総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

スロージョギングに乾杯

2015年11月30日 | エッセー
 先日、お仕事でスロージョギングの講習会に行ってきた。
 今の私にはジャストフィット。
 ありがたい研修だった。
 実は、最近、天皇陛下も始められたという。

 遅く走る。 
 つま先から地面につく。
 脈拍26/15秒のニコニコペース。

 これだけ。

ヘモグロビンが7しかない超貧血な私にとって、走るという言葉は人生から消えてしまっていた。ちょこっと走ろうとしたとたん、息切れがしてきて、すぐへばる。まことに残念なカラダだ。仕方なく、早足でウヲーキングを土日にやっていた。
 『遅く走る』と『早く歩く』は、似て非なり。全然違う。
 正式には、『つま先から遅く走る』と『かかとから早く歩く』
 この、つま先から着地というのがかなりいい。先生曰く、ふくらはぎと太ももで圧を吸収するため、膝や腰への衝撃が激減するらしい。ウヲーキングのし過ぎでひざ痛や腰痛が悪化し、歩くのを断念する人も多い。生まれてからずっと、かかとから着地してきたので、かかとから着地するウヲーキングをはりきっちゃうと、カラダの癖がエスカレートして、腰や膝を悪くしてしまう。その点、つま先から着地すると、今までと正反対の筋肉を使うので、カラダの癖と反対の動きになり、逆に筋肉のバランスが取れてくる。癖が帳消しになる・・・・みたいな。
 
 そして、なんといっても、ニコニコペースっていうのがいい。
 きついなって思うと、ついつい避けてしまう。運動が好きな人は、鍛えるってことが好きかもしれないけれど、体力のない人間にとっては憂鬱以外の何物でもない。だから、走るという文字は私の辞書から消し去られた言葉だった。でも、ニコニコペースがよかった。その場足踏みに近いけれど、走っているという満足感が味わえるなんて、幸せ。だって、体力のなさを嘆いてきた人生が、私にも走ることができるという自信により、なんだか元気を取り戻せそうな予感がするから。見た目はカッコ悪いかな?でも、いいや。ちょっとでも、元気になれたら。

 先生曰く、筋肉には、赤筋(遅筋)と白筋の2種類があるそう。赤筋は、有酸素運動によって発動する筋肉。酸素を使ってATP(エネルギー)を産生するので乳酸ができないため、疲れない。フルマラソン選手は、かなり最後まで、この赤筋を使えるのだそう。子どもたちが、いつまでも走り回って遊べるのも、この赤筋を使うから。わたしみたいに、すぐへばる人は、この赤筋を使えず、白筋で走ってしまうため。つまり、赤筋が鍛えられていない。赤筋は、酸素を使わずにATPを産生するため、乳酸が発生する。この乳酸がへばりの元。息をしないでする運動は、すべて白筋を使う。短距離やボールを追いかける運動などなど・・・。きついと感じる時は、酸素を使わず、白筋を使っているのだそう。
 逆に、にこにこペースのときは、酸素を使っているというわけ。

 どんなに体力がない人でも、どんなに遅くてもいいので、ゆっくりつま先から着地して走ることを、最初は10分でもいいので継続していくと、自然と赤筋が鍛えられて疲れなくなるのだそう。

 ね、いいでしょ?

先生の教室では、7か月後にホノルルマラソンに行こう!をキャッチフレーズにしているとのこと。シニア世代の参加者がほとんどらしいけれど、スタートは60代でも、みな、ゴールしたという。

 夕方に走ると、寝つきがいいようにも感じる。
 こうなると、少し、ワクワク感が出てくるから不思議。
 なんといっても、ニコニコペースっていうのが、運動が苦手な人間にとってはありがたい。

 体力がなくて運動が苦手というタイプの人は、赤筋(遅筋)がないってことがわかれば、それを鍛えればいいだけのこと。もっと、早く知っていれば・・・・。スロージョギングっていつ頃からあったのだろう?
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合わせる顔がないって超ハズ

