総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

子は・・・。

2013年06月23日 | エッセー
胃の3分の2切除から、もうすぐ丸2年。
 やたら、下痢をする。
 シャー。

 ちょっと食べすぎたり、冷たい水分をちょこっとがぶがぶ飲むともうダメ。

 鍼・灸の大家のおじいちゃん先生に診てもらったら、『胃はどうもない。大腸が炎症を起こしやすくなっている。』とのこと。で、今までは、背中に8か所くらい9クールのお灸だったのを、今回、初めて、おへその周り7か所を9クールすることになった。

 誰がする?
 夫しかいない。
 でも、胃を切った直後の甲斐甲斐しさに比べて、最近は、めんどくさそうな顔を露骨にするようになったので、頼みづらい。
 様子をうかがい伺い、お願いするのもしんどい。

 でも、お灸の先生の所に行ってから、10日が過ぎてしまった。できれば、三日に一回はお灸をしたいところなのに、夫は、仕事に疲れているオーラビンビンで、なかなか頼めずにいた。
 そして、今日。
 今日は、お休みのご様子だったので頼もうとしたら、パソコンに向かって何やら真剣な表情が一向にやまない感じだったので、しびれを切らしてお願いしたら、すっげー不愉快そうな顔で、「何で、もっと早く言ってくれなかったのか。今、乗りに乗っているんだ。」と怒る。
 こっちも、遠慮しいしい頼んでいるのに、そんなに怒らなくってもいいのに・・・と思うとむか~~~~~~っときた。
 「いいもん。四男にしてもらうから。」と思わず、啖呵を切ってしまった。
 8歳の子どもに、お灸ができるだろうか?
 米粒の4分の一くらいの大きさに、ふわっと、しかも、皮膚に接する面をなるべく小さくして、おへそ周りの7か所に置き、そこに、火のついた線香を先っちょを、ピッとつけて火を点火するという作業を9クール、果たしてできるだろうか?
 一抹の不安を感じながらも、今まで丸2年、私がお灸される姿を傍らでずっと見てきたのだから、どうにかなるかも・・・と思いつつ、四男に頼むと、二つ返事で快く快諾してくれた。たぶん、今まで、ずっと見ていて、してみたくってうずうずしていたのだと思う。やったーって顔をしていた。

 こう来なくっちゃね。

 線香の火を誤って、もぐさではなく皮膚に点火しやしないかとひやひやしたが、意外や意外、とても上手にもぐさにピッと点火してくれた。一度も皮膚にくっつかず、ピリッと痛い思いをせずに済んだ。
 2年間、ずっと、夫のお灸を見てきただけのことはあった。見よう見まねの力も大きい。
 
 8歳でお灸を据えるという体験は、かなりすごいんじゃないかなぁ。
 私なんて、50歳で初体験だったもの。
 お灸をすえるという行為って、誰にもできることではない。よって、なんだかちょっぴり高尚な感じがして、自分ってまんざらでもないなっていい気分になった。
 きっと、四男もそんな気持ちになったんじゃないかな?
 私なんかよりはるかに、自分ってまんざらでもない感という喜びを感じたと想像する。
 最近、よく耳にする自尊感情がアップしたかも・・・・・。
 お灸をしてもらっている最中も、私は、何度感謝の念を表現しただろうか。
 「ありがとうねぇ。」「ありがとうねぇ。」「ありがとうねぇ。」・・・・・・・・。
 もう、ココロから感謝だ。
 だって、自分ではできない。どうしてもしてほしいことをしてくれるのだから、心から感謝の念が溢れてくる。
 

  彼は、国語の世界に関しては、発達がかなりゆっくりなので、劣等感が強く「どうせ、僕はバカだから。」とときどき口にする。親としては、彼の劣等感をどう変換させられるか・・・が、今の最大のテーマなのだが、このお灸でそれを払拭できるかも・・・・と期待してしまった。

 ところで、私は、四男がお灸をしてくれた体験を話したかったのではない。
 何を話したかったかっていうと、喜んでお灸をしてくれた四男の、信じられないもっと素敵なとっておきの行動のお話をしたかったのだ。


 つづく

物より思い出・・・・・の最高峰だ。

 彼は、左利きである。
 左利きなので、当然、左手にお灸に火をつけるための線香を持つ。
 さて、彼は、右手に何を持って、何をしてくれたでしょう?

 な、なんと、うちわを持って、私の顔を扇いでくれたのだ。

 やっぱ、お灸って、痛いのだ。
 特に、前半戦は。
 何回も継続的にしていくと、そこに、つが被り、あまり痛みを感じなくなる。
 わたしが、ヒョエ~っと叫んでカラダ全身に力が入っている姿を見て、あるいは、私の痛みを必死にこらえる形相を見て、自然とそんな行為に及んだのだと思う。
 う~~~~~~~~~~~~~~~~~~。涙。
 感涙の最高峰だ。
 子どもってやつは・・・。
 お灸をしてくれただけでも幸せだったのに、彼は、私のハートにも、幸せのお灸をしてくれた。
 脳内麻薬ドーパミンがバンバン出まくったぜ。

 極上の幸せ・・・とは、こんな思いがけない自然体の思いやりを私でない他人から授かることなのかもしれない。

 金八先生の『人という字は、人と人が支えあってウンヌン・・・・。』という定番名ゼリフは、ウソではない。
 人間って愚かだから、いつもいつも思いやり溢れるヒト状態を保つことはできない。でも、何らかの拍子に、ニョキッと信じられないような思いやりが発動することもある。それを受け取ったラッキーな人は、ハートにお灸みたいなものが点火され、脳内麻薬がバンバン出て生きていくエネルギーを自家発電できるようになるんだと思う。
 

