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Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

本「『おかしないけ?』と、言い続けて」~伊藤冴子さん~

2018-01-24 | 

 なはさんからお借りした本、「『おかしないけ?』と、言い続けて」は伊藤冴子さんの半生記を、「NPO法人 Nプロジェクトひと・みち・まち」のメンバーが伊藤さんから聞き取りをして編集された本です。伊藤さんとなはさんは女学校の同級生だそうです。伊藤さんは中田にお住まいなので、私が中田で勤めていた頃名前だけ耳にしていました。かなり後になってから、高岡演劇鑑賞会の会合でお顔を拝見するようになりました。

 1933年(昭和8年)、高岡市戸出大清水のお生まれで、6人姉妹の長女だったそうです。
 大雑把に目次を追いますと:

 はじめに
 1.誕生から小学校入学まで
 2.小学校時代
 3.高等女学校入学、就職
 4.結婚・出産、家業
 5.仕事、高校入学、地域活動
 6. 地域活動など、様々な活動に参画
 私の想い
 おわりに
 お礼   となっています。   👇は、表紙です。

 最初は、両親、祖父母など家族のことが語られます。そして子守や遊びの思い出…。私より6歳先輩なので時代背景がわずかズレています。が、戦後の暮らしぶりなどは似た部分がたくさんあります。
 小学校では、とても正義感が強かった、と振り返っておられます。「おかしい」と思ったら先生にもきちんとお願いしたり、上級生の男の子ともケンカをしたそうです。国民学校卒業後は高岡高等女学校(4年制)へ進学、城端線での汽車通学、男女共学になったこと、村会議員選挙など私の体験と重なる部分が多くあります。戦後の民主教育が始まった頃でした。

 そして戸出物産入社、労組活動、青年団活動、読書会…城端別院での青年団幹部研修会や当時の城端町長天富さんの名前などが出てきて、私には懐かしかったです。同級生のAさんが城端町で青年団活動をしておられたのです(少し後になるかもしれませんが)。

 労組の婦人部長、全国婦人会議参加など体験され、結婚されます。長男を出産された後、家業の家庭薬配置業の仕事を、入院されたご主人に代わり継がれます。宮城県内をバイクで回ったそうです。長女出産後も14年間続けたそうです。配置業を辞めた後は、町の蕎麦屋に勤めながら定時制通信制の雄峰高校に入学しておられます。

 そして長女が中学生の頃、中学校の先生(たぶんなはさん)に声をかけられ「読書会」を始められました(今も続いている)。30年以上世話役を続けたそうです。
 今も、ベアテさんの会、シャキット富山35、尊厳死協会…等々での活動を続けておられる。
 「人生経験が豊富な老人は、今までの経験をフルに生かして、個人が尊重され、戦争のない世の中を、子や孫に残してやることができる。それが人生最後の花道だと思う…」~おわりの言葉より。

 「読み終わったら送るよ」と言っていた東京の同級生Aさんにさっそく郵送しました。彼女と6歳上の彼女のお姉さんにぜひ読んでもらって感想を聞きたいと思っています。同じ時代を生きた仲間として。


大雪第2弾 & 本「火花}

2018-01-23 | 
 
雪の晴れ間に

 1/15日~17日の3日間はキッチンに閉じ籠っていた。新聞や郵便を取りに行くのと、宅配便や生協の品を届けに来られるので玄関へ出ただけ。何度もしつこく言うが、キッチンの目の前に隣の......
 

 👆は、昨年の私のブログ。昨年も同じ時期に積雪に悩まされ、その後「柿の匠」創業祭のランチを食べたのだな~と懐かしい。今年もようこ姫さんからのお誘いで、22日(月)に「柿の匠」でランチ、その後カフェ「トワイス」でコーヒー、そこで久しぶりの友人と偶然に会い、嬉しい気持ちで帰宅した。午前中は晴れていたが、午後遅くなって降り出した雪は明朝までにまた積もるかもしれない気配だ。家の前には前回の雪がまだ残っている。この上にさらに積もると大変なことになる。26日は「家祈祷」の日だし…。
 雪が降り出すと、町内の融雪装置が稼働する。水が出始めた。道路中央を通る地下水パイプから1.5mおき位に水が出る。その水の出口に雪を投げ出し融かすのだ。約4,50分頑張って半分ほどの幅までに除雪した。家に入りホッとしたところで、テレビを見ると首都圏の交通渋滞のニュースだ。さっそく息子にラインをする。
 「まだ会社ですか?」 雪で大変。そろそろ帰りますが(6時過ぎ)」
 
「電車どうでしょうかね~」 「まだ動いていそう…」
 「よかった! よかった!」・・・「無事に着きましたか(9時55分)」
 「やっと家に着いた。疲れた。明日の出張はいつもより遅い時間で大丈夫。それが救い。(11時43分)」

 6時間ほどかかって千葉へ帰ったわけだ。その間に、川崎の友人から用事で電話がかかった。自然に雪の話になる。川崎も20cmほど積もったそうだ。小学生のお孫さんが喜んで、雪の写真を撮りまくっていたとか。

