総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

顔蕁麻疹

2014年02月23日 | エッセー
10日ほど前から、朝、起きるとお岩さんみたいに瞼がはれて、だるいし、食欲もあまりないし・・・・という元気のない状態が続いている。目が腫れる前々日と前日の二日間仕事で片道100分かかる所で研修があり、一人で2往復して、疲れが溜まってはいた。
 それで、疲れからくる疲労の結果、腎臓がきつくなって、瞼に来て食欲も亡くなったのだろうと思っていた。
 瞼が腫れると、超ブサイクな残念な顔になるので、仕事に行きたくない。もちろん、きついし・・・。
 とにかく、土日まで頑張って、土日にゆっくりしたら、少しはよくなるだろうと軽く考えていたら、それが、とんでもなかった。土曜日は、気力もなくなり、布団とお友達状態になってしまった。寝込んじゃった。日曜日はどうにか、土曜日よりは少し元気が出てきたものの、鏡を見ると、『うらめしや~』
 なんだろう?なんでだろう?
 腎臓が悪いんじゃないか。10月に2回も血管造影したことの腎臓への負担が原因なんじゃないかと思えてならない。素人判断なんだけど・・・・。
 そして、月曜日。
 最悪だった。
 日曜日の夜、お風呂からあがってから、顔がかゆいかゆい。とにかくかゆい。寝つけない。疲れているのに寝つけない。明日から、また、仕事が始まるのに、こんなに疲れていてはどうなるだろう?
 そんな焦りも手伝って、焼酎の力を借りて痒さをだまくらかしてどうにかやっと眠りについた。
 でも、アルコールの力を借りて寝ると、3時間後に目が覚めちゃう。と、また、かゆい。顔がかゆい。どうして、こんなに顔だけ痒いんだろう?いやんなっちゃう。少し、熱っぽい気もしてきた。
 そして、月曜の朝を迎えた。
 鏡を見る前から、瞼の重さが半端じゃない。重い。これ、絶対、瞼が超腫れぼったい状態に陥っているなって思った。案の定、鏡を見ると、ここ1週間の中で最高のはれぼったさだ。おまけに、お肌がかさかさ。痒くってかなり掻いたし、当然と言えば当然。
 ブサイク極まりない。
 こんな顔よそ様には見せられない。
 でも、仕事は待っている。
 さすがに、職場の同僚たちも私の異変に、みな、病院行きを勧めるくらいだった。

 このお岩さんみたいなまぶたの腫れと顔全体の痒みだけでは、疲れから来る腎臓関係の病気なのかなぁという見立てだった。でも、首に2カ所ほど、ぷくっとした小さなデキモノがあって、そこも痒くってかきむしった。
 この時点で、『ジンマシン?』という言葉が、初めて、私の頭に中に浮上してきた。先週も、アレルギーかな?とチラッと思ったけれど、目に中がかゆいわけでも、鼻水がズルズル流れ落ちるわけでもない。それで、却下した。
 さっそく、ネットで『じんましん顔』で調べてみた。
 あった。あった。顔蕁麻疹という病名もあった。
 やっぱり、顔蕁麻疹だったのか・・・・。そうとわかったら、少し、安心した。腎臓が悪いよりましだもの。疲れ切っていたということになる。腎臓というより肝臓がギリな状態だったということだ。よ~く考えてみると、先週から、ずっと、食欲がなかった。で、昨日の朝は本当に何も受け付けなかった。食べるなってカラダのサインだ。肝臓のサインだったんだろうなって、今になってわかる。肝臓に負担をかけない生活を意識して休養をとっていると、時間はかかっても少しずつ回復してくるだろうと予想した。揚げ物・甘いものはとらない。食べすぎない。野菜をたっぷりとる。食後すぐにお風呂に入らない。そんな感じだろうか。

