四男は、お義母さんが好きだ。
今でも、時々、遊び友達不在な時は遊びに行く。猫がいるから。そして、遊んでくれるから。そして、そして、買い物に行けばスーパーで売っているホネホネマンのおもちゃつきお菓子を買ってくれるから。義理の母は、私の母と違って童心に戻って遊んでくれる。私の母は、年中忙しい、忙しいと畑の草取りに余念がなく、遊び心に欠ける。つまり、戯れるというココロが欠落している。まじめなのだ。子どもってわかるんだよね。きっと。私の母のところへは行きたがらない。
そんなこんなで、昨日もお友達が遊びに来なかったので退屈になって、お昼前に車で10分の義理母のところへ連れて行ってとおねだりされて、連れて行った。義理母に電話した時、『今日は、そうじで忙しいから、買い物にも行けないし、逆に、そうじのお手伝いをしてくれる?それだったら来てもいいよ。』ってことで、本人もそれでいいということで納得しておばあちゃんちに行った。
なのに、1時過ぎに『退屈だ。迎えに来て』と電話。
夜。買い物から四男と二人で家に帰ると、仕事から戻った夫が怒っている。
何事が起きたのか・・・・。
夫の実家の梅の木の梅を叩いて落としたとのこと。「来週、夫の友人が遠路はるばる梅ちぎりにやってくる予定だっていうのに梅を落としやがって・・・・。ばあちゃんが買い物に連れて行ってくれないからと言って腹を立てて梅の木の枝を叩いて梅を落としたんだ。いやがらせか?」
四男の言い分も聞かずに勝手に四男にレッテルを貼っている、その言い方が気に食わない。
だいたい、どれくらい梅の実を落としたのか見当がつかないので、「どれくらい落としたの?彼の手の届くところでやったことだとしたら、そんなにたくさんは落とせないと思うけれど・・・・。」と聞いても答えない。もう、ほとんど梅の実が落ちちゃったような、友人に断らないといけないレベルの量が落ちたような言いぐさだ。そして、「おまえはあまい。すぐかばう。」とまた、怒る。
私は何を言いたいのか?
私の四男とのかかわりの時間と夫のかかわりの時間は歴然としている。95:5くらいだと思う。
おなかの中から・・・・生まれてから・・・・かなりの密着度で関わっている私。布おむつなや泣いた時の対応などをとおして、そして、なるべく気持ちを汲むような関わり方を意識してきたことで信頼関係というものに対してゆるぎないものがある。ギャーギャーケンカをしながらも、信頼関係を築いてきた・・・はず・・・だ。
チガウのよ。
夫と私とでは、四男を信じる気持ちが・・・。
彼は、すぐにわが子を犯人に仕立て上げようとする。
私は、うちの子はやんちゃだけれど、意地悪な心の子は誰もいないと信じている。
信じている。でも、夫は、時間的にも中身的にもしょぼい関わりしか持ってこなかったから、わが子を信じるという点で脆い。
まぁ、梅の実を落としたことは事実であるので、その点に関して怒るのは当然だと思ったので、怒るなら、きちんと怒ってほしいと思ってテレビを消した。夫は、初めて、きちんと怒った。今までは、テレビをつけたままだったり、寝ころんで怒っていたので、不快だった。子どもを怒ることに真剣勝負していないところが・・・・。寝そべったまま怒られて、誰が素直になれようか。
しかし、今回は、きちんと怒っていた。目をそらしてきちんと向き合おうとしない四男に頭を小突きながらも正面を見させて怒りを表出していた。
四男は、泣きじゃくりながら2階の寝室へ駆け昇って行った。
四男にしても、初めてきちんと怒られるという体験だ。
さぁ、どうなる?
