画は 歌川 芳員 (よしかず) 生没年 不詳
作画期: 嘉永前期 ~ 明治3年頃
画系 : 歌川國芳 門下
画号 : 一壽齋 一川 一川齋など 作
「亜墨利加國 蒸気車往来」です。
☆晴れたり曇ったり、台風一過 蒸し暑い。
<NHKが 大スクープ! 昭和天皇 「拝謁記」 入手!>
とか、民間出身の初代宮内庁長官だった 田島道治(たじま・みちじ)
の控え らしいが 忖度 々 ではないのか?
まともに受け取るのは どーかと 思うね、
◆http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/08/15/223058
読む・考える・書く 2019-08-15
◎玉音放送でも 嘘だらけだった 天皇裕仁
今日は敗戦の日(昭和天皇裕仁が、連合国に無条件降伏することを
自らラジオ放送で表明した日)だが、その内容の 現代語訳を
ハフィントンポストが 紹介してくれている。
これを見ると、そのいわゆる「玉音放送」においても、
裕仁の発言は 嘘だらけだった ことがよくわかる。
☆https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/14/emperor-broadcasting-
decleartion_n_17752858.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
玉音放送を現代語にすると...
「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して...」【終戦の日】
☆https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=RFVzDGSiojs
宮内庁: 玉音放送の原盤を 初公表 音声も公開
私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法で
この事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、
共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有する
ことは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。
アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、
日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、
他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。
だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、
多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、
それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、
世界情勢もまた日本に不利である。
それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、
罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。
なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、
ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。
そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、
歴代天皇の霊に謝罪できようか。
これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。
私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、
遺憾の意を表明せざるをえない。(略)
よく言うよ。
1943年5月31日に御前会議で決定された 機密文書「大東亜政略指導大綱」には
次のように書かれている。
第二 要綱
(略)
四、対緬(ビルマ=ミャンマー)方策
昭和18年3月10日大本営政府連絡会議決定
緬甸独立指導要領 に基づき施策す
五、対比(フィリピン)方策
成るべく速に独立せしむ
独立の時機は概ね本年10月頃と予定し、極力諸準備を促進す
六、其他の占領地域に対する方策を左の通定む
但し(ロ)(ニ)以外は 当分発表せず
(イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は
帝国領土と決定し、重要資源の供給源として
極力之が開発ならびに民心の把握に努む
(ロ) 前号各地域に於ては、原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ
(ハ) 「ニューギニア」等(イ)以外の地域の処理に関しては、
前二号に準じ追て定む
(ニ) 前記各地に於ては 当分軍政を実施す
マレーシアと インドネシア主要部
(スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス海域)は、
欧米植民地からの解放どころか
日本領土に編入してしまう方針が明記されている。
ニューギニア等の地域も いずれ日本領にするつもりだった。
また、この「大綱」では ビルマとフィリピンは独立させる
としているが、いずれも傀儡政権であり、
「独立」は見せかけだけのものだった。
日本は43年8月ビルマの、10月フィリピンの「独立」を認め、
両国での軍政は形式上は廃止された。
しかし42年8月の「軍政総監指示」は
「この独立は軍事、外交、経済等にわたり帝国の強力なる把握下に
置かるべき 独立なる点 特に留意を要する」としており、
日本の軍事的支配という実態は かわらなかった。
この両国および満州国・汪政権・タイなど対日協力政権の代表者を
東京にあつめて、43年11月、大東亜会議が開かれ、
「大東亜共同宣言」を発表したが、
占領の実態からかけ離れた美辞麗句を ならべたものであった。
だいたい、フィリピンは日本が「独立」させるまでもなく、
以前から 米国が1946年7月に独立を与えると約束していた。
(戦後、約束どおり フィリピン第三共和国として独立。)
いや、そもそも アジア太平洋戦争自体、日本が長年にわたって中国を侵略し、
その領土を掠め取る戦争を続けてきたことの 必然的帰結だったではないか。
なにが 「他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、
もとより私の意志ではない」だ。
また、最終的に降伏を決断した理由も、
人民の犠牲を憂慮してのことなどではなく、このまま戦争を続けては
自分たち天皇家が 神の子孫だという神話的正統性
(=「国体」の本質)を担保する 「三種の神器」が失われる
ことを恐れての ことだった。
また、「独白録」をみても、天皇が皇位の正統性の象徴としての
「三種の神器」の保持に強く固執し、
「敵が 伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は
直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、
その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい」という判断から、
ポツダム宣言の受諾にふみきった ことがわかる。
「三種の神器」とは、歴代の天皇が継承してきた三つの神宝、
八咫の鏡、草薙の剣、八尺瓊の勾玉 の総称であり、
そのうち伊勢・熱田両神宮には 鏡と剣が祀られている。
この「三種の神器」の喪失が「国体」を危うくするという論理は、
あまりに神権主義的な色彩が強いために、
現代のわれわれには理解しにくいが、現実の天皇の意識のなかでは、
こうした判断が大きな比重を占めていた のだろう。
総力戦の末の敗戦 という最終場面に至っても、
裕仁は 人民には平気で嘘を語っていた のだ。
↑
昭和天皇は 己の出自は 知っていた、
図太く 「三種の神器」を所持するものが 天皇だ、
と開き直っていた。
芳員、二枚目、
「五カ國 異人 酒宴之圖」です。
創意工夫と 冷静かつ合理的な 敢闘精神、
◆https://richardkoshimizu.exblog.jp/28522593/
richardkoshimizu's blog 2019年 08月 16日
◎74回目 の終戦記念日 に際して
▼https://pds.exblog.jp/pds/1/201908/16/32/e0415532_09290830.jpg
▼https://pds.exblog.jp/pds/1/201908/16/32/e0415532_09292060.jpg
昨日は、74回目の終戦記念日でした。
毎年、この日になると思う 疑問があります。
「戦没者310万人の 冥福を祈る」と繰り返されます。
でも、日本以外の戦没者を含めると、1000万人以上になります。
インドネシアで400万、ベトナムで200万、フィリッピンで110万。
その大半が、餓死です。 日本軍が食糧を徴発した結果です。
戦争の犠牲を悼むとき、日本人以外の死者に目を向けることができる日本人で
