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Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

本「70歳死亡法案 可決」 読前感騒ぎ

2015-02-19 | 

 水曜日朝、ほぼ毎週千葉のAちゃんから電話がかかる。都内の長女さん宅に滞在し、船橋の次女さん宅へお手伝いに通う彼女は、火曜夜だけ千葉の自宅に戻るのだ。間に、ケータイのeメールで話すこともあるが、けっこう話題がつきない。

 弟さんを亡くされたが、残る4姉妹が仲良く交流しておられるのが私には羨ましい。小さい頃は、自称「若草物語」、Aちゃんは次女なので、ジョーだと嬉しそうだったものだ。
 彼女にとって、6歳上のお姉さん(私は学生時代に、中野のお姉さん宅に下宿していた)は母親代わりのようだったらしい。そのお姉さんが数年前にご主人を亡くされ、今は友人達の洋服や着物のリフォーム注文を引きうけたりして忙しく元気に暮らしておられる。

 2/18(水)のことである。いつもの電話でAちゃんいわく、「○○ちゃん、A新聞とっとるやろ?昨日の新聞の2面見て。”天声人語”の裏あたり」(彼女は今でも城端弁。たぶん私と話す時)
 回収袋から取り出して新聞をめくる私。本の紹介欄である。たまたまその日はそのページを見た。小林聡美の「お散歩」と言う本の紹介に興味があったのだ。が、その隣に、同じ幻冬舎出版の↓の本の紹介があったのには気づかなかった。      

 お姉さんは、この本のタイトルに憤慨し、「けしからん」とあちこちへ電話をかけまくり、妹たちにもかかって来たというわけだ。紹介文を読むと架空の話らしいが?
 ちょうどその日は、茶々姫さん宅でなはさんとも会う予定。お姉さんは戌歳の早生まれ。お二人は酉年。きっと同学年。いつもお元気な先輩方を、ほんの少し若い我々は尊敬し、見習っている。茶々姫さんもA紙をとっておられるので、広げて皆で喧々囂々。とまでは行かないが「どんな本やろ?読んでみたい気もするし、読みたくもない気も…」 私なぞは、え?安倍政権が?またまたわけのわからんことを好き勝手に、が第一印象だった。現代姥捨て山みたいな本かしら?

 高岡市立図書館に予約しようとしたがなかった。ネットではけっこう読後感が載っている。なんでも、家族について考える内容だとか。今放映中の「流星ワゴン」(重松清原作)も家族を取り上げているが最近こんな本が多いようだ。読みもしない本の読後感ならぬ、読前感の一コマでした。

 この記事を途中まで書いて下書き保存したのに、ウッカリアップしてしまい、さっそくコメントをいただき慌てて書き足しました。


本 「置かれた場所で咲きなさい」

2014-10-07 | 

 かなり前のことだが、まんよう荘で”MiTUのアルト会”をした時、HOさんが紹介された本「置かれた場所で咲きなさい」を最近ようやく読んだ。当時、「あさいち」か「スタジオパーク」かのNHK番組に、著者の渡辺和子さんが登場されたようである。HOさんはその番組を見た後すぐ本を読んだそうだ。

 渡辺和子さんは、現在ノートルダム清心学園の理事長さんだが、1927年のお生まれだから87歳ということになる。お父上の渡辺錠太郎氏は2.26事件の犠牲者の一人で、和子さんが9歳の時目の前で最期を遂げられた情景が目と耳に焼き付いているそうだ。
 聖心女子大卒業後、上智大の院、ノートルダム修道女会に入会、ボストンカレッジの院に学び、30代半ばでノートルダム清心女子大の学長になられた。

 若くして学長さんになられての悩みや苦労、学生や隣人から相談を受けたり教えを乞われたりした時のこと、老いて感じられたことなどなどが、短いエピソードと共に語られているのだが、一つ一つが今の私には心にひびいた。

 目次の中からいくつか紹介します。内容を読むとさらに心にストンと落ちて納得します。

 * 神は力に余る試練を与えない…現実が変わらないなら悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

 * いい出会いを育てて行こう…いい出会いにするためには自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
 
 
 
 * 順風満帆な人生などない…人生にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
 
 
 
 * つらい夜でも朝は必ず来る…希望に叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること
 
 
 
 * 道は必ず開ける…迷うことができるのも、一つの恵み
 
 
 
 * いぶし銀の輝きを得る…毎日を「私の一番若い日」として輝いて生きる。 
 
 
 
 * 老いをチャンスにする…老いは人間をより個性的にするチャンス
 
 
 
 * 2%の余地…信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。

 

 まだまだあるのですが、この辺で。老いてから悩みの多い今の私には、とても心強い本でした。

 幻冬舎出版、新書版のサイズです。表紙のタンポポの絵がかわいらしい。図書館で借りましたが、手元に置いて時々読めばいいと思いました。


本 「百歳」

2014-08-26 | 

 8/24(日)、高岡 瑞龍寺で「高岡薪能」が行われた(このことはいずれ書きます)。例年より少しは涼しい日だったが、台所前の広い部屋で着替えをしているとやはり汗がポタポタ流れ落ちる。「蒼山会」の素謡は「三笑」で、私は地謡なので気分はリラックスなのだが、20分ほどの出番でも1時間以上前には着付けをすませなければならない。

