1年半をかけて語られてきた物語も最終話となった第25話「再生」。
刹那とリボンズの最終対決にしびれました。
そして意図的に消化不良にしたと思われる部分はなんと劇場版へ。
いやー、まじで面白かったです、ガンダムダブルオー。
これまでのガンダムシリーズに無いオリジナリティーがありながら、どこかでファーストガンダムへ真っ向から挑戦している、という姿勢が非常に好きでした。
そして難解に仕組まれた仕掛けが徐々に徐々に、そして2ndシーズンからは一気に開花し始め、ラストへ向かうに従って「対話」というキーワードが本当に登場人物同士の「対話」として直接の台詞回しに投影されていくという、ガンダムシリーズで究極の明示的相互理解ストーリーだったんじゃないかと思います。
ガンダムダブルオーでは、作品のテーマ的な部分を暗喩的にせず(マクロ描写するところは当然暗喩表現となるんだけれども)、個人ベースの登場人物が語る部分というのは直接的な「対話」として分かりやすく表現していた、というのが特に印象的でした。
ラスト部分では沙慈とルイスという、これまたダブルオーの裏主人公たち二人によってエピローグが語られていき、その中で「分かり合う努力をしないといけない、世界についてもっと関心を持たないといけない」という強いメッセージを、沙慈とルイスという放送当初最も視聴者の目線に近い二人にして、最終的には凄く大きな悲劇の渦の中に巻き込まれていった最も視聴者的に感情移入対象となった二人に「対話」として語らせる、というのが本当に象徴的だったんじゃないでしょうか。
先週がテーマ的には最終回か?とも思わせる内容でしたが、それどころか、さすが最終回。
テーマ部分に絞っていけば、更に上の表現・演出をしてくれたと思います。
最後の最後まで「対話」の重要性に拘ったガンダムダブルオー。
凄く面白かったです。
物凄くたくさん書きたいことがあるんだけれども、順を追って書いていきたいと思います。
僕の中でガンダムダブルオーは、特に2ndシーズンに入ってからなんだけれども、ダブルオーという物語はP・F・ドラッカー的な物語なんだ、というのを何度か書いてきました。
端的に言うと、ドラッカーは「真のイノベーション」についてこんな感じのことを言っているんですよね。
イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、と。
要するに、現在世に出回っている「イノベーション」という言葉は誤用であって、一部の先進者のみがイノベーションを成しうると考えられているが、実はそうではなく、組織的に、ある集団の中で自然発生的に生まれてくる仕組みを作ることにある。一部の先進者のみにスポットが当たるものではない、と言っているわけです。
つまりこれがダブルオーでの「イノベイター」になっていたわけですね。
最終話でまずしびれたのが、リボンズとティエリアの「対話」だったのですが、ここをまさにドンズバで言い表わしていたところに僕は正直鳥肌が立つくらい嬉しかったですね。
そもそも「イノベイター」と「イノベイド」は別のものであって、「イノベイド」が「イノベイター」ではない。
一部の「イノベイド」が人類を導く、という発想自体が間違っている。
それこそ「イノベイター」の誤用である、みたいな。
人類の革新、進化を促していく仕掛けであって、コントロールする立場のものではない、とティエリアが明言するところ、これはしびれましたね。
ラストではティエリア自身がヴェーダの一部となり、人類を見守っていく立ち場に回っていくわけで、そういう意味では彼も「イノベイター」としての資質みたいなのがあるんじゃないかと思ったりもしますね。
人類の革新を促す仕組みの一部となっていくのだから。
さらにティエリアとリボンズの「対話」ではもう一つ重要なことを語っていて、それは上からの立場で人を見下ろして理解しようとしない、という点なんですよね。
これもこの感想で大分語ってきたことの一部なんですが、水島監督のインタビューなんかでも、常に相手の上位に立とうとする姿勢は、相手を理解するという姿勢になく、むしろ相手が何をするか分からないから、怖いから上位に、優位なポジションに立とうとする、というわけです。
こういう中で「対話」自体が成立するわけもなく、事実リボンズは「対話」すら拒み、この作品のマクロテーマであるところの対話による相互理解というところの対極に位置する、という結果になっているわけなんですよね。
更に、やはりこれも、という感じだったのは、リボンズの存在理由なんですよ。
自分でもいつごろから書いたか忘れましたけど、リボンズの行動原理は自分が廃棄されたことにあって、その有用性の証明のために、自分のプライドのために行動しているんじゃないか、という点です。
上位種である(と自分が思っている)はずの自分が廃棄されるのはおかしい、イオリア計画のために生み出された自分が廃棄されるのはおかしい、ならばその計画の遂行自体を自分がやってしまえば良いじゃないか、つまり自分の有用性を証明することがリボンズ自身の存在理由であり、それをやらないと自分の存在価値を認められない、という目的と手段が入れ替わってしまっている、という点なんですよね。
いやー、これをずばり刹那が切り込んで、リボンズがついに自分の本心を吐露する、という展開が、これまでずっとそうじゃないかと思ってみてきた僕としては非常に痺れる展開でした。
水島監督が自分のエゴを押し通そうとする人間はコミュニケーション不全に陥って自滅してしまう、というようなことを仰ってましたが、リボンズしかり、王留美しかりネーナしかり、アリーしかり、とそういった登場人物はバッドエンドに辿り着いてしまっているという点(さらに孤独)で、これもまたひとつのテーマの体現だったんだろうなぁ、としみじみ。
とはいえ、リボンズと刹那の新旧ガンダムバトルは僕個人としては最高にしびれましたね。
ガンキャノンっぽいのが変形して最新型のガンダムになって、更にツインドライヴという最終奥義まで披露したり、それが刹那のダブルオーとグリグリの大激戦を繰り広げるあたりは、見ていてこれぞバトルエンタテイメント!と痺れてしまいましたね。
いやー、最後1話のために新型ガンダムを投入してくるなんて豪気だ!!
