ダブルオーが描き出した「対話」の空間における沙慈とルイスの「対話」のシーンは、このダブルオーにおけるどんな戦闘シーンよりも見ごたえがあったんじゃないかと思った第19話「イノベイターの影」。
凄く面白かった、というか凄く良かった。
超・ありきたりの言葉ですが、これは本当に面白い。
僕の中でガンダムダブルオーは傑作化が確定した気がします。
すれ違いや不幸な偶然を乗り越えて、沙慈が叫び続けた声はダブルオーのGN粒子の輪=∞=00(ダブルオー)の輪を通じてルイスの心に届いた。
これだけでもかなりぐっと来ていたんですが、本番はここからというか、ここからがこの回の、このダブルオーのテーマの真骨頂だったわけですよね。
あの頃には戻れない、それでもルイス自体が変わってしまったのか?そうじゃないだろう?
沙慈がルイスを思う気持ち、それを伝えることで、ルイスの心に声が届く。
最後は時間切れになってしまったけれども、それでもこれだけの時間をかけて二人の「対話」を描いて、またそれはどんな戦闘シーンよりも見ごたえがあったように感じました。
叫び続けることしかできない、語りかけることしかできない。
それはまさに沙慈=些事=瑣末なことなのかもしれないけれども、それが結局は人を動かしていく。
その思いが交差するクロスロード。
沙慈・クロスロードとは良く言ったものだと思います。
沙慈の純粋な思いは、この戦いの中で刹那を始めソレスタル・ビーイングのメンバーにも(ソーマにも)何かしら伝わったんじゃないかな、と思います。
叫び続けることしかできないと言った沙慈が皆を変えていくかもしれない、そういう予感を十分にさせて気がします。
そしてそれがリボンズ曰く「変革を始めた」刹那にも影響しあっていく。
それってあまりにもかっこよくないか?と思ってしまいましたよ。
ダブルオーとツインドライヴ、そしてオーライザー。
ダブルオーライザーに刹那と沙慈が乗る意味。
これが作品の持つテーマ的にしびれてしまうところ。
刹那=その名の通り一瞬を生きるかのように自分を省みないかのように戦場で生きてきた少年と、沙慈=些事=瑣末なことではあるけれどもそれが日常の象徴で、それが平和の象徴だった少年。
本来交わることのない二人が、東京で壁一枚を隔ててわずかな時間を共有し、決して交わらないと思っていた二人が今、ダブルオーライザーで背中越しに座っている。
決して交わることのないと思っていた二人の考え方、思い。
生まれも育ちも全然違う二人が、今同じものを見て、同じ方向へ進もうとしている。
これを1stシーズンからやってきたわけだから、今回、刹那が変わろうとしていたり、沙慈が最後に自分もルイスを取り戻すために戦うと宣言したりした今回、何かこれまで積み重ねてきたものがじわーとにじむようにぐっとしびれてしまいました。
ダブル主人公。
あまりに離れたところから始まった関係が、ここで交わる。
いやー、しびれました。
刹那も何となく沙慈に賭けてるところがあるのかな、なんて。
ルイスを取り戻す、という沙慈の思いを成就させることに自分の何かを重ねて、それを成し遂げることがガンダムを持つ意味だ、くらいの感じで。
刹那と沙慈はクライマックスまでにもう一段二段くらい関係性を発展させそうな気がするなぁ。
これも楽しみ。
#刹那も脳量子波が使えるようになってきているみたいだし。
#これが細胞障害に拮抗しているのか?