 少しは、よくなった気がしたけれど、夜、お風呂で洗顔して、温まって夜という副交感神経優位な時間帯になると、顔がかゆくてかゆくて眠れなくなる。これはたまらない。なので、ホメオパシー・レメディの蜂のエイピスをなめて(蕁麻疹にいいレメディ)、ビワ酒をパタパタして馬油を塗って寝た。
 眠れた。
 起きた時の顔も、昨日よりましになった。 
 昨日という一日を振り返って、改めて、蕁麻疹というものを見つめてみると、アレルギー反応の一つなんだなぁとしみじみ思えてきた。副交感神経優位な夜間に悪化した。アレルギーは副交感神経優位な時に症状が出る。
 そして、私の自律神経のアンバランスさも体感できた。体調の悪さや瞼の重さが、正午の鐘とともにスーッと消えた。そして、お昼ご飯を食べたら、もっとすっきりとなった。私の交感神経は、お昼を過ぎてやっと優位になる。普通なら、朝、起きてしばらくしたら、交感神経が支配するはず。なのに、私はお昼まで、エンジンがかかりにくい。このずれが、結局、寝つきの悪さにつながっていくんだろうなぁと思った。じゃぁ、どうしたら、交感神経支配をもっと早い時間にもっていけるんだろう。朝、5時に起きたらいいのかなぁ?昼間、もっと、運動をして交感神経を刺激できたらいいのかなぁって思ったりもするけれど、パソコンとにらめっこの仕事で残業もあり、家事育児もありで、運動の時間をとれない。きっと、一番いいのは、朝日を浴びながら30分のウォーキングなんだろうけどなぁ~。
 ところで、ビワ酒は、やっぱり優れものだと実感した。湿疹で痒くて炎症がおこっている方にはお勧め。どうやって作るか?
 5月にビワの実が手に入ったら、中の茶色い種を両手いっぱいくらい洗って乾燥させて、ホワイトリカーに1か月ほど漬け込んでできあがり。簡単でしょ。ビワの葉茶なども有名だけど、ビワの種は、その17倍の自然治癒力アップ成分が含まれているらしい。前にも書いたけれど、わが子の中耳炎は、このビワ酒を耳の中に数滴たらしてOKでした。湿疹は、肝臓で解毒できなかった毒素を皮膚が肩代わりして排泄してくれている・・・というありがたい存在。ただ、痒くってかきむしって炎症を起こすことが問題。
私の場合、夜中の眠れないほどの痒みは、ビワ酒と馬油でバッチリだったというだけの話で、他の人にもいいかどうかはわからない。けれど、試してみる価値はあるんじゃないかなぁって思う。
 この湿疹、よくよ~く考えてみると、11月ごろより、出ていたんじゃないかなぁ~って、今になってそう思う。なんだか、痒みを感じていた。でも、その時は、湿疹ではなく、調度、洗顔石鹸を変えたばかりで、きっとそれが合わないんだろうと思って、もっと質のいい石鹸に変えてみたりした。それで、少し、おさまっていたような気がしていたけれど、次に化粧水を変えた時も痒みが出た。無添加の質のいい化粧水だったんだけどなぁ~、どうしてかなぁ?
、てっきり変えたばかりの化粧水が合わなかったんだと思って、以前使っていた化粧水に変えようかどうかと迷っていた時に、どっか~~~~~んとお岩さんになったもんだから、こりゃ、化粧水ウンヌンの問題ではないとやっと気づいた次第だ。立て続けの血管造影剤のせいじゃないかなぁ~って勝手に素人判断して、3か月後、もう一度、同じようにCTとMRIを造影剤にて検査して、肝臓に転移しているかどうかの白黒をつけますということになっている私。
 悩む。
 まだ、検査の予約のための電話をできないでいる。
 この顔蕁麻疹は、造影剤のせいじゃないかもしれない。でも、もしかしたら、勘があたって、そうなのかもしれない。
 どっちにしても、今の私の肝臓は好ましい状態ではないのは事実である。今、造影剤を注入したら、取り返しのつかないことになるやもしれない。こわい。だからと言って、それを主治医に相談できない。先生は、再発かどうかの判断をするために3か月後の再検査をしたいわけだから・・・・。
