総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

七つの習慣と出逢ってしまった。もう引き返せない。

2019年10月14日 | エッセー
 とある女性が、人生の友として『七つの習慣』という本を読み返しては勇気をもらい続けている。私の大好きな本。
 と、紹介された。

 なぬ?
 『七つの習慣』とは、なんぞや?

 その時は、それで、スルーした。
 しかし、その後、その場にいた別な女性が、七つの習慣を以前購入していたことを思い出した。よかったという記憶がある。漫画本版もあり、息子がいい本だと言っていたと教えてくれた。 
 さくらが二人目になると、人の心は動く。
 私の心も動いもた。少し、高いなと思ったけれど、購入した。
 そして、今しがた、一応、読み終わった。しかし、単に読み終わったというだけ。
 この本は、知識本ではない。ハウツー本でもない。宗教本でもない。
 この世を、動物のように反応的に生きて死んでいくか。まさに、人生、つまり、人として生き死んでいくか。
 人として生きるために、心をにすっかり入れ替えるための、具体的な指南書すっかりである。

 

 私は、この本と出逢うために、人生いろいろの体験を積み重ねてきたのか・・・という衝撃の1冊となった。

 私の今までの人生は人生ではなかった。
 ここから、まともな人生への第一歩がスタートするんだ。

 なんと、58歳を目前にして、やっと、人生がスタートするなんて・・。ちと、遅すぎる。

 それにしても、あの場にいた人たちは、結構、『七つの習慣』という本を知っていた。一度は、読んでいた。そういえば・・・、おうちのどこかを探してみよう・・・的な。

 最初の衝撃は、
 94ページ。

 ある男性の質問

 私は妻をもう愛してないと思うし、妻も私を愛してないでしょうね。どうしたらいいでしょう?


「愛する気持ちがもうなくなったというのですね。」と私は聞いた。
「そうです。」彼は、きっぱりと言った。「子どもが3人もいるんで、不安なんです。アドバイスをお願いします。」
「奥さんを愛してください。」と私は答えた。
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母 あはは。認知症レースでは一番手?

2019年10月05日 | エッセー
 もう、笑うしかない。
 こだわりが強くて、心配ばっかりして、心配しかしない。

 つまり、問題を本気で解こうとしない。
 つまり、つまり、自分を変えようとしない。 
 すなわち、問題が起こっても、問題が起こった時の意識を変えようとしない母は、人生の最後になって、どんどん哀しい存在になっていく。

 認知症は、その人の元々の性質というかこだわりをより強く濃く表に映し出していくように見える。
 
 母のようにはなりたくない。

 もう、すでに手遅れかもしれないけれど、問題が起こったら、意識を変えて問題解決に挑むよう、日々、柔軟な脳を温存させたい。
 そのためには、こだわりを手放していきたい。
 こうあるべきだとかこうあらねばならないとか、批判とか悪口とか・・・。
 ただただ、人の行動に揺れ動かない。
 自分の行動にのみ、生きる意味を見出す・・・。

 おとといの夜の母の姿は、あまりにも衝撃的だった。
 残念過ぎて・・・。

 人生の最後がこんな姿かと思うと、本当に残念で残念でしかたない。
 残酷だなぁと・・。

夜、母の様子を見に、中3の四男と実家に。

 おもむろに、四男が、絵を描こうと、テーブルの上に置いてあった鉛筆と出窓に置いてあった鉛筆削りを手に持って、鉛筆を削ろうとした。
 そのとたん、鉛筆削りを落っことしてしまった。
 あ~~~~。削りカスがいっぱい詰まっていたみたいで、畳の上には、削りカスの塊が・・・。そして、やっかいな芯の粉が散乱。

 よくあることだ。
 全然、たいしたことない。
 何も驚くことでもない。
 子育てしていたら、そんなの日常茶飯事だ。


 が、しかし、母の反応は、この世の果てかと思うくらいの、人が目のまで死ぬのではないかというくらいの差し迫った危機・・・のようなパニック状態に。
 強烈な反応。
 その母を見て、衝撃を受けた。

 私にすれば、そんな母の姿の方が、鉛筆削りかすの散乱の100倍否1万倍くらいの、衝撃だった。

 もう、人生が終わったくらいの反応。

 確かに、鉛筆の芯の粉は、畳の上ではやっかいだ。ふき取ってはいけない。掃除機で優しく吸い込まなくては、畳の中に入り込んでしまう。

 しかし、人が死ぬほどのことではない。

 掃除機で吸い込むときも、ギャーギャー喚いていた。

 しかし、そのあとに、もっと信じられないくらいの衝撃映像が、私の目に映った。


 
 母は、真っ暗な自分の寝室のベッドに寝込んでしまったのだ。

 え~~~~、嘘でしょう?
 たかが、鉛筆削りの削りカスが畳の上に、半径3㎝の範囲に落っこちただけなのに、それで、寝込むの~~~?
 
 その姿を見た四男の目には、どう焼き付いたのだろう。
 悪気があったわけだはない。
 そんなにひどいことをしたわけでもない。
 なのに、畳全部に泥を敷き詰めたくらいの反応をされてしまった。

 あれ以来、実家に行こうとしない。
 ばあちゃん、大嫌い!という。

 認知症。
 だから、仕方ない。

 ただ、母を見ていて、そしてもうひとりの認知症の義理母と比べて

 この差って何ですか?

 ってつい思ってしまう。
 義理母と母は、ほぼ同程度の認知症レベルだと思っていた。
 しかし、ここにきて、母が俄然リードしている感がある。

 二人とも、同じように一人暮らしを頑張っていてくれている。
 二人とも、自分の家がいいというから。

 認知症レースを走り始めてしまった母の姿をみて、しみじみ、もう、本当にしみじみ、こだわらない生き方を骨の髄の髄まで染み渡らせたいと切に願う。

 こだわりは、認知症になった時、厄介で大変なお荷物となる。

母のこだわりは、畑の草取りと家のふき掃除、そして、灯油のコンロで料理をするの三つ。それに、厄介な車がないと買い物に行けないということが加わる。
 生き方のこだわりは、40代とか50代、60代の女性雑誌では、美学として取り上げられている感がある。
 なんだか、何かにこだわって生きている女性ってカッコイイ・・・みたいな。

 ところが、どっこい、認知症レースのスタートを切ってしまったら、生き方のこだわりは執着に豹変する。
 こだわりがあればあるほど、頑固になる。
 融通が利かない。

 その時の最善の生き方に方向転換してもらえない。
 
 草取りのし過ぎで、右手ばかり使いすぎて、右股関節の手術をするはめになったのに、相変わらず、母の人生の大半は草取りである。
 拭き掃除へのこだわりが、先日の、四男の鉛筆削りの削りカス事件のようなことになってしまった。
 灯油のコンロでの料理は、常に火事の心配の種となる。
 そして、運転免許。

 加山雄三さんも免許証を返納するとのこと。

 思うに、80歳を過ぎて、免許証を返納するという決心を下せる人って、認知レベルの高い人じゃないだろうか。
 自分を客観的にみる力がきちんとある。
 母みたいに、私は大丈夫と言って、しがみつく人ほど、実は、認知能力が低くなっている証拠だと思う。
 つまり、認知症がひどくなればなるほど、免許証を返そうとしなくなる。自分は大丈夫だという認知の歪みががどんどん強固になっていき、自分を客観視できなくなる。
 こだわりの海の中に埋没していく。

 最近の売れている本のタイトルに、ケーキを切れない非行少年というタイトルの本がある。
 彼らに、ケーキとみなした円を三等分にして・・と言って、丸い円に線を引いてもらうのだけれど、三等分できない。半分と1/4と1/4みたいな・・・。でも、本人は三等分したつもり。

 脳の中で、見たものをそのままインプットする力が弱っているのか、再現する力が弱っているのか・・・。

 3か月ほど前に、母に五角形と台形が重なっている絵を見せて、同じように書いてみてと言って書いてもらったことがある。少し、時間を要したけれど、その通りに書けてほっとした。目に映った映像をその通りに再現する力はありそうだ。
 だとすると、記憶が消滅しかかっっているということが、こだわりを増幅させるのだろうか。
 最近は、今日、ご飯を食べたかどうかがわからないと言い出している。今しがたの記憶がかなり低下している。否、ほとんどないかも。
 そんな状態に、もし、自分がなったら、こだわってきたことだけでにしがみついて、どうにか平静を保つしかないのかもしれない。
 こだわりだけで生きている?
 
こだわりという記憶だけで生きている?
 母を見ていると、そんな気がしてくる。
 今しがたの記憶がすぐに消えていく中、過去の記憶、その中でも、自分が強く思っていたことの記憶をつなぎ合わせて、どうにか生きているというような感じがする。

 今しがたの記憶でも、自分がこだわってきたことに関することは、割と記憶に残りやすいかなとも思う。
 母の場合は、お金のことと草取り。

 というか、先週、こだわりの記憶は、そこに妄想が加わり増幅されるという体験をした。
 母の認知症が一歩進んだのだろう。
 
 あ~、ここまで来たか・・・。

今は、もう、解約した自然食品のお店。母が認知症になってしまったので。
 でも、だし醤油などの商品が残っている。
 その商品を時々、私は購入している。
 ただ、その時に、小銭をもっていなかったりした場合、ポストイットに〇月〇日〇〇円〇〇子借りました。と私の書跡で記載して、机の上に貼っておく。次回、母にお金を支払ったら、そのポストイットを破棄する。
 母は、お金の貸し借りにはこだわりが強いので、覚えているタイプ。
 先日、実家に様子を見に行ったら、帰り際に、メモを取り出して、このお金を返してもらっていないと言い出した。
 私の筆跡で書かれた、日付・品物名・金額などの隣に、母の筆跡で、5万円貸したと書いてあるメモをおもむろに私に見せてきた。
 そして、5万円を返してほしいと訴えてきた。

 そんな高額、借りた覚えがない。

 しかし、母は、譲らない。
 もし、仮に、そんな高額のお金を借りたとすれば、メモの隅っこに、日付や私の筆跡なしで書くはずがない。

 だいたい、この春から、妹が母の通帳を管理していて、母はいつも、お金がないとぼやいていて、貸せるわけがない状況である。

 母のこだわりと空想の世界と現実の世界が、きっと、ごちゃ混ぜになってしまっているのだろう。

 認知症が、また、一歩進んでいるのかな?
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どんな問題も問題を創ったのと同じ意識をもってしては解けない

2019年08月25日 | エッセー
 アインシュタインの名言のひとつ。
 
 慢性化した病気は、まさに、そうだ。
 高血圧や糖尿病、心筋梗塞や脳卒中など。
 もちろん、体質的にというか、遺伝的に、なりやすい病気ってある。
 でも、高血圧や糖尿病などの病気は、薄味でバランスの取れた食事をしていれば、ある程度防げる病気である。と言いつつも、実は、ストレスが結構大きい誘因で、というか、ストレスが一番の原因かもしれないけれど・・・。
 
 慢性の病気になった時、特に、生活習慣病と言われるような病気になったら、まず、その習慣を変えない限りはよくはならない。食事・運動・休養の三つを変えることが大前提。そこをしないでお薬だけ飲んでも、回復には向かわない。だって、生活習慣という病だもの。

 甘いものが大好きだった人は、まず、甘いものを控えないといけない。
 塩辛いものが好きだった人は、塩分を控えないといけない。
 たくさん食べすぎていた人は、量を控えないといけない。
 食べる時間が遅かった人は、寝る前3時間食べない・・・。
 アルコールを飲みすぎている人は、一晩で肝臓がアルコールを分解しきる量、多くても焼酎1合くらい・・・に抑える必要がある。
 そうは言っても、仕事から帰ってくるのが夜の11時で無理という人は、夕方6時におにぎり1個だけ、職場で食べて、おうちに帰ってから、野菜とお肉を食べるといい。
 早食いの人は、ゆっくり食べなさいと言われても、難しいので、まず、野菜をたっぷり食べてから、炭水化物を食べるようにする・・・とゆっくり食べたことと同じ効果がある。



などなど。

 つまり、人間、病気になったら、体は『自分に自分で、今までと違う生活習慣にチャレンジすることを宣言して、行動を変える』ことを望んでいるはことを病気という形で心にメッセージを送る。
 しかし、心はきまぐれで、ついつい  という欲求に任せた生活習慣はそう簡単には変えられない。

 そう。そう簡単には習慣って変えられない。

 多くの人は、習慣を変えるという選択をしなきゃと思いつつ、ついつい を選択し、とりあえず、お薬や手術でごまかしながら、生きていく。

 そして、どうにもならない状況が目前に迫った時に、やっと、習慣を変えるという決断をする。それでも、できない人も多い。
 メタボや塩分が原因で全身の血管がもろく硬くなった結果、腎臓の血管がやられて、透析寸前という宣告を受けた時、気合の入る人は多いなと思う。