 これで、一年は、彼のわがまま(自己主張)にも寛容でいられるかなぁ。
 否、一生分かもしれない。


 終わり


  
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ダイエットの最高峰

2013年06月20日 | エッセー
体内リズムダイエットという本がある。
 近くのスーパーの雑誌売り場に置いてあって、パラパラっとめくったら、画期的な内容だったので購入したかったけれど、かなり多くの人の手にとって立ち読みされた形跡があったので、本屋さんに行ったら、もう、出回っていないとのこと。がっくり・・・。
 
 最近、やせる断トツアイティムは、食事制限でもなく、運動でもなく、リズムなのだとしみじみ思う。

 1か月ほど前の、朝日新聞に、朝食を毎日食べる人と食べない人、週1回食べる人、週2回、週3回、週4回、週5回、週6回食べる人を比べて、どの人が、糖尿病や認知症になりやすさや体重増加などを調べた結果、な、なんと、びっくりな結果となった。

 朝食を週2回食べる人が、一番、太りやすく、不健康だった。

 え~~~~~~~、毎日食べる人でもなく、朝食抜きの人でもないなんて……アンビリーバブル。

 この研究結果は、画期的だ。
 いつもは食べないのに、週2回、たまに朝食をとるから、飢餓感から吸収能力がパワーアップするのだろうか?

 どうやら、人のカラダは、規則正しい生き方からずれればずれるほどカラダに与えるダメージが大きいようだ。きっと、自律神経が重要なんだよ。
 日課・・・・・を甘くみてはいけない。

 だいたい何時に起きて、何時に朝ご飯食べて、何時に散歩して、何時にお茶して、何時に昼ご飯食べて、ティータイムは何時で、夕食は7時までにすませて、寝る前3時間は、何も食べないで、だいたい何時に寝る・・・・みたいな日課。

 人間だって、動物。動物って、きっと、日課に即した生活をしていると思う。
 

 そう思っていたら、つい2種間ほど前の朝日新聞で、ナッシュになった40代男性の体験談が掲載されて、またまた、びっくりした。そして、確信した。


 つづく

ナッシュとは、飲んだり食べたりの大好きな人が、飲んだり食べたりをし続けた結果、脂肪の貯蔵庫である肝臓を埋め尽くし、溢れんばかりの脂肪から炎症を起こす物質が噴射され、肝臓が炎症反応で腫れてしまい、最終的には、硬くなって肝硬変になる病気である。
 脂肪細胞は、その人にとって調度いい体重だとアディポネクチンという長生きホルモンを出すいい細胞。しかし、20歳から10㎏以上体重が増えた人の脂肪細胞からは、ムカデの毒のような、ハチの毒のような炎症物質を放出するという悪い細胞に変身してしまう。
 食べたものは、絶対、必ず、何が何でも、どうにかこうにか、処理される。
 甘いものや油は、体内で脂肪になる。とりすぎた脂肪は、どこに行く?
 まず、肝臓の倉庫に納入される。
 それでも、余ったら、筋肉の中の脂肪細胞に貯蔵される。
 それでも、余った分は、しかたない。血液の中を、コレステロールという宅配便トラックの積み荷に乗って、中性脂肪となって体中の血液の中をぐるぐる、ぐるぐるただただめぐる。中性脂肪が積み荷にもいっぱいになって溢れそうになったら、中性脂肪と一緒にはこばれているコレステロールが圧縮され、そのトラックの荷台から零れ落ちないように工夫する。しかし、この圧縮されたコレステロールが曲者なのだ。
 圧縮されたコレステロールは、簡単に血管の隙間に入り込み、動脈硬化の進行が加速する。
 動脈硬化って、血管の老化。
 生まれたての赤ちゃんのように、ピチピチだった、あるいは、買ってきたばかりのゴムのように弾力性のあった血管も、老化により、弾力性が失われていく。老化は仕方ない。
 でも、血液検査の中で中性脂肪というものがいつも高い状態の方の血管は、この圧縮されたコレステロールが血管に入り込む型の動脈硬化が進み、かなりもろくなる。で、見た目は、そんなに血管が詰まっていないように見えても、ちょっとしたことで決壊する。つまり、決壊した場所が、脳だと脳出血となる。
 血液検査を見て、コレステロールだけが高い人の血管より、中性脂肪だけが高い人の血管の方が、見た目と違って、もろい。

 

 ところで、この男性は、体重が20歳の頃より、20㎏以上増え、肝臓がフォアグラ化する脂肪肝という病気になった方。
 なんだ。肝臓が脂肪だらけになった病気か・・・と侮ってはいけない。
 20歳の頃より、体重が10㎏以上増えた人の脂肪細胞は、調度いい体重の人の脂肪細胞とは、カラダに与えるダメージが天と地の差がある。

 それで、入院された。
 そしたら、2か月で20㎏体重が減ったとのこと。
 しかし、退院すると、あっという間に元の体重に戻ってしまった。
 それで、食事制限と一日2時間の運動をがんばったけれど、全く、やせなかったとのこと。
 むしろ、病院に入院していた時の方が、たくさん食べ、運動はほとんどしていなかったのに。

 な~~~~ぜ?


 つづく


この男性は、仕事の関係で帰りはいつも夜遅く、10時~12時に夕ご飯を食べて、すぐ寝る生活をされていた。

 夕ご飯をいつ食べるか?