さ・ら・に、本当に痺れたのはこの後。
やっぱりエクシアと0ガンダムの最終対決。
これは最高でした。
痺れた。
何に痺れたかって言うと、僕はこのガンダムダブルオーはこれまでのガンダム作品とアプローチの仕方は違えど、実は最もストレートにファーストガンダムに挑戦している作品なんじゃないかって、ずっと思ってきたので、その最終対決がアムロの乗るファーストガンダムと、新ガンダムで新しい形を切り開いていく最初のガンダムとして登場したエクシア(R2!!)の対決っていうのは、まさにファーストガンダムへのガチンコ勝負になってるじゃないですか。
まじで痺れました。
だってあの0ガンダムのビームサーベルの構え。
あれだけで分かる人は分かっちゃうでしょう。
それもアムロですよ。
それがガチで殴り合って、ラストはエクシアと刺し違えるじゃないですか。
燃えた。
いやー、バトルエンタメとしても非常に面白かったです。
ダブルオーという作品とファーストガンダムの真っ向勝負。
素晴らしい勝負でした。
いやー、やっぱりエクシア、かっこいいなぁー。
MG出たら買うな、間違いなく。
あと、たくさん書きたいところもあるんだけれども、テーマ的な部分で行けばあと一つだけ。
この物語の小さな物語のエンドとして、沙慈とルイスの物語があって、それは全体から見ると小さい二人だけの話なんだけれども、作品全体としては裏主人公であり、もうひとつの大きな流れだったと思うんですよね。
愛すべきバカップルだった二人が、戦争に巻き込まれてしまう、戦争をリアルに体験してしまうことで離れ離れになって、そして最後は憎しみが増幅されて、殺しあう仲までエスカレートしてしまう。
だからこの物語としては、そんな最も視聴者に近かったはずの二人が、最も遠い存在になってしまった、けれども、沙慈がルイスを取り戻す、その物語だったと言っても過言ではないと思います。
その中で沙慈が最後までルイスに語りかけ、叫び続け、理解して受け入れようとしたからこそ、いくつものバッドエンドを超えてグッドエンドに辿り着くことができた。
そのグッドエンドを演出した二人の指輪。
この指輪が並んで見える模様、それも実は「∞」を意味していたのかもなぁ、なんて思います。
つまり、あの指輪も「∞」=ダブルオー、ダブルオーという作品を象徴していたものの一つだったんじゃないかって。
その二人がラストでエピローグとして、もっと理解しあわないといけない、もっと世界について知らないといけない、と最も身近で最も簡単で、最も大きなテーマをメッセージとして残していく。
そんな終わり方に、このガンダムダブルオーという作品のメッセージの伝え方を見た気がします。
作品の当初、水島監督は群像劇にしたいと思っていたけれども、実はそれだと各キャラの台詞が少なくなって黒田脚本の良いところを消してしまっていた、ということに気がついたと言います。
黒田さんは黒田さんで監督の世界感を表現しようと歩み寄っていた。
でもその結果、非常に淡々と進んでしまって、キャラが立たなくなってしまった、というようなことをインタビューで仰っていたように思います。
ここから二人の「対話」があって、今の形に落ち着いたと言われていて、この明示的なメッセージや作風はそういった「対話」を通じて作られたんだなぁとしみじみ思います。
あと最後にマリナ姫から刹那への手紙なんだけれども、実はこれが僕にとって一番の回答だったような気がしました。
ダブルオーの描く∞の輪が地球を覆って、一瞬でも人類が分かり合える、という展開もありなのかと思っていました。
それはそれでドラマティックだな、なんて。
でもね、このダブルオーって凄くマクロの物語とミクロの物語を使い分けてるんですよね。
マクロ的にはまだまだ人類は分かり合えないんだ、とかなり現実を直視した回答を提示した、というのが最終回だったと思うんです。
けれども、ミクロ的には「対話」を重ねることで沙慈とルイスのようにグッドエンドに辿り着ける、コーラサワーとカティさんのように思いを伝えて結婚するエンドもあった。
やっぱりマリナ姫と刹那、ルイスと沙慈、というダブル主人公制を引いたのは、そういうマクロとミクロの描き分けをして、そういうエンドになるように考えていたのかもしれないなぁ、なんて。
もちろんマリナ姫と刹那はマクロ側を投影した存在になっているんだけれども、マリナ姫から刹那への手紙が届かなかった、刹那は読んでいない、というのがマクロ的に人類はまだまだ分かり合えない、という部分の回答を悲しくも提示したように思えてしまいました。なるほどなー、みたいな。
けれどもね、その中でマリナ姫の言う、優しさの連鎖みたいなのが広がっていく、それを絶えず追求していくことが自分たちには必要なんだ、というメッセージ。
ある意味このマリナ姫の独白が一番最終話で深かったんじゃないのかな、と思うし、それが沙慈が語った言葉とリンクしているんじゃないかと思うわけです。
だからダブル主人公、だからダブルオー、みたいな。
メッセージ部分以外のところについては、実は消化不良なところも感じていたりしたんですが、謎が解けました。
答えは劇場版。
なるほど。
この物語の延長線上になるかどうかはまだ分からないですけど、ラストでイノベイドたちが民衆に紛れ込んでいて、統一政府にもアニューと同じ顔をしたメンバーもいたし、リボンズタイプもいたわけなので、まだまだ何かありそうですよね。
ティエリアにしても、マリーを戦場から遠ざけるためにソレスタルビーイングから外れているけれども、その表情と、マリーが実はティエリアが抱える矛盾を見抜いているんじゃないか、という表情に、まだまだ続きがあるんだな、と思わせますよね。
不死身のコーラサワーは本当に不死身だったし(笑)。
カティさんと結婚しちゃうし!!
