三男の産休に入ったとたん、なんと長男が左足を骨折して寝たきり状態になってしまた。6才の子どもを大きなお腹で抱きかかえる日々。そんな何がおこるかわからない日々のなか、予定日も近くなってきた。で、『明日は病院で妊婦検診を受けよう』と決め、床についた。
ところが、ズーン、ズーン、明け方の4時30分、2週間も早く陣痛がやって来た。上二人は予定日より1週間早かった。
陣痛は、赤ちゃんが『もう、バッチリ、準備OK!いつ生まれても元気に育ちます。』という状況になっった時、赤ちゃんからお母さんの脳にあるホルモンが分泌される。そして、お母さんの脳から子宮に『陣痛よ!始まれ!』というホルモンが分泌されるようになっている。つまり、陣痛は赤ちゃんがゴーサインを出して始まるのだ。
いつ生まれるかは赤ちゃんが決める。
陣痛は、赤ちゃんの意思そのもの。すごいね。
赤ちゃんは、バンジージャンプする直前の、あるいは、スカイダイビングする寸前の あのなんともいえない緊張と不安と期待の入り交じった、飛ぶか飛ぶまいかという凄まじい葛藤の末、「えいっ」と一大決心して飛び立つ。そんな強い意思、覚悟で人生をスタートさせる。
明け方、4時30分。
三男は、予定日より2週間早く「ナウ イズ ザ タイム!(時は熟した!)」とつぶやいた。(たぶん・・・)
今回は、1時間に1回。しかも、うっすらとしたほんわか陣痛という標準サイズの陣痛でスタートした。
『ウッソー。早すぎくない?』と予期せぬ陣痛の到来に動揺する私。だって、何も準備していないもん。図書館に行ったり、銀行に行ったりしなきゃ。それに、お産の準備も完璧ではない。この際だから、病院体験もしてみたい。次男の時は、10分間隔だったけれど、陣痛が始まってから20時間かかった。今回は、ゆっくりペースだから『きっと、生まれるのは明日の満潮だろう。』と勝手に判断した。これが、大きな誤算だった。
とにかく、まずは病院体験だと思って、午前中、病院へ行った。『へえ~。こんな検査もするのね。』などと目に映るもの全てが新鮮だった。最後は、分娩監視装置なるものをお腹に巻き付けられ、20~30分横にさせられた。助産師さんが、「あ~ら、もう、20分間隔よ。今から、助産院まで行くの?ここで産んだほうがいいんじゃない?」とおっしゃる。
最後は、お医者さんの超音波検査だ。医者も、私が今から70km離れた助産院で産むことに対して怪訝な顔で超音波の画面とにらめっこされていた。しかし、なぜだか、突然、怪訝な顔が勝ち誇った顔になった。
どうしたのだろう?と不安に思っていると
「君。まさかとは思うが、お腹の子が逆子だってことは知っているんだろうね。」と見下したような物言いをされた。
え~。知らない。知らない。いつ逆子になったの?
最近、お腹もあんまり蹴らなくなったのでわかんなかった。
どうしよう。でも、こんな勝ち誇った顔を露骨に見せる医者のところでは産みたくない。心配してくれているって感じじゃ全然ない。愛を感じない。優しさを感じない。
「はい、もちろん。」
なるべく平静を装ってそう答える私。
背中に、軽蔑光線が突き刺さるのをひしひしと感じながらも、私は、毅然として外来のドアをバタンと閉めた。
閉めたとたん、私は、スタコラサッサと逃げるように公衆電話のあるところまでかけていった。もう、胸がドキドキ。さっそく、イワバーに電話した。どうか、逆子でも大丈夫と言ってくださいね。と祈るような心境で、イワバーの声を待った。
「あの、陣痛が始まって病院に行ったら、逆子だと言われたんですけど・・・。」と聞くと
「だいじょうぶよ~。ゆっくり気をつけていらっしゃいね~。」とのんびりした優しい声が聞けた。
ほーっと胸を撫でおろす私。
弱気が一気に強気になった。
私は、イワバーを全面的に信頼していた。だから、イワバーの落ち着いたほんわか一言で、『不安』という二文字が、『安心』という二文字に変換される。
にんぷに不安は禁物だ。
医療従事者から、ちょっとでも赤ちゃんの命に対して不安な言葉を聞くと、心配でたまらなくなる。こと赤ちゃんの命に関しては、99%の安心より100%の安心を、あるいは、1%の不安より不安ゼロを選んでしまう。
100%の安心なんて本当はありえないのに、現代病かな?ちょっとの不安に怯えてしまう。
『現代病 100%の安心に人の心は、弱きなりけり』
人は、全面的に依存してしまうとこういう心理に陥りやすいかもしれない。
ブランドお産に最も必要なことは、産ませてくれる人への信頼だと思う。
どうか、いいお医者さん、いい助産師さんに巡り逢えますように。