 さて、雪の降る中家で過ごすことが多く、ようやく「火花」を読み終えた。

 なはさんからお借りして読み始めたが、以前NHKのドラマで途中まで見た。主人公徳永を林遣都、神谷さんを波岡一喜が演じていた。なんか単調で、お笑いの世界にも、漫才のネタの話にもついて行けなかった。その後映画で、桐谷健太と菅田将暉が演じていると聞き2度目の挑戦と思ったが一緒に見る人が誰もいなくて断念。原作は3度目の挑戦(?)とも言える。

 最初の舞台が吉祥寺だったことに親しみが持てた。井之頭公園も出て来る。徳永と神谷は熱海の花火大会で出会う。徳永はお笑いコンビ「スパークス」のボケ、神谷は「あほんだら」のボケ、二人とも売れない芸人だが、異端の天才と言われる神谷の弟子になりたいと徳永が頼み込む。「神谷の伝記を書く」と言う条件で神谷は師匠となり、二人は吉祥寺界隈を飲み歩きながら語り合う。
 朝ドラ「わろてんか」を見ていてお笑いの世界、漫才のネタに苦労する芸人の世界が少しわかって来たせいか、最後まで読み通せた。小説の中の神谷さんは、「わろてんか」の団子師匠を彷彿させ、波岡一喜そのもののように思える不思議な人物だ。が、団子師匠のように強くは見えず優しい人物で徳永を励ます。

 「全ての芸人には、そいつ等を芸人でおらしてくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん」 「絶対に全員必要やってん」と神谷は言うのだが、この言葉は芸人に限らず一人の人間の生き方にも共通することだ。

 徳永の相方が結婚して大阪の実家を継ぐことになり、彼も漫才を止める。約束通り神谷の伝記を書くのだろう。


読書始め

2018-01-05 | 

 1/3(水)午前は「箱根駅伝」復路をテレビ応援、その間を抜けばほぼ一日がかりで録画した「カルテット」。TBSチャンネル1で、「カルテット 第一回~十回」を再放送すると聞き録画した。昨年冬にほぼ通して見たはずだが、何度見ても面白い。

 冬の寒い間は外出も控えるので、読書でもしようと年暮れに借りた本(?)が数冊。まず、なはさんより「火花」、知り合いの方の半生を書いた「おかしないけ、と言い続けて」、近所の接骨院より漫画「ワンピース」1~3巻まで。それぞれ少しずつ、同時に並行して読み始めた。読み終えたものから順に詳しく紹介します。読み終えられるかしら?

 


本・中川右介著「歌舞伎 家と血と藝」

2017-07-11 | 

  平米公民館の「能楽お囃子の会」で一緒に太鼓を習っているMEちゃんは、大の歌舞伎好き。歌舞伎界のことも詳しい。私が京都で、仁左衛門を見て来たとか、シネマ歌舞伎に勘三郎、三津五郎、玉三郎が出ていたとか言うものだから、「もし興味があれば…」と持って来て下さったのが👇のこの本。タイトルは、「歌舞伎 家と血と藝」とあるが、この3つの他に政治力もある、と言うのがこの著者の意見。

  帯封に、「明治から現在まで 世襲と門閥が織りなす 波乱万丈の人間ドラマ!!!」とあり、”市川團十郎家はなぜ特別なのか?” ”松本幸四郎家は劇界の毛利三兄弟?” ”中村勘三郎の死は何を意味するか?” ”偶数系片岡仁左衛門の悲劇とは?” ”栄華を極めた二人の中村歌右衛門の戦略とは?”
と、5つのクエスチョンマークがサブタイトルとなっている。

 江戸時代に始まった歌舞伎、初代の「歌舞伎座」が建ったのは明治22年だそうだ。その頃から話は始まり、〇〇家の誰々が△代目など…、その人の実子が◇◇で、娘婿が◎◎で、養子が▽▽と…次の七大名家について延々と書かれている。つまり、市川團十郎家、尾上菊五郎家、中村歌右衛門家、片岡仁左衛門家、松本幸四郎家、中村吉右衛門家、守田勘彌家…の七大名家の興亡の歴史を綴ってある本です。

 我慢して読み通したが、複雑極まりない… 私が知っているのは、せいぜい同世代の松本幸四郎、中村吉右衛門(兄弟)くらいから後で、映画界へ移った萬屋錦之助や中村嘉葎雄(兄弟)も懐かしく、盲目になっても舞台に立っていた先代仁左衛門もテレビで見た記憶があるかな~と言う程度。
 家名がつながっても血が途絶えたり、藝が伝わらなかったり、家名の空位時代が長くても復活したりしながら現在の歌舞伎に至っていると言うのがすごいと思う。

 一方、平安時代の猿楽に始まった「能楽」は、シテ方としては五流だけ(観世、宝生、金春、金剛、喜多)でやはり世襲だが、藝の伝承が第一なのでは?と思っている。
 少し前、NHK・BS「プレミアムカフェ選」の再放送があり、金田一京助家3代の日本語学者、幸田露伴家4代の文筆家の家族の再現ドラマを見た。司会は渡邊あゆみアナウンサーとゲストは狂言方和泉流能楽師の9世野村万蔵さん。万蔵さんは萬さんの次男、お兄さんの急逝後万蔵を継がれたが、能楽の世界は世襲だが、日本語学者も文筆家も世襲でないのに3,4代と続くのが不思議、と話しておられる。

