世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●読む価値ある演説 安倍不信任案趣旨説明 枝野幸男の後篇1

2015年10月14日 | 日記

 

戦前は軍部により憲法が捻じ曲げられ、今は安倍一人に…

それでも、日本人は「戦争」を選んだ
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●読む価値ある演説 安倍不信任案趣旨説明 枝野幸男の後篇1

昨日の続き枝野幸男の安倍政権不信任案提出の趣旨説明演説の後篇1。筆者の目分量間違いで、後篇が2部構成になってしまった点、お詫び申し上げる。しかし、枝野のアドリブに近い状態で、これだけの演説が出来ると云うことには一目置く。返す返すも、反鳩山小沢であったことは、惜しまれる。小沢一郎の側近に、このレベルの政治家がついていればと、死んだ子の歳を数えるような未練たらしい態度に、情けなささえ感じる今日この頃だ。作られた言葉を演出メモまで書き込んで、腕を振り上げる、舌足らずの安倍の演説など聞くたびに、世界中から、どれ程笑われているのか、背筋が寒くなる。仕込みの質疑応答しか出来ない政治家が、国会議員であることも問題だが、内閣総理大臣だと云うのだから、頭を抱えるほど情けない。

■枝野演説(後篇1)

【安保】「この国の立憲主義と民主主義を守るために、安倍内閣は不信任されるべき」――民主党幹事長・枝野幸男氏の演説(全文) 注:昨日の続きで後篇 2015年9月18日、民主党をはじめとする野党5党が、安全保障関連法案をめぐって、安倍内閣に対する不信任決議案を提出しました。その際に行われた民主党幹事長・枝野幸男氏の演説を書き起こし、以下に全文掲載します。
  ◇  ◇  ◇
後篇1
 ●集団的自衛権の行使を容認しなければならない理由は、現時点ではまったく存在しない
 こうした立憲主義違反、憲法違反であることに加えて、そもそもこの安全保障法制には、もはや立法事実が存在をしていません。政策・法律を整備するにあたっては、それが必要だという事実が存在しなければなりません。これを「立法事実」と言います。しかしこの立法事実について、政府の説明した内容はことごとく論破をされました。つまり今、集団的自衛権行使を容認しなければならない理由は、現時点ではまったく存在しないということです。

 総理は昨年7月の憲法解釈変更の閣議決定に先立って、集団的自衛権行使などが必要になるとされる15事例について、パネルを使って国民に説明されました。あの15事例、どこにいっちゃったんですかね。その後に総理は国会審議においては今度は、集団的自衛権行使が必要になる事例としてはたった3つ、すなわち「ホルムズ海峡における機雷掃海」「ミサイル防衛の任に当たる米国イージス艦の防護」「退避邦人輸送中の米艦防護」この3つしか言わなくなりました。残り12はどこにいったんでしょうね。

 そもそも「ホルムズ海峡の封鎖」については、我が国には約半年分の石油備蓄があります。JOGMEC、石油天然ガス・金属鉱物資源機構――これは政府関係機関で すね――のホームページには、「国家備蓄、民間備蓄を合わせ、約8070万キロリットルの石油が私たち国民の共通財産であり、その量を備蓄日数に換算すると、平成27年3月末現在で、約197日分となり、万一石油の輸入が途絶えた場合でも現在とほぼ同様の生活を維持できます」と書いています。繰り返します。政府機関であるJOGMECのホームページに書いてあるんですからね。

 そもそも我が国が武力攻撃されたのと同程度の「日本の存立を根底から覆す」という、いわゆる新3要件に、ホルムズ海峡の封鎖が当てはまることはありません。

 さる14日の参議院特別委員会の質疑で山口那津男公明党代表から、ホルムズ海峡における機雷掃海について問われた総理は、「今現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的には想定しているものではない」と、これまでの説明を180度覆す。私も衆議院の特別委員会で、このホルムズ海峡関連のところ、質疑立たせていただきました。前提が違うんですから、あの質疑やり直させてください。