 そうまでしないと、人間の意識って変われない。
 気合が入るという意識の変化こそ、病気が本物の回復に向かうターニングポイントといえる。

 私の場合、右股関節の疼きがそうであった。
 これも、生活習慣のなれの果ての姿だった。
 40代初めの頃より、時々、右股関節が疼くことがあった。
 元々、身体が右のほうに捻じれているという感覚があって、整体にも10回以上通ったけれど、まっすぐ気持ちよく立っているという感覚はその日限りで、すぐ元に戻るので諦めた。先生曰く、筋力がないからすぐに元に戻る。筋力をつけなさい。
 なぜ、右に捻じれたのかという原因もわかっていた。
 片噛みのせい。
 30代半ばの頃、矯正の歯医者さんの講演会を聞いて、愕然とした。
 気づけば、右でしか噛んでいない。おそらく、10代の頃から。20年余り、ず~~っと、右でしか噛んでいなかった。
 中学生の頃、左上の奥歯の神経を抜く治療をした歯医者さんが、夜逃げした。なんと、歯医者の免許を持っていなかったというではないか。
 そんな歯医者さんで神経を抜いてしまったのだけれど、きれいに抜けてなくて、腐っていて、その後、根治治療に10年以上否、20年くらいかかった。治療しても、しばらくすると疼くことの繰り返しだった。なので、自然と右でしか噛まなくなっていた。
 その結果、身体は右に捻じれていった。
 長い年月をかけて、しっかり右に捻じれた私の脊椎は、容易に元に戻るわけがない。
 そうこうしていううちに、40代に突入。
 できるだけ左で噛むようにしていたけれど、老化やストレスにより内臓も張りがなくなって歪みの出やすいお年頃を迎え、とうとう、右股関節の疼きや痛みが出るようになった。

 50歳で胃を2/3切った。
 このことも内臓が減った分、歪みが生じやすくなったのだと思う。
 胃を切って3年目の春に、とうとう、右股関節の痛みでトイレまでも這っていかないといけなくなった。
 激痛は数日で治まったけれど、常に疼く。夜、疼いて眠れない日も出てきた。
 やばい。
 人工股関節の手術なんてしたくない。

 ところで、40代に入って、運動しなきゃなぁ。ウォーキングしたいなぁ~。って思い始めてはいた私。
 でも、子育てと仕事と家事でどこにも隙間時間がないって思いこんでいて、ついつい10年以上の月日が流れてしまっていた。
 時間はないのではなく、作るもの・・・と誰かにアドバイスされたけれど、いえいえ、ほんのちょっとだけでもいいから、ぼ~っとしたいを選択して、時間がないと思い込んでいた。


しかし、人工股関節の手術の可能性が現実味を帯びてきたとき、私の危機管理能力が目覚めた。
 夕方、6時半に帰宅し、30分で夕食を作り、7時からスロージョギングを30分。
 やった~という満足感に浸りながらの少し遅くなった夕食を、録画したビデオをゆったり見ながらいただく。
 股関節の痛みは、激減した。
 そして、思わぬ副産物として、顔のシミがうすく半分に減った。
 足がつることもなくなった。以前は、夜に一度つり始めたら、1時間くらい繰り返しつることがあって大変な思いをしたことがるけれど、いま、いっさいない。
 早朝の全身のこわばりもなくなった。
 足の筋肉と足の血管の筋肉も鍛えられ、下肢の血流が改善されたせいだと思う。

 そして、なんといっても、全身の病的なレベルのだるさがなくなった。
 毎日、足を引きづるようなしんどい思いで仕事に行っていたのが、うそのよう。
 元気はつらつ・・・なんて今もわからないけれど、今は、だるさがない分、幸せだ。


 深刻な問題は、神様からのメッセージかもしれない。
 問題が起こった時に、今までと同じような意識で今までと同じような習慣でいても上向きにはならない。

 人生を左右するような問題が起こった時、もし、よくなりたいのなら、今までと違う行動をする自分になるしか道はない。
 だって、今までの自分の日々の積み重ねのせいで、問題が発生してしまったのだから。

 あ~だ、こ~だと悩まず、とにかく、昨日と違う自分を選択して行動するっきゃないのだ。
 悩んでも、行動が変わっていないなら、悩み損。かえって、ストレスで悪化するかも。
 改善した人の例という情報を集め、その中から、自分ができそうなことを、自分が続けられそうなことをチョイスして、宣言して、継続する。

 生活習慣病という病気になったら、当たり前のことだけど、生活を変えなきゃ。薬だけ飲んでよくなるはずがない。
 薬は、血管そのものを健康にはしてくれない。

 今、現在、15歳の四男は不登校継続中。

 まぁ、なかなかの問題だ。

 親としては、行きたくないのに無理して学校に行かせようとは思ってはいない。
 ただ、彼が、彼の人生を生きてほしいと願う。

 彼は、知ってか知らずか、学校に無理していく   という意識から、無理していかないという意識に変えた。
 もし、それでも頑張って学校に行っていたとしたら、学校病という病気にかかっていただろう。
 私が思う学校病って、何だろう。
 自分の本当の気持ちを無意識に封じ込めて、一見、楽しそうに生きる病気?
 親の前と子どもたちの前で平気で言葉と表情を使い分ける先生という裏表人間に疑問も持たないという病気?
 ほぼやりたくもない宿題、ほぼ楽しくもない勉強も、将来のために、あるいは、友達よりもいい成績でいたいために、あるいは、誰かに褒められることのために、何年間もずっと、やっちゃえるという病気?

 彼は、意識を変えた。
 
 

 だから、私も意識を変える。
 私が、彼の人生のお手本になれるよう。
 『お母さんみたいな大人になりたいなぁ。』と思ってもらえるように。
 今のところ、まだまだ・・・も全然・・・。

 私が、ほんの少し、トーン高めな声を発しただけで、気分が悪くなるそう。
 いつも、常に、何が起ころうとも、穏やかな心境でいる。
 見せかけの穏やかさは、すぐに見破られる。


 起こる全てのことに、慌てない。想定内だと実感できる力と、例え、想定外でも、好奇心をもって対処できる力を、意識を変えることで身に着けたい。

 いやはや、たいした意識じゃわい。

 私の母は、すでに、認知症に突入してしまった。
 だから、もう、諦めた。
 母は、ずっと、問題が起こると、ただ、悩むだけで、何も生活を変えようとしない人だった。

悩んで悩んで心配して、そして、何もしない人だった。
 だから、母から、人生の助言をしてもらおうと思ったこともない。
 心配するだけだから。

 母を見ていて、こだわらない生き方をしたいなとしみじみ。
 反面教師だ。
 こだわりが強いと、何か問題が起こった時に、意識を変えることが困難に近い。
 本気で問題を解決する気があるの?って本気で疑問に思う。
 
 

 

 

 


 




 

 
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怒らない人の頭の中を読んで

2019年08月04日 | エッセー
 『怒らない人の頭の中』を読んだ。

 この本によると、例えば、待ち合わせの時間に相手が遅れた時、「1分も待てないで怒る人」は年収300万の人で、「内心、イライラはするけれど、気持ちをコントロールしていつも通りに接する人」は、人年収1,000万の人、そして、「大丈夫かな?事故などに遭遇していないかな?と心配したり、また、待っている時間を楽しく使える人」は年収1億の人に多いのだそう。
 筆者が、年収1億稼ぐ人で、筆者の周りの1億円プレーヤーには想定内だけでなく、想定外のことが起こっても楽しめるユーモアのセンスのある人が多いという。待ち合わせの時間に遅れるということは、1億円稼ぐタイプの人にとっては、十分想定内。しかし、キレる人にとっては、信じられないくらいの想定外。相手が自分の期待通りにならないとパニックになりやすい。こうあるべきだという料簡の狭い世界で生きている。1,000万の人は、内心は腹が立っても、そこは大人な対応で、自分の怒りをコントロールできる。でも、怒ってはいる。怒りの感情はしっかりある。しかし、1億円の人は、怒りに感情がちっとも湧かない。

 私も、叶うなら、1億円稼ぎたいので、息子のいろいろもユーモアで返したい。しかし、息子とのやりとりで、彼の言い分が、私にとってはわがままにしか映らないようなときには、「ここで怒っちゃだめだ!務めて冷静に・・・と思いながら、言葉にするので、結果としては、やや怒りの感情の残差が残っていて、彼は、怒っていると察知して、心を閉ざす。1億円レベルって、半端ない難易度だ。


 腹が立つのは、相手が自分の思い通りにならない、期待通りにならない時。
 つまり、相手を期待通りにしたい、支配したい、コントロールしたいとう自己中心的な感情のなせるわざ。
 怒っている人って、自己チューな人。

 そういえば、怒る人って、人前で怒る。
 相手のことをおもんばかる余裕がないからなのだと思うけれど、
 相手に恥をかかせる。
 全然、優しくない人だ。

 あれは、なんでだろう?

 自分は正しい、あなたは間違っているという、自分の価値観という正義の中で確実100%のランプが点滅した時に、人前でも堂々と怒れるんだろうか。

 実は、今、私が、怒るのではなく、逆で、人前で一回り以上年下の後輩に怒りをぶちまけられて(仕事で)、私の心が穏やかでいられないことに、1億円のこの著者にお聞きしたいというような状況が生じている。
 穏やかでないというのは、怒っているのではなく、その反対。

 私の仕事のやり方に、これほどまでに憤慨するのならば、仕事のやり方を変える必要があるかなぁと思っているのだけれど、怒った相手の気持ちもわからないでもないけれど、ユーモアとか楽しいの気持ちには全然なれない。胃のあたりがず~んと悩ましい。

 彼女が、憤慨して意見を述べた時、私もどうにかしようと考えていたことなので、「じゃぁ、〇〇してみようか?」と妥協案というか改善案を出したのだけれど、もっと、憤慨させてしまった感がある。
 今、思えば、憤慨している人にとっては、するかしないか、白か黒か、〇か✖かしかないのに、グレーの回答をした私に一段と腹が立ったのだろう。
 一つ、学んだ。
 キレている人、怒っている人、沸騰している人とは、まともな会話はできないんだなぁと。
 だって、自分が100%正しいのだから。

 さぁ、1億円プレーヤーなら、どうする?

 ユーモアや楽しくなんて、今の私には難易度が高いけれど、この災難をチャンスにして、今よりも高い山の頂上から、同じ景色を見て、心が苛まれないようになりたい。
 私は、怒る人による怒りが私の胃に届かないようになりたい。

 今まで、この性格のせいで、胃を切る羽目になったのだと思うから。
 私は、私の胃をこれ以上傷つけないためにも、怒りの攻撃すら、余裕でかわせる人間にならねば。

 相手は、しないという選択を私に要求してきた。
 それは、いやだ。
 
 そもそも、1億円プレーヤーは、こんな料簡の狭い空間にはいないのかもなぁ。

 
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乾燥貯金の億万長者 慢性かぶれくん

2019年08月03日 | エッセー
 およそ2年。
 何が2年か・・・というと、皮膚科通いが2年。
 そして、この春から一時離脱できています。

 やったー!

 2年前の春先から、なとなく、口の周りと目の周りの皮膚がパサパサ鱗のように。時に、赤く腫れぼったい。
 何が原因なのかなぁ?と思いながらも、ときどき、マスクをしたりして仕事に行っていた。
 ちっともよくるならない。
 かといって、悪化することもないので、ギリ、皮膚科受診まではしなかった。

 うっすらと、猫を飼い始めた時期と重なっているような気がしないでもなかった。猫アレルギー?
 しかし、猫を追い出すわけにはいかない。
 そんなこんなで、ずるずると半年が過ぎようとしていた。

 そして、ついに、衝撃の朝がやってきた。
 11月初旬、熱は出ないけれど、寝込むほどの風邪?をひいた(最近、熱が出ない。それもこれも老化により、免疫が熱さえも出す力がなくなったせい?)寝床でうんうん唸って一晩過ごす。そして、翌朝、鏡を見て、自分のひどい顔に青ざめた。
 口の周りの鱗が半端ではない。
 見るのもオゾマシイ。
 お化けかい?