 ひどいお岩さん状態から脱してからも、まだ、顔が痒いので、毎日一粒、ホメオパシーの蜂の波動からできたエィピスをなめ続けていた。そして、気づいた。
私の心の奥底に渦巻く、闇の世界の存在に・・・。
 それがどんな闇なのか私にもわからない。
 でも、私には、排泄しなくてはならない毒素がカラダだけではなく、ココロにもその奥底に存在するような気がしてきた。
 ホメオパシーは、症状が出た時に、その症状にあったレメディを選んでなめる。同種療法なので、自分の中の治したいけれど治せなくなっているマンネリ化した自然治癒力に、治りきらない波動と同じ波動の無毒化した物質をなめて共振共鳴させて、気づかせて治癒に向かわせる・・・・わけだけれど、そのためには、症状が出ないことには話にならない。
 今回、造影剤という刺激により、非常に疲労困憊した肝臓の解毒機能が底を突き、顔蕁麻疹という形で、私にSOSのサインを出してくれた・・・んじゃないかなぁって思ったり・・。
 ひどいお岩さん顔からなめ始めたエイぴスのおかげか、湿疹や夜間の痒みがかなり減って、お岩さん顔からさよならできた。そして、なんとなんと年に2~3回くらいしか体験できない、瞼が軽くって、すっきりして、眠気がなくって、気力のある日が1週間ほど続いたのだ。いつもやっとの思いで生きている私にとって、ただ、単に、スッキリして元気という当たり前のことがどんなに幸せなことかほとんどの方は理解しがたいことだと思う。でも、ここ20年、気力もないけれど、そのちっぽけな気力で体力をカバーして(どういうこと?)生きてきた私にとって、この1週間は至福の1週間だった。ルンルン・・・・・。
 その時、うっすらと思った。症状はありがたい・・・と。
 しかし、幸せは長く続かなかった。
まぶたがスッキリして気力も最高だと感じた次の日から、また、まぶたの感じがいつも通りになってしまった。そして、土曜日はお岩さん復活。
 この復活劇で、なんとなく、そうかもなぁって思い当たる節ってもんを発見した。
 そう。心の奥底の抑圧の発散ステージに蕁麻疹がワンランクアップしたのだと思う。カラダの排泄から始まって、ココロの発散に至る・・・みたいな。
 私は、未だかって、人生で2回しかわなわなとした怒りを感じたことがない。
 以前、カウンセラーS先生に『あなたは怒りの感情が未分化ですね。』と言われたことがある。それまで、私は、怒ることのあまりない穏やかな人間だと自分のことをそう思っていた。しかし、そうではなかったのだ。未分化だったのだ。だから、ほんとうは、腹が立つことをいっぱい感じていたはずだろうに、それすらも気づかず、でも、多分、しっかりカラダとココロに刻まれて、無意識の世界に封印していた・・・・・のだろう。
ホメオパシーのレメディの力を借りて、私の中の発散できないでがんじがらめにしてきたなんだかわけのわからない抑圧というものを、症状はありがたいという気持ちで、薄皮をはぐように、焦らず、排泄していこうと思った。だから、今回の復活劇もウッ!またかい・・・とちょっと残念だったけれど、今は、感謝の気持ちだ。
 ココロの抑圧を排泄するには、シリカというレメディがあっているみたいだ。なので、三日前からなめ始めた。シリカは、自分はもともと虚弱体質だと思い込み、50%の力で生きている人。バイタリティがないので、あるいは、無いと思い込んでいるので、いつも出し切っていない。だから、発散できていない。何かしたいなって思っても、疲れやすく体力がないので行動しないことも多い。
 まさに、私そのもの。
 シリカをなめるようになって、気力が湧いてきた。まぶたのすっきり感が私に気力をもたらしてくれる。こんな幸せなことはない。
 顔蕁麻疹になって1か月。
 患ってよかった。
