胃の3分の2切除から、もうすぐ丸2年。
やたら、下痢をする。
シャー。
ちょっと食べすぎたり、冷たい水分をちょこっとがぶがぶ飲むともうダメ。
鍼・灸の大家のおじいちゃん先生に診てもらったら、『胃はどうもない。大腸が炎症を起こしやすくなっている。』とのこと。で、今までは、背中に8か所くらい9クールのお灸だったのを、今回、初めて、おへその周り7か所を9クールすることになった。
誰がする?
夫しかいない。
でも、胃を切った直後の甲斐甲斐しさに比べて、最近は、めんどくさそうな顔を露骨にするようになったので、頼みづらい。
様子をうかがい伺い、お願いするのもしんどい。
でも、お灸の先生の所に行ってから、10日が過ぎてしまった。できれば、三日に一回はお灸をしたいところなのに、夫は、仕事に疲れているオーラビンビンで、なかなか頼めずにいた。
そして、今日。
今日は、お休みのご様子だったので頼もうとしたら、パソコンに向かって何やら真剣な表情が一向にやまない感じだったので、しびれを切らしてお願いしたら、すっげー不愉快そうな顔で、「何で、もっと早く言ってくれなかったのか。今、乗りに乗っているんだ。」と怒る。
こっちも、遠慮しいしい頼んでいるのに、そんなに怒らなくってもいいのに・・・と思うとむか~~~~~~っときた。
「いいもん。四男にしてもらうから。」と思わず、啖呵を切ってしまった。
8歳の子どもに、お灸ができるだろうか?
米粒の4分の一くらいの大きさに、ふわっと、しかも、皮膚に接する面をなるべく小さくして、おへそ周りの7か所に置き、そこに、火のついた線香を先っちょを、ピッとつけて火を点火するという作業を9クール、果たしてできるだろうか?
一抹の不安を感じながらも、今まで丸2年、私がお灸される姿を傍らでずっと見てきたのだから、どうにかなるかも・・・と思いつつ、四男に頼むと、二つ返事で快く快諾してくれた。たぶん、今まで、ずっと見ていて、してみたくってうずうずしていたのだと思う。やったーって顔をしていた。
こう来なくっちゃね。
線香の火を誤って、もぐさではなく皮膚に点火しやしないかとひやひやしたが、意外や意外、とても上手にもぐさにピッと点火してくれた。一度も皮膚にくっつかず、ピリッと痛い思いをせずに済んだ。
2年間、ずっと、夫のお灸を見てきただけのことはあった。見よう見まねの力も大きい。
8歳でお灸を据えるという体験は、かなりすごいんじゃないかなぁ。
私なんて、50歳で初体験だったもの。
お灸をすえるという行為って、誰にもできることではない。よって、なんだかちょっぴり高尚な感じがして、自分ってまんざらでもないなっていい気分になった。
きっと、四男もそんな気持ちになったんじゃないかな?
私なんかよりはるかに、自分ってまんざらでもない感という喜びを感じたと想像する。
最近、よく耳にする自尊感情がアップしたかも・・・・・。
お灸をしてもらっている最中も、私は、何度感謝の念を表現しただろうか。
「ありがとうねぇ。」「ありがとうねぇ。」「ありがとうねぇ。」・・・・・・・・。
もう、ココロから感謝だ。
だって、自分ではできない。どうしてもしてほしいことをしてくれるのだから、心から感謝の念が溢れてくる。
彼は、国語の世界に関しては、発達がかなりゆっくりなので、劣等感が強く「どうせ、僕はバカだから。」とときどき口にする。親としては、彼の劣等感をどう変換させられるか・・・が、今の最大のテーマなのだが、このお灸でそれを払拭できるかも・・・・と期待してしまった。
ところで、私は、四男がお灸をしてくれた体験を話したかったのではない。
何を話したかったかっていうと、喜んでお灸をしてくれた四男の、信じられないもっと素敵なとっておきの行動のお話をしたかったのだ。
つづく
物より思い出・・・・・の最高峰だ。
彼は、左利きである。
左利きなので、当然、左手にお灸に火をつけるための線香を持つ。
さて、彼は、右手に何を持って、何をしてくれたでしょう?
な、なんと、うちわを持って、私の顔を扇いでくれたのだ。
やっぱ、お灸って、痛いのだ。
特に、前半戦は。
何回も継続的にしていくと、そこに、つが被り、あまり痛みを感じなくなる。
わたしが、ヒョエ~っと叫んでカラダ全身に力が入っている姿を見て、あるいは、私の痛みを必死にこらえる形相を見て、自然とそんな行為に及んだのだと思う。
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~。涙。
感涙の最高峰だ。
子どもってやつは・・・。
お灸をしてくれただけでも幸せだったのに、彼は、私のハートにも、幸せのお灸をしてくれた。
脳内麻薬ドーパミンがバンバン出まくったぜ。
極上の幸せ・・・とは、こんな思いがけない自然体の思いやりを私でない他人から授かることなのかもしれない。
金八先生の『人という字は、人と人が支えあってウンヌン・・・・。』という定番名ゼリフは、ウソではない。
人間って愚かだから、いつもいつも思いやり溢れるヒト状態を保つことはできない。でも、何らかの拍子に、ニョキッと信じられないような思いやりが発動することもある。それを受け取ったラッキーな人は、ハートにお灸みたいなものが点火され、脳内麻薬がバンバン出て生きていくエネルギーを自家発電できるようになるんだと思う。
これで、一年は、彼のわがまま(自己主張)にも寛容でいられるかなぁ。
否、一生分かもしれない。
終わり
やたら、下痢をする。
シャー。
ちょっと食べすぎたり、冷たい水分をちょこっとがぶがぶ飲むともうダメ。
鍼・灸の大家のおじいちゃん先生に診てもらったら、『胃はどうもない。大腸が炎症を起こしやすくなっている。』とのこと。で、今までは、背中に8か所くらい9クールのお灸だったのを、今回、初めて、おへその周り7か所を9クールすることになった。
誰がする?
