総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

察するやりとりも積もれば山となる

2014年05月29日 | エッセー
 四男は、お義母さんが好きだ。
 今でも、時々、遊び友達不在な時は遊びに行く。猫がいるから。そして、遊んでくれるから。そして、そして、買い物に行けばスーパーで売っているホネホネマンのおもちゃつきお菓子を買ってくれるから。義理の母は、私の母と違って童心に戻って遊んでくれる。私の母は、年中忙しい、忙しいと畑の草取りに余念がなく、遊び心に欠ける。つまり、戯れるというココロが欠落している。まじめなのだ。子どもってわかるんだよね。きっと。私の母のところへは行きたがらない。
 そんなこんなで、昨日もお友達が遊びに来なかったので退屈になって、お昼前に車で10分の義理母のところへ連れて行ってとおねだりされて、連れて行った。義理母に電話した時、『今日は、そうじで忙しいから、買い物にも行けないし、逆に、そうじのお手伝いをしてくれる?それだったら来てもいいよ。』ってことで、本人もそれでいいということで納得しておばあちゃんちに行った。 
 なのに、1時過ぎに『退屈だ。迎えに来て』と電話。
 
 夜。買い物から四男と二人で家に帰ると、仕事から戻った夫が怒っている。
 何事が起きたのか・・・・。
夫の実家の梅の木の梅を叩いて落としたとのこと。「来週、夫の友人が遠路はるばる梅ちぎりにやってくる予定だっていうのに梅を落としやがって・・・・。ばあちゃんが買い物に連れて行ってくれないからと言って腹を立てて梅の木の枝を叩いて梅を落としたんだ。いやがらせか?」
 四男の言い分も聞かずに勝手に四男にレッテルを貼っている、その言い方が気に食わない。
 だいたい、どれくらい梅の実を落としたのか見当がつかないので、「どれくらい落としたの?彼の手の届くところでやったことだとしたら、そんなにたくさんは落とせないと思うけれど・・・・。」と聞いても答えない。もう、ほとんど梅の実が落ちちゃったような、友人に断らないといけないレベルの量が落ちたような言いぐさだ。そして、「おまえはあまい。すぐかばう。」とまた、怒る。
 
 私は何を言いたいのか?
 私の四男とのかかわりの時間と夫のかかわりの時間は歴然としている。95:5くらいだと思う。
 おなかの中から・・・・生まれてから・・・・かなりの密着度で関わっている私。布おむつなや泣いた時の対応などをとおして、そして、なるべく気持ちを汲むような関わり方を意識してきたことで信頼関係というものに対してゆるぎないものがある。ギャーギャーケンカをしながらも、信頼関係を築いてきた・・・はず・・・だ。

 チガウのよ。
 夫と私とでは、四男を信じる気持ちが・・・。
 彼は、すぐにわが子を犯人に仕立て上げようとする。 
 私は、うちの子はやんちゃだけれど、意地悪な心の子は誰もいないと信じている。
 信じている。でも、夫は、時間的にも中身的にもしょぼい関わりしか持ってこなかったから、わが子を信じるという点で脆い。

 まぁ、梅の実を落としたことは事実であるので、その点に関して怒るのは当然だと思ったので、怒るなら、きちんと怒ってほしいと思ってテレビを消した。夫は、初めて、きちんと怒った。今までは、テレビをつけたままだったり、寝ころんで怒っていたので、不快だった。子どもを怒ることに真剣勝負していないところが・・・・。寝そべったまま怒られて、誰が素直になれようか。
 しかし、今回は、きちんと怒っていた。目をそらしてきちんと向き合おうとしない四男に頭を小突きながらも正面を見させて怒りを表出していた。
 四男は、泣きじゃくりながら2階の寝室へ駆け昇って行った。
 四男にしても、初めてきちんと怒られるという体験だ。
 さぁ、どうなる?

