「石榴坂の仇討ち」以来、1週間に3本のペースで邦画が見ている。時代劇が多い。最近観た映画でこころに残っている作品がある。黒澤明監督の「生きる」、高倉健主演の「四十七人の刺客」、「二十四の瞳」などである。
※映画「七人の侍」紹介
(日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った七人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。
黒澤が初めてマルチカム方式(複数のカメラで同時に撮影する方式)を採用し、望遠レンズによるパンフォーカス、ダイナミックな編集を駆使して、豪雨の決戦シーンなど迫力あるアクションシーンを生み出した。さらにその技術と共に、シナリオ、綿密な時代考証なども高く評価され、アクション映画・時代劇におけるリアリズムを確立した。ウィキペディアより:一部、文章略)
40人近い野武士と戦う為に、立てた戦略のひとつひとつが成功したり、失敗したりすることでドキドキさせられた。死を意識した戦いの前に侍、百姓それぞれの生き方に魅せられたこと。恋、笑いあり涙ありと、さまざまな要素の詰まった素晴らしい作品で、日本映画界の最高傑作と言われるのもうなづける。
※映画「生きる」の紹介
(「生きる」(いきる)は、1952年(昭和27年)に東宝で公開された日本映画である。監督は黒澤明、主演は志村喬。昭和27年度芸術祭参加作品。黒澤監督作品の中でも、そのヒューマニズムが頂点に達したと評価される名作で、その題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判している。主人公の志村喬は、胃癌に侵される初老の市役所市民課長を熱演した。劇中で彼がゴンドラの唄(吉井勇作詞、中山晋平作曲)を口ずさみながらブランコをこぐシーンは、名シーンとしてよく知られている。ウィキペディアより)
「生きる」では生きていくことへのさまざまな想いから、涙腺が緩んだ。
※映画「四十七人の刺客」の紹介
(「四十七人の刺客」(しじゅうしちにんのしかく)は、1994年東宝製作の時代劇映画。原作は池宮彰一郎の小説。「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けた作品であった。ウィキペディアより)
映画では、仇討ちまでの謀略戦と大石と一文字屋の娘・かるとの恋を中心にした「忠臣蔵」が描かれている。高倉健の持つ人間的魅力と登場する男達の生き方に惹かれた。
先日、高倉健が亡くなった。11月23日、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀「高倉健スペシャル」が放送された。その紹介文を掲載したい。
「一度きりを生きる」
高倉は、「同じことを何度も演じろといわれても、できない」と口にする。その言葉の裏には、演技者としての技量とは別次元の、真摯(しんし)な姿勢が秘められている。役を演じる時、高倉は何より「自分の心によぎる本当の気持ち」を大切にする。心をよぎった本物は、自然とにじみ出ると信じるからだ。だから高倉は、最小限のセリフで演技することを好む。長いセリフや大仰な仕草よりも、たった一言のセリフが雄弁になる、そう考えている。
ロケ地の空気、風景、匂い、スタッフの緊張感・・・。そうしたものから、本当の気持ちにつながる何かを見つけ出し、気持ちを盛り上げる。そして、最高に気持ちが高まった瞬間に「一度きりを、生きる」。そうやって高倉ならではの演技が生まれていく。
「生き方が芝居に出る」
高倉は、もともとなりたくて俳優になったわけではない。食い扶持を得るため、仕方なく俳優の道を選んだのが始まりだった。それから半世紀以上たった今も、高倉は「俳優という仕事がなんなのか」分からないという。
だが、これまでの経験の中で、教わってきたことがある。それは、俳優の「生き方」が芝居ににじみ出る、ということだ。ふだんどんな生活をしているか、どんな人とつきあっているか、何に感動し何に感謝をするか。そうした役者個人の生き方が、芝居に出るという。
高倉は「自分が好きになった役しか演じられない」と言う。それもまた、「生き方が芝居に出る」と真摯に考えて臨むからこそだ。
「俳優にとって大切なのは、造形と人生経験と本人の生き方。生き方が出るんでしょうね。テクニックではないですよね。」とは本人の弁。 高倉がこれまで多くの作品で演じてきたのは、まっすぐに生きる不器用な男。その男たちが醸し出してきた空気は、高倉が生きてきた道、そのものなのかもしれない。