石川県立能楽堂では、毎月第一日曜に金沢能楽会定例能が開かれる。 夏ごろ、私の太鼓の先生、上田先生からチケットをいただいた。 だがなかなか日が空いていなくてはや12月。 何人か友だちに声をかけたが、年末だし、もう今年は数回観ているので腰があがらない。 私はたまたま日は空いているのだが、いざとなれば金沢は遠い。
12月5日(日)、予想に反して晴れて暖かい日となった。 ようこ姫さんじゃないが、これを私への贈り物として出かけることに決定。 友だちとの待ち合わせ、乗り合わせがないと一人で行動できる利点もある。 JRの時刻まで決めていたが急きょ車で行くことにした。
最近、富山、城端以外は遠出をしないのだが、何度か他の人の車で金沢へ行くうちに、一度自分の車で「山側環状線」から金沢市内へ入ってみたいと思うようになった。 絶好のチャンスだ。 迷って遅れてもいいと思いつつ出かけた。
ずっと緊張の連続で、見覚えのあるトンネルや道路の標識を頼りにどうやら金沢市内へ入る。 1度だけ道を聞き上手く能楽堂に着いた。 隣の護国神社に駐車する。
中に入って驚いた。 満席なのである。 立見の人が何人も。 これには少なからず驚いた。今年最後の定例能だからだろう。 最初の能の「梅枝(うめがえ)」が始っていた。 地謡に、私の謡の先生の山崎先生、間狂言に高岡の荒井亮吉さんが出ておられる。 本を持っていたのと大体のあらすじは知っていたので途中からだがよくわかった。
「梅枝」〈あらすじ〉 :昔、雅楽の太鼓の奏者に、富士と浅間と言う二人の奏者がいたが、宮中の管弦の役を争い、選ばれた富士を憎み浅間は富士を暗殺してしまう。 悲しんだ富士の妻は夫の太鼓を打ちながら心慰めていたが終に亡くなった。 それを聞き旅の僧が経文を唱えると、妻の霊が夫の衣を着て現れ、懺悔の舞を舞う。
後シテ(妻の霊)が鳥兜を冠り「楽(がく)」の舞を舞う。 長い舞だが夫を思う妻の気持ちが表れているように思った。 (シテ:藪俊彦 ワキ:苗加登久治) 囃子は太鼓ナシ。
狂言「文山賊(ふみやまだち)(あらすじ) :今日も獲物を取り損なった山賊二人が、相手をなじり組み合うが、見物人のいない所では犬死になると、互いに手を放し書き置きを書くことにする。手紙を書いているうちに妻子の嘆きが思いやられ二人ともオイオイと泣き出してしまい、仲直りして帰る。
この狂言は初めて見たが、主人と太郎冠者の「やるまいぞ」「おゆるされませ」ではなく、二人は対等で仲良く退場するのが面白かった。 (山賊:野村扇丞 山賊:炭哲男)
「猩々」(あらすじ) :唐の楊子の里に高風と言う孝行息子がいた。夢の教えを信じて市で酒を売るうち、次第に富貴の身となる。市の客に酒豪がおり、名を問うと海に住む猩々だと答える。高風が瀋陽の江のほとりで猩々を待つと、川の上に猩々が浮かび出て酒を飲み月下に舞を舞う(中の舞)。そして汲めどもつきぬ酒の泉を壺に入れて高風に与える。
短い曲で中入りはない。 猩々は赤頭(あかがしら)をつけ猩々の面(童子の顔を赤くしたような)をかける。
♪ 汲めども盡きず。飲めどもかはらぬ秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つあしもとはよろよろと。酔ひに卧したる枕の夢を。結ぶと思へば泉はそのまま盡きせぬ宿こそ。めでたけれ♪(シテ:福岡聡子 ワキ:荒木克也) 囃子は大皷に高岡の川原善夫さん。野尻先生が後見につかれた。 太鼓方の打ち方がとても参考になった。
終演は4時過ぎ。 まだ明るく市内から上手く出られるか心配だったが、道路上に「山側環状線」と大きく書かれわかりやすい。 交差点で1度だけ確認のため道を訊ねた。 「メガネのハラダ」の若い男性店員さんは親切に外へ出て教えてくれ、最後に「お気をつけて」と言葉をかけてくださり励まされた。
だんだん薄暗くなり、またまたトンネルや山道を抜けて走ると(車はけっこう混んでいた)、小矢部に入り、道の駅「メルヘンおやべ」の看板を見るとホッとする。 迷うことなく店内に入った。
小矢部の地域の野菜などの物産品売り場、お土産売り場、シャワールームもある。 メルヘンの街を象徴する学校や保育所、公共の建物の写真がいっぱい。 下はその一部。
昼も軽く食べただけでお腹が空いていたので、「メルヘン田舎」で夕食を食べた。 「 メルヘン湯玉ソフト」が人気だそうだ。 味噌や醤油をかけて食べるらしい。 食べるのは次に友だちと来た時までお預けとする。
これでチョッと自信がついた。 お天気がよく、昼間なら金沢までドライブはできそうだ。