総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

サンポールに追伸

2016年12月27日 | エッセー
 何をやってもとれなかったトイレの黄ばみにサンポールの劇的な威力について書いた。150円のお値段でこれだけの威力を発揮してくれるなんて奇跡だと思った。
 その感動を職場のみんなに話したら、やっぱり井戸端会議って必要だなぁって思った。
 ある人が、私の感動に、両手を広げて感動していてばかりだと落とし穴があるというような情報を教えてくれたのだ。

 なるほど。

 そう。トイレの汚れの原因は、酸性物質なので、サンポールなどにはかなり強力なアルカリ物質が含まれている。そんな化学物質は浄化槽に住んで、排せつ物を浄化してくれる重要な役割を担ってくれている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朗報!認知症。そして、ノーと言えない認知症予備軍

2016年12月26日 | エッセー
 あっぱれな人っているんだなぁ。
 先日お会いした女性もすごかった。世の中には、こんな人がいらっしゃるんだ。プロフェッショナルに出演していただきたいくらい。
 60代の女性。今は、ケアマネージャーをされているとのこと。
 40代のころは、認知症の病棟の看護師さん(看護師長さん)をされていたとのこと。
 話の中で、「認知症の方たちと接するのって大好き!すっごく楽しかった。介護度が5の方が3になったのよ。」とおっしゃって、思わず「ほんとですか?認知症の方って対応が難しそうで大変そうに思うのですが、楽しかったんですか?本当に楽しかったんですか?」と聞き直してしまった。
 例えば、夜中におじいちゃんが部屋から出ようとして暴れ出した時、おじいちゃん何をしたいのかなぁって想像してみる。もしかして、お風呂に入りたいのかなぁって思って、『おじいちゃん、お風呂に入りたいの?』ってきいたら、素直に『うん』って答えたから、夜中なんだけど、浴室に連れて行って、シャワーを浴びさせてあげたら、そのあとはぐっすり眠ってくださったとか・・・。
 介護する側からみれば、夜中に部屋の外に出ようとすることは問題行動だけれど、時間とか場所とかの感覚がわからない人にとって、その人が、今、お風呂に入りたいという欲求を持った場合、それを阻止されたら誰だって、怒るし暴れるかも。
また、ある時、毎晩、妻の名前をずっと呼び続けるので、妻にそばにいてほしいのかもと推測し、寝付くまで添い寝をしてトントンしていたら、おとなしく寝入ったので、その後は、夜勤の看護師にしばらく添い寝をしてもらったら、大声で叫んだりすることがなくなったこともあるそう。
 ちょっと、添い寝は無理そうかなぁと想像してみる。まぁ、その方がする分はその方が試みてみようとするのだから、良しとするにしても、スタッフは嫌がらないだろうか・・・。いくら、その人がその時したいと思ったことをしてあげると認知症がよくなるとはいえ、添い寝はねぇ~。抵抗感ある。「皆、よく従いましたね。」と聞くと
 「だって、そうした方が断然手がかからないと体験的にわかっているから。もし、阻止したり放っておくと、不穏状態が続いてずっと対応しなくてはいけなくなるから、夜勤の人も自分の仕事が終わらず大変なことになるから。その時、きついなって思っても、ちょっと頑張って、本人の欲求を見定めて、その欲求を満たしてあげるために時間を割くことは、しないで時間をとられるよりずっといいでしょ?」
 そういうことを続けていくと、介護度が軽くなっていくんです。

 その人が、その瞬間にその人にしたいと思ったことをすることを許す限り叶えてあげようとする姿勢こそ・・・。

 それが、認知症介護のキーワードだと思った。

 というか、認知症予防も同じかも・・・。

 というか、人が生きるとは、そういうことなのかもしれない。
 その人が、その時、その瞬間にしたいということをする。

 その傾向が強い人を、人はわがままというかもしれない。
 でも、その瞬間にしたいと思ったことを、世間体や周りの目や常識やいい子ちゃんでいたいがために、つまり、自分が傷つきたくないがゆえに、その瞬間の本当の自分をお粗末に扱うことを繰り返していると、認知症になりやすいのかもしれない。ひょとして、認知症に限らず、それが万病の元?

