Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

本「華の碑文~世阿弥元清」

2010-12-09 | 

 杉本苑子著 中公文庫の本。 最近よく一緒にお能を観る、大門のKaさんが「友人からもらった本だけど面白かったよ。あなたも興味があるのでは?」と言って貸してくださった。 世阿弥の伝記的小説と聞き、読み始めたが、いつものようにたまに開く読み方なので何ヶ月もかかり、今読み終えたところだ。

 観阿弥、世阿弥と言えば、能の大成者として教科書に載っていることくらいしか知らなかった。 小説だから読みやすいこともあり、二人が能を思う執念、政治に翻弄される数奇な運命に圧倒されながら興味深く読み進めることができた。 初版が60年前なので、その後の研究で史実と多少は異なる部分もあるらしいが、南北朝時代、室町時代のゴタゴタが詳しく述べられている。

 副題にもあるように、世阿弥元清の生涯を弟の元仲の目を通して(1人称形式で)書かれている。 

 <あらすじ> 時は室町時代、兄弟の父、結崎三郎清次(後の観阿弥)は、当時猿楽の大和四座の一つ「結崎座」の座頭であり、家族や座員を抱え貧乏暮らしをしている。 都でもてはやされている田楽をいつか凌ぎたいと、工夫を凝らした新作を書き、弟子や我が子への芸の指導も厳しい。長男の藤若(後の世阿弥)は子方として舞台に立つかたわら、生活を助けるため月の中10日は稚児勤めをしているが、素晴らしい美少年で、才能もある少年だった。

 清次の執念と苦労の甲斐あって、結崎座は都に呼ばれ、3代将軍義満の庇護をうけ、清次は観阿弥と名乗る。 だが、観阿弥はその全盛期に、彼の母方に南朝側の楠氏の血が流れているとの恨みから巡業先で殺されてしまうのだ。 その時、世阿弥は22歳。 若き棟梁が結崎座を率いることになる。 世阿弥は詩人でもあり、多くの古書を読みそれをもとに新しい能を書き上げる。 「井筒」、「清経」、「砧」、「野守」、「斑女」、「花筐」、「杜若」…など。
 義満の死後、次の将軍は再び田楽に肩入れするが、6代将軍義教は観世の能を取り立てる。 だが世阿弥を退け、弟の子、元重(後の音阿弥)をひいきにするのだ。 世阿弥の息子達も立派に芸を継承していたが、一人は病死、一人は出奔してしまう。 しかも、またもや南朝がらみの恨みから、世阿弥に佐渡流刑が言い渡される。 彼は出発前に1年の猶予をもらい、元重を後継者として訓練する。

 ”足かけ8年、70代のほとんどすべてを佐渡ヶ島で兄は生きた”と本には書いてある。 帰洛後、弟や甥と共に暮らし、不遇のまま81歳の生涯を終える。
 だが、世阿弥が願った通り、田楽も猿楽もなく、「能」と言う呼び名に統一され大成された能は、500年後、600年後まで継承されている。 当時の4派に喜多を加え、観世、金春、宝生、金剛の5流が一つの能になった。
 弟の目からは、世阿弥は能の美だけを追い求め、母も、妻も、子さえも愛さなかった、と写る。 「兄さんのほとけは生涯を通じて能だった。 私のほとけは、しかし兄さんだよ」と弟はつぶやき、照れる。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。 折しも、この本を読んでいる最中に海老蔵事件が起こった。 歌舞伎と能の違い、時代の違い、芸を起こす者と継承する者の違いこそあれ、芸に対する愛と厳しさは格段の差である。 世阿弥と比べるのは酷な話かもしれないが。 
 父を失った時、世阿弥は、憔悴し狼狽し、芸も一時乱れる。 4,5年の間家にこもり、人気も落ちる。 が、その間悩み思索する傍ら、古書を読み、父を超える能を書くのだ。 謡を習い、能を観ることが、一段と面白くなりそうだ。


歯医者さんにもサンタさんがいっぱい

2010-12-06 | 日記・つぶやき

 「8020運動」を目指して、ほぼ月に1度歯のケアに通院している。 12/6(月)はその歯医者さんの日。 この日も晴れて坂下通りは気持ちがいい。 たぶん大仏さまもご機嫌だろう(電車通りで西へ曲がるので、背中を向けたままで失礼しました)。