夫しかいない。
でも、胃を切った直後の甲斐甲斐しさに比べて、最近は、めんどくさそうな顔を露骨にするようになったので、頼みづらい。
様子をうかがい伺い、お願いするのもしんどい。
でも、お灸の先生の所に行ってから、10日が過ぎてしまった。できれば、三日に一回はお灸をしたいところなのに、夫は、仕事に疲れているオーラビンビンで、なかなか頼めずにいた。
そして、今日。
今日は、お休みのご様子だったので頼もうとしたら、パソコンに向かって何やら真剣な表情が一向にやまない感じだったので、しびれを切らしてお願いしたら、すっげー不愉快そうな顔で、「何で、もっと早く言ってくれなかったのか。今、乗りに乗っているんだ。」と怒る。
こっちも、遠慮しいしい頼んでいるのに、そんなに怒らなくってもいいのに・・・と思うとむか~~~~~~っときた。
「いいもん。四男にしてもらうから。」と思わず、啖呵を切ってしまった。
8歳の子どもに、お灸ができるだろうか?
米粒の4分の一くらいの大きさに、ふわっと、しかも、皮膚に接する面をなるべく小さくして、おへそ周りの7か所に置き、そこに、火のついた線香を先っちょを、ピッとつけて火を点火するという作業を9クール、果たしてできるだろうか?
一抹の不安を感じながらも、今まで丸2年、私がお灸される姿を傍らでずっと見てきたのだから、どうにかなるかも・・・と思いつつ、四男に頼むと、二つ返事で快く快諾してくれた。たぶん、今まで、ずっと見ていて、してみたくってうずうずしていたのだと思う。やったーって顔をしていた。
こう来なくっちゃね。
線香の火を誤って、もぐさではなく皮膚に点火しやしないかとひやひやしたが、意外や意外、とても上手にもぐさにピッと点火してくれた。一度も皮膚にくっつかず、ピリッと痛い思いをせずに済んだ。
2年間、ずっと、夫のお灸を見てきただけのことはあった。見よう見まねの力も大きい。
8歳でお灸を据えるという体験は、かなりすごいんじゃないかなぁ。
私なんて、50歳で初体験だったもの。
お灸をすえるという行為って、誰にもできることではない。よって、なんだかちょっぴり高尚な感じがして、自分ってまんざらでもないなっていい気分になった。
きっと、四男もそんな気持ちになったんじゃないかな?
私なんかよりはるかに、自分ってまんざらでもない感という喜びを感じたと想像する。
最近、よく耳にする自尊感情がアップしたかも・・・・・。
お灸をしてもらっている最中も、私は、何度感謝の念を表現しただろうか。
「ありがとうねぇ。」「ありがとうねぇ。」「ありがとうねぇ。」・・・・・・・・。
もう、ココロから感謝だ。
だって、自分ではできない。どうしてもしてほしいことをしてくれるのだから、心から感謝の念が溢れてくる。
彼は、国語の世界に関しては、発達がかなりゆっくりなので、劣等感が強く「どうせ、僕はバカだから。」とときどき口にする。親としては、彼の劣等感をどう変換させられるか・・・が、今の最大のテーマなのだが、このお灸でそれを払拭できるかも・・・・と期待してしまった。
ところで、私は、四男がお灸をしてくれた体験を話したかったのではない。
何を話したかったかっていうと、喜んでお灸をしてくれた四男の、信じられないもっと素敵なとっておきの行動のお話をしたかったのだ。
つづく
物より思い出・・・・・の最高峰だ。
彼は、左利きである。
左利きなので、当然、左手にお灸に火をつけるための線香を持つ。
さて、彼は、右手に何を持って、何をしてくれたでしょう?
な、なんと、うちわを持って、私の顔を扇いでくれたのだ。
やっぱ、お灸って、痛いのだ。
特に、前半戦は。
何回も継続的にしていくと、そこに、つが被り、あまり痛みを感じなくなる。
わたしが、ヒョエ~っと叫んでカラダ全身に力が入っている姿を見て、あるいは、私の痛みを必死にこらえる形相を見て、自然とそんな行為に及んだのだと思う。
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~。涙。
感涙の最高峰だ。
子どもってやつは・・・。
お灸をしてくれただけでも幸せだったのに、彼は、私のハートにも、幸せのお灸をしてくれた。
脳内麻薬ドーパミンがバンバン出まくったぜ。
極上の幸せ・・・とは、こんな思いがけない自然体の思いやりを私でない他人から授かることなのかもしれない。
金八先生の『人という字は、人と人が支えあってウンヌン・・・・。』という定番名ゼリフは、ウソではない。
人間って愚かだから、いつもいつも思いやり溢れるヒト状態を保つことはできない。でも、何らかの拍子に、ニョキッと信じられないような思いやりが発動することもある。それを受け取ったラッキーな人は、ハートにお灸みたいなものが点火され、脳内麻薬がバンバン出て生きていくエネルギーを自家発電できるようになるんだと思う。
これで、一年は、彼のわがまま(自己主張)にも寛容でいられるかなぁ。
否、一生分かもしれない。
終わり