和田秀樹さんの『自分を信じるということ ありのままで生きる』という本を読んだ。
幸せってなんだろう?
ずっと、幸せ探しをしている。
わくわくする喜びの量かな?
ルンルンとご機嫌な気分の量かな?
和田さんは、心の底から喜びが込み上げてくるとき という。
じゃぁ、それは、どんな時に訪れる?
私たちは、自然な感情に動かされるときがあります。
例えば、親切。
困っている人に気がつくと『手を貸してあげたい』と思います。そして、『ありがとうございます。』と感謝と笑顔が返ってきます。
その時、すごくいい気持になります。
なぜ?
それは、自分が『こうしたい!』と思ったことを素直に実行できたからです。
ふと、なぜか、布おむつを思い出した。
今となっては、布おむつの良さをいくら説いても、布おむつを選択する人なんて、ほとんどいない。
でも、もしかしたら、布おむつって、『自分がこうしたいと思ったことを素直に実行できる』絶好の機会なのではないだろうか。
なぜって、母は、びしょびしょ・びちょびちょの布おむつに覆われた愛しい我が子のお尻を見たら、不憫で不憫で。だから、秒で、取り換える。母でなくとも・・。
取り替えるときも、もう黙ってなんかいられない。
「ひゃぁ~^^、気持ち悪かったね。冷たいねぇ。すぐに取り換えるから、待っててねぇ。」と声を出しちゃう。
そして、「気持ちいねぇ。」と声かけながら、お腹やお尻をさすってあげる。
なでなで・・・。このなでなでもめっちゃいい気持ち。
瞬時にカラダが動く。
脳の回路を思考が駆け巡らない。
そこには、打算がない。
打算する暇がない。不憫だから。
これって、和田さんのいう「自分がこうしたいと思ったことを素直に実行できる」という最上級の気持ちよさをゲットする絶好の機会じゃない?
新生児期って、一日、40枚くらいおむつを替えた。ちびちびちょこちょこそれはそれは頻回におしっこをする。うんちだって、母乳を飲むたびに・・・。
これって、つまり、ママは一日40回、赤ちゃんに布おむつの交換を通して、親切をさせていただくことで、心の底から嬉しさが込み上げてくる喜びを体験するってことになる?
ふと、もしかして、ひょっとして、産後うつと紙おむつは相関関係があるかもしれない?って、頭をよぎった。
紙おむつは、ママに瞬時におむつを取り替えさせるほどの素直な気持ちにはさせない。だって、びちょびちょじゃないもの。
逆に、打算だらけ。
なぜって、一日40枚も紙おむつを替えていたら、経済的にしんどい。そもそも、一日40回もおしっこをしているってことに気づかない。気づけない。
少し、ごわっとなっていたら取り替える。経済的に本当に厳しくなると、一日2枚って決めているというママもいた。
紙おむつは、打算の極みかもしれない。
さらしの布おむつなんて、数千円で買える。おむつカバーは通気性のいいものがいいので、1年を通して1万円から2万円するかな?
うんちのついたおむつは、母はトイレでしゃかしゃかとうんちを落とし、おしっこだけの布おむつといっしょにおふろの残り湯で大体の汚れを落とし、洗濯機に入れる。干したらすぐ乾くし・・。
そんなに、大変じゃない。大変なんて思ったこともなかったなぁ。
ママは、便利と引き換えに、心の底から嬉しさが込み上げるという最高級のいい気持ちを売ったようなものなのかもしれない。
だれか、調査研究してくれないかな?
『産後うつと紙おむつ・布おむつ』について。
産後うつが話題になって、そのために、パパも育休がとれて、いろいろ便利グッズも増えて、なんだか、最近のママが羨ましい。
でも、どうなんだろう。
ママ、時間ができた分、ネットで、いろいろと検索しすぎていない?
特に、乳児時代、ママの頭の中に打算の時間は極力少なくしたい。素直な気持ちが一番大事。
おそらく、育児で一番大切なことは、ママの素直な気持ちの我が子への表現と赤ちゃんがそのママの素直な気持ちを受け取って笑顔になること、その笑顔を見て、ママが心の底から嬉しさが込み上げることの日常を暮らすことかもしれない。
ただ、赤ちゃんが泣いたりぐずったりしたら、迷路に入り込んでしまう。なんでなくのかがわからないから、ネット検索してしまう。途方に暮れる。
赤ちゃんが泣くのは、困っているという風にママは感じる。で、抱っこする。不憫だから、抱っこする。
でも、どうよ。抱っこして泣き止んで、凄くいい気持にママがなるかといえば、そうでもない。
おろすと、また泣くから。
夜泣きやぐずりが絡むと難易度があがる。
赤ちゃんの本当に困っているところまでたどり着けない。見せかけの困っているに抱っこして対応してしまう。見せかけだから。
だから、だから、一番、単純明快な布おむつを取り替えるという行為を実行することが、いいのだ。
それに、布おむつを洗ったり干したりたたんだりという忙しさも、打算の時間を減らすという点では、メリットかもしれない。
何がいいのか悪いのか、ほんとうにわからない。