総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

多様性の学校どんどん増えろ

2024年01月28日 | エッセー
 昨日のお昼のNHK教育でやっていた。
 現在、多様性学校が全国で10か所くらいあるらしい。公立らしい。
 不登校などの子どもたちが通っている。
 とても楽しそうだった。
 し、〇〇になりたいという夢をいきいきと語っていた。
 でも、その前は、不登校。

 いろんなスタイルで学べる≪場≫の提供。
 自分の居心地のいい場所で好きなスタイルで同じ授業を受ける。一人、ハンモックに揺られながらパソコンで授業に参加する子もいれば、ちょこっと休憩タイムって勝手に作って、友達とだべっていたり・・・。
 取材されていた男の子は、別人のように、明るく、ひょうきんで、でも、しっかりと未来のビジョンを語っていた。

 誰からも非難されない安心できる空間を保証されるって幸せだ。

 国は、今後、各県に1か所ずつ、設置していく計画だという。
 早く、実現してほしい。

 今、過渡期。
 先生たちもストレスいっぱいで大変そう。 
 上からの指示どおりの授業展開をしなくてはいけないし、雑多ないろんなこともしなければならない。中学の先生は、教科担なので、クラス担の先生も小学校のようにこどもたちと向き合う時間は少なくなる。一番変化の激しい思春期なのに。
 そもそもその先生がストレスフルなんだから。
 まず、先生が幸せでないと。

 ネットの普及により、国からの調査がどんどん市町村に降ってくる。国が描いたビジョンの実現に向けて、末端の市町村はその理想と現実の狭間でてんてこ舞いだ。学校もきっと同じだと想像する。
 
 多様性の学校の先生って、どんな感じなんだろう。 
 忙しいのかな?
 でも、不登校にまでなってしまった子どもたちが、いきいきと明るく夢を語るまでになるというプロセスエネルギーをいっぱい浴びて、先生たちの心もワクワクして、疲労困憊はしていないかもしれない。
 
 
 もし、全国の小中学校が、多様性学校になったら、日本は再生しそう。子どもを産みたいと思う人も増えそう。
 だって、未来は明るいって心底思えるから。
 1970年代という経済の高度成長時代。
 2030年代という心の高度成長時代・・・に期待しよう。










 





















 







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ネオ・セルフ抗体と不育症

2024年01月27日 | エッセー
 先日、不妊症治療をされ、10年目に妊娠出産された方とお話をする機会があった。
 ここ最近、不妊症治療の医学の進化に感動することが多い。不妊症や不育症の治療はまさに日進月歩だ。
 この方は、『妊娠中の血液は、サラサラ血液でないと、胎盤を通過できないため、赤ちゃんに血液が行かず、不育症となる。あなたの血液は、妊娠していなければ、普通にサラサラで問題はない。でも、妊婦としては、もっと、サラサラでないと胎盤を通過しないから、抗凝固剤であるヘパリンを使います。』と言われたそう。
 へ~~。妊婦の血液はめっちゃサラサラでないと赤ちゃんが育たないんだって、初めて知った。
 それまでは、不育症の治療にどうして血栓を溶かすヘパリンを使うのだろうと?マークだった。
 普通に血が固まりやすいせいかと思っていたけれど、妊婦がゆえに精度の高い血液が求められるのか・・・と、改めて、赤ちゃんを育てるということの任務の尊さにじ~~んときた。
 で、不育症について、少し、調べてみた。
 最近、不育症の四分の一の方に、遺伝的にネオ・セルフ抗体を持っている方がいて、この抗体のために、赤ちゃんが育たないということがわかってきたという。
 ネオ・セルフ抗体とは、リウマチなどと同じように、自分(免疫)が自分のカラダ(タンパク)を敵だと誤認して攻撃してしまう抗体だという。
 アトピーも花粉症も鼻炎も喘息もそうだ。
 自己免疫疾患。

 普通、妊娠すると、ママは免疫寛容というシステムにより、半分パートナーのたんぱく質を持っている胎児をみても、見て見ぬふりして、抗原抗体反応を起こさない。
 これって、めっちゃ、凄いことなのだ。
 だって、臓器移植をした人って、一生、免疫抑制を使わないといけないのに、半分異物である胎児を宿したカラダは、敵と観なさいで攻撃しないんだから。もし、敵とみなしてしまったら、胎児を攻撃して流産してしまう。
 現在、このネオ・セルフ抗体に対する治療薬を開発中だそう。

