総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

今朝もバトルだ!

2013年10月30日 | エッセー
 朝っぱらから、バトルだ。
 17歳の三男と。
 彼は、毎朝、10キロの道のりをチャリンコで通学している。
 何も続かなかった彼が唯一【継続は力なり】というかけがえのない体験をしている。感謝。
 毎朝、課外もあるので7時には家を出なければならない。
 で、いっつも、朝、『靴下がない!』『印鑑を押してくれ!』などと忙しい時間にギャーギャー言うので、『前の晩にちゃんと準備してきなさい。』と毎回のように、言っていた。・・・にもかかわらず、今朝も、『体操服がない。』とキレる。まだ、洗濯機は回っている。日曜日の夜、10時過ぎに洗った時は、体操着は見当たらなかった。仮に、今、洗濯機にあるとしても二着あるはずだから、それを探しなさいと言ったが、どこにもない・・様子。時間はどんどん過ぎていく。焦りで、どんどんキレまくる。仕方ない。洗濯機は、調度、1回目の洗いが終わったところだ。スイッチを切って、洗濯槽をのぞいてみると、なんと、二着ともあるじゃないか。月曜日の朝、一着洗濯機のそばに、使用後の体操服がぽそっと置いてあった。『もう、何で、今頃出すの?』って思った記憶がある。そして、多分、月曜日の夜にも、もう一着、洗濯機の中に入れていたんだと思う。そっちに、私は、気が付かなかった。
 とにかく、全て、私のせいにする。
 それが、気に食わない。
 前の夜に準備しようという姿勢があれば、何とかなるのに、朝、遅刻しそうな時間にギャーギャー言われてもどうにもできない。それをせずして、母親のせいにするなんて、言語道断。

洗濯機を回す前に、洗ってほしいものは出す・・・という当たり前のことをしないでおいて、いざ、という時にないと母親のせいにる・・・・その人のせいスタンスを高校卒業までにはどうにかせねば。
 社会は、それを許さない。

私の子育てのモットーは、一人で生きてゆける力をつけさせることに尽きる。
 子どもって、超誰かの星人だ。
 そして、思春期になる。
超誰かの星人という自分の実態は棚の上においといて、そろそろ自分でできることは自分でやることができるお年頃になったにもかかわらず、親に結構依存している(親の世話になっている)のに、やたら、大人の身勝手さや適当さ加減が目について、理想の人間からかけ離れている姿に怒りすら覚える、しかし、まだ、一人では生きられない・・・・・う~~~~~~~~~~~~~~~~。
 ・・・・というような思春期。

 人のせいにしている限り、成長しない。

 大人の中にも、誰かの星人はいっぱいいる。というか、ほとんど誰かの星人かも。
 不幸を嘆く人ほど、心の病になった人ほど、誰かの星人の濃度が濃いように思う。
 
 怒りは、どこから発生するのか・・・。
 基本的に、相手が自分の期待どおりにならない時・・・・。
 だから、誰かに依存すればするほど、その人が、自分の思いどおり、期待どおりにしてくれないと、逆に怒りが発生することになる。
 全ては、相手次第。相手の出方次第で自分の気持ちがジェットコースターみたいに揺れ動くなんて、エネルギーを消耗するだけだ。エコじゃない。たぶん、きっと、電池が切れて、心の病につながっていくのだと思う。
 完全に依存しないと生きていけない赤ちゃん時代から、少しづつ、自分のできることは自分でやれる日もあれば、やれない日もあるというような九つまでの時期を親たちに温かく見守れながら過ごすことができて、怒涛の思春期がやってくる。
 九つまでに一生分の甘え(依存)ができた子は、思春期という門をくぐる資格を与えられる。
 でも、依存が不十分であった子どもは、心が十分だと感じるまでは思春期がやって来ないような気がする。

 九つまで、親が子どもの甘え(期待あるいは依存)にある程度満足いく感じで育てられたら、思春期にそびえたつ山を乗り越えるエネルギーが充電されるのだと思う。じゃなきゃ、自分は、まだまだ、めっちゃ甘えていて、ちっとも自立できていないのに、自分のことは棚に置いといて、理想とかけ離れた大人たちへの残念さや大人のずるさを垣間見ては傷つき、自分の期待どおりの大人像でないことへの怒りにより自家中毒を起こしかけている状態から、起死回生できない。
 そんな何でも子どもの言うとおりなんて・・・・・と思うかもしれない。
 もちろん、なんでもかんでも・・では溺愛になる。
 依存と溺愛ってどう違うのだろう?
 依存は、依存される側(大人)が、対等な人間として向き合える力がある時に、つまり、否定しないで最後まで子どもの気持ちを汲んであげられる力とイヤなことはいやだときちんと伝えられる力の両方を兼ね備えている時に、満足を得られる感覚だと思う。信頼があるから寄りかかれる・・・みたいな。でも、溺愛には、安心して寄りかかれるような満足を感じられないんじゃないかなぁ。お互いに子ども・・・・って感じがする。
 う~~~~~~ん。まだ、よくわかんない。もう少し、お勉強が必要かな?