 そもそもこうした経済的な事情――もちろん経済政策というのはたいへん重要です――しかし経済的理由を武力行使を 正当化する、その要素にしてしまって本当にいいのでしょうか。日中日米戦争、これも経済権益、しかも日米戦争は特に――太平洋戦争は石油をめぐる権益確保、これが主たる要素だったんじゃないんですか。そして世界の多くの戦争がまさに経済的権益の奪い合い、その権益を確保しなければ自国の経済が成り立たない、こういう大義名分で行われてきたんじゃないんですか。「経済的な事情で戦争を起こすことがある」なんてことを裸で堂々と言ったら、今の世界ではとうて い国際的にも通用するものではありません。

 しかも経済的な事情、たとえば石油の途絶などのような場合も、どこからが根底から覆す事態なのか、誰に判定できるんですか。それは石油がなくなったらたいへん苦しい状況になりますよ。おっしゃるとおりです。しかしながら、今、備蓄があります。備蓄がどれくらい切り崩された時が覆す事態なんですか。あるいは石油がなくても、我が国の石油に対するエネルギー依存度は、だいたい3分の1くらいですね。残りのエネルギーで、いろいろと苦労するけれども生きていける、そうした場合が覆す事態になるのかならないのか。まさに恣意的、相対的な判断じゃないんですか。

 新3要件には、「他に手段があるか否か」も要件にされています。他国から石油を輸入する、そのことについての努力をどの程度したのか、こうしたところで他に手段があるかないかも非常に相対的であいまいな概念です。「必要最小限」とは何なんですか。電気がこうこうとついて、石油を使い放題の生活をする 状況になるまで取り戻すのが、回復させるのが必要最小限なんですか。それとも、飢え死にをしたり、凍死をしたりしないようにするところまでが必要最小限なんですか。まさに相対的、あいまいな概念じゃないですか。

 こんなものに基づいて武力行使するだなんてことを、こんなあいまいな基準のいい加減な法律で認めることはとうてい許されるものではありません。

 「ミサイル防衛の任に当たる米国イージス艦の防護」については、もう論外。世界最強の軍事力を誇る米国海軍のイージス艦が、単独で行動し、自衛隊の保護下に入るようなケースはありえない。これは政府自体が認めてしまっています。

 3つ目。「退避邦人輸送中の米艦防護」。これも先日の委員会審議において「日本人が乗っているかどうかは関係ない」という驚くべき内容の答弁が飛び出しました。これ、まさにあの赤ちゃんと高齢者だったでしょうか、あのパネルを見せてですね、国民の情に訴えて――そりゃ「こういう時は、やっぱり守らな きゃね」と私も思いますよ。でも「日本人が乗っているかどうか関係ない」。じゃあ世界中の船を守るんですか。

 まったく立法事実が消滅をした、少なくともこれだけ国民世論の反対が強い中で国会の審議も二転三転、空転する中で、答弁が変わる中で、今すぐ集団的自衛権の行使容認を認めなきゃならないような立法事実がない、明確に証明されています。どうしてもやりたいなら、どうぞ時間をかけて国民に訴えて、衆参両院で自民党が3分の2とって、憲法改正を発議しなさい。それが王道というものです。

 ●安全保障法制には「法理と政策の解離」という問題がある
 この安全保障法制については、「法理と政策の解離」という、これまた基本的な問題が何度も出てきています。安倍総理は「ISILへの攻撃を行う有志連合に参加したり、これを後方支援することはない」と答弁をしました。しかし、国際平和支援法を読むと、国連決議等の要件を満たせば後方支援が可能である。私が言っているんじゃありません、中谷防衛大臣が答弁をしています。

 安倍総理には支援を行う意思がないかもしれません。しかし内閣が変われば、安倍総理の気が変われば、法理上できる、法令上できるんですから、何の歯止めにもなっていません。「自分はやるつもりがないから法律に書いてなくても大丈夫です」――こういうのを「人治主義」といいます。「法治主義」ではありません。誰がその法律を使っても同じ結論になるようにするために法令というのはあるんです。

 同じような例は枚挙にいとまありません。9.11のように、米国本土がISILによるテロ攻撃を受け、次は日本も攻撃されるかもしれないというインテリジェンスがあるような事態も、新3要件が満たされれば「存立危機事態」として集団的自衛権を行使し、ISILへの空爆に参加することや地上作戦、後方支援に自衛隊を派遣することも、今回の安保法制によって、法理上は可能となります。

