人の話を最後まで、黙って聴くって簡単なようで、とっても難しい。
人は、相談されると、なんだかうれしい。自分に相談してくれたということに自分の存在意義を感じてしまうから。そして、何とか役立ちたいと思う。
その気持ちが、アドバイスしてしまう心理につながる。
人は相談されると、アドバイスしたくってうずうずしてくる。
でも、相談したい人は、自分の辛い気持ちに共感してもらいたいだけ。十分共感してもらえたら、自分の足で前を向いて歩いて行ける。それが、人間ってもんだ。
なのに、なのに、人は、相談されると何とかしてあげたい欲求がうずうずしてくるから、困ったもんだ。
これが、対自分の子どもとなると、アドバイスよりももっと悲惨な状況になる。ちゃんとしつけなくっちゃという気持ちが先だって、子どもの気持ちに耳を傾けるどころか、「そんなことをしてはいけません。」あるいは、「でもね、現実はね。そんなに甘くはないのよ。」などと、お説教になったりする。
私は、お説教が大嫌い。
お説教する人の心理ってどうなているのだろう。
そんなにあんたえらいのかい?
そうでもなさそう・・・・。
お説教する人は、自分が上で、相手が下だと無意識に思ってるんだろうなぁ。
せっかくいい感じで話を聞いてくれていたのに、最後の最後に、「でもねぇ。」と言われた暁には、「オーマイガッド!金輪際こいつになんかに相談なんかするもんか。」というあきらめの気持ちになる。
気持ちを汲んでほしいだけなのだ。ただ、ただ、ただ、ただ・・・・・。
だけど、人は相談されるとどうしてもアドバイスしたくなるんだなぁ。
ここは、意識して、自分の口を封じるしかない。
というか、本当は、人が相談してきたら、できるだけ、その事象より、その事象を体験している目の前の相談者の気持ちにスポットを当て、気持ちを聴くように意識的に訓練していかない限り、結局、話を聞いていないってことなのだ。
子どもをちゃんとしつけなきゃという意識の強いママは、子どもの話に(つまり、気持ちに)耳を傾けることはレベル4かもしれない・・・・と思う。
そこで、朗報!
お手て絵本をお試しあれ!
前にも書いたけれど、ママが、両手を合わせて広げて、子どもが何か話し始めたら、ママの役割は、「ふ~ん、そして?…」「それから?」などと相づちを打つことと、ページをめくることだけ。
最後まで、子どもの空想のような妄想のようなお話を楽しんで聞いてほしい。
途中、子どもが、「○○なんか殺しちゃえ。」とか「○○は死んでしまいました。」とか「殺してしまいました。」とか言っても、絶対に「そんな恐ろしい言葉は使ってはいけません。」と言わない。
これが、大事。かなり、大事。とても大事。
ママも、ここでぐっとこらえる。頑張ってこらえる。
「殺したい」=「殺したいくらい腹がっ立った」「殺したいくらい悔しかった。」という気持ちなの。
だって、日ごろから、ママやパパにしつけと称して叱られているでしょ?
子どもは、したいことをしているだけなのに・・・・。
子どもの将来が怖かったり、人の目が怖かったりして、結構、叱らなくてもいいのに叱っていない?
子どもは、言い返せないから、結構、パパ・ママに対して大好きだけど大嫌いという感情を隠し持っている。
その、隠れている感情をお手て絵本は、ちゃんとママが最後まで口を挟まなければ、上手に消化し昇華する。
これって、最高のカウンセリング。子どもは、傾聴してもらえて超ハッピー。
お手て絵本という道具を使って、ママもいっぱしの心理カウンセラーになれるって素敵じゃない?
こんな風に、さりげなく遊び感覚で、ママが最後まで黙ってお話を聴いてくれるという体験のできた子は、いつのまにか相談する力を身につける。
いじめられている子どもは、なかなか相談できない子どもが多い。
でも、本気でわが子が困ったときは、クンクンと相談しても信頼できる人をかぎ分ける能力(気持ちをくみ取ってくれる人を見つける力)ととても自然に相談しちゃえる力をつけられる子に育てたいなら、チャレンジ、お手て絵本!