 どうにか小康状態だった私の口周りの皮膚たち。しかし、私の免疫が風邪対策に奪われたために、口周りの炎症を抑える方にまで余力がなくなり、一気に悪化したのだと思った。


地元で有名な皮膚科は順番を取るのも大変で、待ち時間も超長~い。
 

 慌てて、とりあえず、かかりつけの内科医に。

 そこで、お薬を初めてつけた。
 しかし、1週間たっても、2週間たっても、よくならない。
 ずっと、マスクをして隠していたけれど、こりゃ、やばいと本気モードになった。

 ついに皮膚科を受診した。


 この皮膚科、地元ではかなりの人気で、とにかく多い。朝、7時に予約簿に予約するための列がすでにできている。50人は待っている。朝、6時から予約のために1時間待つ人もいる。朝、9時ごろに予約をしに行って、夕方最後の方に記入したら、診察が終わるのはだいたい20時30分。夕方18時までには行かないといけないので、大変。
 そんなこともあって、ついつい皮膚科受診を伸ばしてしまっていた。
 しかし、もう、限界。
 逆に、こんなオゾマシイ顔は、できれば避けたいできればステロイド軟膏しか助かる方法はないだろうと。
 残念。
 どうにか、自分自身の自然治癒力の力にかけたかったけれど・・・。
 ここまで、こじらせたら、無理かー。

 そして、先生のお叱りの言葉を受ける身に。

 まぁーーーーー。どうして、ここまで・・・。
 今となっては、原因はわかりません。
 ただ、今の皮膚の状態は、慢性のかぶれです。

 とにもかくにも、乾燥がかぶれには一番いけません。
 どんな肌の手入れをやってきたんですか?
 ステロイドで一時押えて、ポロぺトで保湿しますね。それと、乾燥しないようローションも処方しますから。
それにしても、よくここまでほっときましたね。

 そうか。かぶれには、乾燥がよくないんだ・・ということを初めて知った。


 最近、アトピーのお子さんにも、プロペトずくし。
 アトピーのお子さんは、肌が乾燥肌で、乾燥が一番いけないということで、お風呂上りのローションが欠かせない。

 皮膚病って、原因の治療もさることながら、結果、乾燥肌になってしまったら、まず、何はさておいて、乾燥に対するケアが最優先の治療となるんだ・・・と、自分の皮膚病に対する認識の甘さに愕然とした。無知とはこわい。

 子どもたちの大学入学に伴い、それまで、わりとお値段のする自然化粧品を使っていた。もともと、くすんでそばかすのあるイケてない肌だったので、50歳になった時に、そこそこいい感じだったらいいなという思いで、少々高くても何とかだがんばって使っっていた。でも、大学の学費がド~ンとのしかかってくる頃から、化粧品の維持費が立ち行かなくなって、出来るだけ、無添加そうな低価格のものを使うようになった。よくよく考えたら、皮膚がおかしくなる少し前から、クリームしか使っていなかったような気がする。

 慢性化しているから、先生もよくなるのにかなりの時間がかかるとおっしゃった。
 というか、よくなるという表現すらされなかった。
 皮膚もこじらしたら大変なんだとしみじみ反省。

 その後、1年4か月、一進一退を繰り返しながら、抗炎症剤のお薬とローションの力で、どうにかこうにか見場が悪くならない程度を維持する日々を送っていた。
 でも、よくなったかなぁと思って、薬を塗らないとしばらくして、口の周りや顔のどこか、あるいは、首筋、手の甲へののどこかが赤くなり、かゆくなるので、のどこか完治への道のりは長いなぁ~とため息。

 そして、今年の2月末、運命の日がやってきた。

私は、大体4か月に1回髪をカットに行く。
 ここ数年、人生で初めて気に入った美容師さんに出会った。それまでは、カットした日だけいい感じ。でも、翌日から苦労する。
 実際は、苦労する時間もないので、苦労はしていないのだけれど、朝、鏡を見るとイマイチな髪にテンションがさがる。

 しかし、この美容師さんに出会ってから、ルンルン。
 私の髪質に合わせて、かっこよくカットをしてくれるので、朝、髪をとかすだけで、テンションも上がる。
 おまけに、賞味期限が長い。
 前髪だけは、時々自分でカットしているけれど、4か月くらいはいい感じをキープ。4か月くらいで、髪が跳ね始めるので、カットに行くって感じ。
 女性であるがゆえに、髪に対する女性の気持ち、忙しい共働きの女性の朝の気持ちがよくわかったうえでのカットの技術がキラリと光る。
 男性の美容師さんは、自分のイメージする髪型をお客さんに重ねようとするタイプが多いような気がする。今までの30年以上の体験から、そう感じる。でも、この美容師さんは、その人の要求に応えながら、なおかつ、その人の好みの髪型に近づけていこうとしてくれた。

 で、2月末。
 いつも、いろいろ話が盛り上がる。

 ふと、うろこ状の慢性かぶれの話になった。
 お医者さんから、乾燥している、どんな肌の手入れをしてきたの?と怒られたんです。何かいい方法ないですか?
 と、聞いてみた。
 この美容室には、化粧品も置いてあるようだったので。そして、私自身が、この美容師さんは、手を抜かず、より良きものを目指していらっしゃるプロだという信頼があったから。

 あのね。歳を取ってくると、一層、お肌は乾燥してくるの。
 とにかく、水分がぜんぜん足りていない。
 だから、とにもかくにも、化粧水をもちもちとした触感になるまで、何回もシュッシュして、何分もパタパタし続けるの。
 最初は、今まで、そんなことを全然していないから、いっぱい化粧水を使っちゃうかもしれないけれど、最初だけだから。毎日、もちもちするまでパタパタするの。3~5回シュッシュして。私は、テレビ見ながら、顔を上げて、目パッチリを意識しながら、やっている。
 化粧水が命。水分を含んでいない肌に、いくらオイルやクリームを塗っても肌に浸透していかないから、意味がないの。とりあえず、化粧水は安い物でもかまわないから、ばんばん使っちゃって。もっちもちになったら、オイルを塗ってね。

 げ~~~。
 知らなかった。
 最近の私は、クリームをチャチャっと塗って、おわり・・・だった。
 水分なんて、ちっともない。どこにもない。乾燥がっちがちのとんでもないお肌だった。ひょえ~~~~~~~~。

 CMで潤い肌というフレーズは、耳にするけれど、ただ、使えばいいというのではないんだ。塗れば潤うと思っていた。

 皮膚科に通いだして1年以上たつのに、旧態依然な肌に、やや危機感を感じ始めていた私は、その美容師さんが販売しているという化粧水を即購入。
 3000円なり。
 思っていたより安価だった。もっと、高いのかと覚悟していたから。ドモホルンリンクルから独立した方がもう少し、安くてよい商品を届けたいということでできた化粧品メーカーだという。、皮膚科でも、1か月でそれくらい支払っている。
 半端ない乾燥肌になっているので、毎晩、もっちもちになるまでパタパタしていたら、すぐなくなるかなと冷や冷やしていたけれど、3か月もった。
 1か月1000円。
  
 お値段もさることながら、丁度、季節も夏に向かっていくという時期も手伝ってか、お肌の状態は日増しに改善していった。パタパタし始めて1週間で、口の周りが鱗みたいになることがなくなった。目の周りの赤く腫れぼったくなる感じもなくなった。ときどき、首筋や手の甲に湿疹が出て、痒みは痒みはあったけれど、顔には出なくなった。3か月くらいは、口の周りが少し赤くはなっていたけれど、もう、ほとんど気にならなくなった。ただ、唇がひりひりするなと感じることはある。今、5か月目。右手の親指と人差し指の間の甲の部分がカサカサして少しかゆいかな・・・。もしかしたら、茶碗を素手でお湯で洗っているので、一番お湯があたる場所だからかな?ゴム手袋をはめた方がいいかな?と思っているところ。

 冬の乾燥で、どうなるかなと少し、心配だけれど、90%治った。

 皮膚科で、湿疹が出たら、この薬を塗りなさい。ステロイドではないから。と言われて、皮膚科でいただいた抗炎症剤の塗ぐするとローションをただ塗っていた。
 これ、一生続くのかな?と不安になっていた。

 それが、この美容師さんと出会ったことで、見事に改善した。
 運命に感謝。

 改善したどころか、これから先の老い朽ち果てていく人生の最後に向かって、すくなくとも、乾燥肌による顔の悩みに見舞われるという事態にはならなくて済んだ。
 お肌は、本当に、七難隠す。

 その美容師さんから、朝のお肌の手入れについてもアドバイスを受けた。

 朝は、どうしているの?と聞かれて、
 やや自慢げに、熱いお湯で絞った蒸しタオルを顔に当てているんです・・・と、答えた。洗うわけでもないし、黒木瞳さんもそうやっているし・・・とやや得意げにそう言ったら、一刀両断。
 熱い蒸しタオルは、お肌をどんどん乾燥させるから、NGよ。
そして、
 朝もね、手に水をつけて、目やにとかとるくらいな気持ちで、目の周りをチャチャっとやっちゃうくらいで十分。何も塗っていないんだから。
 夜もね、女優さんならともかく、厚化粧じゃないんだから、石鹸洗顔で十分。目の周りはアイシャドウとか使っているから、マッサージクリームを塗って軽くふき取った方がいいけれど、顔全体をふき取ろうとすると乾燥が進んじゃう。

 お~~~~。なんと手抜きな。
 私の好みじゃん。時短・安価・効果大 なときに、私の心が動く。そして、行動化する。


 正直、こんなに速攻で効果が出るなんて期待していなかった。
 その美容師さんのアドバイス通りに初めて1週間で、私の口の周りのうろこと目の周りの腫れがほとんど消失した。同じ美容師さんのところに行っている同僚も気づいた。

 すごい。

 今、助言通りにして4か月。今までは、薬を塗ってよくなったかなぁとなって、薬を塗らなくなるとぶり返すことを繰り返していた。
 しかし、今のところ、目の腫れも口の周りの鱗や腫れも95%出ない。夏にマスクなんてこともしなくてすんでいる。
 唇がやや炎症気味かな?ピリピリ少し。

 ほぼ完治だ。

 あとは、冬。

 この美容師さんで購入した3000円の化粧水は、初回で3か月もった。
 はじめのうちは、今までの乾燥貯金をゼロにするために、もちもちするまで化粧水をジャンジャカ使ってね。出し惜しみしてはいけないよ。と言われていたので、覚悟していたのだけれど、全然、大丈夫だった。


ここ1週間、右手の親指と人差し指の間のところが、かぶれてきた。赤くパサパサした感じで、少しかゆい。いつも素手でお湯でお茶碗を洗っている。一番お湯があたる部位がそこだ。先週は、冷蔵庫や部屋のお掃除を少し頑張った。ぞうきんがけをしたし・・。
 きっと、水お湯の使い過ぎで、乾燥が激しくて、おまけにお手入れもしていなかったので、かぶれてしまった。
 このくらいになると、皮膚科からもらったお薬でないと効かないかな?と思いつつ、いや、化粧水パタパタ作戦でチャレンジしてみようと思い立った。
 
 顔のパタパタもちもちの後に、指の間にも化粧水を。
 これが、びっくり。
 5回以上、化粧水をつけてパタパタを繰り返して、やっと、潤いが出てきたって感じ。
 一度、かぶれた肌って、相当乾燥しているんだなぁ~としみじみ。
 最後に、馬の油を塗った。

 今、三日目。
 薬を塗らなくても、赤みが消え、ちらっと痒みを感じるけれど、ひとまず、炎症は引いたかな。お肌も少し潤ってきた。
 
 ゴム手袋も買って、お茶碗を洗おう!

 もし、これで治ったら、朗報だ。

 職場に、アレルギーで顔や首、手などほぼ全身が、私の右手の親指と人差し指の付け根のような鮫肌で赤身のあるかぶれ状態の男の子がいる。痒くて夜眠れない日々も多いという。九州で一番の病院にかかっているようだけれど、治癒の方向に向かっているようには見えない。

 最近は、赤ちゃんの時代から保湿保湿とうるさくなったなぁ~と感じていたけれど、今ならわかる。
 先手必勝作戦だ。
 皮膚は水分さえあれば、悪化しないと。
 生まれた赤ちゃんの皮膚が、ちょこっとでもカサカサ乾燥肌だと思ったら、積極的に保湿に力を入れるって、後々の苦労に比べたら、全然苦労じゃない。

 私の右手の親指と人差し指の間のかぶれがゴム手袋と化粧水で治ったら、彼に勧めてみようと思っている。
 よくなるといいなぁ~。





 
 歳を取ると、お肌だけでなく、身体全身が乾燥していく。内臓も。それを老化というと聞いたことがある。水道水などは、塩素が入っていて身体に浸透していかないから、いくら飲んでも潤わない。いい水を飲みましょう・・・という。いい水って、どんな水だったかなぁ?

  

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激レアさん 極道に怯まないホテルの支配人女性

2019年06月29日 | エッセー
 たまに見る番組。
 深夜なので。ゴールデンでやってほしい。
 先日もたまたま見ていたら、すごい女性が登場。


新宿歌舞伎町という不夜城で、ホテルの支配人を任された50代?の女性・・・が凄かった。
 リスペクトの極みとしか言いようがない。

 なんとそのホテル、全国の組長が50人集うという会合が催されるというホテル。もちろん、泊まる客は極道の方たちばかり。
 それを何とかしようと任されたのが、その女性。
 極道関係の方は宿泊できませんという旗を振って、支配人になられた。
 もう、それだけで、恐ろしい。
 夜もおちおち眠れないんじゃないだろうか。

 極道に対して一切怯まないその心意気に衝撃を受けた。

 ある日、極道さんがフロントで、『泊まらせろ!なんで泊まらせないのだ!』と吠えまくっていた。
 そこへ、支配人であるその女性が対応することになる。
 『このホテルには、極道の方は泊まらせないということになっておりますので、お引き取りください。』

 さぁ、どうなった?