 安倍総理は「ホルムズ湾の機雷掃海は、事実上の停戦合意があった場合のみに限られる」と答弁してきています。しかし、今回の集団的自衛権行使にあたって、条文どこをひっくり返しても、「事実上の停戦合意」などという要件はありません。単なる政策上の、「自分はそうする」と言っているだけの話を普遍的な原則であるかのように言うのは「ごまかし」と言うんです。

 いちばん大事なところ、「海外派兵は一般的に禁止されており、他国領域で武力行使することはない」と政府は答弁する一方で、「法理としては否定されるわけではない」というふうに言っています。国連に報告されている事例を見ても、他国領域内に行かない集団的自衛権などというのは考えにくいし、そもそも法理上、容認されているんですから、何の歯止めにもなっていないということです。

●出来が悪すぎる安全保障法制
 個別の要件についても多々問題があります。まずそもそもこの「存立危機事態」というのがまったく意味不明です。「我が国に対する武力行使が発生したこと」――これはいいんです。「または我が国と密接な関係にある他国」――「密接な関係にある他国」って何ですか。仲が悪いけれど密接な関係のある国、ありますよね。日本にとっての貿易のいちばんの相手国、どこですか。これも「密接な関係にある他国」でしょうかね。密接な関係にあるのは日本語として間違いありませんよね。そこに対する「武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」 ――そもそも何をもって「根底から覆される」のか。少なくとも従来の要件は武力攻撃を受けたら、その時には確かに根底から覆されるでしょう。しかし武力攻撃を受けていないのに「根底から覆される」って何なんですかね。いくら聞いても具体的な話は出てこない。

 しかもその「明白な危険」というのは何なんですかね。ちなみに、我が国が武力攻撃されようとしている場合でも、自衛隊の防衛出動の要件は、今度の政府の法案によってもですよ、武力攻撃を受ける明白な危険が切迫していないと自衛隊は防衛出動できないんですよ。武力攻撃をされようとしている場合であっても、切迫しなきゃできないんですよ。武力攻撃をされる状況じゃないのに、「明白な危険」だけでどこまでできるんですかという話にほかなりません。

 「存立危機事態」――たとえば他国に対する武力攻撃についても、たとえばアメリカが実際の武力攻撃を受けた後なのか、あるいはアメリカが「明白な危険がある」と認識した段階でこれに当たってしまうのか、まったく明白になっていません。「相手に攻撃の意図があるかどうか確認できなくても、『存立危機事態』に認定されることがある」と国会で答弁をされました。「サダム・フセインが大量破壊兵器を隠し持っているかもしれない、大量破壊兵器がないということを証明できなかったんだから、いまだにあの武力攻撃は間違っていなかった」とおっしゃっている政府です。相手が攻撃の意図を持っていないことが証明されないから攻撃する、先制攻撃が認められることになってしまうんじゃないですか、これは政府の答弁に基づくとそうなるということを申し上げてい るんです。

 第2要件、「国民を守るために、他に適当な手段がないこと」、第3要件、「必要最小限の実力行使にとどまること」についても明確な基準は最後まで示されなかった。こうした法律は、憲法違反であるからもちろん許されるものではありませんが、そもそも法律案として出来が悪すぎる。一度撤回して出し直すことが必要であるというふうに思います。

 政府が言ってきているのは「最終的には時の内閣が客観的、合理的に判断する」という一点張りでありました。あらかじめ基準を明確にしておくことを避けてきました。確かに非常に繊細な細かいところまで全部基準を決めろというのは難しいかもしれません。でも「こういうところまでやるんですけど、ここからはやりません」と何の説明もしないで、でも「法律を通してください、権限だけ与えてください」――まさに政府に対する白紙委任にほかなりません。まったく歯止めにはなりません。