 ただ、言えるのは、小さい頃、親が怖くて、甘えたいのに甘えられなかった、イヤダと言いたかったのにイヤと言えなかった・・・ような、大人にとっては育てやすいいい子だった子は、ゼンゼン、依存が足りていない。
 こんな人は、思春期にそびえたつ山に挑めない。山を登るのではなく、山のぐるりを回って、年齢的には大人になる。見かけは大人。でも、依存したい欲求という爆弾を抱えたまま年齢だけはおとなになってしまった。こんな人は、思春期にそびえたつ山の手前の門の前で怖気づき迂回する。でも、迂回した人には、大きな付けが待っている。相手が、期待どおりにしてくれないと怒りが発生する、その怒りの度合いが強すぎて、すっごくエネルギーを消耗する。裏切られた感が強い。
 こんなにしんどいのなら、もう、人とは付き合いたくない。ひきこもっていたい・・・・。期待に裏切られて傷つきたくないから・・・・となるのかなぁ。

今朝もバトルだ。 
 今日は、日曜日。
 いつ起きてくるのかわからないから、特に、日曜日の朝ごはんって作らない。起きてきてから、チーズパンとかニンジンをすって入れたホット―ケーキ等を作る。お昼は、インスタントラーメンとかチャーハンとか焼きそばなど・・・。
 で、三男が「お昼ご飯は?」って言ったので、「チャーハン作ったよ。」って言ったら、「え~~~~~~、先週の日曜日のお昼もそうだった。いっつも同じなんていやだ。」とほざく。1週間に1回しか作っていないのに、なんとぜいたくな!
 「上に、オムレツを乗せようか?」と優しく言ったのに、「卵を乗せてもチャーハンはチャーハンだ。」とまたまた、ほざく。
 くっそ~~~~~~~~。
 「じゃぁ、自分で作んなさい。」
と言ったら、「くそ。しね。しね。」とブーブー文句言いながら2階へ上がっていった。

 あ~~~~~~~、なんと甘えん坊。依存もいいとこだ。
 高2だ。文句があるなら、自分でしなさいって世界だ。

彼にとって、今、このバトルが大事だと思う。私は、彼の壁にならなくてはいけない。
 彼の依存心と彼の理想の大人像の彼自身のギャップを埋めるための立ちはだかる壁に・・・。いま、嫌われようが、最低の母親と思われようが・・。

 以前も書いたけれど、ぶつかりげいこだ。すもうのぶつかりげいこ。
 すもうは、ぶつかりげいこで強くなる、。
 心も、おんなじ。ぶつかりげいこで鍛えられる。思春期の親は逃げてはいけない。
 つきかえすたんびに、クソ母親という目線と言葉で『嫌われているな、今。」って思うけれど、毅然と立つ私。ほんとうは、好かれたい。いい母親になりたい。でも、これは、彼が大人の階段を上るための、一人で生きていくための気力をつけさせるためのブツカリゲイコだと思って逃げない。

 私の弟は、思春期から、たぶん、一度も父親と言葉を交わすことがなかった。そして、そのまま、言葉を交わすことなく、おととし、父親はなくなった。
 
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あぁ、なんと魅惑的な中島義道の世界観

2013年10月21日 | エッセー
 中島義道氏の文庫本をごっそり購入した。
 ワクワク!
 あの、一見ひねくれていそうな語り口とは裏腹に、純粋で素直な我が心の内を、ご家族に気を遣いながらも赤裸々に書いていらっしゃる。偽リの心が自分を侵略していないか常に見張っていらっしゃる・・・その真摯な姿勢に魅かれてしまう。
 ほっとした。
 実は、私の心の中ににょきにょき顔を出す・・・なんだろう?ミニ意地悪な心やミニ嫉妬心にあきあきしていた矢先だったので、赤裸々にわが心の内を正直に表現された氏の文章を追っていくだけで、心が楽になってくる。
 人間関係という関係性の中で生きている限り発生するわが心の感情は、時に優しく、時にえげつない。えげつない心が発生するたびに、ズキズキと胸が痛くなった。でも、氏の本を読んでいくうちに、人と接するたびに、時にいやらしい気持ちになる自分に対する嫌悪感が、かなりなくなった。
 今、読んでいる本は、『ひとを〈嫌う〉ということ』。
 いいでしょ。タイトルが魅力的。

人を好きになれ、しかしけっしてひとをきらうなというのは、食べてはいいがけっして排泄してはならないというような無理難題なこと。

 ヒトを嫌うということは、食欲や性欲あるいはエゴイズムと同様ーごく自然なことであり、それをうまく運用してゆくことのうちに、人生の豊かさがあるのではないか。『嫌い』を正確に見届けてゆくことは、『好き』と同様やはり豊かな人生を築く一環なのではないか。

 と、氏は問いかけている。

こんな切り口もありなんだ。
 東北弁なまりを同級生に嘲笑されたある男子中学生が、1週間学校に来ないので心配してやってきた先生に向かって、『先生も笑った。絶対許さない。あの時は、自殺しようと思った。』とぼそぼそ言って、先生はショックを受けて涙を流して誤った・・・という実話についての考察。
 私は、このお話をスルーしてしまった。ふむふむ、そりゃそうだ・・・と。
 ところが、どっこい。中島義道氏は、なんと、この少年の残酷さについて・・・という切り口から責めてこられたのだ。
 もう、目からうろこだ。
 ありがとう。中島義道先生。
 あなたのおかげで、今までもやもやしていた私も含めたいわゆる『傷つきやすい人』の生きる道が、見えてきました。