 夫は、今回の梅事件をきっかけに、過去の事件を芋づる式に暴こうとして、四男のレッテル化をはからんとする。レッテル化をはかることで、自分の怒ることを正当化しようという魂胆だ。夫はそういうココロのクセを持った人なのだ。何かにかこつけて、自分の小さい頃に親から抑圧された怒りという憂さを晴らそうと無意識にやっっちゃう。自分を守るために。
 小さい頃の親から受けた抑圧の怒りは、小さい頃に発散できていないと腐ってしまい、大人になって憂さになる。怒りは腐らせてはいけない。
憂さ晴らしの犠牲はダメージが大きい。
 不機嫌
 いじめ
 アルコール依存
 ギャンブル依存
 妻にあたる
 妻だけにいばる
 絶対、謝らない
 DV
 虐待

 怒りは腐らせてはいけない。

 で、夫が過去の事件を口にしようとしたので、間髪入れず「梅の実のことで怒っているんでしょ。今、過去のいたずらは関係ない。子どもを育てようと思うなら、梅の実のことだけ、そのことだけに怒る。それが、鉄則。」ときっぱり断言した。
 怒りが増強しても負けないぞっていう気持ちでキッパリ断言したら、あ~ら不思議、素直に引き下がった。
 もう、昔のわたしではない。
 強くなったもんだ。
 強くなるために、図書館や本屋さんに行って、言葉をいっぱいかき集めてきたもん。
 
あとで、じっくり考えてみた。
 何を?
 どうして、夫は、相手を全く信用していないというスタンスで怒れるのか?わが子が犯人だと決めつけて、わが子の言い分に耳を傾けようともせず、自分はほんの少しも悪くない、わが子がわざといやがらせでやったんだ・・・みたいな勢いで怒るれるのか?
 一方、私は、四男がわざと嫌がらせな行為をするなんてありえない・・・・やんちゃはするけれど故意にいたずらする子ではないという確信みたいなものはどこからやってくるのだろうか?
 
 ということを。

 で、わかった。
 夫は、わが子と四六時中暮らしてこなかった。自分がちょこっと関わりたいと思た時だけつまみ食いみたいな感じで子どもと接点があっただけ。
 一方、私はというと、おむつを替えたりおっぱいを飲ませたり、だだこねが始まったらそれに最後までつき合ったり・・・なんだかんだ四六時中いっしょって感じで、彼の気持ちを汲もうとしてきた。そう、常に24時間、彼の気持ちを察してきた。
 この差は歴然としている。

 わかるわけがない。

 そう考えると、いざという時わが子を信じる力を醸成させるためにはイクメンパパもあり・・・・。父親の理想は、〝ほどよくイクメンパパ”。
 日常のまったりを『ともにいる』という関係性なくして、わが子への信頼というものは成り立ちにくい。
 妻に子育てを任せっぱなしにしていると、信じようにも信じきる体験が足りなさすぎて無理なのだと思う。
 四男と私は癒着関係もいいところだと思う。
 だって、おなかの中から、まさに、一心同体でスタートしているんだもの。
 当たり前と言えば当たり前。
 夫は、一心同体からわが子とスタートしていない。
 しかも、生まれてからも育児は任せっぱなしだった。
 日常の子どもとのまったりを彼に意識的に、例え、嫌な顔をされてもがんばって要求してこなかった私にも罪はある。
 まぁ、すぐ、不機嫌の嵐が吹き荒れていたので、不可能に近かったかなぁ。
 でも、わが子のことを本気で守るという愛があれば、そんな不機嫌な嵐にも立ち向かえただろうから、やっぱり、私自身がそれまでの人生で本気できちんと向き合って、嫌なことは嫌だということを意思表明していく訓練ができていなっかったのだろう。
 
 パパが育児参加することの一番のメリットは、ただいっしょに〝いる”ことから時々ふと感じる『うちの子って、やんちゃもするけれど、おもちゃは散らかしっぱなしだけれど、優しいところもある。案外いいやつだなぁ。』というよいうなわが子への信頼感みたいなものをゲットできることだと思う。