 この20年、ずっと、重たかった瞼と活力のない無理するとすぐダウンするカラダをともにどうにか生きてきた。情けないカラダ、でも、このカラダで生きてゆくしかないと受け入れて生きてきた。でも、今回、顔蕁麻疹になって、もしかしたら、このだるさは、蕁麻疹、つまり、アレルギー反応のたまものだったのではないだろうかと思えてきた。くすぶり続けて、造影剤というマイナスの爆弾刺激により、明確な症状が表出したおかげで、私は、ホメオパシーのエイピスにたどり着いた。そして、2回目のお岩さんでシリカにたどり着いた。ホメオパシーとは10年ほど前に出逢っているのに、明確な症状が出なかったので虚弱体質だったのにシリカをチョイスするということをしなかった。
青空のようなすっきりしたまぶたと元気なカラダをついにゲットした。ずっと、ずっと重苦しい空のようなまぶたとバイタリティのないだるいカラダで生きてきた私にとって、夢のような毎日をここ2~3日過ごしている。
 シリカは、水晶の波動。私の免疫は、水晶の波動と共振共鳴して活性化された。
 職場健診で医者にずっと訴えてきたこの不定愁訴。医者は、この症状をスルーして真面に請け合ってくれなかった。お灸の先生も明確な解答をだしてはくださらなかった。
 まさかのホメオパシー。
 10年前に出逢っていたのに・・・・・。
 ま、いいか。出逢った時が吉日だ~~~~い。
 アレルギー反応でカラダが慢性疲労症候群みたいになっていた。チラッとよぎる、アマルガム。虫歯の治療で使わる銀歯が、実は、アレルギーをおこし、疲れやすいカラダにしてしまうということを聞いていて、できれば、銀歯をゼロにしたい・・・・でも、30万はくだらないと聞いてあきらめていた。ひょっとして、ひょっとして、私のだるさはそのせい?とかすかに思ったこともあったけれど、人間、死ぬといわれるくらいでないとなかなか決心がつかないもの。そのまま、うっちゃっていた。でも、なんとか、エイピスとシリカで私なりに、疲れやすさを理由にしたいことをあきらめていた人生から、少しは、脱却できそうだ。
 そんな風に考えると、1週間間隔の二度の血管造影剤体験も災い転じて福となす・・・て感じかなって思えてきて、そうなると、造影剤にも感謝の気持ちが湧いてきた。すべてに、ありがとう。
 真央ちゃんも災い転じて福となす。
 もう、全然、レベルの違う話だけれど・・・。
 メダルは残念だけれど、非常に残念だけれど、日本人の心に余韻を残し、ずっと、刻まれていくだろうソチオリンピックの真央ちゃんだった。なんだろう。トリプルアクセルだけではなく、自分の苦手なトリプルジャンプにあえて挑み、エイトトリプルを飛ぶことを目指すその心とは・・・。金メダルを狙いに行きつつも、あえて危険な道を選ぶ。
 すごいな。
 自分の理想のイメージに近づこうと日々、ひたすら精進し、いざ、その時も、妥協を自分に許さず、最悪な状況に追い詰められても挑むその真摯な姿に多くの人が胸打たれた。メダルという欲より、自分の理想に近づこうとするその生き方を見せつけられて、はっとさせられた。金メダルを取りに行くのであれば、もっと、安全な楽な方法もあっただろうに・・・。
 わたしは、どーよ。
 真央ちゃんが、今回、メダルを逃した体験は、きっと、何か、次のステップへの大切な体験だったといえるような運命が待っているような気がする。ショートの順番が、くじで最後になったときに、嫌な予感がした。その時点で、神様が真央ちゃんの次のステップのために、わざとそう仕組んだんじゃないか・・・とチラッと思った。
 真央ちゃんは、きっと、もっともっと進化する。そんな気がする。
 事故が起きる時って、魔がさすって感覚がぴったしだなって思うことがよくある。
 真央ちゃんのショートは、まさに、魔がさしたって感じだった。
 えっ!うそって感じ。
 『神との対話』には、事故に偶然などないと書いてあった。
 運命。
 災いに偶然などない。
 受け入れる。
 だから、抵抗せず、受け入れて、よりよきことを願い行動する。そしたら、きっと・・・・・・。
 