 さて、10月新橋演舞場の公演、猿之助のスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」を観に行きたいと思っているが、この猿之助家について著者は、「市川猿之助は『権力』を目指さぬ家系だから、この書では『家の物語』として記さなかった」と書いている。この家は劇界の権力からは遠いが、「異端児」として活躍し観客の支持を得た、とある。私としては大河ドラマ「風林火山」で信玄を演じた亀治郎以来のファンなので応援したい。👇は、「ワンピース」のちらし。

  そう言えば、今、A紙に歌舞伎の世界を舞台にした新聞小説が連載され、また2代吉右衛門のエッセーが最近始まったのも興味深い。


500円でわかるLINE

2017-06-02 | 

 LINEの「友だち」の中に、音訳ボランティア「あかね」の友人や、野村の「多文化子ども勉強室」の友人がおられる。日時のことや、送迎のことなどの確かめや打ち合わせにLINEを使うととても便利だとわかった。

 その中の一人、Oさんに「始めたには始めたけど、わからない事だらけ…」とメールしたら、私の疑問への答と、「👆の本を買った」との返事がすぐさま届いた。夕方、外出したついでに近くの「文苑堂書店」に寄った。ある、ある…、学研「500円シリーズ」と言うらしい。「500円でわかるエクセル、ワード、ウインドウズ10、タブレット、iPhone、iPad、Wi-Fi、facebook 」などなど…。

 さて、本を読んでどのくらいわかるやら…?


本「霞という女」

2017-04-09 | 

 いつぞや、BさんがCさんに「読ませられよ」と言ったという本は実はこの本だった。姫さんのかつての恩師の川島昭子さんが書かれた小説とのことだ。私にも順番が回ってきて読ませてもらった。

 著者の川島さんは、本の最終頁の著者略歴によると:
 川島昭子(カワシマアキコ)
 1927(昭和2)年、富山県高岡市生まれ。1983(昭和58)年から小説の執筆を始め、1986(昭和61)年、小説「袱紗包み」で北日本文学賞選奨を受けた。第一、四回全国万葉短歌大会万葉大賞受賞。文芸誌「ペン」同人。

 「霞という女」、トップ写真は本のカバーだが薄紫系の色に格子戸が描かれている。本の表紙は薄墨色の霞か靄の模様。目次は、遊郭 / 誠二 / 蝋人形 / 夕凪心中 / 浜町 / 堅気 / 大旦那 /  雪の宵 / 真実 / 太平洋戦争 となっている。最初のページを開くと、まず文字のサイズが大きく、1ページに12行でとても読みやすい。まず、「遊郭」を読み始める。

  「今朝も、私はふだん着に足袋を穿きまして、軽い草履で家を出たのでございます。
 能登へ続きます海沿いの道には深い霧が立ち込め・・・」 

 この「ございます」の文体で思い出したのが、朝日新聞の連載小説として1月スタートした吉田修一の「国宝」である。長崎のやくざの息子が歌舞伎界に入る話らしいが、独特の雰囲気がある。
 また、川島さんは伏木の方と聞いているので、”海沿いの道”とは、伏木の浜か港だろう、と想像しながら読んで行く。今や八十歳を越えた「私」が知り合いの駄菓子屋で香ばしいお茶をいただき、うとうとと眠り、夢で見た子供の頃の話が語られていく。

 「私」の名前は雪子、小学生である。母親は霞という源氏名のお女郎。浜町に8軒あった女郎屋の一つ「姫の屋」に住み、その﨟たけた美しさは浜町界隈で評判だった。雪子は赤ん坊の頃からそこで育った…。戦前から戦中にかけての浜町の女郎屋を舞台に、花街で育った少女が、旦那や女将、賄のおばちゃん、客として来る浜の男たち、もちろん他のお女郎たち、小学校の友だちや町の人たちとふれ合いながら、多感に成長していく姿を描いた連作小説集である。父親らしき人も登場する。

 「あとがき」にもあるが、川島さんが連作小説を書かれたのは直木賞作家の出久根達郎氏の勧めだそうで、たいへん苦労されたそうだ。長編小説ではない。話はプツン、プツンと切れている。が、短編小説でもない。話はずっと少女雪子の語りで、舞台もほとんど「姫の屋」である。この構成が面白いと思った。俗っぽくなりがちな題材なのに、なんか古風でロマンチックな夢物語みたい。
 とても楽しませてもらいました。姫さん、貸してもらってありがとう。


本「九十歳。何がめでたい」

2017-03-18 | 

  佐藤愛子さん、先日の「徹子の部屋」に若々しい元気なお顔を見せられた。今年93歳だそうである。和服がお似合いで、笑顔の素敵な方である。佐藤紅緑の次女、サトウハチローは異母兄だ。私は、以前大作「血脈」を読みはじめ、途中しんどくなり前巻で止めてしまった記憶がある。