2015年11月25日 | エッセー
 人は、どんな時に合わせる顔がないのだろう?
 息子たちが、「お母さんが、僕たちがしゃべったことをチラッと先生にしゃべったりするもんだから、親を信用できなくなり、もう、親には何も言わないと口をつぐむんだ。先生に言わないことを親に悩みとして打ち明けるのに、そのことを先生に相談なんかするからいけないんだ。そこは、察してくれよ。先生に言えないけど、親には言えることを言ったまでで、それを先生に言われたら、合す顔がないじゃないか。」と言われて、胸に突き刺さった。
 でも、どうして、そんなたいしたことないと思えるようなことで合わせる顔がないレベルの恥と感じてしまうのだろうとも、正直疑問に思ったことも事実。いろんな体験をしてきた大人にとってはそうたいしたことないということでも、体験の少ない子どもたちにとっては深刻なことなのだ。そうわかっていながらも、ぴ~~~~んときなくて、それから、ずっと、どうしてそこまで恥ずかしいことだと感じてしまうのだろうと考えていた。 
 そしたら、あわせる顔がないをマジで体験してしまった。そして、子どもたちが声を荒げて合わせる顔がないと訴えたことが腑に落ちた。
 それは、四男が、学校の先生に『お父さんとお母さんはけんかばっかりしている。」ってしゃべったということを耳にした瞬間に落雷が落ちるように納得できた。
 ヒョエ~~~~~、先生に合わせる顔がないじゃん。そんなこと先生に言わないでよねぇ。

 そういうことなのだ。

 つい最近、NHKで、いじめで自殺した少年のお父さんのドキュメンタリーが放送された。
 中2の息子さんが自殺するほんの2週間前、家族でオーストラリア旅行をしており、とても楽しそうだった。家族関係も良好だった。だから、まさか、自殺するなんて想像もつかなかった・・・と父親がおっしゃっていた。

 『どうして、自殺する前に、息子は相談してくれなかったのか?』

 ただただ、そのことだけがひかかってしまい、心が晴れる日のない父親が、ある日、新聞を使って、全国に『教えてください。』と今、いじめにあって死にたいという気持ちに追い詰められている子どもたちに発信した。
 全国から、数多くの手紙が父親のもとに届いた。
 そして、そこから見えてきたもの・・・・は、いじめられていることを親には言えないとても恥ずかしいことだと思い込んでいるってこと。そして、親には心配させたくないという思い。
 きっと、このお父さんは、本当にいい父親だったのだろう。だから、言えなかったのかなぁ?子どもにとっていじめにあうということは親に言えないような恥ずかしいことらしい。そして、親を悲しませたくないって思うらしい。どうしてだろう?
 いい親だから、いい子になろうとしていたのかなぁ?いじめないいい子でありいじめられないいい子・・・・・。
 いいお父さんに加えて、お母さんもいいお母さんだったのだろうか。中2と言えば、『べつに・・・』『うざい』というような時期。母親には言わないかなぁ?
 子どもの成長にとって、どんな親がいいのかなぁ?
 昔、S先生が『子どもにとって、いいお母さんより、本音の言えるお母さんが必要です。』と教えてくださった。

 うれしい・哀しい・腹が立つ・悔しい・恨めしい・羨ましい・・・・・などなど。
 親だって、人間だ。ドロドロ人間。うじうじ人間。カッカ人間。めそめそ人間。全部兼ね備えているはず。なのに、子どもの前でいい親を演じているとするなら、子どももいい子、つまり、うじうじやめそめそなどを表現したらいけないような空気感がそこにあるかしれない。誰でも、憧れの人や素敵だと思っている人の前では、カッコ悪い自分って、委縮して見せられない。

 親子関係って難しい。

 本音を言うことに慣れていない.

親が本音(というかうれしい・哀しい・腹が立つ・悔しい・羨ましい・・・などなど)を語らずして、どうして、子どもが本当の気持ちを語れようか…。
 こうあるべきだと言われたとたん、誰も何もいえなくなる。
 自分の言うことは正しくて、あなたの言うことは間違っている・・・というような物言いをする人って、どうなんだろう、わが子に対してはそんな雰囲気を醸し出してはいないのだろうか・・・。誰だってわが子はかわいいから、家庭ではそんな空気は子どもには伝わらないものなのかなぁ。わかんない。もし、わが子にもそんなニュアンスの物言いをしているとしたら、子どもは本音を言いにくいんじゃないかなぁ。言えないんじゃないかなぁ。
  
 瞬間瞬間に、私たちは、いろんな気持ちと遭遇している・・・はず。なのに、忙しかったり、小さい頃からの伝えない癖が出来上がっていて、感じているはずなのに感じないような日々を送っているから、瞬間瞬間の自分の気持ちを大事にしていないかもしれない。

 大事なことは、瞬間瞬間の自分の気持ちをかみしめて前へ進むこと・・・・かな。
 さぁ、今日も一日が始まる。
 私も、心新たにして、今日の気持ちをきちんと見つめてみようと思う。
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きんぴらごぼう