それにしても、ホメオパシーって、意外とかなりいい感じだ。
 がんになって3年ほど、ご無沙汰していたけれど、なぜだか、偏頭痛持ちの同僚に、チラッとホメオパシーの共振共鳴により、本人の持っているマンネリ化した自然治癒力に気づきを与え、自分の力で治癒していく。再発しにくくなる。という話をしたら、乗り気になった。私の持っている本やレメディを見せてあげ、自分の症状に合っていると思われるレメディがあれば、なめていいよって、貸してあげた。そしたら、今では、私よりはるかに通になっちゃった。だって、20年以上も悩まされ続けていた偏頭痛が鎮痛剤なしでどうにか乗り越えられそうな実体験をしちゃったんだもの・・・。よかった。
 鎮痛剤の常用は、誰だって怖いって思っている。でも、頭痛がやってきたら、背に腹は代えられない。仕事は早々休めないもの。
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ホワイトマザー

2014年02月10日 | エッセー
 なんと優しさに包まれた夜だっただろう。
 知らなかった。
 何を知らなかったかって、羽毛布団にもいろいろあるんだってこと。
 昨日、とうとう、ついに、やっと、羽毛布団を買った。
 暮れから、ずっと狙っていたホワイトマザー使用の羽毛布団が、かなりお安くなっていたから。
 去年、突然、我が家で今までずっと使っていた羽毛布団が、ことごとく羽をまき散らし始めてしまった。結婚して20年。羽毛を包む布が限界にきてしまったのだ。布が裂けていく。ビリビリと・・・。どうしようもできない。リサイクルしようと思ったけれど、3万くらいかかるみたいで、それなら、安くなった時に新しく買った方がいいかなと思いながら、布団コーナーをうろうろしていた。そんなこんなで、できるだけ底値で購入したかった私だけれど、三男が寒い。もう、限界だと訴えてきたので、暮れに、買うと決めて近くのお店にのこのこ出かけて行った。そこで、7~8万円の商品が3万前後に値下げされていて、悩んだ。重さや質、産地や羽毛の種類によって、定価の値段や値下げ幅がまちまちで安くなる法則が見当たらない。もっと、下調べをして行けばよかったと思った。その中でも、値下げ幅が一番少ない布団が気になった。これは、きっと、値下げしたくない理由があるんじゃないかと思った。
で、店員さんに聞いてみた。
 ホワイトマザーは、普通のダウンよりふわっっとしていて同じ量だとあったかさが違うということがわかった。悩んだ。普通の羽根布団でいっぱい詰まったやつと軽くてでも、少しお高い奴。暖かさは変わらないとしても、重さが違う。値段を選ぶか重さを選ぶか・・・・。え~~~~い。相手は高校生だ。若者は辛抱せい。私の小さい頃は、もっと重たい綿の布団だったんだから。
 ということで、悩んだ末に、お値段をとってしまった。
 だから、三男の布団は、やたら存在感がある。
 自分用には、お正月が明けてもっとお安くなった時に、例のホワイトマザーを買おうとちゃっかり決めていた。だって、私は若くないもん。てなことで、時々、底値だと判断したらすぐ買おうと思って、ときどきぶらりをやっていた。
 が、しかし、ある日、ホワイトマザーだけなくなていた。私のほかにも狙っていた人がいたのね。がっくり。
 そうなると、もう、ホワイトマザーしか目につかなくなる。ほっかのお店に行っても、ホワイトマザーは意外と店頭には置いていない。消費税が上がる前に購入したいもんだ・・・と思い、先日、ふと、別は用件で、そのお店に立ち寄ったら、あった。あったのだ。例のホワイトマザーが。しかも、少し、お安くなっていた。
 もう、迷わず、買っちゃった。
 そして、その夜、ホワイトマザーの寝心地を初体験した。
 それが、優しさに包まれた夜体験だった。
 圧迫感なんてどこにもない。ただ、包まれているという感じでもない。胸がきゅんとなるような魂さえも包み込んでくれるような優しさが肌をとおして伝わってくる。
 癒されるんだ。布団で。
 あ~~~~~、私も、こんな人間になりたい・・・・としみじみ思った。
 もう、ホワイトマザー以外の羽毛布団は買えない。
 だって、知ってしまったから。皮膚からも人は優しくなれる可能性があるってことを。
 否、ひと肌って言葉があるくらいだから、皮膚全部を優しく包み込まれたら、心のとげがなくなってしまうかもしれない。
 朝、ホワイトマザーに包まれて目覚め、朝一番に浅田真央ちゃんのノクターンのDVDを鑑賞してから、一日が始まるなら、きっと、誰かを包み込むような優しい顔で「おはよう。」とあいさつができそうだ。例え、悲惨な状況に陥っていても。
 ありがとう。ホワイトマザー。
 皮膚感覚って大事かもね。かなり。
 

