世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

TPPは一種の“鎖国型自由貿易圏”! 地域に名を借りた鎖国だ!

2011年11月14日 | 日記
日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)
山本 七平
祥伝社



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TPPは一種の“鎖国型自由貿易圏”! 地域に名を借りた鎖国だ!




 米・国会議員(日米貿易摩擦で活躍済み)らが、「日本をTPPなんかに入られたらエライことになる。断固拒否すべき」等と勿体ぶった言説も海の向こうから聞こえてくるが、おそらくTPP推進派のプロパガンダに利用されているのだ。米国が日本市場に思い通り参入するチャンスであり、米国企業の市場拡大と雇用の創設が一気に解決出来る“打ちでの小槌”だと、米国政府及び、それらを支持乃至はコントロールしている勢力の人々は盲信しているに違いない。米国が日本のTPP入りに諸手を挙げての歓迎は、日本のTPP警戒勢力の追い風になると心配して起こしている風と読むべきだ。

 筆者の多くのTPP反対に関するコラムで述べたように、TPPによって日本が得るべき直接的な経済恩恵は微々たるものになるだろう。米倉経団連会長は公私の区別が曖昧なまま過激に推進の旗を振るが、経済界全体が彼のように過激に推進なのかどうか相当に怪しい。なぜなら、九つのTPP参加国の参入障壁を撤廃されたとして、日本の企業全体にプラスなのかマイナスなのか、判断がつかないと考えるのが正常な神経の持ち主だからである。悪と云うか、誤った資本主義の拡大が齎したグローバル経済は、個人や国家の意志を反映しないパワーで何処までも進んでしまうシステムであり、原発同様、人類の制御が利かない、抗生物質が効かないウィルスのようなものである。しかし、善悪の別なくグロ―バル経済が世界を覆っている現実も直視しなければならない。

 グローバル経済は簡単に言うと、経済合理性の飽くなき追求の結果 “人モノ金” が国家とか国境とかの概念を乗り越え自由気ままに蔓延る経済と云う事だ。筆者のように、生物的に、或いは思想信条の観点から、これ以上の成長を期待していない人間にとって、特に日米の飽くなき資本主義の発展など意味不明だ。利便の追求とか、情報が得やすいとか、コンサバティブだが、そのようなことと、人間の文化の向上は土俵が異なると理解している。

 グローバル経済が人類に未知の世界を提供するリスクを包含する点を重視して、個人的に拒否反応を示すわけだ。故に、もっともっと成長したがる人々にとって、“鎖国的発想による国家の独立”なんてのは、愚かでしかないだろう。時には、論理的に考えて、現状の生活を維持する為にでも最低限の成長がないと、国家が破綻すると云う言説にこだわる人々も多くいるだろう。所謂生活主義に毒された人々だ。衣食住が概ね満ちたりた人間は礼節を知るべきなのだ。しかし、現実は礼節も礼儀もヘッタくれもない世界が好きだと云う。今の生活を維持したいと云う。人間としての哲学を失った、ただの生き物と化している日米の支配者たち、そしてその連中にグタグタと文句言う人々。しかし、その文句を聞いていると、やはり生活に関してだ。勿論衣食住がないのなら、主張する権利はある。しかし現実を見ると、多くの人々、70%の人々は充分過ぎる、不必要なほどの贅沢な生活と利便を共有している。

 おそらく筆者の “鎖国的発想による国家の独立” が仮に実現した時は、現在の日本人の生活レベルは維持できない。“そんなバカな!”と云う異論がほとんどを占めるのは承知で言っている。しかし、そもそも現状を維持したいと云う人間の心理こそが、既存の権力者にとって好都合な被支配者の心理状態であることを自覚すべきだ。民衆は隠しているつもりの腹を読まれた上で支配されるのだから、支配者にとって、その心理を程々に擽り、脅し、煽り等々操作する事は容易いのである。民衆が、物質的富へのこだわりを持つ限り、本来の民主主義とか自由主義と云うものは、虚構の範囲でしか入手できないと云う事である。“身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”、“皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を切る”、“He that fears death lives not.”と云う事だ。