 他人がどんなに傷ついたかは、普通わからないのがあたりまえなのです。
 ですから、当の本人は言葉を尽くしてわからせるように努力すべきなのですが、『私が、どんなに傷ついたかわからない。』という人は、そういう努力をしようとしない。
 この少年は実際かわいそうな少年なのですが、かわいそうなのは、自殺するほど悩んだからではなく。こういう仕方でしか自分を表現できなかったその狭量さ・脆さです。

 え~~~~~~~~。そっちかよ。
 でも、確かにそうだよね。
 言葉を尽くしてわからせるように努力・・・・・してこなかったなぁ~。
 だって、傷つく言葉を平気でまき散らす人って、怖かったもん。
 あの時、勇気を出して、一度はチャレンジしてみた。でも、全く理解してもらえなかった。否。理解なんかするもんかっていう感じだった。もうダメ。もう一回チャレンジする勇気エネルギーはすでに枯渇して湧いてこなかった。私は、彼女の前で、号泣してしまった。にもかかわらず、「私は、知らない。」と冷たい顔。

 『嫌われていること』の修行を避け続けた(自分をだまし続けた)ものですから、嫌われたとたんにパニック状態に陥る。

 そうかも。私は、嫌われることの修行なんてしてこなかった。というか、嫌われたくなかった人種である、八方美人だったもの。トホホ・・・。そんな私が、明らかに、私を嫌って冷たい言葉を平然と突き刺す人に、理解を求めるなんて至難の業だ。それまで、がまんしていて、決死の覚悟で、言葉にした。しかし、返って来た言葉は、予想外の冷たい言葉だった。まるで、牙を向けられたようだった。修業してこなかった私は、そこで、ノックアウトしちゃった。頂上目指してやっとの思いでたどり着いたと思ったら、そこは、頂上ではなく、もっと高い山が目の前にそびえたっていたって感じだった。

 小さい頃から、ケンカしてこなかった罰だ。

 言葉を尽くしてわからせるように努力する子に育てることこそ、親の務めなのかもしれない。
 小さな子どもは、まだまだ、自分の気持ちや言いたことを駆使して相手に伝えることなんてできない。大人だって結構へたくそなんだもの。
 腹が立った~~っと言えないから、時に、「殺してやる。」とか「死んじまえ!」なんて叫ぶけれど、ほんとうは、「殺してしまいたいくらい腹が立った。」と言いたかった。

 だから、親は、そんな時、「殺すなんてそんな恐ろしい言葉を口にしてはいけません。」と怒るのではなく、きちんと子どもの言いたかった、伝えたかった、わかってほしかった言葉に翻訳してあげることが大切。そう、「殺したいくらい腹が立ったんだねぇ~。」と。

 言葉を尽くしてわからせる能力の基盤は、親が、日々の子どもの言いたいことを翻訳するクセを、つまり、子どもの発した言葉を入り口に、子どもの本音まで到達しようという愛情の積み重ねの有る無しにより、全く違ったものとなる。「死んでしまえ。」と子どもが叫んだ時、「そんな恐ろしい言葉は使ってはいけません。」とスパッとさえぎってしまう親の前で、子どもの言葉を尽くしてわからせる能力は、しゅるしゅるしゅる~~~~と萎んで行っちゃう・・・・かもねぇ~。

 子どもの発する未熟な言葉を明確な言葉にして返してあげることもさることながら、母親自身が、自分の感じる気持ちをこの中島氏のように、時々刻々、認識し明確化し言語化しているか・・というと、ほとんど素通りしている・・・・わけで、それもまた、子どもに、言葉を尽くしてわからせる能力を授けることの大きな障害となっている。
 
 たぶん、ほとんどの人が、『嫌われていること』の修行を怠けている・・・と思う。
 ただ、子育てって、嫌われていることの修行をさせていただくチャンスかもしれない。
 もっと、子どものギャーギャーに耳を傾けよう。『ママなんて大嫌いだ!』って叫んだら、特に、感謝して、きちんとその言葉とその言葉を発した子どもの気持ちに向き合おうって思ってみよう。

 中島義道氏は、他人のまなざしの厳しさについて、異国の地で、日本人であるということから受ける視線に対して、『諦めるほかない、嫌われていることを大前提として受け入れ、その残酷さの中で生きてゆくしかない。なぜなら、私自身も同じように振る舞っているのですから。日々刻々と不特定多数の人々に冷たいまなざしを向けている。そして彼らを裁いている。彼らをさまざまな理由で嫌っている。批判している。場合によっては、嘲笑している。見下している。軽蔑している。妬んでいる。避難している。しかも、たとえ聞かれてもほんとうのことは言わないのですから。私も、性懲りもなくその「嫌い」の環境を新たにせっせと作り上げている張本人なのです。』と言っている。

 実に、正直で純粋な方だなぁ~と感動しちゃう。
 赤裸々な本音を暴露される勇気にもあっぱれ・・・だ。

 私の心の中にも、しっかり、ちゃっかり存在する。

 ほとんどの人はーいかに学問があっても芸術的才能があってもー、こうした日常的な些細な好き・嫌いに振り回されており、それに悩まされており、それを解決する糸口さえ見いだせないまま死んでゆくから。これほど困難なテーマであるのに、みんなごまかして見ないようにしているからです。