ありたいと思います。
もう一つの疑問が、戦争の原因を 誰も理解していないことです。
DeepState が捏造した 第二次大戦に引きずり込まれて、
日本は戦争当事者になってしまった。
ルーズベルトが、欧州の戦争に米軍を参加させる口実を作るために、
意図的に 日本に 真珠湾攻撃をさせた。
危険な真珠湾に 主力艦を集めて、わざと攻撃させた。
山本某長官と、おそらく談合して。
日本の外務省は、「不意打ち」をする お手伝いをした。
そして戦後74年間、日本は戦争を起こしたことについて 批判を受けてきた。
そして、戦争中には 核実験の場所にされた。
広島長崎以外にも 核攻撃を受けながら、
日本国民はその事実を いまだ知らずにいる。
長崎の数千のカソリック信者の上に原爆を落としたのが、
米軍の中の ユダヤ人DeepStateの集団 であった ことを忘れてはならない。
さらにもう一つの疑問。
戦争末期の「特攻攻撃」を 賛美する人たちがいます。
隊員たちの 国と家族を思う気持ちは素晴らしいものです。
否定などしません。 だが、忘れてならないのは、
特攻攻撃では、国家を救うことはできない という教訓です。
特攻は、当初は ある程度結果を出しましたが、末期は惨憺たるもので、
敵艦にたどり着くまでに、燃料切れや「居眠り」、編隊から脱落する
などして 墜落してしまったのです。
少数が敵艦隊にたどり着いても、対空砲火や迎撃機により
ほとんどが撃ち落とされた。 非常に 効率の悪い戦法だった。
日本海軍が誇る、撃墜王、岩本徹三中尉は、
ゼロ戦を駆って 202機を撃墜した。
そして、特攻には終戦まで反対し続けた。
「生き残って 敵と戦い 打ち負かす」のが 操縦者の使命だ と。
岩本氏は、ラバウル航空隊において、1943年12月の攻撃に際し、
三号(クラスター)爆弾を使用した。
爆撃を終えて帰投する 米空軍B-24の編隊に
1000m上空から三号爆弾を投下。
空中で 子爆弾を散開させて、一度に26機を撃墜した。
その後も何度もB-24の大量撃破に成功している。
もし、岩本が 特攻に参加していれば、
202機の敵機を 撃墜することはなかった。
特攻で一瞬に消える のではなく、執拗に生き残って敵にまとわりつき、
敵を 徹底的にせん滅する。
それが 本当の國士の仕事 であると思います。
国家の指導者が、それに気づいてれば、岩本徹三があと30人育っていたら、
日本は違う道を歩んでいたかもしれない。
戦争の真実を伝えなくては。
日本人の進むべき道を、戦争の真実を知ることから 紐解いていくべきである。
その作業を今も進めています。
リチャード・コシミズでした。
◆https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E5%BE%B9%E4%B8%89
岩本徹三
岩本 徹三(いわもと てつぞう):
1916年6月14日 - 1955年5月20日、日本海軍の軍人。
支那事変、太平洋戦争における 撃墜王。 最終階級は海軍中尉。
岩本らラバウル航空隊では、敵爆撃機の編隊に対して1000〜2000m上空から
敵の進行方向と正対する様に飛行し、緩降下して
敵編隊長機との直線距離が3〜5000m程度になった時に
背面飛行に入り射撃角度を調整しながら急降下し、
敵機との距離が150m以内に近づいた時に
20mm機関砲と7.7mm機銃を直上から爆撃機の操縦席を狙って
1〜2秒の間に発射し高速で下方向に離脱、
再度上昇して反復攻撃する攻撃法を採用していた。
岩本らは繰り返しこの戦法でB-24撃墜の戦果を報告していた。
この戦法のメリットは敵編隊の機銃の数が制限されること、
自機の機速と敵の機動により照準がつけにくいことであり、
デメリットは高度な飛行テクニックと計算力、射撃能力が要求される。
岩本は「この攻撃方法は1秒でも時間を誤れば失敗するが
操作時期さえ良ければ十中八九成功する」が
「若い搭乗員にはそんな難しい攻撃法はとても無理である」と述べている。
後に岩本は大隅半島上空で この攻撃法によりB-29を一撃で撃墜した
と報告している。
1944年10月末、第二航空艦隊で行われた第二神風特別攻撃隊の志願者募集の際、
岩本は「死んでは戦争は終わりだ。われわれ戦闘機乗りはどこまでも
戦い抜き、敵を一機でも多く 叩き落としていくのが任務 じゃないか。
一度きりの体当たりで死んでたまるか。俺は否だ。」と言って志願しなかった。
特攻に関して岩本は「この戦法が全軍に伝わると、
わが軍の士気は 目に見えて衰えてきた。
神ならぬ身、生きる道あってこそ 兵の士気は上がる。
表向きは作ったような元気を装っているが、影では泣いている。」
「命ある限り 戦ってこそ、戦闘機乗り です。」
「こうまでして、下り坂の戦争を やる必要が あるのだろうか?