 私たちの世代のときは、妊娠できずに涙された方たちが結構いらした。でも、今の時代、精度の高い医療機関では90%は妊娠できるという。そして、不育症の治療により、無事出産までに至る。

 ありがたい。

 
 
 
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ライザップの社長さん

2024年01月21日 | エッセー
 今朝、チラッとがっちりマンデーを観ていたら、ライザップの社長さんの高校時代の成績表が、画面にアップされた。
 なんと、380人ちゅう370番みたいな、点数もほぼ50点以下で、赤い色がチラホラ・・・。
 人柄のよさそうな雰囲気をもつ社長さんだ。
 年は30代後半か。
 
 高校時代、ちょっとふくよかな女の子から告白されたそう。で、彼女が痩せたいと悩み相談したことから、一緒に走ったり、なんだり、応援する気持ちで伴走していたら、3か月で74キロが48キロになった・・・という体験が、ライザップの始まりだったよう。

 元々、優しい人なんだろう。
 勉強が嫌いだったんでしょう?って質問されて、
 いや、そうでもない。毎日学校には行っていたということで、実際、本当に無欠席だった。

 その女の子のことが好きでないと、やらないとは思う。
 でも、高校時代に、そんな伴走者になれるって、感性が凄い。
 我が家も4人の男の子がいたけれど、長男以外は、自分のことしか考えていないような感じだった。
 長男は、伴走者タイプだったかも。
 もうすぐ3歳になる女の子のパパだけど、送ってくる動画をみていると、いつも、温かく見守っていて、寄り添っている感がある。3歳の彼女もパパが大好きそう。

 昭和の社長さんには、ワンマンタイプも多かったかもしれないけれど、令和の社長さんは伴走型の人が成功するのかもしれないと思った。
 
 
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便秘は出口が8割

2024年01月20日 | エッセー
 大阪肛門科の肛門専門医・佐々木みのりさんの本を読んで、衝撃を受けた。
 なんと、便秘の8割は、便の問題ではなく、出口の問題なんだそう。
 先生曰く、便を排出後、トイレットペーパーでお尻をふいたときに、ペーパーに何もつかないのが便秘ではないということだそう。ちょっとでも、便がついたら、残便が出口に残っている。その残っている残便が、便秘の元になったり、臭いオナラの元になるのだそう。もし、残便が残っていなければ、オナラの臭いってしないんだって。
 そうか。おならが臭いのは、残便のせいだったのか・・・。
 毎日、快便だと思っていても、もし、おならが臭かったら、便秘ってことか・・・。肛門の出口に残便が存在しているってことか・・・。

 私は、今まで、バナナウンチを目指して、腸内細菌の餌である食物繊維をかなり意識して食べてきた。
 たまには、納得のいくウンチに出逢うこともあったけれど、なかなか出ない日もあれば、ほそ~~い日もあったり、量が少なかったり、色が黒々していたり、なんといっても、胃を切って以来、食後、突然くだすこともしばしばあって、便の世界は神さましかわからないなぁ・・・なんて、つい先日も思ったりしていたところだった。

 とにかく、便意を感じたら、いかなることがあっても、トイレに直行することが、その8割の便秘を治すコツらしい。
 それと、5分以上はトイレに座らない。トイレって、普通の椅子とは違う、穴が開いている。そのため、5分以上座ると肛門部にとっては負担になってしまって、肛門括約筋が活躍できなくなるそう。
 最近は、トイレでスマホいじったりして長居する人も多いみたいだけれど、長居したけりゃ、蓋を閉じて座った方がいいかもしれない。
 という私も、数か月前まで新聞をとっていて、快便でもないので、20分くらいは座っていた。あれも、いけなかったのね。
 もちろん、お尻シャワーもよくないらしい。使っても週1くらいにって書いてあった。
 もちろん、息むのもNG。
 
 で、それから、本物の便意を感じるまではトイレに行かず、トイレに5分以上滞在せず・・・を意識するようになって、まだ、5日だけど、大きなバナナウンチになってきた。昨日は、ペーパーがきれいだった。今日は、ちょっぴりだったけど。ほんの1週間前は、ペーパーを数メートルは使っていたのに比べたら、全然違う。