 ちなみに国会承認――確かに国会承認はないよりあったほうがいいです、ないよりあったほうがいいですが、我が国は議院内閣制です。大統領制のように、たとえばアメリカ合衆国のように、大統領制で各政党会派の党議拘束が緩やかである場合には、それは一人ひとりの議員の信念に基づいて、たとえば民主党大統領の提案した案件であっても、民主党議員が反対票を投ずる――多々見られる、当たり前に行われることです。そうした仕組みであるならば、議会の承認というのは一定の歯止めになるでしょう。しか し議院内閣制というのは前提として、政府が国会のマジョリティを占めていることが基本的に前提になっています。そうしたことの中でなおかつ、日本の議会制度は基本的には、党議拘束ががっちり掛けられると、こういう前提に立っています。はじめから承認されるに決まっているんです。こうした仕組みにおける国会事前承認というのは、決定的な要素にならないということも付け加えておきたいというふうに思います。

●自衛隊に必要のないリスクを課してはいけない
 後方支援の問題も取り上げなければなりません。私たちは、周辺事態における米軍への一定の後方支援は重要だと考えています。しかし、かつて小渕総理が周辺事態として「中東やインド洋は想定しない」と答弁されていた、このことはどうなったんでしょう。こんな基本的なことが後の内閣によって簡単に覆さ れています。つまり、安倍総理の答弁も、後の内閣で簡単に覆されるということをみずから認めているにほかなりません。

 しかも今回の国際平和支援法案では、日米安保条約と関係のない事態でも、現に戦闘行為が行われている場所でなければ世界中で他国軍隊に後方支援できるようになります。しかし、戦場近くで運搬・補給、さまざまな後方支援活動を行っている。相手国から見たら、どうなるでしょう。従来の基準のように派遣機関を通じて戦場になり得ない場所であったとしても、相手から見たら敵国に見えるでしょう。ましてや、今は戦場になっていないけれども、明日戦場になるかもしれないような場所で後方支援していれば、相手から見ればまとめて敵国じゃないですか。

 きのう木村先生という首都大学の憲法の 先生から指摘を受けて私も気付きましたが、これ、逆はいいんですか。たとえば我が国がどこかの国から武力攻撃を受けた。武力攻撃で弾を打っているのはA国だけれども、その戦場すぐそばでB国が武器・弾薬補給をしている。これを敵国と認めて、攻撃の対象にできなくていいんですか。そうしたら国、守れませんよね。それの裏返しですよね。

 こんなことを堂々とおっしゃっているというのは、まったく軍事のリアリズムを欠いていると言わざるを得ないと思います。こんな出来の悪い法案だから自衛隊のみなさんにたいへんなリスクを負わせます。

 今回の水害でも、自衛隊のみなさん、消防や警察、海上保安庁などのみなさんともども、大変なご尽力をしていただきました。あの東日本大震災の時本当に、自衛隊の半分のみなさんにこの災害対応に出動していただき、本当に、首相官邸ではわからないような現場の多々のご苦労があったものというふうに思います。だからこそ、そうした活動をされた自衛隊のみなさんに多くの国民のみなさんは感謝と敬意を払っておられると思います。そうしたみなさんに必要のないリスクを課してはいけない、それは私たち政治の役割だというふうに思います。

 「後方支援」と呼んでも兵站です。兵站を狙うというのは、もうギリシャ・ローマの時代から中国・三国時代の時代から、もう軍事の基本です。それが戦場近くであれ、行って活動できると、これでリスクが高まらないなんていうことをどうして言えるのか。私にはまったく理解ができません。

 PKOの法の改正でも、治安維持任務を行えるようになりました。自衛隊が戦闘に巻き込まれ撃ち撃たれると、両方のリスクが高まります。

 中谷大臣は審議が始まった当初、「自衛隊のリスクが変わることはない」と答弁をしていましたが、途中から「リスクが上がる可能性はあるが極小化させる」と答弁を変更されました。どっちなんですか。政府は「自衛隊の安全確保措置を規定した」と言い訳していますが、これも、この規定の対象になってない法文もあると。しかも、自衛隊がより戦闘に巻き込まれやすいところで活動できるようにしておいて「危なくなったら活動を中断、退避するから大丈夫だ」と。自衛隊はどこでもドア持ってるんですか。「危なくなったら中断、退避する」と、瞬間移動でもできるんですか。

 まったくリアリティを欠いた主張である。こんなことで、リスクを認めたうえで、そのリスクが本当に自衛隊のみなさんに負っていただくに値するリスクなのか、そのための最小化、極小化措置が本当に適切なものなのか、それを審議しなきゃならないのに、「リスクは増えない」と言い募ってきた中谷大臣をはじめ政府の責任は重たいと言わざるを得ません。