 ダイエットの最高峰は、夕方に夕食を食べる。(もちろん、夜食は禁)

 夕食の時間が、食べる量より運動量より、はるかに人体に与える影響が大きいということがこの男性の体験談から納得できた。 

 ある程度、規則正しく、夕ご飯は、夕方に。

 子育てしていると、ストレスたまるよね。
 子どもが寝付いた後、ゆっくりくつろぎたい。
 でも、ダイエットしたい方は、ここで、ビール飲んだり、ケーキを食べてしまうととんでもないしっぺ返しがやってくる。
 ストレス発散のための、『食べる』は、午後4時ちょこっと前のおやつタイムに持っていこう。
 4時ちょこっと前が、ダイエットするためのおやつタイムとしては、一番いいのだそう。

 チラッとよぎった。

 何が?

 子どもたちって、成長盛りだから、そう簡単には太らない。
 ジュースがぶ飲みのやせーた中学生も五万といる。

 でも、どうなんだろう。

 小さい頃から、おやつの時間を決めてもらえず、欲しがるときに、喉が渇いたという時に、不定にだらだらとジュースやあめ玉などをちょこちょこ与えられて育った子どもは、太りやすい後天的な因子を植え付けられているんじゃなかろうか?

 つづく

同じように食べても、太りやすい人と太らない人がいる。
 
 そんな体質を小さい頃の不定のおやつが、あるいは、ちびちび飲むペットボトルのジュースやイオン飲料が、あるいは、だだをこねた時に与えていたあめ玉が、もしかしたら、形作っていたのかなぁ~?

 夫も、結婚して、10㎏以上太った。
 脂肪肝だよ。あの突き出たおなかは。
 結婚して、夫の行動を見て、口が寂しくてついつまむというような行動に唖然としたことがある。
 寝ころんでテレビを観ていて、トイレに行こうと立ち上がって、トイレに行く道すがら、テーブルの上に置いてある食べ物二気づくと、一口パクッと口に入れる・・・・・みたいな行動が、日常茶飯事だった。あんなにちょこちょこついばんで、夕食がおいしいのかなぁ?って不思議。
 夜中だろうが、明け方だろうが、ついばむ。

 食べる時間の不定にカラダがよくついて行っているなぁって思っていた。
 私は、おなかが空いていないと食べたくない。

 それが、自然じゃないかと思うのだけれど、夫の食行動は、おなかは空いているいないは関係なさそうで、どうなっているんだろうって不思議だ。
 どうなっているんだろう?
 なんとなく、おやつは、つい食べてしまうって理解でいる。
 でも、そのあとのお昼ご飯とか夕飯が全然おいしくないから、いつもそんなことをしていたら、かえってストレスになるので、主食に影響するような食べ方はしなくなる・・・。


 つづく
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私は、家庭内野党

2013年06月15日 | エッセー
 安倍首相の妻、昭恵夫人は、『夫が首相という日本で最高の権力を得て、周りに物言う人がいなくなり、原子力輸出という政策を打ち出したことへ、せめて、わたしだけでも反対ということを言わなくては…・私は、家庭内野党です。』というようなことを語られたという記事が、6月11日の新聞に掲載され、翌日の天声人語で、そのことが話題になっているということが書かれていた。

 やっぱりね。ほらね。
 人は、権力を持つと危ない。

 昭恵夫人、がんばれ!!

 そして、国民もしっかりせねばならぬ。

 首相を裸の王様にしないために、憲法はあるのだ。きっと。

 首相を、『自分ってちっぽけな時に間違いを起こす愚かな人間であるというハニカミ王子』のままいさせてあげる強力で偉大なもの、畏怖の念を抱かせるものとして憲法は絶対に必要なものなのだ。
 誰だって、ヒットラーになれる要素を持っている。
 大切なのは、ヒットラーにさせない制御システムを完備すること。

 だから、だから、その憲法を2分の1の議決で簡単に変えられるようなシステムにしては、絶対にならぬ。

 

 つづく

アメリカは、憲法などわりとゆるいんだそう。
 そのアメリカでも、憲法を改正するためには、上下両院の議席の3分の2以上と、51州のうち4分の3の州の賛成が必要なんですって。
 
 権力を持つと、暴走化しやすい例は、日常のありとあらゆるところに潜んでいる。

 父親になって、子どもをもって、自分より弱い存在に出逢ったとたん、ニョキニョキと権力欲の芽が出て、虐待してしまう人もいる。
 結婚したとたん、妻に暴力をふるうようになってしまう人もいる。
 お酒に飲まれると、普段はいい人なのに、暴れまくる人もいる。
 言うことを聞かないから、『叩くしかなよね。』って、開き直るママも結構いる。
 注意するとか指導するとう立場やお仕事の人も、自分を見張っていないと、すぐ権力の芽が出てくるから気をつけないといけない。
 注意はしないけれど、『わたしなら、こうする。』と強い口調でいう人もいる。そんな物言いは、なんだか、『あなたが間違っている。』って言われているのと同じような空気を感じてしまう。
 注意するというスタンスが、自分は正しくて相手が間違ってるという上下関係だもの。いつもそればっかりしていると生活習慣病になってしまいやすい。
 だから、先生という立場の人は、要注意だよね。

 そして、しっかり、私の心の中にも潜んだいる。

 人が人でいる限り、権力欲の見張り番は必要だ。

 昭恵夫人、がんばれ!