#おめでとう!!
ロックオンなんかは最後の相手がアニューと同タイプのリヴァイブだったりと、演出的にも憎いなぁと思いながら見てました。
そういう中でミスター・ブシドー改め、グラハム(いや、もともとそっちが本名だ)。
切腹をにおわせるところで終わっていたけれども、実際に切腹していたのはホーマー・カタギリでした。
おそらくグラハムをブシドーの世界に引き込んだのはホーマーだったと思うけれども、ここでも「イノベーション」の誤用ならぬ「武士道」の誤用を指摘したんじゃないかとも思うんですよね。
武士道とは死ぬこととみつけたり、というのは死んで忠義を果たせということではなく、(主君の横暴があるならば)死を覚悟して正しいことを追及せよ、というのが本来の趣旨であるわけで、あのとき、刹那との対話を経て、あえて生き残ったのがグラハムであるなら、引責として切腹したのがホーマーという、そういう構図もあったのかな、なんて思います。
#あのあとビリーが開発していたマスラオ後継機?みたいなのも劇場版の伏線なのか?
いやー、もっと書きたいことはあるけれども取りとめがなくなりそうなんで、この辺で。
ガンダムダブルオー、2ndシーズンからは特に好きでした。
僕の中で傑作化したのも2ndシーズンでした。
素晴らしい作品を素晴らしい情熱で届けてくれた水島監督ならびに制作スタッフの皆様に心から拍手を!!
ダブルオーのガンプラはかっこいいので、たぶんまだしばらく買って遊ぶことになりそうです。
そして、劇場版。
楽しみにしております。
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [Blu-ray]
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 3 [Blu-ray]
刹那とリボンズの最終対決にしびれました。
そして意図的に消化不良にしたと思われる部分はなんと劇場版へ。
いやー、まじで面白かったです、ガンダムダブルオー。
これまでのガンダムシリーズに無いオリジナリティーがありながら、どこかでファーストガンダムへ真っ向から挑戦している、という姿勢が非常に好きでした。
そして難解に仕組まれた仕掛けが徐々に徐々に、そして2ndシーズンからは一気に開花し始め、ラストへ向かうに従って「対話」というキーワードが本当に登場人物同士の「対話」として直接の台詞回しに投影されていくという、ガンダムシリーズで究極の明示的相互理解ストーリーだったんじゃないかと思います。
ガンダムダブルオーでは、作品のテーマ的な部分を暗喩的にせず(マクロ描写するところは当然暗喩表現となるんだけれども)、個人ベースの登場人物が語る部分というのは直接的な「対話」として分かりやすく表現していた、というのが特に印象的でした。
ラスト部分では沙慈とルイスという、これまたダブルオーの裏主人公たち二人によってエピローグが語られていき、その中で「分かり合う努力をしないといけない、世界についてもっと関心を持たないといけない」という強いメッセージを、沙慈とルイスという放送当初最も視聴者の目線に近い二人にして、最終的には凄く大きな悲劇の渦の中に巻き込まれていった最も視聴者的に感情移入対象となった二人に「対話」として語らせる、というのが本当に象徴的だったんじゃないでしょうか。
先週がテーマ的には最終回か?とも思わせる内容でしたが、それどころか、さすが最終回。
テーマ部分に絞っていけば、更に上の表現・演出をしてくれたと思います。
最後の最後まで「対話」の重要性に拘ったガンダムダブルオー。
凄く面白かったです。
物凄くたくさん書きたいことがあるんだけれども、順を追って書いていきたいと思います。
僕の中でガンダムダブルオーは、特に2ndシーズンに入ってからなんだけれども、ダブルオーという物語はP・F・ドラッカー的な物語なんだ、というのを何度か書いてきました。
端的に言うと、ドラッカーは「真のイノベーション」についてこんな感じのことを言っているんですよね。
イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、と。
要するに、現在世に出回っている「イノベーション」という言葉は誤用であって、一部の先進者のみがイノベーションを成しうると考えられているが、実はそうではなく、組織的に、ある集団の中で自然発生的に生まれてくる仕組みを作ることにある。一部の先進者のみにスポットが当たるものではない、と言っているわけです。
つまりこれがダブルオーでの「イノベイター」になっていたわけですね。
最終話でまずしびれたのが、リボンズとティエリアの「対話」だったのですが、ここをまさにドンズバで言い表わしていたところに僕は正直鳥肌が立つくらい嬉しかったですね。
そもそも「イノベイター」と「イノベイド」は別のものであって、「イノベイド」が「イノベイター」ではない。
一部の「イノベイド」が人類を導く、という発想自体が間違っている。
それこそ「イノベイター」の誤用である、みたいな。
人類の革新、進化を促していく仕掛けであって、コントロールする立場のものではない、とティエリアが明言するところ、これはしびれましたね。
ラストではティエリア自身がヴェーダの一部となり、人類を見守っていく立ち場に回っていくわけで、そういう意味では彼も「イノベイター」としての資質みたいなのがあるんじゃないかと思ったりもしますね。
人類の革新を促す仕組みの一部となっていくのだから。
さらにティエリアとリボンズの「対話」ではもう一つ重要なことを語っていて、それは上からの立場で人を見下ろして理解しようとしない、という点なんですよね。