2015年11月20日 | エッセー
 自転車で日本一周をめざした次男が我が家へ帰ってきた。三日滞在して、最後の沖縄をめざすという。
 40万円の軍資金の残は8万円。鹿児島沖縄のフェリーは片道自転車込みで1万8千円だという。沖縄で野営はハブが怖いなって、しきりに言う。今までは、屋根付きお風呂付の家に泊まったのは10日もないって言っていたのに。さすがに、ハブは怖い。せっかく、ここまで無事にこれたのに、最後の最後にハブに噛まれたら大変。
 それにしても、感無量。とにかく、無事に帰ってきたということが、ただただ、すごいことだと思う。都会の公園にテントを張っているところを少年たちに襲われないだろうか・・・とか、自転車丸ごと盗まれないだろうか・・・と危惧したけれど、そこは、クリアできた。もう、それだけでいい。まともな食生活なんてどこにもない、つまり、野菜もタンパク質もほとんどない食パンとインスタントラーメンづくしという炭水化物のみの生活を半年続けたにもかかわらず、軽い熱中症に1回だけなったくらいで雨に打たれても風邪一ついかなったったし、怪我もしなかったということに感謝した。ただ、もう、パンとラーメンは食べたくないと言っていた。当然。
次男に聞いてみた。
 「一番感動した景色はどこ?」って。
答えは、『富士山』と即答。山梨側のすそ野から眺めた富士山は迫力満点で圧巻だったそう。
 そうか。そうなのね。富士山ってやっぱりすごいんだ。私は、新幹線か飛行機からしか見たことない。だから、「ふ~~ん。これが、富士山か・・・。」程度で、感動レベルまでは行かなかった。でも、真近から見ると圧巻なのね。ぜひ、すそ野から拝んでみたい欲求がムクムクと湧いてきた。死ぬまでに富士山に登れたらいいなぁ。胃を切って7しかないヘモグロビン濃度の貧血人間になっちゃってあきらめていた。でも、次男の話を聞いて、すそ野からの富士を見たいって心から思った。
 次男は、夕日のすそ野をひたすら走ったみたいで、また、その、夕日に映える富士山に感動が拍車をかけて感極まったとも。

 じゃぁ、2番目は?って聞いたら、「北海道」  やっぱりね。
 
 それじゃぁ、3番目は?とさらにしつこく聞く私。ていうか、「奥入瀬渓流は?京都は?どうなの?」って、私が今、一番行きたいところを聞くと、「京都はよかったよ。紅葉の季節に行きたい。奥入瀬渓流もよかたけど、僕は○○ソン峡の方が好きかも。奥入瀬渓流は舗装道路で自販機なんかもあったりして、すっかり観光地化しているけれど、○○ソン峡は舗装もされていないでこぼこ道で自販機も何にもない秘境って感じがいい。」って、意外な返事にびっくりした。そうなのだ。我が家の原点は、○○ソン峡にある。手つかずの自然で幼少期の土日の夏を過ごしたわが子たちにとって、それは、まさに人生の原風景といえるのだろう。

○○ソン峡に乾杯!

 原風景と言えば、『おふくろの作った○○』も味覚を通して、確固とした原風景二なると言えると思う。
 料理が上手に越したことはないけれど、一個でもいい。『おふくろの作った○○』のある人とない人では、人生という色合いが違うような気がする。
私も、何か一つでもいいので、息子たちに『おふくろの作った○○が食べたい。』って、ふと思い浮かぶ、そんな○○が作れたらいいなって思っていた。
 で、それが、実は、きんぷらごぼう・・・。
 文句ばっかり言う三男も、私の作ったきんぴらごぼうだけは、褒めてくれる・・・し、実際、フライパンいっぱい作っても一人でごそっと3分の2くらい食べてしまう。これだけは、自分でも習得したいらしく「どうやって作るの?」って質問してきた。
 そして、先日、ちらりと日本一周自転車の旅の途中で立ち寄った三男も、野菜に飢えていたのか、半分以上食べていた。食べ終わって「お母さんの作ったきんぴらごぼうは美味しいよ。」って言ってくれて、涙。あ~~~~、うれし。
 唯一の○○。大事な○○。
 私は、きんぴらごぼうのおかげで、息子たちの私の作った料理に対する数々のクレームにも耐えていけた。きんぴらごぼうに感謝している。そして、実は、このきんぴらごぼうは、私の母の味。妹も自慢らしい。
 ちなみに、我が家のきんぴらごぼうは、和牛のこま切れを使います。
 