 実体的な話だけではありません。制度的にも自衛隊のみなさんに過大な負担を負わせます。「自衛官は、捕虜にあっても国際法上、捕虜の扱いを受けない」。何なんですか、これは。自衛官が誤って民間人に危害を与えた場合、通常の刑法が適用される。司法は独立しているから、そこのところに政治的配慮は働かない、当然ですね。憲法が交戦権、いや、海外での武力行使を否定しているんですから、こうなるのは当然なんです。にもかかわらず、無茶な憲法違反の解釈をしてこんな法案を作るから、問題が生じるのは当然なんです。その負担を負わされるのは安倍さんでも中谷さんでもありません。現場の自衛官なんです。こんな法律を進めようとしている政府を、とうてい信任することはできません。

「日本を取り巻く安全保障環境の変化」――それは私たちもまったく同意です。北朝鮮のミサイル、尖閣問題、たいへん重要な問題です。しかし「領土領海を守る」というのは個別的自衛権です。北朝鮮のミサイルが日本の領土や領海に向かう、少なくとも向かいそうだと、照準を合わせて燃料が充填されている。武力攻撃の発動要件を満たしますから、それ以降それに対抗するのは個別的自衛権です。尖閣諸島の領土領海で、これに対する侵略的な行為が行われた時、まさに個別的自衛権です。この個別的自衛権をいかに充実させるのかということこそが、まさにこの2つのテーマが重要であるならば何よりもやらなきゃならないことじゃないですか。

 ●個別的自衛権の充実こそが日本の領土領海を守ることにつながる
 日本の防衛の基本の方針は、いわゆる「防衛力構想」というので定められます。かつて「基盤的防衛力構想」というのがありました。三木内閣の時に作られたと言われています。米ソ冷戦の時代です。

 米ソ冷戦の時代は、日本の自衛隊、防衛力というのは当時のソ連が北から攻めてくる、このリスクがいちばん高いということで、それに備えた防衛力構想、基盤的防衛力構想が構想されました。これに基づいて自衛隊の体制装備、あるいは訓練などが行われてきた。

 この基盤的防衛力構想は、いつ転換されたのか。米ソ冷戦が終わり、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊してロシアになり、もちろんロシアも近隣諸国ですから、仲が良かろうと悪かろうと、それは一定の脅威があります。今も脅威がゼロではありません。しかしながら、米ソ冷戦時代のソ連の脅威とは比較にならないぐらい、そのリスクは小さくなり、そして一方、この冷戦崩壊後の20年あまりで北朝鮮のミサイル問題や尖閣などの問題が急激に高まってきたわけであります。1990年、米ソ冷戦が終わってベルリンの壁が壊れて、新しい世界秩序に入ってきた。

 すぐにこれを変えられたかと言えば、それはできなかったでしょう。でもそこからおよそ20年、この米ソ冷戦時代の基盤的防衛力構想をそのまま存続し放置してきたのは歴代自民党政権です。とっくの昔に日本を取り巻く安全保障環境は変わっていたのに、米ソ冷戦時代のなごり、変えることができないのに放置してきた。変えたのはしがらみのない民主党政権。「動的防衛力構想」に転換し、南西方面の島嶼(とうしょ)防衛やミサイル防衛に重点を置く、これに変えたのは民主党政権である。

 「集団的自衛権」のように、一つの言葉を言えば何となく国を守っていることに、一生懸命やっているように国民に誤解を与えるような、そういうひとことの言葉はありません。でもまさにこうした地道に自衛隊の体制装備、訓練、こうしたことを充実させて個別的自衛権を充実させること、これこそが日本の領土領海を守ることだと私は考えます。

 私どもが定めた動的防衛力構想をさらに進化をさせて、現状ではこの南西方面の島嶼防衛やミサイル防衛のために日本の防衛力構想が進んでいる。今こそこのことを地道に、着実に進めていくことこそが我が国の領土領海を守ることにほかなりません。その中で、今法制上足りないところはどこなのかと言えば、まさにグレーゾーンそのものじゃないですか。

