総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

サンポールに乾杯!

2016年11月27日 | エッセー
 サンポールの威力にびっくらぽん。
年末の大掃除の季節。築25年の家はもはやリフォームを余儀なくされる古い家と化した。気になるところだらけの我が家の中でも、どうにかしたいベスト1位は換気扇、そして、2位がトイレの黄ばみ。いままでも、トイレの黄ばみをとるためにいろいろなグッズを購入しては試してきた。しかし、日々のお手入れを怠って根雪のようにこびりついた黄ばみはそう簡単にはピカピカになってくれない。トイレと換気扇はシルバーさんに頼もうかと思っていたところ、シルバーさんでお掃除をしてくださる方に、何かいい方法はないものかとお尋ねしたら、サンポールが案外いいとのこと。何回か黄ばみの部位に振っておいてしばらくしてからごしごしと普通にたわしで洗っていることを数回繰り返すと、、いつのまにかきれいになっているとおっしゃる。わたしなんか、湿布をしたりしてもきれいにならない体験しかないので、にわかに信じがたいサンポール。ところが、その後に、同僚に聞いてみたら、やっぱりサンポールがいいという。
 それで、さっそく、サンポールを購入。安かった。なんと、2本で298円でした。今まで、結構高いものも買ってこびりついた汚れ落としに挑戦してきたのに、1本150円の安さで本当にこびりついた黄ばみ汚れが落ちるの?と疑う気持ち70%でトイレに湿布してみた。
 違った。
 完ぺきではないけれど、あきらかに何回か試したらピカピカになれそうな予感がした。
 サンポールに感謝。しかも、超安い。
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知らなかった。避難所

2016年11月24日 | エッセー
 朝日新聞の震災関係の記事てんでんこを時々読ませていただいてる。
 今朝のてんでんこにショックを受けた。
 『そうなんだ。そういうことがあるんだ。」と知らなかったことに驚くとともに、そういうことを想像しなかった自分が情けなくなった。自分の平和ボケ加減に愕然とした。それは、東日本大震災の避難所で、女性への性暴力があったという記事だった。
 そして、そのことを訴えられなかったということも複雑な思いになった。
 何人かの女性が性暴力にあっていて次は自分かと思うと夜も眠れなったと。
 ある女性は、相談電話では、半年ほどの間『眠れない』とか『さみしい』というような相談をされていて、半年たってやっと避難所で性行為を強要されたということを話し始められたとのこと。怖くて抵抗できなかった自分を責めていたのだと。

 一方、避難所では、性暴力被害者支援団体が相談しやすい雰囲気を工夫していろいろ取り組んでいるということも初めて知った。相談しやすいように、弁護士さんもボランティアと同じTシャツを着たり、女性相談とうたわず、ハンドマッサージをしながら話を聞く・・など。当事者になってみないとわからない。言うに言えない。周りに気づかれたくない・・・などなど。
 NPO法人の名前もいいなって思った。『NPO法人しあわせなみだ』だって。いい名前だな。なんだか相談してみたくなる。
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結構、きつい

2016年11月22日 | エッセー
 ここ2~3日、きつい。
 何がきついかというと、子猫たちの鳴き声だったり、ひなたぼっこしている子猫たちの無邪気さだったり、5匹の子猫が片寄せあって寒さをしのいでいる姿を目の当たりにしたり・・・・などなどで。
 去年の今頃、拾ってきた子猫を飼う飼わないと悩んだのがうそのように、いざ、飼ってみると超癒されの日々。
 ごくごく普通のトラ猫ちゃん。 
 ただ、ときどき、たぶん、きっと、我が家の猫の兄弟分と思われる野良猫が私の視野に時々入り込んでしまって、その猫をどうするかをいつも心の片隅で考えていた。しっかり野良猫と化したその兄弟猫は警戒心が強く顔つきが我が家の猫と全然違う。そのことが、私の心を切なくする。
 しっぽが短い。そして、交通事故にあったのだろうか右足を上げて左足ケンケンで走っている。
 我が家の猫とあまりにも違いすぎる運命に、その姿を見るたびに胸が痛んだ。時々、我が家に侵入している気配もある。お腹がすき過ぎているのだろう。我が家の猫はトーストなんて見向きもしないのに、食いちらかした跡がある。
 近いうちに、どうにかこうにか捕まえたら、オスかメスかわからないけれど、とにかく避妊手術をして、外で飼うこうとを前提に餌をやり始めた矢先に、なんと、5匹も子猫を引き連れてやってきてしまった。
 もう、無理。
 なのに、なのに、毎日、5匹の子猫ちゃんたちが、じ~っと私の目を見つめる。

