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小沢の「続・日本改造計画」は書き上げたはず なぜ出版しないのかを考えてみる
アルジェリアにおけるテロにより、日揮の社員や関係者が被害者に多く含まれているという様々な情報が、さみだれ式に海外メディアからもたらされている。最終的被害者がどのようなものになるのか予断を許さない。出来るだけ少ない方が良いのだが、情報が煮詰まるにつけ悲観的方向に向かっているのが気がかりだ。ところで、筆者はアルジェリアがアフリカのどの辺にあるのか直ぐに思い出せなかった。『…ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く 酒場の女のうす情け…』『…明日はチュニスか モロッコか 泣いて手をふるうしろ影 外人部隊の白い服…』上の兄に聞いたのだが、かなり流行した歌謡曲だそうだ。どうも、その昔から物騒な所のようで、外人部隊と云う点からフランスの傭兵部隊を彷彿とさせるし、治安の問題で、パリ・ダカール・ラリーも何度か中止に追い込まれ、最近では南米大陸で行われている。北・西アフリカ地域と云う所を、初めて意識下に置くキッカケになった。(*21日深夜、安倍首相は7人の日本人死亡確認を言明)
昨日は安倍自民が打ち出した“デフレからの脱却”シナリオが金融緩和、財政出動、成長戦略(規制改革?)と云う三本の矢作戦だと云う話をした。そして、その舵取りをリフレ派の学者たちに委ねる愚についても話した。理屈上、マネタリスト・リフレ派の市場原理主義に基づく、経済成長と財政健全化は理屈上成立するように思われる。にも関わらず筆者が、アベノミクスが失敗すると主張する一番の理由は、根本的に成長を前提としている資本主義と云う経済体制に限界が来ていると云うことだ。
EUにおける共同体的生き残り戦略も、オバマの医療保険制度改革や核なき世界など、実態が伴っていない批判はあるが共同体的色彩は認められる。鳩山・小沢ラインが打ち出した「自立と共生」も共同体的色彩の強いものだった。このようなイデオロギーが生まれはじめた背景に、実は、経済成長前提の資本主義からの脱却と云う思いが、潜在的に含まれていたのだろうと思考する。考えてみると、なぜか此処10年乃至は20年、資本主義経済で潤っていたはずの先進諸国の経済リーダー達の興味は、多くの先進諸国の財政の逼迫にあった。
つまり、国家財政と云うもの、富の再配分の為に行われる部分も大きいわけで、その配分が先進諸国すべてで行き詰まりを見せていたと云う事である。各国政府は、無理をして、財政による再配分を維持しようと努めた結果、財政赤字体質が恒久化されてしまったことになる。なぜ、再配分する為の収入がなくなったかといえば、税収が減ったからである。個別の国家の事情はあるとしても、先進各国の財政が赤字体質を抱えている事実を俯瞰的に観察すべきだ。
それは、資本主義と云うものが、明らかに経済成長が前提の経済体制であり、経済成長が生き物でいえば、生命維持の為の食糧と云う位置づけだと考えることが出来る。金融工学など駆使する事で、架空の市場をつくり、架空のマネーを生みだすことは出来るが、経済学上は実需であっても、社会学上は実需とは到底言えないものである。此処が資本主義の限界が訪れていると云う説の“味噌”なのである。資本主義の衰退は如実で、その経済体制とコンビになっている民主主義と云う政治体制にも、怪しさが漂う事になる。
筆者は以前、小沢が「続・日本改造計画」を殆ど書きあげていると発言しているのを覚えているが、一向に出てくる気配がない。この事実を、筆者は重要視している。小沢が書き上げようとしていた「続・日本改造計画」の前提となる世界が、資本主義のネジレと、その煽りを喰らう民主主義と云う20世紀先進国モデルが衰退している事実を無視できない状況がある。こうなると、「続・日本改造計画」書き下ろし時点と、ここ5年で、前提が大きくチェンジしている事実に気づいたのではないだろうかと思うのである。
小沢一郎にとって、次に世に出す「続・日本改造計画」はおそらく同氏の集大成となるだろうから、仮に、筆者と同じではないにしても、自由主義とか、資本主義とか、民主主義に対して、今までの政治理念だけでは処理しきれないジレンマに陥っているのではなかろうかと思う時がある。ここ1,2年の小沢一郎は、民主党内の戦力闘争にも悩まされ、自分自身の裁判や家庭問題にも悩まされ、一般人であれば気の二つ三つ狂っても不思議ではない状況にいたものと思われる。それでも「続・日本改造計画」を書き続けられたのだろうが、小沢自身も前提としていた、資本主義と民主主義の姿が大きく変わらざるを得なくなっている21世紀先進諸国の隠れた最強の問題点で戸惑っているのかもしれない。
これは筆者の単なる想像だが、小沢の最近今ひとつ理解しかねる行動の陰に、このような大きな壁が立ちはだかっていると云う想像も成り立たないわけではない。昨今の幾分迷走している小沢の行動には、この辺の問題が大きな壁になっているのではないかと思うのである。単なる政治家ではない、周囲の人間を魅了したり、嫉妬させるような、政治とは異なる要素を持ち合わせているから小沢一郎である部分も大いにある。筆者であれば、此の儘、先進諸国が経済成長を前提として成り立つ、資本主義と民主主義を抱えて21世紀を生きて行く事は自殺行為だとさえ考えている。逆に言うなら、小沢一郎が未だに経済成長を前提とする資本主義・民主主義に拘る「続・日本改造計画」を出版した時は、頑強に維持してきた支持を取り下げざるを得ない。まぁ「続・日本改造計画」は没となり、異なる切り口で“小沢の思想本”は読んでみたい誘惑にかられる。
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