう思う?』って尊重されてこなかったから、攻撃せずにはいられなくなったのだから。
 



 
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雪と無農薬はっぱ・甘いと縮む

2014年12月12日 | エッセー
 仕事柄、いろんな方とお話ししていると、いろんな体験談が聞けてありがたい。
 先日は、県でナンバー1のデパートに無農薬野菜を出しているという方と出逢った。
 「寒くなりましたね~。冬はいやですねぇ。早く春になってほしい。」って、その人にあいさつしたら、「いや~、我々野菜を作る人間にとっては、寒くないと困るんです。雪が降らないと。年に何回か雪が降ると嬉しいです。」とおっしゃった。
 どうして、農家にとって雪が降った方がいいんだろう?仕事にならないんじゃないかなぁ?と素朴な疑問。
 で、「どうして、雪が降った方がいいんですか?」って聞いてみた。
 そしたら、「雪が降ると野菜にとっての害虫や細菌が死ぬんです。私は、無農薬の野菜づくりをしているので、雪はありがたいんです。」
 「あ~~~~、そうなんですね。雪で虫や細菌が凍え死んでしまうんですね。」と素人な私が憶測で言うと、
 「いえ、雪で窒息死するんです。」
 そうか。窒息するんだ。
 知らなんだ。
 じゃぁ、わが町は無農薬農家にとってはいいところなんですね。海のそばで雪が一度も降らないところと雪が1回でも積もるところでは、無農薬野菜を作ろうという場合は、その意味が全然違うんですね。」と感動した。
 「葉物は農薬をたくさん使うと聞いているので、野菜は食べなきゃと思うけれど、躊躇してしまう。JAの地域野菜コーナーも無農薬とは思えないので・・・。でも、それを買うしかないし・・。ホウレンソウやキャベツはかなり農薬を使うんですよねぇ。無農薬という視点で見ると、どんなほうれんそうがいいんでしょう?ホウレンソウも大きいのがあるけれど、あれは、窒素のやりすぎなんですか?」と聞いてみた。
 すると、意外や意外。「ホウレンソウは大きい方がいい。そして、色は薄い方がいい。品種にもよるけれど。色が濃いのは、窒素など栄養のやりすぎ。」とのこと。
 お~、ったった5分の会話で勉強になった。

 本当は、そこの家主の方とお話ししたくてお伺いしたんだけど、そこにゴボウとレタスを持ってこられた方が、無農薬野菜の方だった。そこの家主の方と感心して、ホウレンソウの話など聞いていたところ、家主さんの椎間板ヘルニアで手術直前だったけれど、整体に行って、手術しなくてよくなったというお話もへぇ~って感じで興味深かった。うわさ話や悪口の輪には入りたくないけれど、やっぱ、いろんな方とお話しするとためになることも多いなって思った。

 家主さんは女性。10年前に椎間板ヘルニアになって手術することになっていた。そこへ、娘が自分の住んでいるところににい整体の先生がいらっっしゃるということで、20日間、娘のところか整体に通って、結局、椎間板ヘルには治り、手術しなくてすんだ。整体の先生の所には週2回通った。先生は、まず、背中をずっと触って行って、一言、「甘いもののとりすぎですねぇ。あなたの臓器は全部縮んでいます。」と言われて、1年間、全く、甘いものを食べなかった。
 とおっしゃった。
 最近は、糖尿病がらみで、甘いもの、砂糖により、インシュリンの出る膵臓が委縮するって話は聞いていたけれど、まさか、臓器のすべてが縮むなんて・・・。臓器の縮と背骨の関係性がアンバランスになって、椎間板ヘルニアになってしまったのだろうか。

 ちなみに、ジュース200CCに25gの佐藤が入っています。イオン飲料は15g。身にアンパン1個が20g。カステラ一切れ35g。大人の砂糖摂取量の上限は20g。子どもはその半分・・・・なのです。味わっていただきましょ!
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遅咲き

2014年12月09日 | エッセー
 先日の朝日新聞に、「遅咲き型」待って伸ばそうという記事があった。
 お~~~~~~、この言葉を探していたのよ。
 誰、この文を書いた人は?
 と思って、ネットで調べてみた。
 正伸さん?
 誰?
 花まる学習会代表?
 どこかで聞いたことがある。
 そうだ。夏の頃、『夫は、犬だと思え』という本を読んだ。あの著者だ。

 早咲き型は、赤ん坊の頃、からだの発達や、歩行、発語などが早かった。読書量が多い。片付けが苦もなくできる。ニュースを見て、大人びた感想を言う。相手を思いやる言葉をいう。計画表をわりと順守できる・・・のだそう。
 一方、遅咲き型は、言葉が遅い。本を読まない。片付けが下手。
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一ミリ

2014年12月07日 | エッセー
 同僚の男の子と女の子の双子ちゃんの女の子のお話。
 四男と同じ4年生。
 最近、お母さんを振り向かせたい気持ちがパワーアップして、息子君と勝手に張り合っているそのけなげな姿に、人の心の奥深く…を垣間見させてもらっている。
 人間の心のDNAに潜んでいる心の闇が、双子ちゃんで、ママが子どもの話に耳を傾けてくれるという条件のもと、発露されやすくなるのだと思う。この子は、幸せもんだ。だって、心の奥底に潜んでいる闇を堂々とママに言葉できちんと表現できるんだもの。