夫は、今回の梅事件をきっかけに、過去の事件を芋づる式に暴こうとして、四男のレッテル化をはからんとする。レッテル化をはかることで、自分の怒ることを正当化しようという魂胆だ。夫はそういうココロのクセを持った人なのだ。何かにかこつけて、自分の小さい頃に親から抑圧された怒りという憂さを晴らそうと無意識にやっっちゃう。自分を守るために。
小さい頃の親から受けた抑圧の怒りは、小さい頃に発散できていないと腐ってしまい、大人になって憂さになる。怒りは腐らせてはいけない。
憂さ晴らしの犠牲はダメージが大きい。
不機嫌
いじめ
アルコール依存
ギャンブル依存
妻にあたる
妻だけにいばる
絶対、謝らない
DV
虐待
怒りは腐らせてはいけない。
で、夫が過去の事件を口にしようとしたので、間髪入れず「梅の実のことで怒っているんでしょ。今、過去のいたずらは関係ない。子どもを育てようと思うなら、梅の実のことだけ、そのことだけに怒る。それが、鉄則。」ときっぱり断言した。
怒りが増強しても負けないぞっていう気持ちでキッパリ断言したら、あ~ら不思議、素直に引き下がった。
もう、昔のわたしではない。
強くなったもんだ。
強くなるために、図書館や本屋さんに行って、言葉をいっぱいかき集めてきたもん。
あとで、じっくり考えてみた。
何を?
どうして、夫は、相手を全く信用していないというスタンスで怒れるのか?わが子が犯人だと決めつけて、わが子の言い分に耳を傾けようともせず、自分はほんの少しも悪くない、わが子がわざといやがらせでやったんだ・・・みたいな勢いで怒るれるのか?
一方、私は、四男がわざと嫌がらせな行為をするなんてありえない・・・・やんちゃはするけれど故意にいたずらする子ではないという確信みたいなものはどこからやってくるのだろうか?
ということを。
で、わかった。
夫は、わが子と四六時中暮らしてこなかった。自分がちょこっと関わりたいと思た時だけつまみ食いみたいな感じで子どもと接点があっただけ。
一方、私はというと、おむつを替えたりおっぱいを飲ませたり、だだこねが始まったらそれに最後までつき合ったり・・・なんだかんだ四六時中いっしょって感じで、彼の気持ちを汲もうとしてきた。そう、常に24時間、彼の気持ちを察してきた。
この差は歴然としている。
わかるわけがない。
そう考えると、いざという時わが子を信じる力を醸成させるためにはイクメンパパもあり・・・・。父親の理想は、〝ほどよくイクメンパパ”。
日常のまったりを『ともにいる』という関係性なくして、わが子への信頼というものは成り立ちにくい。
妻に子育てを任せっぱなしにしていると、信じようにも信じきる体験が足りなさすぎて無理なのだと思う。
四男と私は癒着関係もいいところだと思う。
だって、おなかの中から、まさに、一心同体でスタートしているんだもの。
当たり前と言えば当たり前。
夫は、一心同体からわが子とスタートしていない。
しかも、生まれてからも育児は任せっぱなしだった。
日常の子どもとのまったりを彼に意識的に、例え、嫌な顔をされてもがんばって要求してこなかった私にも罪はある。
まぁ、すぐ、不機嫌の嵐が吹き荒れていたので、不可能に近かったかなぁ。
でも、わが子のことを本気で守るという愛があれば、そんな不機嫌な嵐にも立ち向かえただろうから、やっぱり、私自身がそれまでの人生で本気できちんと向き合って、嫌なことは嫌だということを意思表明していく訓練ができていなっかったのだろう。
パパが育児参加することの一番のメリットは、ただいっしょに〝いる”ことから時々ふと感じる『うちの子って、やんちゃもするけれど、おもちゃは散らかしっぱなしだけれど、優しいところもある。案外いいやつだなぁ。』というよいうなわが子への信頼感みたいなものをゲットできることだと思う。
夫は、そういうところがほとんどない。
大人にとって迷惑なことをされると、悪い子だとすぐレッテルをはる傾向が強い。何かハプニングがおこったときに、すぐに決めつけてマイナス評価してしまう。思いどおりにならない出来事やハプニングに弱いのかな?もしかして、男性全般に言えることかもしれないけれど、自分の所有する物や領域を侵されると心が穏やかでなくなるのかも。家を作る時、どんなに狭くってもいいから、父親の空間があった方がうまくいくって聞いたことがある。ベストパートナーにも、男は問題が発生すると自分の穴蔵の中に入り込んで出てこないって書いてあった。
