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熊本城周辺ウォーキング

2015年02月26日 04時54分36秒 | 楽しむウォーキング



2月22日(日)キャリア・コンサルタント経験交流会に参加するため、熊本へと出かけた。以前より熊本城周辺を歩きたいと考えていた私は、朝8時に熊本城に到着。さっそく上記地図の赤のラインのコース約3キロを歩いた。



古文書による熊本城の様子。現在の城から想像すると威風堂々というしか表現できないが、これぞ日本の城という感じがする。



西大手門から、熊本城本丸(中央)を望む。日本さくら名所100選にも選ばれており、桜に季節は訪れてみたい場所。



立派な石垣。奥にあるのが熊本城(本丸)。「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価があるとウィキペディアで紹介されている。



西側から熊本城を望む。高い石垣の向こうに城の威厳を感じる。



美しい石垣。当時の築城技術は素晴らしい。



不開門から続く長い石垣。



政府軍と西郷軍の間には田原坂(たばるざか)の戦いを含む激しい攻防が行われたが、熊本城は司令官谷 干城の指揮の下、4,000人の籠城で、西郷軍14,000人の攻撃に耐え、ついに撃退に成功した。なお、この戦いでは武者返しが大いに役立ち、熊本城を甘く見ていた西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったという。(ウィキペディアより)



坪井川沿いの長堀。こんなスケールの大きな石垣は見たことがない。以下は引用文。石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、1889年(明治22年)の熊本地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。(ウィキペディアより)



加藤清正は、藤堂高虎や黒田孝高と並ぶ築城の名手として知られ熊本城や名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々の城の築城に携わった。(一部省略)その土木技術は非常に優れており400年後の現在も実用として使われている遺構も少なくない。このとき清正は莫大な人手をまかなうため男女の別なく動員したが、給金を払い必要以上の労役を課すことなく、事業の多くを農閑期に行う事によって農事に割く時間を確保したという。(ウィキペディアより)



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