かわいそうだけでは、子猫は幸せになんてなれない。かわいそうの気持ちだけで餌をやることなんてできない。できないけれど、餌をやらないのも胸が痛い。最近は、野良猫の避妊手術をしてくれるというNPOもあるようなので、ネットで調べてみた。譲渡会とかもあるみたい。でも、そこら辺の野良猫子猫をもらってくれる人なんているのだろうか。もう少し、詳しく調べてみなくちゃ。今なら、まだなついてくれそう。野良猫化しちゃったら捕まえられない。今なら、まだ、捕まえられそう。

 それにしても、よく5匹も生き延びたものだと思う。逞しい。

 
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96歳

2016年11月16日 | エッセー
 先日、父の姉が96歳で自宅で亡くなった。自然に。介護保険も使わずに。明日、初めて入浴サービスを受けることになっていたという。最後の1か月くらい寝たきりになり、娘二人が介護をされていた。
 理想的な・・・。

 もう一つ、理想的な大往生な出来事を聞いて、やっぱり、そういう世界はあるのかもと思った。
 次女さんいわく、「母は、私のことを嫌っていて71年私に対して一度も笑ったことがなかった。頑固で。姉にはそこまでなかったけれど。でも、ここ1か月の間に、何度か意識が朦朧とすることがあったんだけれど、母が言うのよ。『神様が娘に笑顔を見せなさい。』って。だから、母の笑顔を初めて見れた。今までの積年の思いも吹っ飛んで、小さくなった母がかわいいって思えて『かわいい。かわいい。』って言ったの。」と。

 意識が朦朧としたとき、臨死体験みたいなことがあったのだろうか。

 娘に対して71年間も一度も笑ったことがないというのもどんな母親なの?ってびっくりだけれど、亡くなる直前に、神様に諭されて笑顔を見せるっていうこともびっくり。次女さんにとっては、それからの人生が全然違う。チャラにまではならないにしても・・・。介護すると決めるとき、清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったとのこと。一度も笑ってくれない母親の面倒なんかみたくない。そこを、ぐっとこらえて介護された。それだけでもすごいこと。


 人生の終わりって大切。

 看取りとは何ぞやってしみじみ思った。

 それにしても、人は終わりの時に、人によっては、あの世とこの世を結構行ったり来たりするものなのかなぁ?
 もし、あの世とこの世を行ったり来たりできたら、残された家族にとっては至福のご褒美をもたらすかもしれない。

 どうなんだろう。

 昔々、まだ、見取りを家でやっていた時代、太古の昔からほんの数十年前までの人の心は、もっと、ちがっていたかもしれない。
 少なくとも、今の時代より、亡くなる前に意識朦朧となりながらも意識が戻ることを幾度か繰り返しつつあの世に旅立つ人の割合も多かったはず。そして、家族は、いろいろあったけれど、最後に感謝の言葉をプレゼントされたことで心になんだかあったかい灯を持て、そのことで人生の試練を乗り越える力となれるって人も結構いたのかも。
 あの世とこの世という感覚というものを自然と受け入れていた時代か・・・・。
 今の時代、科学的根拠がないという理由であの世とかこの世という感覚に拒絶反応を示す人も多い。
 でも、きっと、戦前くらいまで、まだ、病院に行くということが日常でなかった頃は、もののけ姫みたいな感覚を日本人は持っていたんじゃないかなぁ?
 私も、最後は、あの世とこの世を行きつ戻りつあの世に行きたいなぁ。だって、認知症になって最悪な人間になったとしても、最後の最後に、みんなを幸せにできるかもしれないから。もちろん、施設にいたら無理だから、やっぱり、自然な老衰で死にたいなぁ。
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超高齢者研究によると・・

2016年11月14日 | エッセー
90歳100歳をそこそこ元気に生きる超高齢者は、80歳くらいで認知症になる方とどう違うのだろうか・・・という研究がある。
 兼ねてより、なんとなく、75歳が分岐点だと感じていた。
 認知がどんどん進んでいく人とそうでない人の分岐点。
 母を見ていて、ものすごくそう思う。母も75歳くらいを境に、依存的な人になっていった。それとともに、従来の性格が、それもネガティブな性格が前面に出だしてきて、娘としてはがっかり。残念。
 逆に、85歳を過ぎてもしっかりされている人は、90過ぎても認知症レベルまでならないなぁって感じる。