勝算のない上層部の やぶれかぶれの 最後のあがき としか思えなかった。」
と回想している。
岩本は「媚(こ)びず、諂(へつら)わず、とらわれず。」
という武士道的な言葉を常々自身に言い聞かせていた。
堀建二2飛曹は岩本から 「どんな場合でも、実戦で墜されるのは
不注意による。まず第一は見張りだ。
真剣に見張りをやって 最初にこちらから敵を発見する。
そして、その敵がかかってきたら、機銃弾の軸線を外す。
そうすれば墜されることはまずない。
地上砲火による場合。これは、どうにもならん。避けようがないからな。
その場合は潔くあきらめるさ!」と指導を受けたという。
↑
以前にも書きましたが 陸軍一式戦(隼)の 関東防空隊の方 のお話、
「先に 敵を見つけること」だ、さすれば 負けない。
芳員、三枚目、
「英吉利人」です。
当ブログ既報ですが、ひどい話です、
◆http://www.asyura2.com/19/cult22/msg/335.html
投稿者: ポスト米英時代 日時: 2019 年 8 月 15 日 g3yDWINnlcSJcI6ekeM
◎シャン・藤原・韓国・安倍が最も痛い 汚染水の情報公開請求をする。
アンコンの嘘がバレて 五輪もアウトである。
猛暑対策に 朝顔で トライアスロン会場は うんこの臭いで、
トップは起訴待ちで 既に滅茶苦茶だが、
韓国が最強カードを切ってくるそうで、
出せば 五輪中止は確実で、出さなければボイコット国続出で、
どの道無理が有りすぎで、
311を起こされたのを 誤魔化す為の誘致に 無理があったのである。
今や五輪など 商業目的がバレて、ネット以前の輝きはなく、
アマチュアリズムも怪しく、選手が金儲けの為に頑張ってるのに
感動を有難うとか 間抜けじゃねと 白けている者も少なくなく、
四年に一度というのも昔ほど有り難みがなく、
ダマスゴミとスポンサーが はしゃいでいるだけである。
☆https://japanese.joins.com/article/538/256538.html
韓国政府「原発汚染水対策を要請」 安倍首相の最も痛いところを突く
◆https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=208682
シャンティ・フーラ 2019/08/16
◎台場の海は「トイレみたい」ではなく、「トイレの汚染水 そのもの」
~ 未浄化下水の広がりに、選手たちは 戦々恐々
「皆が海だと思っているのは、実は海ではないのだ。
しかし、名前がないと何とも不便だから、とりあえず海と名付けておこう」
という金剛般若経の思想から、人々が海だと思っているものが、
巨大な水洗トイレではないか と私は思っていたのですが、
それが正しかったことが、日刊ゲンダイの記事から明らかになりました。
動物たちの様をご覧になれば、陸地がトイレであることは明らか。
その上に、海が水洗トイレだということになれば、
“実は 地球が トイレだった”という結論が導き出されるのです。
さて、 2つ目のツイートにリンクがありますが、
東京都下水道局の下水処理の解説によると、
“東京都の区部の大部分では、汚水と雨水を
ひとつの下水道管で集める「合流式下水道」という仕組みを
採用しています”とあり、
「合流式下水道では、一定以上の雨が降った時に、
街を浸水被害から守るため、汚水混じりの雨水が河川等に放流されます」
と書かれています。要するに、ある程度の雨が降ると、
“排出基準を満たさない未浄化の … 焦げ茶色の汚水が
濁流となって放出”されるわけです。
なので、ツイートにあるように、「競技直前には 首都圏豪雨でしたが、
今はカラッと晴れ上がりました。」という状況が、
選手にとっては最悪なわけです。
お台場の海の水質汚染について、タイムズ紙は2013年の時点で、
懸念を表明していました。 これに対し、東京招致委員会は、
“トライアスロンや 水泳オープンウオーターの大会が
お台場で開催され『問題が起きたことはない』”と答えていますが、
ツイートによると、“お台場でのトライアスロン日本選手権は
秋開催”なので、夏場のオリンピックでは 大腸菌が繁殖しそうです。
大腸菌は水中スクリーンを三重にして
何とか基準値内に収めるつもりのようですが、
分子の小さな不潔な有機物の方は、スクリーンを透過してしまう
のではないかと思います。
多分、水洗トイレの水は 十分に飲めるというのが、
大会関係者の見解なのではないでしょうか。
(竹下雅敏)
↑
韓国が 2020東京オリンピックw を潰す かw
いいんじゃないかね、
「原発汚染水対策 を要請」、いいとこ突いておるのでは?
