世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●“ 潮目変わった ” 安倍の独走 判事の勇気、両陛下のこころくばり

2014年05月22日 | 日記
絶望の裁判所 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


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●“ 潮目変わった ” 安倍の独走 判事の勇気、両陛下のこころくばり

 余程神経を尖らせて観察しなければならない時代に突入しているようだ。コラムなどを書く人間達は、プロアマの別なく、世界の、日本の、様ざまな現象、事象をウォッチしていないと、数年後、恥をかく羽目に陥りそうな時代を迎えている。ウクラナ問題を通した、或は中国軍の乱暴狼藉、ロシアのナショナリズム、TPP交渉の暗礁と米国の凋落、資本主義の嘘が続くのか、嘘のロジックが崩壊するのか、アメリカン一国主義は盤石なのか、以上列挙しただけでも、頭の整理が追いつかない時代になってきている。心してかかっても、多分ミスジャッジしてしまいそうな按配だ。筆者も幾つかのハズレを掴むかもしれない(笑)。

 ここ数日の社会や政治における事象をもって、云々かんぬんと語るのは早計だろうが、世の中の“潮目”と云うものは、そのようなささいなことの積み重ねで変わってゆく。マイルストーンと云うものは、そういうものだろう。先ずは「中露の蜜月」がこれみよがし米国に挑戦状を突きつけているのが目につく。ウクラナ問題を含め、中国もロシアもWスタンダードな事情を抱えるが、アメリカのようなジキルとハイド的Wスタンダードではない点で救いがある。それはさておき、中露が出来るだけ価値観を共有し、アメリカの「普遍的価値」と云う世界秩序に異議を申し立てた事実は、時代の流れを感じさせる。5年、10年前の中国やロシアでは考えられない異議の提起だ。

 瀬木比呂志著「絶望の裁判所」に勇気づけられたかどうか定かではないが、少なくとも地裁レベルにおいては、社会の秩序維持の為に、敢えて法理念から遠ざかる判決を平気の平左で出していたが、「大飯原発3・4号機の再稼働差し止め」を命じた福井地裁の判決は政府の原発再稼働ありきの姿勢に真っ向対立する判決であった。樋口英明裁判長は250キロ圏内に住む住民らは差し止めを求めることができると判断し、運転差し止めを命じる判決を言い渡した。2011年3月の東京電力福島第一原発の事故後はじめて、原発の運転差し止めを認めた。ゲシュタポのボスであり、且つゲッベルスの生まれ変わりと名付けても差し支えない菅官房長官なる人物は、福井地裁の判決を受けた質問に対し、「まったく(原発再稼働推進に)変わりません」とケンモホロロに不快に答えている(笑)。司法蔑視な態度には驚嘆する。

 福井地裁の樋口英明裁判長が稀有なリベラル判事であるかどうか判らないが、世論の風向きを感じた判決であることは事実だ。朝日新聞の「吉田調書」の暴露報道が早速効力を発揮した、と云うのは穿ち過ぎだろうが、そのような雰囲気が裁判所側にあるのかもしれない。勿論、最高裁事務総局から最も統治の及ばない地裁の判決とも言える。しかし、裁判所の信頼回復がかなり必要だと最高裁も考えていれば、こういう判決が出てもおかしくはない。

 上述裁判とカテゴリーの違いこそあるが、「厚木基地騒音訴訟、自衛隊機の飛行差し止め命令、全国初」を言い渡した横浜地裁であった。佐村浩之裁判長は、過去最高額となる総額約70億円 の損害賠償に加えて、自衛隊機の午後10時~午前6時の間の飛行差し止めを初めて命じた、これも目から鱗の判決だ。「絶望の裁判所」に勇気づけられただけ、と云う情緒論もあるが、日本の裁判所において、何らかの意志が働いていることも考えられる。もし、裁判所の意志が働いているとなると、最高裁の改悛の情に拍手すると云うよりも、もっと大きな力が、彼らに加えられつつあると考える事も可能だ。おそらく、その力は国内のリベラル勢力とかのレベルではなく、わが国を支配していたい大きな力が働いたと考えて良いだろう。

 反自民、反安倍等々の人々にとって、上述の出来事は、地裁の判事が、謂わば瀬木氏の内部告発本とも云える「絶望の裁判所」に勇気づけられたように、平和憲法死守の人々や原発再稼働に反対する人々にとって、天皇、皇后両陛下の21日、1泊2日の「私的ご旅行」も勇気づけられるものであったと想像できる。なぜなら、両陛下の行き先が、足尾銅山からの鉱毒被害拡大を防ぐため設けられた渡良瀬遊水地や、鉱毒被害を告発した田中正造の出身地、佐野市であったことだ。

 自由民権運動家の田中正造は「真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」と語り、人権家、人権政治家として活動し、その思いは死を覚悟した明治天皇への直訴状と云う履歴(いわく)のある人物を偲ぶ旅とも受け取れる。尚且つ、正造の明治天皇へ手渡そうとした直訴状をご覧になった、と云うのだからメッセージは明白だろう。政治的言動を憲法で縛られている両陛下だが、そのメッセージ力は、“日本のゲッペルス菅スダレ”など、足元に及ぶことも出来ない効力を有している。「私的旅行」と云う妙案を考えられた両陛下のお心づかいには、我らが象徴であることに誇りを感じる。ここまで来たら、日本国民にノーベル平和賞を授与してもらい、永遠の平和国家の地位を雁字搦めにしてもらいたいものだ。

 このような折に、「大飯原発3・4号機の再稼働差し止め」の判決が出たのは、驚く偶然だが、強く印象に残る。石川啄木が中学時代に、田中正造の天皇直訴の報に触れ「夕川に 葦は枯れたり 血にまどふ 民の叫びのなど悲しきや」と31文字の言葉を残したが、筆者に才があれば31文字をひねり出したいところだが、絞っても何も出てきはしないのが少々哀しい(笑)。それにしても、安倍官邸の人心を顧みない傍若無人、乱暴狼藉を、まったく関係のない方向から、さりげなく国民に向かい、私的な心をメッセージするとは、なんというお洒落なのだろう。

田中正造文集〈1〉鉱毒と政治 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店


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