子どもが4人いるため、夫が勝手に自分の部屋だと宣言していた部屋は、子ども部屋になってしまっている。それで、仕方なく床の間を自分の部屋だと称している。そして、その部屋で子どもが遊んでおもちゃが散乱していると怒る。
仕方ないじゃん。子どもが4人もいるんだから、親だったら、自分の部屋くらいがまんできないの?って不思議に思っていた。でも、どうやら、もしかしたら、男と女って、いくら親になっても違うのかもしれない。家を建てるときにそのことを知っておけばよかった。たぶん、畳一畳の部屋でも工夫すれば十分いけると思う。家事部屋はあっても父親の部屋ってない場合が多い。父親に穴蔵を用意してあげるってことは家族円満になる秘訣なのかもしれない。しまった。
残念だ。
子育てに非協力的な夫をどう巻き込むかという点に関しては、まだまだレベル1だなぁ。
たぶん、きっと、家出しちゃえばいいのだと思う。最低でも1週間。
体験学習しかない。
さすがに、子どもと1週間いたら、しかも、家族の全責任を負うというポジションになったら、視点が変わってくるはずだ。お産で1週間妻が家にいないのとはわけが違う。家出だからね。いつ帰ってくるかわからない不安の中で、自分がこの子たちを育てていかなけりゃいけないのか・・というようなことを否が応でも考えてしまうだろう。それが、大事。夫みたいなタイプは、子どもを育てるということが他人事から自分事になってないんだもん。批判なら誰だってできる。批判する人は、他人ごとな人。だから、まともにその言葉を受け取る必要なんてな・い。ましてや、その言葉に傷つくこともない。(でも、傷ついちゃうんだ。これが・・・。哀しいことに・・・。)
私も、もっと早くにこのことに気づいていれば・・・・と悔やまれる。
でもね。実際は、勇気がいるよね。家出って。子どもを置いての家出って。子どもが寂しい思いをするんじゃないかと思うと躊躇する。だいたい仕事をしていたら、家出したくてもできない。決行するとしたら、育児休暇中しかない。でも、そんな、結婚して数年というかけだしの頃は、まだ、若いので、育児を妻に任せっぱなしでわが子を信じる力が培われていない夫にお灸をすえるという視点で、あえて家出を決行するというような知恵も勇気もない。でもね。育児を妻に任せっぱなしで『お前の育て方が悪い。』と文句ばっかり言うことに文句ばっかり言っていてもママはシアワセにはなれない・・というのも事実。結婚を継続するつもりなら、シアワセになろうよ。結婚を継続させる、それも自分が結婚によるシアワセをつかむためには知恵が必要なのよ。
私が、「四男はそんなことをする子じゃない。うちの子に意地悪な子はいない。きっと、おばあちゃんが、片づけに忙しくって相手をしてくれないから暇になって、つい、梅の木の枝を叩いてみたら、梅の実が落ちてきて面白いって感じちゃって、やっちゃったのよ。」と私なりの仮説を口にしてみると、「おまえは、すぐ、そうやって甘やかす。」とやっぱり、そう言った。
子どもは、きっと、わかる。親が自分を信じてくれているか否か・・・を。
ま、母親だけでも信じてあげれたらいいのかもしれない。
世間は、不信感だらけだもん。
20代の私がそうだった。
親以外は信用できなかった。口の堅い人って数少ない。
育つ家庭が、温室のように父親も母親も信じてあげられるような空気に包まれた子どもは、すくすく成長できる幸せを享受できる。成績が全てではないけれど、そういう家庭の子どもは成績がいいなって感じる。でもね。父親が信じてあげれなくっても、母親さえ信じてあげられたら、それはそれなりに、社会の荒波のウォーミングアップができて、社会に出てからタフかもしれないとも思うのだ。
心理カウンセラーのS先生が言っていたもん。これからは、幼稚園の子より保育園の子の方が、生き抜く力があるかもしれないって。
同僚もぼやいていた。夫が、絶対に子どもの言い訳を聞かないのだそう。父親が怒ったときは、絶対に言い訳を許さないのだそう。かわいそう・・とおもっていたけれど、ま、社会勉強だと思えばいいかなって、自分の中で帳尻を合わせていた。
そうかも・・・ね。
私も、「大丈夫よ。あなたが、子どもの気持ちをきちんと汲んであげているから・・・。」って、自分を励ます気持ちでそう伝えた。
ところで、四男は、あれからどうなったか?