 
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結婚

2014年02月04日 | エッセー
お昼のタモリの番組で、辞書に載せれる?かも・・・という企画で、辞書の編集長を招いて、お題の言葉にぴったしな解説文を作るコーナーがあった。
 で、昨日は、『結婚』がお題だった。
 関根勉さんは、忍耐だというような内容だった。自身、大忍耐していると言っていた。
 結婚ほやほやの保田佳さんは、尊敬し続ける・・・みたいな、まだまだ青いなっていう内容で、本人の自信とは裏腹に、即却下されてショックみたいだった。
 フットワークの真ん丸顔の人は、今の自分の心境から、結婚できないタイプについての訴え・・みたいな解説で的外れ。
 で、残り二人が、達人と判定された。
 一人は、木下優樹菜ちゃん。お米の硬さを受け入れられること・・・・・。
 好みの違う二人が、お互い好みのお米の硬さがあるけれど、日によって、交代交代でお米の硬さを譲り合うこと。つまり、自己主張ばかりではうまくいかない。引くときは引き、自己主張するべき時は自己主張する・・・の調度いいを探すこと。
 みな、なるほど・・とうなづいた。尽くしてばっかりも、相手をつけあがらせるからダメだし、自己主張ばっかりでもほっとできないし・・・。
 そして、最後は、やっぱり、年の功で、タモリだった。
 愛で始まり、憎悪を経て、感謝で終わる・・・というような解説だった。

 この編集者いわく、最後に希望を感じるようなものがベストだと。なるほど。関根勉さんの言う、忍耐、大忍耐という言葉は、なるほどとみな思うけれど、それじゃぁ、つらいだけ。誰も結婚したいって思わない。でも、感謝で終わる・・・という言葉の響きにより、結婚もまんざら悪くないかなって思える。世の中の多くの人が、憎悪を経て、感謝に変わるというのなら、この、今の憎悪の嵐をじっと耐えることが可能になるってもんだ。
 で、みな、今、どの段階?って話になった。タモリも、まだ、憎悪かな?関根勉さんも、憎悪真っ最中って。ユッキーナは、憎悪の始まり?
 感謝・・・になれますように。

と、結婚の話題について、もう一つ。
 へぇ~って思いながらも、そうかもとも思えた一言。
 自分のココロが安定しているときに出逢って結婚する相手は、自分と似た場合が多く、自分が不安定な時に出逢った場合は、自分と正反対なタイプが多いという話だった。
 そうかも。そうかも。そうかも。
 自分に自信がない時は、自分にないものを持っている人に魅かれるかもしれない。
 
 加藤諦三さんは、『うまくいく夫婦・ダメになる夫婦』にこう書いている。
 彼女は、自分でもわかっているように、依頼心が強く自分に頼りがないのである。
 頼りがないから、夫は『理想的』でなければ困る。彼女は『理想的』な夫に救いを求めていたのである。
 理想の夫など存在しない
 自分の夫が理想的でないと、自分はもう幸福になれないと感じている女性がいる。
 しかし、理想の夫ではなくても幸福な人生を送っている女性はたくさんいる。
 理想の夫と幸せな結婚生活は一般に考えられているほど関係あるものではない。
 むしろ妻が断固として幸せだと、夫は次第に理想的になってくる。