 H歯科の玄関に入ると、上がり框に白い綿を袋に詰めたサンタさんがお出迎え(トップ写真)、”WELCOME"と足元に看板が。 両脇に、シュロチク(たぶん)の鉢と造花とドライフラワーの花瓶が置いてあり、壁には3人の賢者の”Merry Christmas"の絵が掛けられている(光るので斜めから)。         

               

 スリッパ入れの棚の上は、サンタさんの住んでいそうな北欧のお城? 横に「靴・傘のお間違いにご注意くださいませ」と大きな額縁が置いてある。
         

 子ども用スリッパはその下の篭の中、赤い花篭と一緒に。
          

 さて、待合室に入ると、雑誌や新聞入れの棚の上に、若き女性のエンジェルが。 ティッシュペーパー入れはいつもと同じだ。 ガラスの向こうに玄関が見える。
             

 更に出窓には、またまたサンタさんや雪だるまが。 さすがに ♪ジングルベル♪ こそ聞こえないが、クリスマスムード一杯で歯の治療でした。
                


金沢へドライブ~定例能・メルヘンおやべ

2010-12-05 | 能楽

 石川県立能楽堂では、毎月第一日曜に金沢能楽会定例能が開かれる。 夏ごろ、私の太鼓の先生、上田先生からチケットをいただいた。 だがなかなか日が空いていなくてはや12月。 何人か友だちに声をかけたが、年末だし、もう今年は数回観ているので腰があがらない。 私はたまたま日は空いているのだが、いざとなれば金沢は遠い。

 12月5日(日)、予想に反して晴れて暖かい日となった。 ようこ姫さんじゃないが、これを私への贈り物として出かけることに決定。 友だちとの待ち合わせ、乗り合わせがないと一人で行動できる利点もある。 JRの時刻まで決めていたが急きょ車で行くことにした。 
  最近、富山、城端以外は遠出をしないのだが、何度か他の人の車で金沢へ行くうちに、一度自分の車で「山側環状線」から金沢市内へ入ってみたいと思うようになった。 絶好のチャンスだ。 迷って遅れてもいいと思いつつ出かけた。

 ずっと緊張の連続で、見覚えのあるトンネルや道路の標識を頼りにどうやら金沢市内へ入る。 1度だけ道を聞き上手く能楽堂に着いた。 隣の護国神社に駐車する。
 中に入って驚いた。 満席なのである。 立見の人が何人も。 これには少なからず驚いた。今年最後の定例能だからだろう。 最初の能の「梅枝(うめがえ)」が始っていた。 地謡に、私の謡の先生の山崎先生、間狂言に高岡の荒井亮吉さんが出ておられる。 本を持っていたのと大体のあらすじは知っていたので途中からだがよくわかった。

 「梅枝」〈あらすじ〉 :昔、雅楽の太鼓の奏者に、富士と浅間と言う二人の奏者がいたが、宮中の管弦の役を争い、選ばれた富士を憎み浅間は富士を暗殺してしまう。 悲しんだ富士の妻は夫の太鼓を打ちながら心慰めていたが終に亡くなった。 それを聞き旅の僧が経文を唱えると、妻の霊が夫の衣を着て現れ、懺悔の舞を舞う。
 後シテ(妻の霊)が鳥兜を冠り「楽(がく)」の舞を舞う。 長い舞だが夫を思う妻の気持ちが表れているように思った。 (シテ:藪俊彦 ワキ:苗加登久治) 囃子は太鼓ナシ。

 狂言「文山賊(ふみやまだち)あらすじ) 今日も獲物を取り損なった山賊二人が、相手をなじり組み合うが、見物人のいない所では犬死になると、互いに手を放し書き置きを書くことにする。手紙を書いているうちに妻子の嘆きが思いやられ二人ともオイオイと泣き出してしまい、仲直りして帰る。
 この狂言は初めて見たが、主人と太郎冠者の「やるまいぞ」「おゆるされませ」ではなく、二人は対等で仲良く退場するのが面白かった。 (山賊:野村扇丞 山賊:炭哲男) 
  