 いつも一緒に着替えをしながら雑談する先輩方の中で、入院しておられる方や亡くなられた方などをつい思い出してしまう。寂しいことだ。先日、カーラジオで久しぶりに「ぼやき川柳」を聞いていたら、”老人会 暗い話で 盛り上がる”と言うのが入賞しており思わず笑った。が、盛り上がりはしないまでも話が自然にそこへ行ってしまうのは、私が弱気になっているから?そう言えば、今朝の新聞によると「ペコロスの母に会いに行く」の岡野雄一さんのお母さんも亡くなられた。

 帰宅後、夜着物を広げたら、襟元や胸に汗のシミがペットり。やはり家で洗濯できる化繊の絽にすればよかった。濃いえび茶色より茶々姫さんにいただいた白地に桔梗の方が好きで、変えたのだ。翌日すぐクリーニングに出さないと…。
 月曜日はクタクタ。膝も痛ければ腿も痛い。能「羽衣」を正面にまわりずっと立って見ていたせいもあるだろう。

 そこへ川越のTOさんから電話がかかった。今度の上京の際に会う場所の打ち合わせ。ついでにあれこれ話し、「羽衣」のことも話したら、「いいわね~。私も今ちょうど白洲さんの本で’羽衣’の能について読んでいたところよ」と言われる。白洲正子さんの「老木の花・友枝喜久夫の能」と言う本らしい。喜多流の能楽師の方である。
 TOさんは登山家なのだが、山に登らない時は本をよく読まれる。暑い時に読書もいいもんだ。なはさんから何冊も借りている本は?と探したら、返したと思っていた柴田トヨさんの「百歳」が積んだままになっていた。              

  1911年にお生まれだから、2011年この詩集を発刊された年に100歳になられたのだ。90歳になってから詩作を始め、新聞に投稿し続けられたとか。処女詩集「くじけないで」は映画になった(私は見そこなったが)。↓のようなページに大きな活字で平易な言葉で語られるのですぐ読めます。        

  ↑の詩、「空に」はこんな詩です。

       病院の
       ベッドから
       眺める空は
       いつも やさしい

       雲は ダンスをして
       笑わせる
       夕焼けは
       心を洗ってくれた

       でも 明日は退院
       この一と月
       ありがとう

       家に帰ったら
       手を振るわね
       気がついてね きっとよ           

 映画では、八千草薫さんが演じられたが、ご本人もこんなに優しいきれいな方です。


本 「春を背負って」

2014-07-28 | 

 立山連峰の大汝山を舞台に、木村監督が「剱岳 点の記」に次いで監督された映画「春を背負って」を観た。冬山を黙々と登る親子、春の小屋開き、屋根の上の布団干し、シャンプーする蒼井優ちゃん…、すぐさま何枚かの映像が思い浮かぶ。厳しくもほのぼのとした山小屋の物語だ。(↓は、私の紹介ブログ)

 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/8779955dee44847bee29dfd78bf8025d

 1か月前、音訳ボランティア「グループあかね」の活動日にその話をすると、山好きのKAさんが、「原作はもっといろいろな話が詰まっていて面白い」と仰った。すぐ図書館に予約し、先日読み終えた。

 「春を背負って」:  笹本遼平 著  文藝春秋刊 * まず、目次を紹介します。
   春を背負って
   花泥棒
   野晒し
   小屋仕舞い
   疑似好天
   荷揚げ日和

 原作の舞台、「梓小屋」は長野県南佐久郡川上村にあり、山梨県と埼玉県の県境らしい。主人公の長嶺亨をはじめ、母親、ゴロさん、美由紀(映画では愛)など登場人物は、映画も本も同じだ。が、映画は、↑の目次の「春を背負って」と「花泥棒」の2章の物語を中心に撮られている。

 後の4章では、山小屋で起きたもっと密度の濃い独立した話が書かれている。山での出来事だが、それぞれ人物の人生が描かれ興味深い。中にはミステリーのような話もあり、ドキドキする。

 「野晒し」は、白骨死体にまつわる不思議な話。ダブルストックの愛好者が増え登山道の路肩が崩れて危険なので、亨とゴロさんは修復作業を始める。そして、斜面の下に白骨死体を発見する。山岳警備隊に引き取ってもらった後(ケータイから110番すると詳しい位置を知らせることができる)、84歳の老人が同じ斜面の下で遭難する。宿泊予約をしているのに到着しないので心配していると、老人から亨にケータイ電話がかかる。さっきと同じ方法で位置を知って驚く二人。同じ場所とは!幽霊ではないか?と。亨とゴロさんが救助に行くと、正真正銘予約していた大下恭二郎だった。
 しかも、さっきの死体の遺品の時計の裏に「大下恭二郎」の名前が彫られていた。その時計は亡き妻からの贈り物、妻と一緒に登った山で失くした時計だった、と言う。遭難死した人はそれを拾ったのだろう。

 「疑似好天」は二つ玉低気圧による悪天候の中、足止めをくったパーティの話。亨たちのアドバイスで下山を見合わせて待機しているが、中の女性の夫が交通事故で意識不明との連絡が入る。彼女は以前、夫から生体肝移植を受け命を救われているのだ。疑似好天の中、女性はコッソリ一人で下山しようとする…。