 その極道は、怒りが沸騰し始める。
 『なにを~。泊まらせないとは何ごとだ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄!!』と一発。

 支配人の女性は、うずくまる。

 それでも、『このホテルのは泊まらせられません。』

 さらに、その極道の怒りの沸騰は頂点へと昇り詰める。ば~~~~ん!!!!と一発。

 また、倒れこむ。

 それでも、支配人、やっとの思いで立ち上がり『このホテルには泊まらせることはできません。』と。

 『何をーーーーーーー!!!!!!!!』と怒りの頂点に達した極道さんは、さらに、一発!

 ついに、支配人、吹っ飛んだ。

 それでも、やっとの思いではいつくばって立ち上がり『お客様をこのホテルに泊めることはできません。』と。

 そして、ついに、その極道さんはあきらめて、帰っていった・・・。

 きっと   ではなく、絶対に私はできない。
 というか、まず、そんなホテルの支配人なんて引き受けない。
 というか、ホテルの支配人というようなリーダーになる器がない。残念ながら・・・。

 後日談として、この事件の後、病院に行ったら、肋骨が折れていたという。

 しかも、


  全部。 




 とある日、

 男性の宿泊客が、チェックアウトの時間を過ぎてもなかなかフロントに来られない。

 そこで、支配人が客室に伺うと、日本刀を手にした男性が、何を~~~~という感じで、帰ろうとしてくれない。お話にならない。日本刀は振り回す。

 しまいには、廊下に出て 「お帰りください。」とお願いする支配人と「何くそ~~!」とキレまくる日本刀を振りかざした男が、まさに一触即発な物々しい雰囲気に。

 それでも、頑として引き下がらない女支配人。
 逃げない。
 怯まない。
 動じない。

 ありえない。

 だって、日本刀を振り回されるって状況は、半端ない緊張感。
 真剣勝負っていうくらいだから。

 というか、女支配人は、真剣を持っていないし、使いこなせないし・・・。

 そこで、
 
 「お前は、どうして、引き下がらない!おかしいぞ!!」とまくしたてる日本刀男に対して、

 女支配人は




 「私は、人間を信じています。」





と男の眼に直球を投げる。

 何秒が過ぎただろうか。

 その男、ついに降参。



チェックアウトをしてすたすたと帰路に就いたという。

 日本刀を持ち歩くような輩なのだから、キレキャラが半端ないはず。いったん怒りのスイッチが入ったら、このような人は犯罪レベルまで行動が急上昇してしまう可能性がめっちゃある。そして、何よりも、スイッチが入ったら、冷静になれないし、感情のコントロールも不可能の域に達するはず。相手の言い分なんてどこ吹く風だ。

 この世で一番怖いのは、キレた人間が武器を持っているという状況。

 キレキャラ × キレナイフ

 そんな、しかも、切れ味が半端ない日本刀を持ってる極道の男を目の前にして、どこに逃げない人がいるだろうか。
 100人中100人が、逃げる。

 ありえない。

 怯まないなんて。

 こんな状況で、「私は、人間を信じています。」と言い切れるこの女性って、何者?

 日本刀男を目の前にして、そのセリフは死をも覚悟しての、ある種、賭けに出た発言なのか?はたまた、本当に、人間を信じているというある種、神の領域まで達した心眼の持ち主なのか・・・。彼女の人生遍歴を知ごまかさないりたい。

 心の健康度をみるにあたって、

 例えば、子どもが病気になった時、でも、自分にどうしてもはずせない用事があった場合、気軽に頼める友人はいますか?という問いに「はい」があるかないか。

 ないなぁ~ってがっくり。

 もう、そこから、「私は人間を信じています。」の世界から遠ざかる。


女支配人の人生を知りたい。
 激レアさんの番組ではそこまで追求してくれなかった。
 
 おそらく、彼女は一ミリたりとも、日本刀男の刀を恐れる気持ちはなかったのだと想像する。もし、ほんのわずかでも、怖いという気持ちが存在すれば、日本刀男はその不安を見逃すわけがない。彼女の言葉とハートが一致していると、ごまかしていないと察知したからこそ、刀をひっこめた。

 女支配人のぶれない精神はどのように培われていったのだろう。
 わたしなんて、ぶれてばかり。
 子どもを4人育てさせていただいて、夫にも父親にもなる気のない夫の存在により、自分の気持ちをごまかさないことこそ、愛に近づくということに、最近、やっと、気づき始めた私にとって、女支配人のごまかさないレベルは富士山クラスで、否、宇宙クラスで衝撃的だった。
 そう。自分の気持ちを偽って、イエスマンしていた。

 しかし、女支配人は、全く違う生きざまを見せてくれた。

 ごまかさないという愛が溢れる家庭で育ったのだろうか。

 今日、TSUTAYAで、ライヤーライヤーというDVDを借りてきた。あのイエスマンでも主役だったジム・キャリーが主演の映画。真実だけを語っていったらとんでもないことになっていくというコメディ。楽しみ。


私は、極道と言われる方とのお付き合いがないので、何も言えない。
 ただ、おそらく、極道という場所で、やっと、自分の居場所を見つけた人というような人達は、人の発するマイナスのオーラに敏感なのではないだろうか。不信感を抱くような負の感情・・・・攻撃的だとか差別的とか嘘をついているとか偽善的とか・・・。
 きっと、この女支配人の「私は、人間を信じています。」という言葉には、嘘はないと見抜いた。

 「あなたを信じています。」とウソ偽りのない言葉をぶつけられてごらん。

 きっと、愛しか感じないだろう。

 日本刀男は、今まで体験したことのないような『愛』で一瞬に癒され、刀を鞘に納めた。

 日本刀と愛の真剣勝負で、愛が勝った。愛が本物だったから。

 ありえないから。
 怒りが沸点に達した人は、普通、人の意見に耳を傾けるような理性なんてない。

 でも、その言葉が正真正銘の真実であれば、我に返れるのだろうか。


ずっと、自分の気持ちをごまかして生きてきたと気づいたのが、30代。もはや、生活習慣病の域にあった偽善者病という病に気づいてから27年。ごまかさないを意識して実践してきた私だけれど、上っ面のきれいごとの言葉を並べているなぁって、思うことがよくある。例えば、『人はそれぞれ、自分なりには正しいと思って行動している。その人にとっては正義。でも、別の人にとってはそうではない。だから、自分が正しくて、相手が間違っているというようなスタンスはとらない。』と口では言っている。でも、実際、自分は正しいというスタンスで、私の意見を間違っていると否定してくる人がいると、その人と距離をとろうとする自分がいる。
 自分は正しく、あなたは間違っているという表現をする人に嫌悪感を抱いてしまう。
 『私は、こう思う。こう考える。』という表現をする人のそばにいたい。


 そういえば、『自分は正しく、あなたは間違っている』というスタンスで物言ってくる人は、怒っている。もしくは、優しい表情ではない。険しい顔をしている。
 人が怒るのは、相手が自分の期待通りにならなかった時。
 怒りたいときに、何か怒るきっかけを探していて、ちょうどいい怒る対象がその人の怒る導火線に発火するというシステムらしいので、もしかしたら、自分は正しく相手は間違っているというタイプの人は、怒りが溜ままりやすいしんどい人、八つ当たりをせずにはいられない人なのかもしれない。

 そこまで、こみでわかっていても、そんな八つ当たり人間を包み込むほどの人間性は私にはない。傷つき萎える。



 だから、

 私の言葉は、女支配人さんに比べたら、随分、うすっぺらい。


 そうなんだ。
 今、気づいた。
 私は、うすっぺらい人間なんだ。
 心の奥底から溢れ出てくる言葉に遭遇する頻度の少ない人間。


 だから、神様は、しんどい試練を性懲りもなくプレゼント攻撃してくださるのだろうか。

 女支配人さんの生い立ちがますます知りたい。

 

 

 

 
 
 






                                       
                                       

 

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生きて行ける力の源

2019年05月25日 | エッセー
 先日、何気にテレビを見ていたら、沖縄のどこかの島の空港で、お葬式に帰る予定の20歳前後の青年が、旅券の入っていたバッグを失くして、途方に暮れていたときに、名前も言わずに6万円を差し出してくれたその男性を探すために、新聞広告を出した…という内容のニュースをやっていた。
 6万円を差し出してくれた男性はお医者さんで、やはり、お金持ちか・・・というレッテルを貼ってしまった意地汚い私。
 私は、名前も名乗らず、6万円を差し出すことはできないだろう。悲しいなぁ・・・。
 このニュース、6万円を差し出したことに感動した・・・・ということではない。
 6万円を差し出してくれた男性を探すために、わざわざ、新聞広告を出すという青年もすごいけれど、そこが、感動のナンバー1ではない。
 その新聞広告を見たという男性のお医者さんが、新聞広告まで出して、お礼を言いたかったというそのことに、涙が出るほどうれしかったとおっしゃっていたことに、じ~~~んときた。

 人間って、きっと、そういう生き物だと思う。

 そのお医者さんにとって、6万円はそう負担になる金額ではなかったかもしれないけれど、名前も名乗らずに差し出すってことだけで、もう、すばらしい。
 おそらく、困った人を助けることって、きっと、助けた人にエネルギーを与えるはず。
 そこに、とどめの新聞広告。
 そのお医者さんから溢れる涙は、きっと、一生、忘れることのできないかけがえのないエネルギー源となるだろう。人間が人間であることの原点を見させていただいた気がする。

 意外とね。本当に困っている時に、自分の何かを削り取って、分け与えることって、できそうでできないもの。悲しいけれど・・・。 
 

 そのお医者さんはチャンスを掴み取った人。幸せになるというチャンス。

 私も、心がけよう。人を助けるチャンスが来た時、即決で助けるを選ぶことを。だって、一生忘れることのできないほどの至福の喜びをゲットできるはずだから。
 きっと、嫌な目に遭って、人を信じられなくなった時に、もし、お医者さんのような涙が出るほどうれしかった体験が1回でもあれば、生きていける。

 できないから、あえて、宣言する!
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泣いていいのよ

2019年05月25日 | エッセー
 四男が、生まれて実家にいた時に、歌を作った。あれから、14年。世の中の夜泣きやぐずり泣きで途方に暮れる新米ママたちを救世する歌として、世に出したいとずっとしたためたいた。否、途中、かなりの勇気を出して2回ほど世に出すチャレンジをした。
 何分、つても何もないので、恥ずかしながら、一度目のトライは、森山良子さんの声しかありえないという想いから、コンサート会場で、スタッフの方に渡していただきたいとデモのCDを託した。あれは、森山良子さんには届くことすらなかったかなって思う。まぁ、無謀なチャレンジだ。
 2度目のチャレンジは、誰のコンサートだったかなぁ?もう、忘れてしまった。地元であったコンサートだったので、知り合いのスタッフにお願いしたけれど、やはり、音沙汰なし。まぁ、当然と言えば当然の結末といえようが・・・。

 で、しばらくは、その熱も冷めていた。

 でも、また、母子担当になって、なんて、不安いっぱいのママたちが多くなったのだろうと驚いた。
 こんな小さな町で、しかも、わりと、実家の母がそばにいてくれるいい環境にもかかわらず・・・だ。

 こりゃやばい。
 日本全国の相当数の新米ママたちが途方に暮れている。
 私が、訪問などで出会うママの数なんて、たかが知れている。
 おそらく、抱っこ法を基盤とした考え方で、赤ちゃんの泣きに対応している専門家は少ないんじゃないかな。
 お産直後、本当に直後から、赤ちゃんがずっといっしょにママのそばにいれるという産婦人科は少ないと思う。産婦さんに聞くと、『はい、お産後からずっと一緒です。』とおっしゃるけれど、よくよく聞いてみると、直後ではない。一晩経ってからママの元に連れてこられる。
 いろんな理由で、離ればなれにならざるを得ない場合もある。大事なのは、きちんとその理由をママが赤ちゃんの心に届くような気持ちで伝えるという儀式を離れ離れになる前にできるかどうか・・・。

 ほんとうは、ハウツー的な歌は、よろしくない。
 ママと赤ちゃんのやり取りの中で、ママが自分に合った方法を自分なりに見つけていく方が自然。
 でも、今の時代、ネット隆盛。
 ネットの情報に翻弄されるがゆえに、不安も増大している感がある。
 
 そこで、やはり、この歌を世に出したいという想いがムクムクと強くなってきた。
 メロディはないけれど、まずは、1番から。


1、 泣いていいのよ
泣いていいのよ
ママの胸の中で思いっきり
泣いていいのよ
泣いていいのよ
泣くことは心の自然治癒力

おなかの中で、感じたママの喜怒哀楽をリュックに詰めて
この世に生まれてきたわたし
リュックを軽くしたくて 夜泣くの
ママに慰めてもらいながら 泣きたいの
ママの胸の中で泣けたら それが“愛”


2 泣いていいのよ
  泣いていいのよ
  オムツかな オッパイかな 不安なのかな
 泣いていいのよ
  泣いていいのよ
  三つの要求叶えてあげる

  何も言わず ママがいなくなると 不安で胸が張り裂けそう
  ソワソワ ドキドキ バクバク 心の便秘
  ギャン泣きさせてもらえなくて ぐずり泣き
  ママのまなざしに抱かれて ただ 泣きたいの
  ママの胸の中で泣けたら、不安が消えるの