 そして、こう投げかける。
 「ひとを嫌ってはいけない」という大前提でことを進めようとすることが不思議だ。

 なぜ、人を嫌わないようにするかというと、自分が嫌われる、あるいは認めてもらえないために深く傷つく、その痛みに耐えられないから…だと思う。人からの非難中傷はきつい。眠れなくなる。穏やかな気持ちで日常を暮らしていけなくなる。
 どうなんだろう。親に認めてもらえるよう頑張ってきた人って、人に認めてもらえないととっても不安になるんじゃないかなぁって想像する。条件付きの親の愛は、ピンからキリまであるけれど、その色合いが濃いほど、認めてもらえないことの打撃が大きい。そんな色合いの濃い親に育てられた人ほど、他人の視線に敏感で、穏やかでいられないくなるんじゃないだろうか。認めてもらうことを目的に生きてきた人は、嫌われることなんて耐えられないはず。人は、安心するためだったらなんだってする。

一度、不安の渦に巻き込まれるととめられない。実際、そういうホルモンもじゃんじゃか分泌される。
 嫌われることって、認めてもらえないこととつながっていると思う。
 小さい頃より、親や大人に怒られてもめげずにギャーギャー言いながらも『自分』を死守して生きてきた人と、認めてもらうことを目標に(もしかしたら、そんな風に思っていない人もいるかもしれないけれど)生きてきた人では、大人になって、嫌われることへの不安も違いそう。
 不安はどこからくるのか。

 そんなことを考えていると、やっぱり、小さい頃より、大人に叱られたり怒られたりしても『クソババァ~。』などとやり返すくらいの、つまり、人から嫌われないように自分を押し殺すことがないような、まぁ、大人からしたら手のかかるやんちゃな子どもの方が、嫌われているのではないかという不安に陥りにくいという点で、生きやすいだろうなぁと思う。

 『不安』という言葉を素通りしないで、自分なりに、どんな時に『不安』という状態になるかなぁと想像してみる。
 今、私の日常に『不安』という気持ちが支配することは、ほとんどない。だから、楽ちん。穏やか。
 でも、胃を切る前後は、とある人の存在により、いつも、常に、寝ている間も落ち着かず、どうにかして楽になりたいと切望していた。

貯金通帳とか免許証など大切なものを紛失したとき・・・・の気持ち。結婚式のスピーチを頼まれ、スピーチが終わるまで食事ものどを通らないときのような気持ち。そんな気持ちが、ちょっと嫌われているかもとか軽蔑されたかなって感じるたびに、いちいちカラダを襲っていたら身がもたない。

 うつ病とか統合失調症など精神的な病になる人は、母親に小さい頃の様子を聞くと、ほとんどの方が手のかからない育てやすい子でした・・とおっしゃる。先日も男3人兄弟の真ん中の方だったのだが、母親いわく、兄弟げんかをしたことを一度も見たことがない・・・と。
 ありえない。
 信じられない。
 男の子3人兄弟で一度も兄弟げんかをしないって?しかも、真ん中の?
 親にも口答えしないって?

 わが家からは、想像もつかない世界だ。

 でも、彼(彼女)らは、しっかり感じていたはずだ。くそ~という気持ちや悔しいというような気持を。
 育てやすい子どもほど、わが子の気持ちを丁寧に汲み取り、言語化してあげる母親力が、実は、実は、必要なのだ。
 我が家みたいに、ギャーギャーわめき散らすお子ちゃまって、手がかかってげっそりくるけれど、ある意味、あとが楽。

 先日、出遭った50歳前の男性は、兄家族が遊びに返って来た時の、母親のうれしそうな顔を見た瞬間に、あっという間に谷底に突き落とされたような怒りと哀しみを味わい、心が不安でいっぱいないなり、死にたくなるという方だった。

 嫌われるという感覚が、ただ、単に嫌いって思われているかも・・というような単純な受け取り方ではなく、母親が嫌っているわけでもないのに、兄に嫉妬する気持ちから、母親が兄を見て、嬉しそうな表情をしただけで、=自分は嫌われているかも…という感覚に襲われる。そして、それが、死をも考えてしまうくらいつらい心をかき乱す。

 日常の信じられないくらいちょっとしたことで、いちいちいちいち、死まで意識してしまうほど苦しんでしまう・・なんて、一日中、ジェットコースターに乗っているようなものだと思う。きついよ。むりだよ。楽になりたいよ。

 子育てしていて、こんな楽な子はいない、手がかからない・・・と感じるママへ
 子どものちょっとしたくらい表情を見過ごさないで。可能な限り、その子の気持ちをイマジネーション力で汲み取って言語化するこ都を意識してみてほしい。
 嫌いとか嫌われてる…という世界は、ごく当たり前なのだということを、小さい頃よりなじませてあげることって、かなり大切。

 わたしは、『人間関係という人生の荒波を生き抜く力』を子どもにプレゼントしたい。

 昨夜、ボランティア部に所属している高2の三男が、「自転車がないから、朝、送って。」と言った。集合場所まで、早歩きで10分くらい。自転車は、学校帰りに雨が降って高校に置いたままだという。
 ていうか、集合時間が、朝の5時40分なのだ。
 「何を言うのよ。そこじゃん。走っていけば10分もかかんない。電動自転車もあるじゃない。それに乗っていけば・・・。日曜日の朝はゆっくりしたいよ。朝ご飯は、今から、コンビニでハンバーガーを買ってくるから。」
 と言ったら、
 「じゃぁ、明日は、行かない。」
 とややキレ気味に言う。
 「じゃぁ、行きなさんな。」
 とは言いながら、とりあえず、コンビニに走った。親としての務めは果たさないとね。