なんだろう。不思議だ。
今までは、今まで怒られたことのつれづれを父親に面と向かって言えないから、私にぐちぐちぐちっていた。過去にされたイヤなことを全部覚えていて、ぐちぐち・・・と。でも、今回、父親は、テレビを観ながら怒らなかった。テレビを消して、頭を小突いて真っすぐ目を見るって感じで、真正面から怒った。
そのせいだろうか。今までで一番きちんと怒られたのに、一番ぐちぐちいわない・・・という後味は、どんな味なのだろう?
夫は、今まで怒って子どもに暴力をふるったことはない。私がくぎを刺していたから。夫も自分に歯止めがきかないかもという恐れがあったから。
今回、初めて、怒っているときに、四男のカラダに触れた。ちょこっと小突くという形で。
そして、きちんと真正面から怒りを表現した。
四男に伝わったのだ。
何かが。
今まで父親を舐めていたのだと思う。きっと。
テストステロンがグ~~~~ンと増える思春期の男の子たちは、意外と階級がお好きらしい。
高崎山のサルの群れのボスざるを狙うナンバー2とその他大勢のオスざるたちという構図は、まんざら人間界の男の世界でもあり・・・なんだそう。オスのDNAにしっかりインプットされているのだ。
だからかなぁ。
父親が、中身は別として、面と向かってビシッと怒ったら、四男は、以前より、父親に対する不満をぐちぐち言わなくなった。ないわけではないと思うけれど、ぐちぐちと口を開くたびに言わなくなった。
男の子の子育てって、女の子とはまた違うのかもねぇ。
今でも、時々、遊び友達不在な時は遊びに行く。猫がいるから。そして、遊んでくれるから。そして、そして、買い物に行けばスーパーで売っているホネホネマンのおもちゃつきお菓子を買ってくれるから。義理の母は、私の母と違って童心に戻って遊んでくれる。私の母は、年中忙しい、忙しいと畑の草取りに余念がなく、遊び心に欠ける。つまり、戯れるというココロが欠落している。まじめなのだ。子どもってわかるんだよね。きっと。私の母のところへは行きたがらない。
そんなこんなで、昨日もお友達が遊びに来なかったので退屈になって、お昼前に車で10分の義理母のところへ連れて行ってとおねだりされて、連れて行った。義理母に電話した時、『今日は、そうじで忙しいから、買い物にも行けないし、逆に、そうじのお手伝いをしてくれる?それだったら来てもいいよ。』ってことで、本人もそれでいいということで納得しておばあちゃんちに行った。
なのに、1時過ぎに『退屈だ。迎えに来て』と電話。
夜。買い物から四男と二人で家に帰ると、仕事から戻った夫が怒っている。
何事が起きたのか・・・・。
夫の実家の梅の木の梅を叩いて落としたとのこと。「来週、夫の友人が遠路はるばる梅ちぎりにやってくる予定だっていうのに梅を落としやがって・・・・。ばあちゃんが買い物に連れて行ってくれないからと言って腹を立てて梅の木の枝を叩いて梅を落としたんだ。いやがらせか?」
四男の言い分も聞かずに勝手に四男にレッテルを貼っている、その言い方が気に食わない。
だいたい、どれくらい梅の実を落としたのか見当がつかないので、「どれくらい落としたの?彼の手の届くところでやったことだとしたら、そんなにたくさんは落とせないと思うけれど・・・・。」と聞いても答えない。もう、ほとんど梅の実が落ちちゃったような、友人に断らないといけないレベルの量が落ちたような言いぐさだ。そして、「おまえはあまい。すぐかばう。」とまた、怒る。
私は何を言いたいのか?