 今回の本はエッセイなのでとても読みやすい。目次を見ると、「こみ上げる憤怒の孤独」、「来るか?日本人総アホ時代」と怒りをぶちまける内容のように思える。徹子さんの「今の世の中への怒りをお書きになった…」と言うようなコメントに対して、「そうですか?普通に思うことを書いただけなのですよ」と笑いながら返された。
 大正、明治、昭和、平成と90数年の人生を重ねてこられた方にとって、すべてが驚きの変化である。私たち昭和10年代生まれの者にとっても、もうついて行けないことが多い。映画「サバイバルファミリー」じゃないが、災害に合って初めて気づくことばかりだ。

 昔話のおばあちゃんは川で洗濯をしていた。⇒井戸から鶴瓶でタライに水を汲み上げて、洗濯物を洗濯板でこすっていた。⇒井戸にポンプをつけて、ぎーこぎーことポンプを押せばザアザアと景気よく水が出た。⇒水道が設置され蛇口をひねりさえすればいつでも水が出るようになった。⇒初めは2階で使えなかったが、今は20階、30階、どこでも使える。…
 「文明の進歩」は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き換えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を摩滅させて行く。もっと便利に、もっと早く、もっときれいに、もっと美味しいものを、もっともっともっと…。
 もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。……目次「来るか?日本人総アホ時代」より。

 佐藤さんはよく読者から「佐藤さんの書いたものを読むと勇気が出ます」というお便りをもらうそうだ。しかし、93歳にもなると勇気を与える力はなくなった。なくなった力を奮い起こすために、しばしばヤケクソにならなくてはならない。もう休んでのんびりしようと思ったら、うつ病になった。人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだ、とよく分かったそうだ。
 私の同級生(男性)で和紙人形作りに生き甲斐を見出している人がいる。紙を買いに行き、配色を考え、髪の毛、帽子、傘、屏風…その人形に合わせて工夫するのが楽しいそうだ。彼の口癖は「ボケ防止だよ」と。今の私のボケ防止は能楽とブログ書きかな?

 ところで、ケータイやスマホ、アイパッドやアイフォン、私にも違いがサッパリ分からない。メールや電話の交信記録が捜査のポイントと言う刑事ドラマはよくある。が、女友達同士のメール交換の文面が国会で取りざたされるなんて、佐藤さんでなくてもビックリポンだ。   


本「海の見える理髪店」

2017-03-06 | 

 子供の頃から新聞小説を読むのが好きだった。娯楽の少ない時代だったからかもしれない。今は読み始めて続くのと、すぐに止めるのがはっきりしている。

 映画にもなった荻原浩の「愛しの座敷わらし」はA紙に連載されていたが、ずっと読んでいた。子どもが登場する話は読みやすい。5人家族が(映画では、水谷豊、安田成美、草笛光子、橋本愛と男の子(名前は?))が田舎に引っ越す話だった。
 同じ作家、荻原浩の直木賞受賞作が👇の本である。

 今、「多文化子ども勉強室」のボランティアを一緒にやっているNAさんから借りた。タイトルの「海の見える理髪店」をふくめ、「いつか来た道」、「遠くから来た手紙」、「空は今日もスカイ」、「ときのない時計」、「成人式」の6編の短編集である。どれもちょっとミステリアスで、ちょっと切ない、家族(親子)の物語だ。

 ”喪失の痛みとその先に灯る小さな光が胸に沁みる…」と帯封に書かれているが、まさにその通り。誰の人生にも似通った痛みと希望があるような気がする。私個人的には、自分の年齢に近い「海の見える理髪店」の父と息子、「いつか来た道」の母と娘の話が印象に残った。

 「海の見える理髪店」 荻原浩著 集英社発行 全234ページ。


本「役者人生、泣き笑い」

2017-02-19 | 

 先日、今読んでいる本として紹介した、西田敏行著「役者人生、泣き笑い」を今日ようやく読み終えた。根気が続かなくなったせいか、読書に時間がかかる。先月読んだ「柳橋物語」も私はずいぶん時間がかかったが、その後YAさんもSAさんも数日で一気に読んだと返された。今日、義妹に勧めたら、「うん、読んでみる」と、快く持ち帰った。

 👇と トップ写真は、偶然この夜BSで放映していた「釣りバカ日誌 16」。

 西田敏行さんは福島県郡山の出身。昨年「古希」を迎えられたようだ。そこで自分の来歴を振り返り、「西田敏行」と言う役者がどのようにして作られ、どのような役を演じて来たか等々、思い出すままにお話しします、と前書きにある。一人語りのようで読みやすい。
 早くに父を亡くし、母は再婚、叔母夫婦を養父母として可愛がられて育ったそうだ。養父が映画好きでよく映画館へ連れて行ってもらった。手当たり次第に映画を見た影響で、小学生の頃すでに映画俳優になりたい、と思った。学校でも人気者。そして親を説得して、高校から東京へ出ます。…”映画が僕の学校だった”
 が、言葉の違いから友達ができず、うつ状態になり学校は欠席、上野動物園のローランドゴリラを見つめて暮す日々だった。明大へ進むも、すぐ退学、劇団「青年座」に入ります。転機は「写楽考」の舞台だったそうだ。これが大成功で地方公演で全国を回る。