後はやっぱりアニュー。
リヴァイブが捕虜になったのは、あの表情からして彼らの計算通りだったのかもしれないですね。
ダブルオーを欲しがるリボンズの一手は、ダブルオーを鹵獲するんじゃなく、トロイの木馬のように中に仕掛けてあった装置=アニューを動かすところにあったのかもね。
#直接コントロール(もしくは封印解除?)できる距離までリヴァイブを送った、とかね。
次の「アニュー・リターン」というタイトルも上手くて、リターナーだから、どこからか戻ってきた、という意味かと思っていたのですが、もっと直訳的に戻る人、というニュアンスになると思うけど、イノベイターとして戻るのか、それともソレスタルビーイングとして戻るのか、はたまたただのアニューとして戻るのか、ライルを介して、来週の見所は間違いなくここだよね。
ここにももうひとつの「対話」が見れるんじゃないかと密かに期待。
ありのままのアニューを受け入れようとしているライル。
でもそのアニューは(多分リヴァイブとの相関性にもいち早く気がついて)イノベイターじゃないかと思っていたりもするんだけれども、それでもありのままを受け入れる姿勢を貫くんじゃないかと期待しちゃうなぁ。
#それによって悲劇になるかどうか、というのもポイントなんだけど。
ライルがニールのIFとして登場しているならば、復讐のために死んでいった兄を、優秀だと言われ比較され続けてきた兄をいろんな意味で超えていけるか、というのも一つのポイントで、そこにアニューの存在が介在してくる、「対話」を絡めてくる、となるとこれまたしびれそう。
そして王留美。
ネーナ大爆発、みたいな感じだったけれども、紅龍が「留美!」と呼んだのもポイント高いよね。
兄と妹なんだけれども、これまでは執事のように振舞っていたわけで、咄嗟の危機には執事魂も忘れて本名を呼んでしまうあたり、やっぱり兄なんだろうね。
でもちょっといびつな兄妹関係。
きっと王家の事情によるものなんだろうけれども、来週あたりその辺も明らかになるんだろうか。
僕は個人的には王留美は兄紅龍のことが好きなんじゃないか、とか、王家のしきたりとかしがらみとかで本来兄である紅龍が継ぐべき家を継いでいないことや、その他もろもろ含めて、今の世界なんか壊れてしまえば良いのに、とか思ってると面白いのにな、くらいに思ってるんですけどね。
王留美と紅龍の「対話」なんかもあるんだろうか。
これも密かに期待してるんだけどな。
リジェネもなんかピンチっぽいし。
リジェネがあんなにリボンズを恐れるのは、トライアルシステムみたいにリボンズはヴェーダを介して他のイノベイターの自由を奪えたりするんだろうか・・・。
ダブルオーを欲しがるリボンズは非情に人間臭いというか、不満で不安なんだろうな。
自分に理解できないものがあって、想像を超えることが起きてしまっていて、上位種であるはずなのに、彼らからしたら下位種の人類がダブルオーを使ってしまっている。
それが理解のできない不安とか、自身の存在理由への否定につながるような気がしているんだろうなぁ。
物事を広い視野で考えている、と言っているけれども、その実、凄く人間っぽくて、その辺がヴェーダというコンピュータとイノベイターというヒューマンインタフェースの違い、なのかもしれないなぁ。
なんにせよ、だんだん分かってきたのは、イノベイターがイノベーションという言葉を誤用していることと、それに重ねるように「対話」の使い方も誤用している感じがすることかな。
今回沙慈とルイスが果たしたのが「対話」の走りであり、たぶんイノベイターが言う「対話」とは、これとは別のことなんだろうな。
この決定的な違いを描く、というのがクライマックスの面白さのひとつじゃないか、と個人的に思っています。
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1 (Blu-ray Disc)
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [DVD]
凄く面白かった、というか凄く良かった。
超・ありきたりの言葉ですが、これは本当に面白い。
僕の中でガンダムダブルオーは傑作化が確定した気がします。
すれ違いや不幸な偶然を乗り越えて、沙慈が叫び続けた声はダブルオーのGN粒子の輪=∞=00(ダブルオー)の輪を通じてルイスの心に届いた。
これだけでもかなりぐっと来ていたんですが、本番はここからというか、ここからがこの回の、このダブルオーのテーマの真骨頂だったわけですよね。
あの頃には戻れない、それでもルイス自体が変わってしまったのか?そうじゃないだろう?