 南西方面の離島、たとえば尖閣諸島などが、他国の国権の発動として明々白々攻めてきたならば、それははじめから個別的自衛権の行使だから、これは法制上シンプルです。一方で純粋に民間人が、たとえば難民のようなかたちで来た場合、これはまさに、自衛隊の力を借りることがあったとしてもそれは警察権の行使です。問題は、いちばん可能性のあるリスクとしては、民間を装ってはいるものの、実態はどこかの国の国家権力の行使として尖閣諸島が襲われる、こうしたケースにしっかりと法律が整備をされているのか、体制が整備をされているのか。私たちは、ここの法整備こそが今、日本の領土領海を守るうえで圧倒的に緊急度の高いわれわれの役割だと思っています。

 私たちはこうしたケースに警察権、つまり海上保安庁などと、自衛権、自衛隊との役割、連携がしっかりと進んでいけるように、領域警備法案を一部野党とともに提出をいたしましたが、ほとんど審議はされませんでした。この領土領海やその近辺といったいちばん身近な事態についての議論を避け、立法事実もない集団的自衛権の話にうつつを抜かしている。とうてい「国民の生命と平和な暮らしを守る」というのは本当の思いではないと、集団的自衛権という、歴史の教科書に残るかなあ、なんていうでかい仕事をやりたいという、どなたかの個人的な思いなのではないでしょうか。大丈夫です。先ほど申しましたとおり、歴史に残ります。私たち日本人に立憲主義の重要性を感じさせてくれた、たいへん大きな功績で歴史に残りますから、安心してください。

 ●「日米同盟の強化」は必要か
 いやあ、「こういうところを守るうえでもアメリカとの連携を強化する、これによって日米同盟を強化する、このことが大事なんだ、それによって抑止力が増すんだ」という話は一見もっともらしく聞こえます。しかしながら、私は安全保障をリアルに考えるうえではナイーブすぎる議論だと思っています。

 アメリカ合衆国は、戦後70年、占領時代から含めて70年、アメリカ合衆国は 日本の防衛のために軍事力を提供しています。お人好しで守っているんでしょうか。アメリカだって民主主義の国です。国民世論があります。アメリカの国民が、自国の若者が命を失うかもしれない、自国民の払っている税金が使われる、そうした中で日本を守っているのはお人好しな議論でやっているんじゃない。ア メリカの国益に適(かな)うからやってるんです。

 地政学的な見地から、アメリカ合衆国は、この太平洋の西の外れ、この周辺に安定的な基地を持ちたい、これがアメリカの国益に適う。私たちの国は、そのアメリカの国益の ために基地を提供し続けている。沖縄のみなさんをはじめ多大な国民のみなさんの負担のうえで基地を提供し続けている。日本列島に自国の軍隊の基地があるんですから、アメリカは当然のことながら自国を守るのと同じように、日本にある米軍の基地を守るのは当然のことです。それは私たちは、その見返りとして、我が国の領土において基地を提供しているんです。

 集団的自衛権を、憲法解釈を変更し、立憲主義に反するようなことまでをして、アメリカにお付き合いをしなかったからといって、日本に基地がある以上は、アメリカは「日本を守る」という義務から逃れることはできません。同時に申し上げれば、アメリカ合衆国も、ある意味では、ある時期までの日本以上に立憲主義の重要性というものを十分にわかっています。立憲主義に反するような無理をしてまでやることはできません、その代わり私たちはアメリカの同盟国として安定的な基地を提供するし、さらには憲法の許す範囲内では最大限の協力をします。実際にこれで70年間やってきたじゃないですか。

 ●国民の理解と後押しがない外交安全保障政策は、対外的に説得力を持たない
 安保法制については、そのプロセスにおいてもとうてい容認できるものではありません。安倍総理は国民への開かれた議論を拒み、反対意見を封じ、国会を軽視し、自分の思いどおりに法改正を実現しようとしています。

 まずそもそもスタートは、有識者による安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会や、与党協議において、閉鎖的に議論を進めました。この議論のプロセスにおいては、国会において何度も「こうしたところでどういう議論をしているんだ、そして安倍総理自身はどういう考え方を持っているのか」といくら国会で聞いても「こういうところで議論しているから」と言って答えをはぐらかせました。いっさい実質的な議論に応じないで、そして、昨年7月1日に国会での審議も国民への十分な説明もないまま、新3要件に基づく閣議決定を行いました。