3、 泣いていいのよ
 泣いていいのよ
  泣くしか伝えるすべがないから
  泣いていいのよ
  泣いていいのよ
 泣けるだけ泣けたら深まる絆

  ママは僕の同時通訳 なんで泣くのかわかろうとしてよ
  泣けばすぐにおしゃぶりなんて
  僕はそんなことなんて 望んでいない
  本音がポロリ 目と目合わせ泣きたいの 
  ママの胸の中で泣けたら、それが“絆”

 






 

 
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しんどい登山の効用

2019年05月18日 | エッセー
 一昨日の5月2日、悲願のK岳の頂上に立つことができて、ほんとうに幸せだった。
 3年前は、5合目でダウン。最後は斜面を一歩登っては休み、一歩登っては休み、這うようにしてやっとのことで5合目に辿り着いた。足は動かないし、息苦しくて吐き気すらした。1時間くらい横になって、やっと回復しての下山。
サンダル履きの20代の女性に追い越され、私たちが休憩している間に、なんと下山してきた。
 あの時は、胃を切って3年目で、貧血で、ヘモグロビンが8くらいしかなかった。人の3分の2しか、酸素運搬能力がなかった。酸素が全身に行きわたらないため、呼吸もままならず、足も動いてくれない。 
 死ぬまでに、富士山に登ってみたいという夢は、本当に夢のまた夢だった。

 でも、せめて、K岳は制覇したいという願いは持ち続けていた。
 スロージョギングをほぼ毎日25分やり続けていくうちに、貧血な私も、体力がついてきた感が出てきての今回のチャレンジ。

 5合目直前が、一番の急斜面で、しんどかったけれど、5合目で5分ほど休憩したら、復活して、足も軽くなり、ついに登頂。

 やったー!
 最高!
 悲願の登頂だー。

 なんだろう。
 充足感に満たされている。
 自分の身体への信頼みたいなものが誕生した瞬間だった。
 なんせ、胃を切って7年。いろんな栄養の吸収率は、確実に下がっているうえに、閉経という老化が一気に進む年代となり、おまけに、4年前は右股関節の痛みでトイレまでも行けなくなるという情けない体だった。
 しかし、今年の2月に受けた人間ドックで、ヘモグロビンは10.7まで回復した。右股関節は時たま、疼くことがあるけれど、そんな時はスロージョギングをすると疼きが消えてくれるということが体験からわかってきた。老化の象徴である小指大のシミも濃さも大きさも半分になった。残すは、爪のもげやすさだけ・・・。

 30分ほど、頂上で、天孫降臨の山々の絶景を拝んで、さぁ、下山。

 下山なんて楽勝と甘く見ていた。
 いやはや、膝とふくらはぎへの限界に挑戦するという結構ハードな下山となった。

ちょっとでも、気を抜くと、足が笑って転びそう。
 膝関節の感覚がほとんどなく、ふくらはぎは疲労でパンパンになっているので、石ころでだらけで、ときどき、雨上がりで滑りやすくなっている土の下り坂を、ただただ、膝がかくっとならないよう、気合を入れることに意識を集中し続けた。1時間、ずっと、集中。

 こりゃ、絶対、明日は筋肉痛になるって確信した。

 生まれて初めての体験。私の人生で、ここまで、集中して下山するということはなかった。きっと、歳のせいだ。

 帰宅して、すぐにお風呂に入った。以前、登山直後に、温泉に入ったら、筋肉痛にならずに済んだ体験があったので。
 5分くらいしか湯船につからなかったのに、筋肉痛にならずに済んだ。
 帰宅後、疲れも一切なく、普段通りに家事もして12時前に寝た。むしろ、元気になれたような気がする。

 不思議だ。

 振り返って、K岳の登山は、私に何をもたらしたか。

 登山は登るだけでは意味がない。下山とセットだからこそ、見える世界がある。
 もちろん、私にとってK岳という負荷くらいの山じゃないと見えてこないかも。息子は、少し、物足りなかったと言っていたので。

 登山と下山は、身体の全てを使い切るという点で、すごいなと感動している。

 もちろん、登りは、肺と足の筋肉を使い切る。そして、2時間、ハーハー息を弾ませながら、しんどい時は小休止しながら、自分でペース配分して、自分の肺と足の筋肉の限界の一歩手前状態を維持し、ゴールにたどり着く。2時間、血流全開状態が続くってすごいことだと思う。体のすみずみまで、つまり、細胞の1個1個に、血液(酸素と栄養)が行き渡る。普段の生活でこんなことは、まず、ない。

 そして、ゴールの景色は、広大に拡がる絶景だ。

 解放感がたまらない。

 至福の達成感。

 よくやったと自分の肺と足の筋肉に感謝する気持ちが自然に湧いてくる。

 そして、自分の身体への自信。私の場合は、胃を切っているし、更年期という筋肉がガクッと衰えてくる年齢でもあったので、なおさら。

 そして、膝関節とふくらはぎを1時間、限界を超えて、気合という集中力だけで下山する。下山って、無心になれるまたとないチャンスだって知った。


 私にとっての、K岳登山は、私の身体の全てを使い切った、出し切ったエネルギー活動だった。
 
 翌日の疲れも全くなく、むしろ、いつもより、元気になれた気がする。
 
 おおげさかもしれないけれど、細胞が生まれ変わったような気がしないでもない。

 ひょっとして、しんどい登山は、再生する力をもたらしてくれるのではないだろうか。

 1年に1回か2回、いんどい登山をしよう!!




追伸 アスリートって、身体の限界に挑戦する人達だ。
   私なんて、その正反対で、体力ないし、体力がないから、運動も全然楽しくないし、身体も不器用だから面白くもないし・・・で、つまり、アスリートの気持ちなんて理解   できなかった。運動=きつい・・・の感覚だったので。ただ、羨ましくはあった。体力があって自分の身体を自由に操れるって、きっと、ワクワクウキウキ幸せだろうなっ   て。
   でも、どうして、あそこまで、ストイックに体を限界まで鍛えられるんだろうって、不思議だった。しんどくないのかなぁ・・・って。
   でも、K岳体験で、価値観が180度変わった。
   私にとってのK岳、初めてで唯一のK岳体験が、アスリートにとっては毎日何年もずっと・・・なのだ。カラダは、毎日、リフレッシュしてるってことになる。

   こりゃ、人間が違うね。全然、別物じゃない?
   見える景色が、まったく違う。

   ただ、チームでの競技となると、逆に邪念が増える可能性もあるので、リフレッシュできるのかどうか疑問ではあるけれど。

   平成で一番印象に残った人物。スポーツ編で、見事1位を獲得した選手は、羽生結弦さんだった。
   彼って、数多くの名言を残し続けている。
   
   


 

 
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えんどう豆ごはん

2019年05月11日 | エッセー
 昨日、摘みたてで皮までむいてきてくださったえんどう豆をいただいた。
 旬をいただける幸せ。
 今日は、えんどう豆ご飯を作ろう!ワクワク!!

 我が家の子どもたちは、豆ごはん系は苦手で、年に1回、旬を感じてもらうために炊いていた。

 でも、あるひと手間を加えるだけで、ぐ~~~んと美味しくなって、子どもたちにも好評で、2~3回は炊くようになった。

 それまでは、母に作り方を聞いて作っていた。
 最初からエンドウを入れて炊く。

 このやり方だと、炊きあがった時、えんどう豆はややつぶれた感があり、色もきれいなグリーンではなく、色落ちしたグリーンって感じで、見た目もよろしくない。

 そうだ。お米が沸騰してから、えんどう豆をいれてみたらどうだろう?
 と、やってみたら、プチプチして鮮やかなグリーンの美味しいえんどう豆ごはんに仕上がった。塩味とえんどう豆とごはん粒のコラボレーションが、お口の中で調和して、味がレベルアップした。見た目と味は、やはり、連動していると実感した。

 今夜が楽しみ。
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『暖冬なのに遅咲きの桜』の謎?

2019年05月03日 | エッセー
 今年の桜の開花は、例年より、少し、遅いくらいだった。
 それが、ずっと疑問だった。
 だって、今年の冬は、暖冬で、冬をちっとも感じなかったから。だから、桜の花は例年より早く咲くのではないかと想像していた。
 わが町は盆地で、1月はほぼ毎日霜が降り、朝、布団から出るのが本当に苦痛だった。早く梅の花が咲く季節にならないかなぁ~と春を待ちわびた。それでも、2~3年前くらいから木枯らしすら吹かなくなって、暖冬という危機感を感じ始めていたのに。
 それが、今年は、朝、すんなり布団から出られた。
 それはそれで、うれしいけれど、やっぱり、怖い。地球大丈夫?
 夏も怖い。
 盆地ってやつは、冬は超寒く、夏は超熱い。
 去年の夏は,しんどかった。暑すぎて。列島すべてが暑かった。暑いのと寒いのは、寒いほうが何とかなる。寒いのは、暖房がなくても着込めば何とかしのげる。でも、暑いのは、無理。電気の力なくしてはしのげない。

 そんなこんなの暖冬だったので、きっと、桜の開花は3月初旬くらいになってしまうのではないかと案じていた。
 しかし、ふたを開けてみれば、例年どころか、例年より少し遅い開花だった。

 なぜ?

 同僚に、その疑問を何気に話したら、なるほど、そうなのかという回答をもらえて、すっきりした。
 開花には、寒暖差が最も大きく影響するらしい。
 そうか、暖かいだけではだめなんだ。その前に寒くないと咲かないんだ。

 植物は、自然の法則の中で生きている。
 植物そのものが本来持っているDNAは、さまざまな気象状況のなかで条件が整ったときに、動き出して、子孫を残さんとする。無理しない。足掻かない。条件が整うまで待つ。
 今年の桜もそうだった。
 あったかいのに、その前の条件である冷え込むという気象条件が整わないから、ひたすら待っていた。
 
 人間はどうだろう。

 子どもの育ちはどうだろう?

 四男が不登校になって、一時は足掻いて、どうにか学校に行かせようとした。
 すったもんだのあげく、彼の全身が学校を拒否していると訴えた、身もだえた瞬間、学校は行かなくていいと心からそう思えた。
 でも、お勉強は気になった。
 それも、今はしんどいんだとわかった瞬間、ま、いいか、やる気スイッチが入るまで待とうと思えるようになった。
 昼夜逆転した時も、そう。お昼に仕事から帰った時にまだ寝ているとげんなりした。
 せめて、せめて、昼間は起きていてほしいという願いとはかけ離れた生活スタイルに転落したとがっくりした。

 人間としての最低限の期待すら、ままならなくなった息子の姿すら、諦めて、諦めきったときに、不思議なことに、ありのままを受け入れられるようになれた。
 それでも、一抹の不安があった。 
 3年くらい脳の静養をしたら、本当に、生きる力が充電されて社会に出ていけるようになるだろうか・・・という不安。大丈夫と思っているけれど、一抹の不安をかき消し、絶対、大丈夫と言えるほど、息子を信じることもできなかった。
  
 朝、太陽が昇ったら目が覚めて、暗くなったら眠たくなる・・・って、おそらく、人間のDNAに組み込まれている自然の法則だと思う。息子は、それすら、できない体になってしまったのだろうか・・・と。本人も朝起きたいのに、夜眠れないから、朝、起きれない。

 しかし、今年の『暖冬なのに、遅咲きの桜』は、私に、『DNAは環境が整うまで待つという絶対的な力がある』という確信を与えてくれた。

 息子の脳にとって、『7歳で小学校に入学する』ということが、彼のDNAを発動させるには、早すぎたのだと思う。入学してもいいけれど、お勉強に関しては支援クラスで1対1という学びのスタイルが必要条件だったのに、いきなり集団でのお勉強でストレスしかなかった。

 今、彼のDNAは、環境が整うまで待っている状態だと思える。

 だから、母の私は、待つ。

 今までも、待つしかない、あたたかく見守ろうと思っていた。

 でも、『今年の暖冬なのに遅咲きの桜』の理由を知ったことで、待つことが楽しくなってきた。
 だって、自然の法則条件が整うまで待てば、必ず、DNAが発動するという確信に変わったから。
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夫だと寝てくれる我が子にショック!十月十日力

2019年05月01日 | エッセー
赤ちゃん教室でのある質問
 生後6か月の赤ちゃんをもつママが、「この子は、お昼寝もそうだけど、夜も私とでは眠ってくれないんです。私が寝かせつけようとすると、目がらんらんに輝きだして、全然寝てくれなくて、夜中の12時くらいまで起きているんです。夫だと大丈夫なんです。どうしたらいいのでしょうか?なんでパパがいいの?私は苦手なの?って感じで、母としてはショックです。」と質問があった。

 「添い乳で飲ませてみました?」と聞くと、
 「はい。でも、やっぱりだめでした。飲み終わったとたん、パッと目を覚まして遊びだすんです。」



 「お昼寝はどうですか?」
 「お昼寝もだめです。15分くらいしか寝てくれません。」

 「不思議ですね~。どうしてでしょうねぇ~。」と質問された私も「う~ん。なぜだろう?」としばし、?の世界にいた。

 ?を抱えたまま、しばらく、他のママたちの悩み相談を受けていたとき、パッとひらめいた。

 そうか!