 この後、テレビ小説「北の家族」、大河ドラマで「秀吉」と「西郷」を演じる。極地三部作と言われる「植村直己物語」、「敦煌」、「おろしや国酔夢譚」で、エベレストや北極、中国の灼熱の砂漠、酷寒のシベリアでの海外ロケで命の限界に挑む。……そして「釣りバカ日誌」まで、様々な映画(「人生の約束」も)、演劇、ミュージカル、テレビドラマの作品、森繁さん、小百合さん、三国連太郎さん、緒形拳さんなどの共演者や、監督、脚本家との関り、家族のことも語られる。本のタイトル通り、まさに「役者人生、泣き笑い」です。作品に出る度に新しい発見があるそうだ。

 山崎豊子の「華麗なる一族」のテレビドラマで大物代議士を演じた時、人は社会を見る角度により、見えるものも見えなくなる、政治家は世の中を俯瞰で見がちなので、見えなくなるものが多く、権力があるので傲慢になる、そのため、功罪のうち’罪の意識’が鈍くなる、と思ったそうだ。俳優は’夢を与える仕事’と言う人がいるが、それは傲慢ではないか、’夢を感じていただく’くらいのものだと思う、と書いておられる。

 大病で2度長期入院をし、時間がたっぷりあった時考えたこと。自分自身団塊の世代だが、日本の歴史上もっとも人数の多いこの世代がやった功罪のうち、’核家族’を生み出したのは罪の部分ではないか?
 最後の章、「取り戻したい『故郷・福島』」の一部を抜粋します。「~あの東日本大震災、福島原発事故で”流浪の民”になった人たちが、行政にいつになったら帰れるのかと尋ねても、『もうちょっと待ってください』と同じ答えが繰り返されるばかりとか。帰れるなら帰れる、帰れないなら帰れないと、はっきり言ってあげた方が将来設計を立てやすいんじゃないでしょうか。宙ぶらりんで待ち続けるのが一番つらいですよね。特に福島原発の周辺は、もう大丈夫、安全ですよと誰が確認できるんですか。仮に安全だから帰れますと言われても、手放しで信用できますか。行政はもっと親身になって、復興支援に臨んでいただきたいです。」

 西田さんが敬愛する映画スターはジャックレモン、「お熱いのがお好き」のようなコメディも、「チャイナ・シンドローム」のようなシリアスな演技も、両方こなせる名優。「チャイナ・シンドローム」(1979)は、アメリカで原発事故が起こり、真実を伝えようとする女性レポーターや、事故を防ごうと命を賭ける原発管理者、利益優先でもみ消しに動く経営者たちが対立する姿を描いたサスペンスだそうだ。

 新聞の紹介記事を見て、図書館で借りた本です。長い文にお付き合いいただきありがとうございました。本自体は読みやすいですよ。


本 「柳橋物語」

2017-01-15 | 

  今秋、高岡演劇鑑賞会の例会で前進座の「柳橋物語」を上演する。かなり前に観た記憶があるぞ、と聞いたら50年ほど前の事だ。高岡市民会館で、あの前進座特有の美しい舞台装置が印象に残っている。柳橋とは、神田川が隅田川へ出る個所にかかる橋(浅草橋のこと?)のことで、その一帯は江戸時代は花街だったそうだ。あらすじはさっぱり記憶になく、なんか橋を建設する大工や棟梁の話だったかな~とぼんやり思っていた。

 年末に、なはさんが貸してくださった(みきこさんの本だそうだ)のが 👇の「新潮文庫」である。東京への新幹線の中から読み始め、先日読み終えた。

 山本周五郎原作、新潮社発行。👇は、本の表紙の絵、印半纏と手ぬぐいと火事の炎が物語を象徴している。  
 「青みを帯びた皮の、まだ玉虫色に光っている、活きのいいみごとな秋鯵だった。皮を三枚におろして、塩で緊(し)めて、そぎ目に作って、鉢に盛った上から針しょうがを散らして、酢をかけた。…」 小説はこのように始まる。17歳の「おせん」が、腕のいい砥ぎ師の祖父「源六」のために夕食の準備をしている場面だ。

 「解説」によると、山本周五郎の戦後の小説は、武家もの、下町もの、現代ものの3つにわけられる、そうだ。武家ものでは「樅木は残った」、現代ものでは「青べか物語」「季節のない街」などの傑作が挙げられているが、私はほとんど読んでいない。
 「柳橋物語」はもちろん下町ものだが、江戸の下町の庶民の生活を書いた作品にこそ、周五郎の真髄があらわれている、とこの解説者は書いている。

 父母を亡くし祖父と長屋住まいをしているおせんは、近所の棟梁の家の職人、幸太と庄吉の二人ともに好かれているのだが…。庄吉の告白におせんが咄嗟に答えた一言が、彼女の運命を変えてしまう。地震、火事、水害に飢饉、おまけに記憶喪失や他人の噂など過酷な運命がおせんに襲いかかる。が、どんな不幸にも打ち克てる精神的な愛、生きて行く意味をおせんは知るのである。
 さて、どんなお芝居になるのかとても楽しみ。