 朝、どうしたかなぁ?と部屋をのぞくと、姿はない。
 居間のテーブルの上のハンバーガーは、袋のみ散乱していた。

 育児は、闘いだ。

 彼は、17歳だ。9歳ではない。一見、子どもに嫌われることを覚悟して、鬼になって、自立に向けての訓練をさせていかなければならない。
 
 その場では、クソババ―と罵られ、嫌われても、大切な息子の自立に向かっての支援だと思えば、断固として譲らないという確固たる親としてのスタンスをとることをはばからない・・・という強さ。

 私は、この確固たる強さを子育ての中で培った。

 この確固たる強さは、一朝一夕で得られるものではない。
 小さい頃、ぐずっても、お菓子でなだめない。ダメなものはダメだという毅然とした姿勢の集大成が、思春期の息子との対決に怯まないパワーを与えてくれる。
 小さい頃から、小さなことで、毅然としても、子どもは、ママが大好きっていうことを体験としてわかっているから、自信がある。
 これが、思春期まで、いろんなエサで子どもをごまかしてきてママは、突然、思春期で毅然とすることが怖くてできない。子どもに嫌われたらどうしようという不安から、ビシッと言えない。

 嫌われても子どもの自立のために鬼になる・・・・ことを20年もやっていたら、少しは、対大人との人間関係で、嫌われてることへの免疫も少しは形成され、迎合だけの人生を歩まなくてすむかもしれない。

 


 
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愛すべき、世界の白馬の王子たち

2013年10月11日 | エッセー
 最近、いろんな国に嫁いだ日本人妻のテレビ番組が多い。私は、この手の番組のおかげで心が楽になってきている。感謝。
 ほんとうに、ありがとう。
 海外の白馬の王子に嫁いだつもりが、実は、亭主関白的なお子ちゃま男だったというパターンが多く、そんな夫にめげずに日本から遠く離れた異国でがんばっている同志たちの姿に、どれだけ勇気をいただいていることか。
 たまたまそんな男性と結婚してしまったのか。それとも、世界の男たちは、総じて、ホントはいばりんぼしたいお子ちゃまわがまま男なのか・・・。
 スペインのマドリードの弁護士さん(だったと思う)に嫁いだ女性編では、マザコンを堂々と標榜しママとのいちゃいちゃをはばからない夫にあきれつつも、こうなったら、今、3歳と1歳の男の子を、バリバリのマザコン男にしちゃって、自分も幸せな息子溺愛ママばあちゃんになるぞ!と開き直っていた。スペインのマドリードでは、たまたまこの男性が、超マザコン堂々男ということではないらしい。道行く男たちの携帯の待ち受け画面は、8割は、ママの写真だったぜ。ママだよ。ママ。日本で待ち受け画面がママなんて、最近、女子アナと結婚した○○コンさんくらいじゃないだろうか。彼はちとヤバいなって思ったけれど、スペインだったら当たり前なんだから、自分の価値観がガラガラと崩れていく。いいねぇ~。どんどん崩れろって感じ。価値観ってとっても大切だけれど、こだわりとほとんど同じで、時に、『自由なわたし』の大きな障害となる。
 スペイン男性 嫁いでみたら マザコン
 あたりまえ あたりまえ あたりまえマザコン

 なぜだか、ママは週3回くらい夕方遊びに来る。その時は、愛する息子のために、ママは何かしらお土産を持参してくる。テレビの取材の日も息子のトランクスと息子の好きな手作りお菓子を持ってきた。それは、まぁ、許すとしても・・・・。
 その息子野郎、ママが来ると電話があってからのそわそわが半端じゃなかった。30分前くらいから、手に着かないご様子。15分くらい前になると、待ちきれなくて、マンションのベランダから、ず~~~~~~~っと向こうのママが来るであろう路地を見つめ続ける。そして、ママの姿が見えたとたん、『来た。来た。ママが来た~。』ととってもうれしそうにはしゃぐ。そして、見つめる。そして、そして、そろそろ、玄関の呼び鈴を鳴らす頃かなっという時間が来たら、もう、待ちきれなくなって、玄関の扉を開けて・・・・。『ママ~~~~~~~~~!!!』とハグ。

 びっくりした。
 唖然とした。



 でも、スペイン男性の8割が、マザコンなんだもの。どうってことない。
 
 日本の男性の亭主関白なんてかわいいもんだね。
 おまけに、娯楽施設の少ないスペインでは、毎週土曜日は、おじいちゃんおばあちゃん兄弟などの親せきが、ランチを食べにやってくるという。
 毎週だよ。毎週。1歳と3歳の男の子がいるのに。
 ランチは始まったのは、午後1時。
 驚いたのは、ここから。
 『いつ、ランチは終わるの?』『今でしょ。』
 のはずが、3時になっても4時になっても5時になっても終わらない。
 6時48分。
 やっと、やっと終了した。