  “フザケルナ!新興宗教にでも被れれば救われるとでも言うつもりか!”と怒りの言葉が聞こえてくる。(笑)最近、筆者は欲求不満の所為か極論を語る快感に酔いしれている傾向はあるが、物欲に満たされた国民に、物欲基準で物事を考えてばかりいると狩猟民族たちの餌食になるぞ、と言っているだけなのだ。宗教ではなく、魂の問題である。民族の歴史から生まれ、共生の知恵から身につけた、日本民族の魂の貴重さを見直せ、と言っているのだ。

 小沢一郎支持の人々も口々に“小沢は自由貿易論者だ!TPPに反対ではないがセーフティ・ネットの準備が不十分だ”と言っている。筆者も政治的には、そのように語っている。小沢一郎の政治的立場における、そのような発言は尤もだろう。しかし、同時に彼の政治理念の根底にある“縄文の心”の意味する部分への配慮が少なすぎる。彼は政治家であり、政治権力闘争をしている真っ最中なのだから、幾分靄に隠された部分があるわけで、小沢一郎の根底にある、教育と云う言葉には、魂の問題が隠されている点、支持者はあらためて考えるべきである。

 中央から地方への主権の移行は、なにも予算が削減出来るからだけではない。地方が自立する意識を育てる為でもある。所謂、顔の見える範囲の自治意識の集合体(共生)が国家として成り立つ事に根差している。民主主義国家の政治家である以上、その言動には選挙と票がつきまとう。この選挙と有権者の意識を、民族の共生と云うレベルまで昇華させるのは容易ではない。時には実現不可能なユートピアであるかもしれない。しかし、理想と云う地図も持たずに、欧米民主主義、資本主義を目標に、追いつき追い越せは愚行である。筆者は、それは日本民族の滅びを意味していると思う。

 原敬、鳩山一郎、石橋湛山。彼らの保守政治には、日本民族の原点回帰を夢見ていた部分がある。故に、年月を経ても、そこはかとない哀愁のようなものが感じられる。農耕民族で、海に囲まれ、自然からの恵みと試練を友として生きてきた民族には、その民族の体質にあった国家体制があるだろうし、それを生みだす知恵もあると信じている。一神教の世界観で動く欧米の文化とは相いれないものが日本には数限りなく存在する。融通無碍でいい加減な考え方と云うものは、そこに抗い難い日本の自然があったからに相違ない。故に、何でも神様なのだ。その意味で、キリスト様も神に入れても良いと簡単に取り入れる。しかし、おそらく日本民族の唯一神的存在は自然そのものなのだろう。その意味で、宗教上の神や仏はセカンドに位置する敬う存在なので、少々有耶無耶なのかもしれない。

  話を急に時代の寵児TPPに移すが、TPPってのは社会哲学的に観察すると、“鎖国”の一種だ。囲い込んだ地域で自由貿易を愉しもうぜ!それも10カ国でだ。そんな自由貿易なんてあるわけがない。本日の見出しのような事を言われるリスクに配慮し、後々発展的にAPEC加盟国で合意されているFTAAP(アジア太平洋諸国自由貿易協定)等も視野としている等と詭弁を弄している。自由貿易の理念を押し通すなら、世界中の国家が関税障壁を撤廃、自由に好き勝手やろうぜと云うのが基本だ。つまり、TPPは米国の囲い込み鎖国地域の確立に過ぎない。きっと、10年、20年後、歴史の評価に耐えられない愚策と、世界中が腹を抱えて笑うに違いない。異なる視点で見れば、このEUを含む地域囲い込み経済圏構想は、仲間集めの闘いが発生し、最終的には地域の拡大を夢見る。そう世界を巻き込む争いを誘発するに違いない。目先の損得で国家の行先を選択するとは、呆れてモノが言えない。



成熟ニッポン、もう経済成長はいらない それでも豊かになれる新しい生き方 (朝日新書)
橘木俊詔,浜 矩子
朝日新聞出版



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