今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」

2012年09月09日 20時57分49秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)

2012/09/01 Shibuya O-EAST
【作】ジョン・キャメロン・ミッチェル 
【作詞・作曲】スティーヴン・トラスク
【訳詞】スガシカオ
【上演台本・演出】大根仁
【音楽監督】岩崎太整
【キャスト】ヘドウィグ/森山未來、イツァーク/後藤まりこ

この作品は、かつて2008年と2009年に、山本耕史さんの主演で観ていました。
最初に観た時は、全曲英語ということで、珍しく予習をしていったにもかかわらず、やはり歌詞の内容があまりよく理解できませんでした。
けれども、歌詞がよくわからないままに聴いていてさえも、いつの間にかヘドウィグの歌には涙が溢れてきて、しまいにはその涙が止まらなくて困ったのを思い出しました。
そして、よくわからないままに、ふと、「わたしは、わたしのようでなければよかった」と思い、またもうひとりの私が、「わたしは、わたしのようであっていいかもしれない」などと思いました。

今思えば、私にとって、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」とは、つぎつぎと過ぎ去る日々の苦しみや痛みを共に乗り越えて、人生を受け入れ、そして何よりも自分自身を受け入れてみようと思わせてくれるような、そんな舞台だったような気がします。

そして、2012年。
この作品は、新たなる手により生まれ変わりました。
設定は『3・11から数十年を経た近未来の日本、立ち入り禁止区域の壁の中にあるスラム街が舞台』
つまり、ベルリンの壁がないです。

この壁は壁でも、壁の意味が違うだろうが・・・と思う、私。

あ、そうか。
知らないんだ?

この会場に来ている人たちの、あのほとんどが、ベルリンの壁が崩壊されたあの日の衝撃を、その意味を、知らないんだ?

まあ、それはいい、か。

このステージ、ミュージカルというより、まさにライブでした。
確かに凄まじかったです。
凄まじくエキサイティングで、激しくエキセントリックで、まるで本物の過激なロックのライブのようでした。
それこそを、つまり「ライブのような舞台」を目指していたというのならば、このステージは大成功だったと言えるでしょう。
客席は、特に前のほうのスタンディング席は大興奮に沸きあがっていました。

でも、
でも、
でも・・・・・

* * * * 

という、上記の文は五日前に書いたもの。

で、この際だけど、文体は変えるわ。
文体を変えて、いつものお喋り口調にしちゃうけど、ぶっちゃけて「でも…」の続きを書くからには、私はもう遠慮しないから、このステージに大絶賛の感想を読みたいあなた、または、これから観に行くあなたには、今宵はここまで、さようなら~! またご縁があったら会いましょう!
そして、私の正直な感想がどんなであれ、読んでみたいと思ってくださる貴方には、このあと10行後に。
ではっ!









そう。
「でも・・・」と、私は言いたい。

歌のみを聴く「ライブ」で聴く歌と、ミュージカル(それが、ロックであれ)で、物語の中で聴く歌とでは、それが同じ楽曲でも、同じ歌い手が歌うのだとしても、それは違う。
同じ歌なのに、同じ人が歌うのに、どこがどう違うかは、その微妙な違いは、その両方を聴いてみたらわかるわよ。
上手く言えないけれど、それはたぶん、「歌で語るのと、物語の中で歌う違い」かもしれない。

「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」、この作品が好き。
森山未來くんも好き。
そして、今度のこれには、スガシカオが訳詞を書いた!

だから、これ、本当は、私は褒めたい。
すっごく褒めて、褒め倒したい!

確かに、未來くんは、すごかったし、凄まじかった。
みんなが興奮していたのも、わかる。

だけど、この熱狂の中、私はなんだか、ひとりだけアウェーな気分。
みんな、あの狂気噴き出すような興奮の中で、何を感じたの? 何を思ったの?
どんなふうに感動したの?

ねえ、どうしてもいつも、みんな正直にそれを教えてくれないの?

役者さんの演技がどうだったとか、歌が上手かったとか、演出がどうこうじゃなくてさ、
ライブパフォーマンスの話じゃなくて、ましてや森山未來がどうで山本耕史がどうだったかとか、そんな話じゃなくてさ。
どこにどうして、どんなふうに心が震えるのか、なんでみんなもっと語ってくれないんだろう。
私にそれを聞かせてよ!

未來くんじゃなくてさ、ヘドウィグの過ごしてきた時間の流れの中の、その痛み、悲しみ、怒り・・・その心に、どう揺さぶられたの? それを私に教えてよ。 
あなたは、あのステージを見て、あなたの壁と、それを越えた痛みと、男でもなく女でもないことだとか、愛されない悲しみを通り越した怒りだとか、もうどうしようもない後戻りのできない自分だとか、その取り返しのつかない、堪らないあのアングリーインチを、自分に見ることができたのか?