ママのソワソワが原因だ!

 で、ママに聞いてみた。
 「もしかして、子どもが寝たら、お茶碗を洗おうとかテレビを見ようなどと考えながら寝付かせていませんか?」

 「はい。」

 「やっぱり。」

 赤ちゃんの感度はすごい。特に、10か月ママのお腹の中で、24時間ママ密着状態で暮らしてきたわけだから、パパなんて足元にも及ばないくらいママのことに敏感。ママのことだったらなんだってわかる。一心同体なのだから、ママがソワソワしたら、赤ちゃんもソワソワしちゃう。ママよりパパがいいから寝付くのではない。パパは、この子が寝たら、お茶碗洗おうなんて思ってもいないだろうし、だいたい、パパって、ママに比べたらほぼ他人。ママがこの世からいなくなったら、見捨てられたと勘違いして不安で不安でたまらなくなるけれど、パパがいなくなってもそう支障はない。
 この赤ちゃん、きっと、過去に、一度は寝付いたけれど、たまたま、パッと目が覚めた時にママがいなかったという胸バクバクな恐怖体験をしたことがあるのだと思う。人間、一度、怖い思いをすると、似たようなシチュエーションになると、また、そうなるかもしれないという不安から、かなり敏感になってしまうもの。また、ママがいなくなってしまうのではないかという不安があるあから、安心して眠れるわけがない。ママが突然、いなくなるということは、赤ちゃんにとって死活問題と言ってもいいくらいな恐怖体験かもしれない。だから、どんなに眠くても起きる。起きてママを離さない。ママを離さないために必死になって起きる。なんて、健気な赤ちゃん。



 一方、『早く眠ってよ。』と祈りながら、母の思いとは裏腹に、ますます目が覚めていくわが子にソワソワからイライラに感情が高まっていく。
 こうなると、赤ちゃんは眠れるわけがない。
 お母さん、どうして、イライラなんて攻撃的な態度になるの?
 私のせい?
 私のせいで、ママは怒ってるの?私のことが嫌いなの?ママを怒らせる私って駄目なの?・・・と不安が倍増されてく。こんな気持ちで安心して眠れるわけがない。


 ママよ。あきらめよう。
 いっしょに眠りの国へ行きましょう。
 家事なんてその日のうちに終わらなくても、明日があるさ!
 
 でもね。どうしても、キレイに片づけないと気になって仕方がないという性格のママもいるよね。

 そんな時は、きちんと、赤ちゃんにお願いしよう。
 赤ちゃんを横抱きにして、目と目をきちんと合わせて、心を込めてこう言いましょう。
 「あのね。ママはあなたを寝かせつけたら、台所のお片付けをしたいの。一人で寝れるよね。」と。

 目を見つめて、心を込めて伝えようとすると、言葉の先の言霊が通じる世界があると思う。赤ちゃんは言葉なんでわからないと思ったら大間違い。ニュアンスみたいなものは心を込めると、伝わるのだそう。
 そして、鼻歌を歌いながら、お茶碗を洗おう。
 ママがそばにいるという安心さえあれば、安心して眠れる。
 ただし、それは、生まれた瞬間から、ママと離れ離れになるときに、必ず、声かけをしてもらえた場合であって、生まれて数か月の赤ちゃん(つまり、声かけなしでママが赤ちゃんのそばから離れる体験をしている)の場合は、今までの不安をすっきりさせたいのでギャン泣きしちゃうと思う。
 それでも、大丈夫。
 ママがそばにいるという安心な環境でギャン泣きを見守ってあげよう。
 時間で言うのものではないけれど、鼻歌を歌いながら、2~3分に1回くらい、「ママはここにいるよ~。大丈夫よ~。ママは今、台所のお片付けをしているから終わるまで待ってね~。」と声かけをして、安心して泣かせてあげましょう。
 そうこうするうちに、すーっと寝ちゃう。

 ただ、夜なので、アパートとかでは無理かなぁ。

 お昼間だといいかな?
 それとも実家に行く?

 最近は、ギャン泣き=虐待=通報  というご時世なので、難しい。

 大きな街に住んでいる人は、日本抱っこ法協会のセラピストを尋ねるのが一番いいかなぁ。
 ギャン泣き1時間は、初回くらい。今まで生まれてから、否、ママが妊娠してからの不安も請け負っているので、その分もプラスして、溜まった不安を全部すっきり吐き出すのにギャン泣き1時間くらいかかるかなぁ。ママもその体験で赤ちゃんの人権を尊重するという貴重な体験ができるので、その後の接し方も変化するから、2回目以降は、1時間もギャン泣きせずして、ぐっすり眠りにつかせてあげられると思う。

 


























































































































































































































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この差ってなんですか?かわいい認知症と残念な認知症

2019年04月21日 | エッセー
 義理の母と実の母が、時同じにして認知症の坂道を登り始めてしまった。
 物忘れの度合いは、二人とも同じくらい。
 さっき言ったことを忘れてしまう。
 なので、会話が続くように見えて分断されやすい。
 どうにか二人とも、一人暮らしをしてくれているが(うちには来ないというので)、施設に入るのも秒読み態勢に入った感がある。

 しかし、この二人、同じ認知症でも天と地ほどの差が出てきている。

 義理の母は、能天気。楽天的。物忘れがひどくなっていくことに対して無頓着。笑っている。記憶がイマイチになっていくことへの恐怖とかないですかと尋ねても、大丈夫よ。なんとかなるわよ。どおってことないわ。

 一方、実の母は、超悲観的。とにかく、暗い。ネガティブの嵐が吹き荒れる。しゃべるたびに語尾は、あ~。記憶力がどんどんなくなってくる。

 先日、母の妹の叔母が、気を利かして、親戚の家に1泊連れて行ってくれた。翌日、どうだった?楽しかった?と電話で聞いてみた。
 返ってきた答えは、どこそこに連れて行ってもらった。何を食べた。
 あ~そう。で、楽しかった?美味しかった?と再度、気持ちを聞きたいので聞いたら、

 突然、泣きわめきだした。

 なんで、私をそんなにいじめるのよ。と叫んだ後は、ギャーギャー、ギャーギャー、何を言っているのかわからない。もう、止まらない。
 どうやら、『気持ち』を尋ねることが、母にとってはいじめと感じるくらい、しんどいことのよう。
 ショックだった。
 楽しかったか、つまらなかったか・・・。
 喜怒哀楽の、喜びと楽しさという感情が、母から消え去っていく。

 何かの本に、『感謝』という感情は、高度な感情で、認知症になると、感謝がなくなっていくと書いてあった。
 
 『感謝』という感情は、貯蔵できるのだろうか?



 もし、できるのなら、人生観が変ってくる。
 そうしようと思ってそうなるものではないけれど、環境を整えれば、感謝することを意識する生活のまねごとはできるはず。まねを繰り返すうちに、いつの間にか感謝の気持ちの基礎体力がつく可能性は十分あると思う。例えば、ありがとう日記をつけると決めることから。今までも、何度かチャレンジしたが、一日5個ありがとうと感じたことを書くということさえ三日坊主だった。でも、実の母のあの恨み節を聞いてしまった今、出来そうな気がする。タバコを吸っていてやめたいと思っている人が、肺が真っ黒なレントゲン写真を見てやめる覚悟ができた・・・みたいな。
 感謝を貯蔵して、感謝体質になりたい。

 母は、世間体というとてつもない恐怖に屈し、自分の感情を抑圧し続けた人生を歩いてきた。
 自分が傷つきたくないから。
 つまり、自己チュー人間ってこと。
 一見、優しそうで穏やかそうに見える・・・・だけで、実は、他人のことを思いやる本当のやさしさの持ち主ではなかったと思う。ただの、うわっつら人間。
 うわっつらで生きていると、本当に困ったときを感じる力が弱るし、どうにか解決しようという前向きな気持ちも持ちにくい。そう言えば、心配だけは得意だった。そんなに心配されても、人生の先輩としての知恵を授かることなんて全くなかったので、母に相談しようなんて気持ちはさらさらなかった。おそらく、父もそうだったのだろう。なので、私の育った家は、喧嘩もないけれど、何もないという殺風景でうわっつらだけの変な家だったと思う。
 そんなこんなで、母は他人の手助けをもらいにくいし、また、もらうチャンスもなくなり、結果、心からありがとうという気持ちを噛みしめて、カラダとココロのすみずみまで浸透させるような喜びの貯蔵ができなかった人として老いていった。
 問題を直視せず、自分が傷つかない人生を選択し続けると『感謝』という素晴らしい人生の贈り物を受け損ねるという寂しい人生となるのかもしれない。

 自分の本当の気持ちを抑圧し、やりたいことをやれなかった人生の終末は、恨み節になる。

 一方、義理の母は、娘からすれば、大嫌いな母だったといわれるくらい母親らしくないわがままな人だったらしい。ただ、義理父が大変な人で喧嘩が絶えず、子どもたちが巣立ったと当時に飛び出して、義理父の呪縛から逃れて自由に生きてきた。だから、恨み節がない。
 おそらく、ここが、同じ認知症でも、恨み節がある悲観的なタイプと楽観的なタイプの差が出てくるではないだろうか。
 母は、悲劇のヒロインタイプで、義理は母は女王様タイプ。
 一見、正反対に見えるけれど、実は、注目を浴びたいという点では似ている。

 認知症になるなら、義理の母みたいな認知症がいい。

 子どもが、みな、自立したら、やりたいと思ったら、でも・・・と諦めずにチャレンジする人生を選択するぞ!

 子育て中の母親は、子どもが最優先になって、自分のやりたいことは後回しになってしまう。
 それはそれで、そういうものかもしれないけれど、子どもが自立したら、一度、リセットして、束縛という有形無形のものから、解き放たれ、自分を大切に生きることを優先させることが、人生の終わりの姿がすがすがしくなれる一つの要素になるかもしれない。

 60代。
 定年退職した夫の存在はどうだろう?
 介護は重くのしかかっていないだろうか?

 願わくば、子ども時代、やりたいことをやれるという当たり前の人権尊重の空気の中で育つことができたら、最高だ。もちろん、人間関係という関係性を豊かに学ぶ場でもあるということは吝かではない。家庭でも学校でも。
 しかし、現実はというと、時間割と宿題と例えば、日本一あいさつ運動などと言って、毎朝、校門の前に立って、走行している通勤途中のドライバーに「おはようございます」と声を張り上げるような不思議なあいさつをするということなどなど・・・・自分の本当の気持ちを偽ってることすら気づかずにいるような環境で育っていく。育つという時点で、すでに、恨み節になりそうな束縛呪縛の世界に支配されている。そんな子が多いんじゃないかな。

 中学生が、すれ違う時、やたら大きな声であいさつをしてくれる。もっぱら、男の子が多い。

 恐縮して、小さな声であいさつ返しをする私。
 とともに、なんとはなしに違和感という空気も吸ってしまう私がいる。

 中学生の私は、とてもあんな大きな声で見知らぬ人にあいさつするなんて恥ずかしくてできなかっただろうなと思う。
 なぜ、中学生という思春期の男子が、あんなに大きな声であいさつできるのだろう?という疑問。
 わが子たちは、誰一人として、あんな大きな声であいさつできる子はいなかった。
 あいさつ運動に積極的に参加できるタイプの中学生とできない子の差って何だろう?
 自分に自信があるのかなぁ?
 軍隊のにおいがしないでもない。小さい頃から、学校というルール社会に疑問を抱かずに溶け込んでいった?
 先生の評価を得たい?
 