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老母が化ける弾ける

2015年11月14日 | エッセー
 母がはじけた。
 それは、弟の結婚式のため、朝早く美容室に行ってカットとセットとメイクをしてもらった瞬間の出来事だった。
 母を美容室に迎えに行って、びっくらこいた。マジ。
 だって、見違えるほど洗練されていたんだもの。化粧でこうも変われるのか・・・・。
 田舎のネズミが都会のネズミに大変身。失礼、都会のリスに大変身しちゃった。
 「どうせ、私は…。」と不幸オ―ラをバンバン出していた母が、ルンルンオーラ全開だった。心まで大変身したのだ。もう、姿勢から違う。うつむき加減で自信なさげで暗い印象だった母が背筋を伸ばして、自信にみなぎっている。信じられない。化粧で人はこうも変わるものなのか。
 母は、化粧大嫌い人間だった。化粧をしてもちっともきれいになれないからしない方がましと、人生をあきらめていた。きれいになるためのテクニックを磨こうともしないくせに、どうせ、私は・・・・と心を閉ざしていた。昔は、自然化粧品を売る立場にいたんだけど、どうしても、テクニックをゲットすることができない稀有な人でもあった。
 私が「よく、老人ホームなどの高齢者の施設で化粧をして気持ちが若返るっていうけど、本当だね。」と母に言うと、「そうね。ただし、プロじゃないとね。」とダメ出しまでする母。
 そう、プロじゃないと母のように180度人生が変わるほどのルンルンを手にすることはできないかも。金婚式のプレゼントは、プロに化粧してもらうチケットがあったらいいなって本当に思った。
 実際、母は結婚式の当日は、堂々としていた。いつもなら、うつむいて、何を語るにも緊張していたとだろう。相手のお母さんは、東京育ちで今も東京にお住まいの人。母にとってはまさに鬼門だ。
 でも、この日の母は違った。いつものいじけ虫はどこに飛んで行ったのやら・・・。いきいきと話をする母を見ていて感動すら覚えた。
 実は、化粧だけでなく、カットしてセットした髪も素敵だった。髪が薄いことをかなり気にして、いついかなる時も帽子を脱がなかった母。しかし、美容師マジックはすごい。ボリューム感を限界まで引き出してくれた。粋だった。

 追伸、母は、当日の夜、露天風呂付きペンションに家族で泊まったのだけれど、顔と髪は死守した。せっかくの温泉。でも、顔も髪も洗わず、翌日までキープ。ああ、いじらしい。

 追伸の追伸
 弟夫婦の結婚式のために依頼したカメラマンに、母あ特別に一枚、とっておきの写真を撮ってもらった。最後の日のために。
 最近、私も、遺影のための素敵な写真をとっておかなくては・・・・と考え始めているところ。
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それも悪くない

2015年11月12日 | エッセー
 昨日、弟が結婚式を○○神宮であげた。披露宴なしの。
 その後、ごくごく身内だけで近くのペンションに泊まってゆっくりのんびり語らった。
 これもありだなって思った。
 相手の方とそのお母さんと打ち解けてお話できるのも悪くない。弟もいい年で双方の親も母親のみで、本当に身内だけだったけれど、身内にしてみれば神宮での結婚式とペンションのセットってお勧めだ。このペンションは個室タイプの露天風呂が5種類あって、もみじの赤から緑のグラデイエーションが粋で、それもよかった。なんといっても、お値段がいい。披露宴って、なぜだか一人当たり2~3万円かかる。食事に2万円くらいかかる。バカらしいと思いつつも、だんだんめんどくさくなってきて、親戚も友達もいっしょにしちゃえ、式場のいうとおりでいいやっていう感じになってしまう。それが、1万円で披露宴なみのお食事と露天風呂、手作りパンの朝食までついて1万円というお値段。みんなが幸せになれた。このペンション、貸切で披露宴もできるとのこと。30人くらいは泊まれそう。息子たちが結婚するってなったら、みんなで泊まれてゆっくりできる露天ぶろ付きペンションで披露宴をあげれたらいいなって思った。
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仔猫拉致。