私の四男とのかかわりの時間と夫のかかわりの時間は歴然としている。95:5くらいだと思う。
おなかの中から・・・・生まれてから・・・・かなりの密着度で関わっている私。布おむつなや泣いた時の対応などをとおして、そして、なるべく気持ちを汲むような関わり方を意識してきたことで信頼関係というものに対してゆるぎないものがある。ギャーギャーケンカをしながらも、信頼関係を築いてきた・・・はず・・・だ。
チガウのよ。
夫と私とでは、四男を信じる気持ちが・・・。
彼は、すぐにわが子を犯人に仕立て上げようとする。
私は、うちの子はやんちゃだけれど、意地悪な心の子は誰もいないと信じている。
信じている。でも、夫は、時間的にも中身的にもしょぼい関わりしか持ってこなかったから、わが子を信じるという点で脆い。
まぁ、梅の実を落としたことは事実であるので、その点に関して怒るのは当然だと思ったので、怒るなら、きちんと怒ってほしいと思ってテレビを消した。夫は、初めて、きちんと怒った。今までは、テレビをつけたままだったり、寝ころんで怒っていたので、不快だった。子どもを怒ることに真剣勝負していないところが・・・・。寝そべったまま怒られて、誰が素直になれようか。
しかし、今回は、きちんと怒っていた。目をそらしてきちんと向き合おうとしない四男に頭を小突きながらも正面を見させて怒りを表出していた。
四男は、泣きじゃくりながら2階の寝室へ駆け昇って行った。
四男にしても、初めてきちんと怒られるという体験だ。
さぁ、どうなる?
夫は、今回の梅事件をきっかけに、過去の事件を芋づる式に暴こうとして、四男のレッテル化をはからんとする。レッテル化をはかることで、自分の怒ることを正当化しようという魂胆だ。夫はそういうココロのクセを持った人なのだ。何かにかこつけて、自分の小さい頃に親から抑圧された怒りという憂さを晴らそうと無意識にやっっちゃう。自分を守るために。
小さい頃の親から受けた抑圧の怒りは、小さい頃に発散できていないと腐ってしまい、大人になって憂さになる。怒りは腐らせてはいけない。
憂さ晴らしの犠牲はダメージが大きい。
不機嫌
いじめ
アルコール依存
ギャンブル依存
妻にあたる
妻だけにいばる
絶対、謝らない
DV
虐待
怒りは腐らせてはいけない。
で、夫が過去の事件を口にしようとしたので、間髪入れず「梅の実のことで怒っているんでしょ。今、過去のいたずらは関係ない。子どもを育てようと思うなら、梅の実のことだけ、そのことだけに怒る。それが、鉄則。」ときっぱり断言した。
怒りが増強しても負けないぞっていう気持ちでキッパリ断言したら、あ~ら不思議、素直に引き下がった。
もう、昔のわたしではない。
強くなったもんだ。
強くなるために、図書館や本屋さんに行って、言葉をいっぱいかき集めてきたもん。
あとで、じっくり考えてみた。
何を?
どうして、夫は、相手を全く信用していないというスタンスで怒れるのか?わが子が犯人だと決めつけて、わが子の言い分に耳を傾けようともせず、自分はほんの少しも悪くない、わが子がわざといやがらせでやったんだ・・・みたいな勢いで怒るれるのか?
一方、私は、四男がわざと嫌がらせな行為をするなんてありえない・・・・やんちゃはするけれど故意にいたずらする子ではないという確信みたいなものはどこからやってくるのだろうか?