 そう思っていたら、超高齢者の研究という記事に出会った。

日本語版老年的尺度の内容と項目例

①二元論からの脱却 
いろんな違いがある中の一つに、白黒つけないという性格もあるという。ジャッジしない。
善悪・正誤・生死・現在過去という概念の対立の無効性や対立の解消を認識する。

②「ありがたさ」「おかげ」の認識
 自己の存在が他者により支えられていることを認識することにより、他者への感謝の念が生まれる。
 よいことがあると、他人のおかげだと思う。
 周りの人の支えがあるからこそ私は生きていける。

③内向性
 ひとりでいることのよい面を認識する。ひとりでいても孤独を感じない。外側からの刺激がなくとも肯定的態度でいられる

④宗教的もしくはスピチュアルな態度
 生かされていると感じることがある。また、ご先祖様とのつながりを強く感じるなど。

⑤社会的自己からの脱却
 見栄や自己主張、自己のこだわりの維持など、社会に向けての自己主張が低下する。

⑥基本的で生得的な肯定感
 自己に対する肯定的な評価やポジティブな感情を持つ。また、生得的な欲求を肯定する。
 振り返ってみると「自分はよくやってきた。」と思う。自分の人生は意義あるものだったと思う。

⑦利他性
 人の気持ちがよくわかるようになった。昔より思いやりが深くなったと思う。

⑧無為自然
 「考えない」「無理しない」「気にならない」といったあるがままの状態を受け入れるようになる
 できないことがあってもくよくよしない。
 細かいことが気にならなくなった。





 そんな人は、90歳になっても認知症にならずにいい感じなおじいちゃんおばあちゃんに。

 いけないと思いつつ、わが母の残念な姿をついつい思ってしまう。
 なんだか、全部正反対な感じ。
 先日、母から電話があった。渋柿がなっているから、四男を連れて取りにおいでって。
 四男にいろんな体験をさせた方がいいからって。干し柿を作る体験もいい体験だと思ったので、ちょうど、彼のお友達も二人来ていたから、3人男の子を引き連れて実家に行った。
そこまではよかった。
 しかし、四男のみ連れてくると思い込んでいた母は、友達二人の姿を見るなり、「え~~~。友達も連れてきたの?もし、柿の枝をはさみで切るとき、ケガでもさせたらどうするの?私の敷地内で他人の子にけがなんかさせられない。とんでもない。」と開口一番。しかも、そのお友達の目の前で。デリカシーも思いやりもない。
 それが、1回だけなら、まだ、許せる。しかし、母は、お友達がハサミを持っている間中、何度も何度もお友達を目の前にして、嘆くのだ。走り回ってはしゃぐことすら嘆く。子どもたちのはしゃぐ声って、私は大好き。幸せな気持ちになる。
 なぜ、母があそこまで自分に害が及ぶことばかりを意識するのか・・・。
 でも、仕方ない。
 母が気が気ではないという心理状態にあることは間違いないので、気が気でない人からは、気が気でない原因を取り除いてあげるしかない。

 母は、超高齢者にはなれない。90歳になれる脳力が備わっていないから。
 午後4時の3人の男の子の60秒ほどの楽しそうな歓声ですら、世間体を気にして、気が気でない心理状態に追い込まれるくらいだから、日常のいろりろに付随する出来事にいちいち反応して気が気でなくなりそう。そうなると、認知症へとまっしぐらに進みそう。気が気でない日常から脱却するために、あえて、認知所の道を選びそう。もちろん、母の無意識の世界でのこと・・・・。


 認知症予防にと計算ドリルを解くことは本当に予防効果があるのだろうか。

 その前に、まず、生き方というかハプニングに対する対応の仕方みたいなところが大前提にあるのかもしれない。


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布ナプキン近況報告

2016年11月02日 | エッセー
 昨日、知人とナプキンにまつわる疑問話をしたばっかりなところ、今日、博多の三越2階をぶらっとしていたら、その答えに出会った。これは、偶然?それとも必然?
 知人は、年齢的にも多少不安があって、この1か月おりものシートを使用していたという。でも、ある理由があって今使っていないのだそう。その理由とは、かぶれ。私も以前おりもので下着が汚れるのが気になって、はだにやさしいそうな商品を選んで購入したことがある。でも、いくら肌に優しいと言っても石油でできていることには間違いない。コットンやシルクではない。それで、結局、2~3回使ってみたけれど、そのまま使わないので捨てたことがある。
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