Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

映画「母と暮せば」

2016-01-22 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 あの物凄い大雪の日(高岡では19日)、朝早くからイオンへ映画を見に行った。年暮れに「海難」の試写会を観た後、観たい映画がいくつもあり、ポスターを数枚(姫さんの分も)持って来ていた。「母と暮せば」、「杉原千畝」、「人生の約束」、「さらばあぶない刑事」などなど。が、風邪を引くわ、千葉で正月を迎えるわ、フィリピンの準備が始まるわ、でなかなか行けない。そのうち、前評判が高く、日本アカデミー賞を11個取ったと言う「母と暮せば」が1日1回の上映になってしまった。早目に観ておきたいと、お茶のお稽古の後、姫さんと決めたのが19日(火)と言うわけだ。
 9:40に1度だけの上映になっている(公開より一か月以上過ぎてはいるが)ので、9時半集合にしたのだが、イオンの入り口が9時半オープンなのだ。それより早く来た人は外で待たねばならない。あまりの寒さに客はブウブウ。内玄関までは入れたが、それでも店内には入れない。皆映画を見に来た人達。きっと「人生の約束」だろう、と隣の人に尋ねたら「母と暮せば」だそう。しかも、2度目だとか。思わず「そんなにいいですか?」と聞く。

 ↓ 店内で姫さんと合流。チケット売り場は行列。       

  ポスターには、「終戦70年・…。山田洋次監督が作家・井上ひさしさんに捧げて長崎を舞台に描く『母と暮せば』が、ついに映画化…」と書かれている。企画が井上ひさしさんの娘さんの麻矢さん、脚本が山田監督と平松恵美子さんだそうだ。
 長崎医科大で講義を受けている最中に、伸子(吉永小百合)の息子、浩二(二宮和也)は被爆、一瞬で体は消えた。持ち物すら、何も残っていない息子の死を母は信じられない。3年後、ようやく諦めかけた母のもとへ、浩二が亡霊になって現れる。「母さんは諦めが悪いからなかなか出て来られなかったんだよ」と息子は言う。↓は、ポスターより。      

  ↓ この蓄音器で、浩二が恋人の町子とよく聴いたメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が何度も流れる。  

 最後は、母、伸子も息子に手を引かれ、あの世へ逝くのだが、その間の日々の出来事…。
 伸子が、助産婦をしながら一人暮らしをしている暮らしぶり。生き延びるためには、時には闇物資を買わねばならない。それを売りに来るおじさんを加藤健一が演じ、お見事と言う外ない。町子は、小学校の先生になっており、傘のない子が雨の日に登校できない時は家まで迎えに行く。母を亡くし、祖父と弟妹と暮す女の子に付き添い、父の戦死を確かめに復員局へ出かける。私の母もこんな風に公報を受け取ったのだろう、としみじみと当時を思い出した。

 そう言えば、NHKが撮影時の様子を何度か取材し、ドキュメンタリー番組にしていた。原爆が投下された瞬間をどう表現するか? 悩みに悩んだ結果は映画でも一瞬だ。大学の階段教室で受講中の浩二が、ペンをインク壷に入れた途端にインク壷がグニャっと曲がり融ける…。また、被爆当時の長崎の街の話を、三輪明宏にインタビューをして、二宮くんと一緒に聴く…。その努力は報われているのだが…。

    

   ↑は、「父と暮せば」と「母と暮せば」のポスター。比べるつもりはないのだが、あまりにも「父と暮せば」が印象深く、やはり思い出してしまう。映画「父と暮せば」は黒部の「コラーレ」で、岩波文化ホールの総支配人(当時)の高野悦子さんと山田洋次監督の対談形式の講演と共に上映された。茶々姫さんと二人で、富山地鉄に乗り、ピクニック気分で出かけたものだ。
 広島を舞台に、原爆投下後一人で暮らす娘(宮沢りえ)のもとへ父(原田芳雄)が亡霊になって現れる。娘の前に若い考古学者(浅野忠信)が現れるのだが、娘は避けようとする。「私は幸せになってはいけんのじゃ」と頑なな娘を、父は「わしはお前の応援隊だ」と言い、前向きに生きるように説得する。エピソードも会話もユーモラスでほのぼのとしていた。

 こちらは母と息子で、息子が幽霊、あちらは父と娘で、父が幽霊…。母は老いて行き将来はない、娘はこれからの人生…おそらくその違いだろう。やはり見終わって明るい気持ちになりたいもの。井上ひさしには負けるな、と言うのが私の正直な感想だ。
 二宮君は、先日の「坊っちゃん」の方がずっと生き生きしていた。以前見た倉本聡の「優しい時間」も印象深かった。「嵐」のメンバーと言うより、先に役者として知ったからでしょう。

 見終わった後のランチ。久しぶりに中華。汁のある湯麺と、カリカリ焼きそばを注文し、取り分けて食べた。なかなかいい選択でした。