 「荷揚げ日和」では、七歳の少女と猫のトマトが突然山小屋に現れる。荷揚げのヘリコプターに紛れこんだのだ。少女を巡る父母、祖父母が描かれる。

 最後にゴロさんの語る言葉からいくつか。
 「しかし、山はいいよ。ここに来ると、なにかこう頭や体がピリッとしてくるんだね。自然は人を甘やしちゃくれないからね。おれもこの冬はずいぶん楽をしちゃったから、生き物としての勘を取り戻すには多少時間がかかりそうだね。」
 「自然から離れれば離れるほど人間は頭でっかちになるらしい。生まれて生きて死んでいく…。植物や動物にとっては当たり前のことなのに、頭でっかちになった人間はそれに逆らおうとする。人間も本来は自然の一部なんだから、正しい答えを本当は知っているはずなのに、それを忘れて楽して得して長生きしようとばかり考える。そこが間違いの始りなんだよ。」


本「そして父になる」

2014-02-25 | 

 先日テレビで見た「東京家族」どうように、この映画も昨年見そこなった。なはさんが「文庫本になっているよ」と本を貸してくださったのに、しばらく読まないままテーブルに「積読」になっていた。読み始めるとあっと言う間で、昨夜読み終えた。

 「そして父になる」 是枝裕和・佐野晶 著  宝島社  カンヌ映画祭で審査員賞をもらった是枝監督の映画の小説化である。帯封には、”6年間育てた息子は、他人の子でした。” と帯封に書いてある。”映画を埋めて行くー”とも。 フィクションだが、実際に起こった’赤ちゃん取り違え事件’の当事者家族の物語だ。

 主人公は、企業戦士のサラリーマン、良太。社内結婚の大人しい妻、みどりと息子慶太の3人家族。私立小学校のお受験の場面から物語は始る。お受験のため塾通いをし、めでたく合格した。そこへ、出産した前橋の病院で赤ちゃんを取り違えた可能性があるので検査を受けてほしいと電話が入る。DNA鑑定の結果、慶太は前橋の電気屋さん、雄大とゆかりの息子とわかる。雄大とゆかりの息子の琉晴が良太夫婦の息子なのだ。
 検査の結果がそうでも、はい、じゃ交換しましょう、と言うわけにはいかない。「犬や猫じゃあるまいし。」 「犬や猫でもそう簡単にはいかないわよ。」と言うセリフが何度か出る。取り違えは病院のミスではなく、看護師が故意に取り替えたとわかる。彼女は再婚して、夫の子ども二人を育てようとしていた頃、不安な気持ちが妬みに転じ、良太の赤ちゃんをわざと取り替えたのだ。

 その後、2家族は長い月日をかけ、家族合同で出かけたり、お泊まりを重ねて、いよいよそれぞれの家庭に子どもを引き取る。が、親の方も子の方も、今までの家族のつながりがより強く…。と言うところで本は終わっている。おそらく映画もそうなのだろう。生みの親か、育ての親か、血のつながりか、愛した時間か、という疑問を残したまま…。

 是枝監督の映画は、映画館で「誰も知らない」を、「歩いても歩いても」をテレビで見た。いずれも「親と子」の微妙な深い繋がりを描いている。どんな人なんだろう?と興味があった。
 ↓は、2/15付けのA紙のインタビューの抜粋です。

 「世界はね、目に見えるものだけでできているんじゃないんだよ。」 これは、「そして父になる」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど世界的評価の高い映画監督・是枝裕和さんが脚本を手がけたテレビドラマのセリフだ。敵か味方か。勝ちか負けか。二分法的世界観が幅を利かせるこの日本社会を是枝さんはどう見ているのか、聞いた。

  Q:―昨年12月に発足した「特定秘密保護法案に反対する映画人の会」に賛同されていましたね。

   「ひとりの社会人として、責任がありますから」

  Q:政治的な「色」がつくという懸念はなかったですか。

   「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会をつくりたいからです。だから国家や国家主義者たちが私たちの多様性を抑圧しようとせり出してきた時には反対の声をあげる。当然です。これはイデオロギーではありません」

       (中略)

   「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません」

 Q:この浅はかさ。何でしょう。

   「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『2人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと。外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がった国民的ヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています」

   「例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければならないはずです。そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が払われているわけでしょ? それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決とは違います」

   「政治家の『本音』がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいてもひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう。『表現の自由』はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに保障するものです。そのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです」

 Q:しかし政治に限らず、「勝たなきゃ終わり」という価値観が世間では幅を利かせています。

   「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。でもこの二つしかないのなら、僕は価値のある負けを選びます。そういう人間もいることを示すのが僕の役割です。武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。『4割』に対する想像力を涵養(かんよう)するのが、映画や小説じゃないかな。僕はそう思って仕事しています」

   「ただ、同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんなに楽なリアクションはありません。何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると思います」

   「昨年公開した『そして父になる』の上映会では、観客から『ラストで彼らはどういう選択をしたのですか?』という質問が多く出ます。はっきりと言葉では説明せずにラストシーンを描いているから、みんなもやもやしているんですね。表では描かれていない部分を自分で想像し、あの家族たちのこれからを考えるよりも、監督と『答え合わせ』してすっきりしたいんでしょう。よしあしは別にして、海外ではない反応です。同じく日本の記者や批評家はよく『この映画に込めたメッセージはなんですか』と聞きますが、これも海外ではほとんどありません」

  (まだまだ続くのだが後は省略します)    (聞き手 論説委員・高橋純子) 

 是枝裕和 :映画監督・テレビディレクター 62年生まれ。ドキュメンタリー番組の演出を手がけ、95年に映画監督デビュー。作品に「誰も知らない」「奇跡」「そして父になる」など。


本「旅宿の花」

2013-12-30 | 

  以前、高岡市学遊塾でYA先生の「平家物語と謡曲の世界」と言う講座を数年間聴講した。その時に紹介されたのが、白州正子著のこの本である。今年「風の盆」を見に来てくださった川越のTOさんも、古典が好きな方で、やはりこの本を「よかったよ」と、薦められた。図書館に予約したら、福岡図書館の本が届いた。