 でも、男の人って、いったん、自分がこうすると決めたら、奥さんの意見は聞こうとしないって、ジョン・グレイさんが言っていた。失敗するまで突き進みやすい生き物だって言っていた。そして、かりに、失敗しそうになっても、奥さんに助言を求めたりはしない。同じ道を歩む尊敬する先輩に相談するとも言っていた。

 首相が尊敬する同じ道の専門家って誰だろう?
 やっぱ、自民党議員?
 妻の昭恵さんも、周りに物言う人が、首相になったらいなくなった。だから、私が家庭内野党になって言うしかない・・・とつぶやかれたのだから。自民党の中には、反対意見の議員もいらっしゃるだろう。でも、首相という権力者には、物言えなくなてしまっているのだ。
 こりゃ、だめだ。

 最後の砦である専門家の最高峰=憲法を変えようとしているんだから。

 せめて、国会議員の中で、昭恵夫人を増やすしかない。
 国民にできることは、野党議員を増やして、権力の独裁を許さない体制を構築すること。

 私たちは、選挙では、その背策に目を奪われがち。でも、常に、背策と権力の抑止力の二つの視点で、選挙に参加することが大切だと思う。マジ・・・・・。

 この選挙(参議院選挙)、そういう意味でとてもとても大事にしないといけない選挙。
 安倍首相の中に潜むヒットラーを顕在化させないために・・・・。

 やだよ。ナチスドイツの再来なんて・・・・・。

 
 

 

 終り

  

 
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わたしだけ  わたしだけじゃない

2013年06月12日 | エッセー
 精神科医の香山リカさんが、『辛いことがあっても、〝私だけじゃない”と言える人は、大丈夫。でも、うつ病になる人は、〝わたしだけ”と訴える人が多いようだ。』と言うようなことをエッセーに書いてらした。
 なるほど。

 どうしてわたしだけがこんなに不幸せなの?

 と

 こんなつらい目に合うのは、わたしだけじゃない。

 では、追い詰められ方が全然違う。

スコーンと心に入ってくるシンプルな言葉がある。
 この、『だけ』と『だけじゃない』もとてもシンプルなのにうつ病になりやすい人のタイプをよく表現している。実に言いえて妙・・・だ。
 『どうせ、社会に出たら、高校の授業なんて役に立たないのに、どうして、そう一生懸命勉強しなくちゃいけないの?』という三男の問いに
『だけ…だけじゃない』的な切れ味のいい言葉を見つけられずに悶々教に入信している私だ。

 今朝も、職場で、そんな言葉に出逢えて気分がよかった。
 それは、『陸でおぼれる』という言葉。エイジングという雑誌に掲載されていた。

 えっ?陸でおぼれるってどういうこと?

 と興味を持って、その記事をみると、煙草を吸っている人の5~6人に一人がなるといわれる気管支が不可逆的に使えなくなる病気で、それになったらまず、咳がよく出るようになり、息が苦しくなり、痰が絡まって吐き出すのが容易でなくなる。痰が絡まって出ないって結構しんどいよ。最終的には酸素ボンベを担いだ生活になって行きたいところにも行けなくなる=寝たきりに近い生活を送らざる負えなくなるというCOPDという病気になった人の状態を表す言葉だった。
 なるほど。
 実に言いえて妙。
 溺れるんだよ。それも陸で。ちゃんと空気があるのに、空気を吸えないなんて・・・・。
 しかも、海で溺れるのは一瞬だけれど(助かるにしても助からないにしても)陸で溺れるのは死ぬまで・・・・・だ。何年も何十年も溺れかけた息苦しい状態で生活をするなんて考えただけでもぞっとする。
 なのに、なのに、煙草をやめられないなんて・・・・。でも、煙草を吸っている人全員がなるわけではないのね。5~6人に一人ということは、やっぱり、元々気管支が弱い人がなりやすいのだろう。人間って、どこかここか弱いところを持って生まれてくる。で、無理をすると、その弱い部分が病気という形で黄色信号を送ってくれるのだと思う。煙草を吸う人で、咳が出始めたら、禁煙サインだと思って、インターネット禁煙マラソンにアクセスしよう。



 それにしても、どうして私だけが・・・・・って気持ちになるのだろう。
 世の中、もっと大変な人がいるって育ちの中で実感することが多い。
 金スマなんか見ていても、壮絶な人生を這い上がって生きてきたというすごい人だらけだ。
 先日も、耳が聞こえなくなった作曲家の息も絶え絶えな人生を特集していた。

 そういうテレビを観ても、わたしだけ…という思考に追い詰められてしまうのは、どうしてなんだろう?

 子育てするとき、『私だけ・・・・』という風に思わないように育てるってことはとても大切なことなのかもしれない。
 私だけ・・・と視野狭窄に陥ってしまうその心理は一体どこから来るのだろう?
 COPDになる人は、5~6人に一人という。
 心も生まれながらにストレスにさらされると視野狭窄になりやすいタイプの心の弱い人が5~6人に一人いるのかなぁ?


 つづく

ふと思った。
 小さい頃、グリム童話の原本を読んであげることの効用は、『わたしだけじゃない』人間形成似にも大きく影響するのではないか・・・・と。
 そうだ。そうだよ。
 小さな子どもたちは、パパやママに叱られるたびにくそーっと握り拳を握りしめている。
 ひょっとして、ひょっとして、言い聞かせるというスタイルの叱り方も子どもにとっては不快なんじゃないかもって思ったりもする。だって、私は、苦手だもん。職場で、私がミスをするといちいちその理由と根拠を説明してくれる時の構図が・・・・・。あっちが上で私が下って感じ。あっちが正しく私が間違っているということを問いかけてくるスタンスは、まさに、子どもが親に言い聞かせられているって感じだ。だから、きっと、子どもたちも内心不愉快なんじゃないかなぁって想像してしまう。