 夫は、そういうところがほとんどない。
 大人にとって迷惑なことをされると、悪い子だとすぐレッテルをはる傾向が強い。何かハプニングがおこったときに、すぐに決めつけてマイナス評価してしまう。思いどおりにならない出来事やハプニングに弱いのかな?もしかして、男性全般に言えることかもしれないけれど、自分の所有する物や領域を侵されると心が穏やかでなくなるのかも。家を作る時、どんなに狭くってもいいから、父親の空間があった方がうまくいくって聞いたことがある。ベストパートナーにも、男は問題が発生すると自分の穴蔵の中に入り込んで出てこないって書いてあった。
 子どもが4人いるため、夫が勝手に自分の部屋だと宣言していた部屋は、子ども部屋になってしまっている。それで、仕方なく床の間を自分の部屋だと称している。そして、その部屋で子どもが遊んでおもちゃが散乱していると怒る。
 仕方ないじゃん。子どもが4人もいるんだから、親だったら、自分の部屋くらいがまんできないの?って不思議に思っていた。でも、どうやら、もしかしたら、男と女って、いくら親になっても違うのかもしれない。家を建てるときにそのことを知っておけばよかった。たぶん、畳一畳の部屋でも工夫すれば十分いけると思う。家事部屋はあっても父親の部屋ってない場合が多い。父親に穴蔵を用意してあげるってことは家族円満になる秘訣なのかもしれない。しまった。
 残念だ。
 子育てに非協力的な夫をどう巻き込むかという点に関しては、まだまだレベル1だなぁ。
たぶん、きっと、家出しちゃえばいいのだと思う。最低でも1週間。
 体験学習しかない。
 さすがに、子どもと1週間いたら、しかも、家族の全責任を負うというポジションになったら、視点が変わってくるはずだ。お産で1週間妻が家にいないのとはわけが違う。家出だからね。いつ帰ってくるかわからない不安の中で、自分がこの子たちを育てていかなけりゃいけないのか・・というようなことを否が応でも考えてしまうだろう。それが、大事。夫みたいなタイプは、子どもを育てるということが他人事から自分事になってないんだもん。批判なら誰だってできる。批判する人は、他人ごとな人。だから、まともにその言葉を受け取る必要なんてな・い。ましてや、その言葉に傷つくこともない。(でも、傷ついちゃうんだ。これが・・・。哀しいことに・・・。)
 私も、もっと早くにこのことに気づいていれば・・・・と悔やまれる。
 でもね。実際は、勇気がいるよね。家出って。子どもを置いての家出って。子どもが寂しい思いをするんじゃないかと思うと躊躇する。だいたい仕事をしていたら、家出したくてもできない。決行するとしたら、育児休暇中しかない。でも、そんな、結婚して数年というかけだしの頃は、まだ、若いので、育児を妻に任せっぱなしでわが子を信じる力が培われていない夫にお灸をすえるという視点で、あえて家出を決行するというような知恵も勇気もない。でもね。育児を妻に任せっぱなしで『お前の育て方が悪い。』と文句ばっかり言うことに文句ばっかり言っていてもママはシアワセにはなれない・・というのも事実。結婚を継続するつもりなら、シアワセになろうよ。結婚を継続させる、それも自分が結婚によるシアワセをつかむためには知恵が必要なのよ。
 
 
 
 私が、「四男はそんなことをする子じゃない。うちの子に意地悪な子はいない。きっと、おばあちゃんが、片づけに忙しくって相手をしてくれないから暇になって、つい、梅の木の枝を叩いてみたら、梅の実が落ちてきて面白いって感じちゃって、やっちゃったのよ。」と私なりの仮説を口にしてみると、「おまえは、すぐ、そうやって甘やかす。」とやっぱり、そう言った。

子どもは、きっと、わかる。親が自分を信じてくれているか否か・・・を。
 ま、母親だけでも信じてあげれたらいいのかもしれない。
 世間は、不信感だらけだもん。
 20代の私がそうだった。
 親以外は信用できなかった。口の堅い人って数少ない。
 育つ家庭が、温室のように父親も母親も信じてあげられるような空気に包まれた子どもは、すくすく成長できる幸せを享受できる。成績が全てではないけれど、そういう家庭の子どもは成績がいいなって感じる。でもね。父親が信じてあげれなくっても、母親さえ信じてあげられたら、それはそれなりに、社会の荒波のウォーミングアップができて、社会に出てからタフかもしれないとも思うのだ。
 心理カウンセラーのS先生が言っていたもん。これからは、幼稚園の子より保育園の子の方が、生き抜く力があるかもしれないって。
 同僚もぼやいていた。夫が、絶対に子どもの言い訳を聞かないのだそう。父親が怒ったときは、絶対に言い訳を許さないのだそう。かわいそう・・とおもっていたけれど、ま、社会勉強だと思えばいいかなって、自分の中で帳尻を合わせていた。
 そうかも・・・ね。
 私も、「大丈夫よ。あなたが、子どもの気持ちをきちんと汲んであげているから・・・。」って、自分を励ます気持ちでそう伝えた。