 「猩々」(あらすじ) :唐の楊子の里に高風と言う孝行息子がいた。夢の教えを信じて市で酒を売るうち、次第に富貴の身となる。市の客に酒豪がおり、名を問うと海に住む猩々だと答える。高風が瀋陽の江のほとりで猩々を待つと、川の上に猩々が浮かび出て酒を飲み月下に舞を舞う(中の舞)。そして汲めどもつきぬ酒の泉を壺に入れて高風に与える。
 短い曲で中入りはない。 猩々は赤頭(あかがしら)をつけ猩々の面(童子の顔を赤くしたような)をかける。 
 ♪ 汲めども盡きず。飲めどもかはらぬ秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つあしもとはよろよろと。酔ひに卧したる枕の夢を。結ぶと思へば泉はそのまま盡きせぬ宿こそ。めでたけれ♪
(シテ:福岡聡子 ワキ:荒木克也) 囃子は大皷に高岡の川原善夫さん。野尻先生が後見につかれた。 太鼓方の打ち方がとても参考になった。

 終演は4時過ぎ。 まだ明るく市内から上手く出られるか心配だったが、道路上に「山側環状線」と大きく書かれわかりやすい。 交差点で1度だけ確認のため道を訊ねた。 「メガネのハラダ」の若い男性店員さんは親切に外へ出て教えてくれ、最後に「お気をつけて」と言葉をかけてくださり励まされた。
 だんだん薄暗くなり、またまたトンネルや山道を抜けて走ると(車はけっこう混んでいた)、小矢部に入り、道の駅「メルヘンおやべ」の看板を見るとホッとする。 迷うことなく店内に入った。
              

 小矢部の地域の野菜などの物産品売り場、お土産売り場、シャワールームもある。 メルヘンの街を象徴する学校や保育所、公共の建物の写真がいっぱい。 下はその一部。 
         

 昼も軽く食べただけでお腹が空いていたので、「メルヘン田舎」で夕食を食べた。 「 メルヘン湯玉ソフト」が人気だそうだ。 味噌や醤油をかけて食べるらしい。 食べるのは次に友だちと来た時までお預けとする。
 
 

 これでチョッと自信がついた。 お天気がよく、昼間なら金沢までドライブはできそうだ。


師走のお茶~お菓子などいろいろ

2010-12-04 | 食物

 12/4(土)の12月最初のお茶のお稽古で、ようやく土曜組5名全員が揃った。 この後年末に向けて皆さんそれぞれ忙しく、まだ2回ほどお稽古日はあるのだが年内に顔を合わせるのはこの日が最後となる。 そのせいもあり、いつもより一段と賑やかだった。

 この日のお持ち寄りの品、主菓子などを紹介します。 まず自分のことで恐縮ですが、私はこの日、皆さんに試食してもらいたい品、自分が試食したい品を持って行った。 両方とも、茶々姫さん宅への通り道、駅南通りにお店があるので途中買って行ける。
 試食してもらいたい品は納豆。 以前駅南の自然食品の店について書いたが、その後数回買い物し、一番美味しいのがこの納豆。 2個で105円。
          

 次に先日ようこ姫さんのブログに紹介された、ローソンのプレミアムロールケーキ。 私が1度食べてみたかった品。 左が、プレミアムチョコロールケーキ、右がプレミアム紅茶のロールケーキ。 紅茶はアールグレイ紅茶を使用しているそうだ。 その分の値段なのか、チョコが160円、紅茶が180円。
            

 作り方は、ロールケーキをカットするのではなく、板状のスポンジをカットして輪にし、真ん中へ生クリームを(Kaさんいわく、マヨネーズみたいに)絞り出すのだそうだ。 スプーンで食べる。
           

 お茶席には、沢田屋の主菓子”かぼちゃ”、おいはらの”おだまき”、沢田屋の”はなみかさ”などが盛りつけられ、立礼式の棚には”芋頭”の水指。 この水指は、茶々姫先生のご主人が自ら作られた逸品。 色と言い艶と言い、どっしりと温かみがある(トップ写真)。
           

          

 帰りは、案山子さんが丹精して作られた白菜を一つずつもらって帰途についた。 一日一日、師走を感じるこの頃である。  


大仏さまと満天星(ドウダンツツジ)

2010-12-02 | 高岡

 先日の「あかね」で、大仏さまの近くに住んでおられるミサさんがドウダンツツジの紅葉のことを「始めのことば」で触れられた。 その時初めてドウダンツツジを「満天星」と書くことを知った。 他に「燈台躑躅」、「灯台躑躅」、「満天星躑躅」とも書くらしいが、やはり「満天星」が美しい。 でままたどうして? 誰かご存知の方は教えてください。

