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強い想いが「縁」を手繰り寄せていく・・不思議な体験。

2012年02月10日 07時39分36秒 | 出会いと経験

歳代の年間は、故郷延岡で毎年4月29日のみどりの日に音楽祭を開催していた。
それは自分自身が音楽が好きなことや、歳の時に野外音楽会を聞いてからというもの、屋外の音楽演奏のファンになったからだ。以前、ブログで紹介

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毎年、音楽祭はクラッシック音楽やジャズなど、さまざまなテーマで取り組んだ。
回目の事。童謡にテーマに、材料探しにいろんな方々の場所に足を運んだ時のことだ。

ある日、地元の夕刊デイリー新聞社に勤める友人へ相談に行ったところ、南阿蘇グリンピア”アスペクタ”で「童謡合唱ピクニック」という童謡を中心としたイベントがあるという情報を聞き、熊本まで出掛けた

行ってみると、明るくてパワフルな音楽祭で、ともに楽しむという趣旨は、音楽祭を作り上げていく上でとても参考になった。また、緑なす山々に囲まれての会場で、気分も爽快だった。

昭和初期から現代の童謡・唱歌が、音楽の玉手箱のようにステ-ジで次々と歌われた。
一緒に歌う、感じる。そして楽しむ
大切に親から子へ、そして孫へと世代を越えて歌い継がれる歌の存在。 そして、歌う人の持ち味で、いろんな歌詞の見え方や歌の表情、こころの風景を見せてくれる童謡・唱歌は、私たち日本人の財産だと思えるようになった。

Haruguchi

(司会と歌を担当。宮崎出身の故春口雅子さん)

シンポジュ-ムでは、全市・全町をあげて童謡祭を催している市町村や熱心な有志団体の存在を知った。 詩人の故寺山修司は「童謡は、子どもの心の糧・大人の慰め・老年の懐旧と人生で度の出番がある」といったという言葉が印象的だった。

また唱歌は、明治初期日本で始めてできた和製「洋楽」。 当時の著名な作家が取り組んだこともあり、詩、メロディ-ともに世界に誇れるものだというお話にも、多いに納得できるものがあった。
シンポジュ-ム後、懇親パ-ティが開催され、うれしい出会いもたくさんあった。それは童謡祭で素晴らしいたくさんの歌を聞かせてくれた「童謡組」のメンバ-と話をする機会に恵まれたことだ。

この童謡組は、NHKの子供番組の歌のお姉さんOBで構成され、全国のいろんな音楽会やイベント参加している。

メンバ-から「宮崎出身の童謡組メンバ-がいる」 との情報を聞き、このような縁から、NHK「ワン・ツ-・どん」の歌のお姉さんOB春口雅子さんに音楽祭の歌と司会進行をお願いすることになった。

また、国語学者の金田一春彦先生とお話をする機会も得た。 音楽祭の趣旨を説明させていただくと先生は「延岡なら権藤円立や若山牧水の童謡「ダリア」があるじゃないか。まずそこから始めなさい」と、アドバイスいただいた。

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(金田一春彦さんとともに)

準備に当たっては、アドバイス通り若山牧水の事やいろんな事を調査した。今思うと、発意してから吸い寄せられるように、いろんな人や情報が集まってきた。

例えば宮崎県内に、野口雨情作詞による校歌が沢山あること等々。その他多くのの収穫があった。そして調べる課程で、失われかけていた地元の歌を発掘もできた。

Komesuki

(米すき唄)

その曲のひとつ、「米すき唄」では、歳の元気ですてきなおばさま達に出会うことができた。音楽祭の趣旨を理解していただき、出演していただく事になった

その上、ステ-ジでは歌だけでは気分が乗らないからと、数10年前の米すきの全過程を再現してくださることになった。(エピソード:92歳のおばさまが、最近の若いモノは旅行で、動きが悪い・・と言っていたが、その若いモノとは、70歳の方と聞いた時は、思わず笑ってしまった)

Yoikono

(よいこの節)

もう1曲の「よいこの節」は、当初歌える人はいないだろうとのことだったが、名いることがわかり、交渉から3ヶ月後、出演を了解していただいた。 その後、この唄を後世に残したいと20名の有志がつどい、方財「よいこの愛唱保存会」がスタ-トしたとのことだった。

方財町の「よいこの節」復活の為、ご尽力いただいたNさんに、野口雨情の話をしたところ、「権藤円立」という延岡出身の歌手の話を聞いた。そして生家を紹介くださり訪問した。

生家である光勝寺の権藤住職より、たくさんの資料や逸話、当時のレコ-ドを録音したテ-プをお借りした。その資料から権藤円立は、延岡市中央通りの生まれで全国的活躍はもとより、県北の小中学校校歌の作曲や地元歌の作曲、そして仏教歌でも素晴らしい作品を残している事、そして作詩:野口雨情、作曲:藤井清水、歌:権藤円立と、このトリオは当時のヒットメ-カ-で あったこともわかった。

Gattsho

(延岡少年少女合唱団による童謡)

野口雨情作詩の校歌や文化的足跡が延岡に多いこともうなづけた。 また、この権藤円立を偲んで、円立の代表曲「河原柳」にちなんで「河原やなぎの会」というコ-ラスグル-プ存在を聞き、さっそく代表の小嶋かず恵さん宅へと訪問した。

この小島さんの亡き父、小嶋政一郎氏もこの三人トリオと深いつながりがあることを知り、縁を不思議さを改めて感じた。 そして、この素晴らしい先人の存在を、多くの人に知っていただきたいと思い、会の方々に権藤円立の歌や、円立の妻の権藤花代が作詩した有名な「たなばたさま」を歌っていただきたいとお願いした。 もちろん、数日とととないうちに出演を快諾いただいた。

このように、一つの縁の糸がつながっておおきなうねりとなっていく不思議な体験をした。そして、みどりの音楽祭は、雨天のため、城山公園から野口記念館へと会場を移したが、盛会のうちに開催することができた。

今、考えると「音楽を通じて感動を提供したい」という強い想いがあったように思う。その想いが共感と支援を得たのだと思う。
若い頃のパワーはもうないが、いくつになっても、熱いの想いは大切にしたい。