 思えば、出産後、いぼ痔っぽかった。
 今も、存在感はある。
 このいぼ痔、時々悪さをする。
 少し、外に出てるっぽい状態になると、粘液のせいだろうか。肛門周囲の皮膚が痒くなって困る。去年も春もそうだった。市販のお薬を購入したこともある。ステロイドが多少入っている。塗るのをやめると、また、痒くなるので、どうしたものかと悩んでいたら、閃いた。そう。昔々、別府の血の池地獄で購入した軟膏『血の池地獄』に効用として、痔ってあった。早速、購入して塗ったら、さすがに一発では痒みは収まらなかったけれど、3回くらいで痒みが止まった。外に出ている部分が体内に戻ってくれた。
 ただ、戻っただけで、入り口付近に、今でも、しっかり存在感がある。

 みのり先生は、痔の専門医である。

 もしかしたら、先生の言う通りに残便させないことを目標にしたら、私のいぼ痔という存在感も消え、本当に治癒するかもしれないって、明るい未来が見えてきた。

 それにしても、みのり先生、信頼できるよい先生だ。
 だって、痔の手術が減るから、儲からないもんね。
 便意を感じたら、すぐ、トイレに直行!
 これが、処方箋なんだもの。
 お金にならない。

 いやはや、便意を感じたら、トイレに直行って、ちょっとしたSDG,sだ。
 だって、トイレットペーパーの使用量は減るし、温水は使わないし、トイレ滞在5分以内だから、便座のヒーターも5分しか使用しないし。
 
 

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心が触れ合うとは?

2024年01月14日 | エッセー
 ママが、『ママは、今、こんな気持ちだよ~~。』って言ったら、幼子も『僕は、今、こんな気持ちなんだ。』って言えて、そしたら、ママが『そうなの。今、こんな気持ちなんだねぇ。』って。

 駄々をこねていたら『ダメって言われたから、腹が立つねぇ~。いやだねぇ。』ってママが幼子の気持ちを推し量って、代弁してあげて。そしたら『そうなんだよ。パパは僕が取って上げようとしただけなのに、ダメって怒って。』って素直になって、『そうか。そうだったのね。取って上げようとしたら、怒られて、誤解されて、辛いね。』ってママが気持ちを汲んであげたら、すっきり。
 おそらく、それを、愛 という。

 気持ちのキャッチボール。

 心が触れ合うとは、きっと、そういうこと。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 あ~~~。
 でも、こんな単純なことが、どうして、飛び交わない世界に住んでいるのだろう。

 
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今、どこ?  気持ちに名前を付けてあげよう。

2024年01月13日 | エッセー
 今の瞬間の気持ちをただ見つめる。
 『あ~~~、今、私は、腹が立っているのに、いい人ぶって我慢している。』とか『あ~~、今、私は、息子から老害って言われて、腹が立っている。』とか・・・。
 自分の気持ちを常に客観的にみつめて、自分という人間は、こう言われたり、されたりすると、こんな反応をするんだなぁ~と文章というか言語化する癖を身に着けると、だんだん、今、ここに居られるようになるんだそう。

 今、はまっている今野敏さんの『隠蔽捜査』シリーズ。主人公は、かなりな階級社会である警察庁とか警視庁で、階級をしっかり意識しながらも、それはエリート意識から発生する階級認識ではなく、合理的に事件を解決に導くスタンスのための階級認識で難事件を次々と解決していく竜崎さん。東大法学部卒のエリート。
 その竜崎さんが、第3話では、竜崎さんを尊敬している独身で身長170センチの美人な幹部候補の警察官が秘書になって、なぜだか、恋をしてしまったお話だった。
 今まで、何が起こっても冷静沈着な竜崎さんが、狂おしく抑えきれない恋心に夜も眠れなくなってしまうという前代未聞なお話。同僚と親し気に話している場面を見ただけで、嫉妬心がメラメラと燃えてきてしまって、竜崎さん、大変。難事件の真っただ中にいるのに、日本刀のような切れ味の良い指示を出せない。
 誰にも相談できない。
 唯一、好きでもないが、信頼できる刑事部長の伊丹さんに、すがるような気持で相談したけれど、答えは、行くところまで行くしかない。告白して不倫せよ。
 ただ、帰りに一言、禅の本とか武士道の本とか読むしかないかって言われて、本屋によって、テキトーに3冊買って読んだ。