 催促が来るほど長く借りてしまったが、実際には好きな個所だけ読んだに過ぎない。今日は、↓の目次の89ページの「倶利伽羅落とし」と次の「粟津ヶ原の露」を紹介したい。    

 私のお謡の先生、山崎健先生は、「越中が舞台のお能は、氷見の『藤』と立山の『善知鳥』の二つだけです」と仰る。「山姥」は越中と越後の境から上呂を通る話なので舞台とは言えない、と。それは宝生流の話で、観世流には『木曽』と言うお能がある。白州正子さんがこの本で取り上げておられるように、能「木曽」には「平家物語」に出て来る木曽義仲が描かれているようだ。
 義仲は京へ攻め上る途中、埴生八幡宮で倶利伽羅の戦いの戦勝祈願をした。また、平家の半数の軍勢ながら平家を谷底へ追い落とし勝利を得た。義仲はなかなかの策略家だったらしい。「火牛の計」については「平家物語」では語られておらず、「源平盛衰記」に書かれているらしい。京へ上るまでの義仲は「朝日将軍」と呼ばれる勢いがあったのだろう。白州さんは、自ら、埴生八幡宮を訪れ、倶利伽羅山から砺波平野を眺め、当時を偲んであられる。このお能は、一度見てみたいが金沢や高岡は宝生流が主だから、まず見ることはできないだろう。

 次の「粟津ヶ原の露」は、義仲が京を追われ、頼朝側の軍勢と戦い、敗れ討ち死にする場面が書かれている。場所は、滋賀県粟津、愛妾の巴御前や乳兄弟の今井兼平と共に逃げて来るが、巴は帰され、義仲は兼平ともに壮絶な最期を迎える。
 お能では、「巴」と言う能と「兼平」と言う能があり、それぞれ義仲の死を巴御前や兼平が語るあらすじのようだ。両方ともまだ見ていないが、来年度の金沢定例能で「兼平」が演能されるようなのでぜひ見たいと思っている。また、滋賀県大津市に「義仲寺」があり、すぐ横に芭蕉のお墓もあると聞く。ここも、いつか訪ねてみたい。

 小矢部市が、義仲と巴御前を大河ドラマにと躍起だが、ぜひ実現に漕ぎつけてほしいものだ。


本 「火の山~山猿記」

2013-11-26 | 

 今年上半期の朝ドラ「あまちゃん」をBSで見ていた。「あまちゃん」は朝7:30から、その前の7:15からは「純情きらり」が再放送されていた。岡崎の八丁味噌の蔵元へ嫁ぐ桜子(宮崎あおい)の物語だ。原作(原案)が、津島佑子の「火の山」と知り、いつか読もうと思っていた。
 と言うのは、桜子の長姉の笛子(寺島しのぶ)の夫、杉東吾(西島秀俊)は天才的な絵描きなのだが、太宰治がモデルだと言うのだ。そして、原作者の津島佑子は太宰治の娘のはず。原作を読めば、太宰の家族のことがわかるのかな~と言うのが一つ目の理由。

 もう一つの理由は、桜子の夫になる松井達彦(福士誠治)が八丁味噌屋の息子なのだが、音楽が好きでピアノが上手く、とても優しい。桜子とは音楽を通して結ばれる、と言う設定だ。実際にはどんな人物だったのだろう?と興味を持ったのである。

 図書館で借りた「火の山」はハードカバーの上・下巻。ちょっと読みにくい本だった。構成がちょっと複雑。登場人物(家族)が多い。富士山の石(鉱石)についての専門的な記事がところどころに出て来る(ほとんど飛ばしたが)。
 だから、上巻を読んで、下巻に取りかかるまでに時間がかかり、下巻を借りて読み終わるまでもかなり日数がかかってしまった。上巻には、有森家(津島佑子さんの母方の家系)の家系図が添付されており、ときどきそれを見ないと人間関係がわからなくなるほど。

 「純情きらり」は脚本家(浅野妙子)により大幅に改変されているが、桜子の生き方そのものは原作のままで感動的。また、戦前・戦中・戦後の日本の家庭の様子が詳細に述べられる。
 本は、桜子の弟の勇太郎(末子ながら有森家の戸主になる)が、我が娘や姪(津島佑子さん)に家族の話を語る形をとっている。メモや、姉たちの手紙なども挟みながら、長い伝記小説のように。舞台は岡崎ではなく、甲府。したがって、「火の山」は「富士山」。副題の「山猿記」は、有森家の子どもたち(2男、5女と養女の8名)が、父親と一緒に山を歩き、鉱物学者の父親から石の話を聞き、木の実を食べて遊んだ想い出の記、との意味だろうか。

 ドラマでは東京大空襲が出るが、実際には甲府の空襲だ。戦争末期の無差別爆撃の頃であり、日本本土が次々空襲を受けた時の人々の様子、家族の生活、お互いの思惑や思いやる気持ちが勇太郎の眼で淡々と語られる。あんな時代があったな~、ほんのこの間のようでもあり、遠い昔のようでもあり…。と、自分の家族も思い浮かべながら読み終わった。