 私は、常に仕事を優先させてきてしまった。子どもが熱を出しても、少々なら、仕事を選んだ。べつに仕事か好きだったからではない。仕事が多すぎて鬱になる寸前だった時もあるくらいだった。後から思えば、その仕事もなんだか押し付けられたのではないかというような仕事だった。つまり、「それ以上はわたしはできない.。」と訴える勇気がなくて引き受けてしまったような仕事によって、自分の首を絞めていただけだった。私は本当は休みを取って子どもとゆっくり過ごしたかった。でも、仕事量が多すぎて休めなかった。人に頼めなかった。つまり、その瞬間の一番大事にしたいものの優先順位を、職場の同僚への気兼ねから、捻じ曲げ続けてきたかなぁ。


 やば。
 私も、認知症予備軍じゃん。
 もっと、わがままになろう。嫌なことは嫌だと言おう。その瞬間、自分が一番大切と思うことをできうる限り、最優先しよう。

朝井リョウの『何様』を読んだ。

 短編集で、最後からの二編が特に印象に残った。
 今まで、すぐに、もう一度読み直すということはなかったけれど、この二編は織りなす言葉が気になって、読み直してしまった。朝井リョウのファンになった。
 優等生になりたかったわけではないけれど、自分がこの家の調整役をしないと荒れる思春期の妹とそれに翻弄される親(特に母親)という家族が壊れてしまうという恐怖から、本当の自分の気持ちを封印せざるをえなかった35歳独身女性の心模様を何とも言えない切なさで表現している。この女性も認知症予備軍だと思った。でも、とある日、反逆に出る。優等生からの脱却をはかった。

『なんでこんなことをしてしまったのだろう。』
 『むしゃくしゃしてたからだと思う。むしゃくしゃしていたから、私たち普段ならしないことをしてしまうんだと思う。』
 『きっと、私たち、今まで上手にむしゃくしゃできなかったんだよ。』

 自分のことは棚に上げて、わがまま(自己主張)ばっかりのわが子に辟易している。
 彼は、むしゃくしゃばっかりしているんだろう。上手にむしゃくしゃしているんだろうか?
 思春期までに、十分むしゃくしゃできた子は幸いである・・・と思うことにせねば。毎日のように、彼の八つ当たりにどうにかなりそうだけれど、上手にむしゃくしゃできなかった人は、大人になって、むしゃくしゃの大やけどをしちゃうかもしれない。

 私も上手にむしゃくしゃできなかったなぁ。

 今まで、むしゃくしゃして普段ならしないことをしたことあるかなぁ。できたらいいなぁ。

 思春期までに、上手にむしゃくしゃできなかった人は、実は、一度も心が解放されたことがないのかもしれない。

 朝井リョウさんは、こんな表現をしていて、さすがだと感心した。
 妹は、思春期に荒れていて母は妹に対しては、怒って哀しんでばかり。でも、成人したら、なんだか、母は妹といると楽しそうで、どうして?私は暗い家を明るくしようとわがままも言わず母を助けていたつもりなのに・・・・。

 妹は、母の『喜』『怒』『哀』『楽』の全ての感情を引き出した。でも、私は、母の『喜』と『楽』しか引き出せなかった。

 人間関係って、そういうことなんだろうか。

 子どもって、親には依存しかできなくて育ててもらうという存在かと思いきや、母の中に眠っていた『喜』『怒』『哀』『楽』を引き出して、母が本当の自分に出逢えるための貴重な存在なのかも。
 そんな風に考えると、親にとって『いい子』って損だよねぇ。20歳まで親に尽くしてきたのに、20歳過ぎたら、さんざん親に迷惑をかけてきた妹に親の心を奪われるなんて。そして、なぜだか、自分の心に隙間風が吹く。
 尽くすって何だろう?
 どうして、思春期にむしゃくしゃという感情が湧き出てこなかったのだろう。
 むしゃくしゃという感情に蓋をするほどの何かが生まれてからの(否、お腹に宿った時からの)僅かな時間に形成された?それとも、持って生まれた性格?第一子という運命?

 子どもが、思春期に、親に向かって『うざい』『べつに・・』『クソババァ』と言えたら、子育ては成功って、誰かが言っていた。
 つまり、思春期にむしゃくしゃという感情が湧き出てくるということが、自然な発達なのだ。
 逆に言えば、『うざい』『べつに…』『クソババァ』って言わなかった子どもは、自然な発達をしていないと言えるのかも。つまり、私のこと。
 昔、あるカウンセラーに、私には『怒』の感情が育っていない・・と言われたことがある。
 母の『怒』の感情を引き出せなかったから、私も『怒』の感情が未分化だったのか、母が『怒』の感情を出さなかった、あるいは、母も未分化だったから、私の『怒』の感情が発達しなかったのか・・・。
 
 思春期のむしゃくしゃって、大事なんだなぁ。

 再度、どうして、私は、思春期にむしゃくしゃという感情が沸き上がってこなかったのだろう?

