総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

42才。3時間45分!驚異のマヨネーズお産

2011年12月11日 | エッセー
 「もう、いつ生まれてもいい状況です。もしかしたら、今夜かもしれません。」
 7月20日火曜日、おりものにうっすら血液が混じって(おしるしのこと)受診したら、そう言われて気合が入った。が、しかし、待てど暮らせど来るもの(陣痛)が来ない。
 水曜日、来ない。木曜日、来ない。金曜日、来ない。土曜日、来ない。
 『ここまで来たら、来週の月曜日まで待ってほしい。日曜日の夜中にきたら入院費も高くなるし・・・・・。』と祈っていたのに、ついに願いは届かなかった。
 日曜日の午後5時10分。うっすら~とした例によって例のごとくズーンとした生理痛もどきが発生した。それでも、最初は確信が持てないくらいうっすらな感覚で、クリニックに電話するのも躊躇した。
 とりあえず、ポテトサラダを三日分くらい作ろうと思いたった。しかし、いざ作ろうと思うとマヨネーズが少ししか残っていない。ハムもない。せっかくだから、陣痛促進剤を打とう!と歩いて10分のスーパーまでマヨネーズを買いにテクテクと歩いて行った。(つまり、歩くことが陣痛促進剤ってこと!)
 不思議なもので歩きだしたら、陣痛がぐ~んとグレイドアップする。みるみるうっすらから軽い生理痛に変化していったので、スーパーから帰ったら、すぐ、クリニックに電話を入れた。(日曜日の夜勤帯なので早めに連絡していたほうがいいかなと思ったので)
 夫に満潮の時間を聞くと、夜の9時と明け方の6時だと言う。今までの体験を踏まえて(これがあてにならないのだけれど・・)三男のお産から9年使わずじまいだったので、老化も手伝って子宮筋も硬くなっているだろうと勝手に想像して、まぁ、きっと明け方の6時だろうと予測した。これが、またまた大きな誤算だった。私もこりないよねぇ~。
 ということで、私は再びポテトサラダ作りに挑んだのだ。午後6時30分。どうにか夕食ができあがった。
 次の安産メニューは、腰湯と30分のソフロロジー式イメージトレーニングだ。陣痛にんぷは忙しい。
 が、しかし、湯船に浸かったとたん、陣痛がいきなり、グワワワ~ンと信じられないくらい一気に強力になった。やはり、入浴陣痛促進剤の威力はすごい。おまけにウンチ大作戦ときやがった。
 「やばい、今夜生まれそう。」と夫に叫びながら、湯船から飛び出し、トイレに直行した。
 そして、かわいくて清楚なお気に入りの下着をちゃっかり選んで(ここは冷静なのだ)身支度をした。
 陣痛は、私の予想とは裏腹にどんどん成長していった。もう、笑ってなんかいられない。本格的なブランド陣痛の到来だ。
 子どもたちを分娩に立ち合わせるべきかどうかずっと悩んでいたが(男の子だからどうかなぁ~。ショックを受けないかなぁ~ということで)、なんのことはない、この日は、実家の父と母が海水浴に連れていってくれ、まだ、帰ってこない。縁がなかったとあきらめた。
 午後8時。他人様が家に入っても見苦しくない程度にやっとの思いで居間と台所を片付けて、さぁ出発しようと夫が車のアクセルを踏み込んだその瞬間、バックミラーに父の車が見えた。
 危機一髪。否、間一髪。子どもたちが間に合った。あと、5秒遅かったら間に合わなかった。神様が、本当にいるような気がした。
 道中の30分間、いつもは騒いで父親の怒声を浴びるのに、彼らもただ事ではない空気を感じたのだろう。ピーンと張りつめた空気のなか、それはそれは静かで不気味なくらい静寂の中を車はひたすら走った。
 ただ、静寂と思ったのは私だけ。4人の男衆は、ひっきりなしに押し寄せてくる陣痛大津波の痛みをこらえて呻く私の吐息に、しゃべっちゃいけない空気を察知したのだろう。息を詰めていたのだ。

 私も、「今日は楽しかった?」という言葉を発する、ただそれだけでもものすごいエネルギーを消耗するので、「きょ・う・は・・・・、ウ~・・・た・の・・し・・か・・った~・・?」と隣に座っている長男に息も絶え絶えやっとの思いで聞くのが精一杯だった。
 ところで、ソフロロジー式分娩とは、自分の好きな風景、あるいは、自分が今まで一番幸せと感じた時のことなどをイメージすることでリラックスし、痛みを和らげ筋肉を緩めることで安産に導くお産のことをいう。
 私は、沖縄の太陽光線によって七変化するコバルトブルーの海を妊娠中も腰湯しながらイメージしていたので、道中も、必死でその海をイメージした。確かに、確かに痛みが恍惚感に変わる瞬間が一瞬だけどあった(ような気がする)。
 ラマーズ法は、ヒーヒーフーウンという呼吸法で痛みをそらすお産。一方、ソフロロジーは、幸せのイメージで痛みを包むお産とでもいうのだろうか。私の場合、陣痛が最高潮に達したとき一瞬オブラートに包まれたって感じがしたようなしないような・・・。本格的な教室に通ったわけではなく、DVDをクリニックで紹介され、購入して自分なりにやっただけなので、まぁ、こんなもんかなって感じだったけれど、ちゃんとしタところで体験するとかなり違うみたい。
 歯医者さんでギーギーやってもらっている時って、顔は平静を装っているけれど、全身の筋肉はコチコチだ。ピリッとした神経を触る痛みにいつでも対応できるようハンカチを握り締める手の握力は汗が出るくらい・・・・だ。
 ブランド陣痛は、握力もさることながら、アソコの筋肉もギューっと縮みあがる。リラックスして産道の筋肉を緩めなきゃいけないと頭ではわかっている。わかっているけれど、アソコは言うことを聞いてくれない。そこで、ソフロロジーのイメージトレーニングの成果が発揮されるはずだった。
 しかし、沖縄の海を必死でイメージしながら、筋肉を緩めるなんで至難のわざだ。歯の治療中に神経に触れてピリッときた、その瞬間、歯医者にニッコリ微笑めって言われているのうなものだもの。

