「そろそろ私も更年期だわ。更年期障害ってしんどそう。ホルモンバランスをとるためにも玄米でも食べてみようかしら。」と思い始めた矢先に、妊娠してしまった。
42才
「やった~。」が先で、「どうしよう。」が2秒遅れで私を襲った。
もし、不覚にも4人目ができてしまったら、迷うことなく産むぞ!と心のどこかで不覚のラッキーを期待していた。なんだかなぁ~。感覚的なことなんだけど、3人の子どもの寝ている姿を見て、足りない、何か寂しいという不足感みたいなものを感じていた。でも、もう、42才。半ば諦めかけていた矢先の不覚妊娠だった。
元来のちょっと無理するとすぐ寝込むというオンボロ身体に加えて、42才という超高齢出産だ。『ちゃんと自然に産めるか』それが最大のテーマだった。すでに、同級生の中には、チラホラ孫の面倒を見ている人もいる。人生いろいろ。
上3人は、助産院で産んだ。しかし、お世話になった助産師イワバーはすでにあの世から微笑む人。イワバーのいないお産なんて、イナバウワーのない荒川静香のようなもの。だから、私の人生からお産という2文字は消えたはずだった。
ところで、私は、助産院で産んでいるので、すそを切っていない。今の時代、すそを切らずに自然にお産をしてくれる病院ってほとんどない。やっとのことで探したのは、何もなければ、すそを切らずに産ませてくれる妹が助産師というマタニティクリニックだった。この『妹が助産師』というところがみそなのだ。医者である兄は、きっと妹の意見も考慮したいいお産をめざしたクリニックにせざるをえないはずと睨んだ。案の定、睨んだとおりだった。
へその緒が1回巻いていて危惧したが、3人目を産んで9年経っている尚かつ43才という超高齢出産にもかかわらず、陣痛開始からわずか3時間45分でどうにか自然分娩で産むことができた。
この時、やっぱりにんぷの努力こそ、いいお産への道につながるとしみじみ思った。
しかし、男女産み分けに関しては、難問だった。
もちろん、4人目は男も女もなかった。でも、2人目3人目は、それなりにチャレンジしたつもり。女が肉食・甘食で、男が反対の食生活をすればいいとわかっていても、年とともにカラダが肉を欲しがらなくなる。あっという間に事をすませば女の子というけれど、皆オチンチンがついてきたぜ!
だいたい、基礎体温をつけて、排卵日を特定し、「いざ、行かん」と張り切ることって容易なことではない。
「4人目はどっちでもいいよね。」
あえて、お互い「4人目は女の子がいいなぁ~。」と口に出さないことで、生まれた瞬間のガックリを少しでも減らそうという魂胆だ。
ツンと突き出たお腹をみても、『ツン腹は男の子、ダラリンコ腹は女の子』という言い伝えは単なるジンクスだと思うように努力した。
結果は、お陰様で、4人共皆オチンチンがアロンアルファーでしっかりくっついていた。
ま、こんなもんさ、人生は。
ほんとは、42才の妊娠というだけで、いろいろな心配がくっついていた。でも、私は、不覚な妊娠ゆえに、神様がどうしても私が育つために必要だと思い、与えてくださった授かりものだと思えてならず、全てを受け入れる覚悟でいた。しかし、夫は、「検査だけは受けてくれ」と懇願する。最後の切り札の『離婚も覚悟』で夫もついに折れてくれた。感謝。
だいたい検査も15万~20万円かかり、大学病院に入院しなくてはならない。期間も14週から17週と限定されていて、もたもたしていたらあっという間に過ぎてしまう。
夫は、災難だと嘆いた。
私は、神様からの授かりものだと感謝した。
子どもを産み育てるって、ホントに思いどおりにいかないことだらけ。
おかげで忍耐力がついた。
忍耐力がつくと少々のことは許せるようになる。
そして、不思議なもので、許せるものが多くなると、生きることが楽チンになっていく。
アレ?もしかして、人間は、思いどおりにいかない体験をとおして成熟していくの?
そうすると、降りかかってく災難も、私が育つための課題だという風に、自然に受け入れられるようになった。
『成熟は、子のヤンチャに正比例!』
でも、夫は、24時間責任をもって子育てなんかしていない。フラッとパチンコに行けば、蛍の光が流れるまで帰ってこなくても平気だ。子どものヤンチャに自分の領域が犯されるとキレる。
自分の思いどおりにならないことに対する免疫が一向についていないので、許せないことがいっぱいあって、心が荒れ模様になり大変そうである。
私なんか4人も、しかも男の子と24時間営業のコンビニをやっているから、この頃は、起こるすべての出来事を神様から何かを学びなさいと贈られてきたものだと悟っちゃったもんね。お勉強だと思えば、少しは、心が軽くなる。
災難と思うと『どうして私だけこんな辛い目に合うの?』となる。
災難と思うか。
贈り物と思えるか。
人生の分かれ目は、まさにここにあり。
夢破れてオチンチンあり。
次回は、・超強力陣痛促進剤 その1 怠けるな!