 ことの発端は、息子君が学校に持っていく道具を入れる紙袋を探していて、ぴったりの紙袋を彼女が探してきてあげて「よかったねぇ。ぴったしね。」というような会話を彼女が聞いていたこと・・・から。
 その一部始終を見ていた彼女が、「私もそれと同じ袋に入れて。」と。双子で同じクラスなので、持っていく道具も同じだから、同じサイズの紙袋を要求するのは、まぁ、当然と言えば当然なんだけど・・・・。で、同僚は、探し回って、だいたい同じサイズの紙袋を持っていったそうな。そしたら、彼女が、つかさず「おんなじ大きさだよね。一ミリも違わないよね。」って叫んだそう。

 子どもって、もし、安心して本音を言える環境があれば、10歳の子でも、これくらいわがままが言えるんだ。
 双子の男の子の存在のおかげで、眠っている心の奥底の本音をママにぶつけられるという幸せがでれだけすごいことか・・・・。言葉にすることで、自分を知る。それを否定されない懐の深いママ。
 双子だから、一ミリたりとも許せないというママに平等に愛されたいという飽くなき欲求が湧き上がる。そして、同僚のお子さんは、それを言っても大丈夫という安心感という贅沢な環境にいることを許されている。

 これが、一人っこだとそのチャンスがない。
 四男もお兄ちゃんたちと年が離れているので、やや一人っ子状態。
 彼のやきもちというDNAは眠ったままだ。でも、ある・・のだ。しっかり、存在するはずだ・・・・。それが、どこで、いつ、目覚めるやら・・・・。自分探しという言葉があるけれど、自分ってぶつかってなんぼ。ぶつかることで自分発見できる。それも、ちゃんとぶつかって。とことん、ぶつかって。一ミリたりとも見逃さないで。
 1ミリ。
 だから、1ミリ。
 1ミリたりとも扱いが違うと許せない・・という自分。
 
 もし、1ミリどころか100ミリ違っても文句を言わない10歳の子どもをお持ちの方がいらしたら、実は、心の奥底に1ミリでも違うと嫉妬する心が潜んでいる・・・ということも視野に入れてほしいな。1ミリの違いの積もり積もったモヤモヤが、兄弟げんかの火種だったりするのかもしれないし・・・。
 いいとか悪いとかではなく、子どもたちは、それくらいママ争奪戦の日々を生きているっていう事実があるという、ただ、それだけ。

 それにしても、この子は幸せ者だ。1ミリの違いにギャーギャー言っても、ママは私を見捨てない・・・・という確信があるという絆こそ、困難な人生を生き抜く原動力となるはず。

 今朝の新聞に、家族に暴力をふるう28歳の三男を殺して自分も死のうとした父親への判決に猶予がもたらされたという記事を読んだ。大学受験のときは、一緒に勉強したり、プラモデルを作ったり・・・と仲が良かったという。しかし、仕事でミスをしてつまずいてから、荒れてきて、暴力をふるうようになった。母親の肋骨を折るような暴力をふるうようになり、恐怖と同居するようになった。
 父親は、再三、警察に精神科への入院を懇願したけれど、三男は、警察の人に対しては大人しくなるので、その恐怖感が伝わらず、入院の必要性を認めてもらえなかった。父親は、追い込まれ、苦悩し、最悪の決断をしてしまった。妻や兄弟を守るために、息子を殺して自分も死のうと・・・。
 高校大学時代父親と仲が良かったという息子が、仕事での失敗をきっかけに、人生から転落していってしまい、家族に暴力をふるう暴君に成り果ててしまうって、どうして?って疑問。
 うちの息子たちは、残念ながら、父親が大嫌いだ。でも、だからといって、自分の人生に躓いたとき、自暴自棄になって家族へ暴力を振るだろうか?
 この父親は優しすぎたのだろうか?
 それとも、この子がいい子すぎたのだろうか?
 ケンカするけれど、仲がいい。
 そんな関係がいいのかも。ケンカせずに仲がいい・・・・という時って、ちょっと、胡散臭い。ほんとかな?って思っちゃう。きっと、どちらかが我慢しているよ・・・・ってニオイがプンプンする。だって、1ミリの違いで差別だと訴えるっていうくらい、実は人間ってやつは人権めっちゃ主張動物なんだから。きっと、彼は、100ミリ違っても文句を言わなかった・・・・ような子ども時代を生きてきたのかも。そして、いい子ゆえに、失敗を恐れ、失敗しないための術を習得してしまった。そして、失敗しない学制時代をそつなく過ごしてきた。でも、仕事ではそんな術は通用しなかった。そして、失敗という体験を人生で初めてやってしまった。失敗の免疫がなかった彼は、いきなり超でっかい失敗体験により、パニックになり、再起不能になってしまったのかもしれない。
 子どもから大人になるまでに、親は、子どもにいろんな免疫をつけさせるという役目がある。
 ばい菌免疫
 人間関係免疫
 失敗免疫
 
 
コメント
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