 毎週というだけでもぞっとするのに、夕食時間まで食い込むランチタイムなんて、私は耐えられないだろうなぁ。

 しかも、その日は、夫の誕生日だった。
 日本人妻は、最近できたマドリードで一番オシャレなケーキ屋さんで、奮発してバースディケーキを買っていたのに、やっと、念願のゆうしょく?いえいえ、ランチのデザートタイムになったら、ママもケーキを買ってきていて、ダブルブッキング。
 さぁ、夫は、どっちのケーキをほおばったでしょう?
 聞く方が野暮。
 そう、ママのケーキだった。

 普通、どっちも食べるよね。半分っこして。

 なんかしんないけど、ママとはラブラブなんだ。ei
 スペイン男性は、ママとのラブラブが永久保存版みたいな感じ。
 一般的に、男女間のラブラブは3年くらいで消失すると言われている。なぜって、あんな非日常の感覚がずっと続くと、つまり、非日常のホルモンが分泌されすぎて(交感神経ばりばり)疲労困憊してしまって命が持たないからだそう。なのに、スペイン男性は、ママがやってくるというだけで、ワクワクする。まぁ、日本でも、学校から帰ってきて『お母さん、ただいま。』って言った時、お母さんが家にいないと、寂しいもんね。女の子もいっしょだよね。お父さんしかいないと『なんだ、お父さんしかいないのか。』ってしゅんとした気持ちになったもの。
 ママは、おうちの太陽。
 あれだけ、ラブラブなのに、よくぞ、恋人をちゃんと作れて結婚までこぎつけたなぁって、ちょっと不思議だ。


 次は、スペインのお隣のイタリア・アンダルシアに嫁いだ日本人妻のお話し。
 イギリス留学中に知り合い、アンダルシア出身の男性が、彼女にひとめぼれした。イギリスでは友だち程度のお付き合いだった。で、大学卒業後、『一度、アンダルシアに遊びにおいで。』と彼女を誘って、彼女は、アンダルシアにやってきた。そして、アンダルシアにひとめぼれしちゃった。彼女は、彼に恋したのか、アンダルシアに恋したのか・・・・・。おまけに、この男性は、川島なお美も新婚旅行で泊ったという三つ星ホテルの跡取り息子だった。そのホテルもこじんまりとしながら、とても素敵だった。彼女は、それから二年の同棲を経て、アンダルシアの彼と結婚した。
 『う~~~~~~~ん、羨ましい。』とそれを見ていた誰もが、そして、スタジオの女性芸能人もうっとりしていた。
 が、しかし、夫は、ゴッドファーザーを真髄する超亭主関白人間だったのだ。暇さえあれば、ゴッドファーザーのDVDを観ている。信じられないくらい観ている。仕事をしている時間以外は、全て、ゴッドファーザーで埋め尽くされた日々。ゴッドファーザーに始まり、ゴッドファーザーで終わる日々。
ところで、彼は、一人ではゴッドファーザーにはなれない。彼が、ゴッドファーザーになりきるためには、家族の存在、その中でも特に妻の存在が不可欠となる。
 オーマイガッド!
 食事中、ソースがなければ、「王様の僕に、ソースを持ってきてくれ。」と命令し、朝、起きたら、「王様の僕に、目覚めのコーヒーをベッドにもってきてくれ。」とのたまう。『王様の僕』で埋め尽くされる日々。ギャー~~~~~~~~~~っ。いちいち、いちいち「王様の僕」なんて言われてごらん。私は、結婚を継続できない。無理。ベッドに爪切りを持ってきてくれと言って、ベッド脇で爪を切り始める。それはいい。しかし、彼は、床に切った爪をポロポロとしていく。「大丈夫だよ。妻が、すぐに掃除をしてくれるから。」と平然とのたまう。そして、なんと、足の爪を切るに至っては、妻を呼んで、妻に切らせていた。
 日本人妻は、「もう、あきらめています。彼のゴッドファーザーは治りません。」と苦笑いしていらした。

ハワイのサーファーが趣味というイケメンと結婚した女性もお子ちゃま夫に手を焼いていた。
 あれは、もう、中毒だ。サーファーと言えば聞こえがいいけれど、仕事にもかなり影響していて収入もまともに働けば、プラス100万円という。今の収入が200万ちょっととのこと。
 ヤシの木に登って伐採するのがお仕事。でも、朝、起きたら、まず、携帯で波情報をみる。今日はいい波が来るとわかるやいなや、気もそぞろになる。何度も何度も携帯を見ては、ため息をつく。
 そして、ついに、妻に、懇願する。「ねぇ、今日はいい波なんだ。仕事を休んでいいかい?」って。
 妻は、とんでもない。仕事してって言う。当然だよね。稼いでもらわないと困るもん。
 で、イケメン夫は、渋々と仕事に出かける。
 しかし、波が気になって仕方がない。20メートルくらいのヤシの木のてっぺんでも、携帯をちら見ばっかりして仕事にならないご様子だ。そして、一時間後、彼のいたはずのヤシの実のてっぺんを見たら、人影が・・・・ない。誰もいない。
 イケメン夫はどこへ行った~~~~~~~~~~っと海岸に探しに行くと、いたいたいたいた。彼がサーフィンボードに乗って嬉々とした姿で波と戯れている姿が・・・・・・。
 波依存症だね。ここまで来ると・・・・。
 おまけに、仕事以外は、年中裸足で、海からおうちに帰ってきても、足も洗わず、そのまま、サーフボードを片手におうちの中へ・・・。ってこてゃ、家の中が砂でざらざらってことになるってことだよね。
 誰がおそうじするの?
 日本人妻でしょ!

