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宮崎「橋の日」活動25周年を迎えて(執筆文)

2013年03月07日 05時18分32秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

昨年、土木関連の季刊誌に投稿した。その文章を紹介したい。

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( 第1回宮崎「橋の日」イベント_昭和62年)

「橋の日」は、今から26年前、昭和60年に宮崎県延岡市出身の湯浅利彦さんが提唱された宮崎発祥の記念日です。
湯浅さんは子供の頃、延岡市街地を流れる大瀬川で毎日のように泳いだり、魚を獲ったり、また橋を望みながら、まるで河童のように川で遊んでいたそうです。ある日、洪水によって木橋の大瀬橋が流され、町が分断、橋の存在の大きさやありがたさを子供心に思い知らされたとお聞きした。

湯浅さんはその後、橋梁メーカーに勤務。「橋との触れ合いを通じて故郷を愛する心を育てたい」という熱い思いが、年を重ねられるごとに募り、昭和60年に語呂合わせもあり、8月4日を「橋の日」と提唱されました。さっそく翌61年に延岡市の大瀬川に架かる安賀多橋で最初の「橋の日」活動が実施され、風船やパラソルを欄干に取り付け、「橋の日」を祝った。そして翌、昭和62年には宮崎市において宮崎「橋の日」実行委員会が発足し、宮崎市の母なる川、大淀川に架かる橘橋を会場として、第1回宮崎「橋の日」のイベントを実施した。以来、今年は活動25周年の節目の年を迎えることができました。

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(橋パネル展_於宮交シティ)

今振り返ってみると、最初の10年間は「橋の日」という経験の無い活動を手探りしながら進めた、まさに委員会の基礎づくりの期間だったように思う。深夜、冷房の切れたデパート館内でパネル展の準備を、汗をかきながら準備したことが昨日のように思い出される。

まずは組織づくり。当時の松形宮崎県知事に賛同を得て、「新ひむかづくり運動県民会議」の会長 塩見一郎氏を当会会長に、事務局長の青井正彰氏を副会長に迎え、また宮崎大学教授 藤本廣氏に相談役をお願いした。

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(シンボルマークの選定作業)

次に「橋の日」のシンボルマークの制作。全国に公募し、305点の応募の中から標記のマークを選定。
さらに「橋の日」の歌の制作。
また平成6年には念願であった日本記念日協会から8月4日「橋の日」の認定を受けることができ、相当勇気づけられたものである。この頃より行政や団体からの物心両面にわたる支援が受けられるようになり、また地元高校からも毎年100名以上の学生の参加をいただいている。

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(ひょっとこ若芽会がイベントを盛り上げてくれた)

実行委員会では、「橋の日」を盛り上げるため、さまざまなイベントを企画し、橘橋周辺の清掃はもとより、橋への感謝を込めた献花、各界の方々にご参加いただいた橋の座談会、橋のパネル展、稚魚の放流、また歌や太鼓など、自らも楽しみながら、橋のお祭りとして賑やかに行った。

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( 橘橋と宮崎のまちづくり講演会)

11年目からは、地域に根ざした活動に力点をおいた。「邦成没後100年パネル展」では、橘橋の歴史を調べていくうちに、「初代橘橋」を架けた医師福島邦成の存在を抜きにして地域を語れないことを知った。福島邦成は、橋が宮崎市のまちづくりの原点であるとの想いで、宮崎を活性化させるために橘橋を架橋しただけでなく、大阪と宮崎を結ぶ航路の新設をしたことが分かりました。邦成の居宅が現存し、築300年を経た武家屋敷であることも知った。

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(宮崎の橋101選ポスター)

また、平成13年には宮崎県内に存在する92橋の石橋をまとめたポスターを制作し、県内の全小中学校・高校に配付した。
さらに平成15年には、「宮崎の橋101選」ポスターを製作。これは県民から応募していただいた県内の魅力ある橋、総数303橋の中から、101の橋を選定したものです。このポスター製作を通して、橋梁は全て、先人の努力と知恵、技術の賜であることを認識し、改めて地域を知り、愛するきっかけとなった。

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(橋の日サミット風景)

活動20周年を迎えた平成18年以降、地域との連携を大切にしてきた。 
兼ねてからあたためていた「橋の日サミット」を開催。全国の代表的「橋の日」活動団体を宮崎にお呼びし、パネルディスカッションを実施、盛会であった。

また、宮崎市大淀川に新設された天満橋のオープニングイベントへの参加や道路愛護活動を続ける「道守会」の皆さんと「橘橋フラワーブリッジ」イベントの共同開催、先述した福島邦成邸の移築保存運動に関わる見学会イベントへの協働参加、宮崎県との協働企画による「てげいっちゃが(宮崎弁でとってもいいですよ)宮崎の橋」ポスターの制作など、地域の団体等との協働活動に努めた。

20130303_2(シンポジウムの様子)

活動25周年の本年は、「橋を通じた地域づくりシンポジウム」を8月19日に開催、東京、福岡からも参加いただいた。
シンポジウムでは、地域づくりには永い時間と多くの人々の想いや熱意をとぎれることなく継いでいくことが大事であること、子ども達に記憶を継ぎ、夢を語れる地域づくりには、「橋」は誰にも理解しやすいテーマであること等を改めて感じ、勇気をもらった。

また、橋の歴史を振り返る中でそこには「人」がいて「夢」があって、「技術」がある。人に愛される「橋」をつくりたい、百年も残る橋をつくりたい・・・。その強い思いを地元で育て、そして生き続けて、継承していこうとする仲間達がいることを知った。

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(イベントの記念写真)
これまで、全国の「橋の日」活動団体へ、情報の提供や幟の無償提供などの活動を続けてきた結果、宮崎で生まれ育った「橋の日」運動は、全国30都道府県まで拡大した。これからもその輪が一層広がるよう努力していきたい。

現在、実行委員会メンバー40名で活動を続けているが、ここまでこられたのは、地域の団体企業・行政による支援のお陰だと深く感謝している。暖かいご支援に報いるためにも「橋の日」活動の成果を県民に発信し続けることが大切だと痛感している。

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地域の明日を思い、更に何かできないか、「橋の日」を通して、地域の魅力を伝え、地域住民との協働作業によるまちづくりにまい進し、「人と人」、「地域と地域」とのつながりを取り戻す「架け橋」になりたいと、25周年を迎え決意を新たにしているところです。

「国づくりと研修」129号 2012執筆した文章)