 そして今年4月、何度も言われていますが、まだ法案を国会に提出をしてもいないのに、米国議会で「安保法制をこの夏までに成立させる」と約束してき ました。「夏までに成立させたい」と言うのがギリギリです。国民に法案の審議と成立をお願いする立場の総理が、かかる重要な法案の成立を他国で明言するな ど前代未聞、いつから日本は米国の属国になったんですか。

 集団的自衛権の行使容認だけでなく、外国軍隊の後方支援、PKOなど、性質の違う法案11本をまとめて、しかもそのうちの10本が1つの法案に束ねられて国会に提出をされました。衆議院の特別委員会では116時間審議しましたが、1本あたりわずか10時間程度の計算です。議論を深めないで成立を図りたい、こうした場合の常套手段。しかも、この審議においては閣僚の答弁が行き詰まり、二転三転し、衆議院でも参議院でも奇しくも同じ回数、111回審議における速記が止まりました。要求した資料や政府の見解もなかなか提出されず、議論は時間に比例して深まることはありませんでした。むしろ審議をすればするほど疑問が増えました。逆立ちしても審議が尽くされたとは言えない状況であります。にもかかわらず、なぜ今週無理矢理採決するんですか。

 われわれは、今日18日の定例日、そして、異例であってもこれだけ重要な法案です、祝日である来週の22日、23日、これも定例日ですから、審議に 応じると言っていました。にもかかわらず、こんなに急いだのはなぜでしょうか。まさかこの連休にゴルフに興じるため採決を急いだんではないでしょうね。

 国民の8割が「政府の説明は不十分」だとし、半数以上が「政府の安全保障法案は憲法違反、あるいは今国会での成立に反対」と答えています。政府与党内から「国民の理解が進まないのは野党や一部のマスコミが政府案を喧伝したせいだ」という声も聞こえていますが、責任転嫁もはなはだしく聞き捨てなりません。

 だいたい国会審議においても、聞かれたことに答えずに自分の言いたいことをベラベラベラベラしゃべったのは誰ですか。疑問点を追及されるようなテレビからは逃げて、一方的に自説をまくし立てることができる媒体だけ選んでテレビ出演してきたのは誰ですか。

 だいたい、審議の姿勢。何度も総理の野次で国会審議が混乱をしました。国会審議で議論が白熱をしてくる中で、不規則発言が出る、そうしたケースがあることは私は否定しません。しかし、今回の一連の総理の野次は、審議の中で議論が熱を帯びてとはまったく関係ない、発言者にまさにおかしなレッテル貼りをするのか、おかしな揚げ足取りをするのか、こうした野次で真摯な姿勢ではとうていないし、とうてい許容される野次の範囲を超え、しかも学習能力がないのか、ふつう一度やったら半年や1年は2度目やらないじゃないですか。この国会中に3回ですよ。こんな学習能力がない方に総理大臣を続けさせていいんでしょうか。

 国民の理解と後押しがない外交安全保障政策は、対外的に説得力を持ちません。また、国民の理解と後押しがない、そうした安全保障は脆弱です。こうした中で無理に強行するのは、まさに我が国の安全保障、そして外交をむしろ弱体化させます。

 きょうも国会の外ではたくさんのみなさんが、まさに世代を超え、立場を変え、集まっておられます。全国各地でも集会が行われています。このまま政府案を強行させては、歴史に大きな汚点を残すだけでなく、この国の民主主義という観点からも大きな禍根を残し、国民の生命と財産をむしろ危険にさらす存立危機事態をまさに招来をすると言わざるをえません。

●安倍政権の外交は失態続き
 そもそも「外交安全保障」と言われますが、安倍政権の外交は失態続きです。何と言っても近隣外交が破綻をしています。対立点はあっても、中国や韓国は選ぶことのできない隣国であります。確かに、たとえば産経新聞のソウル支局長の件など、相手方にも多々問題があります。しかし、安倍総理の側の言動にまったく問題なしと胸を張れるんでしょうか。