本「アンソロジー・朝のおと」

2013-08-19 | 

 この本は、いつだったか、森のくまさんのブログに紹介してあった俳句集である。蓑島良二編著 ”12人の視覚障害者が詩歌で綴る人生模様”との添え書きがある。KNB放送「ビタミンわいど」の中に「ラジオ文芸」のコーナーがあったそうで、視覚障害者の俳句の投稿が多くなり、「アンソロジー・朝のおと」と言う枠を新たに設けたそうだ。それが本になった。

 音訳ボランティア「あかね」に所属して10年余り、「たかおか・市民と市政」の音訳テープやCDを送っているが、利用者の方たちの名前は知っていてもどんな方たちなのかまったく知らなかった。(MiTUの仲間だったYAMAさん以外は)

 図書館に本を予約し、受け取って目次を見ると、何人か名前に記憶のある方がおられる。娘がNATに勤めていた頃よく話題にしていたYASUさんのお名前もあった。           

        

        

 子どもの頃病気で失明された方もあれば、20歳、30歳、40歳の働き盛りに失明された方もおられる。お一人お一人の句や詩歌には、乗り越えて来られた苦労や家族や周りの人々への感謝、楽しみを見つけられた喜びが溢れている。
 電話で投稿される方、点字で投稿される方、小型テープレコーダーに録音しておき奥さまが清書して投稿される方、パソコンに連動するファックスソフトを使っておられる方…、そんなことすら私には驚きだった。
 ラジオ放送のほかにも、「冨山ライトセンター」から送られて来る録音テープで小説の朗読を聞いたり、市の広報だよりに耳を傾ける、と書いておられるKIさんの近況を読むと、もっと明るく柔らかく聞きやすい声で、わかりやすく原稿を読まねば、と改めて思う。

 「これからも、聴覚・味覚・臭覚・触角、そして心の眼を通して、楽しみながら俳句を作っていこうと思っています」と書いておられるTOさん。私も俳句の魅力にとりつかれそう。くまさん、良い本を紹介くださってありがとう。
 さて、最後に「あかね」のOさんからメールに添付して送られた戸隠・鏡池の朝の風景をアップします。先日のベルセウス流星群を捉えようと出かけられた時の写真だそうです。
      


名まえだけ知っていた絵本~「100万回生きたねこ」

2013-03-15 | 

 「100万回生きたねこ」 この絵本の名前を聞いたことがある人は多いだろう。佐野洋子さんの絵本だ。

 以前、川越のTOさんが「面白いよ」と、紹介してくださったのが「シズコサン」。佐野洋子さんのエッセーだった。その後、「役に立たない日々」と言う本も読んだ。この2冊については、↓のブログで紹介したので、興味のある方は覗いてみてください。

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/e5ea5a2a298dedbf73c283bea51eb951

 1月に、池袋でTOさんと会った後、ケータイメールのやりとりをした時、明日は近くの小学校へ朗読ボランティアに行く、と聞いた。「どんな本を読むの?}と聞いたら、この絵本を読むとのことだった。そして、翌日小学生の反応を知らせてくださった。

 じゃ、私も読んでみようか、と市立図書館に予約をした。トップ写真は表紙です。↓は1ページ目。緑色の眼は自己主張しているのに、動作が愛らしい。
 「100万年も しなない ねこが いました。
  100万回も しんで、 100万回も 生きたのです。
  りっぱな とらねこでした。・・・」と言うふうに、1ページ目は始る。

 あるときは 王さまの、あるときは サーカスの、あるときは どろぼうの、またあるときは女の子の ねこになり、その都度死に、また生き返るのです。
 飼い主は皆、ネコを可愛がり、死ぬと大声で泣いて悲しみます。でも ねこは、どの飼い主も大嫌いでした。

 「あるとき、ねこは だれの ねこでも ありませんでした。のらねこだったのです。ねこは はじめて 自分のねこに なりました。ねこは 自分が だいすきでした。…」

 たくさんの雌猫が、ねこのお嫁さんになりたがります。でも、
 「ねこ はいいました。 『おれは 100万回も しんだんだぜ。 いまさら おっかしくて!』
 

 たった1匹、ねこに見向きもしない、白い美しいねこがいて、「おれは、100万回もしんだんだぜ!」と言っても 「そう」と言うだけです。ねこは、毎日 白いねこの所へ行きます。       

 ある日、白いねこの前で くるくると3回宙返りをして 「そばに いても いいかい」と、たずねます。白いねこは、「ええ」と言います。      

 そして、たくさんの子猫と一緒に暮らし、子猫たちはおおきくなりそれぞれどこかへ行きます。    

 ねこは、白いねこと一緒に いつまでも生きていたいと思います。ある日、白いねこは、ねこの隣で静かに動かなくなります。ねこは、初めて泣きました。ねこは、100万回泣きました。そして、最後に・・・
 「ねこは もう、けっして いきかえりませんでした。」
            

 「これはひょっとして大人のための絵本かもしれない。」と言う人もいるそうだ。何とも不思議な絵本だった。TOさんは、必ず声を出して読んでね、と仰ったので、ゆっくり音読してみる。

 TOさんの朗読の後、小学生の男の子が、「ボクモ、自由が1番好き。 でも それにはお金が必要だね!」と感想を言ったと、TOさんは驚いておられが、いろいろな感想を生み出すような絵本です。 