 ところで、四男は、あれからどうなったか?
 なんだろう。不思議だ。
 今までは、今まで怒られたことのつれづれを父親に面と向かって言えないから、私にぐちぐちぐちっていた。過去にされたイヤなことを全部覚えていて、ぐちぐち・・・と。でも、今回、父親は、テレビを観ながら怒らなかった。テレビを消して、頭を小突いて真っすぐ目を見るって感じで、真正面から怒った。
 そのせいだろうか。今までで一番きちんと怒られたのに、一番ぐちぐちいわない・・・という後味は、どんな味なのだろう?
 夫は、今まで怒って子どもに暴力をふるったことはない。私がくぎを刺していたから。夫も自分に歯止めがきかないかもという恐れがあったから。
 今回、初めて、怒っているときに、四男のカラダに触れた。ちょこっと小突くという形で。
 そして、きちんと真正面から怒りを表現した。

 四男に伝わったのだ。

 何かが。

 今まで父親を舐めていたのだと思う。きっと。

 テストステロンがグ~~~~ンと増える思春期の男の子たちは、意外と階級がお好きらしい。
 高崎山のサルの群れのボスざるを狙うナンバー2とその他大勢のオスざるたちという構図は、まんざら人間界の男の世界でもあり・・・なんだそう。オスのDNAにしっかりインプットされているのだ。
 だからかなぁ。
 父親が、中身は別として、面と向かってビシッと怒ったら、四男は、以前より、父親に対する不満をぐちぐち言わなくなった。ないわけではないと思うけれど、ぐちぐちと口を開くたびに言わなくなった。
 男の子の子育てって、女の子とはまた違うのかもねぇ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かいごくん

2014年05月13日 | エッセー
 四男を42歳で産んだので、まだ、子育てに悪戦苦闘している。
 なのに、なのに、今度は、介護くんが舞い込んできた。
 憂鬱な気分になりそうなので、かいごくんと呼ぶことにした。なんだかなぁ。次から次へとしれんくんがやって来るなぁ。こうも立て続けにやってくると慣れっこになってきて、最近は、「いらっしゃい。しれんくん。さぁ、次はどう料理してみようか?(つまり、今ある材料で同美味しく料理しようか・・・)」というようなスタンスになってきた。
理想と現実をどう調和させて生きていくか・・・・しかない。
 介護する側が倒れたら何のために介護するのかわからなくなる。ここは、妥協するしかない・・じゃない。

 思えば、私の人生、いろんな部門でかなりのエキスパートになれそうな世間では負け組とよばれるようなハードな体験をさえてもらっているなぁ~と感無量になる。
 パートナーとの人間関係・・・嵐
 残業つき仕事と何もしないパートナーと4人の男の子たちの子育てで遊び心を失った私
 学校に行きたくないと暗い顔になって15年の長男
 だだこねを長期に患った次男
 ジャック系三男
 職場の人間関係・・・。
 胃がん体験
 LDのはしくれっぽい四男
 そして、かいごくん