これもこの感想で大分語ってきたことの一部なんですが、水島監督のインタビューなんかでも、常に相手の上位に立とうとする姿勢は、相手を理解するという姿勢になく、むしろ相手が何をするか分からないから、怖いから上位に、優位なポジションに立とうとする、というわけです。
こういう中で「対話」自体が成立するわけもなく、事実リボンズは「対話」すら拒み、この作品のマクロテーマであるところの対話による相互理解というところの対極に位置する、という結果になっているわけなんですよね。
更に、やはりこれも、という感じだったのは、リボンズの存在理由なんですよ。
自分でもいつごろから書いたか忘れましたけど、リボンズの行動原理は自分が廃棄されたことにあって、その有用性の証明のために、自分のプライドのために行動しているんじゃないか、という点です。
上位種である(と自分が思っている)はずの自分が廃棄されるのはおかしい、イオリア計画のために生み出された自分が廃棄されるのはおかしい、ならばその計画の遂行自体を自分がやってしまえば良いじゃないか、つまり自分の有用性を証明することがリボンズ自身の存在理由であり、それをやらないと自分の存在価値を認められない、という目的と手段が入れ替わってしまっている、という点なんですよね。
いやー、これをずばり刹那が切り込んで、リボンズがついに自分の本心を吐露する、という展開が、これまでずっとそうじゃないかと思ってみてきた僕としては非常に痺れる展開でした。
水島監督が自分のエゴを押し通そうとする人間はコミュニケーション不全に陥って自滅してしまう、というようなことを仰ってましたが、リボンズしかり、王留美しかりネーナしかり、アリーしかり、とそういった登場人物はバッドエンドに辿り着いてしまっているという点(さらに孤独)で、これもまたひとつのテーマの体現だったんだろうなぁ、としみじみ。
とはいえ、リボンズと刹那の新旧ガンダムバトルは僕個人としては最高にしびれましたね。
ガンキャノンっぽいのが変形して最新型のガンダムになって、更にツインドライヴという最終奥義まで披露したり、それが刹那のダブルオーとグリグリの大激戦を繰り広げるあたりは、見ていてこれぞバトルエンタテイメント!と痺れてしまいましたね。
いやー、最後1話のために新型ガンダムを投入してくるなんて豪気だ!!
さ・ら・に、本当に痺れたのはこの後。
やっぱりエクシアと0ガンダムの最終対決。
これは最高でした。
痺れた。
何に痺れたかって言うと、僕はこのガンダムダブルオーはこれまでのガンダム作品とアプローチの仕方は違えど、実は最もストレートにファーストガンダムに挑戦している作品なんじゃないかって、ずっと思ってきたので、その最終対決がアムロの乗るファーストガンダムと、新ガンダムで新しい形を切り開いていく最初のガンダムとして登場したエクシア(R2!!)の対決っていうのは、まさにファーストガンダムへのガチンコ勝負になってるじゃないですか。
まじで痺れました。
だってあの0ガンダムのビームサーベルの構え。
あれだけで分かる人は分かっちゃうでしょう。
それもアムロですよ。
それがガチで殴り合って、ラストはエクシアと刺し違えるじゃないですか。
燃えた。
いやー、バトルエンタメとしても非常に面白かったです。
ダブルオーという作品とファーストガンダムの真っ向勝負。
素晴らしい勝負でした。
いやー、やっぱりエクシア、かっこいいなぁー。
MG出たら買うな、間違いなく。
あと、たくさん書きたいところもあるんだけれども、テーマ的な部分で行けばあと一つだけ。
この物語の小さな物語のエンドとして、沙慈とルイスの物語があって、それは全体から見ると小さい二人だけの話なんだけれども、作品全体としては裏主人公であり、もうひとつの大きな流れだったと思うんですよね。
愛すべきバカップルだった二人が、戦争に巻き込まれてしまう、戦争をリアルに体験してしまうことで離れ離れになって、そして最後は憎しみが増幅されて、殺しあう仲までエスカレートしてしまう。
だからこの物語としては、そんな最も視聴者に近かったはずの二人が、最も遠い存在になってしまった、けれども、沙慈がルイスを取り戻す、その物語だったと言っても過言ではないと思います。
その中で沙慈が最後までルイスに語りかけ、叫び続け、理解して受け入れようとしたからこそ、いくつものバッドエンドを超えてグッドエンドに辿り着くことができた。
そのグッドエンドを演出した二人の指輪。
この指輪が並んで見える模様、それも実は「∞」を意味していたのかもなぁ、なんて思います。
つまり、あの指輪も「∞」=ダブルオー、ダブルオーという作品を象徴していたものの一つだったんじゃないかって。
その二人がラストでエピローグとして、もっと理解しあわないといけない、もっと世界について知らないといけない、と最も身近で最も簡単で、最も大きなテーマをメッセージとして残していく。
そんな終わり方に、このガンダムダブルオーという作品のメッセージの伝え方を見た気がします。
作品の当初、水島監督は群像劇にしたいと思っていたけれども、実はそれだと各キャラの台詞が少なくなって黒田脚本の良いところを消してしまっていた、ということに気がついたと言います。
黒田さんは黒田さんで監督の世界感を表現しようと歩み寄っていた。
でもその結果、非常に淡々と進んでしまって、キャラが立たなくなってしまった、というようなことをインタビューで仰っていたように思います。
ここから二人の「対話」があって、今の形に落ち着いたと言われていて、この明示的なメッセージや作風はそういった「対話」を通じて作られたんだなぁとしみじみ思います。
あと最後にマリナ姫から刹那への手紙なんだけれども、実はこれが僕にとって一番の回答だったような気がしました。
ダブルオーの描く∞の輪が地球を覆って、一瞬でも人類が分かり合える、という展開もありなのかと思っていました。
それはそれでドラマティックだな、なんて。
