acc-j茨城 山岳会日記

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立山~剣岳・北方稜線

2000年08月05日 20時54分13秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2000/8月上旬 立山~剣岳・北方稜線

今年の山は残雪が多い。 山小屋に問い合わせると口を揃えてこう言っていた。 
一の越から見た室堂はそれを思い出させる景観が広がっていた。

「まるで絵の具のパレットだなあ。」

室堂の向こうには奥大日岳、またその向こうに富山湾と能登半島。 
立山の神は私を歓迎していると思ってしまうような好天で 私の夏山が始まった。

 


一の越からは 北アルプスの全貌がよく見える。

薬師、黒部五郎、言わずと知れた槍と穂高連峰まで手に取るようである。

ここでは登山者も観光者も一様にその眺めにゴキゲンな笑みを浮かべている が、雄山までの観光者にとってここから望む雄山までの岩稜登路は 不安を隠せない存在のようであり、その笑みには複雑さが感じられた。

少し登った辺りで偶然一の越しへの ヘリ荷揚げを見物できた。 
ここから、気持ちよい汗をひとかきすると 雄山に到着する。

雄山には立派な雄山神社があり、その先には頂上社が石垣の上に奉られている。

到底カメラでは納めきれないスケ-ルの後立山連峰を拝し、 もはや諦観の境地で昼食をほおばりつつ立山の神に感謝をする。


山頂社へは入社料(?)500円が 必要だった。

鈴の付いた御札をいただき社へ向うと安全祈願の真っ最中だった。 
御札の一節にこうあった。

・・・一万尺巌頭の神庭に相対するものは神と私だけである。心眼に見ゆるものは 全て神の光、心耳に聞こゆるものは全て神の声。神は大いなる使命を私に 与えている。・・・

霊峰立山、まさに神の相対する高みにいる事を実感した。


縦走路はここから上り下りの 繰りかえし。
大汝、富士の折立までは岩稜の路をそれ以降は穏やかな 背稜を地味に歩いて行く。


この頃からガスが多くなってきた。 
行く先に見える剣岳も見え隠れするようになってきた。


別山に到着すると それを待っていたかのようにガスが晴れ、眼前に剣岳の山容が現われた。

「剣岳でございます。」 
新田次郎著「点の記」で測量官・柴崎芳太郎が天狗平からはじめて剣岳を 見た時に宇治長次郎が声を上ずらせながら言ったというセリフが私の頭の中に こだました。

 

剣岳・・・素晴らしい。私には表現する言葉が見つからない。 
後頭部を殴られたような気分になる圧倒的な景観だ。 
カメラなど無用な長物、この迫力はナマでなければ表現できまい。 
絶句しながらもただ一心に眺めつづけてしまうそんな山だ。

当分呆けていたように思う。 
しかしまたガスで真っ白闇となって我に返った。 
今宵の宿泊地・剣沢への下降をはじめた。


翌朝剣岳への路をひたすら登り、 降り、また登る。


日が後立山の稜線から頭を出してきた。

陽光はまるで立山-剣の神が降臨してくるかのように一筋の光を 創り出していた。


険しい岩稜帯となってきた頃 人の流れも自然と連なるようになっていた。

後続のある男性の声がした。

「ここまで×分だ。コ-スタイムより○分速い。これが普通だよなあ」

「なんだよ、前に団体さんだよ。ついてねぇなあ。」

先がつまっているにもかかわらず目前の遅いおばさんへの一言。 
「立ち止まらないでくださ-い。後ろがつまってますよ-。」

写真を撮るのに私が邪魔だったのだろう。 
「お兄さん、チョット。」といって手の甲で私を「シッシッ」と手払い。 
(あっちいけって事かなぁ。・・・)


私は怒りに討ちひしがれながら、己の心に 「山の神」が降臨したのだと言い聞かせた。 
俗的な登山者は仮の姿、先ほどの光の道を降りてきた「山の神」が今ここに やって来たのだ。
私を試す為にやってきたに違いない。と。

カニのタテバイに達するまでに語り尽くせないほどの修険に私は耐えた。 
どうだ!山の神よ!

気分も萎え気味でカニのタテバイを行く。 
鎖を使わないで行こうと思ったが嵩むザックで、私には無理であった。 
剣岳山頂山頂は賑やかさに花が咲いていた。

「山の神」とはぜんぜん離れた場所にザックをおろし行動食をつまむ。 
山頂の看板は二ヶ所に別れ置いてあった。順番待ちの列も二列になっていた。

残念ながらこの頃ガスが山頂を覆い展望はなかった。 
しかし私にとってここは通過点なのだ。 
目を凝らし、八つ峰方面を睨めつけるがごとく視線を集中させていた。

次第に山頂も人が少なくなってきた。 
「じゃ、行くか。」 
私は一言のけじめをつけ、歩き出した。 
未だ見ぬ岩稜を見据えて。

八つ峰基部北方稜線ル-トは情報不足が 最大の心配事であり、浮き石地獄は一歩一歩が勝負である。

少ない情報を数枚の紙にまとめて一文ずつ確認し、 慎重すぎるほどにゆっくりと歩を進めた。

 

前方のガスが晴れた。 
八つ峰がワイド画面で現われた。 
八つ峰、チンネ、ジャンダルム。 迫力だなあ・・・。あっ!クライマ-だ。あんな所をすごいなあ。

山の神に堪え忍んだ御褒美か、不思議とこの辺りでガスに 見舞われる事はなかった。

三ノ窓に着いた。 
ここは、非公式ながらテントサイトとして利用できる場所である。

ここまで、残置ハ-ケンをいくつか見たが、 ペンキマ-クや鎖はまったくなかった。 
クライマ-の踏み後が縦横無尽にあり、どちらが縦走路なのか何度となく 行ったり来たりを繰り返した。 
そして、雷雨。 
私はいつしか道をはずしていた。

小窓の王・南西壁の稜線上から絶壁下の踏み後を眺めながら 自分を振り返った。 
概念図を何度見ても手順は踏んできたように思えた。 
しかし、結果は違っていた。 
大岩峰群の中に私はぽつんとひとり立っていた。

池の平小屋渾身の下降であった。 
雷雨の中、決して神に頼ろうとは思わなかった。 
岩壁と草付と道なきヤブとそして急な雪渓を降り立ち小窓雪渓まで来て ようやく生きた心地がした。 
意外と冷静にル-トを吟味した事とアイゼンなど装備が充実していた事が 幸いした。

さくさくと小窓雪渓を歩く。濡れた体に雪渓の冷気が容赦なく私の体温を奪う。

そこで加藤文太郎氏のエピソ-ドを思い出した。 
ポケットに行動食を入れて食べながら歩く。

食べていれば行動不能になる事はない。 
先人の英知を知ることも山では大切な武器となる。

北股から「泣き坂」を一気に登ると池の平小屋に出る。 
ちょうど管理人さんが五右衛門風呂を沸かしていた。 
疲れきった私にやさしく声をかけて頂いたそのお顔は 
「仏さま」に見えた。


sak


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