お手て絵本で、相談することはいいことだという体験をさせてあげよう。
「殺しました。」と言ったとき、「そんな物騒な言葉を使っちゃいけません。」とママに叱られた瞬間、あなたの子どもは、いじめられてもママには相談しない子どもになる確率があがるでしょう。
いじめはなくならない。そして、いじめは悪でもない。・・・のです。
どうか、どうか、子どもが「殺したい。」と言ったとき、「殺したいくらい腹が立ったのねぇ~。」と気持ちを汲んでもらえる大人に、一人でも出会えますように。
きっと、それが、いじめが最悪の事態にならにですむ素敵な魔法・・・だと愛咲くらは思うのです。
お手て絵本 いいです。
つづく
人は、相談されると、なんだかうれしい。自分に相談してくれたということに自分の存在意義を感じてしまうから。そして、何とか役立ちたいと思う。
その気持ちが、アドバイスしてしまう心理につながる。
人は相談されると、アドバイスしたくってうずうずしてくる。
でも、相談したい人は、自分の辛い気持ちに共感してもらいたいだけ。十分共感してもらえたら、自分の足で前を向いて歩いて行ける。それが、人間ってもんだ。
なのに、なのに、人は、相談されると何とかしてあげたい欲求がうずうずしてくるから、困ったもんだ。
これが、対自分の子どもとなると、アドバイスよりももっと悲惨な状況になる。ちゃんとしつけなくっちゃという気持ちが先だって、子どもの気持ちに耳を傾けるどころか、「そんなことをしてはいけません。」あるいは、「でもね、現実はね。そんなに甘くはないのよ。」などと、お説教になったりする。
私は、お説教が大嫌い。
お説教する人の心理ってどうなているのだろう。
そんなにあんたえらいのかい?
そうでもなさそう・・・・。
お説教する人は、自分が上で、相手が下だと無意識に思ってるんだろうなぁ。
せっかくいい感じで話を聞いてくれていたのに、最後の最後に、「でもねぇ。」と言われた暁には、「オーマイガッド!金輪際こいつになんかに相談なんかするもんか。」というあきらめの気持ちになる。
気持ちを汲んでほしいだけなのだ。ただ、ただ、ただ、ただ・・・・・。
だけど、人は相談されるとどうしてもアドバイスしたくなるんだなぁ。
ここは、意識して、自分の口を封じるしかない。
というか、本当は、人が相談してきたら、できるだけ、その事象より、その事象を体験している目の前の相談者の気持ちにスポットを当て、気持ちを聴くように意識的に訓練していかない限り、結局、話を聞いていないってことなのだ。
子どもをちゃんとしつけなきゃという意識の強いママは、子どもの話に(つまり、気持ちに)耳を傾けることはレベル4かもしれない・・・・と思う。
そこで、朗報!
お手て絵本をお試しあれ!
前にも書いたけれど、ママが、両手を合わせて広げて、子どもが何か話し始めたら、ママの役割は、「ふ~ん、そして?…」「それから?」などと相づちを打つことと、ページをめくることだけ。
最後まで、子どもの空想のような妄想のようなお話を楽しんで聞いてほしい。
途中、子どもが、「○○なんか殺しちゃえ。」とか「○○は死んでしまいました。」とか「殺してしまいました。」とか言っても、絶対に「そんな恐ろしい言葉は使ってはいけません。」と言わない。
これが、大事。かなり、大事。とても大事。
ママも、ここでぐっとこらえる。頑張ってこらえる。
「殺したい」=「殺したいくらい腹がっ立った」「殺したいくらい悔しかった。」という気持ちなの。
だって、日ごろから、ママやパパにしつけと称して叱られているでしょ?
子どもは、したいことをしているだけなのに・・・・。
子どもの将来が怖かったり、人の目が怖かったりして、結構、叱らなくてもいいのに叱っていない?
子どもは、言い返せないから、結構、パパ・ママに対して大好きだけど大嫌いという感情を隠し持っている。
その、隠れている感情をお手て絵本は、ちゃんとママが最後まで口を挟まなければ、上手に消化し昇華する。
これって、最高のカウンセリング。子どもは、傾聴してもらえて超ハッピー。
お手て絵本という道具を使って、ママもいっぱしの心理カウンセラーになれるって素敵じゃない?
こんな風に、さりげなく遊び感覚で、ママが最後まで黙ってお話を聴いてくれるという体験のできた子は、いつのまにか相談する力を身につける。
いじめられている子どもは、なかなか相談できない子どもが多い。
でも、本気でわが子が困ったときは、クンクンと相談しても信頼できる人をかぎ分ける能力(気持ちをくみ取ってくれる人を見つける力)ととても自然に相談しちゃえる力をつけられる子に育てたいなら、チャレンジ、お手て絵本!
お手て絵本で、相談することはいいことだという体験をさせてあげよう。
「殺しました。」と言ったとき、「そんな物騒な言葉を使っちゃいけません。」とママに叱られた瞬間、あなたの子どもは、いじめられてもママには相談しない子どもになる確率があがるでしょう。
いじめはなくならない。そして、いじめは悪でもない。・・・のです。
どうか、どうか、子どもが「殺したい。」と言ったとき、「殺したいくらい腹が立ったのねぇ~。」と気持ちを汲んでもらえる大人に、一人でも出会えますように。
きっと、それが、いじめが最悪の事態にならにですむ素敵な魔法・・・だと愛咲くらは思うのです。
お手て絵本 いいです。
つづく