 この前は、バリ島に嫁いだ女性の話だった。
 バリ島の人は、ヒンズー教徒だそう。
 う~~~~~~~~~~~、もう、この時点で、ヤバいなって感じだ。ヒンズー教って差別が大前提にあるもの。
 しっかり、男尊女卑の世界だ。
 無理、むり。
 私には、いくら素敵でも、差別が大前提の宗教を信ずる人との結婚は考えられない。
 早朝5時。まだ、夜の明けない薄暗い時間帯に、妻は起床し、近くの市場までバイクで買い出しに出かけた。
ごっそりたんと買い出しして、おうちに帰る。バイクから零れ落ちそうなくらいの食材、いったいどうするの?
 と思いきや、おもむろに、朝ごはんを作り始めた。
 と思いきや、つくる。つくる。つくる。
 結局、大皿で5~6種類の料理を作った。
 え~~~~~~~~~、これ全部朝ごはん?ってびっくりしてたら、違った。
 これは、家族全員の一日分なのだそう。朝、一気に一日分を作るのが慣習なのだという。
 そして、もう一度、びっくりした。
 バリ島では、みんな、それぞれ、好きな時に好きなものを好きなだけ、マイ皿に盛って、好きな場所で手で食べる習慣なのだそうで、この日本人妻の嫁いだお家も、ご多分に漏れず、夫もおじいちゃんもおばあちゃんも3歳の息子も、みんなみんな好き勝手に一人で食べている。ダイニングテーブルやイスみたいなものはないので、庭先で食べたり、玄関先で食べたり・・・。
 つまり、妻は、朝早く起きて、一日分の料理を一気に作る。あとは、みな好き勝手に食べる。
 ただ、夫が、ツアーコンダクターみたいな仕事なので、不定で、夜遅くなることもあり、みんなの食欲も日によって違うので、帰りの遅い夫の分まであるかどうか、いつも冷や冷やだ。で、ちょっと足りないかな?と思ったら、近所のお総菜屋さんに買いに行く。
 撮影の日は、ギリギリセーフって感じだったので、ほっとしていたら、これが、また、難しいんだ。この大皿は、家族だけでなく、お隣さんやら、同居していない親族にも食べる権利があるみたいで、最終チェックをした後に、いとこがやって来て、しっかり、ちゃっかり、全部食べちゃった。で、夫が帰ってくる直前に、もう一度、念のために見に行った日本人妻は、お皿の上にかぶせた大きなかごを開けてびっくり。
 ない。
 あったはずの、夫の分の夕ご飯が、ない。
犯人は誰だ?
 猫?
 犬?
 な、なんと、近所に住む20歳くらいのいとこの男性だった。
 ちょっと、遊びに来たから・・・だって。
 たまんないよねぇ・・・・。こんなことが、日常茶飯事だなんて。
 日本人妻は、慌てて、近所のお総菜屋さんへ走った。
 ほっ。よかった。間に合った。
 と思いきや、夫はなかなか帰って来ない。
 なんと、途中でお友達の誘惑に負けて、男衆のミニ〝駄弁りと飲み会”に寄ってしまった。
 妻の苦労は水の泡だ。

 バリ島の男衆は、まるで日本のママ友の井戸端会議みたいに、おしゃべり大好き。
 話す内容は、政治批判のような男特有のものではなく、もっぱら、うわさばなしだ。まるで、女みたいなのだ。浮気は日常茶飯事で女の子の話が多かった。げ~~~~~~~~~。映像を見ても、街のあちこちで、男衆が輪になって、談笑している。仕事してんの?て感じだ。
 妻に家のことをすべて任せて、遊びほうける男の子たちっていうイメージが、バリの男性像。

 とある夜、日本人妻が、3歳の息子の髪を洗っていたら、シャンプーがないことに気づいた。で、夫に、シャンプーを買ってきてって、お金を渡して買いに行ってもらった。
 なんだかなぁ。番組の音声さんの雰囲気が、『はじめてのおつかい』大丈夫かな?って感じで、嫌な予感がするんだ・・・・これが。
 そう。その予感は的中した。
 どうにか無事に、シャンプーは買えた。(シャンプーといっても、1960年代の一袋1~2回分入っている粉のシャンプーで懐かしかった。)
ほっとする。が、しかし、帰り道、悪魔の誘惑が待ち受けていた。彼のお友達に会っちゃった。井戸端会議大好きな夫は、1秒くらいは悩んだだろうか。いえいえ、ほとんど悩むこともせず、ほんとうは、左の道に進めば、もうすぐ我が家なのに、右の道の方へとっとと、いえいえ、嬉々として歩いて行った。あ~~~~~~~~あ、あ。知らない。
 今、まさにシャンプーしようと頭にお湯かけて濡れた3歳のわが子はの運命は、何処へ。
 彼は、小一時間、井戸端会議で浮気話メインの世間話に花を咲かせて家路についた。
 もう、わが子はすやすや眠っていた。

は~~~~~~~~~~。それだけではなかった。
 ある日、家族で布団など大きな買い物をするために家族でデパートに出かけた。
 が、しかし、ふと、気がつくと、夫がいない。
 大きな買い物をしているのに。仕方ない。子どもたちとえっさかほいさかやっとのことで、駐車場まで大きな布団もろもろを運んだ。ふーーーーーっと息をつきたい気持ちも、あるはずの車がない。ない。ない…で吹っ飛んだ。夫が、どっかへ行っちゃった。車で。
 夫は、どこへ~~~~~~。