 そうこうしているうちに、クリニックのシンボルである三角屋根が見えてきた。もう少しの辛抱だ。
 と思いきや車一台通るのがやっとの細い路地を向こうから救急車がピーポーピーポーとサイレンを鳴らしながらやって来た。おまけに運の悪いことにクリニックの一歩手前で停車したではないか。そっちも大変だろうが、こっちももう生まれそう。夫が、ドアを開けて出てきた隊員さんに大声で
「妻が産気づいて、もうすぐ産まれそうなんです。通してくださ~い。」と必死に叫んだ。そして、やっとの思いでクリニックにたどり着いた。
 助産師さんたちは、救急車で私が運ばれてきたのかと勘違いをされたらしく、飛び出して待ち構えていらした。で、着いたと同時に私を抱きかかえて分娩室へ直行。
 途中、「トイレに行きたい。大きい方が出そうなんですー。」
と、訴えても、即、却下。 否、無視され、分娩台に寝かされた。スタッフは、かなり慌てて文明の利器を私に巻きつけたり、刺したり、なんだりしてきた。
「あ、もう出ます。」と叫ぶと同時に、大きい方がビリビリビリ~。」超恥ずかしいけれど、スッゲー気持ちいい。快感。三男を産んでからの8年間、お腹にたまったウンチが根こそぎ対外に噴出していく快感は病みつきになりそうなくらいいい気持ちだった。大げさかもしれないけれど、バケツ1杯分くらい出たような気がする。
 そんなこんなしているうちに、助産師さんが、「心音が低下しています。吸引を・・」と医者に向かって宣うではないか。(え~、吸引なんていやだ~。)医者も、「そうだね。じゃぁ、吸引。」とこれまた二つ返事で指示を出す。
 思わず、「吸引したくありませ~ん。頑張りますから~。」と何を頑張るか自分でもわからないくせに、事もあろうに医者に指示しちゃった。
 分娩台から、医者の指示を拒否する妊婦なんて前代未聞なのではなかろうか。
「だったら、もっと上手にリラックスして産道を緩めなさい。」
(チクショー。これでも必死で沖縄の海を武器に痛みで硬直したカラダをほぐそうとしているんだい。緊張と弛緩という相反する筋肉の働きを同時にするという無理難題に挑んでいるこっちの身にもなってよ!同時に怒って笑え!と言われているようなものなんだから。)
 すると、今度は助産師さんが、
 「ハイ、のけぞっちゃだめよ。アゴをもっと引いて。もっと。もっと。もっとアゴを引いて。そして、腹式深呼吸をして~。ほら、また、アゴがのけぞってきたわよ~。足の方を見るようにして~。そんなに緊張したら、赤ちゃんが苦しいよ~。」と半ば呆れた顔で私を励ましてくれる。

 もう、身も心も否頭もカラダもちぐはぐでわけわかんなくなってきた。
 と、まさに、その時。
 アソコがスーっとした。
 『やったー。出たのね。念願の会陰切開しない自然なお産ができたのね。』と安堵した。
 しかも、陣痛を感じてから、たった3時間45分という快挙だ。ソフロロジー式分娩としては落第点かもしれないけれど、私的には90点のいいお産だった。
 最近、私の周りでは、40才前後でお産をする人も増えた。そんな人に、私は、こうアドバイスをしている。
 「陣痛かな?と思ったら、近所のスーパーに歩いてマヨネーズを買いに行ってね!」と。

 これを、愛咲くら流『マヨネーズお産』といいます。



追伸
 最近、読んだ渡辺淳一さんの本『夫というもの』に、夫が立会い分娩で赤ちゃんが出てくる瞬間を見ることの是非について『一度見てしまうと妻を女性として見れるかなぁ~』というような疑問を投げかけていらした。そうかもなぁ~とも思った。
 実は、私は、クリニックに午後8時30分に着いて、45分には四男が産まれた。すぐ産まれた。
 私が分娩台に寝かされ、大きい方の噴出による快感を感じていた頃、4人の男衆たちは、荷物を病室に持っていってくれていた。そして、さぁ、立ち会おうと分娩室に入った時には、時、すでに遅し。すでにお産は終わり、四男は産まれたままの状態で私のお腹の上でゆったりしていた。彼らは、生まれたての赤ちゃんを恐る恐る抱く体験はできた。でも、結果として立会い分娩は果たせなかった。
 その時は、ちょっと残念だったかなぁと思ったけれど、渡辺淳一さんの本を読んで、今は、それでよかったかも・・・・とほっとしている。母親の傍らにいて励ますのはいいかもしれない。でも、まさにその瞬間を見ることは、思春期前後の男の子にはきついことかもしれない。


 次は、『いいことだらけのうふふのお話』  です。
  

 
 

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