『安産に 効く薬とは 信頼なり。』
次は、オチンチンから産まれてきた三男 その2 それにしても、なぜ、逆子になってしまったんだろう? です。
ところが、ズーン、ズーン、明け方の4時30分、2週間も早く陣痛がやって来た。上二人は予定日より1週間早かった。
陣痛は、赤ちゃんが『もう、バッチリ、準備OK!いつ生まれても元気に育ちます。』という状況になっった時、赤ちゃんからお母さんの脳にあるホルモンが分泌される。そして、お母さんの脳から子宮に『陣痛よ!始まれ!』というホルモンが分泌されるようになっている。つまり、陣痛は赤ちゃんがゴーサインを出して始まるのだ。
いつ生まれるかは赤ちゃんが決める。
陣痛は、赤ちゃんの意思そのもの。すごいね。
赤ちゃんは、バンジージャンプする直前の、あるいは、スカイダイビングする寸前の あのなんともいえない緊張と不安と期待の入り交じった、飛ぶか飛ぶまいかという凄まじい葛藤の末、「えいっ」と一大決心して飛び立つ。そんな強い意思、覚悟で人生をスタートさせる。
明け方、4時30分。
三男は、予定日より2週間早く「ナウ イズ ザ タイム!(時は熟した!)」とつぶやいた。(たぶん・・・)
今回は、1時間に1回。しかも、うっすらとしたほんわか陣痛という標準サイズの陣痛でスタートした。
『ウッソー。早すぎくない?』と予期せぬ陣痛の到来に動揺する私。だって、何も準備していないもん。図書館に行ったり、銀行に行ったりしなきゃ。それに、お産の準備も完璧ではない。この際だから、病院体験もしてみたい。次男の時は、10分間隔だったけれど、陣痛が始まってから20時間かかった。今回は、ゆっくりペースだから『きっと、生まれるのは明日の満潮だろう。』と勝手に判断した。これが、大きな誤算だった。
とにかく、まずは病院体験だと思って、午前中、病院へ行った。『へえ~。こんな検査もするのね。』などと目に映るもの全てが新鮮だった。最後は、分娩監視装置なるものをお腹に巻き付けられ、20~30分横にさせられた。助産師さんが、「あ~ら、もう、20分間隔よ。今から、助産院まで行くの?ここで産んだほうがいいんじゃない?」とおっしゃる。
最後は、お医者さんの超音波検査だ。医者も、私が今から70km離れた助産院で産むことに対して怪訝な顔で超音波の画面とにらめっこされていた。しかし、なぜだか、突然、怪訝な顔が勝ち誇った顔になった。
どうしたのだろう?と不安に思っていると
「君。まさかとは思うが、お腹の子が逆子だってことは知っているんだろうね。」と見下したような物言いをされた。
え~。知らない。知らない。いつ逆子になったの?
最近、お腹もあんまり蹴らなくなったのでわかんなかった。
どうしよう。でも、こんな勝ち誇った顔を露骨に見せる医者のところでは産みたくない。心配してくれているって感じじゃ全然ない。愛を感じない。優しさを感じない。
「はい、もちろん。」
なるべく平静を装ってそう答える私。
背中に、軽蔑光線が突き刺さるのをひしひしと感じながらも、私は、毅然として外来のドアをバタンと閉めた。
閉めたとたん、私は、スタコラサッサと逃げるように公衆電話のあるところまでかけていった。もう、胸がドキドキ。さっそく、イワバーに電話した。どうか、逆子でも大丈夫と言ってくださいね。と祈るような心境で、イワバーの声を待った。
「あの、陣痛が始まって病院に行ったら、逆子だと言われたんですけど・・・。」と聞くと
「だいじょうぶよ~。ゆっくり気をつけていらっしゃいね~。」とのんびりした優しい声が聞けた。
ほーっと胸を撫でおろす私。
弱気が一気に強気になった。
私は、イワバーを全面的に信頼していた。だから、イワバーの落ち着いたほんわか一言で、『不安』という二文字が、『安心』という二文字に変換される。
にんぷに不安は禁物だ。
医療従事者から、ちょっとでも赤ちゃんの命に対して不安な言葉を聞くと、心配でたまらなくなる。こと赤ちゃんの命に関しては、99%の安心より100%の安心を、あるいは、1%の不安より不安ゼロを選んでしまう。
100%の安心なんて本当はありえないのに、現代病かな?ちょっとの不安に怯えてしまう。
『現代病 100%の安心に人の心は、弱きなりけり』
人は、全面的に依存してしまうとこういう心理に陥りやすいかもしれない。
ブランドお産に最も必要なことは、産ませてくれる人への信頼だと思う。
どうか、いいお医者さん、いい助産師さんに巡り逢えますように。
『安産に 効く薬とは 信頼なり。』
次は、オチンチンから産まれてきた三男 その2 それにしても、なぜ、逆子になってしまったんだろう? です。