『陣痛は 歩いた分だけ 強くなる』 です。
42才
「やった~。」が先で、「どうしよう。」が2秒遅れで私を襲った。
もし、不覚にも4人目ができてしまったら、迷うことなく産むぞ!と心のどこかで不覚のラッキーを期待していた。なんだかなぁ~。感覚的なことなんだけど、3人の子どもの寝ている姿を見て、足りない、何か寂しいという不足感みたいなものを感じていた。でも、もう、42才。半ば諦めかけていた矢先の不覚妊娠だった。
元来のちょっと無理するとすぐ寝込むというオンボロ身体に加えて、42才という超高齢出産だ。『ちゃんと自然に産めるか』それが最大のテーマだった。すでに、同級生の中には、チラホラ孫の面倒を見ている人もいる。人生いろいろ。
上3人は、助産院で産んだ。しかし、お世話になった助産師イワバーはすでにあの世から微笑む人。イワバーのいないお産なんて、イナバウワーのない荒川静香のようなもの。だから、私の人生からお産という2文字は消えたはずだった。
ところで、私は、助産院で産んでいるので、すそを切っていない。今の時代、すそを切らずに自然にお産をしてくれる病院ってほとんどない。やっとのことで探したのは、何もなければ、すそを切らずに産ませてくれる妹が助産師というマタニティクリニックだった。この『妹が助産師』というところがみそなのだ。医者である兄は、きっと妹の意見も考慮したいいお産をめざしたクリニックにせざるをえないはずと睨んだ。案の定、睨んだとおりだった。
へその緒が1回巻いていて危惧したが、3人目を産んで9年経っている尚かつ43才という超高齢出産にもかかわらず、陣痛開始からわずか3時間45分でどうにか自然分娩で産むことができた。
この時、やっぱりにんぷの努力こそ、いいお産への道につながるとしみじみ思った。
しかし、男女産み分けに関しては、難問だった。
もちろん、4人目は男も女もなかった。でも、2人目3人目は、それなりにチャレンジしたつもり。女が肉食・甘食で、男が反対の食生活をすればいいとわかっていても、年とともにカラダが肉を欲しがらなくなる。あっという間に事をすませば女の子というけれど、皆オチンチンがついてきたぜ!
だいたい、基礎体温をつけて、排卵日を特定し、「いざ、行かん」と張り切ることって容易なことではない。
「4人目はどっちでもいいよね。」
あえて、お互い「4人目は女の子がいいなぁ~。」と口に出さないことで、生まれた瞬間のガックリを少しでも減らそうという魂胆だ。
ツンと突き出たお腹をみても、『ツン腹は男の子、ダラリンコ腹は女の子』という言い伝えは単なるジンクスだと思うように努力した。
結果は、お陰様で、4人共皆オチンチンがアロンアルファーでしっかりくっついていた。
ま、こんなもんさ、人生は。
ほんとは、42才の妊娠というだけで、いろいろな心配がくっついていた。でも、私は、不覚な妊娠ゆえに、神様がどうしても私が育つために必要だと思い、与えてくださった授かりものだと思えてならず、全てを受け入れる覚悟でいた。しかし、夫は、「検査だけは受けてくれ」と懇願する。最後の切り札の『離婚も覚悟』で夫もついに折れてくれた。感謝。
だいたい検査も15万~20万円かかり、大学病院に入院しなくてはならない。期間も14週から17週と限定されていて、もたもたしていたらあっという間に過ぎてしまう。
夫は、災難だと嘆いた。
私は、神様からの授かりものだと感謝した。
子どもを産み育てるって、ホントに思いどおりにいかないことだらけ。
おかげで忍耐力がついた。
忍耐力がつくと少々のことは許せるようになる。
そして、不思議なもので、許せるものが多くなると、生きることが楽チンになっていく。
アレ?もしかして、人間は、思いどおりにいかない体験をとおして成熟していくの?
そうすると、降りかかってく災難も、私が育つための課題だという風に、自然に受け入れられるようになった。
『成熟は、子のヤンチャに正比例!』
でも、夫は、24時間責任をもって子育てなんかしていない。フラッとパチンコに行けば、蛍の光が流れるまで帰ってこなくても平気だ。子どものヤンチャに自分の領域が犯されるとキレる。
自分の思いどおりにならないことに対する免疫が一向についていないので、許せないことがいっぱいあって、心が荒れ模様になり大変そうである。
私なんか4人も、しかも男の子と24時間営業のコンビニをやっているから、この頃は、起こるすべての出来事を神様から何かを学びなさいと贈られてきたものだと悟っちゃったもんね。お勉強だと思えば、少しは、心が軽くなる。
災難と思うと『どうして私だけこんな辛い目に合うの?』となる。
災難と思うか。
贈り物と思えるか。
人生の分かれ目は、まさにここにあり。
夢破れてオチンチンあり。
次回は、・超強力陣痛促進剤 その1 怠けるな!
『陣痛は 歩いた分だけ 強くなる』 です。