 今日、12/2(木)も暖かい日和だった。 12月最初の平米公民館のお稽古日だ。 最後の舞台も終わったことだし、謡は来年に向け「船橋」、太鼓はまだ決まっていないのでつなぎに「船弁慶」のお稽古となり、偶然 ”船”のつくタイトルとなった。
 さて、帰り道坂下通りを上り大仏さまに向かう。 以前にも書いたがアーケードが取り払われすっきりと大仏さまが見える。 風子さんはホントに良い所にお住まいだ。
 近づくと、ドウダンツツジを手でバンバン叩いて枯れた葉を落としている男性が…。 近所の方だろうか、そろそろ落ち葉が多くなっているので振り落として掃くのだそうだ。 「枯れ葉掃除が大変です…」と。

 観光用駐車場に車を止め、写真を何枚か撮った。 同じ角度からばかりで芸がないが紹介します。
            

 この日は暖房も要らない暖かさ。 大仏さまは目を伏せて、でも陽を浴びて嬉しそうな優しいお顔。 
           

 つつじの葉は色もあせ、穴があきはじめ、そろそろ裸の枝だけになる日も近そうだ。
           


中西和久の「エノケン」

2010-12-01 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  今日は12月1日、師走の初日。 にもかかわらず暖かい日差しの小春日和(師走に入ると言わない?)で嬉しくなる。

 11/29(月)夜、寒く雨の落ちるなかを砺波文化会館へ演劇「エノケン」を観に行った。 28日高岡市民会館のはずだったが行事が入り、今回は1回公演だったので砺波へとなったわけだ。 「あかね」の後でもあり、予定はしていたものの寒くて暗くてとなると出かけるのが億劫になる。 近所のTeさんと一緒だったからこそ、だった。
 ところが砺波会場は熱気ムンムンだった(6:45開演がチョッと遅れたのはいただけないが)。 私達他会場の会員は場外で並ばなければならないが、その横をすり抜けるように開演間近にバタバタと駆けつけて来られる。 仕事の後に観に来る人達だろう。 ロビーには、主演の中西和久さんの「京楽座」の提灯がいくつも下がり、雰囲気を盛り上げている(トップ写真)。 会場も満員だ。
           

 エノケンこと榎本健一は明治37年生まれだそうだ。 昭和21年、終戦直後に榎本健一劇団結成 とあるから、私の子どもの頃は人気が出始めた頃だろうか。 当時、エノケン、ロッパ、アチャコは人気喜劇俳優だった。 
 劇中のご本人のセリフどおり、「背が小さい分、顔の造作が大きく」太い眉、大きな目、厚い唇、ガラガラ声は忘れられない顔だ。 人気絶頂期に病に倒れ、片足を切断する。 車椅子姿が記憶に残っている。 最後まで大衆に愛された喜劇王である。

 演劇は、エノケンに扮する中西和久のお笑いのステージ(コントやタップダンス、楽器演奏)と若手俳優がエノケンの日常生活を語る形式で進む(脚本はジェームス・三木)。 
 エノケンが乗り移ったように、中西和久が「お客さんに笑ってもらおうじゃねえかェ?」とステージで活躍する。 彼は、タップダンスの他に三味線、トランペット、トロンボーン、バイオリンを披露。 たいした努力家だ。 ♪ 俺は村中で一番 モボだと言われた男 ♪ や ♪ 私の青空 ♪ などよく知っている歌で自然に手拍子して口ずさんでしまう。 ご存知の方もあるでしょうから一緒に歌ってくださいネ。

 ♪ 夕暮れに 仰ぎ見る 私の青空   日暮れてたどるは 我が家の細道
   狭いながらも 楽しい我が家   愛の光の射すところ
   恋しい家こそ 私の青空 ♪   … ”私の青空ーMy Blue Heaven ”

 この曲は、輪唱にもなるしすぐハモレルし、ホントに楽しい曲だ。 このほか”エノケンのダイナ” や ”無茶坊弁慶”などの歌が次々に出て飽きさせない。 終戦当時の日本に思いを馳せながら、熱気あふれる舞台を楽しんだ。

            

               

 終演後、下の提灯が撮りたくて手前でずっと待ち続けた。 アンケートを集めている人、次例会のポスターを持って行って、と呼びかけている人、挨拶を交わしている人で賑やかだ。 ようやく人もまばらになったのでパチリ。