総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

仕事と稼ぎ

2024年09月08日 | エッセー
 昔、農村地域の働き手たちは、仕事と稼ぎという言葉を使い分けていたという。
 仕事とは、畑で作物を作ったり、木を伐採したり、狩りでイノシシを捕ったり、薪を割ったり、家の補修をしたりなどという家族を養うために行う行為だけではなく、村の祭りを準備したり、水路を清掃したり・・・など、お金にならないようなことも仕事と言っていたそう。
 そして、方や、稼ぎとは、それでは賄えない時に、村の外に出て行って、お金をゲットするためにするというようなニュアンスだったという。
 自営業かサラリーマンか。
 仕事か稼ぎか。
 稼ぎには、人生感が入っていなかったから、シンプルだったのかな。
 今の時代、ほとんどの人が、就職するという選択をするわけだから、稼ぎ人だ。でも、そこに人生を詰め込もうとするから、しんどいのかな?
 鼻から、仕事が稼ぎなら、仕事に幻滅することはない。お金さえもらえればいいのだから。でも、稼ぎから帰ってきても、そこに仕事がない。
 お祭りの準備とか、村を維持するための水路の管理とか、畑もないし。
 なんとなく、昔の仕事をしている人って、男の匂いがする。男社会と村社会は重なっていると思う。
 先日、夕方、火事があった。
 地元の消防団も駆け付けた。
 消防団って、飲みも多い。
 人が苦手な人にとっては、大変かもしれないけれど、あれって、仕事なのかもなぁって、今、思った。
 今の時代の男性たちで、人生を感じられない仕事に就いている男性が、家に帰って育児を義務としてしないといけないような感じで生きているとしたら、稼ぎしかない人生となる。稼ぎだけで仕事のない人生って、男性のDNA的にしんどいかもしれないなぁって思ったり。
 女性は、おそらく、昔から、子育てや家のことをして、時々、井戸端会議で息抜きや情報収集するというような感じで生きてきたから、今の時代、仕事が稼ぎであっても、家に帰れば、家事育児という昔からやってきたことをやって、バランスが取れる。
 最近は、男性も中性化しているといわれるので、変化しているのかもしれない。稼ぐだけの仕事をしている夫の妻となった人は、夫に仕事をちょこっとでも与えてあげていいかもしれない。
 例えば、お祭りの準備に張り切って、家のことをしてくれないとか、スポーツ少年団の野球の監督を引き受けちゃって、ワンオペ状態になっているとか・・・。きっと、そんな夫は、仕事をしているのだ。生きているのだ。
 毎日そうだと、恨みになってしまうから、そこは、話し合って、時々、稼ぎだけの仕事をしている夫に、仕事をさせてあげよう。

 DIY大好きなヒロミさん。一時期、芸能人をやめて、ジム経営をされていた。そして、また、芸能界に復帰されている。
 ヒロミさんにとって、ジム経営やDIYこそ仕事だったのかなぁ。ひな壇でおしゃべりするのは稼ぎだったのかもしれない。













 



 