でもね、このダブルオーって凄くマクロの物語とミクロの物語を使い分けてるんですよね。
マクロ的にはまだまだ人類は分かり合えないんだ、とかなり現実を直視した回答を提示した、というのが最終回だったと思うんです。
けれども、ミクロ的には「対話」を重ねることで沙慈とルイスのようにグッドエンドに辿り着ける、コーラサワーとカティさんのように思いを伝えて結婚するエンドもあった。
やっぱりマリナ姫と刹那、ルイスと沙慈、というダブル主人公制を引いたのは、そういうマクロとミクロの描き分けをして、そういうエンドになるように考えていたのかもしれないなぁ、なんて。
もちろんマリナ姫と刹那はマクロ側を投影した存在になっているんだけれども、マリナ姫から刹那への手紙が届かなかった、刹那は読んでいない、というのがマクロ的に人類はまだまだ分かり合えない、という部分の回答を悲しくも提示したように思えてしまいました。なるほどなー、みたいな。
けれどもね、その中でマリナ姫の言う、優しさの連鎖みたいなのが広がっていく、それを絶えず追求していくことが自分たちには必要なんだ、というメッセージ。
ある意味このマリナ姫の独白が一番最終話で深かったんじゃないのかな、と思うし、それが沙慈が語った言葉とリンクしているんじゃないかと思うわけです。
だからダブル主人公、だからダブルオー、みたいな。
メッセージ部分以外のところについては、実は消化不良なところも感じていたりしたんですが、謎が解けました。
答えは劇場版。
なるほど。
この物語の延長線上になるかどうかはまだ分からないですけど、ラストでイノベイドたちが民衆に紛れ込んでいて、統一政府にもアニューと同じ顔をしたメンバーもいたし、リボンズタイプもいたわけなので、まだまだ何かありそうですよね。
ティエリアにしても、マリーを戦場から遠ざけるためにソレスタルビーイングから外れているけれども、その表情と、マリーが実はティエリアが抱える矛盾を見抜いているんじゃないか、という表情に、まだまだ続きがあるんだな、と思わせますよね。
不死身のコーラサワーは本当に不死身だったし(笑)。
カティさんと結婚しちゃうし!!
#おめでとう!!
ロックオンなんかは最後の相手がアニューと同タイプのリヴァイブだったりと、演出的にも憎いなぁと思いながら見てました。
そういう中でミスター・ブシドー改め、グラハム(いや、もともとそっちが本名だ)。
切腹をにおわせるところで終わっていたけれども、実際に切腹していたのはホーマー・カタギリでした。
おそらくグラハムをブシドーの世界に引き込んだのはホーマーだったと思うけれども、ここでも「イノベーション」の誤用ならぬ「武士道」の誤用を指摘したんじゃないかとも思うんですよね。
武士道とは死ぬこととみつけたり、というのは死んで忠義を果たせということではなく、(主君の横暴があるならば)死を覚悟して正しいことを追及せよ、というのが本来の趣旨であるわけで、あのとき、刹那との対話を経て、あえて生き残ったのがグラハムであるなら、引責として切腹したのがホーマーという、そういう構図もあったのかな、なんて思います。
#あのあとビリーが開発していたマスラオ後継機?みたいなのも劇場版の伏線なのか?
いやー、もっと書きたいことはあるけれども取りとめがなくなりそうなんで、この辺で。
ガンダムダブルオー、2ndシーズンからは特に好きでした。
僕の中で傑作化したのも2ndシーズンでした。
素晴らしい作品を素晴らしい情熱で届けてくれた水島監督ならびに制作スタッフの皆様に心から拍手を!!
ダブルオーのガンプラはかっこいいので、たぶんまだしばらく買って遊ぶことになりそうです。
そして、劇場版。
楽しみにしております。
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で、事の起こりは、やはり、というか、また木星ですか? 笑 ラスボスガンダム(白いヒュッケバインか?笑)のデザインや、宇宙からの謎の巨敵、とか言つて、スパロボ大戦にならない様に願いたいですね。笑 勿論、そんな心配、本気でしてませんが。笑
ところで、先週も課題に上がってました、リボンズとティエリア、またその他のイノベイド達と、ヴェーダの関係ですが、前回、書き込んだ内容を、訂正する必要が、有りそうです。 イノベイドの基本型、最古参は、勿論リボンズになる訳ですが、その後は、実は、GM874/ハロ型情報収集端末用に造られた物の、878に乗っとられた少女型イノベイドと、第三世代GMとして作られたティエリア以外には、リボンズとアレハンドロがトリニティ三兄弟と、偽イノベイターシリーズを造り出す迄、製作されていません。という事は、オリジナル(ヴェーダに造られたという意味で)の、イノベイドは、この三体だけな筈で、ここで、訂正ですが、ヴェーダとの直接リンクと、自身の収集した情報のバックアップをヴェーダに常時ダウンロードしているのは、ハロ型情報端末(その存在は、勿論イノベイドよりも断然古く、太陽炉開発時に遡るのは、既に周知の事です)の事で、イノベイドで、それが可能なのは、恐らく、オリジナルだけな様です。ただ、リボンズをCBから除外して、874が第二世代GMとして人間達との交流を通じて収集した「人間性」(00Pの1STシーズンでは、そういうヴェーダの意図が、GMとしての役割以外に、874に与えられた重要任務として、そこかしこに、顕にされています)を盛り込んで、(リボンズより)更に人間に対する理解を持ち、人類と交流し易いモデルとして、ティエリアを作り上げ(前にも書きましたが、彼が一番、若い方なんです)、彼を計画の本丸である武力介入の際の第三世代CBのGMの一人に加え、しかも、トライアルシステムの能力まで与えたのは、明らかに、ヴェーダ以外の何者でも無い訳ですが、その時点で、一度、リボンズは、ヴェーダから、切り放されたんでしょうが、それが為に、アレハンドロと共に、1stシーズン後半、ヴェーダ本体に乗り込む必要が有り、そこで直接操作をして、現在の様なヴェーダとのリンクの回復と、レベル8のアクセス権を得たんでしょう。ティエリアの場合は、その点、当初から存在したGMとしてのヴェーダへのアクセス権があり、それを、奪還するという作戦を立てた時点で、自らがヴェーダのシステム内へ入り込み、トライアルシステムを作動させるのが、史上命題になっていた様ですから、「あそこ」で、リボンズと出くわし時点で、既に、その為の、言うなれば「準備/リンク」は、ほぼ完遂していたんでしょう。ここで、私も、やっと理解出来たのが、GMを含むCBの関係者が持つヴェーダが持つ情報への「アクセス権」と、ヴェーダと「リンク」する能力というのが、実は、似て非なる物の様です。