 そこに、ある言葉が、チラッと竜崎さんの心に引っかかった。

 ただただ、自分の正直な気持ちを見つめなさい。
 

 最初は、意味がよく解んなかった竜崎さんも、とにかく、『今、彼女の笑顔を見てほっとした。』とか『今、あいつが彼女と楽しそうにしゃべっているにやけた顔を見たら、腹が立ってきた。くそ~~。』とか・・・。

 事態は何も変わらない。
 相変わらず、ドキドキ恋している。
 でも、眠れるようになった。
 で、仕事にも切れ味が戻って来た。


というお話だった。

 恋と愛は違う。

 恋は恋。

 恋は、勝手にドキドキした気持ちが湧き上がってきて抑えきれない感情。
 お腹が空いたとか眠たいとか。イライラするとかカッカくるとか。

 自分の感情とか気持ちって、コントロールできない。
 だって、湧いてくるんだもの。
 私の持って生まれた性質とか幼少期の親との関係性とか育ちのなかで、私の感情の泉が形成される。
 その『私の感情の泉』は、良くも悪くも日々の出来事(人間関係や仕事など)という誘因によって、湧き上がる。
 空気を読むとか仕事の優先順位をつけるとか円滑な人間関係をつくるという『場』では、いちいち湧き上がる感情をちゃんとネーミングしてあげる時間がなく、スルーしていることも多い。というか、職場ではスルーしっぱなしだ。そのスルーした気持ちって、私の泉にどんどんため込まれていく。
 
 
 我慢し続けるとストレスになって、カラダに返ってくる。
 竜崎さんみたいに眠れなくなるし、日中も上の空になる。

 私も、竜崎さんのように、今、ここにいるために、今の自分の気持ちに名前を付けてあげよう。24時間。
 本当は、見つめた言葉をメモしたい。というか、メモすることで習慣化しそう。
 よ~~し。今年の目標は、今の気持ち実況中継アナウンサー。
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遙かなるありのまま人間への道

2024年01月08日 | エッセー
 DNAなのか、
 親が蒔いた種なのか、
 はたまた自分で蒔いた種のせいなのか・・・。

 もっと過酷な試練を生きてきた人もいるとは思うけれど、これでもかこれでもかって感じで試練が降ってきたし、今も続いている。 
 試練のたびに、図書館に通った。カウンセラーの相談した。ピアカウンセリング的な場にも通った。
 なぜって、問題を解決したいから。
 問題は解決するためにあるから。
 っていうか、私は、問題を抱えながら生きることが苦手。不快な感情を持ったままだと夜眠れない。
 夜と霧のフランクルは、なぜ生きるのかではなく、人生がどう生きるかを私たちに問うていると言う。七つの習慣コビー氏は、パッ思った瞬間の良心に添って行動せよと言う。
 良心。

 これが、なかなか。
 パッと感じた、その瞬間の気持ちって意外とキャッチしにくい。
 なぜなら、物心ついた頃から、気持ちを封印して生きてきてしまったから。
 封印癖がついてしまった。
 無意識に、いつも、人の顔色を窺っている。
 空気読みすぎ人間だ。

 空気は読めるのに、自分の素直な気持ちは読めない。

 つまり、子どもをありのままにいさせてあげる、その前に、自分がありのままでいられない。
 自分をありのままでいさせてあげられないのに、どうして、わが子をありのままにいさせてあげられるだろうか。


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ありのまま人間

2024年01月06日 | エッセー
 もう、めいっぱい子育ての本とココロ関係の本を読んできた。長男が3歳の時に、車で5分もかからないところに、新しく図書館ができで、30年でざっと計算しても1,000万円以上分は読んでいると思う。図書館には感謝しかない。もし、図書館がなかったら、私は路頭に迷っていた。決して、自慢したくって、そう言っているのではない。本当にほんとうに感謝している。
 だから、不思議だ。ネットの知識では問題解決にまでは至らないもの。1冊の本に詰まった言葉たちの要旨だけの情報では、単なる知識の伝達にしかならないと思う。路頭に迷った人間にとっては、知識だけでは目的地に辿り着けない。
 読書家とかそういうんじゃなくて、問題をどうにかしたくて、どうにかしてくれるかもしれない本を求めて図書館にせっせと通った。
 元をただせば、夢見る夢子ちゃんでノーときっぱり爽やかに言えない自分の蒔いた種から派生した数々の不幸の連鎖でだるまのように問題が次々と生じるもんだから、図書館通いがやめられなかった。
 キレキャラ夫との問題や、結果生ずる子どもたちの問題と私の仕事柄必要な知識から得た理想論と現実のギャップで生ずる新たな問題など、数々の問題を解決せんとして、せっせと図書館に通った。
 マジ、50歳で胃がん宣告をされたときは、もうこれ以上、神さまは災難を私に降っては来ないよねって思ったのに、まぁ、その後も、がん宣告より衝撃的なしんどいことが降ってきたし、今も降ってきている。
 
