acc-j茨城 山岳会日記

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常陸・鍋足山

2001年12月15日 14時27分48秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2001/12中旬 常陸・鍋足山

師走

木々の葉が落ち、寂寥な枯枝が目立つこの季節。 
私が想うのは、やはり里山である。 
世間がいかにせわしくとも、一年の締めくくりに 里山で過すというのは今や私の流儀なのである。

鍋足山は茨城県北部の里美村にある。 
いかにも山里らしい風景を演出するのは、閑散とした渇いた畑と茶葉の畝である。 
萎れた白菜と寒々しくも潤いを保っている茶葉が対照的であった。


良き山

「近くて良き山」とは関東地方の山ヤにとっての谷川岳を表現した名言である。 
このフレ-ズに私が思い起こしたのは、鍋足山だ。

初めて訪れたのは5年前。細君と二人で山登りを楽しんでいた頃である。 
あの時、この山と出会ったからこそ今の私があるのかもしれない。

里見村役場から林道を登る事20分。 
林道の終点から山道となる。 
整備の行き届いた緩やかな山道を歩く。 
ここまで来て、むしろ今まで歩いてきた林道の方が急であった事に気付く。 
もっとも、急登とは言い難い登りであるから心配は無用である。

奥久慈観望

山道を歩く事30分ほどであろうか。 松林の登りを上がると岩場に出る。 
ゴツゴツと突起物の多い岩である。 
ホ-ルドとスタンスは豊富なれど、デコボコで歩きにくい岩であるから少しの 注意が必要だ。

岩場を登りきると、一投足で山頂へ飛び出す。 
そこには立派な一本松が根を生やす。 
まるで水墨画の世界にも似た、純和風の趣である。

この季節、山頂からは奥久慈の山々はもちろん、 奥州街道沿いの真っ白に冠雪した山々も観望できる。 
山頂を後に猪ノ鼻峠へと向かう。 ここからが鍋足山の核心であり、最大の魅力でもある。

 

興奮と覚醒

核心部はこれまでと一転、岩の断崖が際立つ岩稜歩きとなる。 
今でこそ安全でしっかりした道がつけられているものの、以前 は踏み後程度の道であり、緊張しながら歩いた興奮は未だ忘れ難いものがある。

思えば5年前の、あの山行からである。 
骨の髄から興奮し、体の躍動はすなわち喜びとなり、喉の乾きが山を求めるようになったのは。 
中でも岩稜歩きは最たるものであった。 
あの時、私は岩稜に覚醒していた。

魅力

鍋足三峰を越えると岩稜歩きもそろそろ終わる。 
視界に、イワマツの姿が映る。 
岩にくっつく小さな姿が可愛らしく、思わず微笑んでしまうシロモノだ。

以前もやはり同じだった。 
緊張から解き放たれた頃に姿を見せるイワマツ。 
細君も満面の笑みでその姿を全面的に無条件で賞賛していた。 
私とて同様だ。

ここには色々な山登りがある。 
それが私をこんなにも沸き立たせる魅力なのであろう。

薮漕ぎ

岩と別れ雑木の峰へと向かう。 
道は明瞭であり、迷う恐れはない。

思えば薮漕ぎの楽しみを感じたのも鍋足山での事ではなかったか。 
あの頃、この辺りは薮に覆われ、枯葉の原で踏み後が判別し辛かった。 
仕方なくひたすら上に向かって薮漕ぎをしたという記憶がある。 
その頂点に三角点を見た時はホッとしたものであった。

三角点を足下に里を眺める。 
田圃や畑のツギハギ絨毯が懐かしい美しさを所狭しと広げていた。

迷走

しまった。迷った。 
5年前、猪ノ鼻峠へ出る尾根をひとつ読み違えた結果であった。

それに気付いたのは、林業関係のマ-キングに誘われ、 随分下った先に渡るハズの無い沢があったからである。 
正直焦った。 
というのもスタ-トが遅く、日も傾いていたからだ。 
細君など、もはやサバイバルシ-トの出番かと身を案じたそうである。

幸い、手近の尾根を登り返し、道を回復したのであるが、あの時の細君の 不安げな顔ったらなかったなと、独りニヤニヤしながら今やしっかりとした 峠への道をのんびりと歩く 

近きにありて

「ああ、楽しかった」 
心底そう思える山がそこにある。 
ここは私にとっての遊び場。大人の遊び場とでも言うべきか。

里山は近きにありて想うもの 
そこはアルプスのように羨望の眼差しを送られる事も無いかもしれない。 
ただ、近いからこその気軽さと安らぎがある。

5年前の山行を思い出しつつ今を振り返る。 
我が妻も近きにありて想うもの。 
お互い気付いているような、いないような。 
山も人も似ているような、いないような。

 

sak


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