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朝日を食べる

2024年09月07日 | エッセー
  朝散歩を始めてから、お昼寝をたっぷりしても夜の寝落ちを維持できるようになって、早朝の太陽を浴びて、人間の体内で化学変化が起き、メラトニンやらセロトニンがたっぷり生成されているんだろうなって実感している。
 何より、体全身を包み込む早朝の日の出前後の空気の清涼感は、何にも代えがたい。
 私の人生、わくわく不全症候群だった。唯一のわくわくは、お昼寝をせんと布団に身を投げる瞬間か。トホホ・・・。
 夜は、逆に寝るのが恐怖だった。寝落ちできないから、いつも『今日こそは、スーッと眠れますように。』と祈る日々。びくびくしていた。毎晩。
 それが寝る前の股関節いろいろテキトーストレッチで、寝落ち能力を身に着けられた。そして、今や早朝散歩で昼寝をしても夜の寝落ちに影響しない物質をゲットすることができた。
 夜、すぐ眠れるようになったので、自然と朝、6時前に目が覚める。以前は、仮に目が覚めても、目覚めがよくなく1時間くらい布団の中でうだうだしていたけれど、最近は、15分くらいで、すっきりとした感覚になれる。
 日の出前後の早朝散歩は、睡眠効果もさることながら、わくわく不全症候群の私に、わくわくをもたらしてくれている。
 本当に、日の出前後の空気感は、爽快感はんぱない。
 我が家は、堤防のそば。その堤防には、橋がかかっている。その橋から見える風景は、絶景だ。霧島の山々が遠くに連なり、その手前には豊かな田園風景。そして、その手前には、ジャングルのような手付かずの草むらが生い茂り、そして、川の流れに白い鳥がぴちゃぴちゃと。草露たちは、なんともいえない瑞々しさを朝日に反射しながら、私の目に植え付けていく。
 霧島の山々のもっと手前の東の山から、日が昇っていく。その景色は、見事に毎朝異なる風合いを醸し出す。
 毎朝、違う空気感。
 霧の深い日もあれば、うっすらと山肌に霧がかかっている日もあれば、霧のかかり具合も様々で、とにかく、毎日、違う。
 それが、わくわく。
 夕方は、深呼吸して、がんばるぞって感じで、気合でスロージョギングを30分しているけれど、朝の散歩は、ほんとうに散歩だから、30分という一時が、すべて幸せに満ちている。
 とにかく、爽快感に包まれながら、刻一刻と空気感も含めた景色が変化していく自然の雄大さをかみしめながらの贅沢な30分は、格別だ。毎朝、味付けの違う朝日を味わう30分。
 朝露をいっぱい含んだ朝を満喫するという毎朝のわくわく。
 やったー。
 推しも趣味もない私が、初めて手にしたわくわくは、早朝散歩。
 田舎に住む唯一の贅沢かもしれない。不便だからね。








 
 











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運のいい人になるぞ

2024年09月01日 | エッセー
 中野信子さんの『科学がつきとめた≪運のいい人≫』という本を読んだ。
 私は、運がいい人ではなさそうなので、運がよくなりたい。ただ、人生、終わりの時までわからないとも思う。
 でも、きっと、中野さんのいう『運のいい人』は、何があっても『幸せな気持ち』でいられる人なんだろうなぁって思った。
 なんのことはない。
 自分を大切に扱っている人は、他の人からも大切にされる。
 自分を粗末に扱っている人は、他人からも粗末に扱われる。

 いやなことはいやと罪悪感を持たずに、きちんと言える人って、自分を大切にしている証だ。私は、小さいころから、いやが言えなかった。いやなことをいやという勇気がないし、いやなことをいやだと言って、相手が不快な顔をしたら、逆に、自分が傷ついて、こんなことなら言わなければよかったって思ってしまう『自分をちっとも大切に扱っていない人間』だった。
 それは、私のもともとの個性なのか、親が、自分を大切にしているというお手本がなかったからなのか、学校の先生や友達にも、そんな人間がいない劣悪な環境だったからか。
 否、一人だけいた。
 小4のころ引っ越してきたA子ちゃん。その頃、美人でわがままな女の子が教室の空気を支配していて、誰も反抗できなかった。そこで、転校してきたA子ちゃん、そうじに関して、『それおかしいんじゃない?』って、堂々と自分の(おそらく、周りの子たちも内心そう思っていたけど言えなかった)意見を宣った。
 今でも、彼女のことを尊敬している。

 振り返れば、ずっと、自分を粗末に扱ってきた。
 だから、運が悪いとずっと思ってしまうんだろうなぁ。

 人が最も幸せを感じるのは、自分が心地よいという思える状態に心底浸っているときなのだそう。
 『もっと、あ~~したい。』とか『あれが欲しいな。』とか『こうなったらいいな。』という欲を忘れ、『気持ちがいいなぁ』『ああ、もう何もいらないなぁ。』という状態。その時は、自己一致していて、自分で自分のことが好きな状態で、そんな状態は、人を惹きつける力があるのだそう。
 『もっと、あ~~したい。』といった、ある意味攻めの姿勢がまったくないので、一緒にいると楽なんだそう。























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