本 「怒り 上・下」

2016-11-20 | 

 11/20(日)、「伸謡会」のお浚い会が無事終了し、疲れましたがホッとしています。いい勉強になりました。

 さて、映画「怒り」を観た後、どうも犯人の気持ちがわかりかね、いつか原作を読んでみたいと思っていた。図書館に予約し、かなり待ってから順番が回って来た。上巻、下巻とあり、ようやく先日読み終えた。が、犯人についての詳しい話は記述はなかった。

 ただ、作者の吉田修一氏のインタビュー記事がネットに載っており少し納得できたので、今日はそのことについて書きます。
 話のあらすじ、登場人物などは、👇のブログ(映画を観た時の私のブログ)を覗いてください。
  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/7085aa0a3b6c70530537e7fb05bce296 

 「怒り 上・下)」  原作:吉田修一 発行:中央公論社(読売新聞連載)
 👇は、下巻の表紙。

 映画と同じように殺人現場から始まり、千葉編、東京編、沖縄編を行ったり来たりしながら、犯人らしき人物とその周辺の人物を描写する。登場人物の会話も、人物像も優しい表現。ゲイ同士の場面や沖縄の少女のレイプ未遂事件も、映画ほどしつこく描写されない(読者は十分想像で受け止める)。結局、犯人の人間像も殺人動機も書かれていない。

 映画を見た後の私の感想は、犯人探しのミステリーと言うより、「人が人を信じること」の切なさ、難しさ、大切さをテーマにしているのでは?と言うものだった。

 が、吉田修一さんは、千葉県の「市橋事件」をヒントに本を書いたそうだ。「市橋事件」とは、市川市の英会話学校講師(英国人女性)殺害事件のこと。
 市橋の事件と本の容疑者・山神の犯行や逃走、捜査過程などに、重なる部分があるのはそのため。市橋の逃走中に目撃情報がたくさん出た。「もしかしたら市橋を見たかもしれない」「自分の知人かもしれない」と警察に電話をしてくる人たちに、興味を持ったそうだ。
 有力な目撃証言ばかりではなかったはず。彼らは、なぜ殺人犯と会ったかもしれないなどと思ったのだろう、どういう人生を送ってきている人々なのか、と……そこから始まったそうだ。
 描きたかったのは、容疑者や事件そのものではなく、事件報道に反応する人々についてだった、と言うことのようです。なんかとても納得しました。小説家って面白いですね。


本 「64」

2016-10-10 | 

 「糸魚川への旅」を途中で中断して、読書の記事を忘れないうちにはさみます。
 6月に、映画「64 後編」を見ました。前編を見ずに後編を見ても大丈夫!と誰かに言われ見たのでした。豪華登場人物の熱演で息もつかずに見終えたのですが、細かい部分がわからずいつか本を読みたいと思っていました。

 なはさんにお借りししばらく手元に置いていたのですが、読み始めたら最後まで一気でした。こんなことは、「ハリーポッター シリーズ」以来久しぶりです。
 横山秀夫の警察小説を、本、映画、テレビなどで読んだり見たりしたのは、「半落ち」、「クライマーズ・ハイ」、「臨場」などでしょうか。

 「64」は、👆の本の帯にもあるように「このミステリーがすごい」2013年版1位、「週刊文春」2012年ミステリーベスト10の1位だったようです。

 昭和64年に起こったとある誘拐事件を軸にした物語、長い物語ですが、前半は警察の組織の人間関係。例のごとく刑事部と警務部の対立、上司と部下、さらに元上司との関係など、人間関係を理解するのにちょっと疲れます。

 主人公は、D県警の広報官、三上。警察組織とマスコミとの狭間で悩む広報マンの心理や組織のありようが克明に描かれます。
 最初、重傷交通事故の加害者が妊婦であるため匿名で発表し、実名を明かせとマスコミからつるしあげられます。そのうち、「64」事件の遺族を警察庁長官が訪ねる計画を遺族に伝え了解してもらう任務が三上に与えられます。「64」事件は、たった1週間しかなかった昭和64年に発生した7歳の少女の身代金誘拐事件で、少女は死亡し、未解決のまま時効を迎えようとしている事件です。しかも、当時少女宅で待機し、電話を録音するはずだった自宅班がミスを隠蔽していたことがわかってきます。そして、三上宅に3度かかって来た無言電話。しかも、三上の娘は家出中、元婦警だった妻は引きこもり状態です。

 そこへ、「64」事件をなぞったような誘拐事件が新たに発生するのです。中盤に差し掛かるとほぼ一気読みしてしまうほど引き込まれます。睡眠時間を削って読みました。
 以前は捜査の鬼だった三上が、遺族の父親や交通事故で死亡した老人、隠蔽工作で職場を失ったり引きこもりになった元警官たちに、徐々に人間らしい思いを抱くように変わって行く姿に心が温まります。

