今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「ベッジ・パードン」

2011年07月03日 04時06分33秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

三谷幸喜生誕50周年 大感謝祭第3弾
【作・演出】三谷幸喜
【出演】夏目金之助(夏目漱石) 野村萬斎 / アニー・ペリン(ベッジ) 深津絵里 / 畑中惣太郎 大泉洋 / グリムズビー 浦井健治 / Mr.&Mrs.ブレッド他 浅野和之


世田谷パブリックシアターは立ち見が出るほどに大盛況。
それゃあもう、なんたって三谷作品で、その上この役者揃いですものね!!

「ベッジ」とは夏目金之助(漱石)がイギリス留学中に、下宿先の小間使いアニーにつけたあだ名です。
アニーはロンドンでも下町育ちなのでコックニー訛りがあり、彼女の言う「I beg your pardon?」(もう一度お願いします)という慣用句が、金之助には「ベッジ・パードン」と聞こえます。
それで、金之助はアニーを「ベッジ」と呼びますが、他にもコックニー訛りだと「H」が発音できないので、「はい」が「アイ」になり、「人」は「イト」に聞こえ、二人が親密な仲になってからは、金之助もアニーに影響されて「H」の発音がおかしくなったりします。
ええ、もちろん、日本の舞台ですから、「これは英語だと思ってください」という日本語なわけですけど(笑)
深津さんアニーの「あいっ!」というお返事が、と~っても可愛かったです!

それで、ですから、ロンドンっ子のアニーにしたってコックニー訛りのコンプレックスがありますけど、金之助には英語コンプレックスがあるし、英語がぺらぺらな日本人の下宿仲間・畑中惣太郎にしても、日本語となると方言のコンプレックスがあったりします。
それで「言葉」というのがこの舞台の重要な鍵ともなっています。

物語の最初の頃に、下宿先の大家の奥さんが、上手に英語が喋れない金之助に言うんですよね、
「言葉ではなくて、心よ」と。
けれども、その奥さんはいつも他人に厳しい言葉しか言えない人で、優しい言葉や感謝や褒め言葉が言えず、旦那さんはそれに耐え切れずに終盤で家を出てしまいます。
そこで金之助は言います。
「大切なことは言葉に出さなければわからない。」

私はこれはどちらもそうだと思うんですよね。
人の心は見えないからこそ、大切ならば言葉にしなければ本当の気持ちは伝わらないというわけですが、けれども、調子のいい畑中がそうであったように、たとえ言葉が巧みでも、そこに心が込められていなければ何も見えません。

心のある言葉、心のない言葉。
言葉の役割とは、心とは、その力とは、いったい何なのか……。

そこでまたいつもの脱線話なのですが(笑)
十年ほど昔の話ですが、私はある時、大切な人に、「万感の想いをたった一言で伝えた」という、奇跡のような経験をしたことがあるんです。
それは一行ですらなく、本当にたったの一言でした。
意図的にしたわけではないですが、その時私は言葉がみつからなくて、その一言に、感謝と愛情、慕わしさや共感も、感激も、甘える気持ちすらも込めたつもりでしたが、その全てがたった一言で確かに相手に伝わったと感じた時、やはり「言葉とは何だろう、その中に宿る心とは何だろう」と思わずにはいられませんでした。
その最強呪文ともいうべき言葉が何かと言うのは、もちろん秘密ですけど(笑)、けれども何故そのような事が起きたかと言うと、その背景には、それなりの月日をかけて心を込めてきたたくさんの言葉のやりとりがあったという、それまでの経緯ががあったからこそ、そういう奇跡のような瞬間に出会えたのだと思います。
最強呪文は一日にして成らず(笑)
いざという特別な時だけじゃなくて、互いに日ごろから言葉に込めて、ちゃんと形にして伝え合おうとしていけば、たとえその言葉が拙いものでも、きっと大切な想いというものは相手に伝わるものだと実感した、とても貴重な経験でした。
上手い下手でもなく、長い短いでもなく、心なんですよね、やっぱり。
そして、この心を込めた言葉を、「何時、何処の場で、誰に向かって言うのか(あるいは、書くのか)」というのは、私のここ最近の課題のひとつでもあります。
課題といえば、他にも、「抽象と具象」「マクロとミクロ(または、万人と唯一人)」とかもそうなんですけど、何故かというと、こういう感想を書くにしても、、他のものを書くときでも、「人を想うこと」と「自分を思うこと」に繋がるからなんですよね。
あくまでも、私の場合は、ってことですけど。
これらが私なりに解れば、もう少しだけ幸せになれるのかな?? って。
そして、そのヒントがこうして舞台の上に転がっているから、やっぱり私は一つでも多くの舞台を観たいと思わずにはいられません。
ってか、そんなふうに言葉にすると、なんか難しいことを考えているようですが、そんなんじゃなくて、とにかくただひたすら面白がっているだけなんですけど。(笑)

ところで、ベッジ役の深津絵里さんはむちゃくちゃ可愛かったですけど、や~っぱ、浦井くんは可愛い~!!(笑)

大人の女が、同性の、やはり大人の女を可愛いと思う時、そして、大人の男性を可愛く思う時って、赤ちゃんや幼児とか小動物などの「小さき者」を可愛く思うのとは似て非なるものがありますよね?
浦井くんなんて、この舞台では小柄な役者さんたちに混じってかなり大柄に見えたし、不精で汚い髭面に作ってたし(笑) しかも、よく考えても考えなくても、かなりろくでなしな、一歩違えればとても好きになれないような、酷い弟の役だったりするんです(笑) 
それでも、な~んか、「可愛いから、しょうがないよね~」って気がしちゃうから不思議。
やっぱり大人の可愛さって、見た目よりもまず、なんか、つい目が離せなくて放っておけないような、、思わず手を伸ばして何かしてあげたくなるような、大概の我侭も許してあげたくなるような、微笑みたくなるような、そういうもので、内側から滲み出る性格的なものだと私は思うんです。
そういえば昔、カリスマ性を持つ者について、彼らの共通した特徴について説明された文を何かで読んだことがあるのですが、それにちょっと共通したものがあるかもしれません。
深津さんにしても浦井くんにしても、十年後も二十年後もきっと可愛いんだろうな、そうであってほしいな、と思った次第でした。

ああ、本当は、その可愛い深津さんベッジが「夢の話」について語った場面が、思わずキューンとして抱きしめたいくらいに愛しく思えたこととかも書きたかったのだけど、なんかとても長い文になってしまいそうだから、それはまた別の機会にしときます。
希望とかの「叶える」ほうの夢の話ではなくて、布団に入って寝てから見る夢の話なんですけど…、どうせ私は脱線話になるのよね、きっと(笑)

とにかく魅力的な五人の役者さんたちにそれぞれ見所あり、見ごたえありの面白い舞台でした。
生真面目でナイーブな漱石の野村萬斎さんは期待以上に良かったし、テレビでおなじみの大泉洋さんも可笑しかったけれど、浅野和之さんの11変化には脱帽で、その職人技にも笑わせてもらいました。

劇場内で売られているパンフレットが1000円という価格で、しかも読み応えありというのも嬉しいです。
それに、何よりもそのパンフレット代の全額が被災地の義援金として募金されるというのが、太っ腹ですよね~!
透明の義援金箱に、パンフレット代の千円札が次々に放り込まれている様が珍しかったです。
あっちこっちと期待を裏切らない舞台でした。