だから、そういうの。
ヘドウィグは、そういうのを、すごく正直に、心に血を流しながら、あんなに赤裸々に語って聞かせてくれているのに、そういう舞台のはずだったのに・・・・

私には見えなかったのよ。
痛くて悲しくて滑稽で、ひどく可笑しくて醜い、あの堪らない、愛されもしない、アングリーインチが!
ヘドウィグの、そして、私の。

だったら、これを見る意味って何?、私にとって。

ただ、「未來くんが熱演して熱唱していた、まるでロック・スターのようなもの凄い熱狂のステージだった!」じゃ、私は足りない。 
こう言っちゃなんだけど、あのステージをもってしても、ヘドウィグという作品を感じるには、ぜんぜん足りないわ!
ヘドウィグを感じるのには、「まるでライブ」じゃ駄目なんだって!
あくまでも、ライブ形式で進行する、ロック・ミュージカルじゃなきゃ。
私はロックのライブで興奮したいのだったら、ここじゃなくて、別のライブ会場に行くわ。
媒体が違うってことは、それ相応の意味があるのに。

スガシカオの、あの歌の訳詞。
二階席だったから? 半分ほども聞き取れなかった。
でも、あの訳詞で、スガシカオ本人がライブで歌ってくれたなら、また舞台とは違う感動で、きっと涙が溢れたに違いない。
そんなことを思ったり・・・

私はまるで、心が不感症な女になってしまったみたい。

もしかして、いよいよ私はもう、この観劇という道楽を止めてしまったほうが良いかもしれない。
会場のみんなが興奮する中で、ひとり白けている自分は、知らない間にきっと心が百年も老いていて、すっかりと鈍くなってしまったに違いない。

家に帰ってひとりになって、ふと、もう一度、どうしてもこの作品に触れたくて、ネットで「Wicked little town」を探して、聴いてみた。日本語訳も調べてみた。
それでも相変わらず、英語の歌詞を聴きながら理解することは難しい。

だけども、歌から流れるものが、どうしようもなく胸をしめつける。
そう、これ。
この歌。
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」は、やはり私にとってある意味、慰めの舞台でもあったことを思い出した。

わたしは、わたしであることを許さなければ・・・。
ヘドウィグが、私にとってそういう舞台であったことを思い出した。


歌って、なんだろう。
物語って、お芝居って、ミュージカルってなんだろう。

そんな難しいことは、どうだっていい。
考えるのも、書くのも面倒くさい。

けど、
ただ、心震わせて欲しいだけ。
一緒に震えたかっただけなのに・・・。


最後まで読んでくれた貴方へ・・・
わからんちんな女で、ごめんなさい。


 Hedwig and the Angry Inch - Wicked Little Town (reprise)  

「Wicked little town」

許してほしい
僕はまだガキだったし
本当になんにもわかっちゃいなかった
だけども君だってずっとそうだった

どんな神様だって創れやしなかった

男でもなく女でもない
それ以上の存在
そして、いまなって気づいた
君から奪ってしまったものの大きさを

すべてが壊れ始めたとき

悪意に満ちたこの街の地表の上で
君は瓦礫の破片を受けて
これまでになかった美しいものを見せた

君は運命に置き去りにされたと思っているようだけど

きっと、運命なんて何もないんだ
天にはただの空気しかなくて
神様の計らいなんか何もなくて
運命で決められた片割れの恋人だとかも

そんなのは、どこにもいやしない
見つかりはしないんだ

君を変えてきたもの、そのすべてのせいで
君は見知らぬ誰かのように生きている
腐れきったこの小さな街の中に閉じこもり

来る日も来る日も一人ぼっちのままで

だから

もうどうしようもなくて
身動きできなくなってしまったなら
どうかこの僕の声にたどり着いてくれ

この胸くそ悪い、ちっぽけな街の

暗闇と雑音をくぐり抜け
僕の声にたどり着いてくれ

ああ、そうさ
腐れきった、ただのちっぽけな街だから


さよならしよう
この小さな腐れた街に

(訳:煌月)

Forgive me,
For I did not know.
'Cause I was just a boy
And you were so much more

Than any god could ever plan,
More than a woman or a man.
And now I understand how much I took from you:
That, when everything starts breaking down,
You take the pieces off the ground
And show this wicked town
something beautiful and new.

You think that Luck
Has left you there.
But maybe there's nothing
up in the sky but air.

And there's no mystical design,
No cosmic lover preassigned.
There's nothing you can find
that can not be found.
'Cause with all the changes
you've been through
It seems the stranger's always you.
Alone again in some new
Wicked little town.

So when you've got no other choice
You know you can follow my voice
Through the dark turns and noise
Of this wicked little town.
Oh it's a wicked, little town.
Goodbye, wicked little town.


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-09-09 05:37:43
いきなりすみません(^_^;)
すごく同感です。
山本耕史さん時のような、心の震えがなかったので、ちょっと消化不良。
返信する
コメントありがとうございます! (おおるり)
2012-09-09 10:22:02
同じように思った方もいらっしゃると知って、なんだかほっとしました。

そうなんですよね、あんまり前に観たものと比べたくはないのですが、山本耕史さんの舞台で心が震えたあの時を思うと、なんだかもやもやと消化不良しますよね。
未來くんも演技が上手な方なんですけど…
ここ数年で随分と歌が歌える人になってきたと思いますが、ヘドウィグの歌を心で聴かせてもらうにはまだ彼にはスキルが足りないのか、それともあの新脚本や演出にはこの作品の何か大切なものが欠けているのではないか…とか。

でもあちこちで大絶賛されているのを見ると、そう残念に思う私のほうが残念な人なのかも?という気もしてきました。
返信する

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