多少、話しが前後しますが、今シーズン初頭、イノベイターは、リボンズらとは、どうも別に居る様な感じなんですが、と書きましたが、それというのも、00Pの2ndシーズン初め、リボンズが操るOガンダムと共に、第三世代機の試験をしながら、彼の事を示す様子も無く、それとは別の存在を語るが如く、874が、「総てはイノベイターの為に...」という台詞が有った事に寄与してたんですが、リボンズは、最初のイノベイドとして造られた事で、当初から多くの能力が付加されていたので、彼が、ヴェーダとのリンクを回復する事で、失っていた本来の能力を再び手に入れただけの事だったとしたら。しかも、彼がトリニティ兄弟もイノベイド達も造ってきた訳ですから、わざと、自身の持つ総ての能力を与える事無く(勿論、その理由の多くは、管理人さんのレヴューでも十分検証済みです)、限定し、また抑制して、造っていたとしたら、というのは、彼のやり方からして、十分考えられそうです。 例えば、劇中の様子からして、リジェネは、どうも他のイノベイド達と違い(トライアルシステムを作動させる能力を持つ)ティエリアを「出来れば」取り込む為に、ティエリアと同じDNAを利用して造られた特殊な検体の様ですが、事実、2ndシーズン小説版1巻では、彼の行動や思考が、どうも感情的/情緒的で、余りにも「人間っぽい」事に、当初から、内心リボンズが、ある種の苛立ちを感じ始めている様子が、描かれています。それ故に、王留美とも気が合ったし(笑)、自分がリボンズに取り代わろうとかいう野心も持ったんでしょう。勿論、リボンズは、彼が謀反を起した時の策も、最初から採っていた訳ですが。笑
その反面、Oガンダムときたら、操縦席のハッチが、最初の一枚板から、RX78風に変更になっている様に見えたものの、脹脛に沢山有ったスラスター同様、作画時に、書き方によって見えたり消えたり、見え方が変わったりしてるだけの様な、外から見て、余り、変更点が見え難かったのが、難ですが、あれは、あれで、OKでしょ。笑 というか、せっかくの大河原デザイン、下手にイジルとバチがあたりますよね。笑 しかし、あの場面で、シールドを棄てて、両手でサーベルを握り直し、下段の構えで、敵が来るのを待つ、あれは、イケマセン、あれは、ランバラルですよ。アムロじゃあ有りません。NT-1のクリス宜しく、首を切らせて操縦席を狙うんなら、もっと低く構えなければねえ。どうせ低く構えたなら、突き狙いで伸ばしたエクシアの腕をやり過ごさせて、GNソードごと切り上げてしまって、初めてアムロでしょう。笑
最後に、やはりビリーなんですが、あいつの頭の中は一体どうなってるんでしょうね? トランザムはおろか、ツインドライブまで、それを、擬似太陽炉で。先週のコメントで書きましたが、擬似太陽炉でトランザムをしたら最後、その太陽炉はTDブランケットを持たないんで、再生利用不可能、つまり壊れてしまう訳ですが、マスラオと違い、今では、やっちゃった後も、皆、十分動いてますし、あれだけ、オリジナルでもマッチングに苦労したツインドライブまで、可能にするとは、双発のマスラオとスサノオで培った実蹟と、00を自らで研究して、具現化したという事でしょうが、凄い。恐るべしです。管理人さんが言われるとおり、後ろの3Dホロは、明らかに新型、しかもツインドライブの、デザインでしょうが、クジョウとも分かり合えた今、対CBの為で無いとしたら、何の目的で? 来るべき対話/脅威に備えてでしょうか? 後ろで、ちょっぴり心霊写真の様に、グラハムが除いてましたが、口から血を流していなかった所を見ると(笑)、彼も、ルイスやラッセ同様、00ライザーと純粋種刹那の放ったGN粒子のお陰で、被爆症が直ったんでしょうか。
最後に、イオリアが予見した来るべき対話と、ご指摘の、群集の中の赤毛に、緑毛達、王家の玉座に座る謎の人物、木星の光る謎の現象、そして、イオリア自身に関してですが、何百年も前に、総てを予見し、その為に準備し、人類を導こうとした、稀代の発明家と云われる彼自身が、やはり人類じゃなかったら、としか考え様が無いんですがね。難
OOが最終回を迎える前に!!
えーと、自分のブログでもガンダムOOについて書いているんですが、このブログの解説のすごさといったら!!!それにコメントの解説も素晴らしい!!!
なんだか自分があんな記事を書いているのが恥ずかしいくらいです。
それにしても映画楽しみですね。木星(?)と、
輝く4つのGNドライブ・・・
もしかしたら、OOPやV、Fが映画となるのかも?
でもっと早く見つけたかったと言うのも、
相互リンクをお願いしたいからなんです。 ペコリ
URLは上の欄に入れておきましたのでvよかったらお願いします。
それにしても、「対話」ですか。
インタビューのことまで書くなんて、とてつもなく
OOに詳しいようですね。俺なんて・・・トホホ
どこから仕入れているのかよかったら教えてほしいものです。
というわけで、相互リンクお待ちしております!