 どういうことだろう。
 妻が断固として幸せとは・・・・。
白馬の王子様がいなくっても、妻自身がシアワセを自分で見つけられさえすれば、案外、パートナーとのシアワセもついてくる・・・・ということだろうか。断固としてシアワセって・・・。夫が○○をしてくれないから、私は不幸だというような思考に陥らないこと。○○さんのような夫を持った人が羨ましい・・・と思わないこと。まず、自分。け~~~~~~~~~。自分のシアワセを自ら築ける力かい?
 どこかの国のことわざに、『太陽が毎日出るところは、砂漠になる。』という言葉があるそう。
 そう、優しくて頼りがいのある自慢の夫のそばにいると、心は砂漠のように枯れ果てる・・・みたいなニュアンスか?
 晴れた日ばかりでなく、雨の日や風の強い日、大風の日・・曇った日…なども、滋養のためには必要だもんね。
 だから、理想の夫が、決して幸せをもたらすとは限らないってことか・・・。

加藤諦三さんは、どうしてもどうしても欠点ばかり見えてしまうものだが、男は、ほめられて伸びる典型的な性質の持ち主なのだそう。犬もおだてりゃ木に登る・・・みたいな。
 本気で幸せを手にいれたいのなら、まずは、このハードルをクリアする以外に道はない。
 やっぱり。
 しかし、これが、ほんとうに難しい。
 いやはや、どこを褒めようか?
 年中、眉間にしわをよせているような自分だけが不幸って顔に書いているような不機嫌虫クンのどこから責めようか。
 そうそう。これって、もしかしたら、なんだかんだ言っても、わたしっってシアワセかなって思うのは、夫はわたしのに一目置いているなって、よく感じるってこと。
 なんでかなぁ。

夫婦の言い争いの出発点は誤解である。
 したがって、言い争いが始まったときは、
 『あ~、これで、相手がわかる。よかったなぁ~。』
 『私は、この人のどこを誤解していたのだろうか?』
 『私の主張を、夫は、どのように誤解したのであろうか?』
   という視点で考えるんだそうな。なるへそ。なるほど。

 言い争いやケンカは、亀裂を防ぐための好機である。
 自分に疚しいことがあれば、誤解する。
 自分に劣等感があれば、誤解する。 
 自分に葛藤があれば、誤解する。言い争いをとおして、自分も相手も見えてくる。

 なるほど。


 相手を理解するということは、相手と自分の違いを理解することなのである。

 そうだったのか・・・。奥の深い言葉だ。
 ややもすると、相手を理解するって、相手の気持ちに共感しようとトライしてしまいがち。歩み寄ろうとしちゃう。それはいいいんだけれど、へたをすると、『あ~。この人は○○な人なんだ。』とレッテルを貼ってしまうという最悪の結果になる。自分と比較して、上から目線になるやもしれない。
 でも、自分と相手の違いを理解する・・・となると、ただ『違うんだな。』と認識するだけで、そこには、比較みたいな感情が湧きにくい。赤と白・・・みたいな。でも、ちょっと間違えると、上下感覚が生じやすいから、注意しなくてはならない。意識して自分のココロを見張っていないと、優越感という悪魔がニョキニョキ顔を出す。ただ、チガウ・・・だけなのだ。

 そういえば、私は、いつも、自分にないものを持っている人に魅かれた。何か熱中する人に魅かれた。つまり、自分とチガウ人に魅かれた。違いを理解し、そこの魅力を感じて結婚したのに、いざ、結婚して生活が始まると、自分とチガウことの不便さに辟易する日々。あ~~、なんと、人間とは身勝手な生き物なの・・・。
 魅力のあるチガイもあれば、魅力のないチガイもある。
 結婚すると、この魅力のないチガイが、ものすごく不満の元になるから危険だ。

 結婚で、白馬の王子様依存症になるのは、魅力のあるチガイと自分と同じ生活の価値観しか認めない・・というわがまま人間になっちゃいやすいから。自分にとって、魅力のないチガイをどれだけ理解できるか。理解して、そのチガイに心がかき乱されないで
事実として客観的に赤色なんだなぁと思えるか・・・・。
 結婚のテーマは、まさに、ここにある?

