杉本苑子著 中公文庫の本。 最近よく一緒にお能を観る、大門のKaさんが「友人からもらった本だけど面白かったよ。あなたも興味があるのでは?」と言って貸してくださった。 世阿弥の伝記的小説と聞き、読み始めたが、いつものようにたまに開く読み方なので何ヶ月もかかり、今読み終えたところだ。
観阿弥、世阿弥と言えば、能の大成者として教科書に載っていることくらいしか知らなかった。 小説だから読みやすいこともあり、二人が能を思う執念、政治に翻弄される数奇な運命に圧倒されながら興味深く読み進めることができた。 初版が60年前なので、その後の研究で史実と多少は異なる部分もあるらしいが、南北朝時代、室町時代のゴタゴタが詳しく述べられている。
副題にもあるように、世阿弥元清の生涯を弟の元仲の目を通して(1人称形式で)書かれている。
<あらすじ> 時は室町時代、兄弟の父、結崎三郎清次(後の観阿弥)は、当時猿楽の大和四座の一つ「結崎座」の座頭であり、家族や座員を抱え貧乏暮らしをしている。 都でもてはやされている田楽をいつか凌ぎたいと、工夫を凝らした新作を書き、弟子や我が子への芸の指導も厳しい。長男の藤若(後の世阿弥)は子方として舞台に立つかたわら、生活を助けるため月の中10日は稚児勤めをしているが、素晴らしい美少年で、才能もある少年だった。
清次の執念と苦労の甲斐あって、結崎座は都に呼ばれ、3代将軍義満の庇護をうけ、清次は観阿弥と名乗る。 だが、観阿弥はその全盛期に、彼の母方に南朝側の楠氏の血が流れているとの恨みから巡業先で殺されてしまうのだ。 その時、世阿弥は22歳。 若き棟梁が結崎座を率いることになる。 世阿弥は詩人でもあり、多くの古書を読みそれをもとに新しい能を書き上げる。 「井筒」、「清経」、「砧」、「野守」、「斑女」、「花筐」、「杜若」…など。
義満の死後、次の将軍は再び田楽に肩入れするが、6代将軍義教は観世の能を取り立てる。 だが世阿弥を退け、弟の子、元重(後の音阿弥)をひいきにするのだ。 世阿弥の息子達も立派に芸を継承していたが、一人は病死、一人は出奔してしまう。 しかも、またもや南朝がらみの恨みから、世阿弥に佐渡流刑が言い渡される。 彼は出発前に1年の猶予をもらい、元重を後継者として訓練する。
”足かけ8年、70代のほとんどすべてを佐渡ヶ島で兄は生きた”と本には書いてある。 帰洛後、弟や甥と共に暮らし、不遇のまま81歳の生涯を終える。
だが、世阿弥が願った通り、田楽も猿楽もなく、「能」と言う呼び名に統一され大成された能は、500年後、600年後まで継承されている。 当時の4派に喜多を加え、観世、金春、宝生、金剛の5流が一つの能になった。
弟の目からは、世阿弥は能の美だけを追い求め、母も、妻も、子さえも愛さなかった、と写る。 「兄さんのほとけは生涯を通じて能だった。 私のほとけは、しかし兄さんだよ」と弟はつぶやき、照れる。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 折しも、この本を読んでいる最中に海老蔵事件が起こった。 歌舞伎と能の違い、時代の違い、芸を起こす者と継承する者の違いこそあれ、芸に対する愛と厳しさは格段の差である。 世阿弥と比べるのは酷な話かもしれないが。
父を失った時、世阿弥は、憔悴し狼狽し、芸も一時乱れる。 4,5年の間家にこもり、人気も落ちる。 が、その間悩み思索する傍ら、古書を読み、父を超える能を書くのだ。 謡を習い、能を観ることが、一段と面白くなりそうだ。