いた。いた。いた。
 どこに?
 海に。
 以前も抜け出してだべっていたお友達が、釣りをしていたらしく、夫は、デパートを抜け出し、お友達のいる海へ向かい、一緒に魚釣りをしていたのだ。妻が、あんな大きな荷物を持っているのを知っていて、しかも、黙って、勝手にいなくなるって、どういうこと?黙ってだよ。信じられない。結局、日本人妻と子どもたちは、タクシーで夫のいる(というか車のある)海まで行きました。
 まるで、5歳児じゃん。
 あ~~~~~~。世の中の男は、紳士と5歳児に大別されるものなのだろうか?
 たぶん、結婚前は、5歳児タイプが魅力的にみえるのだろう。錯覚?ロマンを語り、さびしがり屋な男性って、私がどうにかしてあげたいと思っちゃうもん。逆に、堅実で自立していてしっかりしている人って、話をしていてもつまらないから、魅力的ではない。でも、結婚したら、そっちの方が、はるかにいい。
 異文化めっちゃくちゃな外国人と結婚するだけでもすごいなって思うけれど、親元からはるかに離れた外国で、日本人とほとんど出逢わない暮らしをも選べちゃうくらいの魅力だもん。ダーリンは、超5歳児の可能性が大きい・・・・のかも。
 日本女性は、世界でもお嫁さんにしたい№1なのだそう。尽くす・・・んだそう。
 吸引力という視点から見ると、どちらかというと、尽くすタイプの女性が、5歳児タイプの男性とくっつきやすい。日本女性の中でも、選りすぐりの潜在的尽くす力の高い女性が、外国人と結婚してしまう。でも、元来の尽くす力が開花し、異国の地でがんばってやっていく力も強化されていくのかもしれない・・・・。
 結果、外国人と結婚して外国に住む日本人妻の特集をすると、必然的に、超5歳児わがまま男性の映像を見てしまうはめになるのかもしれない。

 世界は、広いと思っていたけれど、世界のダーリンを見てしまうと、狭いような気がしてきた。

 特に、次男と四男。
 男脳が強いと見て取った。
 次男は、もう20歳。軌道修正はむりかなぁ?
 でも、四男は、9歳だ。
 きっと、ほっといたら、お子ちゃま男になりであろうわが愛すべき子どもたちだが、将来のお嫁さんのために、どのように関わったら、お子ちゃま男が紳士に近づいていくのだろう?
 お手伝いはせせないといけないかなぁ~~~~・
 漠然とだけど、男脳の強い男の子ほど、カラダに家事を染み込ませとかないといけないかなぁ~。三男は、失敗したかなぁ?制服のシャツのアイロンがけだけは、毎日させているけれど・・・。

 男子という生き物は、ほっておくと、家族がいても自分の好きなことに没頭する脳の持ち主なのかなぁ。イクメンは、どちらかというと、もともと、男脳に女脳もそこそこ混じっているタイプの人間なのかなぁ。
 男性ホルモンの中に、テストステロンというホルモンがある。胎児時代に、このテストステロンを浴びた量で、薬指と人差し指の長さが違うのだそう。テストステロンの分泌量が多い人は、薬指の方が、人差し指より長いのだそう。逆に、女性的な人は、人差し指の方が長いのだという。
 自分の指を見つめた・・・・・・・えっ!
 私の指は、微妙に薬指の方が長い。
 ということは、私は、男性的な資質を持っているのだろうか。攻撃的だと書いてあったが・・・・・・。え~~~~~~~、私って攻撃的だったの?どちらかというと、ぼ~~~~~っとして、おっとりして、穏やかな方だと自分では思っていたのに・・・・。
 夫は、しっかり、あきらかに薬指の方が長かった。
 胎児時代の母親から浴びるホルモン量で、指の長さが決まるなんて。まぁ、カモシカのような美しいほっそりした指そのものは、遺伝でしょう。私は、残念ながら、労働に向いている指で残念。母親は、嫁いで、妊娠中もいじめられてストレスの塊だったという。そのせいかなぁ。
 我が愛すべき4人の息子たちの指も見てみようか。はるな愛ちゃんとかどうなんだろう。人差し指の方が長いのかなぁ?
 それにしても、私はテストステロンが女性にしては多く分泌されたカラダか・・・・。隠れ攻撃的人間なのかなぁ。まぁ、性格は、少々納得できないけれど、胸と筋肉に関しては、もしかしたら、そのせい?って思っちゃった。胸は、残念ながら、残念。筋肉は、ある方だと思っていたし、最近、流行りのロコモ度チェックの片足でしゃがんで立つ、コサックみたいな恰好もできちゃって、優越感に浸っていたし・・・。なにより、今、合点がいったけれど、4人のお産で、よく、二人目以降は、後産の後の子宮収縮の痛みの方が、はるかにきついと言われているのに、4人とも、全く、痛みがなかった。毎回、初産なみの陣痛だった。あれも、筋肉がテストステロンの影響で、普通の女性より強いせいなのかなぁ~~~と思ったり。

 





 

 
 


 
コメント
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