これは今までガンダムにはまってきた人達への、OOのスタッフなりのメッセージだったのかな、と。
ガンダムの正史?は富野監督自身がターンAという形でまずは幕を引いていますが、今回の、ファーストG対エクシアR2は、見ている私たちが、ファーストGという物語を乗り越えて行く(行け)、という強いメッセージがあったように思います。だからこその“僕はまだ戦える”というリボンズの言葉であり、アムロにとって乗り越えて行かなければならない存在であった、ランバ・ラルがとった姿をあえてファーストGにスタッフは取らせたのではないでしょうか?
それこそが、乗り越えていかなければならない、“存在”
では、そして目指すべき答えはどこにあるのか、世界はどうなるべきなのか、結局今回も明示されることはありませんでしたが、サジとルイスが語った、
“(わからないけれど)目をそらしてはいけない、考えるんだ、何ができるかを”
これこそがファーストGを乗り越えて我々自身がどうイノベーションするのか(いろいろな意味を含みますが)に必要なことなのでは、と語りかけられたように思います。
刹那に対するマリナ姫の手紙が1stシーズンと対になっているけれど、でも1stで読まれたもの(想いは、対話は間接的につながった)よりも、読まれなかった今回の方が、とても深く“彼らは繋がっている”と思えるのは、人類すべてがどのような形であれ“繋がることができる”という一つのメッセージになり得るんじゃないかな、と個人的には夢想しています。刹那にも幸せがあるように、願ってやみません。
僕は4人のガンダムマイスターの有りようには一つの決着がついたとある程度納得していますが、ヴェーダ自身と大統領宣言の際にいたイノベイドの関係、主君を無くした武士道の行末、この二つは気になりますね~。そして、ティエリアとリジェネは本当はリンクできたんじゃないか?という疑問(笑)はぜひ映画版で解明?してほしいです。
時々ですがこのように書き込みできる場を設けていただいている燕さんには感謝です。さて、次はなんですかね~(苦笑)。
コーラで始まり、コーラで終わったこの作品・・・あ、まだ終わってないのか。劇場版では子供よろしくってなもんです。
コーラの幸せは・・・撃ち落とっせなーい!
2部になってから、対話VS管理統制の構図がずっとブレずにきてたので、話の内容はすんなり受け入れることが出来たのかもですね。特に刹那のブレなさは異常っす。不安になることがないですもん。ハラハラドキドキ感は薄れましたが。
全3部作構想という話も聞きましたが・・・映画が第3部なのか?それとも1シーズンと2シーズンそして劇場版を含めて第1部なのか・・・どうなんだろうなー、とびみょーに胸ワクさせております。えっと、そうなると今度は宇宙からの侵略者とかもありですか?並行世界とか?ロボットが反逆?それではスパロボになってしまうではないですか。下手するとイロモノガンダムもいいとこじゃないですか。期待してますよ。
ユニコーンがアニメ化するって話もありますし(PVではなく)、ガチガンダムはそっちに任せてイロモノ突っ走るのもアリですよね。
余談ですが、2月から始まった侍戦隊シンケンジャーのOPを聞くたびにミスターブシドーが脳内で暴れる私は既に病気です。
ちなみにアリーはアイアンマンになって帰ってきてます。今度こそ無敵の(実は日本に妻子持ちという噂の)アリー・アル・サージェスをよろしくなんだぜ。
最後の最後まで私的妄想を垂れ流してスイマセン。では~
いやー、ついに終わってしまいました&劇場版予告で始まっちゃいましたね!
SEEDの劇場版は一応進んでいるらしいですよ。いつになるかは分かりませんが・・・。
最後の引きで木星付近に4つ見えるオリジナルGNドライブと思しき光が見えたのが気になるところですね。
イノベイドに関しては、僕は結構彼らの時折見せる人間臭いところが結構好きでしたね。
やっぱり元となっている人間のDNAを受け継いでいるんじゃないかと思うんですが、リジェネなんかはまさにそういうのがあったのかも、なんて思いますね。
だからティエリアも人間っぽくなっていったのかもなぁ、なんて。
ティエリアとリボンズがオリジナル、というのは何となく察してました。
流れと与えられた役割とを考えると、他のイノベイドとティエリアは当初からスタンスが違っていて、どちらかと言うとリボンズとティエリアの立ち位置の方が当初は近かったですよね。
それが方や廃棄から有用性の証明というエゴのために歪み、方や人と触れ合うことで人間に近づき、最後は人類をサポートする側に回るという、これもまたイノベイドの世代交代だったのかもしれないですね。
R2エクシアは僕はかなり痺れましたね。
登場のさせ方と演出の仕方が素晴らしかったです。
あと、僕はもともとエクシアが凄く好きだったので、ひとしおかな。
MGR2とかだったら、パーツの交換までできないかなー。あの片目バージョンも含めて。
あと、0ガンダムのあの構えはランバラルでしたね。
やっぱり壁を越えて行け、と(笑)。
劇場版ではきっとビリーの集大成たる真・マスラオが登場してくれるでしょう(ほんとか?)
グラハムの見せ場が無かったのは残念ですが、こちらも劇場版にクライマックスを譲った、ということにしておきましょう。
たぶん。
民衆にまぎれたイノベイドと木星の光る4つの光、この辺が劇場版への布石なんでしょうね。
楽しみだなー。
あと、Strike Daggerさんに改めて御礼です。
このコメント欄を充実させてくれた功労者の一人は間違いなくStrike Daggerさんでした。
ほんとにありがとうございます。
劇場版までまたお付き合いくださいませ。
初めまして&コメントありがとうございます。
うちのブログはコメント欄に支えて頂いておりますので、いやほんと助かっております。
こうやってああでもない、こうでもないと語り合えるのがブログの良さであり、リアルタイム視聴の良さなのかなぁと実感しますね。
劇場版は非常に楽しみですね!