沙慈がルイスを思う気持ち、それを伝えることで、ルイスの心に声が届く。
最後は時間切れになってしまったけれども、それでもこれだけの時間をかけて二人の「対話」を描いて、またそれはどんな戦闘シーンよりも見ごたえがあったように感じました。
叫び続けることしかできない、語りかけることしかできない。
それはまさに沙慈=些事=瑣末なことなのかもしれないけれども、それが結局は人を動かしていく。
その思いが交差するクロスロード。
沙慈・クロスロードとは良く言ったものだと思います。
沙慈の純粋な思いは、この戦いの中で刹那を始めソレスタル・ビーイングのメンバーにも(ソーマにも)何かしら伝わったんじゃないかな、と思います。
叫び続けることしかできないと言った沙慈が皆を変えていくかもしれない、そういう予感を十分にさせて気がします。
そしてそれがリボンズ曰く「変革を始めた」刹那にも影響しあっていく。
それってあまりにもかっこよくないか?と思ってしまいましたよ。
ダブルオーとツインドライヴ、そしてオーライザー。
ダブルオーライザーに刹那と沙慈が乗る意味。
これが作品の持つテーマ的にしびれてしまうところ。
刹那=その名の通り一瞬を生きるかのように自分を省みないかのように戦場で生きてきた少年と、沙慈=些事=瑣末なことではあるけれどもそれが日常の象徴で、それが平和の象徴だった少年。
本来交わることのない二人が、東京で壁一枚を隔ててわずかな時間を共有し、決して交わらないと思っていた二人が今、ダブルオーライザーで背中越しに座っている。
決して交わることのないと思っていた二人の考え方、思い。
生まれも育ちも全然違う二人が、今同じものを見て、同じ方向へ進もうとしている。
これを1stシーズンからやってきたわけだから、今回、刹那が変わろうとしていたり、沙慈が最後に自分もルイスを取り戻すために戦うと宣言したりした今回、何かこれまで積み重ねてきたものがじわーとにじむようにぐっとしびれてしまいました。
ダブル主人公。
あまりに離れたところから始まった関係が、ここで交わる。
いやー、しびれました。
刹那も何となく沙慈に賭けてるところがあるのかな、なんて。
ルイスを取り戻す、という沙慈の思いを成就させることに自分の何かを重ねて、それを成し遂げることがガンダムを持つ意味だ、くらいの感じで。
刹那と沙慈はクライマックスまでにもう一段二段くらい関係性を発展させそうな気がするなぁ。
これも楽しみ。
#刹那も脳量子波が使えるようになってきているみたいだし。
#これが細胞障害に拮抗しているのか?
後はやっぱりアニュー。
リヴァイブが捕虜になったのは、あの表情からして彼らの計算通りだったのかもしれないですね。
ダブルオーを欲しがるリボンズの一手は、ダブルオーを鹵獲するんじゃなく、トロイの木馬のように中に仕掛けてあった装置=アニューを動かすところにあったのかもね。
#直接コントロール(もしくは封印解除?)できる距離までリヴァイブを送った、とかね。
次の「アニュー・リターン」というタイトルも上手くて、リターナーだから、どこからか戻ってきた、という意味かと思っていたのですが、もっと直訳的に戻る人、というニュアンスになると思うけど、イノベイターとして戻るのか、それともソレスタルビーイングとして戻るのか、はたまたただのアニューとして戻るのか、ライルを介して、来週の見所は間違いなくここだよね。
ここにももうひとつの「対話」が見れるんじゃないかと密かに期待。
ありのままのアニューを受け入れようとしているライル。
でもそのアニューは(多分リヴァイブとの相関性にもいち早く気がついて)イノベイターじゃないかと思っていたりもするんだけれども、それでもありのままを受け入れる姿勢を貫くんじゃないかと期待しちゃうなぁ。
#それによって悲劇になるかどうか、というのもポイントなんだけど。
ライルがニールのIFとして登場しているならば、復讐のために死んでいった兄を、優秀だと言われ比較され続けてきた兄をいろんな意味で超えていけるか、というのも一つのポイントで、そこにアニューの存在が介在してくる、「対話」を絡めてくる、となるとこれまたしびれそう。
そして王留美。
ネーナ大爆発、みたいな感じだったけれども、紅龍が「留美!」と呼んだのもポイント高いよね。
兄と妹なんだけれども、これまでは執事のように振舞っていたわけで、咄嗟の危機には執事魂も忘れて本名を呼んでしまうあたり、やっぱり兄なんだろうね。
でもちょっといびつな兄妹関係。
きっと王家の事情によるものなんだろうけれども、来週あたりその辺も明らかになるんだろうか。
僕は個人的には王留美は兄紅龍のことが好きなんじゃないか、とか、王家のしきたりとかしがらみとかで本来兄である紅龍が継ぐべき家を継いでいないことや、その他もろもろ含めて、今の世界なんか壊れてしまえば良いのに、とか思ってると面白いのにな、くらいに思ってるんですけどね。
王留美と紅龍の「対話」なんかもあるんだろうか。
これも密かに期待してるんだけどな。
リジェネもなんかピンチっぽいし。
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ダブルオーを欲しがるリボンズは非情に人間臭いというか、不満で不安なんだろうな。
自分に理解できないものがあって、想像を超えることが起きてしまっていて、上位種であるはずなのに、彼らからしたら下位種の人類がダブルオーを使ってしまっている。
それが理解のできない不安とか、自身の存在理由への否定につながるような気がしているんだろうなぁ。
物事を広い視野で考えている、と言っているけれども、その実、凄く人間っぽくて、その辺がヴェーダというコンピュータとイノベイターというヒューマンインタフェースの違い、なのかもしれないなぁ。
なんにせよ、だんだん分かってきたのは、イノベイターがイノベーションという言葉を誤用していることと、それに重ねるように「対話」の使い方も誤用している感じがすることかな。
今回沙慈とルイスが果たしたのが「対話」の走りであり、たぶんイノベイターが言う「対話」とは、これとは別のことなんだろうな。
この決定的な違いを描く、というのがクライマックスの面白さのひとつじゃないか、と個人的に思っています。
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>王留美について
燕。さんの想像(妄想)どおりだと楽しいのですが、恐ろしい考えが私には浮かんでいます。ストーリーをまとめるためには、残り話数が足りない。伏線をすべて回収しきれない。そのため、エイフマン教授のように細かい設定や描写が提示されないまま、王留美はここで死んでしまう…。いやー!
「私は世界の変革を!」なんて言っていましたが、ネーナが言っていることの方が、今までの彼女の描写からだと、その通りだな、と私は納得してしまいます。
もしも、もしも、できることでしたれば、燕。さんの妄想どおりになって頂戴ませませ。(さだまさし『雨宿り』ふうに)その方が、大和さんもお喜びでしょう。
ライルが先週愛の告白をしたことはとても意味があることだと思っていましたが、やはり彼はある程度その先にある(この)展開を予測できていたと思います。だから、何があっても僕は味方だと、愛していると、宣言しておいたんだろうと…。彼女がどこへ戻るのか、ライルの言葉がどう響くのか、楽しみです。
王留美の変革への想いが、結ばれ得ない兄との関係を強いる世界を恨んでのものだとしたら、その気持ちもわかるし、よくある話ではありますが、もう少し想像の斜め上を行ってくれないものかなぁ、なんて期待したりして(笑)。