 避けるのではなく、味わい尽くす・・と思えれば楽なんだろうけれど・・・・・・。
 そうだ。こうなったら、味わい尽くして肥やしにするのだ。
 やっぱ、人間、当事者にならない限り、ほんとうの意味での理解なんかできるわけがない。
 仕事柄、いろんな方に出逢ってきた。いろんな方のいろんな深刻な悩みに出逢った来た。
 でもね。やっぱ、自分事ではないから、どこかに真剣さがかけていた。
 予防接種についてもそうだ。子どもを産んで初めて、真剣に予防接種について考えていたら、賛否両論あることを初めて知った。当然するものと思っていた予防接種への疑問が湧いてきた。すべてにおいて、真実探求の旅が、わが子の予防接種から始まったような気がする。
 胃がんになったときもそうだった。自分が、がんと宣告されるまで、がんは早期発見して切る。そして、抗がん剤の副作用に苦しむ・・・みたいな知識しかなかった。でも、自分ががんになって、初めて真剣にがんと向き合った。そしたら、少なくとも胃がんの場合、抗がん剤(TS1)はほとんど効果ないということを知った。主治医の先生の物言いも『ほとんど差はないけれど、一応、術後に抗がん剤を勧めてみる・・・・』みたいな、たぶん、きっと、あとで勧めなかったから再発したと訴えられないように、一応、一言添えたみたいなニュアンスを感じた。
 なんでも当事者になってみないと真剣勝負はできないのだ。
 ここが、皮肉というか醍醐味というか、人生を味わい尽くすということはそういうことなのだと思う。
 人生は、当事者になってこそなんぼ・・・・。
 おかげで、かなり、いろんなジャンルの当事者にさせていただいている。
 もしかしたら、当事者になれるシアワセという世界が存在するのかもしれない。疲れるけれど・・・。
 そして、今、かいごくんの当事者に。
 今、介護の職場で働く方たちへの感謝の気持ちが溢れてきて止まらない。
 家で、義理父を見ることは全然大丈夫な気持ちなのだけれど、夜、2時間おきに起きて褥瘡予防に体位変換をすることに対して恐怖を感じている。ムリだよって思う。誰が、夜中、2時間おきに起きることを残業つきの仕事と家事、子育てしながら、ずっと継続できるだろう。ましてや、いつでもどこでも眠れるという才能が全くない私だ。昨夜も午前2時半に目が覚めたら寝つけなくなって、焼酎を飲んで寝た・・ような睡眠恐怖症気味の私にとって、2時間毎どころか、深夜に目覚ましで起きて体位変換して、また、入眠するということは、たった、1回でも恐怖以外の何物でもない。再び、眠ることができるだろうか・・・。できないだろうなぁ。悶々として、白々と夜が明ける頃、やっとうとうとしたかと思ったら、朝の目覚ましが鳴りそう。
 カラダが持つわけがない。
 夜中の2時間おきの体位変換について、人生で初めて真剣に向き合った。
 今までは、他人ごとだった。
 当事者になったとたん、介護職や看護師さんに対して、ただ、夜間に体位変換をしてくださるというだけで感謝の心が溢れてきた。もう、ただ、それだけでありがたい。虐待さえしなければ、ただただ、夜間の体位変換をしてくれるだけでありがたい・・・としみじみ思った。こうなると、無愛想でもいい。もし、笑顔で対応してくださる介護士さんや看護師さんがいらしたら、もう、大感激。
 今まで、感謝の気持ちが足りなかったなぁ。
 夜間の体位変換について自分事として真剣に考えたら、介護職や看護師さんの見方ががらりと変わった。ありがたい。ただ、ただ、ありがたい。
 あまり優しそうに見えない看護師さんや介護士さんにも感謝の気持ちが湧いてきた。

 ささやかなことに感謝できる力こそ、シアワセの青い鳥をゲットする力なのかもしれない。
 物の見方が変わるだけでしあわせになれるんだと確信した。
 だって、今からは、よほど怖い顔をした看護師さんや介護士さんでなければ、夜勤をされる看護師さんや介護士さんとすれ違っただけで、ありがたい気持ちになれるんですもの。看護師さんや介護士さんを見ただけで、条件反射のように感謝の念が勝手に湧き起ってくるなんて素敵でしょ?今までは、気の強そうな看護師さんやあまり優しそうでない看護師さんに対して文句は言わなくても、心の中でマイナスな感情を抱いていた。病院にいくと、優しさの色メガネで看護師さんや介護士さんを値踏みしていたような気がする。というか、声かけやすい優しそうな看護師さんと逆に怖そうな看護師さんだけがインプットされ、ふつうっぽい看護師さんは眼中にすら入っていなかった。でも、今は、チガウ。夜勤をしてくださるというだけですれ違うたびに心の中でお辞儀をするだろうし、多分、すれ違うたびに微笑むだろう。それくらい、見方が変わった。