 むしゃくしゃの芽はいつ摘み取られたのだろう?ていうか、芽はでたのだろうか。もしかしたら、芽すら出ていなかった?
 
 4人の子どものうち長男のみ、『うざい』『べつに・・・。』『クソババァ』って一言も言わなかったなぁ。その代り、彼は自分の心とカラダを傷つけた。今、思えば、ぞっとするくらい。

 私が、夫に『怒』をぶつけることができなかったからかなぁ?

 認知症予防の話からとんでもない方向に行ってしまった。

 その瞬間、したいっと思ったこと、一番優先順位の高いことをなるべく優先するようなスタンスで生きるということが、認知症予防になるのではないだろうかという話は、あくまでも仮説。でも、その前に、その瞬間瞬間の本当の自分の気持ちがなんであるかは、思春期までに喜怒哀楽のすべての感情を引き出されていないと、本当の優先順位をつけられないという大前提があるのではないだろうか。『怒』の感情が未分化な私は、その瞬間の本当の気持ちがわからないのだから、優先順位がつけられうるわけがない。本当の認知症予防は、育つプロセスの中ですでに始まっている?子ども時代に喜怒哀楽と喜怒哀楽のぶつかり合いをしてこそ・・・。これは、認知症病棟大好きって言った看護師さんの体験談から、私が推測したことであってそれ以上でもそれ以下でもないけれど。

 
 

 

 




 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とあるあっぱれな人。

2016年12月14日 | エッセー
 昨日は、往復5時間余りの道中、初対面のとある60歳くらいの女性と話に花が咲いて楽しい時を過ごすことができた。
 世の中にはこんな人もいるんだなぁ。すごいなぁ。
 あっぱれ!!!!!

 ただただあっぱれ!

 何があっぱれかというと、つい最近、銀行から1億5千万の融資を受けられたという話。
 60歳を超えた女性が、自分の長年あたためていた夢を叶えるために1億5千万の借金をするなんて、アンビリーバブル以外の何者でもない。というか、30歳であろうと40歳であろうと1億5千万なんて借金、そう簡単にはできない。少なくとも、みみっちぃ私にはできない。ありえない。
 しかも、この方、健康とは言えないお体で、『もし、その夢を叶えるために頑張ったら、死ぬよ。』と知人に言われたくらいな方。

 それでも、作りたかった・・・・。
 その、夢とは、月10万円で入れる有料老人ホームとのこと。
 田舎でも15万円はかかるという有料老人ホーム。
 それで、経営は成り立つの?そんなことをしたら、スタッフのお給料はどうなるの?ただでさえ、介護士の給料は安すぎる。ハローワークの求人情報のチラシを見ていると、基本給が13万で夜勤手当がついて18万とか・・・。これでは、家庭をもてない。現に、介護士同士で結婚されている方は共働きを続けている方がほとんどだし、生後3か月から保育園に預けて復帰している。なのに、入居者の費用を月10万円にして大丈夫なの?
 と質問すると、意外な答えが返ってきた。あっぱれ。
働いている人が幸せでなくちゃ。お給料ももちろんだけれど、福利厚生をしっかりしたい。

 以前、富山かどこかの施設が、子どもも高齢者も一緒にいる空間をコンセプトにしていて、そんな施設だったらいいですよね・・と話すと・・・。

 3階立てで、2階と3階部分は居住空間にして、1階には、最初は職員の子どもたちを預かる託児所スペースを考えている。ちゃんとお勉強も見てあげたいから大学生のアルバイトを雇って宿題とか見てもらったり遊んだり・・・。ゆくゆくは学童もやりたいと考えているとのこと。

そして、極めつけは、1階にレストランを作り、その収益を入所者の方の毎月のおむつ代にしたいという構想。
 その女性曰く、自分の懐に利益を入れようという考えはない。ただ、ただ、理想に近い介護施設を作りたいだけ・・・・。

 再度、聞いた。
 それにしても、月10万でしかも、スタッフの福利厚生をしっかりした施設ってできるんですか?

 役員報酬をもらわないから、大丈夫・・・とおっしゃった。
 ということは、役員報酬ってそんなに高額なの?