手前は 返上賛成 ですから。
作画期: 嘉永前期 ~ 明治3年頃
画系 : 歌川國芳 門下
画号 : 一壽齋 一川 一川齋など 作
「亜墨利加國 蒸気車往来」です。
☆晴れたり曇ったり、台風一過 蒸し暑い。
<NHKが 大スクープ! 昭和天皇 「拝謁記」 入手!>
とか、民間出身の初代宮内庁長官だった 田島道治(たじま・みちじ)
の控え らしいが 忖度 々 ではないのか?
まともに受け取るのは どーかと 思うね、
◆http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/08/15/223058
読む・考える・書く 2019-08-15
◎玉音放送でも 嘘だらけだった 天皇裕仁
今日は敗戦の日(昭和天皇裕仁が、連合国に無条件降伏することを
自らラジオ放送で表明した日)だが、その内容の 現代語訳を
ハフィントンポストが 紹介してくれている。
これを見ると、そのいわゆる「玉音放送」においても、
裕仁の発言は 嘘だらけだった ことがよくわかる。
☆https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/14/emperor-broadcasting-
decleartion_n_17752858.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
玉音放送を現代語にすると...
「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して...」【終戦の日】
☆https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=RFVzDGSiojs
宮内庁: 玉音放送の原盤を 初公表 音声も公開
私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法で
この事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。
私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、
共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有する
ことは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。
アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、
日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、
他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。
だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、
多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、
それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、
世界情勢もまた日本に不利である。
それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、
罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。
なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、
ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。
そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、
歴代天皇の霊に謝罪できようか。
これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。
私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、
遺憾の意を表明せざるをえない。(略)
よく言うよ。
1943年5月31日に御前会議で決定された 機密文書「大東亜政略指導大綱」には
次のように書かれている。
第二 要綱
(略)
四、対緬(ビルマ=ミャンマー)方策
昭和18年3月10日大本営政府連絡会議決定
緬甸独立指導要領 に基づき施策す
五、対比(フィリピン)方策
成るべく速に独立せしむ
独立の時機は概ね本年10月頃と予定し、極力諸準備を促進す
六、其他の占領地域に対する方策を左の通定む