 ま、いいか。男子のことは。

 女子は子育てを最優先するというDNAを持っていると思う。でないと、人類は滅ぶもんね。
 その女子が、人生最後の姿をどう送るか、そこに、恨み節はないかと問う時に、小さい頃から、やりたいと思ったことを大切にしてもらえる環境、あるいは、やりたくないことをやらないですむ環境で育つということが案外、つながっているのかもしれないと、義理の母と実の母の姿とみて感じてしまった。

 追伸、昨日、義理の母と昨今の小学校は、5時間授業の後に午後1時から給食という日もあるという話から、「今の子どもたちは、本当に管理されすぎでかわいそう。四男は、脳の発達が他の子よりゆっくりなところに学校というルールが一気に押し寄せて、脳ストレスが許容量を超えて、きっと、学校に行くに行けなくなったのだと思う。今は、やりたくないことをさせない、やりたいことをさせるという完璧により、彼を防護し、すっかり安心できる環境を整えて、脳を完全休養させてあげたい。」と話したら、「私は、栄養失調で、小学校高学年の頃から、しょっちゅう倒れて、学校を休んでいたの。中学校の時はあんまり学校に行かなかった。」と義理母。
 「え、お義母さんは、結構、裕福だったんじゃないんですか?栄養失調になるのが不思議です。」と聞くと、「私は、食べたいときに食べたいものしか口にしない子だったの。食べたくないと思ったら食べなかった。」
 「へ~~~~~~~。そうなんですね。」
 「実は、父親の浮気が嫌で嫌でたまらなかった。そのことを知ってから、そんな風になってしまった。そんな父なのに、母は、なぜだか、お歳暮をその浮気相手に持って行ったりするもんだから、わけわかんなくなって、母親も嫌いになったの。」

 そんな話、義理母から初めて聞いた。

 戦争の前後の時代のお話だ。

 
 私の母は、義理母が学校に行かないという選択をした頃、10人兄弟の4番目で次女で、祖母は家事なんてしないお嬢様だったため、家事を担っていたという。わがままなんか行ってる場合ではなかった。まじめでお勉強も頑張っていたと聞く。義理母と同じように、祖父は昔の男の人で、お酒は飲むは、浮気をするは・・・で、祖母と大喧嘩ばかりしていたらしい。

 宿命と運命・・・考えさせられる。
 
 
 

 
 


 

 

  

 
 案の定、母は認知症になって、理性のコントロールが効かなくなって、自分を抑えることができなくなってきたら、その残念の蓄積が無念のお化けになってしまった。

 
 一方、義理の母は、わがままで言いたいことの言えるタイプ。娘たちは、母親が大嫌い。遠くに住んでいる娘は私が結婚して2回しか帰省していないくらい。おそらく、子育てには向かないタイプだったかもしれないと想像する。しかし、子育てが終わったら、即、家を飛び出して(離婚したかったけれど、さえてもらえなかったので)自活の道を選んだ人だった。そう。わりと好き勝手に生きてきた。上っ面で生きることをしなかった人であった。飛び出して、それなりの苦労をされたと思う。そこには、きっと、一生忘れない感謝という貴重な体験もあったと想像する。
 
 私の母の最大のモットーが、世間の目にさらされない。なので、付き合いがない。大切な友達がいない。叔母にすら、自分のことや家族の恥部は話さない。一人で、勝手に家族のことを心配ばかりしている。心配はするけれど、行動にはちっとも起こさない。人の心配をすることで、自分のこと、あるいは、自分の人生にきちんと向き合う苦痛から逃れようとしているとしか思えない。もちろん、本人は、そんなこと考えたことないはず。こんなに心配しているの・・・くらいにしか思っていないと思う。
 だから、私も母は嫌い。だって、本当に心配してくれているのならば、本当に助けてほしい時に助けようとアクションを起こしてくれるはず。私には、その体験がない。だから、人を愛するということがわからない。だって、お手本であるべき親が、ここぞという時に助け船を出してくれなかったもの。

 どっちの母もいい勝負。おそらく、義理の母は、自分が話題の中心にいたいという無意識の願望があって、饒舌な人だった。一方、母は、悲劇のヒロイン。どっちもどっち。ヒロインになりたい人という点では似ている。
 でも、人生の終わりに見える姿は正反対。
 例え、それが、わがままであっても、人生の終わりの姿を見比べると、わがままに生きた方が、感謝の気持ちで終わりやすいのかもしれない。

 二人を見てみて、しみじみと思う。
 自分がかわいくて、自分が傷つくことが怖くて、自分ときちんと向き合うことから逃げて、ごまかし続ける人生は、その時はよいけれど、無念という負の感情が貯金されていく。そして、感謝という人間にとって最も高度で大切な感情が、無念感情によりかき消されていく。
 でも、自分の本当の気持ちを尊重して、叫んだら、きっと、おそらく、助け船がやってきて、その感謝の気持ちを胸の奥にキュンキュンさせながら生きて行ける。
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無条件の愛と紙おむつについての1考察

2019年04月06日 | エッセー
 総合漢方にんぷ薬(ちょこっと育児も)を世に出したいと願って、早、10年。
 10年ひと昔という。


時代は変わる。

 そして、私の子育て観も根こそぎ変わった。子育ては、育児ではなく、育自であると。
 それも、100%育自。

 

 みんな違ってみんないい。

 あなたはあなたのままでいいのよ~。



 口で言うのは簡単だ。

 わが子が、不登校になってみて、いかに、自分が口だけのいかさま人間だったかを思い知らされた。
 
 学校に行き渋りを始めたころなんて、最悪だった。あなたはあなたのままでいいはずがない。学校に行かせようと必死だった。
 あなたはあなたのままでいいと心底思えていたら、あたふたなんかしなかった。

 息子の不登校により、とうとう、ついに、わたしという薄っぺらいえせ人間の化けの皮がはがされた。

 というか、私の化けの皮を息子の不登校がはがしてくれた。

 そう。子どもって存在は、身体をはって化けの皮をはがしてくれる唯一無二の存在なのだ。
 
 だから、子育ては100%育自。

 後付けだけど。
 誰が、好き好んで、化けの皮をはがしてほしいなんて望むだろうか。
 ただ、私は、自分に自信がなく、自分の人間性が残念で、もう少し、マシな人間になりたいという想いはいつもあった。なので、きっと、神様が、これでもかこれでもかと子どもに命をはらせて、私の化けの皮をはがさんとしてくれたのだろうか・・・。


 そして、後付けでわかった。
 赤ちゃんを産んだばかりのさんぷは、無条件の愛が溢れ出るイエス・キリストのような人間性にまで高めてくれる可能性を秘めた入り口に立つという特権を与えられるのだ。

 四男が、不登校になるまでは、育児60%、育自40%くらいな感じだった。演技なんかしなくていい唯一の貴重な存在である子どもたちとぶつかり合いながら、知らなかった自分に出会える。時に、雄たけびを上げて怒りまくる自分にぞっとすることもあった。職場や友達とはこうはいかない。子どもたちとは、距離の取り方という技術的な人間関係ではなく、彼らがカラダをはって体当たりで要求してくる本物の人間関係に戸惑いながらも、自分の本当の気持ちをごまかさない生き方をしているかと試されているようで、襟を正さずにはいられないこともしばしばあった。

私の子育て観を180度変えたのは、不登校になった四男との衝撃的な体験の賜物による。
 子どもたちの困った行動の全てが、親の育自のためになる。その困った行動の中でも最たる困った行動の一つである不登校は、親の育自と無条の愛を最大限に要求する。

 ということを、わが子が不登校になって、心底身に染みている。

 『母よ。あなたは、本当の自分の心にうそをついていないか?あなたは、本当に自分らしくいきいきと生きているか?自分の心を大切にしているか?母が、いきいきと輝きだしたら、僕は、自然と元気になるよ。だって、母こそ、僕の幸せのお手本なんだから。母みたいな素敵な大人になりたいなぁ~。』
 そんな風に、子どもが母のことを思えるようになったら、勝手に動き出すと。
 十月十日
 トツキトウカ、胎児はお腹の中で、母の喜怒哀楽を直で感じながら、つまり、母は私、私は母・・・という一心同体と言ってもいいくらいな感覚で過ごして生まれてくる。だから、幼子は母のことだったら何でも知っている。お見通し。思春期くらいまでの子どもって、親や大人の言動をよ~~~~~~~~~~~~~く観ている。鋭いまなざしで・・。だから、親や大人の偽を見抜く。本音と建て前を見抜く力は半端ない。四男は、『大人(親や先生)が怒るときって、ほとんど八つ当たりだよね。』って、さらりと言ってのけた。

『子どものために』と言っているうちは、不登校は解決に向かわない。

 子どもは、そうされればされるほど、僕のせいで、お母さんがお母さんらしく生きていないというような罪悪感を感じてしまい、エネルギーを奪われる。

 罪悪感は、畑を枯らす除草剤のようなものだそう。


 学校に行くに行けなくなったことで、本人は十分すぎるほど罪悪感の海の中で暮らしているのだから。

 不登校になった子どもの親が唯一、子どものためにしてあげれることは、1ミリたりとも罪悪感を抱かせないようにすること。

 そのためには、本当に、心底から『あなたはあなたのままでいいのよ~。』というメッセージを言葉だけではなくカラダ全身から気配として感じられるくらいの意識レベルにまでなれるようになることが必要最低条件となってくる。
 昼夜逆転して、夕方起きてきても、歯を磨かなくても、お風呂に入らなくても、ゲームばっかりしていても、もちろん、勉強しなくても・・・・だ。




 『母よ。あなたは、僕を無条件で愛してくれているか。〇〇したら、〇〇してあげると言ったことはないか?』ちょっとでも、条件付きの愛のにおいがすると、子どもはうざいと言って自室に引きこもる。

 親が『今度のテストで100点を取ったら、〇〇を買ってあげる。』とか『いい子にしていたらサンタさんがプレゼントをもってクリスマスに来てくれるよ。』などというような条件付きの愛を結構やっても、不登校にならないで、大人になれた子どもたちは、タフなのだろうか?自由に生きられない苦しさに耐えかねて学校に行くに行けなくなる子どもたちは、弱いのだろうか?
 わからない。
 個人的には、『いい子』=『親にとって都合のいい子(宿題をする子・素直に親の言うことを聞く子・歯を磨く子・早寝早起きする子・ゲームを約束の時間で終了できる子など)』というにおいがプンプンして、めいっぱい条件付きの愛じゃんって違和感があった。だから、子どもたちに『いい子』という表現はしてこなかった。でも、世の中を見渡すと、いい子になってサンタさん(否プレゼント)をキラキラした目で待っている子どもたちが多くて、不思議だった。
 彼らは、本気で『いい子』になろうとしているのだろうか。
 親の条件付きの愛の最たる表現である『いい子』に何の疑問も抱かずに受け入れている子どもたちが不思議でたまらない。
 『いい子』という条件付きの愛を、子どものためにと良かれと思う=愛だと信じている親たちが結構いることに驚く。
 親にとって都合のいい子は、職場にとって都合のいい人、社会にとって都合のいい人、国にとって都合のいい人になっていく可能性がある。

 右向け右。



 そもそも、親そのものが、いい子だったりお勉強ができたりすることを願う親の条件付きの愛で育ち、学校ルールで翼が折れて、学校や職場の人間関係とか夫婦関係などですり減って、自分自身を見失っているのだから。
 多くの人が無条件の愛なんて親からもらっているように見えて、もらっていないと思う。私もそうだった。そして、自分自身を見失っていることにすら気づかず、赤ちゃんを授かると、急に親になる。

 でも、育児に必要なのは、親がいきいき自分らしくあるというエネルギーと無条件の愛。

 さぁ、どうする?


 紙おむつの話をするために、前置きがかなり長くなってしまった。


 なぜ、私が、紙おむつを使う時のママの心理にここまでこだわったのか。
 私は、4人の男の子を神様から預かって、一人一人が自分持っている芽をのびのびと咲かせてあげたいという気持ちで子育てに臨んだつもりだった。ところが、育てる側の私が、無条件の愛を体験していないし、資質もないというお粗末さに愕然とした。
 
 だから、環境整備。
 心がないなら、形から入ろうと思った。
 なるべく、条件付きの愛を育児から取っ払う。

 よほどお金持ちでない限りは、紙おむつを使うママの心には、条件つきの愛が潜むと思う。
 もったいない。少し濡れているけれど、もうちょっといいかな。
 できれば、一日6枚ですませたい。月180枚だといくらかな?
 
 
 10年前は、まだ、布おむつと紙おむつのメリットデメリットを伝えることができた時代であった。
 しかし、今は、もう、布おむつは空前の灯のごとく、この世から姿を消しそうな気配である。

 にもかかわらす、布おむつのメリットを訴えるという挑戦をあえてやってみようと思う。
 捨てがたいほどのメリットが二つある。
 一つは、無条件の愛を提供できるツールであるということ。そして、もう一つは、育児が育自につながる感性を育むツールであるということ。


 女性が働きつづけて生き生きと輝くために、定時で帰れる職場づくりと夫と力を合わせて、家事育児で減らせる労力は減らして、できうる限り、子どもとゆったり戯れる時間を作らんとすることが、今の時代のテーマだと思う。
 そのために、何を減らすか?
 そのトップバッターが布おむつだったかなぁ。
 おむつを洗って干してたたむ暇があったら、赤ちゃんと遊んであげて・・・みたいな。
 
 私は、ただただ哀しかった。

 20代後半、頭でっかちな私は、人を愛するというその愛の意味がわからなかった。わからないから手探りで、テレサテン的な尽くす愛を愛と勘違いしていたおバカな私がいた。人間としても損得勘定ばっかりの自分が嫌で嫌で、せめて、わが子だけでも無条件の愛を与えられるような人間になりたいと切望していた。 
 だから、長男を産んだとき、布おむつを選択した。
 もちろん、経済的なことも大きかったけれど。布おむつだと全部で3~4万ですむもんね。兄弟も使えるし・・・。

 一方、紙おむつはどうだろう。一人当たり10万円くらい?
 最近は、3歳ころまでおむつをはめている子も増えてきたのでもっとかかるかな?

 3人産んだら、30万円以上かかる?