 人生は、真剣勝負になったとき、初めて作動し始めるのかもしれない。
 真剣勝負にならざるを得ない環境って、シビアな場合が多い。望んでなれるものでもない。浅田真央ちゃんみたいにアクティブにトリプルアクセルに挑むという真剣勝負も真剣勝負だけれど、望まないのにやってくる環境によって、真剣勝負にならざるを得ない真剣勝負もある。

 不幸とは、嘆くものではなく、逃げるものでもなく、真剣勝負になれるチャンスであり、真剣に向き合ったら、感謝というシアワセをゲットできるチャンスである・・・かも。

 でも、やっぱり、怖い。なるようになるさとしか思えないし、やってみないとわかんない。けれど、カラダがもつかな?という不安はかき消せるものではない。
 
ところで、介護保険って今まで真剣に自分事として考えたことがなかったので、今回、入院して6か月を迎え、医療ではみれなくなるため、どうするかという話し合いが病院で2回ほどあった。リハビリの先生や作業療法の先生や2回目はケアマネジャーも入っての会議だった。義理父もリハビリがんばってくれたと思うけれど、かなり重かったのだろう。左完全麻痺でお尻を完全に持ち上げることはできそうにない様子で、また、左の足や腕は声掛けしないと失認と言って意識できないので、寝返りを打つ時などに左手や左足を置き去りにしてしまい捻挫や骨折をしかねない。高次脳障害もかなりあり、今、その瞬間の受け答えはされるけれど、今、どこにいるのかがよくわからない様子だ。今・・・・だけを生きているような感じだろうか。感覚もどうだろう。食欲はあるけれど、いつも、ご飯もおかずも一緒に混ぜて食べているという。先日、リンゴを食べていたので「何を食べているのですか?果物ですね。」ときいてみたら、しばらくして「なしかな?」とおっしゃった。
 その方がいいのかなとも思った。今の現実をきちんと認識できたら辛すぎる現実である。左半身が完全にマヒしていて寝返りもできないくらいなほとんど自分の思いどおりにならないカラダへの歯がゆさは尋常じゃないだろう・・・と想像する。もう80歳だ。ふわ~っとした世界にいた方がいいんじゃないかなぁ。

 ところで、あれほど私を悩ましていた夜間の2時間毎の体位変換、試験外泊のためにもってきてくださった介護用電動ベッドの上に敷く特殊なマットの存在の説明を業者のお兄さんに聞いて、あっという間にすとんと解決した。あの、わたしの悩んだ日々はなんだったのか…というくらい、あっという間に・・・。あれだけ、2時間ごとに起きることへの恐怖を叫んでいたのに、病院スタッフもリハビリの先生も作業療法士さんもケアマネジャーさんも誰も教えてくれなかった。2時間ごとの体位変換さえなければ、もっと、優しい嫁になれたのに・・・・。
あっちこっちで2時間毎の体位変換のために夜中に起きることの恐怖を叫んでいた私は、その業者のお兄ちゃんにも訴えた。「このマットだと、一晩で職層予防という観点から何回くらい起きなきゃいけないものでしょうか?」と。そしたら、何のことはない「このマットはは、優れものですよ。寝たきりと言っても、少し、もじもじできる様な人だったら6時間くらいはいけますよ。」だって。「え~~~~~~~~~~~~~~~。6時間。ほんとうに6時間ですか。だったら、深夜に起きなくてもいいんですね。」
 6時間の言う言葉の響きにうっとりする私。
 バラ色の人生が一気に押し寄せてきた。
 この1か月、悩んできた睡眠への恐怖は一体なんだったんだろう?