ある意味、消化不良をわざと残したような感じにしたのはこのためか!?なんて思っちゃいますね。
相互リンクの件については、リンクはご自由に、いかようにして頂いても結構でございます。
僕のほうでは今はリンクをどこにも張っていないのと多分今後も張らない予定なので、ご理解頂ければ嬉しいです。
インタビューについては色々とありますが、一番参考にしたのは日経ビジネスオンラインの水島監督のインタビュー記事ですね。
コードギアスの谷口監督のインタビューも面白かったですよ。
日経ビジネスオンラインの記事はちょこちょこ読んでますが、それなりに面白いですよ。
いやー、ラストのエクシアと0ガンダムの対決はほんとに見応えがありましたよ。
僕は2ndシーズンに入ってからは特にダブルオーという作品は自分のテイストを大事にしながら、正面からファーストと勝負しにいった感じがあって好きでしたね。
だからこそ、のラストバトルでした。
NNNさんのおっしゃるように、ランバラルの構えは、超えていかなけらばならない存在、という感じがしますよね!
変に媚びず、変に意識せず、ダブルオーなりのガンダム観念が演出された感じがしました。
テーマ部分ではすげー!!と思ったのが、結局マクロ的には人類は「まだ」分かり合えないし、純粋種が一人生まれたからといって変わるような世界ではない、と示した点と、沙慈とルイスというミクロ視点ではそれでも僕らは世界とかかわりを持ち続けて、理解しあっていかないといけない、という現実と希望の両方をシビアに描いた、という点において、非常に痺れましたね。
それがマリナ姫の読まれない手紙、だったんじゃないかと思うと余計にぐっときます。
ガンダムマイスターでは唯一アレルヤの表情が晴れなかった、というのが気になりました。
これは劇場版への布石か?なんて思いながら。
もちろん今回見せ場が無かったグラハムも。
さて次ですが、どうしようかな(笑)。
ということで、ダブルオーにお付き合い頂き、ありがとうございました!
いやいやコーラサワー物語はまだまだ続くんですよ(笑)。
でも実はシーリンあたりが子供生んでたりしてー、とか思ったり思わなかったり。
それにしてもコーラサワーは凄いですね。
たぶん触るとご利益があるとか、そろそろ神格化される頃ですね。
全3部となるとやはり劇場版が3部っぽいですかね?
これはバンダイ的にも上手いやり方ですね。
どんだけ僕にガンプラ買わせるつもりなんだ!って感じですよ(笑)。
とりあえず、MGのセラヴィーとか欲しいです。R2も。
アリーは僕もまだ生き残ってるんじゃないかと思ったりもしますよ。
だって体の半分が機械化されてるようなものなんですよね?
コーラサワーと対を成す、こちらは悪魔か?みたいな。
妻子がいるかは分からないけど(笑)。
一時期は刹那にやられるわ、同時に汐ちゃん失うわ人生のどん底で「殺せ、おれを殺せー」ってなもんでしたし、幸せに浸るのもむべなるかな。
忠義はホーマーから家族へ移ったということで、今は仮面を外してパン屋で幸せに暮らしていることでしょう・・・と思ったらちょんまげメガネ、ビリーさんの相方後ろに佇んでいるのは・・・あれは、ブシドー!?
もしや、結局フラれた(?)女とのツーショット写真を飾って未練たらたらの相棒を慰めに来てたんでしょうか。イイやつだなー。やられた方はたまったもんじゃないですが、そういうことはあまり気にしないのもビリーさんなので割とうまくいってるんでしょう。
リボンズが裏から世界を操ろうとしたのは、実は某赤いライバルから「今すぐ人類全てに英知を授けて見せろ」と言われたからとか、失敗したディスティニープランに対抗して、「ボクが一番世界をうまく支配できるんだ!」と一念発起したからとかいろんな噂が飛び交っていますが・・・真相は闇の中となってしまいました。
「ボクは、あの人に、勝ちたい」との思いで立ち向かうも、ヴェーダにそっぽを向かれて既にただのイノベイドと化した彼に純粋種のイノベイターの相手は無理があったのかなぁ。生きてる可能性も高いですが。
とりあえず、新生それ☆すたの当面の敵はテレビ進出のためにはアリー師匠を見逃すことなど厭わない最悪パイロット、フォン・スパーク君かな。
ロックオンが死んでやっとオレが新しいマイスターだぜ、と思ってたら結局双子の弟にマイスターの座を奪われてしまった不遇の子ですが、ところがぎっちょん、そんなことで彼の野望は止められないでしょう。
アリー師匠すら超えるムチャクチャさを誇る彼のこと、いつマイスター達は寝首をかかれるか分かりませんから戦々恐々ですよ。
まぁ、劇場版で〆というのが妥当なとこなんでしょうね。もうネタとしては木星圏について、位ですし。
一番の謎はエイフマン教授があの時点でトランザムシステムを一部解明してたってとこですが。確かエイフマン教授が死んだ時はまだトランザムシステム自体発現してなかったし、イノベイターたちもその存在を知らなかった時期なんですが・・・すでにメモが残っていたとは、やるな、エイフマン。
最後までミレイナとフェルトはやっぱりな扱いで、結局モブからは抜け出せない運命だったのか・・・がっくしですぅ。
もうフェルトについては外伝見ないと立ち位置分からなくなっちゃったし。まぁ、話の都合上仕方ないんでしょーね。がんばれ、おれだけは応援してたぞ!
というわけで最後のコメントでした。ホントか?