 映画の後編だけではわからなかった「幸田メモ」が何かと言うことも分かりました。少女の父親が、自分が聞いた犯人の声を突き止めるため、D県の電話帳の「あ」行から順に電話をかけ、男性の声を聴きながら「ま」行へ来てようやく犯人を見つけた執念に親の切ない思いを感じました。

 読後はぐったりでしたが、心地よい疲れでした。👇は、私の「映画後編」のブログです。映画の登場人物が載っています。 

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20160610


本 「痩せ面のドラマ」

2016-10-03 | 

 金木犀の香りが漂い始めています。10月は秋晴れのさわやかな1日で始まりましたね。

 9/29日朝8時前、前の日に続き朝から雨の日でしたが、シルバー人材センターの方たちが、予定通り庭の木の剪定に来られました。お隣さんと同じ日に頼んだのですが、今年はなぜか5人が5台の車で来られ、駐車場にちょっと困りました。

 さて、今日は歌人であり、能や仕舞にも堪能な馬場あき子さんが、「氷見市制35周年記念事業」として、昭和62年に氷見市民会館で講演された「痩面(やせめん)のドラマ」と題する話を紹介したいと思います。
 👇は、その時の講演を収録して刊行された本ですが、友人のTAさんからいただきました。

  TAさんは、私と同窓の後輩であり、若い時から住駒先生に小鼓を習っておられます。小鼓を習ったきっかけが、室町時代の面打ち師である「氷見宗忠」と言う人に興味を持ち調べていたからだそうです。氷見宗忠は、氷見市朝日本町「上日寺」の僧で、観音堂にこもって能面を彫っていたと言われています。👇は、上の本に掲載されている大銀杏の樹と観音堂です。

    👇 「痩男」の面。記念式典の日、現代の女流能面師北川英さん作のこの「痩男」の能面が上日寺に奉納されました。「痩男」と言う面(おもて)は、”もうこれ以上痩せられないまでに一気に削がれた頬、大きくえぐられた眼窩と、下向きに見開いた無感動とも見える目、そして口はうっすらと開かれているけれども、もはや、語る気力も失せたように見える” (馬場さんの言葉より)。能「藤戸」の若い漁師の亡霊、「通小町」の深草少将の亡霊、「善知鳥」の猟師の亡霊などがつける面です。

 👇 当日、作者の北川さんが「痩男」の面を披露しておられる。氷見宗忠は、室町時代に「痩男」の面を初めて彫った能面師と言われながら、上日寺には一面も残っていないそうです。

  👇 馬場あき子さん。

  👇 馬場あき子さんの色紙。

  巻末の短歌より:
  ~氷見といふ男ありぬ。痩せたる死者の面のみを打ちて死にき。会ひたかりけり~
 * 氷見の寺人はさびしき音させて 飛ぶこともなき落葉を踏めり
 * 大銀杏大黄落の秋の陽に 泣かで物言へ氷見の痩面(めん)
 * くれなゐはみな散り果てぬ氷見打ちの 痩せ男見よ北の白菊

 👇 朝日山の上日寺 (氷見市朝日本町)…ネットより

 謡曲「藤」の曲中に謡われる「朝日山」は、氷見市内にあり眺めがよろしいです。公園として整備され、桜につつじに賑わいます。その朝日山公園の麓ににある「上日寺」は有名な能面師、氷見宗忠が僧として居た所とされています。
 境内に「観音菩薩霊水」が涌き出ています。[痩男面]などで有名な室町期の面作り師「氷見宗忠」も、この霊水で心身を清め、観音堂にこもって能面を彫ったと云われています。


本「しずこさん」~『暮らしの手帖』を創った大橋鎭子

2016-09-07 | 

  👇は、南砺市城端町の「麦や祭り」に向けて、笠踊りの所作の確認と練習をしているところ。9/5のKI新聞より。 

 ちょうど「むぎや祭」の日に、高岡文化ホールで「三派能楽大会」がある。謡の暗記は一向に進まないが、髪染めだけは行けるうちにと思い、昼から家で洗髪。その後、近所の美容院さんへ出かけた。9/6日のことである。
 マイ美容師のSIさんは、先日の「高岡薪能」の券や今度の「高岡第九」の自由席券をあげたからもあってか、手作りの小さなバッグをくださった。「保健証、診療券、お薬手帳の通院3セットを入れるバッグにどうぞ」と仰る。私は、いつ保健証が要るとも限らないとこの3点は常にバッグに入れているのだが、まとめておくと便利だろう。病院へ行く時だけ、持って行ってもいいな。外側のポケットに診察券を入れます。 

  さて、鏡に向かい髪染めをしてもらう間、週刊誌など重ねてあるコーナーで見つけたのが👇の本。朝ドラの「とと姉ちゃん」、「暮しの手帖」を創った大橋鎭子さんの生涯を紹介した本です。

 1920年に生まれ、2013年に93歳で亡くなられるまでの生涯を、ふんだんに写真を取り入れ紹介した一冊です。お母さん、二人の妹さん、花森安治編集長や会社の人達、友人達、お手伝いさんと一緒のいつも笑顔の写真がいっぱい。私も何年か購読していたけど花森さんが亡くなられた頃に止めた記憶があります。もう廃刊になったのかと思っていました。今も年6回発刊されているのですね。