 でも、布おむつを選んだ一番の理由は、別にある。
 それは、無条件の愛のない私が、無条件の愛を表現できる唯一のツールだと確信したから。

 お金持ちでない一般ピープルママが、紙おむつを使う場合、おしっこをしたら、すぐ取り換えてあげるという行為は、なかなかできないと想像する。

 だって、もったいないもん。

 1日6枚ですませたい・・・といつも、心の片隅で思っているんじゃないかなぁ。

 どうだろう。いつもどこかで、もったいないから、もう少し溜まってから取り変えよう・・・と思う自分はいないだろうか。
それって、条件付きの愛かも・・・と愛のない私は、愛に飢えているからこそ、そう思った。

 私は、夫が事業を始めたばっかりで、経済的にも厳しかったので、もし、紙おむつにしたら、めっちゃ、枚数にこだわって、下痢なんかが続いた日にはため息ついて、条件付きの愛の負のオーラを子どもたちにビンビンバンバン送ってしまうだろうと想像できた。
 先日、赤ちゃん訪問したら、一日3枚で頑張るというママがいらしたけれど、もしかしたら、私だって、そうしちゃっっていたかもしれない。
 
 子育ては、赤ちゃんとママとの日常生活でのオーラのやりとりの集大成のような気がする。
 だとしたら、24時間1年否最近は2~3年、もったいないオーラに包まれて子は育つ?

 特に、私みたいに、頭でっかちで、感性が豊かでないな、また、赤ちゃんとどうやって遊んだらいいかわからないというような人ほど、プラスのオーラのやりとりツールの一つとして、昼間、家にいるときだけでも布おむつを使ってみて。
 そうそう。何かあると、ネットですぐ検索してしまう人ほど、お勧め。
 布おむつを通して、無条件の愛のやりとりをこつこつ積み重ねていくうちに、何とも言えない自信がついてきて、なんだか、自分のことが少し好きになっていくから不思議。
 1歳近くになると、3時間くらいおむつが濡れなくなることが、時々あって、そんな時、おしっこを庭なんかでさせると、溜まっていたおしっこが自然といっぱい出ることがあるんです。そうすると、超うれしい。これで、おむつ1枚洗わなくていいじゃんって。そうしたら、自然と3時間くらいたっておむつが濡れていないと、おしっこさせちゃう。その成功体験を繰り返すうちに、いつのまにか、1歳ごろには、昼間のおむつは1枚も濡れない日が出てくる。 
 そうなると、しめたもの。
 無理やりさせるのは、まだ、膀胱括約筋が完成していないので、赤ちゃんにとってはストレスになるけれど、溜まった分がスーッと出るのは大丈夫。ただし、3時間は開けるのが原則。膀胱括約筋が完成するのが1歳半ごろなので。
 1日、おむつが濡れないですんだという達成感は、意外と大きな喜びに変換されるなって感じています。
 特に、キャリアのある仕事をしてきた女性ほど。
 だって、赤ちゃんって存在は、ママの日課をことごとく中断させる存在でもあるから。
 だいたい、子育てって、達成感がない生活のく繰り返し。仕事では、日々、大変だけれど、達成感を感じていたと思う。なのに、今の私はど~よ。せめてもの達成感の源である料理ですら、途中で火を消して、ほったらかし泣いている赤ちゃんの元に向かわねばならねという。達成感の反対の無力感がさんぷのココロを蝕んでいく。
 そんな無力感ママに3時間おむつが濡れていなかったら、おしっこさせてみて、そうしたら、いっぱいおしっこを飛ばしてい気持ちよさそうにしているわが子を見れるという達成感は、また、格別。
 ただし、はまってしまっては困るんです。一日おむつが一枚も濡れないことを目的にしてしまったら、やばい。
 無条件の愛から離れていくので。



仕事って、課題解決という、どちらかというと、男脳(狩りで獲物をしとめる作戦を練る)を使う。

でも、子育ては、お仕事とは正反対。

目的に向かうどころか、日々、子どもの世話に明け暮れて、下手をすると、夜泣きが続いて途方に暮れる生活が待っている。男脳に染まった思考回路のままで育児に突入すると、脳は混乱し、心が悲鳴を上げてしまう。

 違うのだ。


 育児脳と仕事脳は正反対。
 仕事脳で育児をすると、達成感どころではない育児により、脳が疲労困憊してしまう。

 本来なら、妊娠とともに育児脳に切り替わっていけたらいいのに、ぎりぎりまで仕事をして、生後3か月で復帰する女性が増えているため、育児脳にすら切り替わらずに、仕事脳のまま子育てしてしまう可能性がある。

 その点、いいか悪いかは別として、仕事に就く前に10代で赤ちゃんを産んだ若いママたちの多くは、変に育児に目的意識が侵入しない分、しんどくはなさそうに見える。
 力んでない。
 いいお母さんになろうとかいい子育てをしようとか・・・。


 育児脳とは、

 子どもとの笑顔や会話のキャッチボールを大切にしていくことを丁寧にしていくもの。目的なんかどこにもない。

 だから、キャリアのある女性で出産年齢が遅い人ほど、男脳にどっぷりつかっちゃっていて、男脳から育児脳に切り替わるのに一苦労するかなぁ。
 私もそうだった。
 元々、子どもが好きというタイプではなかった。かといって、仕事が好きというタイプでもなかった。親も子どもの前では喧嘩もしなければ、喜怒哀楽という感情を豊かに表出するような感性もなかった。母親は絶えず世間の目を気にしていた。要するに、私自身が感性に乏しい人間であった。あ~、なんという殺風景なわたし・・・・って感じ。そんな感性が育っていない私も、仕事を通して、達成感みたいな喜びを少しは見出していたけれど、心の満足感までには届かず、何とも言えない虚しさに心が押しつぶされそうになっていた。男脳にもなり切れず、かといって、育児脳という感性も備えておらず・・・の全く、中途半端などんより脳で生きていた。

 中途半端な男脳を手にした私が、育児脳に切り替わるのに、3人の子育てが必要だったなぁと、今になって、しみじみと思う。
 一人目は、教科書どおりの理想の子育てをめざしてしまった。これって、男脳優位だよね。もの。しかも、条件付きの愛の最たるもの。
 二人目は、二人の育児に追われて、教科書どおりをめざすどころか、ただただ世話に明け暮れて気が付いたら夜になって、疲れて眠ったら、また、明け暮れる朝が始まるといった感じ。それでも、自分の時間を捻出するのに躍起になっていた。結果、全然、捻出できなくて、悶々としてストレスがバンバン溜まっていった。こんな状態で3人産んだら、私の心はどうなるのだろうと案じつつ、三男を産んだら、あ~~~~~~~~ら不思議。自分の時間確保という未練がすっと飛んで行った。
 完全に『自分』を諦めた。
 『自分』というより『自分優先』?
 というより『達成感』という快感を諦めた?
 おそらく、3人目を産んだ瞬間、子育てにおいて『男脳』が姿をくらましてくれたのだと思う。
 吹っ切れた。
 2人の時よりも3人の世話に忙しいはずなのに、ストレスがたまらなくなったから、人間の心って不思議だ。

 脳が育児脳に切り替われた瞬間は、まさに三男を産んだ瞬間だった。
 小学校に入学してから、感性を封じ込め、達成感の世界で生きてきた感がある。頑張ったら成績が上がるという世界が学校だもの。受験勉強とか部活とか仕事とか全部達成感の世界。この期間が長ければ長いほど、頑張った女性ほど、いざ、育児になったら、しんどいはず。

 
 女性が働き続ける社会にシフトしてきた今の時代の新米キャリアママが、育児に目的をもつという男脳的思考回路から脱出し、自分自身の感性を豊かにするという目的にシフトすることで、キャリアママたちのしんどさを少しは軽減できるかなと思ったりする。

 ところで、仕事を通して、感性が豊かになるのだろうか?

 視野は広がると思う。
 効率的な思考や行動はできるかな?
 人によっては、仕事によっては、感性や人間性が豊かになることも、もちろん、あると思う。
 ただ、私自身の経験として、職場では演技ができる。友人の前ですら演技している。素の自分を出しているかと聞かれると、ノーだ。
 演技しているうちは、感性を豊かにすることは難しいかなと思う。
 だって、本当の自分の気持ちは抑えているもん。
 瞬間瞬間、いろんな気持ちを感じているような気がするけれど、抑えたり、忙しかったりして、十分にその気持ちを味わってなんかいない。瞬間瞬間に感じる本当の気持ちを素通りしている。そんなんじゃ、感性は鈍ってばっかり。人間性も何もない。
 おそらく、学校に入った途端、感性の封印が始まっている。学校というルールや先生や友達との関係性、そして、受験勉強など・・・に潜む恐怖感から、自分の本当の気持ちを封印する癖が身についてしまっている。
 一番大切な瞬間瞬間に感じる気持ちをおろそかにしているんだもん。
 やりたくない。悔しい。腹が立つ。イラっと来る。ムカッと来る。・・・などの、ずっと手前に存在する感情である怖いとか恥はかきたくないという大御所の感情が、感性を鈍らせる。

 育児に目的意識が入ってしまうと、どうしても、身長や体重、ミルクの量、寝返りや独り歩き、歯が生えたなど、赤ちゃんの成長を数字で比較したり、他の赤ちゃんと比較してしまいがちになる。早期教育が気になったり・・・。


 

 
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花咲かT様

2019年02月24日 | エッセー
 一昨日の夜から、不思議な展開の連続で、神様の存在を感じ始めている。


 一昨日、夫が入院の生命保険のお金が通帳におりた。
 夫は、ずっと、ノートパソコンが欲しくて、そのお金で、早速、明日の朝、買いに行くという。明日、遠足というときのあの子どものウキウキ気分満載で。
 半年前、私もパソコンを購入した。その時、ワードなどのソフトを入れるという高度なテクニックなどない私は、電気屋さんのお兄ちゃんに家に来てもらうしかないという状況になった。しかし、電気屋さんのお兄ちゃんの出張サービスの費用が、なんと2万8千円というではないか。高すぎ。パソコンも一つ型落ちで16万5千円もした。10万ちょいくらいのパソコンを買おうと思っていたのに、息子や店員さんの話を聞いていくうちに、サクサクと壊れにくいという特典には勝てず、一番いい機種の型落ちを買うことにした。それだけでも、勇気がいったのに、プラス約3万?20万ってことじゃん。当初の予算の倍だ。
 で、ふと、鹿児島に住んでいる次男を呼ぼ寄せて、彼に3万払ったほうがましだと思いついた。彼も奨学金生活でギリギリ生活。きっと、来てくれるだろうと電話したら、すぐに来てくれた。

 夫もそうしようと思ったらしく、早く次男の出張サービスの依頼電話をしてくれとせかす。

 で、一昨日の夜、電話したら、なんと、ちょうど、この土日に帰る予定だったというではないか。

 すご~い。と感動。
 奨学金関係の書類で、親が記入したり、実印を押したりする欄があるので・・・・という理由で。

 ついでに、ずっと、気になっていた連帯保証人をどうするかについての話をした。今までお願いしていた方が亡くなられたので、どうしようと案じていたら、そうだ、長男がいるじゃん。働いているじゃん。と気づいたので、次男と、お兄ちゃんに頼んでみようかという話になった。その時、そういえば、お兄ちゃん、実印持っているかな?もし、実印がないのなら、区役所に行って、印鑑登録をしてもらうようにお願いしないと・・・。来週、私が東京に行くことになっており、長男のところに泊まらせてもらう予定だったので、それまでに区役所に行ってくれるかな?    などと、次男と会話した。

そして、翌日。
昼前に、なんと、長男から電話があった。彼から、電話がくることってほとんどない。忙しいので、要件はラインでと言われている。びっくり。何事が起った?と少し、ドキドキ。

 な、なんと、今、区役所にいると言うではないか。

 僕の本籍ってどこかな?

 という内容。

 そう聞かれて、え?と戸惑う私。

 改めて、聞かれると、把握していない。私の本籍は、結婚したら、どうなっている?それすら、把握していない。

 区役所で、住民票をとって確認してみてと伝えた。
 ついでに、次男の件で、実印を持っているか、市役所で印鑑登録している印鑑のことだけど、家を借りるときとか奨学金の申請とかに使うやつ・・・と聞くと、え?っと驚いた反応が返ってきた。
 印鑑登録という言葉が初耳だったらしく、今まで、自分が、この印鑑を実印と勝手に認定した印鑑を、実印のところに押印していたらしい。

 そんなこんなで、今、区役所にいるんでしょ?印鑑持っているよね。じゃぁ、印鑑登録してね。とお願いした。


 あ~、なんと、奇跡のグッドタイミング。

 と、ここまでは、ルンルン。神様に守られているって本当に実感した。

 が、しかし、ここからが、波乱の時間の幕開けだった。

 せっかくの神様に守られている感が、やっぱり、違うかなと揺らぎ始めた。

 しかし、夜中の0時に、花咲かT様のすばらしい説法体験で、すべてはうまくいっているという結末で波乱の一日を終了することができた。そして、すがすがしい今日という朝を迎えることができた。夢見も非常に良かった。なぜだか、TOKIOの長瀬クンが夢に登場。

 

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