 総理就任以来2年半、日中首脳会談を開けず、実現しても短時間の会談がわずか2回、日韓首脳会談も安倍総理就任以来、2国間では一度も開催されていない異常事態です。安倍総理がいつも胸を張っている北朝鮮拉致問題、この交渉での進展もまったく見られません。北朝鮮の再調査という口車に乗り、昨年7月に制裁を一部解除したものの、北朝鮮は誠意ある調査を行わず、1年以上経ってもなしのつぶてであります。北朝鮮は近く核実験を行うとの観測も出ています。安倍総理は完全に今、北朝鮮に手玉にとられています。

 手玉にとられているのは、対露外交も一緒です。北方領土交渉はむしろ後退をしています。8月22日にはメドベージェフ首相が択捉島を保護し、北方領土の軍事増強を表明しました。メドベージェフ首相が「日本は第二次世界大戦の結果に異論を唱え続けている」などと述べたことに日本政府は抗議しましたが、ロシアの副首相は「伝統にしたがってハラキリをして落ち着け」などと無礼千万な発言をしています。9月2日にはロシアの外務次官が北方領土問題について、「私たちは日本側といかなる交渉も行わない、この問題は70年前に解決された」などと言っています。まさにこの北方領土問題は、この間、大きく大きく後退してしまっています。

 外交ということで申し上げれば、南極海における調査捕鯨の訴訟に敗訴しました。2012年3月、国際司法裁判所でオーストラリア、ニュージーランドに敗訴し、調査捕鯨は中断を余儀なくされました。政府は当初、勝てると楽観視していたようであります。政府の情報収集能力と外交手腕の欠如を露呈をしたものであります。

●安倍政権に沖縄問題を扱う資格はない
 沖縄問題にも触れなければなりません。辺野古移設反対の翁長知事と知事就任以来、4か月間、面会を拒否しました。話し合う場も聞く耳ももたず、「粛々と進める」と傲慢な態度で強行に事業を進め、沖縄県民のみなさんの心情に傷をつけました。

 その後、協議の場を持ったものの、知事の示した戦後沖縄の事情も勘案した見解に対して、官房長官は 「戦後は日本全国、悲惨な中で苦労した」と発言をされました。確かに戦後は日本全国、苦労しましたよ。でも、沖縄は特別であるということは、これは常識 じゃないですか。ある意味で日本国民共有の認識じゃないんですか。唯一、地上戦が行われ、そしてその後、統治下に置かれ、この沖縄の犠牲を「日本全体が苦労した」と、こんな言葉で返せると、こんな人に沖縄問題を扱う資格はない。

 沖縄の歩んだ歴史にまったく寄り添う姿勢も見せず、協議も1か月で打ち切って、すでに行政判断を示させている。再度高圧的な態度で埋め立てを強行しようとしています。これではとうてい、沖縄県民の理解を得ることはできません。

*あいば注:後篇で完了すると思ったが、容量オーバーのため、本日は後篇1として、明日後篇2を掲載します。

 ≫【書き起こし:こむぎ(@64gyoza)、tekito editor(@tekitoeditor)】 http://tekitoeditor.hatenadiary.jp/entry/2015/09/20/183144

しかし、書き起こしを単にコピペしているとお思いでしょうが、改行や余白の整頓など、かなり時間のかかる作業です。しかし、そのお陰で、超メチャクチャ、ひっちゃかめっちゃかな安保関連法案の問題点が手に取るように理解できた思いがある。この枝野の安倍政権不信任の趣旨説明を、国民が本気で読むなら、誰一人、安保法案が日本国や日本国民のものではない事実に気づくだろう。NHKや読売日経を読み聞いていれば、枝野のような話だとは、誰も思えないのだから、怖ろしい国になったものだ。まあ、牙を持つ自民党及び霞が関官僚だと云う事までは、事実と認識して問題なかろう。このような法案が、再度廃案に出来る政権環境をつくらない限り、本当に国民は、青天の霹靂どころでは済まない悲劇を味わうことになる。こう云う人々が、我が国にも、2割くらいは存在する事実に出遭い、あいばは、意味的には逆さまだが、目から鱗の経験をした。


50歳以下の世代の人には是非読んでもらいたい

戦後入門 (ちくま新書)
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