句集 「胸に火照(ほて)りし」

2013-01-21 | 

 茶々姫教室のお茶のお稽古に、月曜組に3名、土曜組に5名の弟子が通っている。月曜組のTUさんが昨年末に、句集を出版された。20年前にお茶のお稽古を始めたと同じ頃から句作を始められたそうだ。その後、同人誌「河」に入会され、新聞にも秀句として選ばれたり、大会で受賞されるようになった。化学の先生として高校で教鞭をとられたTUさん、ずっと文学に憧れていた、と「あとがき」に書いておられる。5年ほど前から出版社「文学の森」から「句集を出されませんか」と勧められていたそうだ。そして、昨年ようやく選句に取りかかり、刊行の運びとなった。

 タイトルの「胸に火照りし」のイメージにピッタリの赤の背表紙、赤の帯が華やかだ。             

  「底紅や 胸に火照りし もののあり」 から、タイトルをつけたそうだ。底紅とは、芯の赤い槿のこと。夏になると、我が家の庭にも咲く花だ。あの花を見てほとばしる情熱を歌われたのだろう。

 1ページに、2句ずつ、とても読みやすい。だが、読めない漢字、知らない言葉がたくさんあり、すぐに意味がわかり、思いを想像できる句は実はそう多くない。            

 そんな句の中から、私にもわかった句、気になった句、好きな句をいくつか紹介します。

 100歳近いお年で亡くなられたお母さん、お孫さんやご主人など家族を歌った句。

  * 羅(うすもの)を 着てゆく母や 太子講
 * 雉子(きじ)鳴くや 母の耳また 遠くなる
 * 少年の掌に かなぶんの うごかざる
 * 粥膳の 夫(つま)に小春日 とどきけり

 ご主人が謡を習っておられるので、お能に係わる句もあります。

 * 新涼の 笛一管の ひびきかな
 * 法堂(はっとう)に 藤の精なる 燭光能
 * 観能の 火照りのさめず 時雨道

 お茶席での一句。

 * 「相生(あいおい)」の 茶杓あつかふ 雛の前

 季節の移りかわりや社会の出来事などに係わる句。

 * 積む雪の ひごと凹める 木の息吹
 * わが庭の ひかりまとひて 初雀
 * 春うごく 神楽太鼓の 一打より
 * 田水張り をんなの一揆を 思ひをり
 * 原爆忌 真水でくすり 飲みにけり

 こんな句もあります。どう言う意味でしょうか?

 * 携帯電話(けいたい)を 使ってをりぬ 夜の案山子

 句集が出来るまでのTUさんのご苦労など、↓のなはさんのブログに詳しいので読んでみてください。 

http://miwakawa78.at.webry.info/201301/article_6.html

 さて、お茶教室で、ささやかな祝賀パーティを開くことになった。その日のことは次回に書きます。ようこ姫さん演出のサプライズに私たちも驚きました。


写真集 「南砺」

2013-01-11 | 

  お正月に東京へ行った時、同級生のAちゃんと東京駅で遊んだことを書いた。その時彼女が、小さな新聞記事の切り抜きを見せてくれ、「こんな本知ってる?」と聞かれた。なんでも、姪御さん(お姉さんの娘さん)から、「おばちゃん、大きな本屋で探してみて」と頼まれたとか。彼女は4姉妹のうち3人までが東京におられ、お姉さん宅にもよく行っておられる。姪御さんは、母の実家があった城端が大好き、城端の写真が入っていれば買いたい様子。でも、五箇山だけかもしれないし、タイトルだけではわからない。昨年12月に発行されたばかりだ。若い人は情報が早い。

 それが、「南砺」と言う写真集だった。帰宅後、さっそく高岡市立図書館の本を検索すると、1冊あることがわかったのですぐ予約した。しばらくすると、「どうぞ」のメールが届いた。

 写真集 「南砺」。広川泰士撮影。平凡社。↓は、表紙。折り重なる山々。どの辺だろうか?  

  トップ写真は、裏表紙。城端の春の曳山祭りだ。
 ↓は、目次。場所や町での分類ではなく、”はじめに、眺める、祈る、集う、はぐくむ、いただく、南砺人、おわりに” のサブタイトルで、自然、寺社、祭り、工芸品、食事などをテーマに撮影しておられる。撮影者は県外の方。南砺市からの依頼で撮影に訪れた、とある。  

  ↓も、城端町、春の曳山祭り。宵山(飾り山)と、蔵回廊を曳かれる山車。
  さらに↓は、庵屋台の下から見える袴姿の足元と、提灯山のUターン。  

    

 ↓は、福光の干し柿、城端向野のエドヒガン桜。南砺の人々、農家の人、機織りの人。

                      

                     

 城端町中心の紹介になったが、砺波の散居村、井波彫刻、福野の夜高、五箇山の合掌造りなど、風景だけでなく人々の生活が映し出され、興味深い本だ。南砺出身者でなくても、好きになる写真集です。印刷所が、「牧印刷」。同級生のHOさんの実家なのも懐かしい。 


本 「白磁の人」

2013-01-07 | 

 年末からお正月まで2回汽車の旅をした。車内で読んだ本がこの文庫本である。以前くまさんの紹介で映画を見た。そのブログを読み、せめて本でも と、なはさんが求められたのをお借りした。文庫本は、汽車の旅には欠かせない。

 「白磁の人」 江宮隆之著  河出文庫 

 裏表紙の紹介文には:
 「韓関係史上になお影を落とすあの時代に、朝鮮にこよなく愛され、かの地の土となった伝説の人、浅川巧。素朴な白い焼き物のように人々を慰め育んだ愛の生涯を描いて、深い感動をよぶ名作」 と書かれている。