但し(ロ)(ニ)以外は 当分発表せず
(イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は
帝国領土と決定し、重要資源の供給源として
極力之が開発ならびに民心の把握に努む
(ロ) 前号各地域に於ては、原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ
(ハ) 「ニューギニア」等(イ)以外の地域の処理に関しては、
前二号に準じ追て定む
(ニ) 前記各地に於ては 当分軍政を実施す
マレーシアと インドネシア主要部
(スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス海域)は、
欧米植民地からの解放どころか
日本領土に編入してしまう方針が明記されている。
ニューギニア等の地域も いずれ日本領にするつもりだった。
また、この「大綱」では ビルマとフィリピンは独立させる
としているが、いずれも傀儡政権であり、
「独立」は見せかけだけのものだった。
日本は43年8月ビルマの、10月フィリピンの「独立」を認め、
両国での軍政は形式上は廃止された。
しかし42年8月の「軍政総監指示」は
「この独立は軍事、外交、経済等にわたり帝国の強力なる把握下に
置かるべき 独立なる点 特に留意を要する」としており、
日本の軍事的支配という実態は かわらなかった。
この両国および満州国・汪政権・タイなど対日協力政権の代表者を
東京にあつめて、43年11月、大東亜会議が開かれ、
「大東亜共同宣言」を発表したが、
占領の実態からかけ離れた美辞麗句を ならべたものであった。
だいたい、フィリピンは日本が「独立」させるまでもなく、
以前から 米国が1946年7月に独立を与えると約束していた。
(戦後、約束どおり フィリピン第三共和国として独立。)
いや、そもそも アジア太平洋戦争自体、日本が長年にわたって中国を侵略し、
その領土を掠め取る戦争を続けてきたことの 必然的帰結だったではないか。
なにが 「他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、
もとより私の意志ではない」だ。
また、最終的に降伏を決断した理由も、
人民の犠牲を憂慮してのことなどではなく、このまま戦争を続けては
自分たち天皇家が 神の子孫だという神話的正統性
(=「国体」の本質)を担保する 「三種の神器」が失われる
ことを恐れての ことだった。
また、「独白録」をみても、天皇が皇位の正統性の象徴としての
「三種の神器」の保持に強く固執し、
「敵が 伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は
直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、
その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい」という判断から、
ポツダム宣言の受諾にふみきった ことがわかる。
「三種の神器」とは、歴代の天皇が継承してきた三つの神宝、
八咫の鏡、草薙の剣、八尺瓊の勾玉 の総称であり、
そのうち伊勢・熱田両神宮には 鏡と剣が祀られている。
この「三種の神器」の喪失が「国体」を危うくするという論理は、
あまりに神権主義的な色彩が強いために、
現代のわれわれには理解しにくいが、現実の天皇の意識のなかでは、
こうした判断が大きな比重を占めていた のだろう。
総力戦の末の敗戦 という最終場面に至っても、
裕仁は 人民には平気で嘘を語っていた のだ。
↑
昭和天皇は 己の出自は 知っていた、
図太く 「三種の神器」を所持するものが 天皇だ、
と開き直っていた。
芳員、二枚目、
「五カ國 異人 酒宴之圖」です。
創意工夫と 冷静かつ合理的な 敢闘精神、
◆https://richardkoshimizu.exblog.jp/28522593/
richardkoshimizu's blog 2019年 08月 16日
◎74回目 の終戦記念日 に際して
▼https://pds.exblog.jp/pds/1/201908/16/32/e0415532_09290830.jpg
▼https://pds.exblog.jp/pds/1/201908/16/32/e0415532_09292060.jpg
昨日は、74回目の終戦記念日でした。
毎年、この日になると思う 疑問があります。
「戦没者310万人の 冥福を祈る」と繰り返されます。
でも、日本以外の戦没者を含めると、1000万人以上になります。
インドネシアで400万、ベトナムで200万、フィリッピンで110万。
その大半が、餓死です。 日本軍が食糧を徴発した結果です。