 それにしても、60歳を過ぎての億を超える借金を背負うということの荷の重さを思うだけでアンビリーバブル。

 大学を卒業させるだけでひーひー言っている私とは、お金に対する考え方が全然違うのだろう。

 その方のそれまでの人生を伺っていてそう思った。

 今まで、何度かケアマネ関係の事業所を立ち上げてこられた豊富な経験を聞いていて、有料経営者ではっても、儲けようという大前提で事業をしていらっしゃらないところが、逆に、お金に困らない経営につながっているのかもしれないとしみじみ思った。
 ケアマネの事業所を立ち上げようと思って物件を探したけれどいい物件が見つからず、それなら、建てちゃおうってことになって、土地を探して建てようとしたとき、ふと、あることを思いついたそう。
一軒家だと個人情報があるから心配。という理由でアパートを建て、その一角を事務所に。
 しかし、いざ、作ってみると、事務所への客の出入りが多くて、アパートの住人に迷惑がかかるかなって思って、隣の敷地を買って、事務所を別に作ったとのこと。
 そのアパートも、超いい条件。こんな条件のアパートなら私も入りたいよ。
 アパートの住人のネット代は彼女が出し、敷金礼金もなしにしたという。

 元々、アパート経営が目的でアパートを建てたわけではないから、とらないとおっしゃるが、私だったら、しっかりちゃっかり儲かっちゃおうって思うだろうな・・・。
 お話を伺っていると、儲かろうと思って事業と立ち上げているわけではなく、ケアマネとして自分の理想に近づくために事業を立ち上げ、尚且つ、従業員の幸せは大前提という基本スタンスで事業を行っている。みんなが幸せな経営、つまり、ウインウインな経営をめざしていらっしゃる。
 それが、どれだけすごいことか・・・・・。

 世の中には、こんな方がいらっしゃるんだなぁ。
 ご主人のお仕事が安定していらっしゃるから、借金さえしなければ自分のやりたいようにできるという強みをあるのだろう・・・・。
 私は、なぜか、私が大黒柱にならざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
 それって、職場の人間関係が少々厳しくても辞められないという意味では、今となっては続けて来れてよかったという感慨だけれど、遊び心をもちづらい。なんだか、ちっぽけ。

 家族を支える男性って、考えてみると、大変。    
 辞めたくても、そう簡単には辞められない。やりたいことをそう簡単にはやれない。
 
 三男が電話してきた。
 遅まきながら、仕事をするという大人の階段の基礎工事がやっとできあがったみたいでほっとした。
 どんな仕事をしたいのかもどんな専門学校に入りたいのかも何もわかっていないのに、なぜだか、とても晴れ晴れとした声で、クリスマスの夜の飛行機で帰るから、もし、できたら、迎えに来てほしい・・・と。正月の規制ではなく、今の派遣みたいな季節労働者みたいな仕事を辞めて、一時、家にいさせてほしいという。目的はみつかっていないのに、なぜだか、ルンルンした声なので、ま、いいか。
 本人曰く、一緒に働いている56歳の男性とじっくり話をする機会があって、それで、自分の人生のスタートボタンを押せたよう。かなり、遅まきながらの何だろう?自分で自分の人生を大切にしたいという基盤ができあがったらしい。


感無量!
 3年寝太郎くんが、ついに、目覚めた。
かわいい子には旅させよとはよく言ったもんだ。
 その56歳の男性は、正職ではあるけれど、30年間、ずっと辞めずに、夜勤もある灼熱の工場で黙々と働き続けた方。職場ではいつも笑顔でユーモアがあって、三男は、てっきりこの仕事がそこそこ自分に合っていると思っている人だと思っていたそう。でも、じっくり話してみると、いつもいつも辞めることばかり考えて生きてきた30年だったと知って、かなり衝撃を受けたとのこと。
 30年ずっと辞めたいと思いつつ、人生の半分以上の歳月を費やしてしまった人を見て、ぞくっと寒気が走ったのかもしれない。あっという間に自分の人生がやめたくても家族を養うために辞められないで終わりに向かっているなんて、なんて虚しい人生だろう・・・。
 そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。
 
 旅させた甲斐があった。

 私が、何度も訴えた『あなたの人生なんだよ。誰の人生でもないあなたの人生なんだよ。』という言葉が、やっと彼の心に響いてくれた。言葉は、ぶつかった人生に響く。ぶつからない人生には響かない。

 三男は、やっと自分の人生を大切にしたい=自分を大切にしたい=自分の気持ちを大切にしたいと思えるようになってくれた。ぶつかったから心の奥底から溢れてきた自分に出逢えたのだ。3年寝太郎のお話って、もしかしたら、思春期の男の子のそんな成長物語なのかもしれない。




 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする