森のくまさんのブログで紹介された映画、「道~白磁の人」。新聞で紹介記事を読んだ記憶がかすかにあった。ネットで調べ、興味が湧いたが、ファボーレで1日1度の上映だし、日も空いていない。ところが、最終日の22日(金)ハイキングの予定が中止になった。これ幸いと見ることにする。
長野県北杜市甲村(現・高根町)、八ヶ岳を望む村で樹の根元にうつぶせになり土のにおいを嗅いで笑っている青年、浅川巧(吉沢悠)がこの物語(実話)の主人公である。「白磁のように素朴で温かい人」、彼はそう呼ばれた。白磁は、朝鮮ではキムチを盛る鉢や茶碗のように、日常使われ親しまれている器だった。
日韓併合後3年目の1914年、巧は、兄一家を頼り林業技師として朝鮮に渡る。そして朝鮮総督府の林業試験場(所長が大杉蓮、上司が田中要次)で働く。朝鮮の荒れ果てた山に緑を戻すため、韓国人の青年チョンリム(ぺ・スピン)と二人で、山を歩き種を拾い、育苗に情熱を燃やす。朝鮮の土に秋田杉は育たないが、朝鮮五葉松は発芽することを発見し、喜びあう二人だった。
日本統治下の時代、韓国人は日本語を話すことを強いられているが、彼は逆にチョンリムに朝鮮語を習い、朝鮮の生活文化になじもうとする。そこで出合った朝鮮の工芸品・白磁の美しさに強くひかれていく。一方、朝鮮の地で横暴に振る舞う日本人の現実に、疑問を感じる。
折しも、日本から民芸運動家の柳宗悦が訪ねて来て、「朝鮮民族美術館」を建設しようとしており、兄伯教とともに尽力する。
当時の日本の武断政治に対して、「3.1抗日運動」が起こり、チョンリムの兄が殺され、チョンリムも投獄されると言う悲劇が起こる。友人を想い、何度も面会に行く巧。研究にも没頭し、過労と肺炎で倒れ、結局志し半ばで早世する。チョンリムと育てた五葉松が大きく成長したのを見ながら。葬儀の日、「結局、お父さんは朝鮮の人達に理解してもらえなかったね」と呟く娘と妻の前に、大勢の韓国人が「お棺をかつがせてください」と押しかけ、長い行列に加わる。
今も、巧の墓はソウル市郊外にあるそうだ。そして、北杜市には、「浅川伯教・巧資料館」が建っている。
なお、「朝鮮民族美術館」は、今は「韓国民族博物館」として景福宮内に継続されており、私は、ようこ姫さん達と個人旅行で行った時訪ねた。画面には、緑の屋根の「朝鮮総督府」の建物や西大門刑務所が写しだされ興味深かった。
監督は、高橋伴明、他の出演者は、塩谷瞬、石垣佑磨、市川亀治郎、酒井若菜、黒川智花、手塚理美、など。
ファボーレ内の「BOOKS なかだ」には、↓のような江宮隆之著河出文庫の本があった。
何かで読んだのです。朝鮮で樹を植える為に努力した人と。
この紹介で分かりました。日本人の中にもこんな人がいたとは嬉しいと言えば軽いですが、朝鮮とか支那とかを頭から支配しょうとした時代にも、こんな良心を持つ人がいたことが有り難いです。
本読んでみたいです。探してきます。
韓国へ旅行するとガイドが歴史的なことを遠慮気味に説明される。恨みつらみが山ほど感ずる。が、この映画を見て少しはほっとしました。が、今なぜこの映画が上映されたのかな?うれしいことですが。
韓国を植民地にしたいた時代にも、個人と個人の友情を育み、お互いの国を理解しようとした人たちがいたのは当然のことでしょうね。
それを今取り上げた、作家がいて、映画監督がいて、スタッフ、俳優がいて、共同作品が生まれたのですね。やはり嬉しいことですね。
本、取り寄せてもらえるそうでよかったです。
今年は浅川巧の没後80年だそうです。昨年は日韓併合100年でしたよね。そんなことが関係あるのかも。
映画製作に当たり、日韓のスタッフやキャストが一丸となり協力し合ったとありました。
安東の豪華な民家も出て来て、また韓国を訪ねたくなりましたよ。
個人と個人の友情って民族を超えたところに有るんでしょうね。
付き合ってだんだん知り合えると国の違いは考えなくなるのでは?
どの世界でも一途に自分の仕事をする、ましてや民族を超えて友情、それ以上の絆で結ばれ、すばらしいことです。
韓国との民族との感情を考えると個人ではぐくむ信頼、これをなくしては民族間が上手くいかない。
今以上に感情が激しい時、こんなことをしていた人がいたと思うとうれしくなります。
トンイが「にいさん」と読んでいた人です。
トンイの宣伝のために日本にも来ています。
今、いろいろな国の方々と交流しておられるから、特にその気持ちがおわかりでしょうね。
個人同士の友情も生まれない時代も、きっとあったのでしょうね。
映画は日本語でした。韓国語が入ると日本語の字幕が出ます。
言葉を覚えるところでは、カムサムニダ、アンニョンハセヨ、オルマエヨ…など出てきます。
兄夫婦や母と暮らす、大きな家の造りはアンドンで泊まった家によく似てました。もしかしてそこでロケをしたかも。
ぺ・スピンと言う人ですね。巧を心から理解しようとする優しい青年を上手く演じていました。
どこかに書いたような・・。お墓参りの帰り文苑堂へ寄りました。
「日曜日は動かないのですが、今日は動いています。(本をあっちこっちへ運ぶ人でしょう)もう5時を過ぎたから来るはずです。」と言われて、では、と待たせてもらいました。
10分ほど待つと届きました。
今、手元に有るのですがまだ読んでいません。
「庵唄が流れる里」が終ってからにします。読み始めると止まらなくなりそうで・・。
ぺ・スピンと言う人、如何にも優しそうな役者です。(私はトンイで見ていました)