 「白磁のように素朴で温かい人」、彼はそう呼ばれた。白磁は、朝鮮ではキムチを盛る鉢や茶碗のように、日常使われ親しまれている器だった。↓は、左が 表紙絵の白磁の壺。浮彫がかすかに見えるが純白である。↓は、ネットから。蓮の模様が描かれている。

    

 昨年、著者江宮氏の脚本、吉沢悠主演で映画化された。映画のストーリーや感想を、↓の私のブログを載せたので、今回は本で詳しくわかったことだけ書くことにします。
 
http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/dbe4eee8cb552ea2485b5e9a32a1be61

 映画では、浅川巧 その人について、人柄やエピソード描いていた。だから、家族や上司、彼の下で働く朝鮮人の仲間などとの関係がドラマティックに詳しく描かれた。映画は物語だから当然だ。

 本では、「民芸」運動を興した柳宗悦(やなぎむねよし)や、後に文部大臣になった安部能成(あべよししげ)との係わりが述べられている。

 柳宗悦は、「この人はね、浅川巧さんといってね。僕が若いころ、一番尊敬し、一番信頼していた人なのだよ。この人がいなかったら今の私の仕事は半分もなし得なかっただろうな」と言っている。
 また、安部能成の「人間の価値」と言う随筆が、旧制中学用国語教科書に載っているそうだ。この中で、「…巧さんが朝鮮に渡って総督府の山林部に勤められるようになったのは、大正3年5月、巧さんが24歳の時であった。それから後18年の歳月は、巧さんを深く朝鮮と結びつけて永久に離れられぬものにしてしまった。しかもこの18年の勤労を以ってして、巧さんは、死ぬ前、判任官の技手に過ぎなかった。精励恪勤にして有能類稀な巧さんのような人に対する待遇として、誰がこれを十分だといおう。しかし巧さんの如きは、いかに微禄でも、卑官でも、その人によってその職を尊くする力のある人である。巧さんがこの地位にあって、その人間力の尊さと強さとを存分に発揮しえたということは、人間の価値の商品化される現代において如何に心強いことであったろう。私は巧さんの為にも、世の為にも、寧ろこの事を喜びたい。…」
 上は、1934年から1945年までの旧制中学で使われた教科書。難しい漢字、言葉でいっぱいだ。だが、内容は、現在にも通ずる真実である。

 浅川伯教(のりたか)、巧の兄弟が生まれ育ったのが、八ヶ岳の麓、山梨県甲村(現 北杜市高根町)だそうだ。現在は、その地に「浅川兄弟資料館」があるそうだ。一度訪れてみたいものだ。

 もう一つ、映画では大きく扱われた「3・1抗日運動」については、本ではそう大きく扱っていない。当然わかっていることだからだろう。   


本「ミレニアム 1 ドラゴン・タトゥーの女」上・下

2012-11-12 | 

 「あかね」のKAさんが「面白いよ」と言われたので、図書館で借りたことは以前書いた。久しぶりのミステリー、最初のとっつきが悪くて返却期間を過ぎてから読み始めた。そのうち、「ハリーポッター」の時のように、寝る前に必ず読み、先が気になり夜中まで放せなくなってきた。謎解きの面白さだ。続けて借りた下巻はあっと言う間に読み終わった。

 「1Q84」の青豆と天吾のように、二人の主人公の物語が別々に並行して進む。二人とは、ミカエル・ブルムクヴィストリスベット・サランデル。このカタカナ名前を見ただけで頭が痛くなる人もいるかも。私も何度も、最初のページの登場人物紹介に立ち戻った。

 タイトルの「ドラゴンタトゥの女」とは、もちろんリスベットだ。体中に刺青があり、耳と鼻にピアスをつけている痩せた小柄な女性。フリーの調査員。だが、物語はミカエルの事件から始まる。ミカエルは、雑誌「ミレニアム」の発行責任者で記者。二人は別々のルート(実際は仕組まれて)で、大実業家 ヴァンゲル一家の秘密に係わることになる。元会長ヘンリック・ヴァンゲルの孫娘、ハリエットの失踪事件である。
  
 
舞台はスエーデン。ストックホルムの北、ヘーデビー島。(↓は、上巻の表紙と本の最初のページの地図)
 

                        

 3部作全部を英訳で読んだSAさんに、「あなたがあんな本を読むとは…」と驚いたように笑われたが、私はミステリーは大好き。だから、真実が明らかになって行くまでの謎解きの過程が面白い。ただ、この本は、変質者が犯人で異様な殺害場面もあり、後味はあまりよくない(今新聞を賑わせているニュースを見ると、こんな事件は異様ではないかもしれないが)。

 過去の新聞や雑誌、犯罪記録などの資料を洗い出し、舐めるように読んで手がかりを発見する。資料のスキャン、メモのまとめなどすべてパソコンに保存、また相手のコンピューターへのハッキング行為もあり、で最先端の情報小説さながらである。
 2008年に、各国で翻訳され、どの国でもベストセラーだったそうだが、著者は出版前に亡くなったのだそうだ。 

  スティーグ・ラーソン著  ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳  早川書房

 第2部を借りようかどうか目下思案中である。


「古典の日」

2012-11-02 | 

 10月末の1週間ほど忙しい日々を送った。昨秋結婚した娘は、事情がありフランスと日本を往復する生活を余儀なくされている。10月初めに我が家に来た時は心身ともに疲れ果て、今度は長い間日本に滞在できれば、と私は密かに願っていた。が、婿の都合もあり10/31に再び発つことが決まった。病院やら買い物やら、その他いろいろと忙しく過ごし、かなり神経が参っていたので、31日は私も関空まで付き添った。雛人形を詰め込んだかなり大きなスーツケースを引っ張っており、さかんに重量を気にしていた(実際には充分余裕があったが)。