それにしても、ミスターブシドーはいいですねぇ(笑)。沙慈の言葉をぬるいと切り捨て純粋にガンダムとの”戦いという”対話を欲すその気持ちに、ブレはないですね。沙慈の考え方は僕は好きだし、そうありたいですが、その反面で、ミスターブシドーの考え方も厳しくて好きではあります。純粋な戦いという名の対話(愛と言ってもいいのか?)の先には、やはり答えがあるのではないか、と、漠然と思います。
アニューですが、何時の間にサイドアームを何処に携帯してたんでしょう? それとも皆、携帯してるんでしょうか? だとしたら、先週も、発砲の後のブラックアウトに騙されましたが(?)、まだ見るまで誰が誰を撃ったかは、不明ですね。笑
やんちゃが過ぎたリジェネは、王留美よろしくリボンズの平手打ちを食らいましたが(笑)、彼女は、ネーナにもっと痛い目に。これまでの例もあるので、二人が殺られたかは不明ですが、まあ、タダでは済まなかったでしょう。あの、赤いGN粒子を相等浴びてますからね。笑 まあ、リィアンがただのGNクラフトとは思ってませんでしたが、スローネドライが、あんな風にねえ…。でも、正直、ネーナ+ドライって、現存の太陽炉搭載型では、GNXIIIより古いし、パイロットもイマイチだし、最弱のコンビネーションですよね。笑 しかし、ネーナはリボンズと組んだんですかね? 彼女が兄弟の仇とするアリーの件は、どうするつもりやら。リボンズも、ネーナを単なる駒としてしか見てないでしょうし、今迄のオイタを見逃す気も無いでしょうしね。まあ、トリニティ三兄弟も、他のイノベイター同様、リボンズから作られた訳ですし。微妙な関係です。まあ、この二人の間に、対話は無いでしょうが。笑
最後は、やはり、リボンズ、アリー、に負けず劣らずの、twisted soul、グラハムですが、この、ぬるーい現状を打破し、残り僅かな話数で、物語を(ひとまずの?)完結に纏め上げる秘策を考えている様ですが(笑)、さて、どういう魂胆やら。
何となくですが、ライルはアニューがどこかへ行ってしまいそうな危うさを直感的に感じていたのかもしれないなぁとか思いました。
だから出撃前のみんなの前での告白になったのかも、なんて。
イノベイターと人間は分かり合えるのか?というこれもまた一つの見所ですから、どっちにリターンしたとしても凄く楽しみですね。
王留美は生き残るんじゃないかなぁなんて希望的観測なんですが、その代わり紅龍は王留美をかばって・・・という流れのような気がします。
その後は王留美の独白に任せるしかないかなぁ、なんて。ネーナの指摘はごもっとも!という感じがしますね。
じゃあ、何故彼女はもっととねだったのか?というのがポイントなのか?
それとも、それは人間全体を指した皮肉なのか?でお話の拾われ方が違うかもしれないですね。
そうですね、仇を討っても憎しみは増えるだけで、それに囚われたら前に進めなくなる、どこにも行けなくなる、というのは正しくて、またそれを是正するすべを持たないのもまた事実、というのが皮肉なところ。
その希望は今回もあえて銃を取らなかったマリナ姫が担うのじゃないかな、と思ってるんですけどね。
それも刹那とダブルオーの描くツインドライヴの輪と共に、というのがダブルオー的燃える展開かな。
昔に戻って、というのはやっぱり無理でそれはルイスからも否定されてしまうのですが、沙慈の声は叫び続けるしかないので、昔に戻ってじゃなくて、全部飲み込んで前へ進めるために、というところまで持っていくのがクライマックスシーンかもしれないですね。
#沙慈の「どこにも行けなくなる」という言葉の先を描く、というのが熱いかも。
ライルはやっぱり直感的にアニューがどこかへ行ってしまいそうなのを感じていたのかもしれないですよね。
ED曲じゃないけど「I love you, I trust you」なんですよね。
アニューとライルの「対話」は見所でしょうね。
ライルは最初から本名をアニューに伝えていて、コードネーム自体(何かに隠れる)ということを否定した存在かもしれないんですよね。
これちょっと楽しみかも。
