世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

国の行く末を左右する岐路が近づいている 無知・無関心が国家を滅ぼす

2011年11月27日 | 日記
近代文明はなぜ限界なのか (PHP文庫)
梅原 猛 稲盛和夫
PHP研究所



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国の行く末を左右する岐路が近づいている 無知・無関心が国家を滅ぼす



  いま我が国が喫緊に解決していかなければならない課題は何なのだろう。TPP加入、社会保障と税の一体改革だろうか?日米地位協定の見直しだろうか?それらのことも大切だろうが、政治がリーダーシップを発揮し、今立ち向かう国家事業は、大震災で甚大な被害を受けた人々の生活基盤を整えてやる復旧だろう。福島原発の嘘偽りのない終息への道筋と国民の放射能被曝対策の真摯な取り組みではないのか?また、米国発の金融市場主義経済に端を発するサブプライムローンから、ユーロ圏の経済危機、そして再びブーメランで起きそうな米国経済危機。それに関連して起きる為替の円独歩高への対応だろう。

 しかし、野田民主党政権は喫緊の優先課題に必死で取り組むポーズはするが、まったく真摯な議論も、総理大臣が腹を決めて陣頭指揮に立つと云う行動も見せていない。この優先順位の逆転は、政策の失敗、或いは見いだせない解決法を先送りする手法に過ぎな。このような行動原理は、党乃至は内閣としての無策無能を隠ぺいしようとする“目くらまし”なのだろう。普天間問題移転の大きな壁を乗り越えるために、昔から当然であった日米地位協定の見直しを前面に押し出してきたり、やることが全て姑息だ。日々テクニックを弄して、その日暮らしを重ねるだけの政権になっている。

 たいした議論もせず、議論で到達した結論を無視し、経産省・外務省の当初のシナリオ通り、野田総理は動くだけ。TPPとASEANプラス6と云う似て非なる経済連携協定の枠組みを、どちらも参加と云う不節操。アメリカ重視も良いね、アジア重視も良いね。まるで仲裁役に徹している。内閣総理大人と云うものは、仲を取り持つ役目ではなく、上下右左と方向性を明確に表明、国会と対峙し、国民に説明する役職である。

 隷米と市場原理主義に徹した小泉政権以降、安倍、福田、麻生と碌でもない政権が続いたが、小泉の隷米、市場原理主義によって破壊された国家に絆創膏を貼る程度の矜持はあった。政権が民主党に交代して、鳩山は理想を語った。政治行政力があまりにもお粗末で、改革すべき事は何一つ出来なかった。その点で、鳩山由紀夫は総理として無能だった。しかし、野田政権が、優先順位を間違って熱心に行っているTPP、消費税増税問題は、鳩山の「東アジア共同体構想」、「行財政の一体改革」の理念の反動の結果である。つまり、野田政権は民主党が政権交代時に掲げた“公約”のすべてを逆向きに行う政権になっている。

  政権交代時のマニュフェスト(公約)の真逆を行う理由は、諸々あるだろうが、米国の逆襲、世界戦略における日本と云う食材の料理レシピ工作が激しくなったと云う事。それに関連して、政権の維持には、米国戦略への恭順が最優先課題と野田豚彦が肝に銘じた為であろう。肝心の社会保障がどうなるかを具体的に示さず、先ずは増税ありきの態度は明確であり、国民を愚弄しても平気なのだから凄い。放射能による国民の健康への問題も、現状に合わせて暫定基準値を設定し、これ以上なら安全だと抜かし始める。精々、放射能の所為で国民が癌等で死ぬのは、1割程度増えるだけだし、相当因果関係も医学的に証明出るものではない、と云うのが政権や政府の腹なのは決定的だ。TPP乃至はアメリカ通商代表部の具体的要求が判った時点から、震災地の復興策は考えないと、アメリカの怒りを買うと云う配慮なのだろう。復旧とは、米国の命令は、被災地を開発し易い更地にしろと云う命令と考えて間違いがないだろう。

  なにせ、アメリカ様の威光を背負った、外務省・防衛省・経産省・財務省等々を相手にするのだから、何ひとつ出来る政権でもないし、逆らうなど自殺行為と肝に銘じている政権なのだから、失われた20年の始まり時点よりも悪い環境に突き進んでいる。米国主導の金融を中心とするグローバル経済市場原理は、完璧に破綻しているのに、“因幡の白兎”のような行為に奔走する野田政権を直ちに奈落に突き落とす事は、それこそ我が国の喫緊の課題だ。

 ただ、野田政権が、なぜこのような独立国とは到底思えない方向に向かわざるを得ないのか?と云う議論が、我が国に欠けている問題が大きいのだろう。(野田自身は隷米が信条かもしれないが)世界規模というか、地球規模を土台にして、アジアと云う地域に存在する我が国がどうあるべきか、そう云うスケールでの議論を飛ばして、瑣末な日々の現象に対応する政治を繰り返す限り、日本の政治は自民、民主が政権党になろうとも、瑣末なチェンジしか目にすることは出来ない。憲法はある、天皇も存在する、主権は国民にある、れっきとした立憲君主制国家だ。しかし、魂が明らかに抜けている。

  この国家のアイデンティティを魂と云うレベルで国民が考えず、日々を無為に過ごしてきたのが我が国だ。歴史の悪戯がこのような奇妙な民主主義国家を誕生させたのだろうが、生活主義を一旦横において、自分達の国の在り方を、国民一人ひとりが考え、感じる風が世間に吹かない事には、永遠に失われた時代は続くのだろう。勿論、筆者は失ったものが生活や銭金の事を指すものではない。おそらく、その国民的議論の皮きりになるのが、「日米同盟」と云う、軍事同盟である事は明確である。その方向がどうであるか、筆者は敢えて提示しない。どちらに向かうかよりも、「日米同盟」と云うものが、我が国の独立の精神を阻害している事実を認識する事から、すべてが始まる。最終的結論が「日米同盟」でも、それはそれだ。ただ、独立国として、自国の防衛をどのような位置づけでゼロから考えるか、そこの部分を逃げている限り、日和見な日本国家と云うイメージを払拭する事は出来ない。


日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて(祥伝社新書210)
孫崎 享
祥伝社



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