 だから、時には、親なんていなくなれって真剣に思うこともあるはず。死んじまえって思うこともあるはず。
 でも、幼心に、死んじまえなんて親に言う子なんていない・・こんなことを考えてしまう自分はいけない子・・・・という罪悪感のなかで、そんな気持ちを封印しようとする。ほんとうは、死んでしまえ・・・ではなく、『腹が立って気持ちがおさまらない。言い返したいけれど怖くて言い返せなくて悔しい。』という気持ちなんだけど、幼いがゆえに、言葉を見つけられない。私も、ときどき『陸でおぼれる』みたいな的確な言葉に出逢えなくて悶々教にすぐ入信してしまうくらいだもの。幼い子どもは、親がその気持ちを汲んで言葉に変換してあげないと難しい。
 グリム童話の原本は、子どもたちに、親なんて死んでしまえと思っている子どもがいっぱいいることを教えてくれる玉手箱だ。

 つづく

 そう、グリム童話の原本は『わたしだけじゃない』と実感できるすごい力を持っている。
 原子爆弾並みのパワーだ。いい意味で・・・。
 それなのに、多くのママたちが、あんな残酷なお話を読んであげたらわが子も感化されてしまうんじゃないかという恐れから好ましい絵本というジャンルから外してしまう。
 ちがうのにねぇ~。
 母親になって、言うことを聞かないわが子につい手をだしてしまいそうになる、あるいは、手をだしてしまって、そんな残酷な自分の姿におののき、苦しみ、育児ストレスを抱えるママも多い。そんな恐ろしい自分に罪悪感を抱いているから、だから、グリム童話の原本を残酷だと評して子どもの前から排除してしまう。
 人間は、場が変われば、天使にも悪魔にもなる・・・ということをしっかり心に刻んでいるママは、子どもにきれいな部分だけを見せようとはしないかもしれない。し、理想のいいママになれない苦しみに苛まされることもないかもしれない。
 何度も言うけれど、グリム童話は、そんな愚かな人間だけれど、必ず、絶対、永遠にしあわせになるという強烈なメッセージで完結している。結末は、いつも『きれいで優しいお姫様と末永く幸せに暮らしましたとさ。』

 『わたしだけじゃない。』と『結末は、ハッピーエンド。』


 この二つの放つ強烈なメッセージにより、子どもたちは、幸せになれる。自分を好きになれる。たぶん、将来、うつ病とか摂食障害というような自分を好きになれない病気になることは少ないかも。

 がん保険が大流行な今日この頃。
 子どもの頃からかけるタイプもあってびっくりする。
 でも、どうせかけるなら、心の保険として、グリム童話の原本を読んであげたらいかがだろう。

 あのね。育児不安がものすごいママって、『わたしだけ』思考が強いなって感じている。仕事柄。



 つづく

 でも、そんなママもグループワークみたいな感じで、他のママたちの気持ちを聞くことで、『わたしだけ』思考から脱却し、『わたしだけじゃない』思考に一瞬にして変換し、不安が一気に消えるようで、びっくりする。
 同じような悩みを抱えたグループで自分のことをおしゃべりすることを、ピアカウンセリングという。
 よく悩みがあったら相談を・・・・というけれど、人に相談できるような悩みは悩みではないような気がする。
 悩みは悩みでも勝ち組の悩み・・・・みたいな。
 負け組のニオイのする悩みは、同じ負け組のニオイのする人にしか話せないかなぁ~。
 いいお母さん(優しくて怒らない)になれないという悩みは、いいお母さんを目指すママにとっては、負け組の悩みなのだと思う。
 

 つづく

だから、誰にも話せない。
 『子どもって、憎らしいこともあるけれど、めっちゃかわいいよねぇ~。』なんて幸せそうにいうママには話せない。自分の気持ちを理解してもらえそうもないもの。それに、同情されるなんてまっぴらごめんだし・・・。

 私も、胃がんと宣告されたとき、そうだった。
 人生の負け組だと思ったもん。
 保健師だって、がんにもなる。『でも、保健師さんが、がん?保健師失格だね。』って思われそうで・・・・。それと、本気で心配してくれそうな人って、職場にはいないってよ~くわかったし~。

 だけど、同じような不幸な人には、素直に話せた。
 ジャンルが違っても、試練を与えられ、負けるもんかと自分の人生と格闘技しているようなニオイのある人には話せた。
 クンクン、クンクン。

 育児不安でどうにかなりそうなママたちも、『わたしだけじゃない』を実感できる井戸端会議のようなママ会議の場を設けると、他のママたちの育児格闘技談を聞いているうちに、いつのまにか、似たようなママにママ力をもらって、帰るころには、かなり、元気になっていかれることが多い。

 人は人によって支えられる。痛めつけられることも多いけれど・・・・。

 ゆりかごから墓場まで、『わたしだけじゃない』体験をどんだけできるか。『鉄は熱いうちに打て!』だ。できれば、幼い頃から、それを体感できてる子どもは、そうでない子どもより、生きることがかなり楽ちんだろうなぁ。

 
 わたしだけ  と   わたしだけじゃない  

 悩んだら、わたしだけじゃない体験をどうすれば手に入れられるかという入り口を探して、迷宮から脱出しよう!