ミスターブシドーはあくまで「戦い方」への美学の追求者なんですよね。
武士道精神、騎士道精神の求道者。
まさに戦いへの「愛」でしょう(笑)。
彼も戦いの名でしか対話ができないのかもね。
富野式でいくと多分殆ど生き残らないでしょう(笑)。
特に恋愛感情が入ったキャラは例外なく・・・。
なので、というわけではないのですが、水島監督って何となくですけど、富野ガンダムの影響ってあまり受けていないと思うんですよね。
#だから監督の役が回ってきたような気がしないでもないですし。
水島監督はテーマを「対話」に持ってきているように、コミュニケーションの取り方について凄く関心を持って臨んでいると思いますよ。
それの描き方がポイントじゃないですかね。
IFのシナリオがあって、キャラがそれを担って、対話の分岐点があって、それによってgood end, bad end, true endが分かれているような感じで。
#セルゲイはそういう意味でbad endになってしまいましたが。
王留美はどうなったのか、というのも気になりますね。
リボンズとネーナはつながってなくて今回は彼女の独断のような気がしますが、ネーナはにいにい’sを殺された恨みを晴らすべくリボンズに牙をむくことになると思いますね。
トリニティが冷静=長男、過激=次男、無邪気=ネーナという役割分担をしていたのかもしれないですが、その元はリボンズなのかもしれないですね。
リボンズを三分割するとあんな感じ、みたいな。
サーシェスとの因縁もあるし、彼女はジョーカーとして使われるのか、それとも・・・、というこれまた不思議なところ。
無邪気というか、直感的に気に入らない、幸せを妬む、みたいな感覚が最優先されちゃう、それが彼女の本性かも。
#そしてそれはリボンズにも当てはまるのかもしれない。
先ほど、第19話をGyaOにて目を通させて頂きました。こばやしさんと同じく、今回の内容についての賞賛に、賛同させて頂きます。マリナの言葉の節々から、子どもたちの心の傷の程度が見て取れて、マリナのキャラクターの優位性を改めて目の当たりにしましたし。
マリナのような人がいたから、子どもたちは明るく振舞うことが出来たわけで、その信頼は彼女が銃を持たないことに象徴されるわけですよね。つまり、あの状況で子どもたちを安心させるためには、改めて彼女は銃を持たないことを表明する必要が合ったわけで。もちろん、シーリンやマリナにその意図があったかどうかは分かりませんが。
子どもたちとて、あの状況下、幾ら思想的に良い環境(少年兵を育成しない。)にあるとはいえ、ああも周囲で死人が続けばこそ、自らが銃を取ることを考えるようになるはずです。自分自身がそして周囲の人たちが大切だから、銃を取ろうとする訳ですよね。でも、それを繰り返していては、何も変わらない。状況は悪くなる一方となるしかない。
でも、そんな彼らを守るために、マリナとして銃を取ることが本当に彼らを守ることになるのか。たとえ、一時的にそれが可能となったとしても、将来的には血で血を洗う状況へと走って行く可能性は否めません。そうなった場合、マリナや子どもたちの対話は一体何を意味していたというのか。あのような状況下、銃を取らない選択肢を選ぶというのは、本当に凄いですよね。
■こばやしさんへ
>その方が、大和さんもお喜びで
ええ、喜びます。兄妹の垣根を越えた愛情設定は頂けないですが、王留美は一体何を望んでいたのか、興味ありますから。
第19話での王留美の発言とリボンズの発言から、「燕。さんの第18話の感想のコメントの方に言葉を寄せさせて頂いたことがあるのですが、もしその通りだとしたら、良いのになぁ。」と、思うばかりです。世界の変革について、リボンズの描くシナリオと、王留美(orリジェネ)の描くシナリオが幾らか違っていることは示されていますから、「今後として、リジェネが頑張ってそれを表明してくれれば良いのに。」と、願うばかりです。