 で、何を言いたいかっていうと、私が出した子育てで一番大切なことについて。

 子育てであっちぶつかりこっちぶつかってばかりで、まだまだの未熟者の私が辿り着いた子育ての醍醐味は、
 
 どれだけ、子どもを『ありのまま』でいさせてあげらるれるか。
 親が、どれだけ『ありのまま』な自分の気持ちを意識化し、表現できるか。


 『ありのまま』って、めっちゃ難易度高いからね。
 だって、私も含めてほとんどのママが、『ありのまま』に育っていないから。いろんな煽り運転ママパパに育てられているから。怒られたりしゅんとなられたり、褒め過ぎられたり・・・。自然体で育てられてない。そもそも、パパママがその瞬間瞬間に感じる自分の気持ち=ありのままを表現するレベルまでのありのまま人間じゃないし。
  〇〇あるべきだ
 〇〇しなければならない
 〇〇しないと気がすまない
 私は正しい。あなたは間違っている。
 既読スルーに腹を立てる
 イライラしやすい

 イヤなことを嫌だと言えない
 言い返せない
 自分の主張をしても、相手が不快な顔をしたら、罪悪感を感じてしまって、だったら言わない方がよかったって思う。加害恐怖
 決断できない
 劣等感
 自信がない

 などなど。

 世の中、おおよそ上のグループタイプか下のグループタイプかだ。
 相手の反応に左右されずに、自分の意見をきっぱり言えて、でも、相手の意見も素直に耳を傾けられるような人って、そうそういない。
 そんなもんだ。
 

 だから、夫婦は、破れ鍋に綴蓋って言われる。
 そう。恋愛は、プラスとマイナスが惹かれ合って繋がっていく。つまり、上のグループのタイプと下のグループのタイプが惹かれ合いやすい。そんな人たちが晴れて結婚して子どもができて家族になっていく。家族って、実は、逃げ道のない密室だ。
 下のグループのタイプの人は、上のグループのタイプの伴侶に果敢に向かっていかざるを得ないなかで、罪悪感なしに言いたいことが言える人に成熟していける。一方、上のグループのタイプの人は、おそらく、そう変われない。ただ、子どもが思春期になって、荒れたり、なんだりしたときが、正念場となるかもしれない。


 いびつな人間同士だけど、子どもを『ありのまま』でいさせてあげるにはどうしたらいいかを、二人で暗中模索し続ける…それが、子育ての醍醐味だと今なら、そう言える。
 否、子育ては親育てというけれど、私が思うに、
 子育ては『家族みんなのありのまま育て』
 
 何度も言っている。
 赤ちゃんが、さっきおっぱいを飲んだばかり。オムツも替えた。なのに、ぐずるから、一日中抱っこしているというようなママは、わが子をありのままでいさせてあげてない。
 赤ちゃんは、本当にほんとうに、泣いてスッキリしたいだけなのに・・・。ぐずるとき、横抱きを嫌がるとき(縦抱きで泣きやむとき)、ミルクをそねって飲むとき、背中スイッチ、目をそらそうと必死なとき・・・、そんな時は、泣いてスッキリしたいサイン。
 一日中ぐずって抱っこされている赤ちゃんは、ママがそばにいるという安心の中で、オンオンギャンギャン泣いてすっきりしたいって、一日中訴えている。
 一日中訴え続けているのに、一日中ママは、その必死の訴えを拒絶してしまっている。抱っこが、愛だと勘違いをして・・・。
 そのうち、赤ちゃんも諦める。
 あ~~、ママは泣く子が嫌いなんだ。ママがそんなに嫌いなら、自己主張することを、僕がありのままでいることを


 断念するしか道はないか。
 
    
  

 
 
 
 
 

 

 

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おだてる=煽てるって知っていた?