 6:26発サンダーバード、先日の南紀旅行と同じ電車で、いつもよりは遅い。京都駅で「はるか」に乗り換える。ちょうど私はカメラを買い替えたところ。初使用とあって娘は駅のホームをパチパチと写していた。

 ↓は、関空行き「はるか」のホーム(トップも)。          

          

 ↓は、帰りの京都駅0番線ホーム。「サンダーバード」を待っていると、入って来た電車。鳥取行きの「スーパーはくと」。暗くてよく見えないが、赤と青の配色がきれいで思わずシャッターを切った。「はくと」は、「白兎」。因幡の白兎の鳥取行きだそうだ。          

 タイトルと関係のないことを長々と書いたが、帰りの電車は1人旅、ずっと眠ったり本を開いたりして過ごした。最近読み始めたのが、「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」。音訳グループの「あかね」のKAさんの勧めで図書館で借りた。映画にもなったようだ。
 舞台はスエーデン。よく似た長い名前の人物が次々と登場し、何度も最初のページの人物説明や系図に戻らねばならない。そろそろ上巻の終わりに近づくのに、事件の全容がわかっただけ。下巻は解決編だろうか?↓は、表紙のカバー。感想は読了後に改めて。
            

 翌日、11/1のA紙のコラムに、「古典の日」のことが載った。今年から、11月1日が「古典の日」になったそうだ。
 「千年近くも昔、たいそう読書好きの少女がいた。世は平安時代、書物は希少だ。・・・」とコラムは始っている。「更級日記」を書いた菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)のことだそうだ。上洛し、憧れの「源氏物語」全巻をもらい、天にも昇る心地になったそうだ。
 そして、1008年の11月1日に、「紫式部日記」に初めて「源氏物語」に関する記述が出てくるので、それにちなみ、法律で定めたそうだ。文学の古典ばかりでなく、音楽、美術、伝統芸能など広く含むそうだ。
今、読み始めたのは翻訳ものだが、秋から冬に向けての読書の季節、古典にも親しみたい。もちろん謡も、太鼓も、観能も。


あなたが二人の男性に愛されたら?

2012-07-21 | 

 7/16(月)、急に関空へ行くことになり(急と言うより、前から心に決めていたかも)、その夜は関空近くのホテルに一泊した。翌朝、娘を見送り「はるか」に乗ったら、高岡駅に2時少し前に到着。駅前のウイングウイングの講座「平安文学の世界」にぎりぎり間に合った。最終回でもあり、電車の中で充分休んだから、と出席することにした。

 おかげで、↓のようなきれいな絵のついた表紙(裏表紙)をいただいた。3回出た人への御褒美だそうである(私は2回だが)。呉羽先生は粋なことをなさいます。上村松園先生の絵と仰ったような気がしたが詳しいことはわからない。

    

 ↓は、表紙。3回目の講座のタイトルは「浮舟の苦悩と救済」。    

 表紙裏には、宇治の地図が描かれている。奈良線の宇治駅や平等院がわかるでしょうか。ちょうど平等院の対岸辺りに「宇治山荘」があり、そこに浮舟が住んでいた(と、宇治十帖に書いてある)。トリミングしたので文字が隠れたが、左網かけの広い部分が「巨椋池(おぐらいけ)」。昭和16年に埋め立てされ、田んぼになった。古くは宇治川が流れ込んでいた。  

 前回は、「薫の大君恋慕と大君の死」だったが、最終回は「浮舟の苦悩と救済」。
 浮舟は、宇治八宮の三女で、大君の異母妹、大君に瓜二つであったため、薫大将は大君の形代(身代わり)と思い、京都から20キロも離れた宇治の山荘に住まわせ、時々通っていた。そこへ匂宮(におうみや、におうのみや)が侵入、浮舟は匂宮に魅かれ逢瀬にのめり込んで行く。↓は、小野教孝筆「源氏物語図譜」より、二人(と言ってもお供や船頭がいるが)が船で宇治川を渡る図。

      

 こんな艶めかしい物語を、呉羽先生は淡々と語り、説明し、「皆さん、どうでしょうか。二人の男性に愛されたらどうなさいますか?」と問いかけられる。皆、一瞬考え込んでしまうのだ。そして、「声を出して読んでみませんか。一、二、三。」となる。

 薫大将は光源氏の息子となっているが、実は友人、頭中将の息子柏木と光の2度目の正室女三宮の息子であり、頭中将の孫になる。
 一方、匂宮は光と明石の方の娘、明石の中宮の息子であり、光の孫になる。かつての友人同士の孫たちが浮舟を巡りあらそう話。浮舟はその後、入水し、救われ出家する。

 また、「かをる」と「にほふ」の語の意味の違いが面白かった。今は「匂う」は「臭う」とも書き、臭いイメージで使う。当時は、「かをる」は、内面的でしみじみとしたなつかしさ、精神美の領域であり、「にほふ」は、視覚に訴える、鮮明華麗な美しさを意味したそうだ。

 さらに、二人の男に求愛される女の物語として、「万葉集」の真間の手古奈の話、「大和物語」の生田川伝説の紹介があった。
 暑い日、クーラーの効いた部屋で現実からかけ離れた物語を聴き、少し疲れが癒されたが、その夜は合唱練習の日でもあり、さすがにぐったり。翌日は1日中、寝たり起きたりボーっと過ごした。