 ま、いいか。とにかく、深夜に起きなくても大丈夫というだけで人生、バラ色だもん。

 お兄さんいわく「このマットは、生卵を落としても割れないような素材でできているんですよ。あの宇宙のNASAで開発された・・・・ウンヌン。」
 圧を吸収してくれる優れものだと言う。
 ふと、血管もこのマットみたいに圧を吸収できるような血管だと血圧を吸収してくれて高血圧にならないのかなぁと思った。今、仕事で高血圧予防のパンフレットを作っているところ。で、私は、『運動と血圧』の担当をしていて、血管は筋肉でできていて弾力性があると圧を吸収する・・という文言を入れていたのを思い出した。運動することで血流がよくなって、なおかつ、血管の弾力性がアップするという。運動すると生卵を落としても割れないような弾力性のある血管に近づくってことか・・・。なるほど。血管もこのマットのようだと圧を吸収してくれるけれど、せんべい布団のように硬いと圧を吸収しないでダイレクトに跳ね返って結果、血圧も高くなるんだ・・・ということが、生卵を落としても割れないマットに寝てみて実感した。
 ウォーキングでそんな生卵を落としても割れないような圧を吸収する血管をゲットできるのなら、絶対、やった方がいい。
 改めて、ウォーキングってすごいって痛感した。
今まで、なんとはなしに血管の弾力性という言葉を使ってきたけれど、弾力性のイメージが、今、はっきりと認識できた。
 きっと、赤ちゃんの血管は生卵を落としても割れないような血管で、老化が進んで動脈硬化になった血管は、せんべい布団みたいな血管なんだろうとイメージできた。血管の動脈硬化が進んでくると、まず、下の血圧が上がってくる。そして、老人になると逆に下の血圧は下がってくる。つまり、上と下の血圧の差(脈圧)が大きくなってくる。つまり、つまり、160/94と160/70の血管はどっちが若いか?というと、160/94の方がはるかに若い血管ということになる。下の血圧が下がってくるというのは、大きな血管までも動脈硬化が進んでいるという証拠で、心臓から末端に血液を送り出すための圧力を大きな血管が硬くなって吸収できなくなったため圧をかけられないから。
 なんでも低い方がいいというわけではないのだ。

 さぁ、いよいよ、お義父さんが我が家にやってきました。
 かいごくんの始まりです。
 病院で夕食を食べてから、金曜日の夜7時半にやってきました。
 どうなることやら。

やっぱり、眠れなかった。
 6時間大丈夫とわかっていても、なんだか眠れず、結局2時間おきくらいに見に行った。
 睡眠薬を飲んでいるので、9時くらいから眠るけれど、1時2時頃には、しっかり目が覚めて、昔の歌を歌ったり、お義母さんにいろいろ話しかけてきて、お義母さんもうとうとと一晩過ごす羽目になった。昼夜逆転は、周りの者がきつい。
 そして、朝、私もいつもより気合を入れて朝食を義理父と義理母の分まで作った。と言っても味噌汁にハムエッグと日向夏の果物を添えただけだけれど・・・・。いつもの土日なら、チーズパンとかホットケーキで済ましていたので・・・。
 よそ様が寝泊まりするって、食事のことだけでも結構気を使う。朝食が終わったと思ったら、すぐ、昼食どうする?って感じだ。
 しかも、介護初体験なので、ベッドから車いすに移したりすることも不慣れで、お義父さんの力を上手に借りて、自分への負担をなるべく軽くするような技もみについていないので、力仕事になったりして、結構、骨折れる。
 しかし、そんなことより、もっと、すごいことに遭遇してしまった。
 いやはや、いい体験をさせてもらいました。
義理母が叫んだ。
 「車いすが上がらな~~~~~~~~い。」
 な、なんと、30センチくらいの段差を義理父の乗った車いすで乗り越えようとしていて、力不足で立ち往生してしまっていたのだ。
 「お義母さん、何をしてるんですか?」とその行動の意図がわからず、思わず叫んでしまった。
 そしたら、「この人がうんこをトイレでしたいと言って聞かないんだもの。」

 え~~~~~~、むりだよ。我が家には、まだ手すりもない。車いすを入れて介助者二人でさせるには狭い。

 と叫んだ。

 でも、チラリと脳裏をよぎった。
 お義父さんに、せめて、大便だけでもおむつの中にではなくトイレでさせてあげたい・・・と。
 去年の暮れに入院してから、お見舞いに行くたびに「トイレでしたい。」と涙ながらに訴えていらした。意識がはっきりしているわけではなかったけれど、人間の尊厳として、せめて、大便だけはトイレでさせてあげたいと私も、何度か看護師さんに訴えた。
 でも、「二人介護の内は無理です。一人介護の状態までリハビリが進めば可能です。」という返事しか帰って来なかった。で、いつかはそういう状態になるんのと思っていたが、お義父さんの麻痺の状態は芳しくなく、結局、退院する日までおむつの中にすることになってしまった。