戦争の犠牲を悼むとき、日本人以外の死者に目を向けることができる日本人で
ありたいと思います。
もう一つの疑問が、戦争の原因を 誰も理解していないことです。
DeepState が捏造した 第二次大戦に引きずり込まれて、
日本は戦争当事者になってしまった。
ルーズベルトが、欧州の戦争に米軍を参加させる口実を作るために、
意図的に 日本に 真珠湾攻撃をさせた。
危険な真珠湾に 主力艦を集めて、わざと攻撃させた。
山本某長官と、おそらく談合して。
日本の外務省は、「不意打ち」をする お手伝いをした。
そして戦後74年間、日本は戦争を起こしたことについて 批判を受けてきた。
そして、戦争中には 核実験の場所にされた。
広島長崎以外にも 核攻撃を受けながら、
日本国民はその事実を いまだ知らずにいる。
長崎の数千のカソリック信者の上に原爆を落としたのが、
米軍の中の ユダヤ人DeepStateの集団 であった ことを忘れてはならない。
さらにもう一つの疑問。
戦争末期の「特攻攻撃」を 賛美する人たちがいます。
隊員たちの 国と家族を思う気持ちは素晴らしいものです。
否定などしません。 だが、忘れてならないのは、
特攻攻撃では、国家を救うことはできない という教訓です。
特攻は、当初は ある程度結果を出しましたが、末期は惨憺たるもので、
敵艦にたどり着くまでに、燃料切れや「居眠り」、編隊から脱落する
などして 墜落してしまったのです。
少数が敵艦隊にたどり着いても、対空砲火や迎撃機により
ほとんどが撃ち落とされた。 非常に 効率の悪い戦法だった。
日本海軍が誇る、撃墜王、岩本徹三中尉は、
ゼロ戦を駆って 202機を撃墜した。
そして、特攻には終戦まで反対し続けた。
「生き残って 敵と戦い 打ち負かす」のが 操縦者の使命だ と。
岩本氏は、ラバウル航空隊において、1943年12月の攻撃に際し、
三号(クラスター)爆弾を使用した。
爆撃を終えて帰投する 米空軍B-24の編隊に
1000m上空から三号爆弾を投下。
空中で 子爆弾を散開させて、一度に26機を撃墜した。
その後も何度もB-24の大量撃破に成功している。
もし、岩本が 特攻に参加していれば、
202機の敵機を 撃墜することはなかった。
特攻で一瞬に消える のではなく、執拗に生き残って敵にまとわりつき、
敵を 徹底的にせん滅する。
それが 本当の國士の仕事 であると思います。
国家の指導者が、それに気づいてれば、岩本徹三があと30人育っていたら、
日本は違う道を歩んでいたかもしれない。
戦争の真実を伝えなくては。
日本人の進むべき道を、戦争の真実を知ることから 紐解いていくべきである。
その作業を今も進めています。
リチャード・コシミズでした。
◆https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E5%BE%B9%E4%B8%89
岩本徹三
岩本 徹三(いわもと てつぞう):
1916年6月14日 - 1955年5月20日、日本海軍の軍人。
支那事変、太平洋戦争における 撃墜王。 最終階級は海軍中尉。
岩本らラバウル航空隊では、敵爆撃機の編隊に対して1000〜2000m上空から
敵の進行方向と正対する様に飛行し、緩降下して
敵編隊長機との直線距離が3〜5000m程度になった時に
背面飛行に入り射撃角度を調整しながら急降下し、
敵機との距離が150m以内に近づいた時に
20mm機関砲と7.7mm機銃を直上から爆撃機の操縦席を狙って
1〜2秒の間に発射し高速で下方向に離脱、
再度上昇して反復攻撃する攻撃法を採用していた。
岩本らは繰り返しこの戦法でB-24撃墜の戦果を報告していた。
この戦法のメリットは敵編隊の機銃の数が制限されること、
自機の機速と敵の機動により照準がつけにくいことであり、
デメリットは高度な飛行テクニックと計算力、射撃能力が要求される。
岩本は「この攻撃方法は1秒でも時間を誤れば失敗するが
操作時期さえ良ければ十中八九成功する」が
「若い搭乗員にはそんな難しい攻撃法はとても無理である」と述べている。
後に岩本は大隅半島上空で この攻撃法によりB-29を一撃で撃墜した
と報告している。
1944年10月末、第二航空艦隊で行われた第二神風特別攻撃隊の志願者募集の際、
岩本は「死んでは戦争は終わりだ。われわれ戦闘機乗りはどこまでも
戦い抜き、敵を一機でも多く 叩き落としていくのが任務 じゃないか。
一度きりの体当たりで死んでたまるか。俺は否だ。」と言って志願しなかった。
特攻に関して岩本は「この戦法が全軍に伝わると、
わが軍の士気は 目に見えて衰えてきた。
神ならぬ身、生きる道あってこそ 兵の士気は上がる。
表向きは作ったような元気を装っているが、影では泣いている。」
「命ある限り 戦ってこそ、戦闘機乗り です。」
「こうまでして、下り坂の戦争を やる必要が あるのだろうか?