 終わり


 今日の朝日新聞の天声人語に、安倍首相の妻の昭江さんの家庭内野党の記事が載っていた。
 やっぱり・・・ね。


 つづく
 

 



 

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悶々教

2013年06月07日 | エッセー
子育ては、憲法9条のように難問である。
 三人三様、否、四人四様の男の子を神様から授かって=預かって、決して理想の夫婦というような家庭を子どもたちに提供できない大多数のアンバランスな夫婦関係の中の一人である私が、どうにかこうにか一人で生き抜く力の基盤をあるいはエネルギーを息子たちに付与したいという一心で子育てしてきたし、今もその思いは強い。
 『その人をありのままを受け入れる人になれるか?』という人生のお題を神様から与えられ、まるで、神様から試されているように思えることの悶々は、憲法9条の戦争をしない道を突き進むのと同じくらいの悶々だ。モルモン教ではなく、モンモン(悶々)教を信仰している私。宗教は、よそ様の神様の力でなんだか明確な答えをいただいたような気がして、それを信じきることで、悩みから救われる。一方、モンモン教は、自分自身の力で明確な答えを出せないけれども、問い続け、自分という人間を明確にしていくことで、『自分って結構、いいじゃん。』って気持ちになって、幸せに近づいていく。

 今の、私の子育て悶々は、高2の三男の放った一言に、まだ、私なりの明快な答えを見つけられないでいること。

 ちょこっと前に、『どうしたら、結婚できるの?やっぱ、経済力?』って、突然聞いてきた時も、一瞬、どぎまぎした。

 そこで、スーッと口から出てきた言葉は、「もちろん、経済力は大前提。それに、もう一つは、自分を好きになれたら・・・・かな?自分を大切にできなければ、奥さんもも子どもも大切にできないもの。」

 そう言うと、彼は、何も言い返すこともせず、黙り込んだ。
 

つづく

 でもね。自分を好きって言えるようになるってそう簡単ではない。私自身も、自分を好きって思えるようになったのは、夫に言いたいことを自然体で言えるようになった時。でも、時々、嫌だなと思う時がある。それは、職場でパワーを持つAさんに自然体で自分の意見を言えない自分がいて、そのせいで、年下の同僚たちを守れないと感じた時。『卑怯だな。私は・・・。』て思っちゃって自己嫌悪に陥る。今でも、時々、喉に骨がひかかったまま…疼く。
 だから、そう簡単に、人は、自分のことを好きって断言できないかもしれない。
 どちらかというと、自分を嫌いって思わない、あるいは、ときどき、自分って案外いいじゃんって思えるくらいの好き・・・かな?

 自分のことを嫌いって思っている人は、きっと、親との間で何か辛い思いをしてきた人が多いと思うので、嫌いと思わないようになることが、人生の課題だったりするんじゃないだろうか。親と対決して・・・・・。きちんと向き合って・・・。
 桜井翔君の家族ゲームは、まさに、それを突き付けている。鈴木保奈美ママに、「そろそろ、株に手を出すのはやめて、きちんと子どもと向き合ったら?夫と向き合ったら。そして、自分と向き合ったら・・。」と名ゼリフを放っていた。


 この自分と向き合うというのが、わかるようでわからない。
 というか、わかる?

 一人で、じ~~~~と向き合おうと頭をひねらせても浮かんでこない。
 瞑想という世界もまだ、未知の世界だ。瞑想しようと試みても、雑念だらけで迷走しちゃうのが関の山だ。
 
 私にとって、実は、自分と向き合うチャンスは、人間関係でつまづいたり、子育ての中で出逢う?によってもたらされてきたような気がする。

子どもを育てると言いながら、トマトはトマトを育てるように、メロンはメロンを育てるように、あるいは、バラの花はバラを育てるように、桔梗は桔梗を育てるように・・・・という風になかなかできない。どこかで、自分の思いどおりにしてほしくってわが子を操作しようとしてしまう。そう、ほんとうは、せめて国立大学に進学してほしいなどと思う私がちゃっかりいる。だから、どうしても、『あなたが存在するだけでお母さんは幸せよ。』なんて直視して言えない。
 でも、三年寝たろう三男君に対しては、国立大学進学というような私の思いどおり欲求は、お陰様で、消滅した。でも、まだまだ、あなたがいるだけでいい…なんて境地には達せない。せめて、何か一つでもいい、勉強でなくてもいい、自分の力を出し切る喜び、達成感を体験したカラダで我が家から巣立ってほしい…と思ってしまう親心。

 三男は、今まで自分の力を出し切った喜びを味わったことがあるのかなぁ。
 もう、何でもいいんだけれど・・・・。
 部屋は、ゴミ屋敷さながらの様相だ。そんな部屋で、休みの日は、こもっていったい何を考えているのだろう。
 部活もしていない。
 やっと、昨日、ボランティア部みたいなものに入部したらしい。
 携帯電話は、成績が真ん中より落ちたら解約するという約束で購入した。しかし、今回3回目の挑戦で『頑張るから、解約しないで。』ということだったのに、なんだかなぁ~。必死さオーラなんかどこにもない。
 案の定、案の定の成績だった。
 携帯もなくなったら、何の楽しみもなくなりそうなのに・・・・。
 力を出し切る経験がないから、力を出し切れるような環境を作ったのに、結局、力を出し切らなかった。
 携帯をエサにしてもダメだった。
 こりゃ、ダメだ。

 あとは、社会人になって、自分で自分の人生をスタートしてから、自分で感じ取るしかないのだろうか。

 そんな三男が、ボソッと一言投げかけた言葉に、返す言葉をうまく見つけられなかった。
 彼は、ホテルマンになりたいと言ってきた。
 ホテルマンとは、どんな仕事をするのだろう。わかっているのかなぁ?結構、大変そうだ。勤務時間とかも不規則だろうし・・・。一生の仕事として真剣に考えているのかなぁ。
 で、そのために、専門学校に行かせてくれと言ってきた。奨学金を借りるから…とも言った。
 つまり、学ばせてくれとお願いされたのだが・・・・。
 どうもねぇ~。なんかねぇ~。
 行ってみたら、つまんなかった。辞めるって言い出しかねない。あるいは、どうにかその仕事についてもすぐやめてしまうのではないかという懸念を拭いきれない。
 それは、きっと、彼が今までやるだけのことはやったというような姿勢で何かに取り組んだ姿を見たことが一度もないからなのだ思う。自分の息子でありながら、どうも信用が置けない。情けない。