 で、試験外泊だ。
 お義母さんにだけ、超甘えっ子の駄々っ子になるお義父さんは、トイレですると言って聞かなかった。
 その気持ち、十分すぎるほどわかるから、私の脳裏に無理とわかっていても、ひょっとしてひょっとしたらできるかも…という1%にかけてみようと、つい思ってしまった。これが、とんだまちがいだった。一時の情で動いてはいけないなぁ~~~~~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事は2番

2014年05月01日 | エッセー
 朝日新聞に30代の女性に人気の雑誌『VERY』の女性編集長の記事が載っていた。その見出しが、『仕事は2番』だった。
 いい時代になったと思う。
 ちょっと前。ほんとうにちょっと前まで、女性の憧れは、仕事ができて家事育児もがんばる男性的なカッコイイ女性だった。男社会でそれなりの地位をえて、なおかつ、子育てもするなんて超人レベルだ。ムリだ・・・と私は思っていた。社会的に認められる仕事を結婚し子どもも育てなきゃいけない女性がし続けるためには、お手伝いさんが必須だ。私の仕事は、ギリのところかなって思っている。私には娘がいないのでなんともいえなけれど、もし、頭のいい娘がいても医者や学校の先生の道は勧めないかもしれない。いや、医者だったら、お手伝いさんを雇えるくらいの収入があるからいいかな?でも、学校の先生はそこまで収入がない。とにかく、とってもハードだ。担任とかもったら、1年間数十人の子ども達への責任が発生する。持ち帰っての仕事も半端じゃないと聞く。生徒もわが子もゆったりとした雰囲気でとても育てられないと思う。定刻の8時間はしっかり働いて、あとは、おうちで子どもたちとゆったり過ごせるような、そんな仕事環境で働けたら最高。で、そう考えると、保健師というお仕事はなかなかいいかもって、もし、娘がいたら勧めるかもって思う。定刻にはなかなか帰れないけれど、あとは、どれくらい、仕事は2番と割り切れるかってことになる。まぁ、実際は、そう簡単に割り切れず、毎日、1~2時間のサービス残業をしちゃっているけれど、後輩で定刻になったら、スパッと帰る子もいるので、自分の割り切り方次第なお仕事である。もちろん、チームの仕事なので保健師の上司がバリバリだと定刻に帰るなんて難しいかもしれないけれど・・・。
 三銃士とか三国志を読んでいて、つくづく思った。男脳はケンカ大好き、権力大好き、階級大好きで野心という自信に支えられて生きている脳なのだと・・・・。そんな野心の塊の中で女性が負けじと頑張る姿は、いじましくもあり、切なくもある。男にならない方法で、つまり、女脳でこの野心の世界に光をともすことはできないものか・・・と思う。私は、残念ながら、子どもが小さい時はゆったり専業主婦で3年生くらいになったら、また、仕事に就く・・・これが、理想だ。子育てで得た自分に対するかぎりない自信と思いどおりにいかない子どもから学んだ赦しの心をゲットした女性が仕事をしたら、きっと、すごいよ。
 いいの。いいの。仕事は2番で。はただ、子どもが少し大きくなった時に仕事に復帰しようと思っても、自分のやりたい仕事に就ける人なんて相違ないのも現実で、ここが、シビアだ。どうなんだろう。『置かれた場所で咲きなさい。』式に仕事をやっていれば、何か花が咲くんじゃないだろうか。いつも笑顔でその時できることを全力でやり続けるといろんなものがついてくるような気がする。『神との対話』に「人生の終りには、何をしたかではなく、どんな人間だったか・・・・ただ、それだけだ。」みたいなことが書いてあった。
 今から仕事だ。
 「今日、どんな人間だった?」といつも問いかけているつもりだったけれど、最近、忘れていたので、深呼吸して「どんな人間になりたい?」と問いかけながら、お仕事に「行ってきま~~~~~~す。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする