チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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チャンネル桜・瓦版:やじキタ交友録。 良い人生だなあ~。 人生の真理

2014-09-13 16:13:09 | やじキタ交遊録

 Y:「纏めノート一覧。」を見ると、経済のことなどが多いが、もう実業界から引退して悠々自適の生活にいる人たちからは、もっと内面(精神)的な話題はないのか?、と言われているのですよね? 

 K:そうなのですよ。 何しろ「どっちが得か?」という人生を続けてきているので、その手のことが苦手なのですよ。 そこらのところは、Yさんにお願いしたいものだと思いますよ…。

  Y:(オッホン。 急に偉そうになる) それじゃ、ま、その~(又、角栄か?)人生ちゅうものは、自分の思い通りにならんことが一杯あるんじゃよ。

 しかし、「原因があって、結果がある。」ちゅうのが、世の習い(真理)であるからして、日々の行為・行動、ものの「感じ方、受け取り方。」の積み重ねが、今日の自分の姿なんじゃよね。 (再び、オッホン)

 それに、「努力と成功は一致しない。」とか「成功と幸福は違う。」とかということは、少し人生を長くやっていれば分かることで、人生は、「思うようにならないこと。」の連続とも言えますよ。

  K:たしかに、私も「意志と努力で、運命を切り開こう。」と思って頑張りました(努力)が、『裏目』(不成功)の連続でノックダウンとなりました(「知恵がないからだろ~。」の声あり)。

 「成功と幸福。」が異なるというのは、「事業は成功したが、家庭が崩壊した。」とか「手術は成功だったが、患者さんは亡くなりました。」などというのがありますね…。

  Y:まあ、何をもって『成功』というのかは問題ですが、人は「地位・肩書・学歴・財産・名誉…。」など形を求めますが、人は、心を基にして生きており、「心の満足。」ということが大切なのでしょうね。

  「真実の幸福は、心の『安心』感。」ともいわれますが、人生の目的は、「いい人生だったなあ~。」という「悔いのない人生。」を日々過ごすということなのでしょうかね~?

  心の動きとは、すなわち『感情』なのですが、ノートNo.1904<頑固な(小言)人は、ガンになる>にもあったように、感情(性格・もののとらえ方・考え方)は、健康面にも大いに関係する(交感神経優位・免疫力低下)だけでなく、「安定した心(感情)。」というのは、事業にも、人間関係にも、(仕合せの基いの)和のある家庭をつくるのにも、重要なキーワードなのですね…。

  K:まあ、人生というのは、人間関係が全てともいえる「最重要課題。」なわけですが、新聞のコラムに、「若い人も、空いている電車に乗っていても、携帯を見てイライラした様子で…。」とありましたが、感情が不安定な世相ではありますね。

  (ノート<会話によってこそ、平衡感覚が鍛錬される>、<仕付けは、社交の現場でなされなければならない>、<公徳と私徳は、いかに絡み合っているか?>…、参照ください)

  Y:そうですよねえ。 心(感情)の乱れを抑えてもらえれば、さまざまな人との「出会い。」(キーワード)も良いものとなります。

 感情がぶつかるような出会いであっても、(反省心があり、穏やかな心であれば)決して災いにはならず、かえって自分の糧になったりしますね…。

  K:なるほど。 「何事にも、感謝心(物事を大きく受け止め、何事も当たり前なのではなく、「有り難い。」ことと受け止める心)を持って、『奉仕』(人の思いを大切にし、ものの命を活かす)心で毎日(人生)すごしなさい。」と言われることは、もっともだなあと思いますねえ…。

  けれどもこれが、なかなか難しそうですねえ? (それができれば、悔いのない、いい人生になってしまう…)

  Y:まあ、何事にも、『感謝』(広く、丸く―楽な心)の受け取り方をして、「豊かな心。」(キーワード)で何事も『実行』し、そして『反省』し、さらに良いこと(他の人によい影響を与える)を『報恩』(他の人の良さを引き出す)の心で縁ある人と触れ合う、ということになりますかね…? (う~む、なるほどねえ…。 そして再び、う~む)                         

                 (以下省略)

 

 


チャンネル桜・瓦版:<東京と大阪の2つのエンジンが、日本経済を引っ張る>

2014-09-13 15:22:14 | 日本の都市は世界一

 鉄道主体の経済において、日常的に形成されている拠点駅の駅前の、一見無秩序で混沌とした雑踏は、情報発信基地として、大変重要な機能を持っています。

  大都市にある大企業の研究スタッフは、こうした日常的な雑踏の中に放り込まれるのですが、彼らの研究動向・技術革新の方向性は、必然的にマーケット志向、消費者志向の高いものになります。

  その意味で、東京圏こそ、世界中のサービス業各社にとって、最も信頼性の高い実験室であり続けます。 大阪圏も、工業(場)等制限法の撤廃以降、物がらみの設備投資が高成長を続けています。

  このように、日本経済は、東京腱と大阪圏による、双発エンジンが全開の状態になっていきます。

  情報発信基地としての東京圏の優位が高まり、地場産業による技術革新は、大阪圏中心となります。

  東京圏における、法人サービス需要に基づくオフィス市場の拡大と、大阪圏における工場、デパート、鉄道、港湾物流施設への設備投資増加。

  これが、2つのエンジンとして、日本経済を引っ張ります。

 


チャンネル桜・瓦版:<ケインズもマネタリズムも、エリート統制の『社会主義』経済学>

2014-09-13 15:12:56 | 日本経済

 今、アカデミズムの世界で、偉そうな顔をしているのが、ケインジアンやマネタリストですが、両者とも、エリートが、大衆を指導してやらなければ、経済が上手くいかないと考えている意味で、『社会主義』的な経済学です。