ということを。
で、わかった。
夫は、わが子と四六時中暮らしてこなかった。自分がちょこっと関わりたいと思た時だけつまみ食いみたいな感じで子どもと接点があっただけ。
一方、私はというと、おむつを替えたりおっぱいを飲ませたり、だだこねが始まったらそれに最後までつき合ったり・・・なんだかんだ四六時中いっしょって感じで、彼の気持ちを汲もうとしてきた。そう、常に24時間、彼の気持ちを察してきた。
この差は歴然としている。
わかるわけがない。
そう考えると、いざという時わが子を信じる力を醸成させるためにはイクメンパパもあり・・・・。父親の理想は、〝ほどよくイクメンパパ”。
日常のまったりを『ともにいる』という関係性なくして、わが子への信頼というものは成り立ちにくい。
妻に子育てを任せっぱなしにしていると、信じようにも信じきる体験が足りなさすぎて無理なのだと思う。
四男と私は癒着関係もいいところだと思う。
だって、おなかの中から、まさに、一心同体でスタートしているんだもの。
当たり前と言えば当たり前。
夫は、一心同体からわが子とスタートしていない。
しかも、生まれてからも育児は任せっぱなしだった。
日常の子どもとのまったりを彼に意識的に、例え、嫌な顔をされてもがんばって要求してこなかった私にも罪はある。
まぁ、すぐ、不機嫌の嵐が吹き荒れていたので、不可能に近かったかなぁ。
でも、わが子のことを本気で守るという愛があれば、そんな不機嫌な嵐にも立ち向かえただろうから、やっぱり、私自身がそれまでの人生で本気できちんと向き合って、嫌なことは嫌だということを意思表明していく訓練ができていなっかったのだろう。
パパが育児参加することの一番のメリットは、ただいっしょに〝いる”ことから時々ふと感じる『うちの子って、やんちゃもするけれど、おもちゃは散らかしっぱなしだけれど、優しいところもある。案外いいやつだなぁ。』というよいうなわが子への信頼感みたいなものをゲットできることだと思う。
夫は、そういうところがほとんどない。
大人にとって迷惑なことをされると、悪い子だとすぐレッテルをはる傾向が強い。何かハプニングがおこったときに、すぐに決めつけてマイナス評価してしまう。思いどおりにならない出来事やハプニングに弱いのかな?もしかして、男性全般に言えることかもしれないけれど、自分の所有する物や領域を侵されると心が穏やかでなくなるのかも。家を作る時、どんなに狭くってもいいから、父親の空間があった方がうまくいくって聞いたことがある。ベストパートナーにも、男は問題が発生すると自分の穴蔵の中に入り込んで出てこないって書いてあった。
子どもが4人いるため、夫が勝手に自分の部屋だと宣言していた部屋は、子ども部屋になってしまっている。それで、仕方なく床の間を自分の部屋だと称している。そして、その部屋で子どもが遊んでおもちゃが散乱していると怒る。
仕方ないじゃん。子どもが4人もいるんだから、親だったら、自分の部屋くらいがまんできないの?って不思議に思っていた。でも、どうやら、もしかしたら、男と女って、いくら親になっても違うのかもしれない。家を建てるときにそのことを知っておけばよかった。たぶん、畳一畳の部屋でも工夫すれば十分いけると思う。家事部屋はあっても父親の部屋ってない場合が多い。父親に穴蔵を用意してあげるってことは家族円満になる秘訣なのかもしれない。しまった。
残念だ。
子育てに非協力的な夫をどう巻き込むかという点に関しては、まだまだレベル1だなぁ。
たぶん、きっと、家出しちゃえばいいのだと思う。最低でも1週間。
体験学習しかない。
さすがに、子どもと1週間いたら、しかも、家族の全責任を負うというポジションになったら、視点が変わってくるはずだ。お産で1週間妻が家にいないのとはわけが違う。家出だからね。いつ帰ってくるかわからない不安の中で、自分がこの子たちを育てていかなけりゃいけないのか・・というようなことを否が応でも考えてしまうだろう。それが、大事。夫みたいなタイプは、子どもを育てるということが他人事から自分事になってないんだもん。批判なら誰だってできる。批判する人は、他人ごとな人。だから、まともにその言葉を受け取る必要なんてな・い。ましてや、その言葉に傷つくこともない。(でも、傷ついちゃうんだ。これが・・・。哀しいことに・・・。)