2015年11月05日 | エッセー
我が家に仔猫がやって来た。
 正直言って、猫は苦手。布団の中まで入ってくる。毛が気になる。しかも、出入り自由の身だ。全然、潔癖症ではない私だけど、やっぱり、それはきつい。それに、猫って子どもとおんなじでやんちゃなわがまま坊やって感じで、もう、これ以上、子どもを増やしたくない。犬に癒されたい。そう思っていた。でも、四男が、先週、一度、トライした捨て仔猫を、また、捕まえてきて、とっても、うれしそう・・・で、おまけに、この子猫ったら、震えている。このままほっといたら、死んでしまいそうなくらい脅えている。なのに、トコトコやってきて、ぴょんと私の膝に乗ってきて、ほっとしたようにうずくまったじゃないか。あ~~~~~、これは、もう、飼うしかないか・・・と断念。
 まず、一番、気になったのがおしっことうんち。

猫って、自分のおしっことかのニオイで、1回トイレでさせると、少々の失敗はあっても、ちゃんとトイレでするらしいということを、猫経験者より知ってほっとした。

 と思っていたら、昨日の午後3時、三男から電話が・・・。
 泣きじゃくりながら「猫が死んだ。」と。
 ショック。そして、あ~、やっぱりという気持ちと。
 
 
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ニコニコしてかわいい。

2015年11月01日 | エッセー
昨夜、テレビで『置かれた場所で咲きなさい』の著者の渡辺和子さんのことを取り上げた番組があった。
 本を読んで、そのタイトルだけで生きる勇気をいただいた。
 あんなおばあちゃまになりたいなぁ。
 ニコニコしてかわいい。
 ずっと、大竹しのぶさんの手を握っていらした。多分、もう、それだけで、大竹しのぶさんは大ファンになっただろう。
 軍の教育総監だった父親が、目の前で青年将校らに42発の弾を受けて惨殺された2.26事件という体験。それ以来、母親が何でも1番になれと厳しくしつけられた思春期。ある日、同級生から「鬼みたいな顔ね。」って言われて、衝撃を受け、キリスト教の洗礼を受けることに。35歳の若さで、岡山県にあるノートルダムなんとかという女子大の学長に任命されてからの、妬みによるいじめ。一度は死のうかと思うほど悩んでいた時に手渡された一冊の本の中にあった詞に、『置かれた場所で咲くこと』と書いてあって、それから、いじめに負けない笑顔で明るく振る舞っていたら、いじめがなくなったという体験。54歳の時、マザーテレサに出会ったこと。マザーに同行していて感じた、マザーへの取材の嵐の中、相当疲れているはずなのに、笑顔で応えつづけるマザーの「手を振る一人一人に『どうか幸運がこの方に来ますように』と祈っているんです。だから、疲れないんです。」という言葉に衝撃を受けたこと。マザー自身も若い頃、毎朝、早く起きて200人分の朝食用の皿を並べることにうんざりしていた時、先輩の修道女から「あなたは、時間を無駄にしていますね。皿一つにも、『どうかこの方が幸せになりますように』と祈りながらテーブルに置くことが大切なのです。」と言われ、ハッとしたというお話をマザーから伺って、そこそこ築いてきた今の自分という人間の傲慢さに気づかされたことなどを話されていた。
 そして、あんなにニコニコしてかわいい感じのおばあちゃまになられた。
 どんな人にも、どんな行為にも、心の中で『この方が幸せでありますように』と四六時中、祈っていたら人間変わるかも。変われるかも。
 すっごく嫌味なことを言われたり、誰かと『信じられないわね。あなたの行動。』みたいな空気感で目配せなんかしたりされると、かなり、傷つく。当の本人たちは、明らかに自分たちが正しく、私の言動・行動が間違っているという気持ちで通じ合っているので、実は、私を苛めようとしているなんて微塵も思っていない。もしかしたら、その裏には、なんだか人を苛めたくなるような不満な気持ちが存在するのかもしれないけれど、本人たちはそんなこととはちっとも思わず、単に物の見方の違いによる行動の違いを『間違っている』という武器で間接的に攻撃してくる。
 それにもめげずに、明るく振る舞うって、どうすればいいのかなぁ?
 『かわいそうな人だ。』と思うようにはしている。でも、傷ついたあとに、あえて『かわいそうな人』と思うようにしているので、やっぱり、傷ついている。傷つく前に、つまり、間違っているというニュアンスの言葉や行動を浴びた瞬間に、『かわいそうな人』って思えたらいいのになぁ~とは思っていた。でも、もしかしたら、『幸せになりますように』と祈ったら、もっと、自分へのダメージが少なくてすむ・・・というより、自分にエネルギーを蓄積できるのかもしれない。や~。でも、やっぱ、それって、かなり高度な気持ちの切り替え能力がいる。今の私には無理かな?せめて、瞬間かわいそう認知力を身につけいたい。
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