子育ての3本の矢の1本目は、子どものカラダにルーティンをしっかり刻んであげることだと、最近、しみじみ✖しみじみ思う。
大成をなしたプロのスポーツ選手ほど、ルーティンを大事にする。イチロー選手のルーティンの話は有名だ。
ルーティンとは、生活リズム。
だいたい何時に起きて、朝ご飯をだいたい何時に食べて、11時になったら、ママの買い物ついでにお散歩して、お昼寝はだいたい何時に寝て、夕方、お姉ちゃんたちが保育園から帰ってきて騒がしくなって、お風呂は何時ごろかな?そして、ママがお茶碗を洗って台所を片付けたら、さぁ、ママが絵本を読んでくれるぞ。そして、いつの間にかママと夢の国へ。
みたいな。
赤ちゃんにルーティンを刻むために必要なのは、ママの日課。
ママが日課というルーティンを刻むことで、赤ちゃんの体内時計がしっかり出来上がっていく。
そして、ママの日課を通して、その家庭家庭の個性みたいなものが、伝播されていく。
だから、ママが、今日はあっちに行って、明日は、こっちに行って・・・などど、日課が定まらないような生活をしていると、体内時計がしっかり刻まれないから、自律神経が不安定になって、結果、子どもの気持ちも不安定になりやすくなるかもしれない。
もう一つ、赤ちゃんが泣いたりぐずったりしたときに、不憫ですぐ抱っこをしてずっと抱っこをして、赤ちゃんに振り回される生活になる。
その結果、ママの日課がおろそかになってしまい、肝心の体内時計がしっかり刻まれなくなる。
オムツも替えた。さっき飲んだばかりでぐずった時は、ただ、泣いてすっきりしたいだけ。ママの気配がしっかりありさえすれば、安心してギャンギャン泣いてスッキリできて幸せなのに・・・ね。
そう。そんな時は、ママは鼻歌を歌いながら、しっかり、家事のルーティンをこなしちゃおうよ。
『不憫でずっと抱っこ』の弊害は大きい。
実は、『不憫でずっと抱っこ』と同じくらいルーティンを刻むことを邪魔する厄介なものが、最近、登場して、子どもたちの未来を案じてしまう。
それは、『ぐずった時のスマホ』だ。
毎日、夕方に、『お母さんといっしょ』を観るというのは、ルーテインになる。
でも、なだめるために、不定でスマホを与えることは、そのルーティンをなし崩しにしてしまう危険性を孕んでいる。
ほんと、おとなしくなるよね~~。麻薬みたいに。
助かるよねぇ。
叶うなら、スマホは高校生からがいいと個人的には思っている。ビルゲイツも我が子にはそうしていたって聞いたことがある。
せめて、『お母さんといっしょ』と同じように、時間になったらみれるというスタンスでスマホを扱うなら、ルーティンの一部なのでまだいいんじゃないだろうか。
とにかく、ルーティンの力によって、脳がどんどん発達する乳幼児期に、なだめスマホに手を染めたら、アウトかもしれない。
だって、子どもがぐずるたびに、スマホを与えていたら、一日1回ではすまなさそう。どんどんエスカレートしそう。
子どもは、知っている。
『ママなんて、ちょろいもんよ。私がちょっとギャーって言えば、私の思い通りになる。』って。
こわい。
スマホを与えるたびに、子どもは、ママを舐めるようになる。
なだめるつもりが、舐められる。
そして、ルーティンがぐちゃぐちゃになるから、心も不安定になりやすいかもしれない。
わが子を、育てるってどういうことだろう?
ぐずられると、ほんと大変だ。
でもね。ちょっと何か気に入らないことがあって、それがきっかけでぐずりが始まるのだけれど、それは、導火線に火がついただけのこと。今まで、ちゃんと躾なきゃというような理由で理不尽に怒られたり、好奇心でやっていることなのにダメダメと連発されたり、うまくしゃべれないから、勝手に推測してどんどん違った解釈をされたり、急に何も言われずにどっかに消えて、置き去りにされる恐怖を味わったり、パパとママが目の前で罵しあい系のけんかばっかりしていたり‥‥。
きりがないほどの不安や怒りを、ママに気に入られるために押し殺してきたマグマが存在していて、導火線に火が付いたら、うっぷんを晴らすがごとくぐずりたくなる。イヤイヤ言いたくなる。駄々こねしたくなるのが幼子なのだ。
せっかく、導火線に火が付いたのだから、マグマを爆発させてあげれば、いいだけなのに。危険なものはしまって、ママは黄色い声援を送るような気持で、頑張れって心の中で祈って見守って。
小一時間もギャーギャー言っていれば、スッキリして、本来の素敵なわが子に蘇る。
あ~~~。なだめスマホは、そのスッキリをわが子から奪い、体内時計をふにょふにょにして、ルーテイン不形成による弊害が出そうで、案ずる。
ついスマホ
なだめるたびに
舐められる。