  ケインジアンは、財政政策を使うし、マネタリストは、マネーサプライを使うという道具の違いがあるだけで、両方とも『エリーとが指導する必要があり、大衆が勝手に動き回っているだけでは、経済はうまくいかない。』と考えています。

  ハイエクやフォン・ミーゼスが主導している、オーストリア経済学派との、一番大きな差が、そこにあります。

 ハイエクや、フォン・ミーゼスの偉いところは、『デフレになったらほっとけば、過剰な投資の爪痕がいやされたときに、必ず経済は自然回復する。

  それ以外の回復策は、全部間違っていて、さらに経済を悪化させるようなことばかりだ。』と言い続けたことです。

 ハイエクやフォン・ミーゼスは、『市民1人一人が、自分の趣味なり所得なりで、売ったり買ったりして、自然に形成される市場の秩序こそが最高の秩序だ。』と綿々と訴え続けてきた、数少ない人たちです。

  これは、アダム・スミスが、夢見た通りの世界です。 ケインジアンやマネタリストは、『財やサービスの市場は、それでもいいが、金融や財政政策の市場は、それではいけない。 

 頭のいいエリートが、大衆の鼻面を引き回さなければいけないのだ。』と考えます。

  日本では、ミルトン・フリードマンは、ケインジアンに比べて、はるかに自由なことを言っているから、マネタリストは、自由競争の市場経済を信頼している人たちだ、と思っている人が多いと思います。

  ミルトン・フリードマンが、『貨幣供給さえ、一定のパーセンテージで拡大させ続けていれば、あとは何をやってもいい。』というと、すごく自由なことを言っているように聞こえます。 

 しかし、貨幣供給を何パーセントかの一定の伸び率に、延々と保ち続けるには、実は、厳重な統制経済をやらなければ、出来るはずがないのです。

  貨幣供給の伸び率を一定に保つには、マネタリーベースがどういう乗数で、実際に、市場にどれだけのマネーサプライとして現れてくるか、そこまでコントロールするということです。

 それこそ、1人ひとりの人間の頭に拳銃を突きつけて、おまえ1日にいくらの金を何回転させろと、命令でもしない限り、絶対にできるはずのないことなのです。

  だから、フリードマン的な金融政策が失敗につながっていて、それ自体が過度なインフレやデフレなど、その他もろもろの不況の原因になっているし、バブルの原因になったりしています。 

だから、マネタリストは、オーストリア派経済学者からは、実は、ケインジアン以上に嫌われています。 

  いかにも、我々と同じことを言っているふりをして、実は、統制経済を裏道から導入しようとしているやつらだというのです。 

ケインジアンもマネタリストも、本質においては、『社会主義的』経済学なのです。

         以上 


チャンネル桜・瓦版、次はNHK解体:「日本文明。」の不思議さ、珍しさ

2014-09-13 08:13:17 | 日本文明

 神道を理解せずして、「日本文明の不思議さ、珍しさ。」は、わからない、と喝破したのです。 

 しかも、「神道が、西欧人とは、まるで似ても似つかない信仰。」でありながら、単なる、原始宗教や自然崇拝とも異なり、日本人の内面に、「独特の美しさ。」、「庶民の日常生活の上にも繁栄している、道徳的な美しさ。」をもたらし、日本の根幹を形作っている、と見抜きました。

 日本文明の精髄は、『霊的』、精神的なものにある、という考えは、1896年に、”Kokoro”(心)を、米英で出版した際、タイトルの意味を、次のように説明したことからかがも、窺えます。

  〈 『心』と云う字は、情緒的な意味では、信念という意味も持っている。 つまり、精神、胆力、情操、愛情、それから、我々が、英語で、「事物の真髄。」というような、内奥の意味も持っている。〉

  『心』に収められた、「日本文化の神髄。」では、神道および、仏教が、日本人の精神性に果たした役割を、端的に、こう述べています。

  〈 日本の国民性のうちに、利己的な、個人主義が、比較的少ないことは、この国の救いであり、それがまた、国民をして、優勢国に対して、自国の独立を、よく保つことを得せしめたのである。

  このことに対して、日本は、自国の道徳力を創造し、保存した、2つの大きな宗教に感謝してよかろう。

 その1つは、自分の一家のこと、もしくは、自分のことを考える前に、まず、天皇と国家のことを思うことを、国民に教えこんだ、かの神道、である。

 それともう1つは、悲しみに打ち勝ち、苦しみを忍び、執着するものを滅却し、憎悪するものの暴虐を、永遠の法則として、感受するように、国民を鍛え上げた、かの仏教である。〉(『心』)

 


チャンネル桜・瓦版、朝日廃刊、NHK解体を目指す:ミシュランの三つ星レストラン

2014-09-13 07:34:17 | 日本の都市は世界一

 せめて、人口1千万人ぐらいいないと『少数派テイスト』というのは、商売にならないのです。

  ミシュランの認定する三ッ星レストランが、世界で一番多い都市が、『東京』です。

  これは、考えてみたら当たり前で、それだけ人口が集積していて、実際においしい料理へのニーズがあって、そして、ここがポイントですが、料理屋さんに「歩いて。」行けることです。

  『徒歩』で生活できる都市からこそ、ミシュランが星を多数つけるような状況が、生まれたのだと思います。

  この東京とのあり方というのが、今後の都市の方向性だと思うのですが、あまりそう言われないのが不思議なことです。