 幸せな結婚生活をしている奥さんは、夫の欠点に過剰な反応をしていない。
 男は、ほめられればがんばるし、批判されれば自信を失う。要するに多くの男はそんなにりっぱな人間ではない。

 最悪な夫とは、酒癖が悪く・給料は家に入れない・父親としても子どもが好きでない(ドキッ!)ような夫である。
 しかし、最低の夫は、自分を素晴らしいりっぱな夫と思い込んでいる。
 ・・・・・のだそう。
 

 どうやら、どうやら、結婚生活をそこそこに幸せにするコツは、妻が、魅力のないチガイ(夫の欠点)も理解し、レッテルを貼らないよう意識することのようだ。そして、言い争いはチャンスと思うこと。人はトラブルを解決することで自信がつく。つまり、自分に自信のない人ほど、トラブルが発生した時(夫と言い争いになったとき)自信をつけるチャンスだと思って、どっちがこの言い争うに勝つかではなく、どうしたら解決できるかを目的にしちゃうって、超大事なこと・・・・のうよう。

 愛咲くら  の思う結婚とは、


 魅力あるチガイが吸引力となり、魅力のないチガイ(欠点)が砥石になって、やがて、全ての〝自分とチガウ”を受け入れられるようになる・・・・それが、結婚。

 自分とチガウ素敵な魅力に吸引されて、そのはずみで結婚した二人が、いざ、生活を始めると自分とチガウ相手のイヤな欠点がやたら目につき始め、夫婦喧嘩の元になったり、興ざめの元になったりしていく。それでも、何とかして、結婚という契約を維持していくためにたどり着いたあきらめの境地から、見えてくる世界がある。自分にない自分とチガウ素敵な魅力しか受け入れられなかったわがままな自分。自分だって欠点もあるはずなのに、生活は、自分とチガウ相手の欠点が目障りで仕方なくなる。自分にも十分すぎるくらい欠点があるのに、相手を思い通りにしようとしてしまう傲慢さがどんどん膨らんでくる。へたをすると、憎しみすら見え隠れする。その頃には、素敵だと思った自分とチガウ魅力すらも忘れ去られて、欠点がやたら目につき始める。欠点しか見えなくなったら、それは、人間失格じゃん。いかん。いかん。私は、そこまで人間として落ちてしまったのか・・・・。

職場の同僚は、欠点があっても、そこそこにやってゆける。だって、24時間、全てを共にするわけではないので。友だちだって、嫌になったらさよならできる。だって、契約はないから。だけど、結婚は、全てを共にし、契約がある。だから、試練だ。他のなによりも試練だ。相手の欠点をどれだけ受け入れられるか・・・。どっちかが我慢し続けるといつか我慢の限界がやってくる。恨みに代わる。我慢は五部と五部じゃなきゃ続かない。
 でも、できれば、がまんではない形を見つけられた・・・・・ら。たぶん、それが、結婚の意味なんだろう・・・と思う。
 夫婦げんかをきっかけに、話し合いにもってゆける能力を磨く”場”。それが、結婚なのかもしれない。

 話し合いがちゃんとできてる?
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蚊か?

2014年02月03日 | エッセー
 昨夜、四男が寝入りばなに「蚊がいる。」と言って、布団を頭からすっぽりかぶって寝た。
 まさか、例年なら極寒の2月2日に蚊が存在感を表現するなんてありえない・・・・と思いつつも、あの、何とも言えない蚊の羽音を息子が誤認識するわけがない。そう思いながら、寝付けない私は、悶々としていた。息子が叫んでから30分ほどたった頃、な、なんと、「ブ~~~~~~~~~~~~~ン。」といや~~~~~な羽音が私の右斜め上あたりから聞こえてきたではないか。
 アンビリーバブル!
 蚊は越冬できない・・ことになっている。
 前代未聞だ。
 例年なら、2月1日とか2日が、1年間でも一番寒い日。ここを乗り切れば、梅の花が咲き始め、春の予感を感じることができる。あと、もう少し、がんばれ!ッテな辛抱の時期。なのに、4月初めの陽気だった。昼間は、半袖でもOKなくらいポカポカだった。
 でも、蚊まで登場するなんて信じられない。

 ただでさえ眠れないのに、蚊で起こされたらたまったものではない。
 仕方ない。
 押し入れから、しまっていた蚊帳を出しましたよ。

 ほんとうに信じられない。
 あり得ないこの現実に、地球規模の異変に慄いた。
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