2024年01月03日 | エッセー
  録画していた『 突然ですが占ってもいいですか』の木下優樹菜さん編を観た。
 13歳と11歳の二人の娘さんといっしょに占ってもらっていた。
 長女と次女でこうも違うのかというくらい、性格が違っていて、次女さんは怖いものなしって感じだった。一方、長女さんは、いっぱい我慢していて心配だと占い師が言っていた。
 ドキッとした。
 生まれた時から、ママに喜んでもらうために生きてきた。でも、思春期に入って、自分がわからなくなっている。大人になって、優樹菜さんは彼女と向き合わないといけない状況になるでしょう。それは、波乱的になると。
 長女が生まれてから、優樹菜の子という感じで、メディアにさらされる仕事をしていた。その体験は、彼女に、場が何を要求しているかを察し、場が求めるものを提供できちゃうという、自分不在の体験であった。
 幼い子は、ママのためなら何だってする。
 ママが大好きってことももちろんある。
 でも、ママは幼子にとって、命綱なのだ。
 命綱が、キレたら、アウトだ。
 必死だ。赤ちゃんも幼児も。
 だから、ママが喜ぶことなら、なんだってする。
 自然な喜びなら、自然体でいられる。でも、ママがスタッフの求める映像や解答を幼い娘に下心ありで、やや大げさに喜んだりすると、幼子は、一段とママを喜ばすために精を出してしまう。

 それを、下心あって褒めるって言う。

 幼子は下心あって褒めてはいけない。

 上手にできたね・・は、本当は禁句だ。
 『上手にできたね』の主語は、『あなた』。
 youメッセージは、評価メッセージになってしまう。
 そうすると、ママを喜ばせるために、もっと、頑張ろうってなって、ますます自分不在に育っていく。
 そして、思春期に、自分がわからなくなる。
 だって、ずっと、ママに気に入ってもらうためだけに生きてきたのだから。
 子どもとのコミュニケーションの柱は、『Īメッセージ』。つまり、『ママは』から始まる文法が、こどもを≪ありのまま≫にいさせてあげられる。
 「ママは、嬉しい。」
 それだけでいい。
 それも、ボソッと。大げさは、下心。

 けなして育ててはいけないけれど、褒めて育ててもいけない。
 特に、下心あって、褒める=おだてる  のは、ノー。
 おだてるって漢字を知らなかったので、調べたら、なんと

 煽てる

 だった。

 煽ると同じか?

 煽り運転されたら、普通にのんびりとマイペースで走ってなんかいられない。
 大人だったら、怖くなって、ドキドキしてきたり、腹が立って、イライラしたり。

 幼い頃に、ママと一緒に撮影するってことは、ママやスタッフの要求通りに笑顔を作るってことだ。マイペースではいられない。みな、悪気はないけれど、煽り運転をしているってことだ。その時に、長女さんは、ドキドキやイライラを押し殺した。だって、ママのためならなんだってできるんだもん。否、ママは命綱だから、ママのためだったら何だってする。だから、押し殺した。
 それが、癖になった。思春期まで、それを自分だと思い込んで、ずっと、押し殺して、いい子でいることを頑張った。
 でも、思春期になって、DNAにしっかり刻まれた自我が、生き残りをかけて、違う違うって疼きだした。ママが大好きでママのためなら何だってやって来た偽り自我に埋没していたDNA自我が、「ちょっと、待った~~~。」と。

 優樹菜さんも、仕事が忙しくって、熱を出しても、祖母に頼んだりして、いっしょにいてあげれなかった。それが、いけなかったかなぁって。

 占い師さん、思春期の今が大変ではなく、大人になってから、大変だと言っていた。 
 今、気づいたのなら、今、どうにかならないのか。
 根が深いと、20歳過ぎてから大変になるのだろうか。

 
 
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罪悪感の感度

2024年01月02日 | エッセー
 相手の言うことに、逆らったり、抵抗したり、断ったりすると、こちらが罪の意識を持ってしまう時には、相手は要注意人物である。
 隠された恐喝におびえる。
 相手の言いなりになっていないと、なんだか自分が誠意のない人のように思えてくるのである。
 これを感情的恐喝という。