 で、私の口から出た言葉は、『だったら、せめてもうちょっと勉強も頑張ってくれないとねぇ~。大学より授業料って高いんだから、あなたなりに高校での勉強を精一杯やっている姿を見ないとイヤだ。』だった。
 そしたら、「専門学校って、誰でも入れるから、受験勉強なんていらない。だいたい、高校で習うことって社会に出たら必要ないでしょ?なのに、どうして高校の成績が関係あるの?」と言ってきた。

 ぐっと詰まった。
 うまく答えを切り返せない。
 直球で彼に響く言葉が見つからない。

 これが、今の私の悶々教。

 

 
 だって、専門学校に行っても、その道で生きている人って少ないんだもん。

 親は、何か資格を取らせることで、就職に有利になると思ってかなり無理して専門学校に行かせる。
 でも、親の苦労の割には、形にならない場合も多い。
 
 専門学校って学費は結構高い。
 それなのに、簡単に入学できる場合が多い。
 そこが問題だ。安易な気持ちで入学するから、安易な気持ちで辞めたり、あるいは、その職に就かなかったりする。

 最初の覚悟が満タンになってこそ、なんぼって気がする。
 覚悟は、大事だ。覚悟って命のエネルギーを感じる。

 『国立大学には行けない。だからと言って、就職はどうも・・・・・だから、とりあえず専門学校に行って何か資格でも取っておくか・・・・・。』みたいな気持ちで専門学校に行っても、ちょっと嫌なことがあるとすぐやめると言い出しそう。
 とか何とか言って、実は、私は、大学に落っこちて、チョー仕方ない気分で、絶対なりたくないと思っていた看護師の専門学校に行った人間なのだ。私立に行くお金もないし、もちろん、予備校なんて想定外だった。絶対なりたくないけれど、行き場がないから、滑り止めで受けた絶対行きたくない専門学校に行ったのだ。
 絶対イヤと思っているところに行った私が、覚悟が満タンでないと・・・・・なんてセリフは言えないんじゃないの?
 そのとおり。

 ただ、覚悟にもいろいろあって、私にとっては、親元遠く離れるという覚悟があった。それに、やるだけやって落っこちた、仕方ないさというあきらめと言えばあきらめだし、自分の持てる能力は使い切ったというような達成感、満足感がそこにはあった。
 だからこそ、絶対なりたくないという矛盾も受け入れることができたのかもしれない。


 ところで、その専門学校は、東京の渋谷の近くにあった。そして、その専門学校とは、自衛隊の看護学校。
 ただでさえ、親元からかなり離れて、そう簡単には帰れないのに、自衛隊員になって学校に行かせていただけるというシステムの専門学校なので、規則が超厳しかった。外泊は、三日連休以上でないと許されなかったし、平日の門限は9時で、土曜日のみ11時だった。あのね。土曜日の門限が11時っていいじゃんって思うかもしれないけれど、六本木に遊びに行っても、11時に絶対帰り着かないといけないとすると、9時過ぎには帰り支度をしないと間に合わない。ディスコに行っても、今からいい感じって時間に引き上げなきゃいけないから、せっかく東京に住んでいながら、東京を満喫することができなくって残念だった。門限を破ると、自衛隊だもの、連帯責任となる。そうすると、同じ班のメンバーも1か月外出できなくなる。平日は、朝、6時に起きて点呼があり、みんなで、おそうじタイムがあり、夜は夜で9時に点呼がある檻の中の生活だ。おまけにテレビは、100人につき1台しかない。せめて、土日くらいは、パパ―っと渋谷とか新宿にくりだしたい。なのに、なのに、自分のせいで仲間が1か月も外出禁止になるなんてそんなこととてもできない。罪悪感にさいなまされる苦しみが待っているだけだもの。

 ところで、この看護学校は、一学年100名で、北は北海道から南は沖縄まで全国からやってきていた。しかし、東京都出身は一人もいなかったぜ。北海道とか九州出身が多かった。

 な~ぜ?

 さっきも言ったように、規則が厳しいから、東京出身の子はすぐやめちゃう。家もすぐそこだし、東京には学校も目移りするくらい多種多様な学校が存在する。でも、はるか遠い九州出身の子は、そう簡単に帰れないという覚悟で上京しているので、少々のことでは辞めないから、あえて、北海道や九州の人を合格させているのだそう。当時は、今みたいに飛行機の格安チケットなんてなかったから、行くも帰るも一大決心が必要だったし・・・・。今みたいに、田舎の子でも、親が無理して専門学校くらい出してあげたいというような空気はなかったし・・・・。

 何を言いたかったか。

 そう、私には、そういう種類の覚悟があったのだ。
 でも、三男には、どんな種類の覚悟もなさそう。
 どうしたら、彼に『覚悟』をプレゼントできるだろうか・・・・。

 『どうして、一生懸命勉強しなきゃいけないの?10位以内じゃないと専門学校に行かせてもらえないってなるの?高校の勉強なんて、社会で何の役に立つの?どうせ、使わないじゃん。』と言ってくる安易思考の三男に、ストーンとくる言葉をストレートで返せなかった。
 悶々・・・・。