本「くらら咲くころに」

2015-12-28 | 

 山のように貯まった仕事に優先順位をつけ、後2日間を高岡で過ごし、30日に千葉へ発とうと思っています。ジパングは使えなくて、飛行機が安いそうだからチケット代は同額? 空港までマイカーか、新高岡駅までタクシーか?などと悩んでいたら、息子いわく「そんなことで悩まんでもラクな方にしられ。」
 美容院へ髪染めに行き、その話をしたら美容師さんいわく「ジパング止めようと思う。使いたい時は使えんし、団体にも使えんし。ネットでJR券を割引で買えるらしいよ。」 フ~ン、良いこと聞いたと、昨夜調べたら「えきネット」に登録すると10%引きだそうな。カード引き落とし。さっそく申し込んだ。 さぁ、これで行きも帰りも決まりだ。千葉の友人によれば、千葉も寒いと言う。息子宅でも最低限の掃除だけして、のんびり料理をして、静かに過ごし帰って来よう、と思っている。

 さて、だいぶ前に読んだ本の紹介をします。この本は、かなり前になはさんからお借りしました。

 「くらら咲くころに」~童謡詩人 多胡羊歯 魂への旅」  向井嘉之著  梧桐書院

 くらら(苦参)とは、マメ科クララ属の多年草です。↓ 右はウイッキの写真から。

     

 童謡詩人、多胡羊歯(たごようし)さん(1900~1972)は、氷見市胡桃(くるみ)の出身である。富山師範学校を卒業し小学校の先生になるが、鈴木三重吉の「赤い鳥」と出会い、北原白秋を知り童謡を書き始める。

 ↓は、初めて「赤い鳥」に入選した「きんぽうげ」の詩。

 背戸の小路のきんぽうげは、
 小路へ店を出していた。
 つくつくつのを出していた、
 角に 金平糖、つけていた、
 つけて坊やに売っていた、
 坊やはそれを 買わなんだ。

 ↓は、推奨に選ばれた「祭人(まつりど)」の詩。

 障子の破れ(やれ)から
 ちらっと見たら、
 父さんとお客さんと
 お話してた。
 父さんみたいに
 蒲髭はやし、
 何か言ひ言ひ
 あはヽと笑ろた。
 祭のはやしは
 遠のいていくし、
 出るのが恥づかし
 こっそり見てた。

 両方とも大正時代の作である。
 この後、日本は戦争に入り、多胡は国策同調詩を書くことになる。

 必達が来る、お上から。「○日までに飛行機 ○台送れ」と… で始まる「必達」。

 もう一つの国策同調詩「かなかな」。

 かなかなが啼いている、かなかなが、
 夕やけの森の梢の
 あちらで啼いている、
 こちらで啼いている。

 押釦、押して信号、
 「決勝」 「決勝」 「決勝」 「決勝」と啼いている。

 敵が間近に
 「来た!」 「来た!」 「来た!」 「来た!」と啼いている。

 同胞の血を
 「流した」 「流した」 「流した」 「流した」 と啼いている。

 これでよいのか、
 「よいのか?」 「よいのか?」 「よいのか?」 「よいのか?」 と啼いている。

 かなかなが啼いている、かなかなが、
 夕やけの森の梢の、
 どこでも啼いてる、
 火がつくように啼いている、。

 氷見の山間の小学校で、国策にそって少国民教育の先頭に立っていた多胡の心は押しつぶされるようだった。
 ↓は、昭和21年5月の詩「うたの神さま」。 戦前の教育から戦後教育へ教師としての価値観の転換を迫られた多胡の戸惑いが伝わる。

 思うこと 言っては いけません、
 馬車馬 みたいに 働けと。

 見たこと 言っても いけません、
 脇見を せずに 働けと。

 聞いたこと 言っては いけません、
 耳をふさいで働けと。

 手枷、足枷、轡はめ、
 ただまっしぐらに働いた。

 ほんとうを知らせず、知りもせず、
 ただ黙々と働いた。

 嘘つくことだけ、うまくなり、
 うたの神さま遠のいた。
 ---戦争なんか、まっぴらだ、
 思ひだすさへ、まっぴらだ。

 彼は氷見市内の小学校の校長だったが、あるできごとをきっかけに職を退くこととなる。が、昭和30年代に再び童謡復活の日がやってきて、意欲的に詩作に励んだようだ。

 昭和39年の、あの有名の胡桃地区の地滑り。家は全壊し、「死の村」とまで報道された。詩作の原点だった故郷を失うことはさぞつらいことだったろう。その後、新築した家で家族と暮し、72歳で亡くなっている。
 昭和57年、氷見市朝日本町の上日寺境内に、多胡羊歯を偲び、「くらら咲くころ」の詩碑が建てられたそうだ。

 詩、そのものの紹介が一番と思い、いくつか抜粋した。詩も短歌も俳句も、すべて門外漢なので、自分の好みで取り上げた。短い言葉の持つ、大きな力に今更ながら驚いている。