 と、加藤諦三さんの本に。

 罪悪感は、畑を枯らす農薬だ
 
 と、神との対話にも。

 な~~んだ。私って、罪悪感によって培われた人間だった・・・んだ。途中からは、自分で罪悪感を耕していたかもしれない。

 罪悪感という視点から、自分という人間を見つめると、スッキリしてくる。

 母は、別に、可もなく不可もないごく普通のお母さんだと思って、ほんわかな凪の家で育ってきたつもりだった。ただ、思春期のたった1回の、私の抵抗に『しゅん』という反応をした母によって、言い返せない私が確立してしまった。
 でも、はたして、たった1回のしゅんで、言い返せない私が確立されるものだろうか。
 なんだか、蔓延している言い返せない空気が、わが家にあったのではないだろうか。もしくは、私の記憶の始まりの前の頃の、つまり、胎児の頃から3歳ごろまでの母との関係性で、すでに罪悪感の芽が育っていたのかもしれない。
 父の『しゅん』による、夫婦げんか回避作戦を無意識はしっかり感じ取っていたのだろうか。
 言い返すお手本のない家庭に育ち、優しくて素敵な女性になりたいという憧れを抱いた13歳の私には、たった1回の母の『しゅん』が、畑を枯らす農薬であったのかもしれない。

 おそらく、精神的に参ってしまうタイプの人って、一見、いい人で、でも、実は、心理的恐喝に怯え、NOっと言ったら自動的に罪悪感を増幅させてしまう人なのだと思う。

 罪悪感に苛まされるくらいなら、NOと言わないことを選択してしまい、結果、自分を押し殺して、人生を積み重ねてきた。そして、自分を押し殺し続けた結果、自分を見失って、空虚しか残らなくなった。空虚はきつい。何のために自分は生きているの?という悪魔のささやきに翻弄される。
 胸がキューンと苦しくなる。
 まるで、溺れかかって、必死でもがいているがごとく。

 母は、知ってか知らずしてか、心理的恐喝をしていた。
 
 自分のない私は、こと恋愛に関しても、勝手に心理的恐喝されてしまっていたと今、思う。
 自重筋トレならぬ、自重罪悪感的な。
 仕方がない。自分がわからないから、自己主張するのが怖くて、相手に気に入られることばっかりに目が行って。で、相手も自己主張のない私に飽きて、去っていったのだろう。
 
 今なら、わかる。
 私が13歳の時に描いた『なりたい自分』だった『優しくて素敵な女性像』が、単なる八方美人という自分のない人間という大誤算だったってことが。トホホ。
 
 ま、でもね。昨今、宝塚などの報道を見ていると、20代の大人の素敵な女性たちの集まりだとイメージされていた世界でも、密室の中では、猛毒レベルの心理的恐喝が繰り広げられていたことがわかり、大なり小なり、あるいは、五十歩百歩かなって。人間なんてララーラ、ラララ、ララーだね。

 ただ、今からは、自分のココロをきちんと見つめようと思う。
 『私の罪悪感』は、私を心理的に恐喝してくる人かそうでないかのバロメーター。もし、少しでも、私がその人に罪悪感を感じたら、つまり、気に入られようという下心を抱いたら、イヤな時はイヤってきちんと伝えようって決めた。
 

 今日は、1月2日。

 罪悪感の感度を高める。

 これが、今年の私の目標。


 ふと、私は、子どもたちに罪悪感を抱かせるような子育てをしてきたのではないかという不安が脳裏をかすった。
 これも、今年のテーマだ。
 ちょっと、こわい。
 
 思春期に、『クソババァ』『別に・・・』『うざい』って言われたら、子育て大成功って、児童精神科医の渡辺久子さんがおっしゃっていた。

 罪悪感があったら、絶対に言えないセリフだ。

 もちろん、私は言えなかった。というか、想像もつかなかった。

 長男は言えてない。ただ、ずっと、睨みつけていた。
 次男は、『別に・・・』『うざい』は言っていたなぁ。
 三男は、冬眠しているよな思春期だった。遅ればせながら、今になって、言えている。
 四男は、『クソババァ』『ろうがい』の打ち上げ花火大連発も終焉の時を迎えつつある。

 恩着せがましくならないよう、細心の注意を払おう。
 
 
 
 

 
 


 
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