 社会で生き抜いていくことへの認識の甘さに愕然とする。


 筋トレと同じだよ。
 脳も使わないと、いざという時使えない。


 『いつやるの?今でしょ!』みたいにビビ~~~~~~ンとくる言葉が、閃いてこない。
 
 そんな悶々の日々、炎の体育大会(?)という番組で松岡修三さんが、『芸能界剣道部キャプテンの渡辺まさゆきさんが実業団で2年連続して優勝しているの女性剣士と3戦して最低1勝しないと廃部にする宣言』をするというシビアな企画をついつい引き込まれて観てしまった。
 それはそれは、『覚悟』の塊のようなガチな番組だった。
 三男にぜひ、見てほしかったなぁ。

それにしても、松岡修三さんってやっぱ、すごい。
 何がすごいかって、真剣勝負オーラがすごい。
 私の人生で、こんなに真剣なまなざしの人は見たことない。
 いいものをみさせていただいた。
 もう、後光が差してたもんね。
 よかった。録画しといて。あの真剣なまなざしは、世界遺産だ。人間国宝級だ。


 つづく

 個人的には、熱血先生は、どちらかというと苦手。
 体力ないから、ついていけない。
 ひたむきになりたいけれど、夜は、しっかり睡眠をとらないとすぐ寝込むたちなので、できない。
 でも、個人という人間の範囲でひたむきっていう姿には憧れる。
 私が苦手なのは、温度差の違う人間まで巻き込むような熱血人間。
 いるよねぇ~~~~~~~。
 自分が正しいと思い込んでいる見当違いな熱血タイプの人間。

 でも、松岡修三さんの熱血は違った。

 渡辺まさゆきさんがずっと勝てないでいて、勝ちたいと切に願っている・・・。『本気で勝ちに行きたいなら、私の熱血指導についていきますか?』と本人に問うて、尚且つ、本人の真剣度、覚悟を試す。


 つづく

 どう覚悟を試したか。

 同じ芸能界剣道部に所属するはんにゃの金田クンと突然の試合。
 金田クンは三段の腕前で、渡辺まさゆきさんは四段。
 『この試合に勝ったら、女流剣士に勝つためのトレーナーを引き受けましょう。』と松岡修三さんは、超真剣なまなざしで渡辺ひろゆきさんをジーッと見つめる。
 うひゃー、きついぜ。
 私は、この直視に耐えられるだろうか?
 
 そして、試合開始。

 結果は、一本取られてしまった。

 そこに、ササササ・・・・と松岡修三さんが渡辺まさゆきさんのところへ・・。

 そしたら、始まった。

 何が始まったか・・・・・・・・。
 渡辺まさゆきさんの言い訳が始まったのだ。
 『突然の試合で、ウンヌン・・・・。金田は若い、僕は57歳だウンヌン・・・・。』

 そこへ、松岡修三さんの痛烈な一言が矢のように飛んできた。 
 『私は、勝負の勝ち負けをどうのこうのの言いたいのではありません。渡辺さんに、その覚悟があるのか・・・ただ、それを知りたかっただけなのです。でも、そのように、言い訳をされる・・・・もう、その時点で負けています。私には、引き受けた以上勝たせるという責任があります。でも、今の渡辺さんには、その覚悟を感じとることができないので、トレーナーを引き受ける自信がありません。このお話はなかったことにしてください。』サササササーーーーーーーーーーーーーと去っていこうとする。

 すがる渡辺さん。

 それにしても、松岡修三さんはカッコよかった。
 渡辺さんに物申すとき、『57歳の先輩に私のような者が、このようなことを言うことを許して下さい。』と真剣なまなざしで謝罪された。もう、武士道って感じ。礼節を重んじるカッコよさ。
 しびれたねぇ~~~~~~~。



 つづく

 生きるか死ぬか・・・・なんて場面は、今の時代、そんなに・・・・・な・・・い・・・。
 
 だからこそ、松岡修三さんの真摯なまなざしに後光すらさす。

 大事なことは、覚悟。

 あ~~~~~、三男にこの番組を見せたい。
 彼は、何を感じるだろう。
 すんなり入学できるような専門学校ってだめだよ。
 どうにか、覚悟をもって、そのすんなり専門学校の門をくぐらせねば。
 彼に覚悟という荷物を背負わせるために、親として何ができるか。
 
 理想の覚悟という荷物は、『必死で頑張って入試を受けて晴れて入学できるような専門学校でなければ、高い学費は払えない。高校の授業は社会では何の役にも立たないのに、どうして一生懸命勉強しなければならないの?という価値観の人には、払えない。どうしても、その専門学校に行きたいなら、まず、働いて自分で学費を稼いでから、自分の力で行きなさい。』というセリフだろうか。
 『もしくは、今ののんびり高校で成績が5位以内になるなら、考えてもいい。』

 まだ、悶々・・・・。
 もう少し、考えてみる。
 彼の心にストンと落ちるような言葉を。
 でも、もしかしたら、一番大切なことは、松岡修三さんのような真剣勝負のまなざしの方なのかもしれない。親の方の姿勢・・・。


 終わり


 
 

 


 






 
















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自己防衛本能

2013年06月02日 | エッセー
 私に決定的に欠けている能力。それが、自己防衛能力。脇が甘い。哀しいくらいに・・・・。
 怒りの感情の未分化と相関関係があるかも・・・・と自分の成長発達のプロセスで形成されなかったこの自己防衛能力に、今、とても苦労させられている。

 私に足りない、この自己防衛能力が、異常に発達している人がいる。
 
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