勝算のない上層部の やぶれかぶれの 最後のあがき としか思えなかった。」
と回想している。
岩本は「媚(こ)びず、諂(へつら)わず、とらわれず。」
という武士道的な言葉を常々自身に言い聞かせていた。
堀建二2飛曹は岩本から 「どんな場合でも、実戦で墜されるのは
不注意による。まず第一は見張りだ。
真剣に見張りをやって 最初にこちらから敵を発見する。
そして、その敵がかかってきたら、機銃弾の軸線を外す。
そうすれば墜されることはまずない。
地上砲火による場合。これは、どうにもならん。避けようがないからな。
その場合は潔くあきらめるさ!」と指導を受けたという。
↑
以前にも書きましたが 陸軍一式戦(隼)の 関東防空隊の方 のお話、
「先に 敵を見つけること」だ、さすれば 負けない。
芳員、三枚目、
「英吉利人」です。
当ブログ既報ですが、ひどい話です、
◆http://www.asyura2.com/19/cult22/msg/335.html
投稿者: ポスト米英時代 日時: 2019 年 8 月 15 日 g3yDWINnlcSJcI6ekeM
◎シャン・藤原・韓国・安倍が最も痛い 汚染水の情報公開請求をする。
アンコンの嘘がバレて 五輪もアウトである。
猛暑対策に 朝顔で トライアスロン会場は うんこの臭いで、
トップは起訴待ちで 既に滅茶苦茶だが、
韓国が最強カードを切ってくるそうで、
出せば 五輪中止は確実で、出さなければボイコット国続出で、
どの道無理が有りすぎで、
311を起こされたのを 誤魔化す為の誘致に 無理があったのである。
今や五輪など 商業目的がバレて、ネット以前の輝きはなく、
アマチュアリズムも怪しく、選手が金儲けの為に頑張ってるのに
感動を有難うとか 間抜けじゃねと 白けている者も少なくなく、
四年に一度というのも昔ほど有り難みがなく、
ダマスゴミとスポンサーが はしゃいでいるだけである。
☆https://japanese.joins.com/article/538/256538.html
韓国政府「原発汚染水対策を要請」 安倍首相の最も痛いところを突く
◆https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=208682
シャンティ・フーラ 2019/08/16
◎台場の海は「トイレみたい」ではなく、「トイレの汚染水 そのもの」
~ 未浄化下水の広がりに、選手たちは 戦々恐々
「皆が海だと思っているのは、実は海ではないのだ。
しかし、名前がないと何とも不便だから、とりあえず海と名付けておこう」
という金剛般若経の思想から、人々が海だと思っているものが、
巨大な水洗トイレではないか と私は思っていたのですが、
それが正しかったことが、日刊ゲンダイの記事から明らかになりました。
動物たちの様をご覧になれば、陸地がトイレであることは明らか。
その上に、海が水洗トイレだということになれば、
“実は 地球が トイレだった”という結論が導き出されるのです。
さて、 2つ目のツイートにリンクがありますが、
東京都下水道局の下水処理の解説によると、
“東京都の区部の大部分では、汚水と雨水を
ひとつの下水道管で集める「合流式下水道」という仕組みを
採用しています”とあり、
「合流式下水道では、一定以上の雨が降った時に、
街を浸水被害から守るため、汚水混じりの雨水が河川等に放流されます」
と書かれています。要するに、ある程度の雨が降ると、
“排出基準を満たさない未浄化の … 焦げ茶色の汚水が
濁流となって放出”されるわけです。
なので、ツイートにあるように、「競技直前には 首都圏豪雨でしたが、
今はカラッと晴れ上がりました。」という状況が、
選手にとっては最悪なわけです。
お台場の海の水質汚染について、タイムズ紙は2013年の時点で、
懸念を表明していました。 これに対し、東京招致委員会は、
“トライアスロンや 水泳オープンウオーターの大会が
お台場で開催され『問題が起きたことはない』”と答えていますが、
ツイートによると、“お台場でのトライアスロン日本選手権は
秋開催”なので、夏場のオリンピックでは 大腸菌が繁殖しそうです。
大腸菌は水中スクリーンを三重にして
何とか基準値内に収めるつもりのようですが、
分子の小さな不潔な有機物の方は、スクリーンを透過してしまう
のではないかと思います。
多分、水洗トイレの水は 十分に飲めるというのが、
大会関係者の見解なのではないでしょうか。
(竹下雅敏)
↑
韓国が 2020東京オリンピックw を潰す かw
いいんじゃないかね、
「原発汚染水対策 を要請」、いいとこ突いておるのでは?
手前は 返上賛成 ですから。