私も、もっと早くにこのことに気づいていれば・・・・と悔やまれる。
でもね。実際は、勇気がいるよね。家出って。子どもを置いての家出って。子どもが寂しい思いをするんじゃないかと思うと躊躇する。だいたい仕事をしていたら、家出したくてもできない。決行するとしたら、育児休暇中しかない。でも、そんな、結婚して数年というかけだしの頃は、まだ、若いので、育児を妻に任せっぱなしでわが子を信じる力が培われていない夫にお灸をすえるという視点で、あえて家出を決行するというような知恵も勇気もない。でもね。育児を妻に任せっぱなしで『お前の育て方が悪い。』と文句ばっかり言うことに文句ばっかり言っていてもママはシアワセにはなれない・・というのも事実。結婚を継続するつもりなら、シアワセになろうよ。結婚を継続させる、それも自分が結婚によるシアワセをつかむためには知恵が必要なのよ。
私が、「四男はそんなことをする子じゃない。うちの子に意地悪な子はいない。きっと、おばあちゃんが、片づけに忙しくって相手をしてくれないから暇になって、つい、梅の木の枝を叩いてみたら、梅の実が落ちてきて面白いって感じちゃって、やっちゃったのよ。」と私なりの仮説を口にしてみると、「おまえは、すぐ、そうやって甘やかす。」とやっぱり、そう言った。
子どもは、きっと、わかる。親が自分を信じてくれているか否か・・・を。
ま、母親だけでも信じてあげれたらいいのかもしれない。
世間は、不信感だらけだもん。
20代の私がそうだった。
親以外は信用できなかった。口の堅い人って数少ない。
育つ家庭が、温室のように父親も母親も信じてあげられるような空気に包まれた子どもは、すくすく成長できる幸せを享受できる。成績が全てではないけれど、そういう家庭の子どもは成績がいいなって感じる。でもね。父親が信じてあげれなくっても、母親さえ信じてあげられたら、それはそれなりに、社会の荒波のウォーミングアップができて、社会に出てからタフかもしれないとも思うのだ。
心理カウンセラーのS先生が言っていたもん。これからは、幼稚園の子より保育園の子の方が、生き抜く力があるかもしれないって。
同僚もぼやいていた。夫が、絶対に子どもの言い訳を聞かないのだそう。父親が怒ったときは、絶対に言い訳を許さないのだそう。かわいそう・・とおもっていたけれど、ま、社会勉強だと思えばいいかなって、自分の中で帳尻を合わせていた。
そうかも・・・ね。
私も、「大丈夫よ。あなたが、子どもの気持ちをきちんと汲んであげているから・・・。」って、自分を励ます気持ちでそう伝えた。
ところで、四男は、あれからどうなったか?
なんだろう。不思議だ。
今までは、今まで怒られたことのつれづれを父親に面と向かって言えないから、私にぐちぐちぐちっていた。過去にされたイヤなことを全部覚えていて、ぐちぐち・・・と。でも、今回、父親は、テレビを観ながら怒らなかった。テレビを消して、頭を小突いて真っすぐ目を見るって感じで、真正面から怒った。
そのせいだろうか。今までで一番きちんと怒られたのに、一番ぐちぐちいわない・・・という後味は、どんな味なのだろう?
夫は、今まで怒って子どもに暴力をふるったことはない。私がくぎを刺していたから。夫も自分に歯止めがきかないかもという恐れがあったから。
今回、初めて、怒っているときに、四男のカラダに触れた。ちょこっと小突くという形で。
そして、きちんと真正面から怒りを表現した。
四男に伝わったのだ。
何かが。
今まで父親を舐めていたのだと思う。きっと。
テストステロンがグ~~~~ンと増える思春期の男の子たちは、意外と階級がお好きらしい。
高崎山のサルの群れのボスざるを狙うナンバー2とその他大勢のオスざるたちという構図は、まんざら人間界の男の世界でもあり・・・なんだそう。オスのDNAにしっかりインプットされているのだ。
だからかなぁ。
父親が、中身は別として、面と向かってビシッと怒ったら、四男は、以前より、父親に対する不満をぐちぐち言わなくなった。ないわけではないと思うけれど、ぐちぐちと口を開くたびに言わなくなった。
男の子の子育てって、女の子とはまた違うのかもねぇ。